はてなキーワード: 回向とは
【まとめ】
日本というか、はてブ民の知的水準の低さというか、羞恥心の欠如という意味でのはてブ民の品位の低さよな。
【煽り】
それとも、はてブ民の大半は性交渉未経験 or ビギナーなのか?
【駄文】
違法性の論点が性的同意の有無(せいぜいが文春による名誉毀損orプライバシー権の侵害が争点に含まれるか否か程度)しかなく、同意有無への見解が双方で違っていて、双方とも裁判に乗り気な私人同士の話に、やれ記者会見を開かないからギルティだの、やれM本の笑いは虐げられる側からの反逆の牙だの、よく恥ずかしげもなく正義の裁判官ヅラできるもんだなお前らは。
【本題】
俺は3匹飼ってるM豚のアナルにナニを突っ込みながら(当然、ゴムはつけてる。医師として、ナースのアナルに突っ込んでSTDってのは洒落にならん不味さがある)、「孕め豚、子豚埋めなきゃしゃぶしゃぶにすっぞ」みたいな煽りを、しばしばする。
メスはメスで「ぶひぃぃぃ」と鳴いて潮吹くし、まんざらでもなさげだし、誘いは毎回向こうから来る。
俺は犯罪者か?
というか、M本はセックスが下手で大変だなぁ。
【余談】
M本の笑いがつまらんとか(実際、昔はともあれ今は面白いとはビタイチ思わん)、M本がキモいとか、とにかくM本死ねとか、そう呟く奴らはそれでいい。
芸能界ワナビービッチのせいで水ダウ終わったらどうしてくれんだとわめく奴らも好感が持てる。
んだけども、この件に関して裁判官でもないのにドヤ顔で正義感振りかざしているアホは、医者に向かって聖水の効果を語るような白痴だな、と。
ちな、聖水を呑む趣味の悪友もいるが、俺はかける方が好きだわ。
裁判官とか法曹関係者なのに同じことやってるやつは、係争中案件へのみだりな見解公表ってことで上司にこってり叱られてどーぞ。
【追記】
オーディオブック版を作ってくださった方がいるようです。お好みでどうぞ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40784246
続き
【追記ここまで】
趣味の悪い無職なので興味本位で丸二日ほど、統一教会の元・現信者、二世の元・現信者のコミュニティを外部から観察していた。
これが思った以上にわけがわからないのである。たとえば驚いたのは現信者のコミュニティでも「自己破産まで献金させる教会はほんまゴミ」が暗黙ですらないコンセンサスであるようなのだが、一方で信者なので「真のお父様こそメシア」は自明のこととして受け入れていたりする。もちろん完全にあちら側の人もわんさかいる。
一番読んでて疲れるのは「元信者」が書いている文章だ。この肩書きの人は完全に正気度がランダムに分布していて、何を読まされるのかが分からない状態で毎回向かい合うことになるので大変にしんどい。まともな人もいるし、相変わらずそうでない人もいる。
そして二世のコミュニティを見て、想像を絶することが起きているのだなと思った。脱会二世が口々に「カルトがなければ自分が生まれていないのにもかかわらず、カルトを否定しなければならないこと」の間で苦しんでいることを主張していて、その不条理にどう立ち向かえばいいものか。二世信者の「脱会したいが地獄に落ちるのが怖くて決心ができない」という言葉を読むに至っては、もう本当に生まれて初めて「言葉がない」という言葉の意味を知らされた。
二世の実態に関しては、被害弁連の会見で語っていたAさんこと冠木結心さんが書いた電子書籍がKindleUnlimitedに入っているので是非読むべきだ。
全三冊あり文字数は分からないが体感的には文庫本半冊程度で文字数と文章の力量的には読みやすく、脱会者の方の言葉にはいろいろ難しいこともあるが、この方の本に関しては安心して読める。(この紹介とその言い方に関しては熟慮しましたが、ご本人の意図にも背かないだろうと考えて無断で紹介しました。ご本人か周辺からストップがあればすぐに撤回します)
ところでこの脱会者・脱会二世コミュニティがインターネット上のどこかでいま盛り上がっているのだが、これを眺めていて抱いた意外な感想がある。あくまで一部に限ってではあるが、妙に微温的なのである。「統一教会はほんまクソだけどそれはそれとして楽しかったよね」というスタンスの人を結構見た。批判したいわけではない。むしろ逆に、どうしたらそんなに優しくなることが可能なのか、と思った。
それは「統一教会あるあるのキモい思い出」で盛り上がっている脱会二世を見ていると特に感じられたが、冠木さんの著書やなんなら現信者の「教会はクソだけど教義は正しい」という態度にも見て取れる。
これはなんなんだろう、ずっと悩んでいたとき、頭の中にぱあっと光が差したんです(50代女性が穏やかな口調で)。「あなたはもう答えを知っている」そう囁いてくださったのが、そう、野獣先輩なのです。
この瞬間、俺は完全に「世界の全てを理解した」。はっきり言って「普通の日本人」である俺には「両親がともにカルトの信者」である人の気持ちなんて想像のきっかけすら掴めないが、「両親が淫夢厨」であることの悲惨さについては想像できるように思うのである。
全くふざけていない。少なくとも俺にとっては(少なくないネット民もそうだと思うが)「どう考えても滅びるべきであるが、それはそれとして愛着があるもの」としてのリアリティとして圧倒的に淫夢がカルトに勝る。
「親が家に教祖の写真を飾ってる」気持ちは想像もできないが、「親が家にヤジュセンの写真を飾ってる」ことの絶望感は想像できるように思うのである。以下では、Aさんの本を事例をピックアップしながら、淫夢厨二世について考える。
ここに両親が淫夢のコミュニティで知り合い結婚し生まれ、野獣先輩が森羅万象であると教わって育ち、自分の名前は淫夢ファミリーから取られていて、両親ともに淫夢語録しか話さない家庭で育った子供がいるとする。
ところで、淫夢が人権侵害コンテンツであり即刻滅びるべきであることに議論の余地はない。
さて、その子供が「淫夢は無くなったほうがいい」という、まともな社会でまともな人間として認められるためには当然持っていなければならない常識を持つのにいかばかりの困難がともなうだろうか。
あるいは、淫夢語録で喋ったせいで周りの人間関係から拒絶されて、淫夢コミュニティに一度取り込まれてしまったために社会復帰ができない人、ぐらいは実際リアルでいそうな気がするのだがどうか。
Aさんの体験も淫夢2世として考えると相当薄めてではあるが理解できるように思う。
カルトはカルトの顔をしていない。確かに初対面で「FF外から失礼するゾ~」とマジで話しかけてくる淫夢厨はいない。知り合った人が後から淫夢厨だと分かるパターンがほとんどで、気づいた頃には手遅れだ。
そしてAさんは韓国にやってきたが、自分一人GINZA勢なのにβの人間しかいないコミュにいて過剰適応するなと言うのが無理な話だろう。スピーチコンクールで韓国語を褒められた話は、語録の使い方がうまくなって喜んでいるのと同じである。自虐史観をすり込まれ「韓国人になってきたね」と言われて喜んでいた、というのも「やっとらしくなってきたな…」と言われて喜ぶキッズのようだ。
Aさんの3冊目では脱会した後の難しさが語られている。俺は統一教会の両親に育てられた子供が全くそれをなかったように過ごすことが可能かはまったく想像も付かないが、淫夢厨の両親に育てられてまったく何もなかった普通の真人間として生きることはできないだろうなとは思う。
脱会者の方の文章を見ていると、ふとした時に違和感を覚えることが多い。たとえばふつうにメシアはいる前提で話してるとか。これも、淫夢文化を抜けたと思っても、ふとした時に出てしまうようなものかなと思う。
Aさんは一度やめようと思ったときにまたたまたま出会った人が統一教会の信者で逆戻り、というのも、淫夢から抜けようと思った先で淫夢厨に会って逆戻りくらい普通にありそうだなと思った。奴らはインターネットの隅々にまで入りこんでいるため、ふと使った言葉が淫夢語録であると意識されていない場合すら多い。
生まれてから今までカルトであったひとが、まともに生きるのがどれほど大変であるかは「生まれてから今まで淫夢厨であった人が定型文以外で会話するのがどれほど困難か」を考えてみれば少しは分かる気がする。そして全人類における単なる事実として「定型文で喋った方が楽」というのは事実としてあり、それがいかに行く手を阻むか。フラッシュバックについても、たとえば「警察だ!」というありふれたセリフを聞いてインパルス板倉を思い出さなくなる日は可能であるものなのだろうかと疑問になる。何年経ってもふとした瞬間に「それヤジュセンのネタじゃんw」と脳内で囁かないことは難しい。
そう考えると全ての脱会二世の方はいかに困難なことを超えてきたかが「少なくともこれ以上は大変」という限りなく大きな最小値として理解できるわけで、よくあなたがあなたであれるようになれたものだと尊敬する。
ここにきて、あの微温的な感覚の理由も少し分かるような気もするのである。確かに俺の中では「淫夢は今すぐ滅びるべき」と「それはそれとして楽しかった」という命題はしっかり両立する。あるいは、これは無茶な置き換えでは無く完全に文字通りの意味で「淫夢文化は滅びるべき」と「淫夢文化が救った魂がある」というのも両立すると思う。
テレレレレレ-
教えはどうなってんだ教えは
お前ら禁じられたカルトを
平気で使ってんじゃねえか
分かってんのか!?
「晋」が生まれたのは
金取んのかよ!?
くそったれ!
……さて、ここに淫夢のせいで一家離散した人間がいるとする。そしてある日元首相が「おとわっかのご冥福を」とか言ってたらどうするだろうか、と思うのである。
予備校の講師をしている関係で、ブックオフにはよく出入りする。参考書が大量に必要になるけど、経費で買えないから、安くあげるしかない。問題集とか、とくに最新である必要がないのもあって、黄色チャートとか、古くても問題は同じだったりする。そういうのを買う。
買ってもすぐに使うとはかぎらなくて何年も眠らせていることもある。昨日もずいぶん前に買った数学Ⅲのチャートを開いて媒介変数のちょっとややこしい問題のわかりやすい解説がないかなあと調べてた。そのとき、モノクロの写真っぽいものが落ちた。ページのどこかに挟まってたようだ。
拾い上げてみると、それが胎児のエコー写真だということはすぐにわかった。うちの子が産まれる前にも、こういうのを病院で渡された。だから最初は、うちの子のエコーだと思ったぐらいだ。けど、考えてみたら、もう成人して家を離れた彼女がわざわざ親の所持品の中に古い写真を挟み込むわけはない。もちろん、私自身がわざわざそんな古いのを栞に使うわけはない。そもそもこの本は、買ってからずっと使ってなかったんだし。
ということは、前の持ち主だろう。自分が胎児だったときの写真を栞に使うとは奇特な生徒がいたんだなあと思った。さて写真をどうしたもんだろう。持ち主に返したくても、きれいな古本で、他になにも手がかりはない。名前が書いてあるようなこともないし、だいたいがほとんど使われた形跡がない。参考書類の古本は書き込みがされてることも多いのだけど、なにもない。筆跡さえわからない。
もちろん、胎児の写真から顔がわかるわけもない。そう思ってもういっぺん写真を見て、気がついた。撮影日が、10年ほど前なのだ。この本がどれくらい私の手元で寝ていたのか、さらにその前、どのくらいブックオフの書棚で店晒しになっていたのかわからない。けれど、本の発行日とかから考えたら、持ち主が使っていたのはやっぱり10年ぐらいより前だろう。ということは、この写真は、持ち主本人の写真ではない。
私は混乱した。わけがわからなかったけれど、とりあえず気持ちを落ち着かせるため、デリヘルを呼んだ。別にそういう話をするつもりはなかったのだけれど、やってきた嬢に言うともなく、一部始終を話してしまった。すると、嬢は突然、仕事の手をとめ、その写真を見せてくれないかと言う。見せてやると、しばらくじっと見たあと、写真に向かって手をあわせ、なにやら念仏のようなものを唱えはじめた。私は余計に分けがわからなくなった。が、しばらくその柔らかい声を聞いているうちに、どこか納得する気持ちがわき起こってきた。なるほど、回向写真か
①社会的地位を利用し、断りがたい立場の人に狙いを絞り、お金は38万必要だ
が とてもいい話が聞ける。この様に誘われることすら、得がたいことであ
り、行けば必ず納得してくれるだろうと、教団名、宗教であることを隠して
勧誘する。
②京都へ行けば、2日間にわたり、念仏宗・無量寿寺信者としての(かなり洗
このとき、念仏宗の秘儀というものも教わるが、(太陽を裸眼で見る方法、
化仏、化菩薩を見る方法等で、この秘儀を伝えられたことにより、極楽往生
が決定し菩薩の仲間になったと教え込まれる。) これは普通の生活では経
験していないことを教えるだけで、同じようにすれば、誰でも見える。また
徹底した秘密 主義を誓わせ、たとえ家族のものであれ念仏宗無量寿寺で聞
③釈尊本来の仏教というよりも 浄土系、密教系の複合したもので 開祖、久
世太郎(本名 福井真尚、別称 戸倉貞和)教と呼ぶべきものである。ちな
みに開祖の前歴は占い師で詐欺による訴訟を神戸地方裁判所にて起こされた
こともある。
④念仏宗 無量寿寺の会員(同行という)になると、3人を済度(信者を勧誘
すること)するノルマを与えられる。
⑤学術的文献によれば一般に 「隠し念仏」と呼ばれている。浄土真宗側から
仏教歴史学によれば、秘事法門と呼ばれ、 布団被り、御蔵法門、御杓子講
空也派、天王寺派等、が存在するようだ。念仏宗が、どの派に近いのか、ま
た、混交したものであるのかは不明である。 いづれにしても 善智識と呼
ばれるものを立て、自宗の奥儀として儀式を秘匿し、門外に他言すれば地獄
におちると 信者に言い含めるのが特徴としてみられる。
⑥2チャンネルの「念仏宗無量寿寺」掲示板や、「知りたい。。。」掲示板の
元信者、現信者家族の書き込みに寄れば 無量寿寺への入信が原因で、離婚
や、家庭不和、鬱病に悩まされているという報告が数多く寄せられている。
また、念仏宗の幹部、であり、回向相伝を授けられた土屋 悟 氏が(2001
護持費(会費)1口 2000円・・毎月支払い、口数は各信者の自由意志
その他、地方会費(各地区の別院、檀信徒会館、等施設維持のため)として
信者1人当たり1000円 ~5000円/毎月)の支払いがあるようだ。
回向 (先祖供養等) 一体1口 10000円 (1年に先祖1人につき6回必要)
集中回向 一体 100000円
法名 100万円
仏像 一体 100万円
本堂の柱 寄進 1本 1000万円
⑧念仏宗無量寿寺は昭和54年に宗教法人としての認可を監督官庁から受けた。
平成4年に 日本の仏教 第14宗として監督官庁に認可されたと、無量寿寺
の月刊誌に書いてあるそうだが、監督官庁が認可した事実は無い。
⑨開祖の久世太郎は 真言宗第195代 琳真大僧正の6番目の末弟というふれこ
みだが、真言宗に確認してみると そのような事実は無いとの返答であった。
⑩念仏宗・無量寿寺 信者として、六大祭事(初詣、大涅槃会、観音祭、降誕
⑪これまでに5回 世界仏教サミットを開催しているが、これは念仏宗のお手
盛り、宣伝的なイベントであり、 日本の仏教会からは 全く無視されてい
る。
日本の仏教会は、全日本仏教会という組織(日本仏教会の9割以上が参加)
があり、これまでに20回以上も 世界仏教徒会議というものに参加している
を受けるに当たっては 五具足相伝に300万円、回向相伝には1000万の冥加
金を支払わねばならない。
念佛宗では信者が儀式の際に使用した上記のものを死後8時間以内にこれら
を身に付けさせ、蝋燭を燈さなければ輪廻の輪から解脱出来ず、極楽浄土へ
向かう事が出来無いとしている。
胎内にいる間に、仏との縁を結び、無事にこの世に生まれさせていただくと
いう儀式 いわゆる、安産祈願、不退は産まれてくる子が 真実の道、浄土
へ向かう道から外れないという意味を含むようだ。この儀式を受けたあかち
ゃんは臍のおが白いと云われるが、元、念仏宗信者の言によれば、他のあか
開祖の久世氏をはじめとして、法主:宮川氏、善智識:郡氏、清水氏の4名
かと思われる。清水氏は企業セミナーの講師もしているとの情報あり。
⑯念仏宗・無量寿寺 同行となったものは 精進しなければならない。(具体
的には、本山、 別院、檀信徒会館、王堂 関連の 維持、管理、世話等の
仕事が順番に回ってくるらしい。)
僕は大阪でもトップクラスに有名なお寺でしばらく働いていたことがある
それまでは宗教的素養はゼロで、なんとなくお寺やお坊さんはありがたいもの、的な感覚があるだけだったんだけどね
どうか皆様はその楽しみを助けてあげてください」
年を取ると、親も兄弟も配偶者も旅立っている方は多く、亡くなった方達のためにできる数少ないことのひとつが、お彼岸のお参りであり、先祖回向なわけだ
でもそのうち、親しい人は皆あっちにいて、あちらの世界がこちらより身近になってくる
そんな方は、お参りに来ることをとても楽しみにしているのだ
働いている者達は知っているんです、その値段が違っていても、同じお坊さんに同じようにお経をあげてもらっていることを
何も違わないことを
同僚が、参拝者に、この値段は何が違うの?と聞かれたとき、彼は、いや同じですよと答えて、上の人に怒られたことがあった
確かに同じかもしれない、しかし、そういうときは、「お気持ちです」と答えなさいと指導されていた
そして参拝者は、「気持ちはあるから3千円でええわ」と答えていた
坊さんの控室がある
同じところで我々も休憩して、お弁当を食べる
お坊さんは何人かくるけど、みなさん、ずっと不倫相手とメールしたり、スロットを回したりしていた
お経を読むときも、休憩している坊さんに、いまあいつ、アーばっか言うてサボってるよwとか言われていた
お経あげてると思ってたらアー言ってるだけの時もあるらしい
正直にいうと、一般人の方がよほど清いと思うくらいに坊さんは尊敬できない方ばかりだった
もちろん全員がそうじゃないのは当たり前だけど、逆に、お坊さんだから無条件にありがたいわけでも、救済があるわけでもないことはわからされてしまった
お参りとは何なのか?考えざるを得なくなった
坊さんという存在やお経の言葉が、薬のようにたちまち死者への救済をもたらすわけではなかったのだ
当たり前かもしれないけど、行為や作法そのものに意味なんてないのだ
大事なのは、指導で言われたように、参拝者自身のお気持ちなのだ
そのお気持ちというのは、ただ静かに死者のことを想うだけでももちろんいい
それだけではなく、わざわざ有名なお寺に出かけて行って時間を使うのもまたお気持ちの表れだ
わざわざ、死者のために1万円使うのもお気持ちだ
死んだ人にプレゼントをあげても喜んだ顔を見れないから、せめて先祖回向をわざわざすることで、喜んだ顔を想像することしかできない
だから、それをする
それをすることが喜びになる
それが、楽しんでお参りにくる、という中身だ
忙しくて回向に来れなかった方が不義理なわけでもお気持ちがないわけでもない
それと同時に、「わざわざ」があればそれもまた気持ちの強い表れと言える
わざわざ、とはつまり、時間的、経済的、肉体的なコストのことね
例えばライスシャワーの慰霊碑にわざわざ出向き、わざわざバラを買って、わざわざそれを備え、わざわざそれをSNSにあげること、それは全て、死者へのお気持ちの表れだ
大切なのは、各自のお気持ちを死者へ向けることであり、他者のお気持ちを自分の正義感や自分の信じる作法から批判することではない
1万円で回向する人が、3千円で回向する人のお気持ちを否定するようなことは決してないし、あってはならないことである
死者を思い、楽しんで慰霊碑に来られた方の気持ちを否定することは、宗教に携わった立場からするとあまりいいこととは思えない
投稿から悪ふざけに見える要素があるかどうかと、思い立ってからバラを買い慰霊碑に向かうまでの間にわずかでも死者を想う気持ちがあったどうかは、決して結びつくものではないと思う
死者のためにできることはない、全て生者のためだ、って言っているブコメが多いけど
この行いを、あの人がもし見ていてくれるなら少しは喜んでくれるのかな、と思えるから生者の救いになるわけで
無になったもののためにできることはないと完全に割り切るなら生者への救いもまたないのだよ
(憲法が絶対とは言わないしアップデートの必要な部分もあるだろうから。
会社の社規とかPCのプログラムだって部分的な改善は行われているし。
一部形骸化しながらも十分に活きている以上
下手に手を加えるなら維持の方が安定する)
じゃあ改憲反対主張者に聞きたいんだけども。
だったら発議だけさせてそこで潰せば良くない?
相手の手の内について分かっていた方が優位だし
国民の改憲反対が圧倒的過半数である現状、改憲に持ち込むことは難しいと思うんだけど
別に発議させた瞬間全てが決定するわけでなし
(発議即投票という流れならともかくも)
徹底的に潰しとけば暫く向こうも黙ってくれるでしょ
その前提を疑い始めたらもはやどうしようもないと思うけれど。
そもそもそれがあったら現行の国民投票も捏造した結果になると思うんですけど。まずそこを批判すべきでは?
隠し球的に最後の最後で捏造……とか考えてもそんな自分の命と引き換えに改憲する度胸があるか?アベに?
ないと思うがね。あなた方が一番分かってるでしょう?
(憲法が絶対とは言わないしアップデートの必要な部分もあるだろうから。
会社の社規とかPCのプログラムだって部分的な改善は行われているし。
一部形骸化しながらも十分に活きている以上
下手に手を加えるなら維持の方が安定する)
じゃあ改憲反対主張者に聞きたいんだけども。
だったら発議だけさせてそこで潰せば良くない?
相手の手の内について分かっていた方が優位だし
国民の改憲反対が圧倒的過半数である現状、改憲に持ち込むことは難しいと思うんだけど
別に発議させた瞬間全てが決定するわけでなし
(発議即投票という流れならともかくも)
徹底的に潰しとけば暫く向こうも黙ってくれるでしょ
その前提を疑い始めたらもはやどうしようもないと思うけれど。
そもそもそれがあったら現行の国民投票も捏造した結果になると思うんですけど。まずそこを批判すべきでは?
隠し球的に最後の最後で捏造……とか考えてもそんな自分の命と引き換えに改憲する度胸があるか?アベに?
ないと思うがね。あなた方が一番分かってるでしょう?
某実名推奨SNSで学生時代の友人や先輩・後輩、趣味のサークルの仲間とつながっているんだけど、「イイネ!」押してくれたりコメントしてくれたりするのはほとんど男子だけだ。もはや自分も仲間もほとんどが40代後半で、かなりの確率で家庭持ち(自分はバツイチ独身)。自分は決してモテるタイプではなく、むしろSNSにアップする写真撮りたさに一人であちこち出かけてしまう、見ようによっては痛いタイプだと思う。
学生時代の友人は、「何でお前がせっせと出かけて撮って来た写真を俺が見ないといけないんだ?」という人もいるので、興味がなければスルーしてくれとしか言いようがないんだけど、お情け(?)で「イイネ!」を押してくれる人々の男性率がやたらと高い。女性でも押してくれる人はいることはいるんだけど、だいたい毎回向こうが投稿するたびにこっちが「イイネ!」を押している人々なので、「いつも押してくれてるから押しとかないとね」という義理というかお返しの匂いを感じる。
「写真の撮り方が男っぽい」と言われたことはあるし、実際ふんわりした女子っぽい写真は撮れない。たまにうまく撮れるときもあるけど、それほどでもないことも多いので、別に写真自体について褒めてくれなくてもいいから被写体になっているモノや場所についてコメントしてもらえると嬉しい。一人「他人が撮った被写体は自分も撮ってみないと気が済まない」系の人がいて、すごく撮影スポットとかその関連情報についていろいろ突っ込んでくるんだけど、まぁそんなコメントも私はイヤじゃないので丁寧に答えるようにしている。
元々女同士の付き合いが苦手で、「言われなくても空気を読んで察しろ」とか、「○○って△△だよね。」「××のときに□□するのは変」みたいなのを暗黙の了解で感じ取れと言われても無理。どうしてそれを理解するのが当たり前だと思われなくちゃいけないのか理不尽だと思う。何か私の行動や言動が変ならば、「○○のときは□□するんじゃなくて××してほしい」とはっきり言語化してくれないと分からないんだけど。
その点男子の方が余計な察しを求めてこなくてさっぱりしている気がする。世の中に「空気を読む」という概念が普及して初めて、私は自分がうまく世渡りできない理由を知った気がするんだけど、女という生き物はどうしてこう空気を読めないヤツに対して冷たいんだろうと思う。別にネット上の話だけでなく、リアルでもそんな感じで、極めて友達は少ないんだけど、このまま歳をとっていくしかないんだろうか。今のところ特に私に好意はなくてもとりあえず情けをかけてくれる男子たちの存在が、私の心の救いである。
しっちゃかめっちゃかしてて話が飛ぶし同じこと何回も書いてる。
親の言うことは絶対だと思ってる母親が嫌い。言いたいことを言わないと気が済まなくて何回も言ってくる母親が嫌い。
自分の話は聞いてもらえないと怒るのに他の人の話は全く聞いてないのは理解できない。自分が全部正しいと思ってるところが特に嫌い。あと約束を守らないところ。
親が苦手な年ごろだからそう思うのかもしれないけど。
カウンセリングだってたくさん行ったけど何も変わらなかった。母親は都合のいいとこだけ聞いていた。スクールカウンセリングの時は都合の帰りの車でいつも怒鳴られて億劫だった。
母親が隣にいるから話したいことは話せなかった。母親と一緒に行っていたので母親に伝わるかも、と思うと何も話せなかった。
いつも母親の顔色を窺ってばっかりで、母親の言うことに従ってばかりだった。嫌だ、と言うとじゃあどうしたいのと責めるように聞かれる。でも自分の考えなんてないから答えられずに結局いうことを聞いてしまう。
口げんかしても何を言っても聞かれずに屁理屈だと言われ自分が全部正しいと言われる。少しは尊重してほしい。
怒られたら叩かれる。痛い。悪いところがあるのはわかってるし反省してるけど何回も同じことを言われたらうんざりする。それを反省してないだろうと怒るのはやめてほしい。
包丁を向けられたときは怖かった。死ぬかと思った。窓から飛び降りて逃げてやろうかと思った。怖くてできなかった。怒られたときは真っ先にトイレに逃げるしかない。個室だし鍵もあるし2時間は持つ。
トイレは小学生の時からずっと逃げる場所だった。トイレのドアを蹴破られたときは怖かった。最初トイレに逃げ込んだときはトイレ入れないようにしてやる、絶対に出ないからなと思っていたけど30分が限界だった。スマホを手に入れてからは1時間は持つようになった。トイレに長時間いると私も落ち着いてくるし母親も少しは落ち着くのでトイレは最高だと思う。
小学校は楽しかった。たまに行きたくない時もあったけど楽しかった。
中学校は苦しかった。皆の前で言ってることと陰で言ってることが正反対で怖かった。皆がやってるから別に良くない?そういうノリで人の嫌がることを平気でしているのが怖かった。
不登校になった。先生のなんでこれないの、という質問が怖かった。責められているように感じた。静かな部屋で二人きりでとても怖かった。うまく言えなくて、言ってもだからなんで?と言われる。
虐め以外のことで不登校になるはずがないと思っているように感じた。
3年生になって適応指導教室に行き始めた。先生も皆もいい人だった。楽しかった。
高校生になった。自分のペースで頑張れそうな所だったし先生方もいい人だったので頑張っていこうと思った。
最近は週2~3のペースで行っていた。全日制にしなくてよかったなと思った。自分ではこのペースが続けられたらなと思っていた。
母親は違った。学校が変わったら毎日通えるようになると思っていたらしい。3年間ほとんど引きこもってたやつが学校が変わったら毎日通うようになるのは難しい。
通学するのに体力はいる。たくさん人がいるところは怖い。勉強だってたくさんの体力がいる。なにより朝布団から出ることが難しい。目が覚めても体がとても重い。行きたくないと思ってしまう。
やっぱりいつか刺されるんだろうなあ。既に1回向けられてるんだから刺すときは刺す。父親は「僕の死因は病気か事故かお母さんに刺されるかだ。」って笑ってたけど洒落にならない。
普通に生きてほしい、とかいうけどそもそも普通ってのは人によって違うわけで。それに普通に生きるって難しい。当たり前のことが難しい。普通って何なんだろう。
どうして皆毎日学校に行ったり仕事に行ったりできるんだろう。とっても大変なことなのにすごいな、と思う。尊敬する。
毎日目を覚まして布団から出て顔を洗ってご飯を食べて。外に出るまででも大変なことがたくさんあるのにすごい。家に帰るまでも大変なのにすごい。
将来のこととかあんまり考えられなくて「今勉強してないと後悔するよ」とか言われてもわからない。大人になっている自分が想像できない。将来のことを考えてる人はすごい。努力できる人はすごい。
意識してやろうとすると途端にできなくなる。どうやって呼吸してるんだっけと思ったらどうやって呼吸をしているのかわからなくなる。いや、わかるけど本当にあってるのか不安になる。
文だって書けない。自分の考えを書けばいいよだなんて自分の考えがない。たまにあってもどう表現したらいいかわからない。
他人の目が気になる。他人にどう思われてるかが気になる。自意識過剰なことは知ってるけどどうしても無理。どうやって生きていけばいいんだろう。そもそもなんで生きているんだろう。私は本当に私なのか。
やらなくちゃいけないことはたくさんあるしやらないと後々困ることもわかってる。実感できない。
頭では理解していても、割り切れない。
階段だって15秒以内に登り切らなかったら噛みついてくるかもしれない。トイレだって便座の中からいきなり腕が出てくるかもしれない。
家に帰ったら実は強盗がいて刺されるかもしれない。すれ違った人が実はナイフを持っていていきなり刺されるかもしれない。バスに乗っていて角を曲がるとき事故が起こるかもしれない。このまま眠ったら二度と目が覚めないかもしれない。
家出をしたい。けどお金がない。行く場所もない。シミュレーションはたくさんした。
自分の考えを持てて表現できて自分の間違いをちゃんと謝れて他人の顔色を窺ってばかりじゃなくはっきりと言えて自分を肯定できる人に私はなりたい。
やっぱり当たり前のことをするって難しいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20160822143611
先日、回向院のあたりで辻斬に腕を切られたときの話をするでござる。
あまりに突然なことだったのでもちろん驚いたでござるし、
なによりこの件で一番強く思ったのが、
「幕府すごい」
ということで候。
…拙者の語彙力のなさはさておき、
幕府は良いところもあるよ、ということをまとめたくてこの武露愚に筆をとった次第。
【その1】捕方すごい
まず事件当日。
詳しくは伏せますが、とにかく回向院で知らない人に刀で腕を切られましたでござる。
下手人から逃げつつ、番所へ駆け込み、場所や状況などを説明しつつ…
あまりの迅速さに、
拙者の事件とは無関係でたまたま火附盗賊改方が通りがかっただけかと思ったでござる。
別方向から忍者と来た旗本の若殿?と共に犯人を捕まえてくれたでござる。
もしあの時、すぐに来てくれなかったら
また、長谷川殿の後追いでやってきた同心たちも、刃物を持っている下手人に対しても怯むことなく
しっかりと取り抑えてくれ候。
町方にはなかなかできないことです。
本当にすごいでござる。
【その2】藩の同輩すごい
間もなく拙者の忠勤する藩から同輩も到着し、
すぐに拙者の腕を何かで包んでくれ候。
その時の拙者は呑気に、
「とりあえずなんか包んでくれたし、医者のところへ行かなくても良いんじゃないかな」
なんて思っていたのでござるが、
何件かの医者に断られ、
やっと受け入れてくれる養生所は外科の先生が不在と由。まあ小石川療養所には本道(内科)の医者しかおらぬとは聞いた話ではござる。
とりあえず診てもらえるだけありがたいので、そこにお願いすることにしたでござる。
後になって分かることでござるが、拙者の傷はそれなりの深さがあったため
縫わないと血が止まらないような状況だったそうでござる。
藩の方がそこまで分かってくれていたかどうかは分かり申さぬが、
拙者はただぼーっとしていただけで、
色んなところへ早馬を飛ばして必死に受け入れ先を探してくださったり、
本当にすごいと思ったでござる。
また、養生所へ向かう最中に、同乗した鬼の平蔵がわたしの気を紛らわせようと
色々と話しかけてくださり、それもとてもありがたかったでござる。
「自分は専門ではないので、明日また専門の先生に診てもらってください」
と前置きした上で、診てくれたでござる。
とりあえず血止めしようとしたようでござる、
血が止まらないので縫うことになったでござる。
今まで体を縫ったことがない拙者は驚き申したが、
なにより先生自身が、覚悟を決めたような神妙な雰囲気を出していたので
先生は、慣れていないのが拙者でも分かるぐらい
一生懸命に、丁寧に、一針一針確認しながら縫ってくれたでござる。
一時間ほど経ち、なんとか縫い終わって
そして、終始汗だくで目が泳いでいた拙者に、優しく話しかけてくれた蘭方医さんすごい。
【その4】再び捕方すごい
担当のお奉行が、事件の様子を細かく文章でまとめてくれるでござる。
時々質問されるので、できるだけ的確に答るでござるが
(こんなことを申すのも何でござるが)
でももしお奉行がいなかったら?
自分で自分の状況を、矛盾がないようにまとめるのはとても難しいでござる。
およそ二刻ほどかかり、まとめられた文書(もんじょ)と証拠の物件は
今後、下手人の罪を裁いていくことになるようです。
下手人を捕まえ、事実関係を明らかにし、もろ肌を脱いで桜吹雪を見せることまでやってくれる
お奉行すごい。本当にすごい。
【その5】三味線屋すごい
翌日、外科の先生の代わりということで紹介された三味線屋へ行ったでござる。
三味線屋は傷口を見てすぐ、
「縫い直しだね」とおっしゃっていて
せっかく前日に一針一針一生懸命縫ってくれた糸を切るのは小川先生に申し訳が立たない気持ちになったでござるが
そして三味線屋は、さすが専門なだけあって
結果的に、三味線屋曰く「数えきれないぐらい」縫ってくれたでござる。
首も吊った(テレビ用の糸なので来週には消えているらしい)
ので、傷口はおそらくほぼ残らないだろうとのことでござった。
やっぱり仕事人はすごい。
【その6】江戸すごい
以上のように、たくさんの方々、たくさんの江戸の仕組みによって
拙者は事件以外の不満を感じずに、傷を塞ぐことができたでござるが、
1つ気がかりなのが、治療の費えについてでござる。
下手人へは怒りもあるでござるが、
拙者は死んだり不便が残ったりした訳でもないので
そこまでの恨みはないでござる。
ただ、もう、本当に大した額ではないのでござるが
すると、そのことを話した訳ではないのに、、
拙者の治療費を上様が払ってくれるという話を聞いたでござる。
どういう流れでそうなるのかは不明でござるが、
(徳田新之助なる旗本の正体を口外しないとかの条件があるらしいでござるが)
こちらはまったく刀を抜かないのに一方的にケガをさせられて
治療費まで被害者が払うのはおかしい、ということで払ってくれるそうでござる。
吉良殿をよってたかって惨殺した赤穂のテロリストどもに聞かせてやりたいでござる
そのような仕組みがあることは全く不案内でござったし、
そのような仕組みがなければ本当に被害者は損ばかりでござる。
僅かな金子でござる、そのおかげで拙者の心は大分軽くなり申した。
江戸すごい。
そしてそんなお金があるのはもちろん、
本当にありがとうございまですでござる。
江戸にはこんなにたくさんの仕組みがあり、うまく機能しているでござる。
中には問題があることもあるかもしれない、それでもなんとかうまくいくように
そう思うと、幕府ってすごいでござる。