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はてなキーワード: 生活費とは

2023-03-21

anond:20230318103650

こういう言説ってお金問題無視してるよね

自分模試なら早慶は入れるレベルだったけど、東北貧乏家庭で学費生活費も払える訳がないから諦めて地元旧帝大に行ったわ

正社員よりもバイトのほうが理不尽だったなぁ

4月から正社員として働く学生がソワソワしている時期だね

僕も学生という身分が無くなって自分で働かなきゃならない責任感や、もしブラック企業だったらどうしようとか思って今時期は落ち着かなかった。

でも、結局正社員として働いたほうが、学生バイトもしなければならない時期からしたらだいぶ楽だったね。

もちろん人によっては酷いブラック企業に入ってしまったとかあるので一概には言えないが、

正社員としていくつかの企業経験していたんだが

学生時代に何個かバイトしていた時とくらべると、バイトのほうが酷い待遇だったなあと思う。

バイト学業を掛け持ちしなくていい

実家が太ければそういうことないけど、生活費を稼ぐために学校行ってないときバイトしなければならない人もいるし、バイトをしていないとき学業をしなければならない。

この掛け持ち生活はしなくていいのは良かった。

勉強してもお金になるしな!

僕は実家大学から近かったが、家は出てシェアハウスみたいに暮らしていた(実家を出てみたかたから)

あと、親は18超えたら学費以外何もしねぇって方針だったので、運転免許とか教科書代とか定期代とかは自分で頑張らなくちゃならなかった。

ひどい扱いは少ない

バイトは替えがいるからとおもっているのか、大体どこも酷かったぜ。

ファミレス

ここは結局面接でバイト落ちちゃったんだけど、いまだに燃えるような怒りを持っているんだよ。

面接に行ったときに、愛想よく笑顔面接を受けようと心掛けたわけだ。

ファミレスの客席で面接がはじまったんだが、バイトの人一人を同席しての面接らしいんだが、そのバイトの人がすげぇ不愛想で挨拶も返さない感じで

志望動機とか聞かれたから、「今までファストフードとかの経験があり、お客様と接する仕事はとくいなのでー」みたいな話をしたら、店長が遮ってきて「で、正月働ける?」って聞いてきて

僕は「正月実家に帰りますので、ですが冬休みギリギリまで働けますし、GWでも」みたいなことを言っている途中で「いや、正月働けない人はいらないから。はい終わり」って席を立った数分で終わったんだけど

店長が去り際に、「で、あん学生でしょ。ヘラヘラした受け答えでやってけるとおもってんの?そんなんでどこでも働けないからね」って言われて…

今までこの笑顔ファストフードバイトでも結構評判良かったのに、今までの経験をひっくり返されたことと、高圧的に一方的不合格言われたのにそんな最後捨て台詞言いやがって…っていう思いで

その日は家に帰ってマジ泣きした。鬼殺し飲んでマジ泣きした。

別の飲食店

ここはバイト受かったんだけど、ここは本店で合同で研修をやる制度で、そのあと、近隣の店舗見習いとしてホール仕事をした。

で、最終的に近隣の店舗のうちどこかで人が足りないところに配置されるので、そこの店の店長から連絡が来るので待っててって言われて

かれこれ10年以上たつけど未だに連絡がこない。

正直、すごい店長たちが高圧的で、このままやめたいとも思ったので、良いんだけど、

フェードアウトってどうなの

電話しようかと悩んだけど、「お前は使えないからどこでもいらないわ」とか言われたらもう立ち直れないと思ってあえて電話しなかった。

なお、レンタルビデオ店ですぐにバイトが決まったので大学卒業までそこでお世話になることになった。

レンタルビデオ店

レンタルビデオ店環境も人も良かった。売り場設計とかまかされたけど時給と拘束時間を考えれば、普通に今の仕事のほうが楽だわって思う。

ファストフード

高校から大学入ってちょっとまでやってたファストフード

世代いるか学校みたいな感じで楽しいというのがあったが、今思えば酷い。

人が足りないとき、7時から9時まで 12から14時まで 17から19時まで みたいに細切れに長い休憩を挟まれて、長時間労働を実現させられてたよ。

あるとき大学生のバイト母親がガンの手術があるので病院に行くことになったから、シフトに入れないということになったとき。手術終わったら来てっていう社員ね。人の心ないんかって思った。

別の話では、年上のバイトの人たちが、フリーターとして働いているんだけど、昔は別の会社正社員で働いていたと聞いた。

でも、店長が「やめないで…日曜だけでも来て…」っていってズルズルやってたら結局仕事に身が入らなくてフリーターになったっていってて、それが4人くらいいて。こわって思った。

他にも、僕の携帯をこっそりカバンから取り出して盗み見する大学生とかいたり、社員バイト女の子不倫をして閉店後の深夜の店舗SEXしたとか自慢していて、「こいつらやべぇな」って思ってきてやめた。

大体どこもこんな感じだった

友人の塾講師バイトは、給料不払いだった。

別の友人のファミレスは、ファミレス店舗撤退したらバイトは全員解雇だった。

そんなのに比べたら正社員本当に守られているし、なにより常識人のほうが多いか

anond:20230318232010

フェミは「女も社会進出すべし、そう言ってる自分ら偉い」と口先で言ってるだけで

現実に女を働かせる強制力なんか持ってない

現実に働いてる女性の多数がフェミ価値観のためだけに働いてると本気で思ってんの?

女性店員工場労働者圧倒的多数は目先の生活費家計のため働いてんの

あわよくば専業主婦に徹したくてもお金がないから仕方なく働いてる人を無視すんなよ!

そして企業の側が女を求人募集するから女性就労は成立してる

フェミを叩くだけでなくすべての企業女性求人募集を一切やめろと言うべき

そもそも高度経済成長期まで専業主婦にならんかったら

農家個人商店のおかみさんになって嫁も働いてた

近代以前はみんな会社員じゃなくて農家漁民みたいな家業だったんだから

人類歴史じゃ圧倒的にそっちのが多数

専業主婦なんて20世紀の一時期にだけメジャーになった人類史の特例ですよ

2023-03-19

新幹線にたくさん乗れるようになった

実家首都圏郊外だったが、関西大学に進学した。

それほど裕福でもない貧乏でもない家庭で育ち、大学時代は仕送り家賃に充てて生活費バイトで稼ぐという生活を送っていた。

当然、生活はまさに貧乏学生といった具合で、肉は高いので毎日キャベツもやし、たまに自分へのご褒美にスーパーで半額になったコロッケを買うのが幸せだった。

夏休み等の長期休暇等で実家に帰るのは一大イベントで、新幹線なんて高すぎて使えない。

うまいこと閑散期などを狙うと、京都から新宿へ行くバスダイナミックプライシングのおかげで1800円とかであったりする。

窮屈な4列席でドナドナと言わんばかりの感じで東京輸送されていく。

関西から東京へ出てくるのは本当に大変だった。

他の移動手段結構試して、例えば青春18切符

5枚綴りであったが、1回分は2300円とかそんなもんだったかな。

同じく東京から関西へ出てきた友人と一緒に帰省に使い、名古屋で降りて味噌カツを食べたり熱海足湯に浸かったりと旅行気分だった。

これも案外悪くなかった。

貧乏ながら、関西から東京へ移動するのは工夫しがいがあり、自分の中で特別な物だった。

就活の時期になり、最終面接東京本社で行うというのもあって会社から新幹線費用支給してもらったりもして新幹線を使うことがあった。

それまで4列シートの夜行バスで狭い席に窮屈に押し込められてエコノミー症候群上等といったところなので、新幹線自由席では席の広さや民度の良さに感動した。

ただ当時は貧乏学生お小遣い稼ぎのために新幹線を買って領収書をもらったあとに払い戻し、結局夜行バスを使ったりしていた。

今考えると高々1万円程度の差額のために必死で愚かだったなと思う。

そして今、起業してある程度小銭を稼げるようになり、東京関西で2拠点生活を送っていて毎週グリーン車で移動している。

東京関西の家で合わせて毎月50万円近く家賃を払っていて、でも牛丼が好きなので松屋にはよく行ってて、大金持ちになったわけではないけど小金持ちだなと思う。

ふとこの前仕事の都合で新幹線自由席に乗ったとき、すごく狭く感じた。

多分今はもう夜行バスなんて乗れないだろう。

成長とも言えるが、"変わってしまった"という表現の方が適切かもしれない。

今と学生時代とでどっちが幸福なんだろう、と今日グリーン車に乗りながら思った。

還暦大学卒業する人

https://twitter.com/sayaka03150915/status/1637083283879264256

 

この人の事情は知らんけど、こういう話を聞くととても素晴らしいねという思いの反面

「その間の生活費はどうしたのかな。50代でお仕事はどうされたのかな。こういう生活に余裕のある人にも年金って配られるんだよな。若者はただでさえ少ない給料から社会保険料差し引かれてるのに。」

とか考えてしまう。

還暦大学卒業できる環境は誰が作ったんだろう、と。

 

もう一回言うけど

この人の生活事情は何も知らんので、この人のことを言っているのではなく、

こういう事例全体についての感想です。

もちろんご自身が猛烈に働いて作った貯金学業に専念されている方もいるでしょうし、

そうでなくても別に文句はありません。

anond:20230318234723

夫婦離婚して2つに別れたら生活費が2倍になるんだからな!という警鐘意味が含まれている。

2023-03-16

暇人に訴えられた

暇人と言っても例の人では無い。相手こちらも無名だ。

まあ日中からSNSに入り浸っている人間ではあったか暇人なのは確かだろう。

訴えられたのは友人の知人、、、などと言いたいが残念ながら身内なのでほぼ当事者だ。


書き込んだ内容は完全にアウト。相手職業から家族まで中傷し、勝手に外見を想像しては酷い罵倒を浴びせていた。

相手がどうこういう問題では無い。言ってはならないラインを超えていた。

訴えられ、身内は「自分は悪くない!」と最後まで言い張り、何度説得しても和解にも応じず裁判にも出ず、当然相手請求は全部通り満額請求

ひろゆきみたいに慰謝料なんて払わなくても良い!」とか言い張っていたけど、他人事ですからって漫画を読ませたらビビったのか渋々支払ったよ。

強制執行は怖いもんな。ご近所さんの噂にはなりたくないかしょうがない泣き寝入りするって言ってやっと応じた。加害者こちらなんだが……

もっとも金を出したのは全部自分だけどな。貯金ある癖に金無いとかストレスから仕方無いとか駄々こねやがって。ここまで幼稚だとは思わなかった。


結局身内は今でも「私は悪くない!」って態度で逆ギレしてるし心配してない自分DVだの何だの騒いでる。

典型的ネトフェミ仕草うんざりするが子供がネックになっている。

こんなんでも離婚したら親権はあちらだし金だって搾り取られるだろうな、無職だし。

仕事して生活費稼ぐ事が育児実績に認められないんだから差別しか言い様が無い。


身内は相変わらずネットに勤しんでいる。

転生アカウントは把握しているけど相変わらずだ、不特定多数暇人有名人に汚声を投げつけている。

反論されたらこんな酷い事を言われた!酷いと、同類ゴミ共と被害者面しているのも変わりは無い。

何でこんな金食い奇声虫を飼わなければならないんだとうんざりしている。


仕事をしている時はまだまともだったと思うのだが、育児に専念名目勝手仕事を辞めて

暇な時間が増えた暇人になってから、身内はおかしくなっていった。

人間は暇になると鈍するのかな……

2023-03-15

anond:20230315181959

低所得者給付金を出す政策メリットデメリットを教えてください

メリット

貧困の軽減:低所得者に対する給付金は、生活費医療費子育て費用などを賄うための支援となります。このため、貧困層の生活の質を向上させ、社会的な不平等を減らすことができます

消費の促進:給付金支給されると、受給者はそれを消費することが多く、地域経済活性化に繋がります。これにより、経済の成長が促進され、失業率が下がるなどの効果が期待できます

社会的安定の維持:低所得者給付金を出すことで、社会的な不平等を緩和し、社会的な安定を保つことができます。また、低所得者生活水準が向上することで、犯罪率や健康被害などの問題も軽減される可能性があります

デメリット

財政負担給付金を支払うためには、政府予算を確保する必要があります。そのため、財政的な負担が大きくなる可能性があります。また、支給額を増やしすぎると、インフレーションリスクが生じる可能性もあります

受給者の選定問題給付金を受け取るためには、低所得者であることを証明する必要があります。この選定については、不正受給問題や、選定基準に不公正が生じるリスクがあるため、適切な管理体制必要となります

健全市場経済の維持:政府給付金を出しすぎると、市場経済が歪んでしま可能性があります特に政府特定業界企業給付金を出す場合競争の歪曲や、不公正な扱いが生じることがあります

親の幸せ自分幸せ

まあただの介護問題なんだけど、

本音を言えば親のために生活費稼いで居場所を確保してあげて話し相手になってあげて好き勝手やらせてあげてるの

めちゃめちゃ重いんだよね

育ててくれた恩だろといえばその通りなんだけど

ほどほどにしてほしいですよ

anond:20230314172708

自分も新婚の女なんだけど、こういう事を言う人がなぜ「女性婚約指輪を買ってもらえるもの」と思ってるのか不思議で、本当に気持ちがわからない。

古い慣習で、夫に不幸があったり離縁した際に生活費の足しにできるように……みたいな話があったとしても女性もそれなりに稼げるようになった今、お互いに買い与え合うのではなくなぜ一方的に貰いたいの?貢がれたい的なこと?結局、相手のことを尊敬できてない、愛してないからそんなしょうもないこと考えるんだと思う。

2023-03-14

付き合って1年、中卒無職遠距離彼氏が働かない

ツイッターで知り合った気の合う人に会いに、飛行機乗って数日一緒に過ごして、帰り際、前からずっと考えていた告白をついに実行した。すると派遣仕事をしていると言っていた彼氏が「実は今まで一度も働いたことがない」と別の意味告白をしてきた。絶望。数日号泣したが別れを惜しむ涙なのか好きな人20代半ばでホンモノの無職だったという涙なのかわからない。

やたらLINEの返事が早かったり、毎晩数時間LINE通話ができてたり、あまりちゃんとした仕事してないんだなとは思っていたがまさかニートだとは思ってなかった。低収入派遣労働者と就労経験のないニートでは天と地ほどの差がある。見抜けなかった自分も悪かった、人生経験が浅かったからだろうか。わたし都内偏差値だいたい70の某国立大学に通う大学生で、恋愛経験も浅い。身の回りに中卒なんているわけもなく、「好きな人無職」とは考えもしなかった。

その後、「バイト始まるまでもう会わない」とかいろいろ条件をつけて働かせようとしたが、浅はかだった。身の回りニートがいなかったから、こんなにも働かないものとは知らなかった。彼氏は「面接に落ちることが怖い、バイトが怖い」などと言って、やっとバイトを探して1日行ったかと思ったら2日目の前日に心労で倒れたらしい。まだ彼の人柄が好きで付き合いたかったが、らちがあかないので、倒れてからしばらくしてとりあえず通話でまた告白して付き合うことになった。

精神の病を疑い、お金がないとか親に反対されるとか言うのを数ヶ月何時間も説得してやっと精神科に通わせたが、特に診断は出ず。働けない原因がわかって働けるようになれば、、そうでなくても、あわよくば障害者年金とか出たら、、という淡い希望も崩れ去る。彼氏はただの健康ニートだったらしい。終わってる。

しかも、あっけらかんとして「早く働きなさいよー!」「うるせー!」みたいな話ができるニートならよかったのだが、誇り高い陰気なニートで、自分で「無職」「ニート」「働いてない」という言葉をいちいち「こういう状態」とかお茶を濁して言うし、働けという内容のことを遠回しに遠回しに伝えても、話してる間に何も言葉を発さなくなったり過呼吸頭痛?で話を続けられなくなったり、とにかく面倒臭い何かの病気か?とは思うが診断はおりないし治療もできないしどうしようもない。飛行機に乗らないと会えない距離なので一緒に病院にも行けない。自分臨床心理学を学ぼうとした時期もあったが、重圧でわたしまで病んできたので辞めた。

それでも彼氏の親が太くて生活に困っていなければまだいいのだが、彼氏だけの問題でなく家族も終わっているようで、実家暮らし彼氏は両親と兄姉と5人で田舎団地暮らしで60代の母、30代40代の兄姉はみな中卒や小卒(?)無職一家収入源は土方で過保護非常識な頑固オヤジ(指のひび割れアロンアルファで治す)だ。両親ともに歯なし。母と姉はスマホすら持ってない貧困家庭。これ8050問題ってやつだ初めて見た。家族就労者という見習うべきロールモデルが少ない上、過保護な親の影響で行動を制限されることもあり、そのせいもあって高校中退して社会からドロップアウトしたらしい。わたし家族ごとどうにかしようとした時期もあったが、顔も見たことないジジババ一家わたしがどうこうできるわけもないのでそれも諦めた。あと母親ネトゲで知り合った精神障害者不倫してる。

一方でわたしも親は同じ大学同級生の中では裕福ではないし、家賃と(勿論国立大の)学費は親に払ってもらって生活費は奨学金バイトから出しているが、進学のために毎月10万以上貯金している。彼氏と会うための交通費3万はその収入の中からわたしが毎回ほぼ全額出す。食事は割り勘かわたしの奢り。対して彼氏に今までもらったものLINEタンプや入浴剤彼氏貧乏服装や持ち物があまりボロボロなので見かねてブランドものプレゼントしたりして、今は金銭から2ヶ月に1度という頻度でしか会えない。遠距離恋愛無職を掛け算すると大変だ。わたしは進学予定なのでしばらく就職はしない、あと5年もすればわたしも働いてるだろうし、大学での成績もいいし、国内トップレベル高学歴なら多分将来安泰だろうから、数年このまま耐えれば働かない彼氏とも金銭的に困らないで生活はできそうだが、それだけ自分メンタルもつのか、耐える価値があるのかもわからない。しかも、彼氏過保護な親に東京に来ることを否定されて怒鳴られてかなり参っていた。25の息子が家を出るからって怒鳴る親も親で、それでそんなに凹む息子も息子だ。

そんな中卒25歳8年間無職実家暮らし貧困遠距離彼氏だが、それでもわたしは彼のソフト面が好きである。ノリが合うし話も合ってとても優しくて、わたしより遥かに気遣いができてわたしのことが好きで、わたしの家にいる時進んで家事をしてくれて一途で毎日かわいいとか好きとか言ってくれる。わたしが将来ATMになりそうだから媚びてる、という様子ではない。(人の心は読めないのでその可能性を完全に否定することはできない)ただハード面が終わりすぎているので、話している時、「好き」とか言ってる時、ハグしてる時、ずっと「でもこの人中卒ニートだよな」と思うと心がどんより重くなる。なんなら逆に快感になってきた。ちなみに顔はかっこよくなくてガリガリで低身長わたしと付き合うまで童貞

ただ人生でまだ二人目の彼氏だし、多分探せば他にそうして優しくしてくれる彼氏しかも働いてる人は、見つかるのだろう。それでもなかなか諦めがつかず未だに付き合っている。正直、けっこう別れたい。でも気がつけば「好き!」とLINEをしている。わたしも終わってる。「無職彼氏を支える献身的彼女」みたいな幻想に浸って自己満足しているのかもしれない。終わってる。助けて。結論、助けてほしい。1日しかいたことなくてそれすらトラウマになってる、終わってる男を働かせる方法か、あるいは終わってる彼氏への未練を断ち切る方法を知ってる人がいれば教えてください。てかわたしを叱ってください。いや叱らないで慰めてください。年上の無職相手にずっと気を遣って説得して慰めて、金も払って、疲れた。せめてマイル貯めようかな。

(追記)

いろいろご意見アドバイス忠告などありがとうございます。おかげで、多少は頭と心の整理がつきます。将来の展望について色々な可能性を視野に入れつつ、やっぱりとりあえず解決策を模索しながら関係性は継続します。

子供は産みたくないので産む予定や願望はないです。結婚願望もなかったです。でも彼氏出会ってから結婚もアリかもとなってきました(勿論わたしがクッソ働いて極太収入源になって養う前提で)。

ちなみにわたし属性を付け加えると、東大生で、特別性格が悪いということはなくて、また特別デブスというわけでもないと思います。同性異性関わらずリアルにもネットにも友達がいて、身体健康で155cm/40kgです。ありがたいことに同性にも異性にも容姿を褒められることがあります高校までは恋愛に興味がなくて、大学生になって初めて彼氏ができた陰キャオタクです。(初めてできた彼氏は同じ東大生で優秀でタイプだったけど、ポケモンに興奮する性癖を隠さないので引いちゃって別れました。)サークルバイト勉強もそこそこで頑張っていて、都内のボロいけど大学に近いワンルームに住んで毎日自炊して節約するような、タンスの中はSHEINとGRLとGUばかりみたいな、経済的にもごく平凡な大学生だと思います。親には彼氏存在自体隠してます(上記のような事情を言えるわけないので)。彼氏わたし一人暮らしの家で居候するとしたら、親に隠し通さなければいけないのでちょっと苦労しそうです。

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

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漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-03-13

魚拓anond:20230313162641

anond:20230313162641言及エントリを閉じる

■新婚だけど義母ともう距離を置くことにした

お互い30歳、交際2年でトントン拍子に結婚したものの、義実家との付き合い方で悩んでる。というかもう距離置き始めてる。

義実家と言っても夫の父は早くに亡くなっていて、義母にあたる母親しかいない。

夫と義母は長いこと二人暮らしで、お互いを下の名前で呼び合う。特段仲良しって感じでもないし、いつも義母が夫に怒ってる。

元々義母は誰にでも怒りっぽいので、義母が夫を叱り散らかしていても険悪というムードではない。



ひとり親で女性一人暮らし、年も年なので何かと心配もあり夫は月一で実家に帰る。

前は私も一緒に帰って掃除やら色々手伝っていたけど、義母からお礼の一言もなく私の寝具もなくでここ数ヶ月は夫にだけ帰省してもらってる。


なんとなく居心地が悪いというか、義母の怒りのスイッチを押さないように会話するのも、義母が飼い犬にアフレコ付けて話かけてくるのも、犬の手足を掴んでキツネダンス?を踊っているのを見せられるのも何となく疲れてしまった。

特にすごく嫌いな点があるわけじゃないんだけどね。全肯定を求められるって少し疲れるなと思って、日々家事掃除炊事にフルタイム仕事に追われて土日が毎月1ターン潰れることの体力的な難しさもあってかな。


あとはなんとなく、義母が夫にそっくり芸能人ファンで、おっかけしてる姿を見てなんとなく気持ち悪くなっちゃった

義母はいつも夫をデブブスハゲだの外見がダサいだのって言う割に、夫にそっくり芸能人のおっかけしてキャーキャー言ってるを見てると精神的に不均衡な気分になってくる。

私は夫の外見もどタイプで、普通より整ってると思うから目の前でデブブスハゲダサいと言われるのも疲れるし、それを私が否定して「も〜そんなことないですよぉ〜^^」待ちの義母の表情もも疲れた

なんかたまに私が否定すると私まで怒られる謎のパターンあるし。



それを夫に伝えても多分伝わらないし、伝えたところで自分の異性親にこんなこと言うのひどい嫁だなんて思われるのもめんどくさい。

かといって思いっき喧嘩するほどの何かが起きるわけでもない。

母子ふたりしかからないこともあるだろうし、もう夫と義母で好きにやってって感じ。




収入が私の方が断然高いから、生活費も私がほとんど払ってるし、家にいる時間も長いか家事負担9割私なんだけどね。

何か私って第二夫人みたいとか思う時あるけど。金払ってるから第二夫人以下か。

今今は「ごめんちょっと家のことで疲れてるから〜」って義母と会うの避けてるけど、いつまでもつかな。



義母ちょっと世間からズレてるなと思って後から夫に意見しても、「俺はそうは思わなかった」の一点張り

もうふたり世界について意見するのはやめるねって感じで、何かを思うこともやめたくて距離置いちゃった。

大丈夫かな。

https://anond.hatelabo.jp/20230313170250

これ、また直ぐ消す増田だろ。

前回も2回くらいそうだったな。

トラバしようとしても直ぐ消されてるとか、何?って感じ。

それを置いといてだ、

さっさと別れろとしか言いようがない。

何故ならその状態はその姑が死ぬまで続くし、

そういう人間はなかなか死なないのが通例。

俺と縁故関係にある人で、同じような状況で苦しんでいる(苦しんでいた)人達を数人知っている。

元増田の姑の性格の悪さは直る物では無いし、

本人にしたら何が問題なのかも分からないのが問題

近しい人間が、常に自分(姑の事)が中心で動いていないと気が済まない人だから

これはどうにもならない。

姑の親が生きていたとしても、その親でさえどうにもできない。

ガチャに失敗したんだよ。

元増田の夫が母親を捨てて遠くに引っ越そうとでも言ってくれれば良いかもしれないが、

そんなことは有りえないんだろ?

さっさと別れろ、弁護士通して。

anond:20230313170250言及エントリを開く

ごめん、多分そのすぐ消す増田です。そしてなんとなくコメントしてくれるあなたのこともなんとなくわかってる。

いつもありがとう身バレが怖くてすぐ消してしまいました。

これ以上、お義母さんが私たち生活に介入することになったら、私はもう無理だからねとはふんわり伝えてあります

夫も義母に疲れている所があって、でも異性親だし縁を切るには薄情な気がするといった感じで距離を図りかねていて、これ以上私から詰め寄ると義父と同じ自殺ルートに入りそうなのが心配です。

できる限り夫を精神的に追い詰めずに、義母とはふたり距離を置けるよう頑張ってみます

改めて、いつもコメントありがとうございます。助かってます

anond:20230313162641

収入が私の方が断然高いから、生活費も私がほとんど払ってるし、家にいる時間も長いか家事負担9割私なんだけどね。

わかりづらいくそダサ釣りよりは明確でいいけど結局面白くないからやっぱどっちもどっちだったわ

新婚だけど義母ともう距離を置くことにした

お互い30歳、交際2年でトントン拍子に結婚したものの、義実家との付き合い方で悩んでる。というかもう距離置き始めてる。

義実家と言っても夫の父は早くに亡くなっていて、義母にあたる母親しかいない。

夫と義母は長いこと二人暮らしで、お互いを下の名前で呼び合う。特段仲良しって感じでもないし、いつも義母が夫に怒ってる。

元々義母は誰にでも怒りっぽいので、義母が夫を叱り散らかしていても険悪というムードではない。



ひとり親で女性一人暮らし、年も年なので何かと心配もあり夫は月一で実家に帰る。

前は私も一緒に帰って掃除やら色々手伝っていたけど、義母からお礼の一言もなく私の寝具もなくでここ数ヶ月は夫にだけ帰省してもらってる。


なんとなく居心地が悪いというか、義母の怒りのスイッチを押さないように会話するのも、義母が飼い犬にアフレコ付けて話かけてくるのも、犬の手足を掴んでキツネダンス?を踊っているのを見せられるのも何となく疲れてしまった。

特にすごく嫌いな点があるわけじゃないんだけどね。全肯定を求められるって少し疲れるなと思って、日々家事掃除炊事にフルタイム仕事に追われて土日が毎月1ターン潰れることの体力的な難しさもあってかな。


あとはなんとなく、義母が夫にそっくり芸能人ファンで、おっかけしてる姿を見てなんとなく気持ち悪くなっちゃった

義母はいつも夫をデブブスハゲだの外見がダサいだのって言う割に、夫にそっくり芸能人のおっかけしてキャーキャー言ってるを見てると精神的に不均衡な気分になってくる。

私は夫の外見もどタイプで、普通より整ってると思うから目の前でデブブスハゲダサいと言われるのも疲れるし、それを私が否定して「も〜そんなことないですよぉ〜^^」待ちの義母の表情もも疲れた

なんかたまに私が否定すると私まで怒られる謎のパターンあるし。



それを夫に伝えても多分伝わらないし、伝えたところで自分の異性親にこんなこと言うのひどい嫁だなんて思われるのもめんどくさい。

かといって思いっき喧嘩するほどの何かが起きるわけでもない。

母子ふたりしかからないこともあるだろうし、もう夫と義母で好きにやってって感じ。




収入が私の方が断然高いから、生活費も私がほとんど払ってるし、家にいる時間も長いか家事負担9割私なんだけどね。

何か私って第二夫人みたいとか思う時あるけど。金払ってるから第二夫人以下か。

今今は「ごめんちょっと家のことで疲れてるから〜」って義母と会うの避けてるけど、いつまでもつかな。



義母ちょっと世間からズレてるなと思って後から夫に意見しても、「俺はそうは思わなかった」の一点張り

もうふたり世界について意見するのはやめるねって感じで、何かを思うこともやめたくて距離置いちゃった。

大丈夫かな。

子どもがいない人の生活が羨ましい

子供がいるという人が友達にも同僚にも上司にもいない。

私もパートナーも30歳なので、一人ぐらいまわりに子持ちがいてもいい年齢だと思う。 交友関係のある人の年齢は25〜50歳までさまざまだけど、リアルの付き合いもネットの付き合いも含め、本当に一人も子持ちがいない。(ネット場合は子持ちなことを隠してるだけかもしれないけど)

子持ちの友達を作ればいいのかもしれないけど、「いたらいいのにな」の気持ちのために新しい交友関係を築くのは億劫すぎる。そもそもそれに割けるリソースはない。

子供は2歳なので、イヤイヤ期の真っ只中にいる。

仕事前後保育園の送り迎えをするのはかなり疲れる。食事風呂、保湿、歯磨きをしたり、遊び相手になるのも疲れる。だるいな、ゴロゴロしたいなと思いながら相手している。まだ夜泣きがあるから夜ぐっすり眠れなくてイライラもする。外出も全部子供中心になって見たいものも見れないままドッと疲れる。

そしてこれらは全部ギャン泣きと共に行われるので、とにかく社会に謝り続けている。心身共に消耗していて、毎日毎日息切れしながら走っている感覚がある。

もちろん二人目を作る意思なんかあるわけない。一人っ子?と聞かれたりするけど、今までのことをもう一度いちからやるなんて到底無理だと思う。

私もパートナーフルタイム正社員なので、家事育児も半々ぐらいでまかなっている。どちらか一方に皺寄せがいっているということはないと思う。産後クライシスも二人で乗り越えて、家の空気も悪くないと思う。子供は一人だし、二人以上子供がいる家庭に比べたらかなり余力があるのかもしれない。

それでも、私もパートナーも疲れていると思う。土日に交代で休む時間を作ったりしてはみるものの、焼石に水という感じがする。つかのまの休憩で一体なにが癒されるのか?と。どうせ帰れば育児仕事家事が待っている。

子供を産む前の、稼いで、ときどき遊んで、ゆっくり休めるオンオフの効いた自由生活に戻りたいと思ってしまう。

そりゃこんな日常生活破壊されること、誰もやらないよな。自分の周りは誰も産んでないのもその通りだわ、みんな分かって産まなかったのかな。かしこいな。自分はどうしてこんなことしてるんだろって思う瞬間がどうしてもある。子なしでもよかったんじゃないかと。そのほうが適度なエンジンのかけ具合で余裕がある人生で快適だったんじゃないかと。

周りから見たら特に不自由なく幸せに見えるのかもしれない。でも、だからこそ誰にも言えない。もちろん子供のためにも言えない。あなたを産んだせいで自由を失って不幸になったとはとても言えない。そもそもそこまでは思ってないと思う。子供が可愛くて仕方ないときももちろんある。でも子なしでよかったんじゃないか子供がいなかったらこんなに疲れ果ててなかったんじゃないか、まわりのDINKS独身生活ぶりと比べて違いに愕然として、ボロ雑巾みたいになってる自分嫌悪したりしなかったんじゃないかと思ってしまう時がある。

かに励まされたい。

こんなふうになると予測できず子供を作った自分が悪いんだから責任を取らないといけないんだ、と思いながら今日粛々と学費生活費を稼いでいる。育児に馴染めないことに対して、想定が甘かった自分バカだと思えて仕方ない。

大阪子育てしながら生活するのに月間最低でも45万以上かかるらしい

いろいろな統計を見ても、基本的に4人家族の平均生活費は月額30万円前後

これは家賃は除いている(持ち家、賃貸が入り混じっているため)

 

で、今回の45万円換算の家賃は6万円計算

うーん、4人家族ならもうちょっといい家住もうぜ、8万円にしとくか。

でも、食費が11万なんだよな。

全国平均は約8万。

贅沢しすぎじゃなーい?

まぁ、今食費爆上がりだもんな。食費も電気もつれーわ。

 

だとして35万くらいが相場ってことになるわけだが、追加に10万も何に使ってんだ。

月間35万と45万じゃ年間で100万以上変わってくるから、そこ大事だと思うよ。

 

実際、うちは大阪市内じゃないけど100万人都市子供を1人を塾に入れて習い事もさせて

だいたい35万くらいにおさめてる。

45万ねぇ。って感じ。

ちなみに俺も妻もアラフォー世帯収入は60万行かないくらい。

高くはないけど、この辺に住んでる人の中で言えば低くもないって感じ。

45万ねぇ、ほまーに?って感じ。

 

夫婦増田の今の平均生活費ってどんな感じなん?

2023-03-12

anond:20230312152201

まあ俺の会社にも普通に二浪とか留年して入ってきた人いるから生きてく分にはどうにかなるのはわかるんだけどさ。

自分と同い年や年下の人スポーツビジネス芸能界活躍してるの見たり、逆に自分がチマチマ給与生活費計算してる時とか、残業終わった後の電車疲れた顔して電車乗ってるのが窓に映った時に猛烈に死にたくなるのよ。無能な凡人の癖してすごい人に憧れちゃう痛い人間なのは自覚してる。もっと年取ってから自分人生ものすごい後悔するんだろうなぁ

2023-03-10

「となりの億万長者」を読んで

①身の丈に合った住宅や車や普段生活

給与20%以上を複利で積立再投資する。

③更に副業で追加投資

投資資産の実質収益生活費を上回る。

実質的給与副業は全部再投資

2023-03-09

女が働くということ

よくTwitterとかで問題なってるけど、私の意見を述べたい。イエスチラシの裏

私、30歳子無し既婚。営業職で年収500万

同い年の夫がいる。夫は私よりも50万くらい年収

低い。

うそろそろ子供欲しい気もするが、いなくてもいいかなって感じ。

今のところ、生活費折半で、家事も半分に分担している。

子供ができたら、産休は取るが育休の取得やそのあとの時短勤務、専業主婦主夫)化はどちらが担当しても良いと思ってる。

私は、幼い頃に父が亡くなった為、女で一つで育てられた。母は資格持ちだったのでバリバリと働いていた。幸い困窮することも無く、何の不自由もなく大学まで無事に卒業できた。

そんな家庭で育ったので、男に頼らずに生きて行く、自分で稼いで家族を養うという覚悟を持って生きてきた。母が大黒柱になってくれなかったら、私たちは飢えるかもしれないのだ。それは、姉も同じようで、結婚してもバリバリと働いている。

通っていた高校も、女性社会進出を推奨するタイプ女子校だったので、手に職を持ちバリバリと働く人が多い。既婚者の友人の中には夫と同等もしくはそれ以上に稼ぎ、人によっては夫が全面的に家庭をサポートしているケースもある。

職場で思うのだが、新卒一般職に就き、結婚し、専業主婦もしくは時短勤務で働きながら、夫へ主体的家事育児への参画を求める女性はどこで仕事や家庭に対して責任感を持つのだろうか。

同じ正社員でも、一般職総合職では責任の重さがあまりにも違う。同じ仕事をしていると愚痴る人もいるが、ではなぜ職務転換しない?

元々総合職で働いていた人が、結婚を機に家庭重視になり、「私も働きたい」と言うのと、一般職の人が言うのでは全く意味が違うと思う。

大黒柱になるプレッシャー、働き続ける覚悟は重い。それを放棄した上で、家事育児への責任を軽減したがるとは、甘えすぎていないか

そうやって甘えている人と、一緒にされるのは気に食わない。

結婚前にバリバリと働いていた人ほど、家庭に入ると家事育児をキチンとこなせたり、配偶者仕事配慮がある人が多い。

働く大変さを知っているからだと思う。

anond:20230309174949

最低賃金パートで働いてて子供が二人いる主婦なので、収入生活費で全部消えるので…、男でもなく起業する意欲もなくて申し訳無いけど…。

こどおじ「パパが先に亡くなったら生活費を稼ぐために働かなきゃいけないじゃん」

2023-03-07

貧すれば鈍するってマジね

もう二十年も前

薄給なのにキツい仕事がつらくて逃げるようにやめた

やすパンだけを食べて、甘いものがほしいか砂糖をなめて生活してた。

次の仕事が見つかるまで、一日だけの派遣をやった

遠くの倉庫に行ってピッキング作業して帰ってくる

それで数千円

交通費も一部しか支給されない

働いて移動とご飯で消えるくらい少ない

それでも家を追い出されないように手元にある現金を切り崩しながら生活していた。

次の仕事を見つけないといけないし、しかしその時間は生きるために労働力に変えないといけないし、そして働いたとしてもパン砂糖で暮らすしかない。

計算していけば数カ月先に家賃は払えなくなる。なんとしても延命して仕事を見つけないといけない。

有限の時間を生きるために安売りした。

派遣先まで歩いていると自動車が通る。

軽自動車でも数百万する1万円を手に入れるのすら苦しいのに、なぜこんなに乗用車が溢れているんだろう。

なんで僕は買えないんだろう

いや、なんでみんな買えるんだ。車を買う金の一部を僕に回してくれればいいのに

スーパーに行きパン砂糖を買っている横で、たくさんのお菓子や肉を買う人を見ても思うようになった。

そもそもこんなに商品が余っているのになんで僕は買えないんだろう。余れば捨てられるのに…そう思えば万引きすら正義のように思えてきた。

ただリスクがあると思いとどまり万引き勇気が出なかった。

ある時、駅のベンチでカバン忘れ物があった。

僕は早めに家に帰ると電気代がかかるので駅の明るいところで時間を潰していた時だった。さっきいた人が忘れたんだ。酔っ払って一休みでベンチ座って、そして家に帰るために駅から出ようとしていた。

どう見ても財布が入ってそうだ。

数千円でも生活費の足しになる。あいつは余剰のお金を使って酒を飲める身分だ。その分を僕が使っても悪くはない。大丈夫だ。あいつは戻ってこない。僕の持ち物と装って駅を出ればいい…

ずっとそんなことを考えながらちょっと離れたベンチで考えていた。改札から最も遠く、次の電車が来るまで長いので幸い周りに人はいなかった。

でも5分くらい経ってからだろうか、持ち主が戻ってきてカバンを無事回収して帰っていった。

あのとき僕は、惜しかった、もうちょっと早く決断していれば…と思った。

その数ヶ月後仕事は見つけられ、初給与まで一旦金は底をついたが仕事があるということで金も借りれて何とか立ち直せた。

今は、ちゃんとした給与会社に勤めて、あの頃の念願だったスーパーお菓子も買えるし、車も買えた。

あのとき僕は盗めなくて惜しいと思ったけど今思えば異常だったなと思うし、盗めなくてよかった。

あのまま盗んでいたら絶対に発覚して逮捕されて、就職もできずにホームレスになってたんじゃないか、そう思うとゾッとする。

2023-03-05

anond:20230304210333

残業代生活費を賄うという設定がおかしすぎるんだよ?

最低賃金を3000円以上にして、時間労働だけでも十分に生活出来るような賃金体系にすればいいだけの話

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