2015-06-10

明日生きられる保障がないのに明日を生きるために頑張ることにどれだけの価値があるのか

っていう命題に直面した時に

明日のために頑張らずに自堕落になる

・それでも明日希望を持って努力を続ける



前者をかれこれ三年ぐらい続けたら案外人間ってすぐには死なないんだなって思ってしまった

から私は、とりあえずは明日希望を持って生きてみようと思ってる

また数年生きてみたら自堕落に戻るんだろうか


今日

バスに乗ってくるなり酔っ払いの爺さんが、「若いモンが席に座るな!立て!」って怒鳴りつける事案を見た

譲ること自体自由であるべきであって、譲ることを強要させるのは…っていう議論、こういう場でいくらでもされていそう

そういう人間がいるとか、あるいは譲ろうとしたらキレられた、等の理由があって自発的に譲ることをあまり好ましくないと思ってる人も世の中に掃いて捨てるほどいる、私もそう

座って目的地まで行きたいならタクシーでもなんでも使えばいいのにさ

それは若いとか年取ってるとか関係なく一緒

若いだってバスで立って帰るのが嫌ならタクシーを使う選択肢はあるしそうする人もいると思う

言われて席を立つ方も一貫性がないよね

言っていることに正当性があると思ってるから立っちゃうのかな。

それともビビたからとりあえず立ったのかな。

後者なんだろうな。

ま、そういうことで私は座席は譲りません

所詮偽善

対価が保証されない行為価値はない

あ、眠いから文章がいつも以上に適当なんだけど、特有の「言葉に対する突っ込み」とかはいらないので

それをする暇があるぐらいなら私に時間をください

研究したいのに時間がなくて困ってるのよね

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