はてなキーワード: 網羅とは
つぐみとマリーに春ちゃんが終盤で適当に切られた悲しみを忘れたのか。
いちご100%だって、こずえちゃんという負け確ヒロインを突然投入したときは正直どうかと思った。
基本はこれに尽きる。いわゆる萌属性を網羅していくことで間口を広げる。
文系理系のダブルヒロインに追加された体育会系、そして先生・先輩etc...
確かに商売である以上読者を増やすのが第一で、そのために手っ取り早いのは、未読者が興味を惹かれるようなキャラクターを用意することだ。
今の御時世2次元でも3次元でもアイドルはグループで阿呆みたいな数いるし、まあそういう時代なのかもしれない。
膠着状態だった三角関係が、第3のヒロイン登場により引っ掻き回されるパターンなど。
こうなるとこの第3のヒロインは負け確で存在意義がそれしかなかったりするんだけど、
作者の力量次第では救われたりもする。
ただし、三角関係が四角関係になっただけみたいな例も多々ある。
あと「話が進むたびにヒロインが増える」という似て非なるものもある。ラブコメじゃないけど「とある」とかそういうの。
まずこれ。ダブルヒロインだと二週に一回メイン回だったのが一月、あるいは二月に一回になるなど。
いわゆる主人公補正
「主人公にはカッコいいところがあるから納得できる」とか言う声もあるけど
じゃあこいつ今までなんで彼女いなかったんだよ?なんでこんなに女子に免疫ないんだよ?みたいな。
ラブコメで大事なのはヒロインもそうだけど、主人公の魅力がいちばん大事な所だと思うわけで、
「なんでコイツがモテるんだよ」って思われたらその時点で全て冷めるわけです。
あんなに可愛かったヒロインだって「男を見る目のない女」になってしまう。
楽さんとかそんな感じでした。真中だって高3になるくらいまでは非難轟々だったし。
そうなるとですね
いちご100%を読んでいたと思ったらToLOVEるになっていた!?
魅力的なラブコメにもっと読者を集めたい気持ちはわかるけど、その方法がラブコメの質を落としている。
まあ今はまだ先輩も先生もフラグ立っては居ないけど、だったらその分を文系理系に回してよって思うし
だがしかしはハジメさん出てきた時はどうなんだと思ったけど、あれは何かもう作品全体が作者の性癖に忠実な感じがして許せる。
からかい上手の高木さんもゲッサンだし、ここ数年のサンデーは推せる。
1.領土型
家を置ける場所が限られているルールを使って、道を広げて島を半分に割るような形で広げるタイプ。
邪魔されなければ他のプレイヤーは家を置くことが困難になるためほぼ勝ちが決まるが、
特に最初に木土がどれだけ集まるかも重要であり、なかなか決まることはない。木土が厚い時がチャンス。
必然的に最長交易路が取れるので、都市4軒+最長交易路にするならば羊が家2軒分の2匹で足りてしまう。
2.都市型
とにかくシュタット(都市建設)を行い、少ない都市から大量の資源を生み出すスタイル。
最初の2軒で麦鉄を重視して置くため、木土羊のどれかが足りなくて中盤苦しむ。
出目がよく、他人との交換か、麦鉄から4:1交換が問題なくできると苦しみが少ない。
シュタット後ダブつく麦鉄の2:1港を持っていると強力。
特定の出目で4枚資源が出るようになっていると強いが当然波が大きい。出目網羅型の逆。
3.発展型
余る木土で最長交易路も目指し、たまに家を建ててシュタットはあまりせず、
最大騎士力、最長交易路、ポイント2、家4軒くらいで勝利を目指す。
極力どの資源にも絡んでおかないと、家が建てられずに出遅れる。領土型が天敵か。
4.出目網羅型
4~10の出目どれが出ても資源が取れるようにすることで、圧倒的な資源で臨機応変に建てていくタイプ。
最初の2軒でそれら全部を網羅するのは難しく、また資源が偏ることも多いので盤面次第になりがち。
だが網羅できると建設スピードはかなり早い。3:1港を用意できれば捗る。余裕があれば3,11にも手を出すとなお強い。
最初は出目網羅型にしておいて、途中から都市型に切り替えるのが強いが、発展型に移行することも可能。
5.2:1型
2:1港を最初または序盤で抑え、最初に置く家2軒を目指す2:1港が必要とする資源に絡ませることで、
出やすい出目だけでも戦えるようにしたタイプ。1軒だけでも都市にしておくと、その出目がオールマイティー扱いになる。
盤面的に特定の資源が弱い、出目が偏って特定の資源が出ない、といった状態だと自分だけその資源を集めることができリードできる。
なぜ書こうと思ったか?
というのも、「CBT 勉強法」などの検索ワードで出てくる諸々のサイトの内容では問題があると思ったからです。
現時点で出てくるサイトのほとんど、「CBTの個人的勉強法」と銘打っているものたちですが、
実際は自分の成績がなかなか良かったことをドヤりたい連中が書いてることが、底辺勢から見させてもらえば丸わかりなんですね。
「数か月前から○○をやりました」「直前まで試験があって不十分なまま試験へ」「結果は80数%、多少不満が残る」
などなどなど。効率よくやってまあまあ上手くいったわ~。
ドヤってます。そして参考になりません。
そもそも成績がいい人はCBTに落ちないので。
落ちる訳のない人が落ちる訳のない勉強をして普通に受かった。それだけの話。
1、2年生の時の教養科目や3、4年生の専門科目で落第して留年するよりも危険です。
なぜならば、CBTは留年して再度勉強しても落ちる可能性が高いからです。
理由は単純でして、まず1年間やることがありません。堕落しようと思えばどこまででも堕落できてしまいます。
加えて当人は「なぜ落ちたのか」がわからないままに時間だけが過ぎていくことになります。
大学内の科の単位でしたら、一度留年した時点で、大学や教員側もサポートしてくれます。
先生方は悪人ではありませんから、自力では受かることが出来なかった子は拾おうとしてくれます。
ただし、助けを求めれば、ですけども。
先生方との面談でも、結局のところ、「勉強頑張って」というメッセージを送られるだけです。
ただCBTに落ちる連中(自分含む)はどう勉強すればいいのかわからないというのが実際でして。
なぜこの記事を読んでいるんでしょうか?
その成績であるのに不安で不安でしょうがないのでしたらむしろ病院へ行きましょう。
2、現時点でクラス内成績上位50%内にいる人
おそらくいろんな人からQB(もしくはこあかり)をやろうと言われてると思います。
3、現時点でクラス内成績下位50%内にいる人
特に、今までサークル内の情報、過去問等で定期試験をパスしてきた人は討ち取られる可能性がやや高いです。
まず落ちます。
友人や先輩からの「まあ何とかなるよ」という言葉は無視しましょう。
1、2の人
3の人
友人や先輩方に言われる通りです。
QBをやりましょう。そしてわからなかったことは病気が見えるや自分に合った参考書を用いて調べる。
4の人
スマホを手元に置いた状態で勉強できる人種は成績下位10%にいません。
自分はスマホを家に置いた状態で図書館や大学学習室へ行って勉強していました。
そしてQBをやりましょう。
クラス成績下位10%にいる人は、現時点で持っている知識の量が他とは比べ物にならないくらい少ないです。
アホみたいな問題ですけども、おそらく自信を持って言える人はこのランクにはいないでしょう。
一度QBのVol1,2,3をやってみればわかると思いますが、8割方分かりません。(社会分野や公衆衛生は常識問題なので例外です)
ここまで記事を読んでくださった1,2に該当する方は「自分もそうだったぞ」と思われるかもしれませんが、少し意味が違います。
1,2の方は「答えがわからない」んです。4の人は「何を言ってるのかわからない」んです。
1,2の人であれば、出題された疾患に関する参考書を開けば、「ああ忘れてた。覚えとこ」となるんです。
4の人は違います。「へーこんな疾患あるんだ」となるんです。
疾患そのものは知ってるからです。今まで知らなかった知識を埋めるか忘れてた知識を埋めることで充足できるからです。
参考書を開いて疾患そのものを最初から学ぶところからやらないと知識としてまず定着しません。
何もわからねえ!となっていろんな参考書や問題集に手を出すと最悪で、全然点数が上がらないままに本番を迎えることになります。
QBのみをやりましょう。そしてQBの問題はほぼ完ぺきにするようにしましょう。
オススメの勉強法は出題された各疾患をノートにまとめることです。というかやってください。
やらないと点数が上がらないです。
他のサイトでよく言われている、「QBの一周」というのは、少し表現に不足があります。
「QBの問題を参考書を用いてまとめつつ一周」です。問題をざっと読んで当たった外れたしてるだけでは勉強になりません。
故にQBオンラインもほぼ役に立ちません。少なくとも4のクラスの人には。
どうしてもそれだけでは心配ならば、QBの問題集の最初にある、CBTの出題範囲となるコアカリキュラムを見てください。
そこに載っている疾患や指定された内容をさらにノートにまとめましょう。
それをやれば、QBの内容でほぼ必修疾患は網羅されているということに気付くと思います。
加えて、ここが非常に重要なのですが、QBVol1の基礎医学の分野、真面目にやりましょう。
方々のサイトが、「点数に繋がりづらいのでほどほどに」などと書いてありますが違います。
基礎医学分野の点数が上がりづらいとみなが口々に言うのは、難問の中に、膨大な知識量を要求される問題が混じっているからです。
そもそも知識がまるでない4の人には、得点を稼げる猶予があります。
ノートに一通りまとめれば点が取れるようになる問題が残っているはずです。
基礎医学分野を7割から8割9割まで取れるように勉強するのは非常に大変です。
5割を7割にすることはそれほど無茶な学習をしなくても可能です。
更に、CBTは臨床分野が重要とは言われていますが、一部の臨床分野は基礎医学の知識があって初めて理解が出来ます。
そんなわけで基礎分野はきっちりやりましょう。ここが結果を左右します。本当に。
一度真面目に見ることが大事です。
各科を大まかにまとめるのが目的の講義ですので、詳細な部分は説明されません。
しかし、必須となる疾患の大まかな病態を理解するのには非常に役に立ちます。
身振り手振りを用いて疾患を説明してもらうのはかなり理解に役立ちます。
しかし、「この疾患はこんな感じ~」というのがわかっても、「○○と○○を覚えろ」と指定された言葉に意味はありません。
しかし、全くイメージの湧かない疾患を大まかにとはいえ一発で理解できるのは非常に有用です。
一回見ましょう。それで充分です。
4の人向け結論
1、スマホをたたき割る。
半ば冗談、半ば本気で言ってます。隙あらばスマホを触る生活から離れましょう。
無論人によっては誘惑のものはスマホでない場合もあるでしょう。とにかくそれから離れましょう。そうしてようやくスタートです。
2、講義を見る
また、すでに試験が直前に迫っている場合は絶対に飛ばしましょう。直接点数に繋がる勉強ではないので。
付け焼刃でもいいから点数がほしい。そういう状況の際はやらない方がいいです。
3、QBを用いて勉強。わからない疾患や用語はノートにまとめる
これが全てです。1,2はこれのための下準備です。
以上です。たったこれだけです。QBを参考書を用いて詳細を調べながら勉強すること。これに尽きます。
3のクラスの人も同様です。
QBを用いるんですから当然使いましょう。ページ指定までしてくれています。危機感を感じているなら今すぐ買いそろえましょう。
とんでもない名著です。様々な基礎医学分野の事項が必要十分に書かれています。
標準なんちゃらのように詳しく書かれ過ぎてて意味が分からなくなっていることもありません。
CBT試験用として容量が絶妙なんですね。これ一冊で基礎はほぼカバーできます。
国家試験合格率を上げようという大学全体の流れからして、これからは各大学で合格ボーダーのインフレがどんどん進んでいくでしょう。
ただ、勝手に保障しますが、上記した勉強法で75%は取れます。(80%と言いたいところですが、多分勉強法の相性もあると思うのでちょっと謙遜)
https://anond.hatelabo.jp/20180112100435
これだけ見るとすごく暗いしコントラストが小さいよね。
ただ、暗い部屋での人の目の順応性のことを思うと、わりとホワイトバランスをうまく調整してくれてそれなりに見えるんじゃないかとも思う。
ところが元の増田も、また、その増田のブコメでいくつか言及されていた色覚異常者が色彩に出会って感動する動画も、それらのリアクションは全て未知の色彩と出会う驚きによって演出されています。
これは同感。そこまで未知の色彩があるわけない。それもたかがフィルター通しただけで。
ただ、自然界がすべての光の波長のパターンを網羅しているわけでもないと思うので、より色鮮やかに見えるパターンというのはあり得るかもしれないと思う。
実際自分の場合、紅葉や赤いバラは肉眼で見ても暗い赤にしか見えないが写真やテレビで見るとものすごく鮮やかな赤に見える。
これらを組み合わせて、この製品が嘘だという最大の根拠を一つ示します。
特定の色の彩度を下げることで鮮やかな世界を作れるとするのであれば、どうして症例にあわせた作例が一つもないのでしょうか。
レタッチソフトを使えばRGBのバランスを変えることは造作も無いことです。
この辺は微妙。
そもそもこの世に存在するRGBやらCMYKというのは色覚正常者にとって最適化されたものなので、色覚異常者にとってはそもそもがずれたものだ。
光というのは本来様々な波長を含むもので、全く同じ色に見えるものでも物質が違えば違う波長の光を含んでいる。
そういう性質を利用して色覚正常者だけが、自然光と同じに見えるようなRGBの三色光とCMYKのインクを選んでいるにすぎない。
とても繊細な調整が必要で、モニターによって色は変わるし、インクのロットが違えば色も微妙に変わる。再現度を高めるために色校正が必要とされる理由である。
モニターや印刷物は1つ1つで発色の加減が微妙に違うのに、色覚正常者はだいたい同じように見えるように調整している。
言い方を変えると、本当は違う色(光)が出てるのに色覚正常者はその違いを認識できない。
これはあくまで色覚正常者向けの調整なので、極端に言うと色覚異常者にはどれも違うように見えてしまう。
だから、作例がないというのは仕方のない話で、やろうと思っても画像ファイルだけを用意すればいいというものではないのだ。
専用のモニターを用意してそのモニターだけで見るようにすればできるかもしれない。
印刷物の場合、指定のインクを使ってきっちり色校正するようにすればできるかもしれない。
(これを実際にやっているのが色覚検査表。あれって自分で買うとものすごく高いのだけどそれだけ手間はかかってる。
http://www.neo-dalton.com/side/check/が簡易的と言っているのもそのため。これは専用のモニターを使ってるはず。)
これまでの自分の実感だと赤緑色弱は本当に個人によって見え方が全然違う。
この増田自身は赤緑色盲(2色型色覚)なのではないかと思うが、赤緑色盲向けの作例であれば可能ではないかと思う。
ただそれをやるのは結構お金がかかると思うよ。レタッチで済むというものではないだろうから。
分かる。
でも彼らには見えてないものが僕らには見えているはずでそっちを楽しんで生きていきたい。
元元増田や元増田に対するブコメは彼らが問題提起している内容を理解できていない内容が多い。
そこで、プログラム(Ruby)で何が問題なのかを表現しようと思う。
多分Rubyは可読性が高いので、知らな人でも英語がわかればなんとなく理解できると思う。
まず、彼らの問題提起は受験科目にする蓋然性が不明だということだ。
subjects = [A,B,C,D,E,F,G,H,I,J, … splatoon] ##実際の配列はこんな記法はできないけど、たくさんの受験科目になりうる項目が網羅されたリスト(配列)と考えてほしい。 exam_subjects = [] ##受験科目のリスト subjects.each do |subject| exam_subejcts << subject if subject.has_merit? == true end
メリットを提唱するだけでは無意味である理由は、メリットがあるから受験科目にすると説明してしまうと受験科目と科目一覧とが同じになってしまう。
また、メリットがあるから受験科目だ。という言説ではスプラトゥーンも受験科目になってしまう。
そこで、科目のメリットを評価し、優先度が高い順に並び替え、その順に受験科目にする必要がある。つまり
subjects = [A,B,C,D,E,F,G,H,I,J, … splatoon] exam_subjects = [] exam_subjects_number = 9 ##例えば受験科目数が9である場合 subjects.sort_by!{|subject| subject.merit_value } exam_subjects_number.times{|i| exam_subjects << subjects[i] }
となる。
ここで、問題になるのは「科目のメリットをどう評価するか」だ。(上記のmerit_value)
この部分を議論する必要があって、元々増田はmerit_valueが現代において適切ではないと考えている。
私もそれには同意なのだが、その評価をどうするかに対する返答は少なく、趣旨をミスリードし各々subjectのメリットのみを論う意見が目立つので元増田が問題提起をしているのだ。
というわけで、ブコメをどうぞ!
すまんな。
「とともに」はそこを区切りとしているので、古典Bの目標の理解に誤りがある。そこは解説で明確に「二つの部分で構成」とされているので確認するとよい。古典Bは態度を育てるだけでなく、能力を養うことを目標としている。
まあね。それは見逃してくれよ。
なんで見逃してくれっていうかって言うと、その目標のウチ前半にあたる
「古典としての古文と漢文を読む能力を養う(とともに,)」の部分って、何も言ってないに等しいからだよ。
たぶんちゃんと高等学校学習指導要領の原点にあたってくれたんだろ。
ここでは、「近代以降の様々な文章を的確に理解し,適切に表現する能力を高める」と「人生を豊かにする態度を育てる」となっていて、
現代文Bを学ぶのは、「近代以降の様々な文章を的確に理解する」「適切に表現する能力を高める」「態度を育てる」と明確に目標が定まっている。
で、翻って古典の古文と漢文は「読めるようになる」「態度を育てる」としか書いてない。
読んでどうすんねん、というところがスッポリ抜けてんだよ。
本来はここに、「近代以前の文献調査を行うことが出来るように、基礎知識を身につける」みたいな目的が入って無きゃイカンのよ。
それを試験で確認するなら判る。それが必要だと考える大学がね。
現状の、国語の一部として古文漢文をやった上に、そりゃ教養で必須みたいに言われんの変じゃねって話な。
また古典Aと古典Bを挙げているが、試験科目としては必ずしもこれらを網羅する必要はない。違いを気にする人は少ないが、
各大学で国語の試験範囲として設定されている科目名は異なる。例えば、東大文科は古典Aではなく古典Bを出題科目としている。最近のセンター試験国語は国語総合が出題科目のはず。
それは、最近では古典(古文・漢文)の比重が減ってきてるってのでフォローしてるのでどうかひとつ。
まあ、ソレを網羅する必要はないっていうのは、(東大文科が古典Bを出題科目としているってのも)
「古文漢文を国語の一部として試験に課す大学が多くある現状ってオカシクね?」って元増田に対する回答にはなってないし、
オレの「教養は学力とは別枠にしておくのが良いのでは」ってのとも無関係よね。
蛇足ながら追記すると、上記の話とは全く別に、東大なら教養を求めるのは判らんでもない。
「とともに」はそこを区切りとしているので、古典Bの目標の理解に誤りがある。そこは解説で明確に「二つの部分で構成」とされているので確認するとよい。古典Bは態度を育てるだけでなく、能力を養うことを目標としている。
また古典Aと古典Bを挙げているが、試験科目としては必ずしもこれらを網羅する必要はない。違いを気にする人は少ないが、各大学で国語の試験範囲として設定されている科目名は異なる。例えば、東大文科は古典Aではなく古典Bを出題科目としている。最近のセンター試験国語は国語総合が出題科目のはず。
って「そこ違法だよ!」「駄目だよ!」ってツイートとかは回ってくるけどさ、実際対策を考える人ってあんまりいないよね。
自分のところにも「違法サイトの蔓延やべぇ」みたいな感じで回ってきたからさ、サイトにアクセスしたんだけど、あれすごいね。
ウェブで読める漫画のサイトは広告でよくでるし試し読みとかできるからたまに見るけど、漫画村みたいに無断転載じゃないからやっぱ種類が限られてるんだよね。
そりゃ週刊誌月刊誌ファッション紙、出版社しばりのないコミックの種類まであんなに網羅されてたら駄目だってわかっててもみんな利用しちゃうよなぁってちょっと思った。
漫画村が一般人に蔓延しちゃってるのって『無料で見れるから』っていうのが一番大きな要因だと思うんだけど、全部がひとつのところにまとまっているからっていうのも理由なんじゃないかなぁと思った。
無断転載のサイトって多分無くならないしさ、出版社の方々全社ぐらいの勢いで協力して月額500円ぐらいでああいうサイト作ってくれないかなぁって思う。
月額500円ってたぶん相当安いと思うんだけど、無断転載サイトで盗まれるぐらいなら雀の涙ほどでも還元されるほうがいいじゃん。
500円で漫画読み放題とかなら案外そっちでお金落として安全買うわっていう漫画村利用層が一定数いると思うんだよなぁ…
例えば、駄目だってわかってたけど漫画村で気になってた漫画読んじゃって「面白い!!!」って思ったら手元に置けるようにすると思うんだよね。
だからオタクじゃなくて、なんていうか無断転載ってなに?とかいう層とか、自由に使えるお金が少ない子供とかがさ、少ない給料とか一ヶ月のお小遣いとかから出せる金額にしてさ、月の携帯料金と一緒に請求できるようにしておけばさ、一回登録しちゃえば普段使わなくても解約しない限りだらだら支払われるし、これできたら案外利用者多いんじゃないかと思うんだよな。
ネットでジャンプ読もうと思ったらジャンプラで、マガジン読もうと思ったらマガジンポケットで、コミックス読みたいと思ったら電子書籍サイトでって尋常じゃなくめんどくさいじゃん。
本が売れないとか言うけど、面白くない作品が増えたわけじゃなくて、現代の人間のライフスタイルに入っていく方法を間違えてんじゃないかなぁと思う。
・無料
月額500円も払えませんって人は漫画村がなくなってもきっと漫画を買わないからちょっと置いておくとして、漫画村利用層からどうやってお金を出してもらうかって考えたらほとんど同じ条件のサイトを作るしかないんだよぁって思う。
権利関係とかで無理なんだろうけど、なんとかならないもんかなぁ
インフルエンザで自宅待機中。
とてつもなく暇なんで、1973年製増田による「30年経っても心に残ってる80年代アニメOVAベスト5」を置いてく。
エッチなアニメかと思ってレンタルしたらいろいろ違ってびっくりした作品。ドタバタで混沌としているのが80年代OVAっぽいんじゃないかと。こうゆうC級ノリは今でも好き。何度も観たわけじゃないのにエンディングの歌(プリーズcall me tonight♪)が今でも頭にこびりついてる。歌詞にタイトル名を入れちゃうあたりが80年代的ルール。
大人の世界ってこんななのかと感じた作品。たぶんエッチシーンが大人っぽかったから。時祭イヴの歌「風のララバイ」が荒廃的な世界観とあいまって、どうにも救いようのない作品だとの印象が強い。ちなみに続編(IIとかIII)を観ていないんで、増田の中でメガゾーンの世界は本当にここで終わっている。今思えば時祭イブって初音ミクみたいな存在なんで、俺らのミクさんが「助けて私は殺される」とか言い出したら、我々はこの世界の構成を根本から疑わねばなるまい。
くりいむレモンシリーズ丸ごと心に残ってるんだが、何かひとつ選ぶならこれ。もはや富本たつや氏のキャラデザそのものが80年代アニメOVAとして記号化してる。閉塞的な淫猥とした館モノの教科書見本みたいな作品でかつエロさ半端ないんで、「殻の中の小鳥(PC98ゲーム)」と併せてメイド古典としてデジタル国宝に指定すべき。尚、くりいむレモンで何を推すかは完全に個人の思想に依るので論争化すべきではないものの、土器手司氏が好きな増田としてはポップチェイサーも捨てがたいとだけは申し上げておく。
「なんかすごいもんみた」とビビった作品。レンタルビデオを自室で観てたが、とにかく怖くて、観るのをやめたいのにやめたら窓の外に何か居るんじゃないかと思ってやめられない状態になった。怖いもの見たさで何度かレンタルして、その後30年観てないけど、とにかくドキドキしたことだけ今でも鮮明に覚えてる。原作者の士郎正宗氏が自分で絵コンテ切ってどっぷり介入した作品だったと記憶しているが、そのおかげでアップルシードの新作がなかなか出なくてヤキモキしてた。
初めて観たとき美麗で驚いた作品。あまり筋の通らないストーリーなのに、垣野内成美氏の美しい絵が動いているだけで許される気がした。救われない話も多いのに、後味が悪くないのは結局のところ主役は美夕だから他はモブってことで。何だかんだいって増田は、OVAもTVシリーズもLD BOXを買いドラマCDを買いWindowsデスクトップアクセサリーを買い、もろもろの売り上げに貢献した。声優は初代もいいけど、三木眞一郎ラヴァ兄さんの色気っぷりは捨てがたい。
観てた時期はほぼ中学生。改めて観なおしてるわけじゃないんで、本当に心に残っている部分だけの感想だけど、こんな時代あったわーと懐古するおっさん仲間がひとりふたりいてくれれば是幸い。
追記。
いろいろ反応ありがと。レダとかパトレイバーとか迷ったよ。あとダーティペア(違うラブリーエンジェルぅ!って脳内で聴こえる)も。アニメ大好きは関西圏?そんな番組があったって聞いてうらやましかったよ。情報の拡散スピードが遅い時代で市場も広くなかったから、中学生がレンタルビデオを週に1本借りるだけでも網羅できる量しかなかったよなOVA。懐い。
https://togetter.com/li/1179589
校則問題は色々な観点から言うべきことがあって一概に言えないのはわかってるけどめんどくさいから網羅的な話をするつもりもないんだけど、とりあえずこのフィンランド人の考える「学校は勉強をするところ」ってのは、勉強できなければ卒業できない場所でもあるってことじゃん?
日本の公立高校では、留年なんて欠課時数オーバーとか、赤点救済措置の課題をしつこく迫られても無視するとか、「よっぽどのこと」がない限り起きない。
そしてこの「よっぽどのこと」は風紀指導における「よっぽどのこと」と同じで、「言われた通りやっていれば許される(進級できる)のに、それをやらないって…アホなの?」という目線によって判定される。
「アホで結構。しかしバカは進級できないよ」というのがフィンランド人だとしたら、日本人はバカでも言うこと聞いてたら進級できるとでもいおうか。
まあ、留年しない制度の原因も入試・就職等出口の問題から現場・周りの「かわいそう」とか事勿れ主義まで色々だろうけど、乱暴に一つにまとめれば、そもそも社会が学校に何を求めてるかという問題なんだよね。
結局勉強じゃないんでしょ。勉強できなくてもいいと思ってんだよな。多くの人は。「勉強できるのと本当に頭がいいのとは違う」とか「テストでいい点数とるよりも大切なことがある」とかそんなヤフコメよくあるじゃん。「だから学校はそれを評価すべき」まで来たらもうそこから風紀指導までの距離はゼロですよ。
言い方変えれば、いま留年してる奴らは言わば教科における風紀指導に逆らう奴らで、現状日本の学校はそこを評価する場所なんだろうな。
勉強を評価する場所てある以上は、一定数は勉強で留年してもしょうがないという含みを持った制度じゃなきゃおかしいよね。でもさあ、本当にみんなはボコボコ留年させる可能性のあるシステムを支持するのかな。
疑問だなーと思うよね。支持してほしいんだけどさ。
春から博士課程に進学したんだが、この半年で勉強の仕方が少しだけわかった気がする。
個人的には「勉強のための勉強」はクソつまらないし、頭に入らないし、理解できない。
一方で、「研究のための勉強」は、クソおもろいし、頭に入るし、理解できる。
つまり目的としての勉強はつまらんが、目的のための勉強はおもろい。それも内的な動機に基いていればなおさら。
その違いは、まずは大前提として「やりたいこと・理解したいことが具体的にあるか」という所が大きいと思う。
これはモチベーションだけの話ではなくて、具体的にやりたいことがあれば、それをできるようにするためには、どんな知識が必要か、という道筋が描けることが大きいと思う。
何かを独学で勉強しようとした人ならわかると思うけど、漠然とある分野を理解しようとしても、膨大な量があるので、どれをどこまで勉強していいかわからなくなってしまい、挫折してしまうということが多い。例えば、教科書の多くは、一つの目的を達成するために、色んな手段を網羅的に紹介してる事が多く、それをいちいち勉強していては時間がいくらあっても足りないし、そもそもそれらを全て勉強するモチベーションがない。個人的には、はじめは色んな手段を知ってることよりも、一つの目的を達成出来ることのほうが重要だと思う。とりあえず「これをやりたい!」というものを、必要な最低限の知識を仕入れていって、最短ルートで、出来ないか試してみる、それでだめなら、もう少しいい方法を探す、それでだめなら・・・という風に、「実際に使ってみて、試行錯誤をする」というプロセスによって、勉強が頭に入っていくんじゃないかと思う。「実際に使ってみて、試行錯誤する」というプロセスを確立し、それによってやりたい目的を達成でき、"自分なりの理解"に到達すれば、最高に勉強はおもしろい。
増田さんにも言及して頂いたり、色々コメントも頂いたので追記させて頂きます。
id:imizis 途中まで段落に分けて読みやすくしていたのに、最後の段落だけ改行がないから早口で喋ってるみたいで面白かった。
id:axkotomum これを読んで逆に目的のない勉強は好きで得意だけど目的のある勉強は苦手だと気づいた
目的がなくても勉強できるかは人によりますよね。また目的が外的(仕事、受験、テスト、単位)か内的(興味・関心)かによっても、違ってくるかもしれませんね。大学の学部の頃は、興味も関心もなさそうな講義を淡々と勉強できる同期が結構いましたが、自分は全くできなくて大変でした。
id:orangeitems これは博士課程レベルとは言い難い文章で残念
id:mouseion 博士課程でそれなのか。いや勉強のための勉強って大学入試まででしょって話で博士課程に入ってようやく理解できたって何か逆に凄い発見のように思えるので。応援してます。
すいません後期課程です笑 出来の悪い学生なので耳が痛いですが。
出来る人は、それこそ生まれたときから出来るけど、出来ない人は出来ないということでしょうね。
「興味・関心等の内的な動機に基いて、明確な目的を持って勉強する」というのを本格的にやり始めたのは、研究室に入った4年からですかね。学部と修士までの3年間は、それこそ「とりあえずやってみて、試行錯誤をする」という感じで、あれでもないこれでもないという感じでした。学部や修士の頃は、やりたい研究と、自分なりに咀嚼して理解できた勉強が乖離していたのが、やっと今になって勉強して理解した内容を、研究にアウトプットできるようになって俄然おもしろくなってきたという感じです。勉強した内容が実際に役に立つのって、やっぱり年単位でラグがあるから、それを乗り切るためには明確な目的が必要ということですかね。
id:n314 勉強の先に研究があるような書き方にめっちゃ違和感がある。まったく別物だと思ってて、研究はしてるけど勉強はしてないみたいな言い方してた。たぶん勉強に暗記っぽいイメージがある。
勉強の先に研究があるというよりは、研究のために勉強があるという感じですかね。ちなみにうちの先生は、奥さんに勉強してくるわと言って家を出ると仰っていたので、捉え方は人それぞれでしょうね。その先生を見てると、研究といっても興味関心があって勉強して理解したいことをやってるだけで、そのアウトプットのクオリティーが高いので研究になってる的な感じです。
id:augsUK 目的に入らないと勉強できない場合、研究や仕事の自分の中での定義を相当広くとらないと、すぐに時代遅れの技術にしがみつく人になるから気をつけてね。個人版イノベーションのジレンマは本当にサイクルが早いから。
これに関しては、自分も気をつけるようにしています。研究という目的だと、狭く深く勉強できていいのですが、陳腐化してしまうことも考えられるので、そうではなくトレンドなどをただ知っておきたい、少しは理解しておきたいという目的で、広く浅く勉強することもやったりはしています。
id:sukemasa_fujiwara 学生ん時、教授から「本に書いてあることは疑ってかかれ。お前らは著者に一方的に教えを受ける立場ではなく著者と対等の研究者だ」って言われたけど当時は「無茶言うなよ」って思ったな。今ならわかるけど。
教授あるあるですね。本も論文も疑ってかかれ、とはどの先生も仰りますね。高校生までは、本に書いている内容は絶対で、それを覚えるだけという感じでしたが、研究が始まると、それすらも疑ってかかって、とにかく自分の頭で考えろという風に考え方を変えないといけなくなりますね。自分はその方が楽しかったですが、苦手そうな人も結構みますね。
id:bookmarkmen ずいぶんはしゃいでるみたいだけど、3年後にも同じように笑顔でいられるかな?
今回は少年ジャンプ+
相変わらずシーンの切り取り方と繋げ方が無頓着なきらいもあるけれども、今回はアクションも比較的分かりやすい。
やり取りも簡潔かつ明瞭で、例えば「俺はアグニじゃない」のくだりとか。
ここでいう「アグニ」っていうのは偶像として民衆の拠り所になっていた頃の彼のことではあるんだけれども、それを否定することと行動の結果(目的)が繋がっている。
まあ、戦闘シーンのくだり自体は蛇足感が強くて、前回で消化しきってて欲しかったかなあと思わなくもないが。
主人公が自分の置かれた状況と照らし合わせて、デスゲームそのものをメタ的な視点から分析している場面が興味深い。
で、それを踏まえて「どこまでメタ的な視点から読み取ればいいのか」っていうのを、後半の展開で読者に提示しているのも良い。
とある劇中マンガに主人公たちはドン引きするんだけれども、視点を変えればあれは所謂「シリアスな笑い」なわけで。
主人公の「どこに続くんだよ」っていうツッコミはギャグの領域だ。
柱のコメント含めて、この作品をどの程度メタ視点で読み取ればいいかと混乱させている。
あと、「ヒロイン観察漫画」っていう俗称が作中で出てくるのも大概ネタだなあ(なにせジャンプの各WEBコミックサイトは、その系統の作品を大量に世に出している)。
この時点で、良くも悪くも本作の流れや作風を完全にモノをしているという印象。
なにせキャラの設定とか話の流れそのものは、既存の学園コメディモノで有名なのがいくつかあるからね。
その状態で構成まで似ていたら、細部では別の作品だとしてもほぼ同じ作品だという印象を持たれる。
ちょくちょく挟まれる先生の自分語りや、モブたちの独特な実況は良いアクセントになっているけれども、特筆して個性があるのはそこだけだから、その部分にうんざりされたら読み続けるモチベを保つフックがなくなるかもしれない。
感想は書いていないけれども、色んなWEBコミックサイトを巡回しているんだよね。
といっても網羅しているわけじゃなくて、基本は16ちょいのサイトを回って、気が向いたら別のサイトもって具合。
それでも週に100作は読んでいるわけで、そんなに頻繁に見ていると作品を構造的に読んでしまうことが増えてくる。
で今回も、RPGものや異世界ファンタジーものをモチーフにしたコメディで、それはもう割と手垢まみれなんだよなあと改めて認識した。
勇者じゃなく敵側のモンスター役が主人公とか、クズと善良なキャラの掛け合いだとか、そのあたりがもはや紋切り型になってしまう現代は、ある意味で本当恵まれているなあ、と。
仮にやる場合は既存のものより洗練されているか目新しい何かがないと厳しいんだけれども、それが難しいからキャラで勝負するしかないんだろうね。
で、そのキャラはというと、個人的にはあまり刺さらなかったかなあ。
失礼かつ身も蓋もないこと言わせて貰うなら、主役のゾンビか勇者をセクシーな女の子にするか、マスコット調のファンシーキャラとかにしたら一定のファンは獲得できると思うよ(冗談のつもりで言っているけれども、そういうのが効果的であることは否定できないからなあ)。
まあ私は、もうその系統は食傷気味なので読みたいかといえば読みたくないけれども。
なんか我ながらすごく投げやりな感想だ。
今のところバトル部分が盛り上がりに欠けるというか、だまし討ちとか不意打ちとか瞬殺で終わりとかばかりで。
じゃあ、キャラクターたちの掛け合いとかバックボーンのストーリーとかが重点かといえば、掘り下げも甘いまま死ぬから何の感慨もないしで。
今後も、能力の後だしジャンケンとか、不意打ちだまし討ちばっかりで決着がつくようならうんざりするけれども、さすがにそんなことしてくるようなストーリーテラーなわけがないと思いたい。
二転三転して、恐らく十二支以外の第三勢力とか裏に隠された大きな陰謀が露にとか、それ以上の展開はしてくる、と思いたい。
というか作品に深みを持たせるための練り込みが甘いから、そういった展開部分で惹かせるしか期待しようがない。
ただ、まあ、そういう展開を六話の時点で予想&期待している時点で、私の中で本作の評価はかなり低い水準になってしまっているんだなあ、と。
でも、だからといってアニメや漫画が飽きたという結論に飛んじゃうのがよくわかんない
最近の作品がつまんないなら過去の名作良作を漁ればいいだけの話じゃん
場合によってはそれだけで一生退屈しないよ
というか、現に名作漁りに忙しい俺からしたらとても最近の作品にまで気が回らない
面白い作品やそれに影響を与えた作品をたどってくとジャンルだってどんどん広がる一方だし
俺なんか漫画→アニメ→小説、エロゲときて、次は映画に手が伸びるとこだ
おかげでいったいいつになったら今の作品に追いつけるのかさっぱり想像もつかないけど、それでもまったく退屈はしないね
業界のことは知らないけど、個々人からすれば最近の作品しか見たらダメなんて縛りはないんだし、もっと貪欲かつ素直に面白いコンテンツを追いかけてみたらいいだけなんじゃないの
http://www.azx.co.jp/blog/?p=359
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%AD%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF
ソースを見たらわかると思うけど、違法アップロードを一切していません。
その辺も網羅的にお調べになってください。
ネット時代だからこそ君みたいな意識高い系しか喜ばない図書館じゃ駄目だろ。
娯楽小説をタダで読みたいだけの人にも広く図書館はサービスします。
ニーズを無視し一般大衆を見下してご高説垂れてるような図書館なんか誰も行かんわ。
美術館内のカフェや庁舎の展望台や娯楽系イベントへの税支出等も全部否定するの?
http://www.city.takeo.lg.jp/information/2015/11/002624.html
なお図書館法第三条は「十分留意して収集」程度の記述であり、網羅的に収集して未来永劫保存することまでは求められてない。
歴史的学術的価値のある資料はともかく、地元有志が作った誰も読まない同人誌的なものまで何で税金で永久保存せにゃならんのかという意見は当然あるだろうし、そこは各館が判断することだろう。
国会図書館ならまだ後世の文化研究に役立つという理由があるが、物理的スペースに限界のある地域図書館で資料の取捨選択があるのは当たり前のことだからね。
こういう網羅的に釣り針撒くだけの記事を読んで思ったんだけど、
ボイス無しキャラの扱いにモブだの煽ったり無駄にエモい意見書いたり(こういうのanond:20170924015841)するの見るたびに、
「ただのロールプレイでやってんだろ?」
アニメからシンデレラガールズに入ったクチだから声無しがいることにそういうものだ、としか思えないし、
とはいえかれこれ2年付き合って内情が知れたところで不満は特にない。
むしろ声無しって二軍がいることがシンデレラガールズのいいところだと思う。
ASやシアター組に二軍がいないのを知った時に一瞬羨ましい気がしたのが、繰り上がりシステムが無いのは広がりがないなーと。
二軍どころか繰り上がれない真のモブしかいないようなゲームよりかはずっと良いし。
不満があるとすればもう新キャラが追加されないことだ。
多分別の不満多そうだからやらないだろうけれど、でも見てみたいよな、新しいシンデレラ。
アイドルマスターシンデレラガールズで新デザインのキャラ。今度やるブラゲとかじゃなくて。
アイドルマスターsideM、TVアニメ化おめでとうございます。ファスライのチアリングから現場に参加するようになり、セカライLVで発表の瞬間に立ち会ったのがついこの前のようだ。正直アニメ来年の冬だと思ってたよ。それどころか本家の他にもう一つゲームがリリースされるなんてびっくりだ。セカライでのガミPの挨拶を思い出しつつ先行上映会行ってきました。(エントリー投稿は関西圏でのTVでの放送終了を目処にしてます。)
sideMからこのアイマスの世界に触れて、ほかはデレステをゆるゆるやってるくらいのまったりしてる身なので、正直765のアイドルの子たちを殆ど全く知らなかった。(さすがに天海春香の名前は知ってたが)それでも皆が可愛くてかっこよくて、映画始まってすぐに、キラキラした春香さんたちに惹かれた。(数日前にやっていた一挙放送を一部見ていたので、「頑張ります!」って言葉を聞くと卯月ちゃんを思い出して心配で胃がちょっと痛かったし、雨で濡れた窓ガラスが春香さんの涙の代わりとなって流れるあのシーンにだいぶやられた。見事な演出だったが彼女らの事を思うと思わず変な声が出そうだった。当時劇場で見た先輩Pたちの心境は想像を絶する)
こんなに頑張ってる765の子たちの前にライバルとして現れた男性アイドル。そりゃあ、なかなか受け入れてもらえないだろう。当時のことは調べて出て来るページを読むことしか出来ないが、良くは思われないだろうな、とは想像がつく。だけど、Jupiterを諦めないでいてくれた関係者の方、そして先輩Pたちのおかげで今に繋がった。Jupiterがいなければ315プロダクションのアイドル達はきっと日の目を見ないままだっただろう。大好きな担当と出会えたのも、7年前から今へと繋いでくれた人がいるから。だから彼らは特別だ、と、個人的には思っている。
そんな3人の移籍までを描く、ということもあって、「輝きの向こう側へ」に感動し泣きながらエンドロールを眺める傍ら、緊張で喉も乾いていた。しんどい。アイドルしんどい。でもカッコイイ。
そして始まった「Episode of Jupiter」。40分とは思えない密度に制作陣の本気を感じた出来の良さだった。運良く2回先行上映に行けた中で、冬馬と「おとな」たちについて(記憶のある範囲で)書いておきたい。
※以下ネタバレ含む
1)冬馬と北斗
…Jupiterの3人は翔太(14)、冬馬(17)、北斗(20)と3つずつ歳が離れているので、必然的に冬馬は「こども」(翔太)と「おとな」(北斗)の真ん中になる。Jupiterのリーダーとして二人を率いる姿は非常に格好良くて頼もしいが、まだ出来ない事もある。懲りずにやってくるスカウトマン達の対応や事務関係の窓口は北斗が主に請け負っていたが、冬馬の表情はそれを良しとしていないのがありありと伝わってきていた。
業界大手の事務所で結果を出していたJupiterは、恐らく結構な収入があった筈で、インディーズになっても資金の方では困っていなかったのでは、と思っている。何故なら彼らは「お金に困って」活動をしていたのではなく、「自分たちを応援してくれるファンのために」動いていたから。「年齢」がネックになって思うように動けない冬馬は、「3人の中で俺が一番年上だからね」と、なんでもないことのように(そしてスマートに)面倒な仕事を引き受ける北斗に対して、恐らく多少なりとも申し訳無さを感じていただろう。「出来ることならなんでもやるから言ってくれよ」と、やや切羽詰ったような表情と声音の冬馬からは、自分たち3人の誰か一人が重荷を背負う事になるのを絶対に良しとしない、リーダーとしての意地も感じられた。
(ところでこの3って木星の環にかけてるのかな。黒ちゃん結構ロマンチスト…)
…この項目は個人的な推測を多く含むので、過去アイマス2を筆頭にゲームをプレイし、今までの刊行物を網羅している先輩Pからすれば間違っている箇所もあるかと思う。どうぞお手柔らかにお願いしたい。という前書きは置いといて。
アニメの黒井社長はやり過ぎだったけど他媒体ではあそこまでひどくないんだよ、と幾つか話を聞いたのと、コミカライズにて「天ヶ瀬冬馬は頂点に立つ価値がある」と父親を説得したらしいことなどを踏まえての話。先に離反シーンを見てしまっていたのでどうにも悪い人の印象が拭えないが、エムステで冬馬をデスクにした際のセリフや、そもそも3人が961でJupiterとして活躍している時でもあまり天狗になっていなかった辺り(※ドラマCD聞いた)、根っからの極悪人ではないのか?と。媒体によって「悪人」度合いに結構な差があるそうなので一概には言えないが、父親と離れて暮らす冬馬にとっては、「親代わり」とまではいかなくても、「認めてほしい大人」のひとりだったのではないだろうか。だから裏工作の件も、単純に許せなかったのは勿論のこと、「そんな事をしなくても自分たちは実力をつけてきた(し、それを認めてくれ)」という気持ちもあったんじゃないかな、と思う。実際、自分が見つけてきたアイドルの原石を何が何でもトップに、というのは、マネージメントする側としては間違ってるとは思わないので(手段がダメだが)。
ただ、自分の事を見つけてくれた人間と決別しなければいけないというのは、やはり何かしら精神的に傷が残ってもおかしくないんだな。ということで次。
…961を辞めてからJupiterは1年(!)もインディーズ活動をしていた事が物語冒頭で明かされる。ライブに協力してくれたスタッフたちを労うシーンのすぐ後、充実感・達成感をぶち壊すように現れるスカウトマン達の群れ、一方的に告げられる待遇や金銭の話。
正直、劇中でスカウトマン達をあしらうシーンが見ていて一番辛かった。なるべく荒立てないように言葉を選んでいる北斗と、そんな事など気にも留めないまま話を進めてくる人々。「一線」を越えてしまった後、何の合図もなしに現れて無邪気な笑顔のまま拒否を示す翔太、そしてダメ押しで追い返す冬馬。この1年、数え切れないくらいこんな場面があったのだろう。3人でJupiterを守ってきたのだろうなと思わせる、熟れてしまった連携プレイ。…胃が痛い。
冬馬の周りにいる有象無象の「おとな」は綺麗に二分されている。自分たちを食い物にしようとする汚い「おとな」と、協力してくれる「おとな」。Jupiterのリーダーとして、きたない「おとな」には真っ向から対峙する事で対処できるが、個人的には、協力してくれる「おとな」に対しても、どこか申し訳無さはあったように思う。というのも、味方になってくれるスタッフたちが「格安で」仕事を引き受けてくれているのだと翔太との会話で出た時、冬馬の表情はあまり明るくなかった。間違っても「安く済んでラッキー」とは思っていない。
思うに、961時代に良い環境でアイドル活動をしていたのだから、スタッフの質と、もしかすると「見合った賃金」くらいは分かるようになってたのではないだろうか。いい仕事をする人間には相応に対価を支払うべきである、と、学んでいたのではないだろうか。それを「Jupiterのファンだから」との一言で気前良く引き受けてもらっている現状は、金銭よりも「パフォーマンス」と「信頼」が勝っている関係だ。ただ「プロ」である以上、満足はしていなかったと思う。(勿論、翔太と北斗も)
以上の事に加えて、冬馬は一人暮らしである。母親とは死別し、父親は四国に単身赴任中。当然、家に帰っても誰もいない。これは相当キツかったんじゃなかろうか。甘えられる人が傍に居なかったのだから。
…齋藤社長の登場から、3人は一気に表情の幅が増える。絵に描いたような神出鬼没っぷりと、ゲームで知っていた以上にパワフルさ溢れる社長に北斗でさえもたじたじだ。しかし社長は他のスカウトマン達と異なり一切金や待遇の話をしない。それどころかライブ準備を手伝い、3人の仕事現場へも顔を出す。「Jupiter」のネームバリューと生み出すお金に惹かれた有象無象のスカウトマン達とは異なり、きちんと仕事内容を見た上でスカウトを続けた。
(余談。いつもシルエットの社長だけれど、そういえばこのポロシャツどこかで見たな…?と思ったら、本家のスーパーライブ・フェス2015の雑誌で出てた。気づかなかった…)
最初こそ戸惑っていた冬馬も、社長が他とは違うことを感じて真摯に向き合う。「あんたは悪い人じゃない」。それでも冬馬はどこにも所属しないのだと告げる。
単なる意固地ではない。リーダーとしての責任やファンへの思い、これからの活動など沢山の要素が絡み合っている中で、また誰かを「信じる」ことが怖かった筈だ。3人が互いを支え合うことで表面化していなかったけれど、傷ついていなかったはずがない。
社長がそこまで見抜いた上でスカウトを続けていた事に驚いた人、多かったのではなかろうか。そして、その後の315Pにも。
今回のチアリング上映で、何故「輝きの向こう側へ」と同時だったのか。勿論あのシーンがメインだと思うが、この場面でも大いに意味があったと思う。劇マスがアイドル達の「ただいま」から始まり、最後また日本に戻ってきたバネPに対して「おかえり」と出迎える所で終わる。対してライブハウスで活動を続ける冬馬たちは、時間がきたら場を去らなければならない。いくら「いつも使わせてもらってるライブハウス」であっても、そこは拠点にならない。改めて自分たちの現状を確認した上で、帰る場所のない事は重く響いていただろう。
だけど、そこに315Pがやってきた。それも遅い時間、全速力で息を切らして。齋藤社長と315Pだけは、Jupiterをスカウトする上で「誠意」「誠実さ」を忘れなかった。この7年、Jupiterを信じて待ち続けた「こちら側」のプロデューサー達を劇中に投影させるなら、これほどぴったりな性格はないだろう。
Jupiterのために扉をあけたシーンがあったのは、315Pただ1人だ。
…物語の終盤、渋滞に巻き込まれた為315Pの到着が遅くなることを聞かされた冬馬が「しゃーねーな」と言う横で、翔太が彼をからかうシーンがある。
「冬馬くん、ほんとあの人のこと好きだよね」
「! お、お前だって妙に懐いてんじゃねーか」
「うん、あの人いいよね」
素直に好きだと言う翔太に対して、冬馬は指摘された時に顔を真っ赤にしている。けどその前に、Pの姿が見えない、と、3人で事務所内をキョロキョロと見渡す箇所がある。たぶん、この前日譚で3人が自分たち以外を探したのはここが初めてだ。探す相手ができたこと、帰ってくる事務所ができたこと。
信頼できる「おとな」と出会った彼らの物語は、ここからまた始まる。
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961時代、王者でなければ生きている価値がない、と教えられてきた冬馬は、315プロダクションに移り、そしてソロで「HAPPY×HAPPYミーティング」を歌った。「meet」(知らない人と出会う)も「meeting」(会議・集会・大会)も1人では出来ないことだ。「向き合ったみんな」が手にする輝くサイリウムに導かれるまま、冬馬は、Jupiterは、そして315プロダクションは、未来へと進んでいく。