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はてなキーワード: 稚拙とは

2024-05-04

「虎に翼」を面白いと言ってる人って他にはどういう作品がが好きなの?

「虎に翼」を評価してる人って普段どういう作品を楽しんでいるの?

好きなドラマ映画漫画ゲーム演劇、なんでもいいから教えて欲しい。

なんでかって?

「虎に翼が好き」という感覚理解したいからだ。

私は虎に翼が面白いとは全く思えない。

正々堂々とハッキリ言っておくのがフェアだろう。

私が朝ご飯リビングで食べる時間母親が毎朝見いるから一緒に見せられているが、全然面白くない。

出勤日には食堂や休憩室のテレビで同僚と一緒に見ることもあるが、全然面白くない。

なんでこんなのを見せられなきゃいけないんだろうと思ってる。

正直、朝ドラは全部苦痛だ。

まらない。

虎に翼だけは特別面白いとも思えないし、それ以前にやっていた作品と差があるようにも思えない。

そして、虎に翼は正直言って他のドラマよりもある意味レベルが低いと思っている。

扱っている題材が単なる恋愛モノに留まっていない分、出来の悪さがより如実にやすくなっているように感じるからだ。

なんでこんなこんな作品評価されているのかが知りたすぎる。



「じゃあ逆に、虎の翼が好きじゃない人はどんな作品が好きなんだろう」と感じた人もいるだろう。

それに先に応えるのがフェアだろうから回答する。

国産ドラマなら「dele」「民王」「おいしい給食」が最近(もう結構古いな・・・)だと好きだった。

海外ドラマ場合は本当につい最近配信された「フォールアウト」を推したい。

小説だとミヒャエルエンデ、劉慈欣、恒川光太郎村上春樹といったファンタジー系の作家を好んでいる。

映画ならファンタジー作品だと「チャッピー」のようなSF人間は愚か、実話系でも「イミテーション・ゲーム」のようにサスペンス寄りなものが好きだな。

全体として、手間暇をかけて世界観空気感を構築する作品を好んでいるようだ。


さて、じゃあ私は「虎に翼」に対して丁寧な世界観空気感の構築を感じていないということなのではという仮説が立つな。

うん。そうなんだと思う。

「この時代はこんなにも男女不平等だったんですよ~~~~」と視聴者に語りかける時の説明台詞っぽさは本当になんとかならないのかと感じてしまう。

説明することにばかり意識が言っていて、その中に不自然さが溢れているんだよ。

まれから今日まで当たり前のように男女不平等世界に生きてきた人々であるという感覚そもそもないとういか、突然あの時代に転生してしまった現代人が必死にあの時代人間のふりをしているかのような語り口なのはなんとかならないのか。

脚本を作っている人たちの中に、男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちているようにさえ見えてくる。

「男(女)が~~~なのは当たり前でしょ?」という感覚の当たり前感が薄っぺらい。

劇中でそれをわざわざ再度強調する時の

「女~~~~!!!女ごときが~~~~~!女め~~~~!!!

「え?女だから駄目なんですか」

やれやれとんだ差別主義者がいたものだな」

「女ごときが~~~俺が間違っているというのか~~~~~」

法律ではこのようになってますな」

「それは法律が間違っているんです」

「女~~~~まだ言うか~~~~~~!!!!」

みたいな流れも見ていていい加減うんざりするというか、アレを作劇的に意味があるものだとして監督ディレクターOKを出している、というよりも後押しをしてより安っぽい作りにしようと頑張っているんだろうなということに程度の低さを感じて目眩がしてくる。

男女平等啓発のための30分程度の教育ビデオならともかく、30時間も尺があるドラマで「物語を通して薄っすらと見えてくる現代とは違う男女観」を浮かび上がらせることを放棄して、露骨でっち上げた憎まれ役に「女ごときが~~~~」と何度も言わせているのは稚拙と言わざるを得ない。

なぜ、こんなもの評価されているのか、私には本当に不思議でならないんだよなあ。





追記

皆さんの好きな作品

闇金ウシジマくん」「そこをなんとか」「少しだけ生き返る」

ドラマだと「白い巨塔」「PICU」「Nのために」

国産ドラマは「最愛」「vivant」、海外ドラマは「グッドファイト」「トッケビ」、アニメは「PSYCHO-PASS」、本は小説より宇宙物理が好き、映画ネイチャードキュメンタリーが好き。

朝ドラだと「あまちゃん」「ゲゲゲの女房」「エール大河だと「鎌倉殿の13人」「いだてん」「西郷どん」「真田丸」辺りが好き。

北村薫推理小説白石加代子の一人舞台劇「百物語」、柿本人麻呂長歌、スーシェのポアログールドバッハグルダモーツアルトジョージ・セルの「ハーリ・ヤーノシュ」。

漫画課金勢ワイ、この一年で見てるドラマは虎に翼だけ。こんな私が漫画で好きなのは、違国日記、君の心に火がついて、隠密お局、明日カノ、薬屋、町田くんの世界平和の国の島崎へ、繕い裁つ人、銀太郎さん等

同じくカーネーションが飛び抜けてるという感想だが今回のも秀作。光る君へ、鎌倉殿、拾われた男、エルピス、大豆田十和子、カルテット大奥nhk)、MIU404他野木脚本など

クールアニメ「ウィンドブレーカー」「転生貴族、鑑定スキルで成り上がる」見てる。/ 一番好きな漫画は「ワールドトリガー

鎌倉殿野木亜紀子と坂本裕二が好き…。ごめんね、ど定番で。。マンガ萩尾望都吉田秋生小説恩田陸村上春樹が好き

虎に翼みたいに、主人公ペラペラよく喋るドラマは掛け合い漫才みたいでわりと好き。逃げ恥とか、ミステリと言う勿れとか、大豆田とわ子とか。

なるほど、色々あるな。

虎に翼以外の朝ドラも見てる人が多くて、大河も見てる人が多いっぽいがそもそも視聴率が高めだからなんともだな。

大河だと鎌倉殿が人気っぽく見えるし、全体として味付けの濃いキャラがたくさん出てきてガヤガヤしてるタイプが好きって傾向が強そうに思える。

朝ドラ説明台詞は画面を注視せずに分かる作りで仕方ない

朝ドラ」というものそもそも分かってないみたいだね。

アレは映像がついてるけど基本的にはラジオなんだよ。

それも家事をやりながらでも聞けるようなラジオイメージしてる。

なるほど。そもそもの前提として適当に見るような作品として作られているのか。細かい機微表現することを最初から捨てているとああいった大雑把な演技・脚本になるんだなあ。

「男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちている」その常識に疑問を抱き戦った女性達の話なのでああなるのは作劇上必然。当時の常識に従い耐え忍ぶ話が見たいなら別の話をどうぞ

ちょっと話が噛み合ってないかな。前提としている常識の違いを台詞によって表現する際の微妙機微が出せていないという話なんだが。まあこれもそもそもながら見前提の大味演技のせいで削ぎ落とされてしまった部分ということなのかな。だとしても、それを出せない癖にこういった題材を扱うのはなんというか・・・失礼な気がするんだがな。

この人がちむどんどんをどう乗り越えたのかが気になる。

乗り越えられなかった。「ちむどんどんする!ちむどんどんする!」の声を聞きたくなくて別の場所で飯食ってたよその時期。

母親とか職場の人に聞けばいいのに

N=1とか2とかじゃなくて幅広く情報を集めたかったので。

なんとなく色々分かった気がするので増田で聞いて良かったと思う。

2024-05-03

悪意のある善行

SNSとかで趣味で金を稼ごうとしているアカウントをたまに見る。

明らかに稚拙素人目に見ても「やめとけって!向いてないから!絶対上手く行かないから!それより普通に働けって!」って気持ちになる。

ここで気になるのはそういうアカウント背中を押してる人たちだ。

大丈夫ですよ!きっとなんとかなります!」とか「頑張ってください!」とか言ってるけどこれは本心から言ってるのだろうか。

もちろん俺と彼らでは見えるものは違うのだろうし、彼らからすれば努力次第で成功が見えるものであったり、諦めさせることこそが最も残酷なのかもしれない。

けどたまに「一人の人間破滅するのを見たくてそうしてるのでは?」という疑念が湧く。

もし本当にそうであるから、こういう悪意からまれ善行(他に上手い言い方が思いつかない)ってどうするべきなんだろうな。

遠くから見る分にはただのいい人だし、咎めようにも内面勝手に推測して本当に悪意がないのならストローマン論法になりかねないし。

そもそも対岸の火事なんだから関わらないのがいいんだろうか。

anond:20240503085433

全く時代についていけない話の分からん奴だな

リベラルフェミニストがやってる社会変革の方法議論ベースではなくお気持ち表明ベースで、しかもそれがとても強い方法勢力拡大してるんだから

雑な稚拙文章でも数があった方がいいんだよ

たったそれだけで特定属性に反対する立場なんだからそりゃそうなる

お前の場合は「リベラルフェミニストには絶対に俺に言った事は言わない」だろうな

明らかに罵詈雑言浴びせてるだけの時も言わない

そういうのよく理解してるからお前の言う事は聞く価値もない

2024-05-02

ケントゥリア』はバカ漫画であることに気付いた

[4話]ケントゥリア ジャンプ

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371853177785584

ジャンプ+のケントゥリア、期待して読んでいたものの4話まで来てかなり酷いなと感じた。

作者の力量にすら疑問符が付く内容だった。

  

4話あらすじ

辺境勤務?の兵士山小屋生活していた主人公ユリアンくんが

働き口を探す気になり近くの村を紹介してもらう。 

ところが村のリーダーから「お前には信用が無い」「足手まといは村全体の負担になる」と言われて

なんかテストとして石運びをするイベントが始まってしまう。

 

その村は鉄鉱石採掘が主産業らしく

テスト内容は「崩落した穴の土石を一人で運び出してみろ」というもの

そんで主人公内面葛藤とかなんやかんやあるんだけど、

夜中には仕事完了して見守っていた村人達も感嘆、労働者として認められる。 

   

…これもうすべてがおかしいでしょ?

おかしポイントを以下に羅列していく  

  

  

1.「「子供から」を理由能力を疑って働かせない

主人公ユリアン君はミドルティーンって感じの年頃だけど、

こんな原始的産業なら子供は十分に戦力。

どこの世界でも第一次産業では子供に手伝わせるし何ならその為に子供を作る。

ユリアン君よりもっと小さい子にも仕事がある筈なので、

逞しい少年ユリアン君が塩対応される意味が全く分からない。

教養レベル知識や観察力が無いように見える。

   

  

2.労基なんかないのにテストしている

村人が労働能力を疑ってるんなら

「とりあえず小石運びとか雑用からやらせてみて勤まらなければ帰す」でいいわけ

わざわざテストなんか課す理由はどこにもない。テストだってコストがかかる。

現代で試用期間だの面接だのがあるのは労働者権利が守られてるからであって

奴隷上等のこの世界なら一日働かせて「「この役立たず!給金なんかねーぞ帰れ!」でいいか

コストかけてテストしてるのがシュール過ぎる。

 

現代日本では労働者権利が守られてる&労働の高度化のために

ダメな奴を一旦でも雇うとコストが相当高くつく

ダメな奴にやらせられる仕事がないどころか触らせたことで台無しになる可能性がある

みたいなことはあるんだけど、作者はその現代日本の感覚のまま話を考えている。

自分の作った世界の諸条件に合わせて人物の行動を考えるということが出来てない。

   

   

3.紹介者に対して相当失礼

ユリアン少年は村のそば半年生活していて、同居して面倒見てくれてたのは先述の兵士

今回の話もその兵士が村に働き口の世話を依頼している。

 

それでこんなテストしたら完全に兵士喧嘩売ってるだろ。

兵士と村人との関係も詳細は不明だが、こういう話をするぐらいの関係ではある。

その兵士が身元を保証する少年労働に使ってやってくれって言ってるのにこの対応

「村人が兵士に相当険悪な反発心を抱いている」みたいな設定があるならいいけどたぶんないでしょ?

 

「有難いお申し出ですけどこの子ちょっとまだ小さいようで…」と兵士に談判するか、

兵士の顔を立てるために誰でも出来る雑用を与えるかとなるはず。

人間関係社会的な行動についての想像力が相当低い(たぶん実体験が乏しい)。 

     

 

4.村人総出でテストを見守っている

暇すぎるだろ。

なんでよそ者の子供一人のテストに村人があんなに集まってるの?今日はまつりか?

 

しか最初だけとかじゃなくて石を運び始めてもまだいる。

一個目の時も背景にどう見ても数十人単位でいる。

半分まで行った時にもまだ同じ密度でいる。

ユリアンが石を運び終わった夜中にも同じ感じで村人が沢山いる。

   

新入り労働者クオリティに「村の足を引っ張るんじゃないか?」ときついテストしてくるほど生産性に厳しい村の人間

何十人も朝から晩までくだらない石運びテストを興味深く見守っている。

そんなに暇なのもおかしいし、そんなものに関心が続くのもおかしい。

これ本当に何も考えずに絵を描いてないだろうか。

   

   

5.自他境界あいまいなだけだったのでは?それも1話から

主人公ユリアンにとってこの石運びが死んだ仲間やディアナ母への決意表明だったとしても

そんなことは他人には関係ないし伝わってもいないのだから、外から見ればただの石運びなので

ただただ退屈な石運びを見つめ続けられるわけもないし心を打たれるわけもない。

  

なのに描いてる人にはたぶんユリアン視点しかないために

村人の視野とか村人の都合とか村人の思考とかを想像する能力が無く

ユリアン君が頑張ると村人がずっと一緒に見つめ続けて感動するという有り得ない展開になってる。

 

これは精神的発達段階としてはかなり未成熟段階の認知だと思う。

絵が素晴らしく巧みなのでギャップがあるが、描かれてるものだけ見ると相当稚拙なんではないだろうか。

   

全然裏切らずに命を捧げてくる奴隷仲間の時からなんか変な感じが漂っていた

(が、善良ベース世界を描いているのかなと保留されていた)部分が

実はただの幼稚な精神世界産物だったのではないか

  

もちろん、裏切り者が出てくれば成熟した精神世界だとか言ってるのではない。   

そうではなくて各キャラ独立した都合や思考が想定されているか、その上でユリアンに命を託してくれているのか、

と言う話をしている。

      

  

6.これ絵が上手過ぎるのでは

巧みで重厚作画を外して読んでみてほしい。

そうやって眺めるとわりと幼稚なバカ漫画に見える。

   

漫画において幼稚もバカ別に必ずしも致命的欠点ではない。

まりただただた絵と内容が合ってない。

上手い絵で粗い内容を読まされると人間心理としては段々不快感イライラがたまってくるので

このままなら『ケントゥリア』はそのうちアンチ的な感想が増えて叩かれるようになると予想する。

(その前に順位が下がって世間の関心から外れなければ。)

    

今はまだ『ケントゥリア』が期待され持ち上げられている段階なので

こういう予想は不快荒らし逆張りとして攻撃されるが

連中は単に判断が遅いだけである

 

怪獣8号も2話3話で「これは期待外れかも」「普通漫画になってしまった」と書いたら

はてブで盛大に否定され揶揄されたが結果はごらんの通りだ。  

  

 

7.作者は真面目な人

作者は絵に対して真面目で打ち込むタイプに見える。

殆ど作家モブなんて理由をつけて減らしたいと考えてるのに

描かなくていい村人を描いちゃうぐらいには絵に賭けてる。

しかすると実は内容が薄い自覚があって絵だけでもと思ってるのかもしれない、

   

けれども作家としての成長を考えるなら&『ケントゥリア』の成功を考えるなら

絵をもっと内容のレベルに合うぐらい粗っぽくしつつ

内容のレベルもっと上げられるようにコツコツ頑張る

というアプローチが良い気がする。

 

粗い内容は粗い絵の方がいい。

バカ武器パッションである

2024-05-01

anond:20240501114929

増田で語られる仕事についても随分稚拙というか、年齢相応じゃないと思うんだが

2024-04-16

anond:20240416164456

そもそも

全力で意味不明なんですがw

って言ってるけど、意味不明の修飾に全力を副詞的に使うのがまさに意味不明すぎるんだが

どう善意的に解釈してあげてもそもそも意味が通る解釈ができん。日本語稚拙すぎる。

2024-04-12

プリンセスコネクトRのユーザー離れ

プリンセスコネクト6周年のアプデから2ヵ月が過ぎたが、あまりにも稚拙アップデートでやめてしまった。

大きなアップデート内容としては

初心者にも易しく装備収集の大幅緩和

属性が追加される、属性によっての能力アップの実施

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➀はユーザーにとってデメリットなしのアップデート、なお通常装備だけなので特殊な装備は自力で集めないといけないし

ちなみに1から始めるとエンドコンテンツに追いつくまで1年以上はかかりそうなので覚悟の上に覚悟を持って遊んだ方が良い

➁が周年をブチ壊すような大改悪で何がまずいかというと

能力アップのため半強制的に\250/日の追加ジュエル徴収能力アップをサボるPvEコンテンツキャラが使い物にならなくなる可能性がある

新規追加キャラを引いた際にゲームの全キャラ適用されるボーナスがある

250円課金wwwwwwwwwwキャラ未所持でゴチャゴチャ言いやがってwwwwwwwと思った読み手の皆さんも沢山いる事でしょう。

6年経った課金圧が低いゲーム蔓延るちいかわ達に急に強制徴収令を言い渡した気分はどうだい?

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プリコネ能力アップに関しては他ゲームと比べてもかなりデリケート性質を持つものであり

〇〇の能力がX%足りないせいで敵の攻撃を受けた際にHPが足りなくパーティー崩壊する、みたいな事象が頻発するので

今回のアップデートに関しては顔がプリコネと言われ数年間楽しく遊んでいた私としても超絶大改悪だと思っている。

➁の内容ⅰ,ⅱについては所謂他所でもある「お布施」のようなものでしょう

但しⅱの新規追加キャラに至っては例え能力クソ雑魚ナメクジと分かり切っていてもキャラを引かないと現環境対応出来ずコースアウトする可能性があります

このゲーム、新キャラ露骨に弱い性能デザインしている事が多々あったのでそこで課金を控えられないのも改悪ポイント

このアップデートはもう反映されてしまっており

能力アップの差も所持キャラの差もプレイヤー間で顕著に出始めているため

これから攻略動画サイトに書いてある内容を完コピ出来るかお祈りゲーミングが始まっている。

今までのプリコネであれば装備・キャラ限凸システム概念がほぼ皆無に近く、

月次のエンドコンテンツで1~10位辺りのクランにいる人間ですら微課金無課金ユーザーも相当数存在していた。

1位にいるユーザー100位にいるユーザーキャラ能力値についてはまともにゲームプレーしていれば変わらなかったので

情報だけあれば攻略再現可能場合もあったが

前述にも書いたようにステータス面についてはかなりデリケートゲームなので

上位の動きを後々再現して楽しめる人間も減っていく事でしょう。

能力アップについては1年先くらいまでをデザインした内容になっていそうなので

1年後まともなユーザーがどれだけ生き残っているかからとても楽しみです。

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もう辞めたゲームの事だしとやかく言いたくは無いんだけど

課金収益予想表だけ見てKMRか偉い奴が「とりあえず利益出そうだしこれでヨシ!」って適当Goサイン出してしまったと切に願っている。

アップデートの内容までしっかり見て案件通してるんだったらプリコネ真面目にプレーしてた頃の自分だったら絶対に憤慨してるし

只のPay to Winゲームにしてしまった事を深く後悔して欲しい。

2024-04-08

anond:20240408095549

オタクが好きなアニメ

情熱を持つこと

稚拙さを気にしないこと

これをスローガンのように打ち出し、作り手ナルシシズムを礼賛する

勉強していない、特に何もテーマがない人たちが何か訴えられることといえばそれくらいなので

そうしたオタクナルシシズム内面化した甘やかされたオタクから批評目線ダサい、という扱いになる

なので増田くんがそうしたオタクたちにお気持ちを表明すれば悉く、彼らのナルシシズムによって悪者扱いされること必至

まともな文章刊行されてるものに金を払って読みなさい

オタクの長文

最近オタクコンテンツに触れる機会があり、オタク系のフォローフォロワーも何人かできた。

その中には長文で色々発信している(推し語りとか長文感想とかそういうやつ)人もいる。

いくつか読んでみたが読みにくいのが多いなという感想

読みにくい要因は

内向的(謎用語オタク特有表現など外部に読ませることは想定してない、あるいは想定していても補完が足りない)

冗長(同じ内容を何度も繰り返す、同じ表現を何度も繰り返す)

稚拙単語文法の間違い、不適切表現など)

あたりが思い当たる

下手でも上手でも、長文を書いて思いを伝えるとか、その時の自分感情ストレートに書き残すとか、それ自体は素敵だと思う。

それらを他人に読ませる必要はないし、公開されたもの勝手に読んだ他人配慮のある書き方にしなくても問題ないと思う。

ただお金払ってでも読みたいと思えるものにはなかなか出会わない。

ホッテントリに入っている同人誌も長文がウリのようだが、果たしてどんなものなのだろうな、と思ってしまった。

余談だが、それだけ推していたものに対しても意外とあっさり飽きて他の対象推しはじめるパターン結構あり、不思議気持ちで眺めている。

2024-04-05

anond:20240319031351

24.4.5

ある特定トピックについての相談相手という名の鏡(自問自答用の装置)、それが彼女にとっての俺ということなのだろう。それ自体は望むところというか、光栄であり、実際に鏡として機能しかし本当に誰にでもできる機能だ)している時はシンプルに嬉しい。この問題についての不安がなくなれば必要なくなるという未来についても、イコール彼女にとっての幸せなのだうから受け入れられる(と、今は言ってるだけかもしれない。その時は惨めな気持ちになるのかも)。一番悲しいというか情けないのは、俺が俺としての言葉ひとつも吐けないことだ。強く信念のある言葉や、成功体験に基づいた説得力に満ちた言葉彼女の心を適切に刺すピントの合った言葉、そんなものは俺の中にない。そしてそれを自覚するということはイコール俺のこれまでの人生薄っぺらさを再確認することである。そしてまたそこに、自分彼女との差をしっかりと見つめさせられるのだ。俺はやはり彼女に憧れていて、しかしその思いを表現する仕草は、口を開けっ放しでテレビヒーローを眺める幼稚園児のように稚拙かつ受動的で、前向きという言葉インストールされていない俺にとって憧れは自分人生への拍車や鞭になることはない。そりゃせいぜいよく磨いて彼女が最も美しく映る鏡を全うするしかないよなとひとりごちる、その俺を映す鏡はどこにもない

2024-04-01

まもって守護月天!を読み終えた その1


当方40代であるはてなユーザーでは平均ほどか。

数年前に父が亡くなり、半年前に母も亡くなった。ずっと実家暮らしで、会社仕事の合間に農業をやっていたが、そろそろこの家ともお別れである家族が俺一人になったので、土地建物を売りに出して、会社の近くにある空き家ハウスに引っ越すのである

相続が終わってから遺品整理屋とかリサイクル屋とか解体屋さんと話をすることが多くなった。処分すべき財産はあっという間に片付いたが、最後に残ったのが……西暦で言うと2000年頃に亡くなった実弟漫画だった。部屋を共有していたので、本棚には俺と弟の漫画が並んでいた。

その大半は、ブックオフでも1冊10円すらつかないモノだった。メルカリで売るにも手間がかかりそうだ。遺品整理屋も「今のご時世、紙のマンガは売れないんですよ」と引き取りを断った。ほかの価値のなさそうなモノは、タダ同然でも引き取ってもらえたのだが。

何か月か経って、今年の正月を過ぎた頃だった。

実家本棚にあった俺の漫画を何冊か、手に取って読んでみた。うーん、これは……「懐かしい」という感情が僅かにあった。一番好きだった漫画、『天使禁猟区』『スカイハイ』『クロマティ高校』を読んでみたが、いまいちピンとこない。楽しい思い出が蘇ってこない。お楽しみの記憶脳裏から消えてしまったのだ……。

ふとここで、亡き弟の漫画を手に取った。あいつは将来裁判官になりたいと言ってたっけ。『家栽の人』が本棚の目につくところに置いてあった。一番上の段だった。

そして、一番下の段に視線を移すと……ここで一番、ドーン!! と、当時の記憶が蘇った。それは、『まもって守護月天!』だった。弟が一番好きだった漫画

家族食卓を囲んでいる時も、旅行をしてる時の車内でも、何気ない団らんの瞬間でも、とにかく弟は、この漫画の話をしてることが多かった。

弟の死因は、自動車に轢かれた後の外傷から内臓の疾患にかかったことにある。交通事故の原因の半分は弟にあり、当時は自業自得だと冷たいことを思ってたけど、まさか亡くなるとは……。病院でお見舞いをしてる時にも、弟はこの漫画を繰り返し読んでいて、ずっとその話の内容とか喋ってるんだよ。どんだけ好きなんだよって思った。

確か、アニメも観たいって言ってたかな。病室にテレビはあったけど、ビデオ再生できるものがなかった。弟は泣いて悔しがっていた。

さて、当時の俺は高校生であり、ガンガンコミックス漫画を読むことはなかった。守護月天漫画を読んでみたことはあったが、すぐに読むのをやめた。「稚拙だな」と思ったのもあるし、「絵がちょっとな~」という思いもあった。当時の俺は、CLAMPが描くような、Xとか聖伝とか、ああい精緻な絵柄のエログロが好きだった。

とにかく弟は『まもって守護月天!』が好きだった。それを、この本棚を見ていて思い出した。この日は休日であり、時間がたくさんあった。せっかくなので、この日から一週間ほどかけて、全11巻を読んでみることにした。

読んでみた感想を、以下に綴っていこう。感想を交えつつ、各巻に1~2箇所ずつ、印象的だったところを抜き出して引用する。

ネタバレがあるように見えるけど、本当に大事なところは抜き出してない。隠してる。まあ、俺の人生で『まもって守護月天!』を取り上げるのはこれっきりなんだし、少しくらいは許してくれ……。

その前に、これはどういう漫画やねん、と気になった方はWikipediaでググってほしい。あらすじは、概ねこんな感じである

~ブックライブから引用

一人暮らしで寂しさを抱える少年と、ご主人様をあらゆる不幸から守る役目を持つ守護月天美少女とのファンタジーラブストーリー一人暮らし中学2年生・七梨太助(しちり・たすけ)は、中国を旅する父親から支天輪(してんりん)という八角の輪を送られる。


まり主人公の何気ない行動をきっかけとして、小璘(シャオリン)という女神様のようなものがやってくる。お互いに惹かれつつ、ラブコメディが進行していく。その中で、超えないといけない壁がいくつもあって、主人公である太助シャオにふさわしい男になるために奮闘する物語である

では、さっそく始める。



【第1巻】

読み始めは、正直キツかった。絵柄が古いのもあるし、漫画表現が昔風なのもあるし、ラブコメを読んだ経験がない人間には何がどう面白いのかわからない。

まり楽しめないのは、すでに四十を過ぎているからだろう。子どもの頃であれば、まだマシだったのかもしれない。ただ、まあ……コンセプトはいいと思う。すごく。

なんとなくだが、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という映画を思い出した。某グルメ漫画でいうと、「うん こういうのでいいんだよ こういうので」を地で行く。

シャオリンが「この平和時代に、どんなものからご主人様を守るか」を決めたシーン

太助様…」

「…え……」

「もし迷惑でなければ あなたの中にある「孤独」や「寂しさ」から あなたを守ってさしあげたいのですが それではいけませんか?」


シャオ歴代の主を守ってきた手段は、主に暴力である。星神を呼び出して使役し、主人を狙う者を撃退する日々を過ごしてきた。だが、平和現代でそんな行為需要があるはずもなく。シャオは、呼び出されてすぐにお役御免になってしまう。

ならば、主人である太助をどのように守ればいいのか――その答えが上記台詞である。命を狙う敵がいないのであれば、孤独や寂しさから主人を守るのだ。太助には家族が3人いるが、全員家を離れて放浪の旅をしている。ネグレクトに限りなく近いものがあるが、ラブコメの都合というものだ。



【第2巻】

このあたりは、まだだるかった。物語登場人物は揃いつつあるのだが、展開が退屈でなかなか話が進まない。この巻から、慶幸日天の汝昴(ルーアン)という主人公の恋路を邪魔する、まさにお邪魔キャラみたいな人が出てくる。

別に、なんということはない恋愛妨害工作なのだが、この時代ラブコメ高橋留美子の影響がまだ色濃いのだろうか、暴力性が強い。この巻以外にも「死ぬやろ……」というシーンがけっこうある。昔は気にならなかっただろうが、やはり時代というものか。

ルーアンの計略によりシャオ太助の元から離れようか迷っているシーン ※太助が駆けつける

「えーっと 今はうまく言えないけど… 俺はシャオにずっとここにいてほしいんだ ――それだけじゃここにいてもらう理由にならないかな……」

「…いいえ… ………あの 私…… 太助様がここに来てくれるの 待ってたかもしれないです」


ルーアンがそれっぽい発言をして、「シャオ現代には不要ではないか」という意見を伝える(あなたなんて いても邪魔なだけなのよ)。シャオは真に受けてしまって、支天輪に帰ろうとするのだが……すんでのところで太助がやってくる。そして、ふたりきりの状態で上のような会話をする。

この場面は気に入っている。シャオ気持ちも、太助気持ちリアルに描いていたからだ。ストレートさがいい。



【第3巻】

このあたりから恋愛路線に入ってくる。太助シャオ愛情意識する場面が出てくる。

ネタバレは避けるが、シャオには恋愛ができない事情がある。本人ですら認識できない事情が。

以下の山野辺というのは、最初の頃は万引きとかするキャラとして描かれていた。物語が進むにつれて応援キャラになっていく。

シャオ山野辺が一緒に温泉に入っているシーン

「なあ シャオ…」

「…………」

シャオ?」

はい?」

「なんか元気ないけど七梨と何かあったのか?」

翔子さん…………私 病気かもしれないです なんだか…ね 胸が苦しい… 太助様がルーアンさんと一緒にいると とっても胸が苦しくなります さっきなんか どうしてだか自分でもわからないけど そっけない態度とっちゃったし太助様が話しかけてくれたのに 太助様にきっと変に思われちゃった きっと悪い病気にかかっちゃったんです ――でも どうしたらいいのか わからなくて…」 

(へえ…精霊ってのも 人を好きになったりするんだあ…)


うん。女性作者が描いてるラブコメってさ。女性側の心理描写リアルだよな。女の子ってさ、好きな男性の目の前だと萎縮することがあるじゃん意中の人を目の前にすると、体がつい後ろに下がってしまうとか、廊下を走って逃げだす子とかいるよな。

なんかこう、恋愛感情に対して不安になった時の女性心理というか。リアルさが伝わってくる。子ども時代に読んでも全く認識はできなかったろう。



【第4巻】

この巻くらいになると、ストーリーの基本線が定まってくる。何らかの事件イベントが起こって、太助シャオが巻き込まれて、レギュラーキャラがそれぞれの立ち位置で動き回って、なんやかんかで解決して、ふたり(又はほかのキャラ同士)の間柄が深まって……という流れである

基本は、太助シャオ関係性がメインだ。この作品うまいところは、ふたりばかりを推すのではなく、ほかのキャラクター間の友情とか愛情ガッツリ描いてる。

この巻だと、2つの場面が印象に残っている。いずれも、ルーアンふたりの仲を妨害するための工作を試みて、やってしまった結果である

④-1太助高速道路自転車走行中にタイヤバースト、そして前方車両(トラック)と自転車を括っていたロープが取れて転倒した後のシーン

「………え 太助様!? 太助太助様!! 太…助様あ… ……う…」

「あ…あの小璘さん…」

「どうしよう…どうしようどうしよう ルーアンさん! ――太助様が 死んじゃったらどうしよう!!」

「あ…いや まさかそんなあ」

「どうして支天輪を車に乗せちゃったりしたんですか 私……太助様に何かあったら ルーアンさんのこと絶対さない!!」

「…………」

太助様に…太助様に何かあったら… 太助様… 太助様早く帰って来てください」

「小璘…………あんた」

④-2保健室で、シャオがベッドに横たわって寝ているシーン

「なあ…ルーアン

はい!?」

「…俺シャオのこと 好きにならない方がいいのかな…」

「………… あんたあのおじょちゃんになんか言われたでしょ ――じゃあひとつ聞くけどなんでそう思うの?」

「――…」

「小璘が人間じゃないから?」

「…………」

「………俺とシャオって絶対結ばれないのかなって…」

「…ねえ たー様 あたしは たー様のこと好きよ 考えれば悩みなんていくらでも出てくるけど 一番大切なのは自分気持ちでしょ だからあたしはあんたみたいに悩まない 悩んでも変わらない想いなら 悩むだけ損だと思わない?」


気持ち、とでもいうのかな。かの有名な『BLEACH』でいうと、ウルキオラ・シファーの名台詞ひとつである



心か



みたいな感じだ。登場人物の心境がさ、わかるんだよな。喜んでるのもわかるし、苦しんでるのもわかる。そんな中でキャラクターが足掻いている姿が印象に残った。

漫画を読む前に下調べはしなかった。今も一切してない。よって推測になるんだけど、この作者である桜野みねねっていう人は、この時(1998頃?)は大学生かそこらの年齢なんだよな。作者あとがきを読むと、若いんだなというのは伝わってくる。

俺が二十代前半の頃は、地面から出てきたばかりのカブトムシの如き勢いでスポーツをするか、水道工事現場であくせく働くか、盛りのついた獣のように女を口説いて、年間に何人とセックスたか記録を付けるとか……同じ会社女の子と無理やりそういうことをした後でも、最後にベッドの上で「愛してるよ」と言ったら許されるから大丈夫とか、そんなことしか考えてなかった。人間性が動物レベルだった。

でも、この桜野みねねという人は、そんなどす黒い人間の対極を行く感性がある。この作者は凄い……と、いい年になったおっさんは感じた。※私個人と作者の年齢差は、干支0.5周り分ほどと思われる。



【第5巻】

20年以上前漫画なので、さすがに創作でも……というシチュエーションが生じることがある。作品内では、たまに登場人物がみんなで旅行とか海とか温泉に行くのだが、メインキャラがほぼ中学生で、20才以上は大変少ない。無理があるし違和感がある。

しかし、旅行とかでないと表現できないラブコメ的なシチュエーションもあると思うので……そこが創作の難しいところである。いや、文学作品創作とかしたこといからわかんないけどさ。

⑤仲間と海に来ていて、ようやく夜の海岸で二人で話ができたシーン

「なんだかね………私 太助様ととってもお話たかったです 別にお話したいことがあるわけじゃないの… でも… 太助様とお話してるととっても落ち着くから…」

「……シャオ

だってお話してるってことは 一緒にいるってことでしょ? だから…」

(だから… きっとこんなに 安心できるのね)


太助シャオは、何度もこういうシチュエーションになっている。が、恋愛が進む気配はない。事情はあるのだが、あまり絶望的な事情なのだ

あと、文章量の都合で載せなかったが、クラス演劇(かぐや姫)の数話分も大変よかった。ルーアンと、ほぼサブキャラの乎一郎が主体の話なのだが、中学校の学芸会かぐや姫をやることを通じて、「離れていても心は繋がってる」という要素を表現している。

この回は、大人ながらにしみじみときた。気になる人は、是非5巻を読んでほしい(ダイレクトマーケティング決行)。

大まかな流れを言うと、ラストのお別れシーンでかぐや姫役のルーアン台本にないセリフを言う → 月の使者役のシャオがお迎えを中止発言 → 乎一郎がそれを制止 → その後の会話のやりとりで、離れていても心は繋がっていることを示唆~といった具合である

ここまで五千字以上は書いている。一旦切ることにする。



文量の都合で2分割。

次に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20240401122023

2024-03-29

スキップローファーをまとめ読みした感想 ネタバレ注意

持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。

人間だれしも自分特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、

自分自分環境立ち位置理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。

高校生のみつみちゃんは「まだ」自分ちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。

作品内で扱われている「人間関係ポジショニングゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップローファーキャラクター演出をしている。

氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。

作中では、稠密人物内面描写キャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間相互作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。

グループで過ごす時間不協和音スレスレスクールライフコメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的空気を持っているのは作者の技量だと思う。

スキップローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。

田舎と都会、陰キャ陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃん水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。

そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女物語を大きく動かす役割もつ可能性は高いか

このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。

恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来パートナーのために舞台装置出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、

ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。

本当はもっと掘り下げたり、メタ視点から感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクター名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。

需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性ありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。

自分には価値自己肯定感がないから……自分肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。

スキップローファーではそもそも都内進学校に通える学力があって、経済的問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。

志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。

スキップローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺世界とは無縁だよね。という強がりの業か。

アフタヌーン掲載漫画結構心理描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。

漫画を読んだ後、こうやって乱文でも書かないとやっていられない27歳誕生日

スキップローファーをまとめ読みした感想 ネタバレ注意

持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。

人間だれしも自分特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、

自分自分環境立ち位置理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。

高校生のみつみちゃんは「まだ」自分ちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。

作品内で扱われている「人間関係ポジショニングゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップローファーキャラクター演出をしている。

氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。

作中では、稠密人物内面描写キャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間相互作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。

グループで過ごす時間不協和音スレスレスクールライフコメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的空気を持っているのは作者の技量だと思う。

スキップローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。

田舎と都会、陰キャ陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃん水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。

そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女物語を大きく動かす役割もつ可能性は高いか

このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。

恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来パートナーのために舞台装置出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、

ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。

本当はもっと掘り下げたり、メタ視点から感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクター名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。

需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性ありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。

自分には価値自己肯定感がないから……自分肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。

スキップローファーではそもそも都内進学校に通える学力があって、経済的問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。

志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。

スキップローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺世界とは無縁だよね。という強がりの業か。

アフタヌーン掲載漫画結構心理描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。

漫画を読んだ後、こうやって乱文でも書かないとやっていられない27歳誕生日

2024-03-25

人格否定社会において利益を得ることができるから消えないという仮説

Twitterとか見てても、結局相手人格否定、強い言葉が流れてきて、減ることがまったくない。

良くないことですよ、ってことは丹念に言われているだろうに、なにかの論陣を張るにあたって、得てして人格否定皮肉を混じらせようと出てくることが多い。

どれだけ賢い人でも、党派性がどこにあっても、結局人格否定が行われることが多く、それが何らかの論を肯定させるにあたって有益とはならない、ということが前提である一般には言われているはずなのに、止むことがない。

だとすれば、やはり対象人格否定することは何らかを論じるにあたって有益からなのだろうか。

対象論理ではなく人格を蔑んだり否定したりすることによって、周囲の肯定を得ることができたり、味方を増やすことができたりするから、こうした人格否定はやはり有益で、減らすことができないのだろうか。

だとすれば、いちいち人格否定はよくない、ということ自体利益背反で、無駄なことだと言えるように思う。

ただ、得てして何らかの論での賛否を争うにあたって、Twitterなんかではその論が稚拙になりがちな相手の側を、お互いに人格否定し合う、といったような論の賛否とはかけ離れたイメージ戦略的ものに落ち込み、結局のところ論理的というより政治的な争いになっていくように思う。

勝手な印象として、論をお互いにすり合わせ適切な落とし所を見つけることが大事なように思うのだが、得てしてそんな理想論よりは、適切に相手を貶めて政治的勝利を目指すほうがやはり目的達成のため合理的判断されることも宜なるかなと思うので、やはり人格否定有効手段として減少することは期待すべきではないのだろうな、と思う。

2024-03-20

作ってたゲーム面白いのか急に不安になってきた

ストアページのレビュー出すまでは確実にそこそこ面白いと思ってたけど、あれだけ良くできたと思ってたけどアート稚拙微妙に感じる

素人は開発終盤よくこういう状況に陥るって言われてるけど、企業ゲーム出す瞬間まで面白い確信もって出せてんのかな?

2024-03-13

anond:20240313164215

あのレベル稚拙動画時間かけて見る気がしないんだが、

若い人はそんなに文字を読むのが嫌なのか?

だとすると、そらAIで出来が悪くても金になるから動画でいいってなるだろうな。

2024-03-08

何者にもなれない私達が何者かになるために文章を書こう

長くなくていいから、文章を書こう。

私の妻は「自分には消費する趣味しかない。何も生み出していない。」とよく口にする。

子供生んでるんだから十分じゃねぇか?とは思うけど、妻は「子供自分人間になってきた」と言っているし、

何か形のある作品を創り、残していく人に憧れるのだろう。

何も残していない、誰かの役に立っていない気がする、役に立っていない自分でありたくない。

そういう気持ちがあるのかな。(もちろん今のままでもそんなことはないが)

世の中に同じような考えを持つ人はたくさんいるだろうから、そんな人たちに提案がある。

何者かになるために文章を書こう。

文章を書くのはい趣味だ。

自分が考えていることを言語化してまとめることができたり、書いてるうちに「おかしくない?」と立ち止まれたり、

文字を書いたりキーボードを叩くとき自然と集中している。

形が残るのもいい。私は自分の書き物を読み返すのが好きだ。

稚拙文章だったとしても、未熟な考えだったとしても、そのときに生きていた自分に会える気がする。

がんばってた自分を見るのはなんか嬉しい。

何者にならなくとも、誰かの何者かになれる可能性があるのもいい。

今はネットが普及していて、誰が書いてるかわからん文章を誰かわからん人が読んでる。

それがいい。みんなが無理に反応しないからいい。刺さった人は反応してくれるし、どうでも良かった人は放っておいてくれる。

これは何者でもない人の持つ数少ないメリットだ。

感動させたり、感心させたり、新しい知識を与えたり、笑いを与えたりできるかもしれない。

そもそも何者でもない人の経験や覚え書きや挑戦の記録などを集めた集合体が、インターネット構成する重要ファクターだと思っている。

その一部になれるなら、それはとても社会的クリエイティブ趣味だろう。

書く内容はまぁなんでもいい。

例えば「家を買った話」と「家を買わなかった話」はそのどちらも「家を買った人」「家を買わなかった人」それぞれが読む理由がある。

自分の考えの後押しになったり、「こうはなりたくない」と思われるかもしれない。

でもそれでいい。どんな小さなことでも誰かに影響を与えた瞬間に、何者かになれた気がする。

アドバイス感想文、知識妄想、なんでもいい。人間の数はめちゃくちゃ多いからいつか誰かに刺さる。

まぁでもせっかく人に影響を与えるなら、人生を良い方向にしてあげたいから、悪口とかは多すぎないほうがいいかな。

幸い、日本に生まれていれば文章を書く方法をある程度は知っている。

文章は上手くなくていい。自分が読みやすければいい。売れるために書くわけではないから、今の自分過去に残すために書けばいい。

何回か書いてれば上手くなってくるかもしれないし、別に楽しければ上手くならなくてもいい。

幸い、日本に生まれていれば多少読みにくい文章でも読み取ってくれる能力者が人がたくさんいる。

Twitterでもまぁいいけど、実は140文字に考えをまとめるほうが難しいんじゃないかと思う。

どっちにしろ思っていることを正確に文字にして書き出すのは、どんな人でも無理。

下手に要約するより、思いついたことを全部かいちゃったほうが今の自分の考えに近いことが書ける。

要約は読む人に丸投げしちゃおう。世の中広いから、要約するのが趣味の人もいるだろう、多分。

はてな匿名ダイアリーみたいに思うままが自由文章かいて、不特定多数の目に触れさせてもらえるサービスがあるのは素晴らしいことだね。

大体書きたいことは書き終わったけど、私は誰かの何者かになれたかな?

この文章で誰に何も与えられなかったとしても、

私達はもともと必ず誰かの何者かではあるから、「消費するだけ」と言われる趣味だけ楽しんでも十分だけどな。

「楽しければやれば良い」「楽しくないことをなるべく減らそう」で生きていこう、私は。

はてなログインして右上に「日記を書く」ってボタンがあるんすよ。

それポチって押してみて、なんか書いてみたら良いよ。

この文章感想とかアンサーとか。

私がそれを消費します。

2024-03-07

敗北

小説を書くと言って、異世界ファンタジー主人公最強ハーレムものを書いてみたが、今日ついに諦めてしまった。書いてて、全然面白くないなーと思ってやめてしまった。

結構な人数評価してくれてるけど、お前らセンスないよ。ストーリー面白くないのはともかく、文章稚拙すぎて笑っちまう。手元にあった小説ちょっと読んだら、ちゃんとした小説がそこにあってショック受けた。俺が書いてたのは、小説じゃなくて感想文だった。お前らは感想文読んでたんだよ。バカ野郎

2024-03-05

anond:20240305133911

金渡してるなりなんなりしていようが、ロシアやら中東比較的おとなしかったのは事実


それよく聞くが実際どうなんかね?

ロシア

クリミア見殺し

プーチンの流したハンターバイデンの偽情報にひっかかってしま

中東

稚拙イラク撤退決定して大惨事になる

2024-02-17

40代以降女性セックス事情についての疑問

オッサンくさい30代既婚女性(自称)増田セックスパートナー探し投稿がプチバズりしていたが、この年代以降のセックス事情(感情面)についての情報が少ないせいか、割とセンセーショナルだった。

※仮に投稿者がオッサンだったとしてもGJだと思っている

世の40代女性はどうしてるのか純粋に疑問だったので投稿

30代はまだしも、40代以降の女性は如何にしてセックスする相手にありつくのかが疑問。

既婚者は旦那のチンポが使い物にならなくなり、一方でシングル需要が減ってくるという厳しい環境下で、有り余る性欲をどう処理しているの?

そもそも例のオッサン女性特殊で、世の40代女性はそんなにセックスしたくないの?

性欲だけを処理する方法は数あれど、実際にセックスする相手(非プロ)を探すのは困難。

マッチングアプリナンパ待ちも厳しいとなると、本当にどうしてるの?

我々男性陣は40代ときくと、AVに登場するような綺麗でエロい熟女を真っ先に想像するけど、実際はキモくて需要ゼロ女性が半数を占めているのが現実だと思う。その層はもはや諦めているの?

おそらく大半の回答は

別にそんなにセックスしたくない

◆したいけどリスクを負ってまでしたくないので諦めている

なんだろうけど。

セックス難民というと大変失礼な呼び名だが、そこら辺の層のリアルな声に非常に興味がある。

高齢化社会を迎える日本では無視できない問題であるとも思う。

セックス自体自己肯定感を上げる有効手段だが、日本人はあまりにも性に対してのアプローチ稚拙かつ陰湿なので、オープンしづらい環境であることは承知の上。

2024-02-15

本当に男である俺も、胸がデカいキャラが苦手

元増田には「男じゃないだろ」という言及が集まっているが、実際に男である俺も異常に胸がデカキャラが苦手だ。援護射撃ではないけれど、どう苦手なのかを語ろうと思う。そういう男もいるのだ。




まず前提として、俺の場合は正直リアルの人でもオエっとなる。オエっとなるというか、見るとストレスがかかると言った方が正しいか

感覚としては、情報として無視できない重みがあり、居心地の悪さを感じる。




じゃあアニメ漫画だとどうか。これがまたよりオエっとなる。居心地の悪さが半端ではない。

ただこの居心地の悪さは「胸であるから」「胸が大きいから」という単純な話ではないと考えている。

せっかくの匿名なので、実例作品名を挙げて語ろう。




2023年に放映されたアニメで、最もクオリティの高かった作品は何か?

もちろん『お兄ちゃんおしまい!』だろう。この答えに疑問を挟む余地はないと考えている。

中学生女子になってしまった主人公パニックや成長を、素晴らしい作画演出によって余すことな表現していたこの傑作にも、難点があった。胸のデカギャルである

ギャルの胸だけ異様に肉感があり、異様に歪み、異様に光沢があり、異様に陰影がついているのだ。

『お兄ちゃんおしまい!』は色彩もデフォルメも美しい作品だった。だがこのギャルの乳ばかりは受け入れ難い。

技巧に溺れ、揺らすために揺らされた乳に、魂はない。

それは肉の塊であり、人の身体ではない。

肉体の変化によって膀胱の容量に変化を来し、慌ててトイレに駆け込もうとするまひろの肢体のような、繊細な美しさはないのだ。




これは勿論『お兄ちゃんおしまい!』に限った話ではない。

俺が思うに、日本サブカルチャーコンテンツにおいて「お色気」要素として提示される乳・尻表象は、その技術的水準が低い傾向にあるように思う。

他の巧みさに比べて、お色気だけ稚拙と言うべきか。誇張された乳や尻を描く時だけ、不自然な動き、不自然な光沢が発生するのだ。

美しい調和世界を壊さないでほしい。

察しの悪い消費者のために、「これはお色気なんですよ。だからここで興奮してくださいね」と親切心からわかりやすい誇張をしているという事情もあるかもしれない。それはあまり消費者を信頼していないように思う。フェルンの乳は揺れないし光沢もない。けれど、きちんと消費者は乳を盛ったイラストをこさえているじゃないか

(フェルンのデカい乳は俺的にOKです。たまに本編でしょうもない下ネタ対象になってるけど、映像的にはそんなに視線誘導されないし、変な揺れとか変な光沢とかないし。話めちゃくちゃ逸れるけどフリーレンって作風とか受容層の割に、谷間がガッツリできてるキャラ多いよね。アウラとゼーリエの乳が結構デカいことを、人の指摘で初めて気がついたよ)




話が逸れた。

調和に満ちた映像表現の中に、ゴロリと紛れ込む異物。それが俺にとってのアニメ漫画デカい乳だ。美しくない割に、やたらと存在感がある。

誰かのツイートで、お色気表現マヨネーズに喩えているものがあったけれど、これには俺も深く頷ける。

それで喜ぶ奴がいることはわかるが、そこになぜマヨネーズ(乳)をぶち込んだのかしばしば不可解であり、無視するにはくどい。

しかも、そのマヨネーズ(乳)は、しばしば人気があるということに胡座をかいており、品質が低い。




そんな風に思っている男もいるのだ。

本当に男である俺も、胸がデカいキャラが苦手

元増田には「男じゃないだろ」という言及が集まっているが、実際に男である俺も異常に胸がデカキャラが苦手だ。援護射撃ではないけれど、どう苦手なのかを語ろうと思う。そういう男もいるのだ。




まず前提として、俺の場合は正直リアルの人でもオエっとなる。オエっとなるというか、見るとストレスがかかると言った方が正しいか

感覚としては、情報として無視できない重みがあり、居心地の悪さを感じる。




じゃあアニメ漫画だとどうか。これがまたよりオエっとなる。居心地の悪さが半端ではない。

ただこの居心地の悪さは「胸であるから」「胸が大きいから」という単純な話ではないと考えている。

せっかくの匿名なので、実例作品名を挙げて語ろう。




2023年に放映されたアニメで、最もクオリティの高かった作品は何か?

もちろん『お兄ちゃんおしまい!』だろう。この答えに疑問を挟む余地はないと考えている。

中学生女子になってしまった主人公パニックや成長を、素晴らしい作画演出によって余すことな表現していたこの傑作にも、難点があった。胸のデカギャルである

ギャルの胸だけ異様に肉感があり、異様に歪み、異様に光沢があり、異様に陰影がついているのだ。

『お兄ちゃんおしまい!』は色彩もデフォルメも美しい作品だった。だがこのギャルの乳ばかりは受け入れ難い。

技巧に溺れ、揺らすために揺らされた乳に、魂はない。

それは肉の塊であり、人の身体ではない。

肉体の変化によって膀胱の容量に変化を来し、慌ててトイレに駆け込もうとするまひろの肢体のような、繊細な美しさはないのだ。




これは勿論『お兄ちゃんおしまい!』に限った話ではない。

俺が思うに、日本サブカルチャーコンテンツにおいて「お色気」要素として提示される乳・尻表象は、その技術的水準が低い傾向にあるように思う。

他の巧みさに比べて、お色気だけ稚拙と言うべきか。誇張された乳や尻を描く時だけ、不自然な動き、不自然な光沢が発生するのだ。

美しい調和世界を壊さないでほしい。

察しの悪い消費者のために、「これはお色気なんですよ。だからここで興奮してくださいね」と親切心からわかりやすい誇張をしているという事情もあるかもしれない。それはあまり消費者を信頼していないように思う。フェルンの乳は揺れないし光沢もない。けれど、きちんと消費者は乳を盛ったイラストをこさえているじゃないか

(フェルンのデカい乳は俺的にOKです。たまに本編でしょうもない下ネタ対象になってるけど、映像的にはそんなに視線誘導されないし、変な揺れとか変な光沢とかないし。話めちゃくちゃ逸れるけどフリーレンって作風とか受容層の割に、谷間がガッツリできてるキャラ多いよね。アウラとゼーリエの乳が結構デカいことを、人の指摘で初めて気がついたよ)




話が逸れた。

調和に満ちた映像表現の中に、ゴロリと紛れ込む異物。それが俺にとってのアニメ漫画デカい乳だ。美しくない割に、やたらと存在感がある。

誰かのツイートで、お色気表現マヨネーズに喩えているものがあったけれど、これには俺も深く頷ける。

それで喜ぶ奴がいることはわかるが、そこになぜマヨネーズ(乳)をぶち込んだのかしばしば不可解であり、無視するにはくどい。

しかも、そのマヨネーズ(乳)は、しばしば人気があるということに胡座をかいており、品質が低い。




そんな風に思っている男もいるのだ。

2024-02-09

SNS絵描き村の内部圧力が嫌いなんよな

思い出したのは、Skebサービス開始前後に起こった「ダンピングレッテル貼り

簡単に言えば、「極低価格リクエストを受けるのはイラスト相場に対するダンピング行為になるので止めよ。依頼者は十分な額を出せ。」というやつ。

当時のSkebは提示低価格が今より安くできた(うろ覚え500円とか?)から落書き程度のまさしくイベントスケブレベルな受け付けができたのだけど、そのような価格提示ダンピング行為犯罪者であるとして、クリエイタークライアント側双方が攻撃された。

この段階には、作品クオリティ判断の外になっていた。猫も杓子も低価格取引ダンピング犯罪者

これは稚拙作品に合わない額の高価格取引を許した。Skebを知ってる人ならわかるだろうが、商業では到底やっていけないレベル絵描きがアホみたいな価格で受けている。

それで割を喰うのはまともなクライアントだ。それまで個人依頼を受けていた人達全員から、納品物に釣り合わない額の提示がきた。skebじゃないのに。曰くこれぐらい払わないとダンピングかもしれないと「犯罪」という脅しに流されたようだった。

あほらしいので自分同調してない。

skebも続けてるが、反発心でわざと低価格で受けている。たまに安いと怒られるが知ったことじゃない。仕事依頼プラットフォームではないのでね。

書くの疲れたから止めるが、同人誌頒布価格しかり、依頼の礼儀作法しかり、タグ付けの決まりしかり、フォトバッシュは描いてないしかり、絵師村は圧力だらけだ。ただのSNSだぞ。勝手にさせろや。

ちなみに最近AI使用疑いの絵描きフォロー罪がひどい。何が「◯◯さんもアレをフォローしてる、、、騙されてるよ」だ。知っててフォローしてんだよ。

文化庁が最終的に出た物で判断しろって言ってるだろう。

仕事にしてぇならそれがアウトなやつかどうかは自分の目で見て鍛えるんだよ。

まともに技術追わないから、どこまでが機械補助でどこまでが画力の実力かの判断が出来ないんだろ。

数十万フォロワーの有名絵描きのパクりで面白みもない構図のSNS映え絵師(笑)フォローしてるよりは有益だよ。

2024-02-05

anond:20240205185130

この文章はいくつかの問題点があります。主な問題点を以下に挙げます

偏見と決めつけ:

文章は、エコーチェンバー批判的な人々を一方的非難しており、彼らの意見単純化しています。また、エコーチェンバー否定する人々の意見稚拙であるという前提に基づいており、このような決めつけは対話理解を妨げます

エコーチェンバーの影響の過小評価:

エコーチェンバー、つまり自分意見や信念を強化し、異なる視点排除する情報の循環環境は、社会的政治的分断を深めることがありますエコーチェンバーが悪であるという見方は、このような分断を避け、より健全公共対話を促進するための懸念から来ています

コミュニケーションの欠如:

この文章は、エコーチェンバー問題に対する深い理解や、異なる意見を持つ人々との建設的な対話重要性を認識していないようです。異なる視点を持つ人々との対話を促進することは、社会的理解を深め、共通の基盤を見つける上で重要です。

攻撃的なトーン:

文章攻撃的なトーンを用いており、これは他者との対話理解を構築する上で有害です。相手尊重し、開かれた心で対話を試みることが、より生産的な議論につながります

一般化と単純化:

エコーチェンバーに関する複雑な問題単純化し、すべてのエコーチェンバー批判者を一つのグループにまとめています。このような一般化は、問題多様性と複雑さを無視し、有意義議論を妨げます

この文章問題点を指摘する際は、批判的な意見を共有することも重要ですが、対話理解架け橋となるような言葉遣いや態度を心がけることが重要です。

エコーチェンバーが悪みたいに言うけど

自分の考えを受け入れてもらえないから「あいつらはエコーチェンバーだ」とか言ってるんでしょ?

エコーチェンバーが悪なんじゃなくて、お前の稚拙な考えに賛同できないだけだよ。

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