2024-06-25

アニメ特質は嘘のつき易さである

他の映像ジャンルとの違いは、嘘を貫き通した時に生まれる、表現の強度ではないか

この嘘の強さは、特にビジュアル表現上に発生する。

現実には有り得ない構図、色合い、デザインカメラ位置レイアウトを駆使して、時間空間に対して上手に嘘を付く。

これが決まると、実写には無い映像の美しさが発生する。

 

そもそも「絵」なのである。止まった絵を、連続して繋げることで動き・時間を発生させる。

何もないところに世界を、物語を作り出し、見た人間の心に何らかの動きを生じさせる。

虚構であるからこそ、虚構の中のリアリティを高め、一方で現実(実写)と距離を置く。

現実により過ぎた虚構は、その特性としての強度を失ってしまうから

 

絵的に現実から距離を取るというのは、抽象性を取り込むということだ。

実写が完璧な具象であるなら、アニメは具象と抽象の間を行く。

キャラクター一貫性を保持しながら、時に強くデフォルメされ、動きの間には極めて抽象的な線や面が現れる。

細かく時間を割っていけば、そこには常に絵画の生と死が繰り返されている。

絵が半ば溶け、抽象的な瞬間が現れなければ、アニメはその特質を活かしきれていないのではないかとすら感じられる。(しかしこれは時に「作画崩壊」などと呼ばれる。)

 

アニメは上手に嘘を付く。

劇場版ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』を見ながら、そんなことを思った。

この映画は、とても上手に嘘を付いている瞬間がある。

キャラクターが走る可能性を追求するように、創り手はアニメ表現可能性を信じている。

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