はてなキーワード: 自発的とは
≒世界の不毛化された記憶が凝結する地下墓地=ミイラや<死者>の住処
≒社会的あるいは象徴的に交換されなかった大文字の他者の語らい
≒自己複製子の乗り物(?)
≒相互性の平面の下方に放逐された過剰な欲動の場≒バタイユのいう「呪われた部分」
≒自己幻想の世界=無条件の連帯の肯定も平等も存在しない共同体で自己愛を過剰に傷つけられ自己認識が悪くなった存在=承認の供給不足にある存在
≒権力者側の情報ネットワークからヨソモノとして外されている存在
≒仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在
≒植民地化された地域の周縁化された存在=ほかで許されないことが許される別世界=誇大自己を持った者の自尊心の基盤
≒暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過される対象
≒パノプティコン的な匿名の不可視の視線の下で見世物化された監視付き生活を強制されている存在≒近代社会の合理的理性を自称する存在による抑圧的意志の対象
≒生政治的範例
≒排除された後も外での動きも捉えられる存在 ≒日常においては禁止され構造から排除されている部分=構造内で下層に抑圧された者
≒非差異、無差別、連続=差異の抹消=相互暴力状態=怒号と喧嘩の音
≒警察権力が市民生活の内に力を発揮する場=秩序創成暴力の対象
≒一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者の範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない
•理想自我=想像界=小文字の他者a=内在的な他者=生物的な世界
≒マスコミやカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ
≒貧しい文化や洗練されていない不自然な表現=モテない存在=影の薄い人
≒掟の門の前で衰退していく棄民=勝手に「悪」とされ共同体メンバーに愛されず衰退していく者
≒状況を自覚していない灰人と知らされている共同体メンバーとの境界線上にいる人
≒「象徴的他者」の位置より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの、性的慰安の対象)に留めおこうとされた「想像的他者」。ラカンは「対象a」とよぶ。転移を拒否された患者が、分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。この関係は、相手に社会的な幻想を抱いていた転移の局面と比べてはるかに不安定で、患者の攻撃性が分析家に向け、容易に発動しやすい状態
≒外部の情報が入ってこない<下>に見られた人のいる壁に囲まれた世界の外の世界を知ろうと巨人のいる世界を調査しようとする人
≒他者から尊重されたり対等な存在としてメッセージを交換する「人間」の壇上に上げないように弾圧される<生ける死者>といった世界
≒暴力誘発性、脆弱性を帯びた存在
≒「傷つけられる」という条件により発動した摸倣欲望
≒自己をそれとして措定してくれる言葉をもつ代弁者の探索にとらわれている状態
≒自己の統一を預けることのできるような相手を探してさまよう、鏡像としての他者の中への囚われの関係
≒動物のルアーへの反応をモデルにして語りうるような直接的な関係
≒理想化された鏡像として他者の表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き
•自我理想=象徴界=大文字の他者A=超越的な他者=社会的な世界
≒文化の秩序、象徴秩序、言語的秩序としての構造=サンボリック
≒エディプス期につくられる=父、母、子どもの三者関係の中ではじめて成立する一つの小社会
≒掟によって自己中心的な万能感の感覚を否定し、その掟を守ることで成立する秩序と理念をもった世界
≒個々人の欲望や自己中心的な感情を一度克服してはじめて、確立されるような世界
≒自己中心的な個人的な自己愛を一度否定したところから成り立っている
≒万能感を捨てて入っていく世界=個人の実質、個人の存在全体の基盤
≒社会的絆であり、信頼を保証し、義務の支えとなる基本的な象徴的契約
≒共同幻想の世界=個体保存の欲望と各人のナルシシズムを言語の内に吸収し共同化された世界≒豊かな影を持った存在
≒仲間意識で連帯した世界=倫理的関心を内輪に限定する世界=感情で動く世界=ビオスの世界
≒魅力を持った生に変わらなければならない場であり、魅力による上下関係や差別や排除がある世界
≒魅力の低い者が客観的な理屈として正しいと思って主張した事も認められない世界
≒魅力の高い者が客観的な理屈として間違っている事を主張しても容認される世界
≒目に見えない効力をもつ法としての場の空気や人間関係の網の目に支配された世界
≒掟の門の門番
≒セミオティックの位置にある存在が自我理想を持った対等な「人間」であると主張すると生意気に感じて苛立ち権力や言葉の暴力を振り回し「下」に置こうとする存在
≒「下」に見られた人の過失は吹き散らすが自分達の過失は隠してしまう存在
≒長い例外的状態にある<エス>や<対象a>など存在しないという主権者
≒「小文字の他者a」を対等な人間として文字に残る形式で相手にする必要がないと判断している存在
≒近代国家の一市民の世界=国家の保護の下にある者=権力者側のウチワの情報ネットワークの中にいる存在
≒ネットの掲示板やコミュニティを教育的な豊かな知識を与える場所として使う事が禁止されている世界
≒労働や勉強で生産的な成果を挙げ社会的に評価される事が美徳であるとされる世界
≒人が自分を社会化するために選ぶ標識=名誉の対象=美徳のもとになる秩序
≒人が憧れる、かくありたい存在=モテる存在=小文字の他者aに模倣される存在
≒第三者の審級=規範的な判断の究極的な帰属先=権威を感じ自発的に従おうと思う存在
≒言語的、父権的な中心ないしコード=象徴的父の表象であり、制度であり、掟
•超自我
≒誇大自己に執着した存在=他者を非人間的に判断したりする存在=モラルのない世界
≒法の影=狂った法であり法を無視する=「享楽せよ」という命令
≒集団の「エス」や「セミオティック」の位置にある存在を徹底マークして情報を「自我理想」の位置にある存在に流している存在
≒植民地主義の国家、民族差別を容認する国家、人権侵害を推奨する国家、死刑を支持する国家、同じ国民の中に棄民を作り出す国家
≒近代社会の合理的理性を自称する存在=非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁の対象としていいとしてもいいとする存在
•対象a
≒羊抜け
≒現実の領域は対象aの除去の上になりたっているが、それにもかかわらず対象aが現実の領域を枠どっている
≒犠牲のメカニズムにより歪められた表現を犠牲者よりに修正した回顧的な文章を書く暴力行為を告発する探偵
≒秘密の宝=他者にとっての私に還元されない<私> ≒象徴秩序の外
≒寄る辺ない存在
「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。
こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在が南部陽一郎先生だった。
弦理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子も
偉大な仕事がたくさんありすぎて何に対してノーベル賞を与えれば良いかわからない。
「南部は10年先を行く」
そして10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。
例えば「南部-ヨナラシニオ模型(1961年)」。
量子色力学どころかクォークすらなかった時代に書かれた論文である。
まったく僕には理解ができない。
南部さんの仕事はまるで「全てを知っている未来人が当時の人にわかる言葉で説明したような」研究なのだ。
南部さんはそれだけ超越した天才だった、ということなのだろう。
2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。
ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。
あの様子は例えるなら
「藤子不二雄と手塚治虫が講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」
といったところだった。
受賞時にアナウンサーの1人が
「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。
それを見ていた人たちは怒った。
小林さん・益川さんが凄いのだ。
当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど
あまりうまく伝わっていなかったように思う。
ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。
アインシュタインの名も、相対論も、僕らが忘れる事はないように。
南部先生の訃報のあとはてなであまり話題になっていないようで寂しいので書きました。
(本来僕なんかよりもっと詳しい人が書いた方が良いと思うのですが皆 twitter に移行してしまったのか・・・)
この記事を読んで解りにくい、読みにくい、誤解を招く表現などありましたら
それは全て僕の低い文章力や知識の少なさが原因です。申し訳ありません。
http://jodo.sci.u-toyama.ac.jp/theory/Nobelsympo2009jpssp/NobelSymposium-files/PDFS1/Eguchi.pdf
会うのは週3くらいで、会う日はほぼ必ずセックスしていた。
ただ、不満があった。
行為中、まったく動かない。
「ちょっと逆向いて」といった時に、仰向けからうつ伏せに体勢を変える事しかしない。
オーラルセックスも当然自発的にするような事はなく、全くやる気が感じられない。
なんだか一人で頑張ってる気がして、彼女とセックスするのが嫌になった。
認めたくはないが、多分、俺の心は傷ついたのだ。たまには愛されたいと思ってしまったのだ。
しばらく一人になりたいと告げ、マグロと距離を置いた。
何が起こったのか気付いてないマグロからはバンバン連絡が来る。
で、当然、食事とかは普通にするんだけど、セックスはしない。完全に線が引かれている事を認識させる。
男が一度、心に傷を負い、セックスするのが嫌だと思ったら、回復するまでにどのくらい時間が掛かるんだろうか。
一週間もすればまたやりたくなってしまうのか。
愛のないセックスなんてしたくない。
傷つくと分かっていながら、それでもまた、したくなってしまうのか。
耐えろ、俺、そして俺の息子。耐えてくれ。
彼女の方が、燃え上がる情熱で俺の体を欲するようになるまで、耐えてくれ。
ようやく一週間が経過しようとしている。
まだ先は長そうだ。
普通「日本語もできてないのに英語ができると思うな」ってのは日本語能力が5~25/100の人に対してだろ。
増田は国語能力ってものをバカにしすぎ、甘く見すぎだよ。もしくは市民の能力を高くみすぎ。
日本国民の大半は国語能力でいえば2~15/100くらいだぞ?
ごく普通の人に適当に作文してもらえば、論理構造どころか、主語述語がないわ、てにおはも怪しいわの文章が出来上がるから。
スコアでいうところの20を超えるような国語能力ってのは読み書きの話であるとともに論理的な思考をする能力になるんだよ。それがないのに外国語覚えても仕方ない。というか、そのランクの思考能力しかもたないひとは「外語を覚えたほうがキャリアに役立つ」とかいう思考を持つことができないし、仮にそういうことを誰かから聞いても自発的に学習手段を検索できない。
ねとらぼって後追い多すぎね?
ねとらぼは基本的に、ネタそのものをニュースにするのではなくて、「最近ネットではこういうネタが話題になってますよ」というメタな情報をニュースにしてるから。
だから記事のフォーマットは「震源地のツイートは○○氏で、有名人の××にリツイートされたことがきっかけで爆発的に伝播」みたいに、話題の広がり方を丁寧に取り扱うような形が多い。
ネタそのものを紹介することが目的であれば「後追い」とでもなんとでも言えるけれど、ネタそのものの紹介はあくまでも付加情報なんだよね。
そもそも記事の対象読者は、そのネタに詳しくない人だったり、自発的にネットの最新流行を追ったりしない人。ホッテントリを駆使して最新ネタを追える元増田のような情強様はターゲットにしていない。
ちなみに、真偽不明な武勇伝みたいなネタの場合、ちゃんとメディアの足を活かしてちゃんと一次情報源に取材して裏を取りに行っているところが、なんというかメディアとしての責任を果たしている感があって偉いよね。最近の事例だと カップ麺「熱湯3分」はお湯を「注ぎ始めてから」か「注ぎ終わってから」か 大手4社の回答は - ねとらぼ で元ツイートの事実関係を東洋水産に確認しに行っている。
というわけで、そんじょそこらのバイラルメディアよりはよほどしっかりしてると思う。(たまに経験の浅い記者が裏取りを怠ってデマの伝播に加担してゴメンナサイする事例も稀にあるけどw)
どちらも「公と私のいずれを優先するか」という話だった。
μ'sメンバーの私的感情としては「続けたくない」で全く揺らいでない。少なくとも9人で続けられるぜヒャッホウ、という反応は皆無である。
続けたくないという意志を犠牲にしてでも、ファンの要望とドーム大会という公的な大義のため続けるべきか、という話である。
要はスクールアイドル界のために円環の理になれということである。
真姫が「何で自分たちがそこまでしなきゃならないのか」と切れたのもむべなるかなである。
いずれを優先すべきかは最近の政治状況でもよく議論になるところだが、娯楽映画で「普通の高校生が己を犠牲にして滅私奉公する」なんて話を見たくはないので、映画としてはあの展開で正解だった。
とはいえ単に拒否るだけでなく、代案を出してくるのはさすがホノカチャンである。
かくして私を守りつつ、公についてもある程度の成果を出す結果となった。
一方でホムラチャンが何故あんなことになったかといえば、結局は新房世界が優しくなくて、代案が存在しないことに尽きる。
今後まどマギに新展開があっても、「まどかが普通の中学生として生活し、かつ魔女化の問題も起きない」なんて選択肢は存在しないのだろう。
そんなものがあれば、じゃあTV最終回でまどかがそれを願ってれば済んだじゃんという話になってしまう。
滅私奉公は見たくないとは言ったが、といってTV最終回に不満があるわけではない。
しょせん娯楽のアイドルとは違い、魔女化やワルプルは人命に関わることなので仕方ない面もあるし…。
何より他者のアイデアではなく、まどか自身が自発的に選んだことというのが大きい。
やはり公と私のどちらを優先するにしても、当人が自発的に選ぶことが物語的には大事である。
そうなると自分の意志で円環の理を選んだμ'sというのも見てみたい気はする。
引き続き9人で歌って踊れるとはいえ、基本はA-RISEが紹介したジャーマネチームとやらが方針を決めるのだろう。
当然費用もかかるし金を稼がねばならない。あの熱狂的人気を持続するのが目的だから、変装しなければ町も歩けない状態は続く。
海未は弓道部を、ことりはデザイナーの道を諦めることになるだろう。
管理が苦手そうな凛ちゃんの目がだんだん死んでいくのを想像すると少し興奮する。
まどかに一番近そうで円環化を推進しそうな花陽が、それに深い罪悪感を抱えたりするとなおよい。
そうなると悪魔化は誰が行うのか。
YAZAWAは映画内では続行に反対していたが、プロ意識が強いだけに一度プロと決めたらファンを優先し、体制の擁護者になりそうである。さやかポジである。
とすれば真姫が適任である。元々親と周囲の期待で医者になるという大義に鬱屈したものを抱えていた。
スクールアイドル界なんて知らねー!楽しかった頃のμ'sを返せ!という気分になっても仕方ない。
ええやん。
エンジニアの偉い人が、ブログとかで自発的に「このマンガすごい」とか「このアニメのここがどうおもしろかった」とか
変に脚色されずにマンガやアニメ好きだと、「ああほんとにこの世界に住んでる人なんだな」って感じて安心する
その前後のエントリでは、すごいコアな技術論語ったり、専門的なこと語ったりしてる中で急に出てくるマンガ論とかすごくいい
何かの専門家は、聖人でもなくてそれしかやっていないスペシャリストでもなく、普通の生活を持っているんだって実感できる
僕も頑張ろう
最初に提示された情報がそれ以降に提示される情報に対する印象に影響を及ぼす現象。
たとえば「東京の平均気温は50度より高いか?」と訊かれたあと「では平均気温は何度だと思うか?」と訊かれると高めの気温を答えてしまう。
たとえば選挙の事前予想で「A党が劣勢」と報道されるとA党への票が増える。
自発的にやっていることに他人から報酬を与えられるとやる気が低下する現象。
「好きなことを仕事にしてはいけない」などと言われる理由かも。
本人から直接言われるよりも第三者から噂として聞く方が信じてしまいやすい現象。
たとえばAさんから「綺麗だよ」と言われるよりも「Aさんがあなたを綺麗だと言っている」と聞かされるほうが嬉しい。
世界中から強豪を集めて大会を盛り上げようとするほど地元の選手が活躍できなくなる現象。
2013年にウィンブルドンでアンディ・マレーが優勝したのはイギリス人選手としては実に77年ぶりの快挙だった。
自分と同じ意見を持った集団の中に身を置くことにより偏った考えが助長されてしまう現象。
たとえば「青木まりこ現象」など。
カクテルパーティーのように大勢の人が会話している中でも、自分に関する言葉や興味のある言葉は聞き取れる現象。
相手の表情や仕草を真似て接していると相手から好意をもたれやすいという現象。
ある物事を意識した途端にそれに関する情報が目に付くようになる現象。
たとえば知ったばかりの言葉が急に世間でよく使われるようになったように感じたりする。
「見てはいけない」と言われると見たくなる現象。映画『カリギュラ』に由来。
以前に名前を聞いたことがあるというだけで有名人だと錯覚してしまう現象。
気分が良い時には良いことを、気分が悪い時には悪いことを覚えやすい、という現象。
過去に本で読んだり人から聞いたりした話を、まるで自分自身が体験したかの様に思い込んでしまう現象。
動物が周囲の人間の顔色を窺ってその期待に応えるように振る舞う現象。
「計算ができる馬」として有名になったハンスという馬が、実は飼い主や観客の動きを見ていただけだったという出来事に由来。
さっと視線を動かしたとき、その直後に見たものがわずかに止まって見える現象。
たとえば時計を見たときに秒針がなかなか動かないように感じる。
たとえば「捨て猫を助けるヤンキー」など。
何かの形をじっと見ていると、そのうちに「こんな形だっけ?」と元の形が分からなくなってしまう現象。
途中で失敗に気付いても、それまでの投資が無駄になるのが嫌で、やめるにやめられなくなる現象。
たとえば「鉄1kgと綿1kgはどっちが重い?」と言われると「鉄」と答えてしまう。
デパートの上層階の施設を充実させることで、そこに行って帰るまでの「ついで買い」を狙う戦略のこと。
ある情報を隠そうとするほど、その行動によって逆に目立ってしまう現象。
女優のバーバラ・ストライサンドが自宅の映った写真を取り下げさせようと訴訟を起こしたことに由来する。
たとえば赤色で『青』という字が書かれていると意味を把握するのに時間がかかるなど。
蛇に咬まれることはめったにないが一度でも咬まれてしまうと蛇を恐れるようになるということに由来。
信頼できない人から聞いた情報を時間経過と共に信じるようになる現象。
「情報」だけを覚えたまま「信頼できない人から聞いた」ということを忘れてしまうため。
達成できたことよりも達成できなかったことのほうを忘れない現象。
自分の名前や誕生日などにまつわる言葉や数字を無意識に好んでしまう現象。
幸運により金を得ると「無くなってもプラマイゼロ」という心理が働いて金遣いが荒くなってしまう現象。
たとえば予想以上のヒットで儲けた金をハイリスクな投資に突っ込んでしまうなど。
切りの良い数よりも中途半端な数の方が信頼性が高く感じられる現象。
たとえば「100%の人が高く評価した」よりも「99.8%の人が高く評価した」のほうが宣伝効果が上がるなど。
誰にでも当てはまるような曖昧な評価を自分によく当てはまっていると感じてしまう現象。
何かを評価するときにその特徴的な部分に印象が引きずられてしまう現象。
たとえば「身体能力の優れた人は性格も優れているだろう」と思い込んでしまうなど。
たとえば選挙の事前予想で「B党が優勢」と報道されるとB党への票が増える。
たとえば「5000円」と「4980円」とでは後者のほうが実際以上に安く感じられる。
酒に酔うと異性が魅力的に見える現象。
ロボットやCGモデルなどの容貌が人に近づくほど気味が悪く感じられる現象。
あらかじめ聞かされた情報がそのあとに聞かされる情報に影響を与える現象。
たとえば車について雑談した後にしりとりをすると車に関する言葉を思い出しやすくなる。
サッカーのオフサイドの判定などに影響を与えていると言われる。
デパートの地下の施設を充実させることで、そこに行って帰るまでの「ついで買い」を狙う戦略のこと。
その人の性格や特徴、職業まで思い出せるのに名前が思い出せない現象。
「誰かが通報するだろう」「周りの人も何もしていないから」「他人の目が気になる」などの心理の複合。
たとえば医師の期待を感じた患者が、実際にはそうではないのに「病気が良くなった」と報告してしまうなど。
悪い変化が起きていても、それがゆっくりとしたものだと、何もせず受け入れてしまう現象。
個々人は穏健であっても集団で協議を行うと極端な結論になってしまう現象。
積極的になりすぎるのがリスキーシフト、消極的になりすぎるのがコーシャスシフト。
何かのリストの内容を思い出すように言われたとき、手がかりを与えられたほうが逆に思い出しづらくなる現象。
共同作業を行うときに全体の人数が増えるほど一人一人が手抜きをしてしまう現象。
たとえば3人vs3人で綱引きをすると全力を出すのに、10人vs10人のときは無意識に力を抜いてしまう。
認識、するのは特定個人、今回はロールプレイとして読者本人を想定してたんだ。
読んでくれてるからまず仮定状況ありきとしない限り読者本人の個人的視点からのとこちらが勝手に予測していたので。
という情報について
という情報を
これは婚姻届を受理して一般に第三者が「婚姻関係にある」と両者間の事情や経歴を踏まえずとも結婚の事実を認識することができる状況となったことになる。
婚姻しているから得られるメリットや、制約も、第三者から「婚姻している」という前提でアプローチさせることになる。
たぶん、この認識の話をされているのだとおもうのだけど、今回のロールプレイは、個人視点
という情報を
ということを想定していて、ここから先が大きく欠損していた表現情報で、あなたを混乱させた原因だと思います。
結婚する両者が、あなたに対して婚姻状況にあるという情報を流布する必要性があった
・これから両者は同一の行動指針によって社会活動するにあたって、あなたとなんらかの情報共有や接触がある可能性があるため事前認識を得ておきたい
・両者間の婚姻について価値観の差異がある場合理解されるのか、拒否されるのか、判断するにあたっても情報として告知の必要がある
などといった状況から、結婚式の招待やはがきでの告知による婚姻関係の成立をあなたに告知する必要がある方が
いたとして
その告知をうけとっていない人たちは、婚姻関係を結んだかどうかを
例として、婚姻関係一覧表というものがあって婚姻関係にある人物が確認できる情報源などあるのか
はために指輪をしていることを見ると想像はできるがそれが婚姻なのか婚約なのか、または縁起物なのか
など
あなたは何人の知人の婚姻関係を知っていて、何人の恋人関係の行く末を知っていて
それはその当事者たちが、なんらかの告知を自発的にあなた個人に対して特定の情報発信をしなければ
↓
式かはがきくらいじゃない?
(電話でも友達からのうわさでもかまわないけれども、今回は式とはがきに限って例を抽出した)
ということなのです。
誤解の要素は
だれの認識なのか
わたし → 読まれている方個人
挙式の意義として結婚、婚姻関係というのは社会的な価値についての考察なので認識とはまず公知、社会的な措置や待遇の変化などを想定されていて読まれたのではないか。
挙式、はがきといった情報により個人に知らしめるという話題に限って当方が書いたのは、結婚や挙式といった情報を呈して得たい理解の範囲や対象は、知人友人レベルなのではないか。
結婚するということを世界平和、同じ状況にある不特定多数の救うべき対象にむけているわけではなく、あくまで個人の意思で個人間での取り決めではないか、という当方の見解。
を踏まえています。
93歳の夫が体の痛みを訴えていた妻に頼まれて殺害したとして、嘱託殺人の罪に問われた公判が千葉地裁で開かれている。夫は「今でも愛しております」と語り、2人の娘は「父は追いつめられていた。ごめんなさい」と悔やんだ。(朝日新聞デジタル)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150618-00000012-asahi-soci
頭おかしいんじゃないのか。
尊厳死には条件がある。
①現代医学では治せない傷病で、死が近づいている場合に、単に死を引き延ばすためだけに延命するのはやめてくれ
③植物状態に陥ってそこからの回復が望めない場合は生命維持装置を切ってくれ
というのが尊厳死だ。
今回の事件はせいぜいが骨折からきている慢性疼痛にすぎず、尊厳死の適用案件には程遠い。尊厳死が法的に整備されていたとしてもこのケースで妻を死なせることはできないし、あってはならない。
これはただの殺人だ。人の尊厳を尊重する行為じゃなく踏みにじる行為だ。
検察が「軽率」と称したのもそこから来ているのだろう。不治の病でもないものを殺して救ってやろうとするなんて傲慢以外に当てはまる言葉はない、というのが本来の司法のスタンスであるはずだ。そこを「軽率」と称したこと自体相当叙情酌量してる。
「軽率なんて言わないでほしい」ってバカか。判決ならまだしも検察側が「軽率などとは称せない、壮絶な苦悩があった、追い詰められていたし仕方ない」的なコメントを出してみろ。
今後いったい何件の殺人事件がそうやって美談に祭り上げられるかわかったもんじゃない。
これは殺人事件で、人を殺すというのは悪いことなので徹底して回避されなければならないことだ。それが社会というものの目指す姿だ。
※懲役5年に執行猶予を狙ってるだろうという意見があったが俺もそう思うしその線を狙うのは妥当。物の本によると、こういう「追い詰められて最愛の人を…」系の殺しで無罪放免にすると裁判後に罪悪感で自殺したりするそうなんで、執行するかは別として刑を科すのは意味があると思う。
※話が飛ぶが、逆に裁判長は「どうすれば良かったですか」とか聞いてんじゃねえよと思う。俺が被告だったら「俺が聞きたいわ」って逆ギレすると思う。いや、反省の度合いみたいのを見るために聞いてんだろうとはわかってんだけど。
例えば安楽死センターみたいな施設を作って死にたい奴はみんな受け入れるようにしていたら?
それは社会的な自殺強要でしかなく、自発的に死にに行ける状況を提供することで逆説的に「そんなだったらもう死ねばいいのに。なんでまだ死なないの?」というプレッシャーを正当化するだけに終わるのは明らかだとは思わんか?
条件を設けると尊厳死に行き着くんで、安楽死センター要らないよ? あとこの事件の妻みたいな人はたぶん利用できなくなるよ。
この妻みたいなパターンが利用できるような利用者条件って相当ゆるい。「苦痛から逃れたいと思っている人」ぐらいの感じにしかならない。
これはわかる。気持ちとしては痛いほどわかる。
だって殺しを依頼して実行してもらっちゃったことで最愛の夫は妻殺しになっちゃったし、娘たちはそれこそうつ病のひとつやふたつ発症してもまったくおかしくないくらいに傷つけられている。
その点では妻もやっぱり追い詰められていたというのがよく分かる。冷静になれるだけの余裕が(精神的にも、体力的にも)あったら、「迷惑かけたくないから殺してもらう」がどんだけ矛盾してるか気がつけただろう。
これだけぶうぶう言っといて何だけど、この事件は社会制度とか公共福祉とかそういうレベルでしか解決は図れなかったろうと思う。
自分の身内がこういう状態になって死にたいと言い出したとき、できることってのは「殺してあげる」か「それでも殺さない」のどちらかを選ぶことしかないと俺は思ってるってことだ。
そして、自分でも、「『それでも殺さない』一択だろアホか」と、その状況になってみても言えるかどうかは自信がない。言えなくてもまったく不思議じゃない。だからこそ今は言っとくわけだけど。
鎮痛剤の適用について言及したコメントがあったが、そういうアプローチはもっと追求されていいだろうと思った。あと介護ロボか?
介護サービスを嫌がってたというが、その辺のニーズ(助けが必要なんだけど人様に助けて欲しくない的な)に応えられるのはもうロボくらいしか思いつかん。
あと自己防衛として「人に助けてもらう上で生じる抵抗感をいかにして減らすか」ってことだけど、貧困文学『アンジェラの灰』で示されたように、尊厳があるってことは他人に借りがないってことだから、抵抗感を減らすとかそういうベクトルの努力はどうしても焼け石に水でしかない。
当方、内定を貰い就職活動が終わっている理系院生。仕送りで生活している。彼女なし。
現在、ほぼ毎日(土日も)朝から12時間ほど研究室で研究している。趣味らしい趣味もなく、家に帰っても寝るだけである。学部時代は盛んだった友人との交流もほとんどなくなり、研究室の人間以外と話す機会はない。あれだけ厭で仕方なかった(だからこそ就職するのだ)研究に邁進している日々である。傍からは、私がさぞや苦しんでいると思うだろう。
ところが違うのだ。今、私は、人生で一番幸せを噛み締めている。勿論就職が決まったことにより、差し当たった将来の不安が解消されたのは大きい。しかし最も大きい原因は、心が波立たない穏やかな生活を送っていることにある。
たったこれだけである。これだけのことが今までの人生で出来ていなかった。(あるいは出来ていたとしても自発的でなかった。)色濃く生きようとしなくてもよいのだ。ただ日常を繰り返してよかったのだ。
こんなにも穏やかに生きることが幸せだとはなあ...
「非モテ」という文字が目に入るたびに疑問に思っていたことがあり、それを書き出したいと思ったので、少しだけ書く。
非モテという男性、この方たちは自ら人を好きになり、そして告白をしたことがあるのか。
これが疑問に思っていること。
誰かを好きになり、好きですよというアピールをしたり勇気を出して告白をしたり、そういう行動を自発的にして玉砕続きだったら「非モテ」といえるのでないか。
自称非モテの方たちは、何も行動せずに好みの女性が好意を勝手にもってくれることを望んで、自らは何もしてないのに好みの女性が他の男性に惹かれていくことを恨んでいるように見える。
ただ待っているだけのように見えるし、そして行動を起こしていないのに恨み事ばかり言っているように見える。
明日生きられる保障がないのに明日を生きるために頑張ることにどれだけの価値があるのか
っていう命題に直面した時に
か
か
前者をかれこれ三年ぐらい続けたら案外人間ってすぐには死なないんだなって思ってしまった
だから私は、とりあえずは明日に希望を持って生きてみようと思ってる
また数年生きてみたら自堕落に戻るんだろうか
○今日は
バスに乗ってくるなり酔っ払いの爺さんが、「若いモンが席に座るな!立て!」って怒鳴りつける事案を見た
譲ること自体は自由であるべきであって、譲ることを強要させるのは…っていう議論、こういう場でいくらでもされていそう
そういう人間がいるとか、あるいは譲ろうとしたらキレられた、等の理由があって自発的に譲ることをあまり好ましくないと思ってる人も世の中に掃いて捨てるほどいる、私もそう
座って目的地まで行きたいならタクシーでもなんでも使えばいいのにさ
若い人だって、バスで立って帰るのが嫌ならタクシーを使う選択肢はあるしそうする人もいると思う
言われて席を立つ方も一貫性がないよね
言っていることに正当性があると思ってるから立っちゃうのかな。
後者なんだろうな。
ま、そういうことで私は座席は譲りません
あ、眠いから文章がいつも以上に適当なんだけど、特有の「言葉に対する突っ込み」とかはいらないので
それをする暇があるぐらいなら私に時間をください
これはあなたにエンジニアとしての適正があるかを調べるテストです。
全てクリアできれば適正ありです。
2. 今までに機械にやらせた単純作業を年齢x10個挙げてください
3. あらゆることの問題を自発的に探し解決方法を探ることができる性格ですか?
4. 今までに自発的に見つけた問題とその解決方法を年齢×100個挙げてください
3. 問題解決に必要なことやより便利になると思うことならなんでも自発的に学ぶことができる性格ですか?
4. 今までに自発的に学んだことを年齢x1000個挙げてください
5. 何か失敗してもそれを次に活かすことができる性格ですか?
6. 今まで次に活かした失敗を年齢x10000個挙げてください
7. 誰かが抱えている問題を一緒に解決することができる性格ですか?
回答ありがとうございます。
Q1…実際にキモくて金のないオバサンと関わる機会があるがキモいからとか金が無いからダメとかじゃなくて
向こうも相当に捻くれてしまっているので性格的に一緒にやっていくのが無理だと思うことが多い
■大変直裁で現実的なお答えを頂きました。個人的には胸が痛む気持ちにもなります。
ご自身と同じ境遇の相手の心情を思い測れる、思慮深さがある優しい方なのではと思います。
Q2…機会があっても無能は活かせないから最終的にはあんまり変わらんと思う 保障はしたほうがいい。現状は格差が行き過ぎている。
Q2ex…平等でいいと思う。ただここを市場原理に任せると「かわいそうな女性」という消費対象として優れているカテゴリーの女性側が有利になると思う。
■こちらの回答も大変現実的ですね。そして冷静に現実を変える戦略も考えている。金銭的な不自由さはあまり感じておられないようです。
個人的には「かわいそうな女性」市場は、ポスト資本主義化の労働環境における、特に若い人に不利な富の偏在という大きな問題が根底にあるなかでの
30年ぐらい前までは、女性には生存のための現実的な選択肢が、事実上一つ(結婚)しかありませんでした。
同様な状態に「社会的に下層な男性」が置かれているのだと考えると、とても辛いですね。私も、救われる方法を市場に求めるのは反対です。
政治的な解決方法も考えるべきでしょうし、同時に内的な自発的な気付きも必要だと考えています。
Q3…思いつく。家族や親族のケアやそれらによる成功体験による自信が違う。
Q4…モテようと思ったことがない
Q5…金に関してはそうは思わないが、名誉や承認が不足しどこへ行ってもゴミクズ扱いなのが生きづらい要因だと感じる
■ご自身が抱えておられる生きづらさの原因に向き合える勇気をお持ちですし、ご自身がもっと積極的にモテようと思えばモテる(モテをどのように定義するかにはよりますが)方に行ける気もします。
ご家族との関係があまり良くないのでは推察します。実は私もかなり家族には恵まれていません だからこういうアンケートを取ったりしてしまうのかもしれませんが笑
成功体験は年を取ってから自力で獲得することもできますし、自力で獲得した成功体験は、生与のものよりもずっと尊いし自分を生きさせる力になると、私は信じています
Q6…個別に考えるべきことなので「女は」では括れないと思う。例えば逆境でも金を稼いで這い上がって逆転したいと思うような負けん気やバイタリティのある人はするのも有りだと思うけど
それは女全員に勧めるられるべきことではない。
■こちらもとても現実的であり、かつ理性的なお答えだと思います。理性的であることに無理をされている様子も見られません。
ご自身で思っている自己評価よりも、市場価値(嫌な言葉ですが)は高いのではと感じます。
自己評価の低さの理由は、ご家族との関係やその他(回答だけでは、ご自分をキモい方にカテゴライズする必要はないように感じますので)があるのかと思います。
それを払しょくできる日が来ることを、画面の向こうから心より願っています。あんた、すごくいい人だよ。自分が思ってるよりずっと立派だよ。
でも(広義の)演劇界の豊かさには、知的階級もそうでない階級も同様に必要だと思うんだが。
社会問題に関心があって貢献してるような役者が本当に少ない。アイスバケツチャレンジも、ライムを齧るセルフィーも、バカがバカにしていたが、社会問題に関心がないほうがよほどバカだと思う。
最近は浜崎あゆみの刑務所への慰問なんかも話題になってるが、自発的に小児病棟を訪れるヒーロー(を演じた役者)達なんかと頻度も、自発的かどうかも、比べ物にならない。
日本には「知的階級」がもはや演劇界に割ける人員がいないほど少ない、というのも感じるが、どんな層にも広範な知識が必要というのを身に迫って感じている人がどれだけいるのだろうか。