はてなキーワード: ももちとは
今日も堺市長選挙があった。この堺市の選挙は一地方都市の市長を決めるというだけの問題ではなくて大阪府の今後を決めるかもしれない選挙だった。結果は現職市長の再選。
性格が悪い私の個人的な選挙の楽しみは負けた陣営のお通夜な雰囲気の事務所を見ることと、負けた陣営支持を公言していた人たちのツイートを見に行くことである。
どちらが勝とうが負けようが楽しい。お通夜の雰囲気になってる事務所をげらげら笑うのももちろん楽しいけど、やっぱり自暴自棄のようになっている支持者のツイートが一番楽しい。
「○○を選ばないなんて本当にバカ。」とか「○の地域はどうしようもない田舎者」とか書いてるのがめっちゃ好き。
負けた候補や政党を支持する人間はとにかく買った候補や政党に投票した人のことを罵るよね。私からすると益々その人たちのこと嫌いになる。
あなたのほうから難癖つけるためだけの非生産的で無意味に攻撃的なトラバをつけて絡んできたんじゃないですかー
こちらとしては、あなたが増田でイチャモンのためのイチャモンをつける習慣をやめるだけで、話が脱線することもなくなるし、今後の増田での議論も生産的なものになると思っています
あなたの目的は「生産的な議論をすること」ではなく「他人に絡むこと」としか私には思えないわけですよ
あなたが増田に書き込むのをやめて黙るだけで、話も脱線せず本論だけで話が進んで生産的な議論ができるようになると思うんです
でも……あなたはおそらく現実世界に居場所がなく、ここで不特定多数の人間に絡むことが生きがいなんですよね
俺も結婚3年目ぐらいだが、子供が生まれてから特に生活が変わった。
当たり前と言われればそうなんだが、
夕飯後にゆっくり映画を見るとか、本を読むとか基本的にできない。
子供が寝てたら寝てたで、溜まっている家事をこなさないとならない。
1人の時は家事が溜まっていようが、今の気分を優先させていくらでも家事を後回しできたけど、
そこでくつろいでいたら妻にキレられる。
毎週のように喧嘩している。
妻の方が俺よりよほど大変なのは見ていて分かる。
ただ、根がマイペースな俺には全て処理しきれない事がある。
時々一人になりたくて仕事が遅く終わるフリをしてメシ食って帰ったりする。
妻が家事をしてくれない不満はあるだろうけど、
辛い状況の子供が助けを得られずに終わる映画がある。違う感想を持つ人ももちろんいる。それでも私にはそう捉えられた映画がある。
大人は判ってくれない、スイート・シックスティーン、パパは出張中
この三作品は特に衝撃的だった。主人公と視線が合う場面で私は面食らった。大団円ものに慣れきっていたし、この作品もそうなると予想していた。製作者の意図や作中描かれることの現実性について、主人公たちのその後を時々私は思った。その衝撃はなかなか頭を離れなかった。
ムーンライトは特別な映画だという人は大勢いる。そうした人たちの感想を私も楽しく読ませてもらっている。私もムーンライトが好きだ。これは私にとっても大切な映画だ。
ムーンライトのラストに、子供時代の主人公・シャロンがカメラを振り向く場面がある。それを観た時、私は確かに救われたと思った。彼ら主人公と私とでは立場や境遇が違い過ぎる。共感すると言うのもおこがましいかも知れない。それでも私は他の映画とともに、主人公と自分を重ねて観ていた。
ムーンライトは穏やかに終わる。成長して居場所を得たシャロンは、当然のことだが他作品の主人公たちのようではない。前記の三作品はそれぞれに完結していて、現実には、今この瞬間にも苦しんでいる子供たちがいる。
三人の主人公たちが感じただろう辛さは、私の中にわだかまりになって残っていた。シャロンが成長する姿を観ることで、それが癒えた感覚でいる。
私はこの映画たちが好きだ。苦い部分も含めて愛おしいと感じる。これからどう生きていくか、大人になった自分に何か出来ることはないのか、などと考えさせられる作品でもある。
他の人の文章に触れて、ムーンライトについて自分でも少し書いてみたくなった。
もし気になっていて迷っている人がいれば、ぜひ観てほしいと思う。
私は運輸系の企業で働いている。
運輸系というと昨今のトラックの運転手や船員の高齢化、人手不足問題や
残業未払い、休みの少なさ、過剰な労働時間という話題には事欠かない業界だ。
そんなななかで私の勤めるこの会社は定時で帰れて有給やボーナスもしっかりでる俗に言うホワイト企業である。
だがしかし、当社のホワイト環境というものは下請け企業のブラック労働によって成し遂げられているのだ。
具体的に言うと当社は元請けという立場であり自分で運ぶことももちろんするが
そこからさらに下請け企業へ仕事を割り振り手数料を頂いて利益を得ている。
なぜかというと詳しくは言わないが下請け企業は我が社からの仕事がないと立ち行かないし
それを良いことに必要最低限の運転資金がなんとか残る具合で調整し残りを当社が搾り取っているわけだ。
こんなことが許されるのかと若手の社員からは異論があるが現在の良好な福利厚生や給与は全てこれで成り立っているのだから表立っては誰も言えない。
これから何かが起きそうな気もするがその時が起こるまで当社はこの搾取体質をやめはしないだろう。
よくブラック企業に自助努力やそれが出来ないなら潰すことを是とする意見があるが
このような下を犠牲にする企業が存在する限りブラック企業はなくなることはないと思う。
底辺が底辺を再生産する、つまり子供の生育環境がその後の人生を決定するというのは傾向として正しいと思う。ただ、底辺の中にも成り上がって金持ちになったり成功する人が一部いるのも事実だ。
それももちろんあるだろうがおそらく一番大きな差は「自分が底辺だと気付けるかどうか」そして「底辺から抜け出したいと思うかどうか」である。底辺から抜け出す努力するにはまず自覚と自分の置かれている環境の否定が必要だからである。
親が底辺だとその子供はおそらく自分の家が底辺家庭であることに中々気づけない。周りの同級生との暮らしぶりの違いを目の当たりにして自分の家庭の底辺具合に気づけたとしても教養や勉強に価値があるとは中々思えないようになっている。底辺の親はそのルサンチマンから「勉強ばっかで来てもいい大人にはなれない」などと子供に繰り返し説くからである。「俺みたいになりたくなかったら勉強しろ」と言える底辺の親はなかなかいないのではないだろうか。それゆえ底辺の環境で育った子は今の自分の幸福を底辺環境のなかに見つけることとなり、環境に甘んじることとなる。底辺が努力してないのは傾向として正しい。ただそもそも底辺には努力する理由がないのだ。
これに対して底辺の親のもとに生まれ、そこから抜け出す努力をしたのになんの経済的援助も得られないなどの理由で結局抜けられなかった人は本当に気の毒だ。ただそのように結果的に底辺になってしまった人は全底辺のうち一体どれほどの割合で存在しているのだろう。自己責任論に怒り環境の影響の大きさを主張する人々が想定する底辺は「抜け出したかったけど抜け出せなかった人」であろうが、それは実際の底辺の多数派とは重ならないのではないだろうか。インテリ層が自分の成功を可能にした環境の影響力の大きさに無自覚なように、多くの底辺も、そもそも自分が本気で底辺から抜け出そうと思ったことがないことを自覚できず自分を「抜け出そうとしてそれが叶わなかった人」に重ね合わせてしまうのだ。だから多くの底辺は怒るべきでない問題に対して怒りを感じているのだ。
たしかに抜け出したいけど環境のせいでそれが困難な人たちに対する対策はたしかにもっとあっていいと思う。そして底辺問題を本気でどうにかしたかったら底辺の自覚を底辺に持たせるような工夫が必要である。それが社会全体の幸福を増大させるとは必ずしも思えないが。
まず何も知らない人に簡潔に書くと、『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』(以下適当に略す)とは『アイドルマスター シンデレラガールズ』(以下適略)というゲームのコミカライズ作品の一つである。
コミカライズとしては原作に対して忠実さ・リスペクトのある作品で一定以上の品質もあるのでファンアイテムとしてはそれなりに良いものだ。一方で、原作を知らない人にとっては取るに足らない凡庸な漫画のひとつに過ぎないという、よくあるコミカライズ作品である。
Web漫画としてサイコミで連載されていて今なら最初から全部読めるので興味がある方は読んでみてもいい。
https://cycomi.com/title.php?title_id=46
こういう前置きをしている私は上記に当てはまらない、アイドルマスターシンデレラガールズの既存のファンである。それを前提にして本題に入る。以降の話は関連作品も含めてネタバレを有することを注意しておきたい。
コミカライズとしては及第点以上を取れていると思う。漫画に限ったことではないが、世の中には自己主張控え目な毒キノコのように見る者を誑かし食することで生命を脅かすように読んだ者の精神の健康を害する作品があることを思えばよっぽど良い。そういうものに金を払った経験はいっそ高度な文明的行いのようだった。
さて、それでも私の周りで似たような意見を聞くのでそれを取りまとめておきたい。
作品の問題に対する指摘はいくつかあるが、ここでは一つだけ取り上げる。
それは物語が繰り返しに過ぎないということ。
ただし、この言葉には二つの意味がある。既存のファンでなくても気付く点、既存のファンにだけ感じられる点の二点において、この物語は繰り返しである。前者を単調であるといい、後者を焼き直しと呼ぶ。この二点において少しだけ掘り下げる。
今ならタイトルページに全ての話が並んでいるのでそれを眺めれば、この漫画や原作のことを知らない方でも各話のタイトルにはより小さな物語の主題とその話の順の数字が割り振られていることに気付くし、そのすぐ後には最初を除いた全てがキャラクターの名前であり、各話がそのキャラクターに焦点を合わせた内容であることを理解する。
これは単調な物語という問題が、表出しているのである。この作品はより小さな物語の3話毎の繰り返しであるのだ。
この9人のプレティーンが自己の存在意義をかけて衝突したり複雑な人間模様を描くということはない。主題になっているアイドル以外は添え物で誰でもいい場合が多い。もちろん例外もあるが、せいぜい一対一の関係だ。ここにプロデューサーという『アイドルマスター』シリーズで要となる役目を持つキャラクターを加えても何も変わらないことは一読すればわかるということも付け足しておこう。
このように個人に根差した問題の解決を3話毎に繰り返している。この個人に根差した問題という指摘は後にも関係しているので覚えておいてほしい。
さて、3話というイテレーションが、序破急が、問題提起・確認・解決という流れが、如何なる読者にも理解できるのはある切実な悪影響を産む。読者の誰もが次の話を更新を待たなくてもどうなるのか、結末は果たして何処へ行こうとしているのか容易に想像できるし、その想像を超えてくることは絶対にない。個人に完結する問題でバリエーションに変化を付けるのは難しい。特にこの作品は主要なキャラクターをプレティーンと限定しているのでそれが顕著に表れる。また、解決の手法に目を惹くものがなくむしろただの会話で済んだりするので盛り上がりや起伏、それによる興奮がない。
読者の期待を煽ることは決してなく、要するにただただ単調なのだ。
どのようなWeb漫画サイトも同様に、序文に書かれるあらすじを読めば誰でも物語全体の概要を理解できるだろう。ここで同作品の最後の文を引用する。
しかし、既存ファンにとってこれは新しいシンデレラストーリーでは無かった。
前項で個人に根差した問題という指摘を行った。これがなぜこの作品が既存のファンの心象に退屈さを塩傷口よろしく塗り込まれる現象となる理由は、それは原作のゲームがもう何年も更新され続けているゲームであり、かつアイドルとそのプロデューサーとして一対一の関係を描いているゲームだからである。
直截的に言えば、そのキャラクターの個人の悩みなど従来のファンには既知の事柄であるし、改めて描かれても新鮮味が無いのだ。
また新鮮味という話であれば、最初の橘ありすの「宣材写真の撮影」に纏わる話は、『シンデレラガールズ』のアニメでもやってるし派生元でも別の派生先でもやってる定番である。その中で言えば解決方法も極めて平凡なのもファンの期待に応えているようで一層下回る。
この作品の最大の特長といえばこれまでフォーカスされなかったプレティーンのキャラクターやそれに見合う矮人族のプロデューサーがいることだ。しかし、如何せんどいつもこいつも真面目に波乱起こす気が無く、二度目になるが盛り上がらない。波乱があればいいとは言わない。しかし波乱が起きないということは、キャラクターという個性を持ち得ないのも同じではないか。ただ低身長の皮を被った誰かの物語に置き換えられる。ただ真摯で優等生でソロプレイでしか活躍できないキャラクターであるのなら、彼らは彼らである必要がなく、他の誰だっていいのだ。皮だけ派手にしたところで、平凡な物語は平凡だ。なぜ狂言回しと呼ばれるキャラクターが生まれるのか、我々は反面教師を以て理解してしまう。
物語は単調な起伏を繰り返すだけ。計画し尽くされた行程は作り手にとっては満足するものだが、受け手にとっては必ずしもそうとは限らない。我儘な顧客であることを承知で言えば、我々は見たことがないものが見たいのだ。アニメもゲームも各々アイドルの成長を描く先駆者だったが故に満足した。そうではない点ももちろんあったが、概ね次の展開を予想できないものだった。しかし本作品はその後追いに過ぎなかった。
我々はこの物語を知っている。恐らく作者よりも。
あまり深く内容に触れずともこの作品が読者を退屈にさせてきたことは説明できただろう。
現時点で19話。イテレーションは5回目で4人目の物語の解決の途中である。連載10か月。プレティーンは全員で9人いるのでまだ残り半分残っている事実に戦慄しよう。
私は最新話の作者コメントが第一話と同じだったことに慄いたが、今見たら差し替わっていたので深掘りしない。その第一話のコメントを引用すると、
お待たせしました!いよいよ「U149」始まります!アイドル達の新たな一面をどんどん見せられればなと思ってますので、よろしくお願いいたします!
新たな一面など無かったということはさんざ書いた。
実のところ、我々が期待していたこのハードルを超える作品では無かったと思う。それでもコミカライズという点では良評価を当たられる。新規の読者にとってはこれも新たな一面になるのだから。
最新19話は良かった。賑やかしでも他のアイドルが出てくるのは良いことだ。ここで出てくるのは誰でもいいが上の主張とは誓って矛盾しない。賑やかしだけでもいいじゃん、という主張はよく見るがこうなると容易に首肯する。なけなしの起伏だって要らねえや。冗談だが一考する余地はある。
しかし最後の見開き、見れば見るほど最終回みたい画だ。つづくって文字が誰かの悪い冗談としか思えない。
パンって、焼きたてかそうでないかで、別の食べ物くらいに味・クオリティがかわるのに、
作り置きで食べるのがどちらかというと標準になっている世間の風潮が嫌いだ。
焼きたてパンっていっても、トーストとかそういうことじゃなくて、普通の菓子パンや惣菜パン。
ああいうのも、注文毎に焼いてもらって即食べたい。
たまにそういうタイミングで買えることがあるけれども、あれ、もう別物でしょう?食べ物として。
焼きたてのタイミングに会うとよいのだけど。
塩パンは、焼きたてじゃなくても普通に美味しいパンだけど、もちろん、焼きたてなら最高です。
カレーパンとかももちろん好きですが、あれは、焼きたて(揚げたて?)こそ絶対正義ですよね。
菓子パンの類も、冷めてるのが当たり前と思っていると、焼きたて食べるとうまくてびびりますよ。
そういうことです。
『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するアイドルに、「上田鈴帆」という子がいる。
ただこの記事は、あまり彼女に対して好意的な記事とはいえない。
むしろ、ややひねくれた、嫌な意見だと思う。だからこそ、ここで書こうと思った。
僕がこのゲームを始めたのは四年前だ。
登録して数年の間、僕の上田鈴帆に対しての認識はそれほどいいものでも悪いものでもなかった。
福岡県出身、博多弁でしゃべり、イベントでもガチャでも大抵の場合かなり奇抜な衣装を着て登場する。
再登場のたびにまとめブログやツイッターで草を生やされている彼女を僕は、まあ普通に色物だと思っていた。
アニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』、今調べたら二期の16話だった。
はっきり言って僕はそれに対してちょっとした憤りを感じた。
先に言っておくけれど、この記事は声優さんを批判したりする類のものではないので、
方言で陽気にしゃべる彼女の魅力を存分に引き出す、すばらしいキャスティングだと思う。
それでも僕は嫌だった。率直に言って、僕は彼女が羨ましかったのだ。
僕の担当アイドルは万年51位、声がついたらいいなと思うことはあるが、間違いなくつくだろうなと思えたこともない。
そして上田鈴帆もその万年51位だったはずなのに、いきなり声が付くだなんて。
それだけならアニメ化由来の番狂わせとして受け止めることができたと思う。
そもそもアニメでいきなり声が付いた51位のアイドルというだけなら他にも数名いるのだから。
けれど上田鈴帆だけに、僕は感じていることがある。
スマホゲーム『アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ』、通称『デレステ』。
これが始まったからだ。
始まったからだ、って先日二周年を祝ったところなのでそれほど新しいものというわけでもないが、
まあとにかく『デレステ』というゲームがある。そして、その『デレステ』にはSSRというレアリティがある。
SSRに選ばれたアイドルには、その子だけの固有衣装が用意されており、それを着せてスマートフォンの中で踊らせることができる。
魅力的なシステムだが、残念なことにこれも51位のアイドルには当分は縁がない。
そしてこれをもって、声付きアイドルでSSRが実装されていないのは上田鈴帆のみになった。
僕はここではっきり言わなければならないことがある。
それは、上田鈴帆のビジュアルが他のアイドルに比べて非常に「個性的」だということだ。
『アイドルマスターシンデレラガールズ』は183人ものアイドルを擁している。
だからこそ、彼女らの外見は全てきっちりと分けられ、区別がつくようになっている。
そして、それは結果的に、ちょっと人を選ぶような「個性的」な顔立ちのアイドルたちを数名生み出している。
ということは初のSSRもきっと、彼女らしさを優先すれば色物になるだろう。
この結果何が起こるか。
上田鈴帆のSSRが実装されたとき、それを目当てにガチャを回す人は確実に少なくなる。
これまでは衣装がかわいいという理由で、その子の担当でなくともガチャを回す人がいた。
「彼女らしいなあ」「やっぱりこうきたかwww」、それで終わり、ガチャは回さない。
大多数の人はそれを見て笑って「やばいww」とツイートして、それで終わり。
色物に金を払う人というのは、思ったよりもずっと少ないものだ。
そして、さらに続いて起こることはこうだ。
『デレステ』を誰かが始める。ガチャを引く。上田鈴帆のSSRが出る。初めてのSSRだ、ととりあえず踊らせてみる。
風変わりな衣装で踊る彼女を見て――どうだろう、嬉しいだろうか?
たとえば、あなたがモバマスの流れを何も知らずに、なんとなく『デレステ』を始めるとして、それは「上田鈴帆」のようなキャラクターを求めてのことだろうか?
アイコンをパッと見て始めるような人が求めているのはもっと正統派の、それこそ総選挙上位のアイドルではないだろうか。
要するにこうだ。
僕は、ビジュアルが「個性的」で、かつ衣装が色物、さらには人気もそれほど高くない彼女にSSRを実装されるのが嫌だ。
同じ51位に嫌というほど正統派なアイドルたちが並んでいるのに、そして、少しスポットが当たれば確実にもっと担当を増やせる子もたくさんいるのに、
だって、いくらこのゲームが人気で収益がすごいとはいえ、誰にでもSSRを実装するほどの状況にはまだないはずだ。
SSRは本来そうやって、少人数の人気のアイドルの中だけで回っているもののはずだった。
彼女にSSRを作るならば、他に実装待ちの子、それもより収益が見込めそうな子がたくさんいるじゃないか。
もしも先ほどの予想に反して、彼女のSSRが正統派の、きらきらした衣装で実装されたとしても、
ガチャは回らず売り上げにも新規ユーザーの獲得にもつながらないだろうし、
ボイスがかわいい!というのはあくまでも声優さんの力であって、
それどころか、あんなにも魅力的な声が付いたのに人気が出ない上田鈴帆を、
声が付いているというだけで優遇されるのは、はっきりいって不快だ。
最後に、コミュを見れば魅力がわかるとか、この台詞をぜひ読んでみてくださいというようなことを言いたいPさん方ももちろんいると思う。
けれど、このゲームに出てくるのはもともと、全員がアイドルだ。
最初は全員声が付いていなかったところから何人かが声を獲得していった。
それはその子たちの魅力的なビジュアルがちゃんと色々な人の目に留まったからだ。
そういう魅力がないアイドルのコミュや台詞をわざわざ検索する新規ユーザーなんていないことはまあ、お分かりだろう。
さらに言えば、説明が必要な魅力なんて、そんなに優れた魅力ではないのだ。
けれど先ほども言ったとおり、僕みたいな一ユーザーが何か言ったところで今の展開がどうなるわけでもない。
では。
「電動に殿堂無し」とはオナホ@wikiの格言であるが、これはダジャレを入れたために十分に理解されていないという問題がある。
1)まず、オナホは消耗品であるということを踏まえて欲しい。どんなオナホも劣化するのだ。これは使い捨てオナホに限らない。そして電動オナホもまた消耗品なのである。壊れて使えなくなった時に、もう一度同じオナホを買おうと思うか? これが殿堂入りの最低条件である。気に入ったオナホが壊れたら同じものを買う。オナニストとして当然の行為である。
電動オナホももちろん壊れる。それどころか、たちまち壊れる。だいたいオナホの使用条件は過酷である。バイブ型の振動オナホなら、振動だけさせておくというのは考えが甘い。利用者はバイブ振動オナホをピストン運動させるかも知れない。設計者の思惑を越えた使い方をするのが利用者なのだ。また、十分くらいでイクだろうと設計者は思っているかもしれないが、利用者は1時間、2時間という長時間プレイをするかも知れない。
予想外の使い方をされた電動オナホはすぐに壊れる。すぐに壊れるようなオナホをもう一度買いたいと思うだろうか。
2)それから、オナホの気持ちよさの半分以上はローションの気持ちよさである。オナホを使う時に、コンドームを使う派と使わない派が存在するわけだが、どちらにもしてもオナホにはローションを使う。このぬるぬるぐちょぐちょが気持ちいいわけだ。しかし、ローションを使ったらオナホを洗わなければならない。この時、電動オナホは余計な装置が付いているために洗いにくいという問題がある。電動でなくても洗うの面倒なのに。
3)電動は刺激を増やすだけで、減らすことが出来ない。そもそもオナニーとは何かという哲学にもつながるのだが、単に射精するだけなら手コキで十分であり、射精以上のものを求めているからこそオナホを使うのである。そうすると、挿入感とかヌルヌル感とか締めつけ感とか人それぞれの好みはあるが、射精前の快感を求めているということになる。射精は一瞬だがその前の快感は長引かせることが出来る。そのために低刺激ホールというものが開発されているのだ。低刺激長時間プレイこそがオナホプレイの醍醐味と言えるのではないか。刺激を増やすなどもってのほかである。
ツイッターを眺めてると、今年も24時間テレビ叩きのコメントを大量に見かけて生暖かい気持ちで見守っているところ。いやあ俺もそんな時代があった。24時間テレビは偽善だ!とか言ってね。ああ、あのころの俺は青かった。
今でも「24時間テレビは偽善か否か?」と聞かれれば「まあ偽善だろう」とは思うけど、だからといって24時間テレビをやめろとは言わないし、叩く気はない。
実際のところ、募金も目一杯集めているのも凄いし、何より「募金をしようぜ!」という空気を作り出しているのが凄い。普段、募金なんかまずやらんからね。24時間テレビを批判して潰したところで、批判してた人らは、代わりに募金をなんかやらんだろうし。当たり前だけど、俺ももちろんやらない。
24時間テレビを放送するためにカネをジャブジャブ使っていようが、それは日テレのカネであって税金でも何でもないし、ジャブジャブ使ってくれることで経済が回るんだから、それもそれでいいことはじゃないか。日テレのカネの使い道を批判したってしょうがない。どうせ他人の金なんだし、無駄遣いしようがそれが原因で傾こうが知ったこっちゃない。
物事を批判的に見るのはいいことだし、まず24時間テレビを批判的に見るのも良いことだと思うけど、そこで立ち止まらずに「悪いところもあるけど、良いところももちろんある」くらいのフェイズにはやんわり移行して欲しいと思うところ。
酷評されていますね!「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。
これだけの製作陣が集まって、何よりあの伝説の映画のアニメ化ということで、どこをどうするとこんなに酷いレビューになるのかと興味を持って観に行きました。
この記事のスタンスとしては、この映画は誰にでも勧められるわけではないけど、ここまで酷評されていると「観に行くべき人」が行かなくなるのは可哀想だなあ、、という曖昧な感じで書いています。
観る前「どうせ脚本の大根仁氏がわかりやすく書きすぎて、薄っぺらい映画になったに違いない」
↓ ↓ ↓
観た後「なんだこれは、、、微妙なところ付いてきたな。。。」
でした。
(ちなみに、それらを踏まえた上での「正しい見方」は後半にあります。)
映画レビューサイトなどは匿名ということもあり責任が無いため極端なレビューや部分的なレビューが多い感じがしました。
そこでYoutuberの皆様による参考レビューを見てみたところ、年代やレビュアーの特徴も出ていて面白かったので、まとめました。
映画の良し悪しに関わらず、どういう種類の人が、どういうことを言っているのか、というのは参考になりました!
https://www.youtube.com/watch?v=ImsZEy_5Q0U
・レビュアーについて
・絵について
・声優について
・その他
・総評
https://www.youtube.com/watch?v=h_TvQse51E4
・レビュアーについて
・絵について
・声優について
・ストーリーについて
https://www.youtube.com/watch?v=8L3zGz5O7-E
・レビュアーについて
・総評
・絵について
・音楽について
・ストーリーなど
・声優について
さて、、、、
そんなわけで「正しい見方」、、、
少し長いです、、、
を求めている人はいないわけです。
さて、原作とこのアニメ映画の関係ですが、意外にも大根仁氏は原作をベースにしながら独自の解釈で、魅力を増幅させようと脚本を書いたようです。
結果的に、
という作品となりました。
タイムリープの展開をより哲学的な形にまとめあげたりしています。
そんなわけで、岩井俊二の世界観が理解できない、好きではない人にとっては、
単なる「よく分からない話」で終わるのかもしれません。
プロモーションが「君の名は」を想像させたんでしょうねえ、、、
という前向きに捉える人ももちろんいるでしょう。
それにしても大衆向けという意味では「打ち上げ花火〜」はちょっと難しすぎたのかもしれません。
そんなわけでプロモーションの失敗ということは確実に言えそうです。
原作ではタイムリープは1回でした。あのとき違う行動をしていたら未来は変わっていた、という2つのストーリーを描いた映画です。
このアニメではタイムリープは何回も行われます(4回だったかな?)。タイムリープするための石という新たなアイテムも出てきます。
石のアイテムの効果で、現実感を薄くさせてしまって想像の世界という感じがもちろん強くなりました。
そのため、原作が好きな人にとってはちょっと不満はあるでしょう。
ただ、これによってアニメが好きな層にアプローチできると思って新たなストーリーを作ったのでしょう。
結果的にはそれでも良く分からなかったということで、アニメ好き層には響かなかったような感じがします。
原作では、完全に2つの世界があって、それらは別々でした。ただ、観客はその2つの世界を客観的に見ることによって、ノスタルジーや非現実感を感じて楽しむのが「打ち上げ花火〜」の醍醐味です。
のような、能動的なメッセージを伝えようとしているあたりが違うところですね。
(この辺りが、若年層には全く伝わっていないっぽい、、、、)
詳しくないのでわかりません。
ただ、声優は別に違和感は無いです(あまり期待していないというのもある)
詳しくないのでわかりません。
あと「君の名は」もそうですし、横田守細田守氏、ジブリ系のものと比べても書き込まれていない部分が目立つのはその通りと思います。
→岩井俊二氏が描きたかった人間を全然理解できていないというか、世代の違いなんでしょうか、、、
人って素直になれない時は変なこと言っちゃうっていう、そいいうことが理解されない時代になったんでしょうか、、、
→ある程度、知見を持った人が映画作ってるわけなんで、理解しようという視点も必要なんじゃないかなんて老婆心的に思います、、、
→この映画は恋愛は真ん中に置いてあるけど主題では無くて、子供の頃の気持ちとかノスタルジーが主題なんだと思うんですが、、、
「原作が好きな人が、原作をすっぽり忘れて観に行くと、爽やかな夏の午後のような気持ちになれる」
(どっちやねん!)
大衆的ヒットが得意な大根仁氏を擁立しながら、なぜこうなった、という話について少し言及を。
https://www.youtube.com/watch?v=4TeLnGkyCL0
この中で、原作・脚本・監督を一貫して行う理由を聞かれた岩井俊二氏は、こんなことを語っています。
https://www.amazon.co.jp/dp/4041056039
この本のあとがきで、岩井俊二氏自身がこんなことを書いています。
こういうことを踏まえると、大根仁氏は依頼が来た時に単純なリメイクや大衆受けする脚本ではなく、
そこに新しい世界を作りつつ原作を超える、新しい作品となるような脚本を作ること目指したのではないかと思われます。
(完全な推測)
小学生の典道と祐介は仲の良い友達だが、実は2人とも同級生のなずなの事が好きだった。しかしなずなの両親が離婚し、彼女が母親に引き取られて2学期から転校することになっているとは、2人には知るよしもなかった。親に反発したなずなは、プールで競争する典道と祐介を見て、勝った方と駆け落ちしようとひそかに賭けをする。勝ったのは祐介か? 典道か? 勝負のあとから、異なる2つの物語が展開する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/打ち上げ花火、下から見るか%3F_横から見るか%3F
https://www.amazon.co.jp/dp/4041056039
(未確認)
うーんちょっとこれは説明が難しいんだけど、フェミニズムが糾弾してることの中には男性が「権力持ってたり、好き放題女を選んでは捨てを繰り返してる」ことももちろん含まれるのかもしれないけど、主にそういうことではないってことかな。
例えば男性が「成功していなければ男ではない」とか「男のくせにだらしない」「男なんだから重い荷物を持て(男だからじゃなくて男女関係なく体力がある方が、でいいのに)」とか男らしいことを求められることって、実は理不尽なことだと思うんです。男性だって成功できない人もいれば体力のない人だって勇気がなかなか出ない人だっているはずなのに、男だからっていう理由だけでそれができて当然であるって言われるの、つらいと思います。そんでそこから外れちゃった男性がいわゆる弱者男性と言われてるわけ。
そして女性も同じように「優しく控えめであれ」とか「女性だから(男性に分業されることなく)家事をするのは当然」「女性なのだから会社の飲み会でもお酌してホステス役をしなさい」「女のくせに乱暴だ」「女はいずれ家庭に入るのだから学歴はいらない」「女は愚かだ」「女性は(女性の方が必ず能力が劣るという決めつけから)男性と同じように働くことはできない」といったような、えーとジェンダー・ステレオタイプっていうんでしたっけそういうの、そういうものに縛られて生きている。最近はだいぶ変わってきたけどね。
そんでそういうジェンダー・ステレオタイプな考え方って、強者弱者老若男女関係なく誰もが多少持っていて社会構造にも影響しているもので、フェミニストが戦うべきは本当はそういう思考や構造であって、男性自体ではないわけです。
まあちょっと勘違いしてて、男性ばっかり強硬に叩いてる人もまあまあいるんで嫌われちゃうことが多いんですけど、男性に非難が集まりやすいのは、男性の方が女性に対するジェンダー・ステレオタイプに無頓着であることが多いからというのもあるかも。でも逆にフェミニズムは女性の立場しか擁護しないので、男性に対するジェンダー・ステレオタイプには無頓着なわけで、どっちもどっちなんですけどね。
まあだから、フェミニズムっていうのももう古くて、それをもっと女性の問題だけでなく弱者男性に対する差別や、人種や属性なんかもひっくるめて、みんなが生きやすい世の中にしていきましょうっていうのがポリコレかなって。
間違ってるところもあるかもだけど、私の認識だとそんなところです。
俺が総理になったらすげーぞ。
日本の場合、早くリタイアしたほうがいいんだよね。だって年取ると固定観念に縛られて、思考が停止してるじゃん。もうそんな人間が権限持つとかまじで会社には害悪。
非合理性に何の美学もないのに、ステレオタイプってやつは思考を停止させる。
こんな頭のまわらない爺どもはさっさとリタイアさせたほうがいい。
財源どうするんだって?
医療費は当然見直すよ。
年寄りの1割負担とか、生活保護者はゼロとかマジキチ。もう病院が老人カフェになってるやんけ。その大量の薬、ポップコーンかなんかと勘違いしてんじゃねーの?
安すぎて無駄に足を運んでるこの状況は無視できないっしょ。税金吹っ飛びすぎや。
年寄りは3割負担、普通の人は5割ね。もう自分の健康は運動するなり生活習慣を見直すなり個人の努力で維持すべき。
あと安楽死は必要。介護だってするほうもされるほうも双方が望んでないのに、マンパワーだけでなく税金まで無駄すぎ。
50歳から年金出すんだぜ?それって、人生悔いがないように計画持って生きてもらうためだ。
だから生にしがみつかずに、介護が必要になったら安楽死に積極的に頼ってくれ。
現在の働いている人たちって将来に不安を感じながら生活している人って多いと思う。でも言い方を変えれば死期を自分で選択できるってことでもあるんだ。
50歳から年金は出すけど、100歳まで50年も出せない。だからその長生き分は個人の努力でカバーしてくれ。それが平等ってもんだ。
あと、少子化対策は絶対必要だよね。若者の絶対数が少なかったら出生率上がったってもう機能しない。
さっさと手を打たないと。
子供1人いる家庭は、母子家庭でも生活可能なような金額は出す。
人数に応じて、そこは補助を増やしていく。子供居るだけで、バイトで生活できちゃうくらい。
まず大学教授、なるのすげー苦労するんだぞ!わかってるのか?海外に長いこと留学して論文発表しまくってようやくなれたのに、雑用だらけでモチベーションの維持ができないとかまじありえん。
雑用はちゃんと、どうでもいい人間にやらせる。その代わり日本の研究者すげーって言われるように研究に打ち込んでもらいたい。
でもF欄はまじでいらん。MARCHにすら届かないようなレベルの大学に補助金なんてだせるわけねーだろ。そんな学歴ビジネスするくらいならもっと有益に時間も金も使おう。
政治家主義国家なんてやめやめ。民主主義を取り戻そう。香港とか他人事みたいに思ってるかもしれないけど、日本も共産党ばりに政界はやばいぞ。
議員年金や退職金なんて撤廃。国民の立場がわからんやつがどうやって国をよくするんだよ。
あと、アホなタレント議員なんて絶対なれないようにする。立候補する条件としてある程度の筆記試験くらいクリアするだけの最低限の知識は証明してもらわないと。まあ不倫大好き今井さんのようなやつは絶対受からないレベル。レベル高い試験とは言ってないよ。
熱意なんて、議員になってしまえばそりゃ税金使い放題、熱意くらいいくらでも出せるわ。まあその熱意のベクトルは違う方向向いてるけどな。それにまじで国民騙されちゃう。
あと、税金の使徒も限りなくクリーンにする。これはまじでない日本とか、意味がわからん。搾取されまくりやん。
舛添とかテレビで貧乏装ってたけど、億単位の金を溜め込んでるらしいな。政界に携わるやつなんて、こんなもんだ。
だから政治家が儲かる仕組みは絶対に与えちゃいけない。日本を良くするんだったら、給料安くたってこんなやりがいあることはないでしょ。
自分が総理だったら、やめたあと、もちろん議員年金も退職金もいらない。
どう?投票してくれる?
Twitterで砂浜に砂をかけて放置されたバーベキューの炭を踏んで足に大やけどをおった子供を見た人の話が流れてきた
以下リプの一部抜粋
炭は可哀相だけど親がサンダルくらい履かせてやれ高い授業料だったな
もちろん危険物を放置するのも悪いけどそういう人が居ると知って素足で歩かせるのも良いとは言えない
何か履いてたら防げましたね、他人の良識に頼った行為はやめましょう
炭は踏んだらサンダルを一瞬で貫通して足を焼き、足にはりついたサンダルで重症化するといった情報はリプにあったが、親や素足を責めるリプも数多くついていた。
子供が変質者に殺される事件が起こると、犯人よりも親を叩くコメントを多く見かける事も多い。
被害者に対するアドバイスのつもりな無意味な批判は性犯罪で女の被害者に対してもよくある事だ。
しんどい。
サンダル云々言う人は今まで一度も砂浜を裸足で歩いた事はないの?
砂浜は熱いから最初から履かせてないとは考えにくいよね、海で脱いで砂浜で裸足になる事もある、今回は履いていても無意味だったけど。
事故がおきてから、被害者がこうしなかったからとアドバイスのつもりで責めるのは簡単だけど、一瞬も油断せずに全ての事故や犯罪から子供を守るのは無理だよ。
https://anond.hatelabo.jp/20170817185242
https://anond.hatelabo.jp/20170816202927
おっしゃりたいことはわかります。しかしその前にそもそも、あの動画は炎上が先にあって、そのバイアスからそういう解釈をする人が出てきたのだと思っています。「不穏な割に~」ももちろん理解できますが、炎上のバイアスがなければもっと違った反応だったのではないかとも思います。
あまりに馬鹿馬鹿しいと思ったので書きませんでしたが、あの動画には、「あらすじ、簡単な説明が文章で書かれている」のです。
説明文と映像本編を理解する手間をすっ飛ばして、出来もしない下手な考察や、裏の読み取りや妄想を披露していた人の言葉などに価値があるとは一切思いません。説明書を無視して騒ぐクレーマーとまったく同じですよね。勘違いさせる方が悪いのだ、というのがそういう人の論理でしょうが、果たしてそれだけでしょうか。
普通は説明文と実際自分が手にしたもの、見た物が違うと思えば、まず照らし合わせて考えてみるのではないでしょうか。そういう目で見れば、あの映像は簡単にわかるようによく作られているよ、というのがあの増田でした。そもそもわかりやすい=よくできている映像、でもありませんよね。(CMなのでそこは難しいところですが)
疑問の声を上げる人の気持ちもわかりますが、一足飛びに妄想を押し付け強い言葉で罵り拡散することを正しいとは思いません。(もちろん、あの動画に一切問題が含まれていないとは思いませんが)
今回は、多くの人にとって炎上が先にあって、そこでの非難の内容がバイアスになって、動画におかしなミスリードが「加えられた」のだと思っています。「動画の主人公がいかに『家族思いのパパ』だと勘違いしてる酷いCMか、見て!しかもみんなが好きにヘイトをぶつけても許される電通だよ!叩く要素はばっちりだよ!」という意味の拡散がされているのです。
公式の説明より先に、こういう感情的で刺激の強い表現を見てしまえば、そちらに何らかの形で引きずられるのも当然だと思います。だからそういうバイアスの影響下で見てしまった人に、少しでも伝わればと詳しく説明してみました。あの文章が嫌味ったらしいのは、あんなくだらないバイアスに簡単に引っかかるなよというイラ立ちからです。
また、あの増田は長い割にわかりにくくてすみませんが、「誕生日=生まれ変わり」はわかって当然、などということではなかったです。他にもオープニングとエンディングで同じ状況を見せていたり、映像を見れば主人公の変化を描いている、その詳細もわかる箇所はたくさんあるよ、誕生日はその一つだよという説明でした。
一見して内容がわからなくても、あの構成なら普通はラストで変わった箇所がどこなのかをちょっと考えますよね。序章と終章が対になっている小説と同じです。もちろん考えなくても全然いいです。しかし、映像が描いていることを無視して、僅かな箇所から自分に都合のいい要素を拡大し、違うメッセージ、本来自分の中にある思想のためのスケープゴートにして叩く、またそれを拡散するというのは、非常に嫌な嫌な行為だと思います。
ジェンダーロールなどは社会的な問題だと思いますが、なぜわざわざ物凄く個人的な内面のわずかな変化を追った、一企業の作品を槍玉にあげるのかがわかりません。代理店がらみの問題など、最近はCMを叩くと炎上させやすく簡単に正義を気取れるからだと思いますが。あの話は一貫して主人公視点です。「主人公の目からそう見えている」という作品なので、歪みがあるのは当然です。そしてそれを克服するストーリーです。一人称で個人的な内面の変化を描く小説と同じです。攻撃対象としてそもそも正しいのでしょうか。
でもここ15年で書いた小説未満の駄文は全部合わせて100行未満!
それなのにいつか小説家になれると思ったままなんだからオラワクワクすっぞ!
マジで唐突に覚醒していきなり文庫本1冊分ぐらいならアッサリしあげてそのまま芥川賞GETとか思ってるのかねオレは。
流石にいい加減現実見ろよと思うんだけど、こんなくだらん妄想でも将来に対して何か明るいビジョンを持っておかないと人生が嫌になって電車ダイブかましそうだ。
俺を発狂させないためのストッパーになるからって事で、実現する気のない夢を見続けているのかも知れないな。
夢を実現させるのが目的ではなくて、夢を見ること自体が目的となっているという歪な姿が俺の諦める理由はいくらでもあるのに諦めるとは到底思えないこの夢の正体なのか。
なんだそれ……
聞かせる奴によっては
「アドラー心理学は本当だったんだ!」
とでもほざかれそうなレベルで滑稽な手段と目的と過程と結果の逆転現象が起きてやがんな。
とはいえ
今更現実を見て現実的な夢(人生の目的・目標)を探そうとした所で、何か見つかるとも思えないな。
日本百名山制覇?
山登り自体が面白いとは思えないのでヤマノススメオタクにでもおまかせします。
軽く漫画を練習してツイッターで白ハゲ漫画描いてチヤホヤされる?
承認欲求には飢えてますが飢えてるなりにグルメですのでそういう担がれ方はちょっとね。
今更頑張ってもそんなお金が稼げるとは思えませんね。
お金稼げるように頑張る?
頑張りたくない。
安くて美味いお菓子を沢山食べる?
健康的な体づくり?
頑張りたくない。
小説家になるためにまずは本を沢山読む?
往年の名作ゲームの制覇?
ゲームも飽きてきた。
大体どれも飽きてきた。
恋?
人付き合いにももちろん飽きてる。
この人生は本当に何がしたいのか。
多分もう何もしたくないんだ。
小説家になってチヤホヤされたいってのも、人生をやりきって1人の人間分として十分な結果を出したと自分に言い聞かせたいんだと思う。
それと一度ゆっくりしてそのまま再起不能になっても問題ない程度の金を手っ取り早く手に入れたいのだろう。
人生に疲れてるんだ。
とにかく一度休みたいんだ。
いつだって結果を求められる。
休んでいる間すら、何か仕事の役に立つヒントは掴めたのかと問いただされたりする。
休み方にすら有意義であること、リフレッシュしきる事、休み明けからはバリバリと働けることが求められる。
とにかく疲れる。
休まらない。
どこまでも休まらない。
一度冬眠したい。
もしもこれが一人プレイのゲームならとっくの昔に一度セーブして別の事をやっているだろう。
レベリングに疲れたRPGや、クリア後のトロフィー集めにウンザリしたゲームからそっと距離を置くように、そこから離れて別の事をやりたい衝動でウズウズする。
もしこれが本ならば一度閉じて別の事をしているだろう。
小説家を目指してると言っておいて実際は全く書いて無い奴らしいありきたりな表現だと自分でも思うけど、表現のしかたはともかく気持ち的には本当にコレなんだ。
寝ている間は人生のことを忘れられるはずなのに、夢の中でもふとそれが夢であることに気づいた途端に自分の本体が現実に有り、そのハードウェア上で動くソフトウエアとして夢が存在しているという事実に気づいてしまう。
眠っている時間は休んでいる時間であり、それはつまり、休んでいる時間にしっかり休んで仕事等で結果を出すための準備の時間として扱われてしまうのだ。
現実でバリバリ頑張るために必要なクールダウンに過ぎない眠りの時間は、結局は現実の一部のままなのだ。
夢から醒めて現実から帰ってきたとき、再び二度寝する事も出来ないわけじゃない。
仕事場に一度電話を入れたり、そもそも休日だったりすればいいだけだ。
でもそうじゃないんだ。
二度寝して三度寝して四度寝してトイレに行って少しお腹を満たして歯を磨いて五度寝して……それを百億回繰り返してもまだ百億一度寝が出来る状態を俺は求めてるんだ。
実際に百億回二度寝がしたい訳じゃない。
無限に休んでも何ら咎められる事がない、完全に人生の時間が止まった休憩時間が欲しいんだ。
でもそんなのは手に入らない。
だけど金を沢山持ってセミリタイアをしてみせたのならそれに近いことは出来る。
でもただ金を持ってるだけじゃケツ吹く紙にしかならなくなった時に困る。
それと単に沢山金を手に入れるんじゃなくてしっかり人間社会に貢献したという形で金が欲しい。
そうじゃないと何だか納得できない。
納得できない状態で何もしなくて良くなると、自分のような弱い人間はきっと自分を苛め抜いて自滅するだろう。
たとえ金の価値が何度暴落してもそのたびに何度でも金を手にするような力が欲しい。
そんな方法として、何か自分にも出来るような物として、自分は小説家で億万長者という幼稚園児レベルの夢を見たのだろう。
小説は文章を書くだけだからもしも俺が超天才だったなら才能が覚醒さえすれば(どんな前提だ)、億万部だって楽勝に達成できる。
意味不明だ。
冷静に考えると意味不明過ぎる。
だけど意味不明な物に根拠のない自信を持つと逆に理屈が通ってる気がしてくる。
スポーツや絵と違って才能の無さを証明するのも難しいという事が一役買っている面もある。
とにかく俺には夢が必要だったんだ。
滅茶苦茶でもいい。
その夢に向けて歩もうとする気力すら無いけど、その消えかけの気力を夢が支えているんだ。
何がどうなってそんな事になっているのかもう分からんけど、俺の心はいつの間にかそういう構造になっていたようだ。
最初に言ったけど本当にこんな奴どこにでもいると思う。
とにかく休みたいという願いを持ってる奴も沢山いるだろう。
天国の話に人が惹かれるのは、そこで幸せになれることよりも、そこに行けばもう頑張らなくてよくなるからなのかも知れないな。
ただ単に頑張らなくてよくなりたいだけなら死ねばいいけど、死ねば頑張らなくてよくなった自分を観測出来なくなる。
それだけじゃない。
それを無理に捻じ曲げれば自分の中から出てくる言葉が自分をいつまでも切りつけてくるようになる。
そういったシステムから脱するには、肉体を捨てた上で観測者としての意識を残して、努力を不要とする世界に行く必要がある。
もしかしたら俺は小説家なんて目指してないで(全く書いてないくせによく言う)、神にでも祈るべきなんだろうか。
でも流石に話がうますぎるな。
小説家を目指してるせいで見え見えの作り話に見えちまうぜ。