はてなキーワード: 極左とは
http://anond.hatelabo.jp/20170226130630
この主張に異論はないが・・
本田の主張はセンセーショナルだった。熱狂的に受け入れるものもいたし、極論だと反発するものもいた。是か非か、で論争となり、当時の主要な思想家は彼の考えに言及した。ほとんど彼を批判するためだけの本も出た。
こういう紹介の仕方は、同時なにがベタでなにがネタだったのか誤解を招くのでは。
REV 「思想を立ち上げ時代を変えた人(極めて稀)」と、「変わっていく時代を感じて(たまたまかもしれないが)、表現したり、論評したり、上手い名前を作った人」と、区別がつきにくかったりする
kotobukitaisha 今から10年前くらいって、「オタク」というワードは、蔑まれながらも一定の地位が出来つつあって、人に何かを語らせたくなる言葉だった。地方自治体が地域振興に萌えキャラを作る今は、そういう熱はないけど。
t714431169 この人とか非モテ論壇とか、イヤな時代でしたねえ。「純粋さ」「潔癖さ」は持ち上げるもんじゃない。ジャンル違いだけど佐々木俊尚と同じ箱かなー。/ 時代と寝た人として、賞味期限の短さはむしろ勲章では。
本田透は喪男を自称していたが、当時の喪男板とその周辺は今の2chと違って紛争が絶えなかった。独身男性板から分裂し、さらにモテたい男性板、孤独な男性板などに細分化しているのも内紛の結果である。
はァ?…根っからの反フェミだけど本田透は死ぬほど嫌いですが何か?(苛)
あの男の本質は所詮「極左のフェミニスト」に過ぎん。単にそのフェミにすらミサンドリー喰らっていじ
人大杉な時代の喪男板の内紛とはおおまかに言えば「宅間守はネ申」「女ども死ね」「俺を愛さぬ世界は滅びろ」みたいな喪男道覚悟系、はてな風にいうなら非モテロリストと、「二次元があれば幸福」「モテないものはしょうがない」みたいなオタク系とのdisり合いである。テロ派の勢力はまだまだ強く、またテロ派を生み出すような世間のモテ派的空気(「恋愛しなければならない、できない者は人格破綻者。」「努力すればモテるはず」「孤独な者は一生不幸」等)もまだまだ強かった。オタク系の喪男としてはどちらも大変うっとうしかった。テロ派もモテ派も同じような批判(「お前らは世捨て人」、「人間やめてる」、「やせがまんしてるだけだろ」等)をしてくるので、両者はコインの裏表だろうと思っていた。実際テロ派は世間を批判していたがルサンチマンがあるのは世間の価値観にどっぷりつかっていたからなのだ。そうこうしているうちに、本田透のサイト「しろはた」が立ち上がり、オタク系の主張を集めたような本、電波男が出版されたのである。そこで形勢はオタク系に一気に傾いた。これはこれで電波男の売り上げが~とか世間様的評価を利用している感があるのだが。
要するに、本田透が教祖で多くの信者がいたわけではない。喪男板住民にとってポジティブに言えば「本田透はわしらが育てた」のであり、ネガティブに言えば「パクられた」のである。
『電波男』を真に受けたのって、現在アラサーの世代だけだという話をされたが、たしかにそうなりそうな感じはある。『電波男』のあとにきたのは、オタク恋愛マニュアル本ブームだったしなあ
でんぱおとこに、まじになっちゃって、どうするの /「かつて、ネタ・メタ扱いされていたものが後発世代にはマジになる」を地で行くような捉え方だと言いたいが、当時もマジになっちゃってる人は結構いたなぁ。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/835815900590686208
電波男以降、明らかにオタク系が優勢になったので鞍替えや新参もあっただろうと思うが、しろはたと喪板についての私の記憶は上記の通りであり、間に受けるもまじもない。むしろテロ派やモテ派の恋愛原理主義に対する相対化、ネタ化の機能を果たし、且つ喪男における安全な適応作法を提示したのがオタク系であり電波男である。
なので、電波男やら喪男を指してパラノイックなるものを言われても正直困る。脱オタとか言ってた人(id:p_shirokuma)のほうが全然ベタだったのでないか。当時については。
『電波男』を書いた本人は、もはや『電波男』の話などしなくなっているが、ここにきて『電波男』の主張を本気でする人が出てくるのは、昔の人が適当に書いた本を元に宗教が立ち上がったりするようなものなのだろうか
tukanpo-kazuki 若い男性がしれっと自然に何の気負いもなく恋愛から離れていってる現代において、暑苦しく「脱恋愛!」とか「解脱!」とか叫ぶ本田徹は時代遅れになった。生まれるのが早すぎたのかもね。
二次元もいらないという現在にあって電波男をガチで受け止められてもそれはそれで正直困る。ありもしないものについて「脱!」と叫ぶことは逆効果にもなりそうだ(とはいえいまだにベタな恋愛至上主義者もいるにはいるようなので仕方ない気もするが)。
suna_kago 実のところよく知らないけれど、10年前と比べて情報技術などが進歩した現在、彼が唱えたユートピア思想(二次元主義)は当時よりも現実味があるのかもしれない。
反電波男勢の方々は、二次元もいらないという風潮をもって電波男の主張の失効を唱えるかもしれないが、電波男の主張がはるかに追い抜かれた今となっては(なったからこそ)カウンターとしてでも脱~のためでもなくより一層純粋に二次元に没入できる、ベタに電波男的な時代になったとも言えるのではないか。
>今までの日本は学会が底辺の受け皿となってきたから平和だったが、
>それをまとめてきたカリスマを支持する大改革に従わなければ、こぼれ落ちた極左や極右が日本をめちゃくちゃにするからね?
まで読んだ。
来ないと思うなあ
米国にしても欧州(EU)にしてもこの二つが極右や極左の支持の媒介になってる
米国は言うまでもなく世界最大の軍事力と経済力を誇り、しかも近隣諸国との武力衝突のリスクは皆無に等しい
欧州(EU)も経済軍事の両面で強固な同盟国の集合体で、これまた侵略のリスクは極めて低い
外敵の脅威が感じられないから極左の非現実的な理想論がまかり通りやすく、移民の存在感が大きいから極右の排外的な主張が受けやすい
外敵の脅威が比較的身近に感じられるから極左の現実度外視な融和論は見向きもされないし、移民の存在感が薄いから脅威と映らず攻撃の対象になりにくい
日本の選挙において、経済的な格差というのが投票行動に影響を与えているようにあまり見えない。すなわち排外主義、財政大拡張、軍拡、警察拡張、ばらまき万歳な極右、極左政党、候補者があらわれ支持を伸ばすという欧米で起きている現象が起きていない。
維新の会、民主党政権、安倍政権、小池百合子をこういう現象にあてはめようとする論者も多数いるが、はっきりいって彼らの間に政策面での差異はほとんどないし、彼らが社会の分断を利用して支持を伸ばしているなんてことも全然ない。
では日本社会において、経済の発展や変化についていけずに見捨てられていった人々がいなかったかといえばそんなことは当然ない。では彼らはどこへ行ったのか。それは創価学会だ。創価学会は都市部において見捨てられ、コミュニティからはじき出された人々を吸収することで成長してきた。そして創価学会は彼ら見捨てられた人々を公明党を通じて穏健保守勢力に変換してきたといえる。これこそが日本社会が安定している最大の要因だ。
最も創価学会に批判的なジャーナリスト、例えば野田峯雄のような人たちが見積もったところによると、 2010 年代の日本においても創価学会員はおよそ 500 万人も存在しているという。これは日本の国政選挙における有効得票数がだいたい 5000 万とか 6000 万だとかいう数であることを考えると驚異的な数で、日本の政治勢力の 10% 近くを占めている。
創価学会がまとめあげている勢力の 30% が欧米のように過激派に参画し、残り 70% も公明党にまとめられることがないとすれば、トランプ現象のようなことを起こすことはできないまでも、ギリシャにおいて独立ギリシャ人が与党入りしたという現象ぐらいまでは起こせるだろう。
池田大作は創価学会こそが日本の背骨であり、自身は庶民の王者だなどとうそぶいていて、創価学会に批判的な人々からは厳しく批判されているところだが、はっきりいって客観的に見た限りそれは事実だ。創価学会こそが日本社会を底辺から支え安定させてきたし、池田大作は日本におけるもっとも偉大な宗教家であり、聖人の中の聖人だといえる。池田に批判的な人々は池田の思想は仏教とソクラテスから都合のいいところだけとってきたいい加減な思想だというが、それがなんだというのだ。ムハンマドの思想はユダヤ教のいい加減な解釈にすぎない。思想の内容が問題なのではなく、池田大作という偉大な個人こそが問題なのだ。
ここで問題となるのはなにか。それは池田大作自身がその事実を認識していなかったということである。池田は自身のことを宗教、政治ビジネスの天才と認識していても、偉大な宗教家とは思っていなかった。故に彼は大いなる過ちを犯した。彼は創価学会が成功したのは、選挙活動による成功体験を信者にあたえ、そしてそれによって得られる集票力を換金するというシステムがうまく回ってきたからだと認識していた。しかし実際には違う。創価学会員たちはシステムの一員なのではなく、個人の資格において池田大作という偉大なカリスマと繋がりをもつことによって精神的な安寧を得ていた。
池田はこの事実をうまく認識していなかったフシがある。というのも池田は自身の宗教帝国を息子たちに世襲させようと企んでいた。しかし池田は息子たち、すなわち城久や博正を鑑定するにおいて組織のリーダーとしての資質は厳しく鑑定したが、宗教家としての資質を重視していたということは全くない。池田はあくまで創価学会を詐欺的な政治ビジネスだと捉えていた。
もし池田大作が自身を聖者だと正しく認識できていれば、池田大作以後創価学会を正しくシステムとして回していくための方策をとることができただろう。しかしそうではなかったので、創価学会とは平等な個人が池田大作と精神的な繋がりをもっているだけの人間集団であって、組織たりえなかった。そしてその創価学会を放置したまま池田大作は倒れてしまった。
ここで池田博正が冷徹な組織の管理者として創価学会を大改革することができれば、それはそれで道はあっただろう。しかし池田博正は温厚かつ誠実な池田大作信者にすぎず、その大任を果たす意思も能力もなかった。
今はまだよい。惰性によって創価学会は続いている。公明党は穏健保守勢力として機能している。しかしカリスマ、池田大作亡き(亡きといっていいいだろう、生きてるんだろうけど)今、創価学会が機能を停止する日はすぐそこだ。そうなったとき、日本社会の見捨てられた人々を連帯させるものはなにもなくなり、その時はじめて日本社会は本当の極右、極左勢力というものを目にすることになる。
yoko-hirom 香山氏が正しい。ネトウヨには数学でいう集合の概念の認識に異常がある。ゼロサムで無いものをゼロサムと妄想したり,国家と国民を混同する概念の未分化など。低知能と呼ぶべきもので治療不能かもしれないが。
わたしは自身を中道と自認しているけれど、左翼の発言者としてid:yoko-hiromのコメントには唸らされることもあって着目しているのです。ところが、香山リカが正しいというのは全体主義+優生思想の最悪の組み合わせに正しいとお墨付きをする行為ではないですか。やはり左翼思想家はみな極まるとそっちに行くのかと思わざるをえないじゃないですか。
やめましょう。左翼が安倍政権に怒るのはわかる。だが冷静に行こうよ。左翼主義は私は支持しないが、彼らの立場から見ると、急進的革命は失敗することがわかったので、穏やかに変えていくべきだとわかったわけでしょ?ソ連・東欧と中国は失敗したが、西欧の穏やかな社会民主主義は今のところ長続きすることもわかったじゃないか。世界のどこもかしこもアメリカなみのジャイアン主義的資本主義を好むわけではないことももうわかっているじゃないか。あなた方が社会において実践的に議論に参加しなければならない。そうしたほうが日本の将来はよくなると思います。
ブコメのいくつかにもみられるように、左翼・リベラル主義者は断固として香山リカを切り捨てなければならない。
でも集合の概念の認識に異常がある、という考え方、面白いね。わたしからみると極右と極左はどちらもそうであるように見えるけど。ま、これとて、私が中道の立場を取ろうとしているから、そこからみると極右と極左はどちらも距離が最長であるという、そういうことですが。
http://anond.hatelabo.jp/20170109214808 のつづき
前回の記事を書いて、数日はセルクマ+netcraft3さんのブクマだけだったので、うーんはてなでもこういうの受けが悪いのかと思っていたのだけれど、久しぶりに見たら結構伸びていた。どうせ批判コメ(しかも本質に関係ない、放射能アレルギー的なもの)にあふれていると思ったが、意外や意外、肯定意見や建設的な批判が大半で、まだまだ日本のインターネッツも捨てたものではないななどと思ったりした。
その中でも、commonな批判と、その他目についたコメントに対する返信をしたい。
また、以下の返信については、あくまでもコメントに対する返信であって、コメントをした人に対する(人格)攻撃のつもりは一切ない。そう見えたのなら私の文章力の問題だし、そもそもミスリーディングな文章を書いたのが問題だろうと言われたらそれまでである。すいません。
(これだけ書いても多分ある程度の人は攻撃されたと感じてしまうのだと思う。文章力のせいだろうか。ちょっと申し訳ない)
この文章は、あくまでも彼の主張の問題をつくだけのものである。福島が安全かどうかというのは全く別の問題であり、ここではそれに関する議論は一切しない。
これでも噛みつかれそうなので一応書いておくが、別に私自身は特に何かを避けているとかはない。単に面倒だからだ。
と書いたら、id:reijikanさんから『「単に面倒だからだ」ということだけれども、早野さんはその面倒なことをやっている。』というコメントを頂いてなるほど書き方が悪かったなと思った。
単に(面倒くさくてw)一言で面倒と言ってしまった私が悪いのだが、これは後半でも書いているように、「私は私の責任でもって積極的には気にしない」という選択肢を取っているということである。したがって、例えば乳幼児の親が放射能汚染に敏感になっていることを批判することは私には決してできない。そもそも上で挙げた資料には、誤差すら書いてないので原理的に批判はできないのであるが…。
また、早野氏がどれだけ何をしていようと、(これも語弊を招くかもしれないが)私には一切関係ない。また、彼の行っているその「アウトリーチ活動」とやらは科学の世界と一切関係のないものであるというのが先の文章の主張である。
これは一番星を集めていたid:IkaMaruさんやid:njamotaさん、また「牧野さん政治発言繰り返してるじゃん…」とのトラバなど、結構たくさん頂いた指摘である。
結論から言うと、もちろん科学者が政治をするのはまことに結構なことである。有馬氏など、日本の科学行政にも科学者あがりの人は実際に何人かいる。政治発言にしたって、牧野さんが政治発言をtweetするのも結構だし、M川さんが天皇制に反対するのも結構だし、xxさんが毛沢東と会って公安の監視下に置かれたのもどうぞお好きにやってもらえればいいとしか言えない。外国でも例えばロシアのサハロフさんなんかは大変有名である(こう書くと業界が極左ばっかのようだが、まぁそんなことはない) 。
というかそもそもよく考えたら私のこの文章だって見ようによっては部分的には政治的であると言えなくもないかもしれない。
私が問題だと思うのは、「科学的発言の皮をかぶった政治発言」である。そりゃあ(直接面識もないのにこんなに例に出しまくって申し訳ないが)牧野さんが集団的自衛権に反対しているのを見て「あぁなるほど天文学的には日本国は9条を保持すべきなのか」と思う奴はこの世にいないだろう。こんなのは誰がどう見たって個人の思想信条を発言したに過ぎないと思うわけである。翻って見るに早野さんが「躊躇なくイエス」「どこにもない」「自信を持って言える」「間違っている」と繰り返したらどうか。(あぁ、http://bzfd.it/2jkl8zc からコピペしてめまいがしてきた…。)これを見て政治的発言だと思うやつは相当ひねくれているか科学的知識を持っているかのどちらかである。
もっと別の例を出そうか。いわゆるニセ科学、例えばなんとか水やなんとか菌のたぐいであるが、これにはほぼ必ずと言っていいほど「~博士」「~名誉教授」の肩書を持った人のコメントが寄せられている、ような気がする。人は一般に、そのような肩書があれば科学的に中立な発言としてそのコメントを見てしまうということの証左であろう。「水素水で若返りました(65歳男性)」とは発言の重さが違うのだ。
(どうでもいいが、改めて上の記事を読んでみたがこれは本当にとんでもない記事である。『その批判、一部は当たっているんですよね。「あなたたちは、全員を測ったわけではないでしょう」「安全な人だけ選別しているのではないか。きっとどこかで高い人がいる」という点は特に当たっている。その通りだと思いました。』なんてバイアスがあるって言われただけなのにあたかも「とんでもないいちゃもんつけられたのに真摯に対応するワタクシ!」みたいな感じに読めるし(というか下の論文読むまでこの文章が何言ってるかわからなかった)、そもそも「思想を語っているわけじゃない」とまで断言している。早野さんはサイコパスなんじゃないだろうか。正直言って恐怖を覚えた。)
私も、早野さんが(65歳男性)として発言する、あるいは「これはあくまでも政治的発言ですが」と断って発言するならば一切何も言わない。どうぞ好きにやってくれればいい。しかし、「科学者」の肩書を使って「絶対」というような非常に強い政治的発言を繰り返すのは看過できない。科学者として発言するならば科学の言葉を使わなければならない。
以上のような早野さんの言動は、日本のインターネット界にいわば「放射脳叩き」をもたらした。そのせいで、親が我が子を心配するといったような基本的な権利ですら危機に瀕している。少なくとも今私がここに書くくらい、公の場で福島関連を言うことははばかられるようになってしまった。このような恐ろしい事実を鑑みるに、やはり私には早野さんの政治スタンスを認めることはできない。
私が前の記事で言いたかったのはあくまでも「アウトリーチ」としてのあり方なので、論文には言及しなかった。もちろんなにか「動物のふしぎ」だとか「宇宙のふしぎ」みたいな啓蒙書に対して統計5σ要求するのは流石にやりすぎである。しかし、福島のような問題に対しては、アウトリーチですらも科学に立脚した発言でなければならないと私は思っている。なぜなら、目に見えない不安に対抗する術として人類が編み出した方法こそが科学に他ならないからである。まずは、自然に100%はないことから理解しなければ中世から進まない。
ところでid:njamotaさんが挙げてくださった論文 https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjab/89/4/89_PJA8904B-01/_pdf もせっかくだからとさっと見てみたが、どうやらこれはあくまでも生データをそのまま載せた論文であるようで、そこから先の議論はなかった。正直これで論文になるのかというのは私も少し驚いた(おそらく、やはり前回の予想通り、疫学調査では統計を議論できるほど数がないからであろう。別に分野が違うから驚いただけで、ケチをつける意図はない)が、それ以前にそもそもSrに関してはmentionすらされていない。アンダーコントロールな汚染水を垂れ流している以上、チェルノブイリ基準では問題ない、という結論で良いのかどうかはわからない。
(ただやっぱりFig.3, 5, 7にエラーバーがないのは絶対におかしいと思う。早野さんだって東大理物の学生実験でこんなグラフ見せられたら突き返すと思うよ…)
このレベルの調査で絶対安全という結論を導き出すのは、私には不可能である。ググったところこの論文が聖典のように扱われているが、正直一体何がどうなっているんだ…という感じが拭えない。(しつこいが危ないと言っているわけではない。ただわからないと言っているだけである。)もっとも私は疫学など露とも知らないので、まあこれがどこまで確からしいかconcludeすることはできないのだが、少なくともある種の統計分布を仮定して有意性を出す、という(少なくとも私にとっての)conventionalな科学の枠内では捉えられなかった。有識者の意見を聞きたい。
おっしゃる通りだと思うが、私は牧野さんや押川さんほど社会的地位も無ければメンタルも強くないし、早野さんやそのゆかいな仲間たちほど厚顔無恥ではない。
あと日本語の読解間違ってたらすいません。やさしく教えてください。
一般的には悲惨な戦争体験の新しい表現として評判のこの映画だがガチ左翼、とくに朝鮮シンパにはすこぶる評判が悪い
そもそもこうの史代の「夕凪の街 桜の国」が日本人が被害者ぶってる戦争体験だけ美化されてるニダとかなんとかで受けが悪く、
こうのが「この国に生まれながらこの国のことが嫌いな人たちがいるようです」みたいなことを口走ったおかげでド極左に敵視されてたようだ
「この世界の〜」原作では例の太極旗のくだりでこうの自身が批判に落とし前をつけたようだが、今回の映画版ではそのへんをわりとサラッとやってしまったのがいたく朝鮮シンパの気に食わないらしい 片渕須直監督の「あの場面ではすずさんに唐突に国家を背負わせる必要もなかったのでは〜」的な発言も心象が悪いらしい
そもそも呉みたいな軍都に住んでて無垢にひたむきに生活を営み、彼らの産業が植民地の三国人どもを抑圧してることを見ないようにしてるようなほんわかした生活描写が朝鮮シンパ的にはありえないみたいだ
まあそんなこんなで日本人としての加害性を無視した本作も戦後民主主義左翼に言わせれば大政翼賛映画になってしまうようだよ
最近増田でなんか見る気がしない的なネガキャンがさかんに行われてるのもその辺の事情もあるのではないかな
単にインターネット接続料以外はビタ一文コンテンツに金を落とせないというクソネット貧民ニートであるだけという可能性も大きいけど
http://anond.hatelabo.jp/20161114090331
アメリカのしかもアカデミックキャンパスで行われてるPCの息苦しさに比べれば、まるで地球と火星を比べるようなもんだ
アメリカの西海岸なんかの大学のキャンパスなんざ、極左は大学の制度を最大限利用することで圧倒的な力を得てる。
それを使って人々が(彼らの基準で)間違ったことを言ったり考えたりしいれば、自分と異なるイデオロギーを持つものなら尚更、キャンパスの楽園から追放してきた。
そして、ドナルド・トランプがGOP大統領予備選挙で勝つための深刻な脅威になって初めて、連中はキャンパス内外の多くの人々が、政治的正しさに激怒し、 それに対抗して着々と準備してたことに気づいたんだ
俺はアメリカの大学のキャンパスでこの陳腐なポリコレ演劇を見てきた。 PC活動に熱心な学生グループが大した功績もないただのレズビアンやマイノリティを勇気あるものだと過剰にたたえ続けるのを見てきた。
滑稽なあいつらは、それに関心を持たないこと自体が政治的に正しくないなどと思っている
俺は俺の関心のある学問を習得しにきたというのに、LGBTでなければ取るに足らないわいもない人間の講演を聞きに行かないといけないんだ?
聞きに行かないとなんで白い目で見られて、影であいつはPCじゃないなんて言われなくてはいけないのだ
息苦しすぎるぜ
今の世の中って、「バカ」がものを言うことが許されないんだよな。
おれは若い頃極左思想の「バカ」だったから、上の世代や政治に詳しい人間にリアルでボロクソに論破されて「転向」したり「反省」したりして、今でもまあ「バカ」なんだろうけど少しはマシになったかなという自覚はある。
ツイッターを見てると、そんな「バカ」が大人になる切っ掛けを許して貰えない。迂闊に思想信条を述べたら住所氏名を特定されて通っている学校や勤務先までバレて人生詰む、なんてことになるという怖さを感じる。
「バカ」が「大人」になる可能性を秘めた社会。つまり「バカ」に失敗を許す社会。
「バカ」が「大人」になる可能性のない社会。つまり「バカ」は「バカ」のまま殺される社会。
どっちに住みたい?
ただゲームで遊んでるだけなのに何を勘違いしたのか自分達を偉いと思い込んでハナから上から目線で
「客を呼び寄せるありがたい効果のある神アプリを否定するなんて!」
「テクノロジーの意義を分かってないよね」
違うんですー
お前らみたいなバカガキがゲームを理由に実社会に迷惑かけてるから煙たがられてるんですー
狙いの客層と違う人がきてお金落としてくれなくても意味はないんですー
「新しい物を何でも否定する老人達」と一緒くたにして過剰規制バカのレッテル貼るのはやめてくれますかー
政治的なエントリそこまで読まない立場からすると、ポケモンGOエントリのブコメはネトウヨや極左よりはるかに目立ってて狂信者感が漂ってる
相も変わらず、プロブロガーたちの無駄な煽りがインターネッツに溢れている。
プロブロガーたちの主張は「自由気ままに暮らせるブロガー・フリーランスという生き方がある。何故みな、それをやらないのか」に尽きる。
彼らの主張はもう散々聞き飽きた。もう十分だし、その考えとは相容れないから、さっさと視界から消えて欲しい。
こっちに影響を及ぼさない程度に、好きにやっててくれ。
と、思ったところで、ふととある考えが頭を過ぎった。それが表題だ。
全共闘からの左翼の連中は「共産主義だ、階級闘争だ」を掲げて、デモを繰り広げ、ときには暴れていた。
どんどん先鋭化して極左になり、彼らは「労働者が運動に加わらなければ革命は起こせない」と悩みつつ、「革命のためには暴力も辞さない」と過激化していった。
その結果が山岳ベース事件とあさま山荘事件。そして、その後の顛末はご存じの通りだ。
元赤軍派の議長、塩見孝也氏(75歳)という当時は雲の上と思われていたオジサンがいる。
これまでの生活費は援助やカンパで革命運動をやってきたそうだ。が、子育ても何もあったもんじゃない。
~息子との関係性について問われたことに対し
「親に対して幻想は多少あったでしょうね。だけど、実際出所した俺は経済能力も世間の常識もない無能力者なわけで、すぐに幻滅されちゃったわけ。」
「結局は理屈じゃないんだよな、親は。金とか実質で役にたたんと。『マルクス、レーニンだ。階級闘争だ』言っててもしょうがないって話ですよ。
その点、女房はずっと飯食わせて育てて、理屈じゃない訳だから絶対的な権威がある。
俺はそういうこと一切やってない。多分、全共闘時代の左翼の親父どもはみんなそうだよ」
https://twitter.com/rsr80930/status/590587310367969281
左翼のシンパのような方で年齢は察するに50代~60代前後。郵便局で勤めており、集会やデモにもよく参加している。そんな彼はこう綴っている。
「何もないのだ。その人が生きていて死ぬ。周りの人は「そんな人いたな」と思い出すこともある。。そして忘れる。また思い出すこともあるかもしれない。周りの人もそれぞれ生きて、死んでゆく。その繰り返し。何もない。ただその繰り返し。
私もいつ消えるかわからない。熱中症でひっくり返りトンデモ病院に投げ込まれたときは「もうダメか」と思った。それはちょうど二年前の6月だ。それで退職を決断とはならず、引っ越すのがめんどくさい、東京を離れたくないなど諸理由によりずるずると生きている。とにかく死なないように適当に生きる。ホントに働いたら負け。
できれば消えてなくなりたいが、いずれ孤独に無様な姿でクソまみれで死んでいくのだろう。たぶん極貧と他者からの軽蔑のなか、のたうち回りながら「俺は死にたくねぇ」とか泣き叫びながら、それで"game end"。美しい思い出、来世への期待など何もない。そう何もないのだ。」
http://open.mixi.jp/user/7349954/diary/1953348530
左翼として活動していても、いなくても、世の中は無常で儚いものであると思うかもしれない。
「取り上げたサンプル2つで何を言う」という反論もあるだろう。
それにしたってにじみ出てくるものがある。極左たちの老後は惨めすぎやしないか……と思うのだ。
プロブロガーの老後だったりも、正直どっちに転ぼうが、知ったこっちゃないんだけどさ。
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/kaihyou/yb018.htm
増田が書いてる通り、政治に求めるものは「社会保障、年金」と「経済、雇用対策」なんだよね。
今、野党が盛り上がっている憲法改正なんてごく一部の特殊な思想を持つ人しか関心が無い。
本来、自民党への対抗軸として頑張るべき民主党が、共産党や社民党と連携してカルト化しているのは、嘆かわしいとしか言いようが無い。
物価が下がるという事は、過去に稼いでストックを持っている老人有利な世の中となる。
若者は賃金が下がり、ローンの返済は年を経る毎に重くなり、働かないオッサンオバサンが高給を貰う傍らで非正規でこき使われる。
インフレで毎年上がる年収の中から貯めこんだ金で、デフレの世の中を生きるのは超イージーモードだ。
大企業も同じ。デフレで金の価値が上がれば、ストックの多い大企業は新興企業を金の力で潰しやすくなる。
すなわち、日本の多数派である「正社員、老人、既得権益層」に極めて有利な政策を行っているのが自民党だ。
多数派の既得権益層はよく選挙に行く。だから自民党は選挙に勝つのだ。
翻って、野党はどうだろう?
特殊な人しか気にしていない憲法改正阻止を掲げ、経済政策はおざなり。
緊縮財政を訴えて、利益を出している年金運用を叩き、たまに出す法案は実現性皆無のものばかり。
例えば保育士の給与月5万円アップなんてどこから財源持ってくるんだよって話です。(トヨタですらベースアップ含む昇給は2015年11300円、2016年8800円)
本当なら、若者や子供の味方をするべき野党が、特殊な思想を持つ極左しか見ていない。
結果、支持なしが4割、投票率30~40%の国が出来上がる。
増田は一つ勘違いをしていて、自民党は雇用を増やして失業率を下げる政策を行っている。
非正規が増えたと言っても、全体の雇用は増えているし、新卒の採用率は過去最高レベルになっている。
2016卒業の学生は、よほどの高望みをしないかぎりは就職に困らなかったはずだ。(Fランは知らんが)
本来、経済左派がカバーする領域を保守政党である自民党がカバーしている。これは野党の怠慢としか言いようが無い。
今回の参院選は与党が過半数を取って勝利。自民党が単独過半数はほぼ確定、与党+維新などの右派で2/3も狙う。
民進党は議席減確定、共産党は民進党を食い物にして議席を伸ばす。
安倍首相は歴史に名を残したい人なので、議会の安定運営が出来るようになれば、更なる景気対策や経済対策を打ち出すだろう。暴走もありうるかもしれない。
野党は発言権を減らしていく。行き場のない貧困層や過激な若者の受け皿である共産党は伸びるけど。
主張すべきを主張せず、若者を共産党やシールズに追い込んでいる民進党はマジで反省した方がいい。
極左のキチガイ(ヨシフ・スターリンとか旧社民党勢とか)をさっさと切って、まともなリベラル政党として再生して欲しい。
アベ政治を許さないとか言うてる人、お前らの愚かな行いこそがアベ政治を許している最大の原因なんだよ!!!
国民の声(特殊なキチガイ除く)を真摯に聞いて、経済、雇用、社会保障、年金の対策をちゃんとやってくれ!!!!!
こちらからは以上だ。
http://anond.hatelabo.jp/20160703171723
自民党の政策は「比較的」マシなので消去法で選ばれているだけなんだが、野党及び支持者は自民を批判する事は得意でも、自分でまともな政策を打ち出せないだろ。
出来るというのなら、何故民主党政権時にやらなかった?と聞くけどね。
シールズや共産党支持者の言葉を借りれば「自民党が政権を取っても憲法は変わりません(国民投票で否決されるので)が、民進党&共産党が政権を取れば暗黒の民主党政権時に逆戻りです」だよ。
そうでないと主張したいのなら、まずは野党としてまともな政策を出してこいと。お前ら反対しかしてないじゃないかと。
フェミニストと言っても、色んなタイプのフェミがいて、それぞれ言っていることが違ったりします。そんなタイプがあるんでしょうか?
1) 極フェミ
強烈に偏ったフェミニスト(女尊男卑)であり、何に関しても女性が優遇されていないと気がすまないタイプです。
男性に対して嫌悪感にも似た感情を持っていて、その一方で自立する気の無い女性に対しても批判的です。
学歴エリートの社会学者、マスコミ関係の独身女性、バツイチ女性がほとんどで、戦後の男女平等教育を受け、男女雇用機会均等法、高度経済成長の波に乗っかってきた人たちです。
時代がイケイケであり、女性解放先駆者だというプライドにあふれています。
一方、バブル以降に就職をしている女性は就業機会に苦しんできているので、このタイプはほとんどいません。
早慶文系出身でも専業主婦、一般職に就くのが珍しくなく、同年代の男性がもがき苦しんで仕事をしている様子を見ているので、自分もそれをしたいと思わないからでしょう。
極フェミにとって、バブル世代以下の女性の考え方にイラついて仕方ないように見受けられます。
今の若者には信じられないでしょうが、団塊、ポスト団塊世代にとって左翼こそがファッションだったんです。
マルクスだ、レーニンだ、と小難しい子と言うのが格好良く、女の子にもてるし、闘争のリーダーともなればセックスしまくれたのですw
今で言うところのバンド活動みたいなものであり、ちょっとした有名人になれば、ファンの女の子を食いまくれたみたいです。
そのため、「インテリたるもの多かれ少なかれ左翼思想を持っているべきだ!」っとバブル以前の世代は刷り込まれており、その延長で、「フェミニストは進歩的でかっこいい!」っという根拠も無い思い込みをしている人もいます。
これは女性に限らず、男性でもこの手のタイプはいて、1)の極フェミに媚びるような思想を持って、「進歩的な俺ってかっこいい!」っという自己陶酔に浸っている人も珍しくないです。
この手の人は在日朝鮮人問題、部落問題などの人権問題とセットにして取り組んでいたりします。
3) ダブスタ
時と場合によって基準を変えて、自分の都合のいいように解釈することを指しています。
例を挙げると、クソスペックしかもたない女性がそこそこのスペックを持つ男性をバカにするってのはダブルスタンダードです。
バブル期以降の女性はキャリア志向はあまりなく、夫に生活基盤を整えてもらい、自分は華やかで、やりがいのある仕事をして、嫌になれば辞めてもいいっていう気楽な立場を望みます。
この手の女性にとって、仕事は生活のためにするのでなく、自分の遣り甲斐のためにするので、苦しいことはしたくないのです。
マスコミ、アナリスト、マーケティング、専門職w、というように名前がかっこいいものを望んで、
あれも違う、これも違う、と畑違いの業種、職種を点々とするカススペック女性の言うことは日本は女性差別をするっと吼える一方で、
男たるもの家庭を支えるのは当然!っと平気で言えるのです。
こういった人たちはフェミですらなく、単なる超自分勝手な最低人間であり、
女性の嫌らしい部分が前面に出てしまっているゴミクズどもです。
他人に要求するなら、まずは自分がやるのが当然って言う、男女問わず当たり前のことが守れないのです。
■ まとめ
1)は時代錯誤なんだと思います。高度成長期、男女雇用機会均等法の産物であり、無駄に気負って生きてきたけど、後ろには誰も付いてこなかったっていうのが現実です。学園闘争の闘士たちも同じことで、本当は間違いがわかっていけど、今までの自分の人生を否定したくないから、目を背けている哀れな老人と言っていいでしょう。
2)はほとんど存在しません。最大の原動力であるセックスが出来なくなったので、若い男性が左翼思想に傾かないからです。
フェミがどうだって言っている男より、バンドで自分でも意味わからない英語でも叫んでいるバンドマンとセックスしたい時代なんです。
3)は人間のくずだと思います。この手の女性は親になると、自分を棚に上げて、異常に高い要求したり、自分の人生のリベンジを強要します。
また、夫に感謝することも無く、歪んだ女尊男卑思考で子供に夫の悪口を吹き込んで家庭崩壊させることもあります。
ダブスタ型が女の中では最低ではなかろうかと思います。従来のフェミ(団塊とそのポスト餓鬼)にもダブスタは勿論います。
フェミの下っ端は兎も角、洗脳する側の上層部はどうしても女尊男卑をしたいので、確信犯です。
確信犯であれば、理論的に反論して相手の矛盾を論破するのも可能です。
一方、バブル以降のダブスタは、なんだかよくわかんないけど、自分が楽できるからフェミとかよくわかんないけど、
なんか都合のいい風潮があるから、とりあえず賛成かな、みたいなノリです。
この連中はフェミではありませんが、単なる馬鹿なので余計に厄介なことは間違いないです。
洗脳している人間は確信犯なので、論破可能ですが、一般的に自覚のないバカほどたちの悪い人たちはいません。
自分の言っていることがダブルスタンダードだという自覚がまったくなく、あたかも当たり前のように女尊男卑を世に求めるのです。
なんの根拠もなく思い込んでいる人間を論破は出来ません。都合が悪くなれば泣き喚いて手がつけられなくなるだけですから。
惜しい。
正答は「アメリカ立国当時の建国理念を守る」のがアメリカン・ヒーローだ。
むしろ、現政権が間違った方向に暴走したり、ヴィランに乗っ取られたりしてるところに
「昔の俺たちは! そうじゃなかっただろ!」と
アツいパンチを食らわすのがオーソドックスなアメリカン・ヒーローだ。
っていうか、キャプテン・アメリカだ。
極端に言えば、アメリカでは右翼も左翼も「昔は良かった」と思って運動している。
小学校時代の思い出が各自で異なるように、ただ双方の「良かった昔」像がズレているだけだ。