はてなキーワード: 有用とは
http://anond.hatelabo.jp/20121120220837
以下のやりとり
https://twitter.com/siyo77/status/267549568416223232
https://twitter.com/tm2501/status/267552746234839040
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20121009/1349714145のコメント欄
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20121017/1350423259のコメント欄
を読む限り青二才は誤字脱字をあまり気にしないと明言しておられる。
誤字・脱字があっても読めるさ、確かに。人間の脳は優秀だから補完してくれる。
でも今回の小説って青二才にとって初めて作った同人誌なんでしょ?
にも関わらず誤字・脱字・誤植が無いページが無い、って
しかも基礎中の基礎で間違えて…
改行したら一文字下げる、なんて小学校の読書感想文でも指摘されるレベルだよ。
小 学 校 !
今まで誰からも言われなかったの?小説にも作法ってあるんですよ。
今まで二十三年間一度たりともまともに小説を読んでもらえなかったんだね。
可哀想に。
読者舐めてるよ。正直。
偉そうにhttp://d.hatena.ne.jp/TM2501/20121119/1353321312で
蟹丹って絵師批判してるけどさ。
何が”500円で高いイラストもある”だよ。
俺の600円返せよ。
すべてのページに誤字・脱字・誤植がある同人誌なんてありえないよ。
誤字脱字だけじゃない。
56ページ中20ページまで読まないとわからない構成になってんの?
もう1/3過ぎちゃったよ!
廣井一真が「白黒はっきりつけようや」ってパンダが言ってるTシャツを着ている、
もし構成が変えられない、これで完成されてるんだ!って言うならせめて
登場人物紹介を表紙の裏でも挟み込みでもいいから書いて下さい。
あとヒロイン。神美木うたちゃん。
ヒロインなんだよね…ヒロインと主人公が小説の中で初めて出会った時の描写が
”そこへ、中学生ぐらいかな?若い子がメモを持ってやって来た。”
の一行だけ。そのあとは桃の値引きの描写に移るわけだが。
いや、何ページ削ったか知らないけど、ヒロインの初描写が一行だけって…
その後も外見の描写がほとんどない。
髪が長いか短いのか、メガネの有無、服装、色白なのか色黒なのかetc
小説には絵がないからそういう描写をきちんとしてくれないと困ります。
神美木うたの言動って結構可愛いとこあるのに全く生かせてないよ。
もっと女の子観察して女の子の魅力が伝わる文章を書く練習をすべきだった。
山白様との対面した時との描写もそう。
これクライマックスの一つでしょ?
そもそもこの小説って
廣井一真がサイボーグの友人の助けになるために、現在行方不明のサイボーグ開発の権威である
六田豊の居場所を知っている可能性がある神様「山白様」に会いに行く、って話でしょ。
で、山白様に会うために神美木うたのおじいちゃんを説得して案内人である
神美木うたと一緒に登山して、やっと山奥にある山白神社にたどり着いたわけだ。
で、いよいよ山白様との対面なわけだけど。
廣井一真の心情が一切読めない。
緊張してるのか、興奮しているのか、達成感を感じているのか。
いや、あんた神様と対面してるんだよ?神様。汗の一つくらいかいてもよくない?
あとそうそう。
山白様に会う目的がサイボーグの友人の助けになるため、ってことは
p50で廣井一真が山白様に説明するんだけどさ。正直目が点になったよ。
携帯すら登場してないじゃん。いや…もし驚かすのが目的だった、
て言われればはい、そうですか、ってなるけども。
作者の見えてる世界、作者の当然って言葉にしてくれないと伝わらないんです。
「自由にしたらいい」
ってフレーズはどう評価していいのかまだわかりません。
主人公に影響されて神美木うたが変化してるのはわかるけど、
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20120810/1344553250 という記事の中で
私の中で、創作そのものを冒涜されたような憤りを谷川ニコ氏に覚えたので、
「教えてやる」ぐらいのお節介と、「腕切り落として、漫画家なんぞやめちまえ」という殺意を込めて、
記事を書かせてもらいましょう。
なんて書いてるけどさ、創作そのものを冒涜してるのって青二才その人だよ。
ネタで作るにしろ、真面目にやるにせよここまでつまんない(&バカ)な作品を作る奴にアニメとか社会とか語って欲しくない。
最後のボーカロイドの曲以外何にもいいところない。 / “AZM48 the movie ビギンズナイト(低画質版) ‐…” http://htn.to/DQBeiu
いやはやごもっとも。
”ここまでつまんない(&バカ)な作品を作る奴にアニメとか社会とか語って欲しくない。”
内容についての言及ラスト。
この記事は初めて見たけど、僕が今回の同人誌でやったことがいくつか入ってたので
「これは信憑性がある」と思う。 /
“マンガや小説のネタに困っているあなたへ。最高に面白いSFストーリーを作るための
10のアイディア : Kotaku JAP…” http://htn.to/vghTEW
って言ってるけどどのアイデアを使ったのか自分にはわからなかった。
修行が足りないのか。
その1でも書いたけど、
”あとがき、連絡先、印刷製本、発行日、あらすじが何処にも記載されていない”
今回コミティアで十四冊買ったけどここまで何も無い同人誌は青二才のものだけ。
僕の場合は、同人誌だすとしてもブログと一体で認知されないとあんまり意味がない。
どっちがメインかではなく、相乗効果だから。結局は色んな人を繋ぐ事が
前半四つはまあいいとしても
(普通は奥付に書く
参考↓
http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok5i.htm
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1431302149)
あらすじが何処にもないって文章系の同人誌として結構致命的じゃない?
売り子に聞いてもわからないようだったし。
商売とは客を見抜くこと。
うん、いいこと言うじゃない。でさ、想像してみようよ。
文章系の同人誌を買う客が仮に「自由にすればいい」を手に取ったとしよう。
あらすじはない。登場人物紹介はない。あとがきもない。手書きポップもない。
売り子に聞いてもあらすじがわからない。表紙も手抜き。
買うと思う?普通に考えて。商売に詳しいんでしょ?
ブログでもツイッターでも小説のあらすじを一切示していないのだから、
(2012/11/21 訂正 背表紙→裏表紙 他人の文章の誤字を指摘する文章内に誤字があり恥ずかしいかぎりです。謝罪し訂正いたします。)
商売としても内容としても正直金とれるとは思えないです。おそらく現時点で世界で一番青二才の小説を読み込んだ読者としての感想。
で、多分叩かれると思うので、それでももしやる気があるならその批判の中から
有用なのを吸い取れれば次回に生かせる……かも。
去年の五月時点で本人曰く ”自分の中で『なかなかのデキ』”
が以下の小説であることを前提にすると、成長はしているかな、とは思う。
フォトグラフ(恋愛小説風味の妄想)http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20110529/1306599193
以下の五カ所で漢数字と算用数字の統一、全角と半角の統一がなされておりませんでした。
2→二
7→七
14→十四
その1(全角)→その1(半角)
http://anond.hatelabo.jp/20121104134454
http://productforums.google.com/forum/#!topic/blogger-ja/CYYYv6hErx4
「Blogger」については他にもブログを消されてしまった人がいるようだが、これを見ると、同じキーワードなどが羅列してあるブログをグーグルが自動削除しているらしいことが分かる。
リンク先の増田の場合は、写真、アフィリエイト、コメント、URLを連日投稿していたのが、商品の紹介が目的のブログと機械的に判断され、スパムだと分類されてしまったのかもしれない。文字数の割にリンクが多かったためか?その少ない文字数の中に込められている思いは機械には分からない。せっかく頭をひねって書いたブログが削除されてしまったことは残念だ。Googleが誠実に対応して復旧させてくれればと思う。
多分アムウェイは関係ないんじゃないかな。逆にアムウェイの宣伝だと思われたとか。
まあ、ブログの場合、バックアップを取らないで投稿することが多いんだから事前に警告くらいは欲しいよね。手軽さを売りにするなら、データを残しておくくらいの配慮は欲しい。一回目は非公開にするとか。
「ブログ 削除された」で検索してみると、けっこう色々な人がブログのIDや記事や画像などを運営に削除されていることが分かる。
そういうのが多いらしいのはアメブロ。
アメブロはステマをやったりして完全にブロガーと読者を馬鹿にしていることがわかるが、他のブログサービスはどうなんだろう?
http://blog.dtiblog.com/terms.html
本サービスの利用について、以下の行為を禁止しています。以下の行為及びブログの利用が適切でないと弊社が判断した場合は、予告なしにアカウントを削除する場合があります。削除の場合は、弊社がその趣旨をユーザーへ連絡する義務を負わないものとします。禁止行為により当ブログ運営事務局または第三者が損害を被った場合、当該ユーザーはこれを賠償するものとします。
当ブログが設けたルールに従わないもの、アカウントに3ヶ月以上の動きがない場合は、こちらでアカウントを削除する権利があります。
三ヶ月更新しなければ削除される。
http://www.so-net.ne.jp/blog/regulation/
3.以上に加えて、利用者は以下の点について、事前に承諾するものとします。
(1)管理者等によるウェブログの情報の更新が6ヶ月以上継続して行われない場合、弊社は管理者による当該ウェブログの利用資格の全部または一部を停止または失効させることができ、且つ当該ウェブログに掲載された情報の全部または一部を削除することができること(当該ウェブログの閉鎖を含みます)。
六ヶ月更新しなければ削除される。
http://docs.livedoor.com/rules/
1.4.1 禁止事由
利用者は、本サービス等の利用に際して、以下の行為を行ってはなりません。なお、以下の行為に該当するか否かについて、当社は、自らの判断で、その該当性を判断し認定することができます。
(中略)
http://help.fc2.com/blog/tos/ja#service_blog
FC2の判断で削除する。
http://docs.yahoo.co.jp/docs/info/terms/chapter1.html#cf1st
当社は、提供するサービスを適正に運営するために、以下の場合にはあらかじめ通知することなく、データやコンテンツを削除したり、サービスの全部または一部の利用をお断りしたり、お客様のIDを削除したりするといった措置を講じることができるものとします。また、お客様が複数のIDを登録されている場合には、それらすべてのIDに対して措置がとられる場合があります。
通知することなく削除する。
http://blog.goo.ne.jp/info/rules.html
2.当社は、ブログ情報が前項各号のいずれかに該当すると判断するときは、該当のブログ情報が投稿された会員ページを公開している会員の承諾を得ることなく、かつその理由を会員に説明することなく、ブログ情報を変更・非表示・削除等の処置ができるものとします。この場合、当社は、当該ブログ情報を投稿した会員の会員資格を失効させることができるものとします。
承諾を得ないで、理由を説明することなく削除する。
会員登録をおこなった後、一定期間ブログが開設されていない場合、または当社が必要と判断した場合には、アカウント、パスワードを削除し、 本サービスの利用を禁止し、本サービス内のコンテンツを削除する権利を保有しています。 この当社の権利は、ユーザが利用規約の内容または趣旨に違反した、あるいは利用規約の精神に照らして不適切な行為を行ったと当社が判断した場合などにも 行使されますが、それらに限らず当社自身の裁量で行使することがあります。当社は一定期間にわたって使用されないアカウントを削除する権利を保有して います。当社が必要と判断し、特定のユーザに対して本サービスの提供を中止する場合、当社は、当該アカウント、パスワードを無効とし、 関連する情報や保存しているファイルを削除するとともに当該ユーザが将来にわたって、当該情報、ファイルおよび本サービスにアクセスすることを 禁止することができるものとします。この場合、当社は本サービスの提供中止に関し、当該ユーザおよび第三者に対して一切責任を負わないものとします。
当たり前といえば当たり前だが、ほとんどのサービスで運営に都合が悪いブログは削除することができるという内容が規約に書かれている。中には一定期間更新がなければ、削除するというブログサービスもある。
更新がなくても有用なブログはあるし、一応人のデータを預っているのだからそう簡単に削除してもらっては困るが、容量の問題で仕方ないのかもしれない。
バックアップしていないブログを削除されてしまったらそれで終わってしまう。特に無料サービスの場合は強く抗議できない人が多いことと思う。
ブログはRSSを手軽に配信できたり、知識がなくても簡単に情報を発信できるところが便利だが、頑張って作った内容はやはり手元にデータを残しながら発信できる個人ホームページにするのがいいのかもしれない。
今時流行らないだろうが、レンタルスペースから削除されたり、サービスが終了したりしても、別のサービスにそのままアップロードすればいいだけなので、削除されてもダメージが少ない。ホームページの名前をつけた検索しやすい外部の掲示板があれば、そこがリピーターの避難所になる。ホームページのデータを「Dropbox」に入れておけばパソコンが壊れてもデータが取り出せる。
とは書いてみたが、実際自分の場合で比べてみると個人ホームページよりブログの方が断然アクセス数が多く、反応も返ってくるので楽しい。技術や勉強する気がないと、個人ホームページを機能面で充実させることは難しい。
死刑および死刑制度については、人権や冤罪の可能性、倫理的問題、またその有効性、妥当性、国家としての人類の尊厳など多くの観点から、全世界的な議論がなされている(詳細は死刑存廃問題を参照のこと)。議論には死刑廃止論と死刑賛成論の両論が存在する。死刑制度を維持している国では在置論と呼ぶ、廃止している国では復活論と呼ぶ。もちろん死刑の廃止と復活は、世界中で史上何度も行われてきている。
近年では死刑は、前述のように凶悪事件に対して威嚇力行使による犯罪抑止、または犯罪被害者遺族の権利として存置は必要であると主張される場合がある。ただし前者は統計学および犯罪心理学的に死刑の有用性が証明されたものではなく、存在意義はむしろ社会規範維持のために必要とする法哲学的色彩が強い。後者は親愛なる家族が殺人被害にあったとしても、実際に死刑になる実行犯は情状酌量すべき事情のない動機かつ残虐な殺害方法で人を殺めた極少数[32] であることから、菊田幸一など死刑廃止論者から極限られた被害者遺族の権利を認めることに疑問があるとしている。また、いくら凶悪なる殺人行為であっても、その報復が生命を奪うことが果たして倫理的に許されるかという疑問も指摘されている。
また、死刑執行を停止しているロシア当局によるチェチェン独立派指導者の「殺害」などがあり、死刑制度の有無や執行の有無が、その国家の人権意識の高さと直接の関係はないとの主張も存在するが、死刑制度は民主国家では廃止され非民主国家で維持される傾向にある。地理的には、ヨーロッパ、そして南米の6カ国を除いた国々が、廃止している。ヨーロッパ諸国においてはベラルーシ以外死刑を行っている国は無い(ロシアにおいては制度は存在するが執行は十年以上停止状態であるといわれる。チェチェンを参考のこと)。これは死刑制度がヨーロッパ連合が定めた欧州人権条約第3条に違反するとしているためである。またリヒテンシュタインでは1987年に死刑が廃止されたが、最後の処刑が行われたのが1785年の事であり事実上2世紀も前に廃止されていた。またベルギーも1996年に死刑が廃止されたが最後に執行されたのは1950年であった。このように、死刑執行が事実上行われなくなって、長年経過した後に死刑制度も正式に廃止される場合が多い。
欧州議会の欧州審議会議員会議は2001年6月25日に日本およびアメリカ合衆国に対して死刑囚の待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決した。この決議によれば日本は死刑の密行主義と過酷な拘禁状態が指摘され、アメリカは死刑適用に対する人種的経済的差別と、少年犯罪者および精神障害者に対する死刑執行が行われているとして、両国の行刑制度を非難するものであった。
通常犯罪における死刑が廃止されても、国家反逆罪ないし戦争犯罪によって死刑が行われる場合がある。例えばノルウェーのヴィドクン・クヴィスリングは1945年5月9日、連合国軍に逮捕され国民連合の指導者と共に大逆罪で裁判にかけられ、銃殺刑に処せられた。ノルウェーでは、この裁判のためだけに特別に銃殺刑を復活(通常犯罪の死刑は1905年に廃止されてはいたが)した。また同様にイスラエルもナチスによるホロコーストに関与したアドルフ・アイヒマンを処刑するため、死刑制度がないにもかかわらず(戦争犯罪として適用除外されたともいえるが)死刑を宣告し執行した。
中東とアフリカとアジアにおいては総じて死刑制度が維持されている。冷戦時代は総じて民主国家が廃止、独裁国家が維持していたが、現在では冷戦崩壊後の民主化と大量虐殺の反省により東欧と南米が廃止、アジアおよび中東とアフリカの一部が民主化後も維持している状態である。またイスラム教徒が多数を占める国では、イスラーム法を名目とした死刑制度が維持されているが、トルコのようにヨーロッパ連合への加盟を目指すために廃止した国や、ブルネイのように1957年以降死刑執行が行われていないため事実上廃止の状態の国もある。
フロイトとは違うんだが経験的に思うのはあらゆる欲は性欲なんだと。これは強調してもし過ぎることはない秘密である。
結局のところあらゆる人間活動の原動力は性的なパワーにある。そうは思わないかね?
ところが現代人は狡賢く自分を守ろうとするから性的なことを色んな形に変化させて誤魔化すわけだね。分かるかい?
だから「金銭欲はどうなんだ?性欲とは別だろが」というような返答が平気で出来るわけだ。自覚がないからな。
性的なものを否定しつつ性的なことをいかに解放させるか。これは人類に課せられた飛球の課題である。
ある人種(民族的人種とは限らない)は性的抑圧を変態アニメで発散させある人種は暴力で発散させある人種は知的営為で発散させる。
必ずしもそれは社会的に有用な形であるとは限らない。有用な形で発散させることが社会化であり発達課題の最たるものであるとされる。
しかしながらそれは個人の努力でどうしようもない部分もある。例えば変態アニメが規制されたら困るじゃないか?
社会的支援を適切な形で行っていく必要があるのだが、偉い人にはそれが分からんのですよ。性的なことを忌み嫌う風潮からまず打開せねばならない。
そう言っちゃうと住人を捕獲して信者を増やせないからああいう言い方をしてて、ああいう言い方をしてるからなおのこと叩かれてるのだと思う。
「要するにタダの土です」
EMには何ら興味がないんだけど、過剰に排斥してその「後」はあんの?という点もどうかと思うな。正しくないものは全て排斥しろ、世の中白か黒かどちらかだー!というのも、ちょっとどうかと思うし。
もうさー。いっそEM側も
…ってことにしてくれりゃいいんだけどね。
宗教的行為なら、外からも、それが「人的リソースを消費する」ことも、一定の効果(例:「住民の精神不安を低減する」)とのバーターと思ってスルーできるだろうし、それが「地域コミュニティを崩壊させる」ことも、そりゃそうだろうな、と(むしろ逆からすれば、地域が全部EM教に入信したらコミュニティ復活よ!と思ってるだろうし)生暖かい眼で見守れるかもしれないし、内部的にも「批判された!迫害された!」となっても法難みたいなもんとして甘受することができるかもしれんしさー。
行政は、「宗教団体として届ければ認可しますよ」といったら、どうだろう。
で、できればEM側も「有用微生物が入る量は少なければ少ないほど効果があります」とか、「理論上、微生物一匹すら残らない希釈量でも、そのDNA情報が土に残るのです」とか、「要するにタダの土です」と言えば、他のよく似た宗教の教義ともマッチしていいんじゃないか。儲かるしさー。
一度検討されてみてはどうか。
だめか?
んなもんは教えてもらう物じゃなく、自分で答えを見つけるもの。
んなもん考えなくても十分生きていける。
考えないで生きてる人間の方が、よっぽど普通の生活を送れてる。
人間とは、自分とは、を考えるのは20歳前後によくある傾向らしいが、
そこに変に執着して、宗教や怪しい慈善団体にはまった一例がオウム信者。
種から植物を育てるが如く、色々な生え方をする種もあるんだが、
あくまで水をやり時には肥料をやる程度の助力をするだけ、
それ程度の関わり方でも、卒業後の同窓会に呼ばれていたそうだ。
人間とは、なんて事より、「こんな道を選択すると、こんな人生待ってます」
みたいな方が、全ての生徒に対して断然に有用だと思う。
つまり、社会的に優位に立ち、「家」を獲得することが大前提だから、同性間での「外見」による序列が発生する。
実際、女子高なんかじゃ女はどんどんだらしなくなるって言うじゃん。異性の目がないから。
そして、社会における女の外見の重要度は、同性間の同調圧力ってレベルじゃない。
前に誰かが書いてたけど、「場の構成要因としてカウントすらされない」。存在が無かったことにされる。
女が居場所を獲得しようとしたとき、「外見がよい」ことが優先事項のトップにくる。
性的アピールってのも第一に、男は視覚優先だからな。他の要素でカバーしようと思ったらかなり厳しい。
痴女スレスレのセックスアピールを出来ればひっくり返るかもしらんが。
社会的に、女の能力は「異性から見た有用度」を加味して判断される(というか、場の構成要員として略)から、
社会で生きてる女にとって、外見を磨くことは死活問題になってくる。
見た目が悪いと居心地が悪い、注意される、みたいなヌルい話では済まない。
生物学的に外見重視なのは女よりも男、という統計を見て、さらっと納得する男は少数でしょ。女からしたらさもありなん、だけど。
ただしイケメンに限るは大嘘。女が異性を選択する基準は自分と(潜在的に、将来生まれる子供の)生存と安全が第一基準だから、
女はパートナーに見た目の美しさをそこまで求めない。だから美女と野獣カップルが成立しうる。
まあ今の社会、男も女も息苦しいし互いをやっかんでる感があるので、どっちがどっちってのでもないと思うけど。
元増田。いやぁ、底辺ブラック企業とは全然違うでしょ。企業は教育機関じゃないから人を育てる義務はない。その代わり、ちゃんと従業員が健康に労働できる環境を整え、労働に見合った報酬を与える義務がある。環境も報酬も与えないから、底辺ブラック企業、って言われちゃうんでしょ。ちゃんと労働環境と報酬を提供しますよ、という約束で従業員集めてるのに、約束破ってるから叩かれるんだよ。
大学院は、企業じゃないから、健康に過ごせる環境も、労働の対価となる報酬も与える必要はない。最初から、そう銘打って学生を集めているから、大学院に労働基準監督署が入ってこないんでしょ。その代わり、教育機関ではあるから、人材を育てる義務がある。学生の一部が自殺するかどうかなんて、優秀な人材の前では二の次でいいんだよ。優秀な人材を輩出できるかどうかが大学院の使命なの。だから、学生の別に何分の1かが自殺した所で、学生との約束破ってることにはならない。最初から、「あなた才能あるかどうかわからないけど、やってみたら?」という約束で、学生集めてるんだから。
教育っていうのは、社会に有用な人材と不要な人材を選り分ける、選別の意味もあるんだから。教育機関が、社会に不要な人材を選別したって、それは、単にちゃんと仕事してるってことにしかならないでしょ。
だったらその真実を知っても知らなくても関係ない。
お前学生時代に、作者の気持ちを考える意味を考えてみたり、因数分解の今後の人生における有用性を疑ってみたりしたことあるだろ
フランス人と結婚する確率が0%に限りなく近いからこそ、どうしても真実を知りたいと思うか、関係ないからそんなもん知らなくて良いと思うかが境目
例えば塾でいじめが起きた時の事を考える、子供を学ばせるために通わせている塾でいじめ発生となれば、当然父兄は塾を変更するだろう。
いじめっ子が残って他の生徒も虐めて辞めさせるのを繰り返し、塾がいじめ解決できなければ、近辺の人にも塾の悪評は広がる。
塾にとって死活問題なので、本気で虐めっ子への対策を練るはずだ。
なので塾では虐めは深刻化しないと思われる。
学校でこのようにスムーズに虐めを解決するにはどうすればいいか。
もっと自由に転校が出来るようになれば虐めはなくなるのではなかろうか。
よほどの田舎でもなければ大体徒歩圏内に2つくらい学校があると思う。
引っ越さなくても気軽に転校できる環境は整っている。
生徒の数が即学校の予算に繋がり、生徒を大量に流出させた学校は塾のようにそのうち潰れたらいい。
学校も問題教師やいじめ問題に本腰を入れるしかなくなるだろう。
教育方法が気に入らないからとか、気楽な理由で転校できるくらいの空気になれば、苛められっ子も救われるのでは。
大学のようにクラスの人間関係の縛りがなければ、もっと転校は気楽になるだろう。
転校で解決できないほどに人間関係が築けない子供が居たら、学校に通わなくても学力さえあれば内申書にひびかないようにするのもいい。
コミュ力0でも能力があれば、日本にとって有用な人材になれるはずだ、大学に行く前に人間関係で潰して引きこもりにするのは惜しい。
学校に行かなくても人生がつぶれない選択肢があるのなら、親も必死に勉強をさせるだろうし本人も頑張るだろう。
親だって簡単な転校手続きですぐに解決が出来るのなら「苛めがあったらすぐ言いなさい、学校を変えてあげるから心配ないよ」と子供に言い聞かせておける。
苛められっ子に逃げ場がないのが一番の問題だ。
うーむ、やはり「うれしくなりました」の方がよかったのかな。
確かに兵十が贈り物は神様からだと思っているのを悔しがる描写は出て来たし、
自分の思いやりに気付いてくれて「うれしくなる」のは、
「自分を高く評価してもらいたい」という利己心とはちょっと違うし、
仮に「自分の償いに気付いてほしい」という感情が利己的であったとして、
「撃たれて尚恨みも持たず、贖罪を果たしたこととその贖罪に気付いてもらったことに満足する」姿が自己犠牲的過ぎて、
悪い印象は打ち消されてしまうもんね。
主人公だって聖人君子じゃないから「自分の善行を知ってもらいたい」という気持ちは自然に湧く感情だろうし、
その方が読者の親近感を得られる。
それでもあまり露骨に登場人物の感情を表現するのは無粋だから「うなずきました」という選択肢も捨てがたい。
「うれしくなりました」が「自分の償いを評価してもらいたい」という感情を持っていることを確定してしまうのに比べ、
まだごんの心情に想像の余地がある分物語に深みを持たせる気もする。
「償いをしたのに撃たれて悔しい、償いなんてしなきゃよかった」って思っててもいいかもしれない。
いいことしようとしたつもりが誤解されて馬鹿を見ることもあるから、
人から恨みを買わないようにしなさい、という教訓として使うほうが、子供たちの未来にとっては有用だろう。
「やっと俺だって気付いてくれた。償いをしようとしていたことを分かってもらえた。誤解されながらも償い続けた甲斐があったなあ」
って思っててもいいかもしれない。
最初は誰にも気付かれなくても、根気強く努力を続けたらいつか認めてもらえるという教訓になるかもしれない。
あるいは「もう兵十に栗と松茸を贈ってやれなくなるのが残念だなあ」って思ってるかもしれない。
善行をするなら正しく他人にアピールしないと、
保身ができなければ結局その善行すら満足に達成できなくなるぞ、という教訓になるかもしれない。
いずれにしても、この寓話はある程度世間の汚さや人生の不条理、生と死を理解できる(直視できるようになる)
それ以前の段階だと、ごんの死を受け入れられない子供が多いから、この年齢向けなのだそうだ。
いいことをしていたのに殺されてしまうはずがない、とこの物語の残酷さを直視できないからだと。
仮に近年この物語が掲載されなくなっているとしたら、それが原因だろう。
んでネット見てたら先生とか学校とか教育委員会とか叩かれてるな。
被害者がいじめられてる事実を相談したい先生がどれだけいると思ってるんだ。
叩く連中の中にこの2つどちらも該当される人間がいるのか?
先生も自分と人間だと考えると、いじめ解決とか過半数が出来ないだろ。
俺にも無理。
学校全体が把握して解決できると思ってるのかよ。
100人も200人も社員がいるような企業の社長が末端の部下の悩みとか把握してるか?
上司や部下のろくでもない言動に対して、同僚や先輩が原因を根本解決するようなアドバイスくれるか?
愚痴聞いてくれるとか、問題を誤魔化すとか、問題の回避方法とか、そんなアドバイスならいくらでもくれるけどな。
遠すぎるわ。
いじめを無くすとか、先生が踏み込んで解決するとかそもそも問題に対する考え方が間違ってるわ。
いじめがなくなるわけないだろ。
仮に世の中からいじめがなくなったら、子供の闘争本能とかヒエラルキー的な奴とかが別のところから飛び出して新しい歪みが出てくるだけだっつーの。
(そういう意味では身分差別とか新しく作ればいじめは減るかもしれないな。)
いじめられた奴はいじめられてる学校に通い続けるか、家族以外の誰とも接触しない環境に行くか、大きくはこの2つしか選択肢がない。
苦行と変わらない環境に見を起き続けることで社会性を構築することが叶わず、どうしようもない人生がその時から始まるか、時間経過とともに徐々に訪れるか、どっちかだ。
いじめ問題を解決するならここをどうにかすればいいんだよ。
自由に逃げさせてくれよ。マイケル・ジャクソンだってBeat itって言ってただろ。
リセットさせてくれよ。これだけゲームが社会に浸透してるんだから有益なアイデアは現実社会で利用しろよ。
こんだけネット発達して遠くの人と蜜に関われるなら地域社会の有用性なんて低下してるだろ。
定住とかどれだけ逃げ道なくして生きてるんだよ。
根気で問題解決とか今日びはやらねーよ。
少し前に話題だった光目覚まし、使ってみて一ヶ月たったので感想を。
先に結論を書くと、予想よりも良かった。
今のところ、光目覚ましで起きれなかったのは3時間以下睡眠のときだけ。
・二度寝大好き
という人のレビューです。
買ったのはPhilips Hf3470/60 Wake-up Light, White
http://www.amazon.com/gp/product/B003XN4RIC/ref=oh_details_o00_s00_i00
$84くらいだった。今だと7,000円切るくらい。
最初にみたときは「え、これで起きれるの?」という印象。マニュアル英語だし(当たり前)
サイズは大き目。日本で売ってる普通の目覚まし時計に比べるとだいぶ大きい。
設定を間違えていて、初日は使えなかった。
スイッチを下に押してもカチッと言わずに真ん中に戻るので、カチッと言った上に
設定してたらOFFだったので目覚ましがならなかったという・・
ちゃんとマニュアルは読みましょう。
2日目は使えた。目覚ましのアラームが鳴る前に光で目が覚めて驚いた。
最近でもアラーム直前に起きるか、またはアラームと同時に起きるか、そんな感じ。
目覚めてすぐ活動できる、という話があったけどそうでもない。
ただ、わけもわからず目覚まし止めちゃって二度寝、ということはなくなった。
(一度だけ4時過ぎに寝た時には光目覚ましで起きれなかった)
このあたりは個人差があると思う。
もともと6:30に起きて7:30に家を出る生活をしていたのだけど、光目覚ましが
意外と有用なので2週間前から5:30に起きるようにしてみた。
設定を変えた日からちゃんと5:30に起きれてる。
急に1時間変えたけど特に問題はなかった。でも睡眠時間が減ったので眠い。
確認すると少し変わった形状の電球で、替えを探すのが少し大変そう。
今ならネットで即注文できると思うけど。
意外と場所を取る。今まで使っていた目覚ましよりは格段に大きい。
はてな記法難しい・・
先週母方の祖母が亡くなった。
小さい頃は家が近かったこともあり、祖母には頻繁に面倒見てもらってたし、
遠方に引っ越してからも盆正月は会いに行って一緒にご飯食べて話して、縁遠かったという事はない。
そして先日、そんな親しい人が亡くなった。
26歳にして初めて初めて親しい人を亡くした。
訃報については亡くなる数日前の時点で「そろそろ覚悟決めて」って親からメール来てたから、さほど驚かなかった。
訃報聞いてからすぐに飛行機で祖母宅にいって通夜、翌日に告別式やって帰ってきた。
危篤の連絡時点で覚悟を決めるために、祖母が死んだらどう思うか考えたし、
実際に対面したときから遺骨を拾うときまでの想像とのズレも確認した。
驚いたことに、一貫してそんなに悲しくなかったのである。
この考えを放置することは、社会生活を営む存在が幸福を享受することを目的とすれば、非常に「良くない」。
原因は特定して公開するべきであり、可能なら思考を変更し、最低でも自分の中で落とし所を作る必要がある。
そんなわけでこの数日間で思いつく限り可能性を出した。
自身の中で腑に落ちた原因を以下に記載する。
真っ先に思いついて胸糞が悪くなった。
ただ一件唾棄するべき原因に見えるが、そればかり考えて他の事に手がつかなくなる事はより悪い。
本能的に感情の配分を調整しておめでたい心になっている可能性は否定出来ない。
数年前から入退院を繰り返し、何度か危篤状態になっていたこともあり、
逆にこれまで持っていたことを幸運だとする考え方もできる。
ただ解釈によっては「死ぬことが予定調和になっている」「生きている人を死人扱いしている」にもなる。
世の中に積極的に関わらないこと、フィクションの摂取のしすぎが原因で、目の前の事実が
ガラス1枚隔てて見えたり、モニタの向こう側に存在している感覚に囚われることがある。
世の中に参加することが好きでないなら、自身の心と身体を安全な状態にして世の中を見れるので居心地の良い考え方である。
一方でこのスタンスで生きていると他者から観察されるとき、檻の中のサルを見る目で見られる。
葬儀の参列者も、臨時で席を相当数追加する程度に多かった。
ここまで数があると悲しむ気持ちに「働かないアリに意義がある」の理屈が通る。
人気者は放っておいても誰かが救済するため、参加する意義を見出せない。
葬式中に周りを観察していたら、良く泣く人はいわゆる「リア充」だった。
昔テレビのバラエティとかドキュメンタリーとか、なんであんな簡単に人が泣くかが理解できなかった。
理屈をもう少し若い頃に理解しておきたかった事項ではあるが、人前に出るのが好きな人間は演出家だった。
内面で生まれた感情を外に向ける際に、ごついアンプを通している。
そこまでで事態が完結すれば大したことはないが、人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなるらしい。
模倣を通じて本物に至る概念が感情にも該当するとは思っていなかった。
1とリンクした原因でもある。
祖母の死顔を初めて見た時に、悲しい感情よりも怖い感情が強く出た。
骨あげ時に特に感情が動かなかったことから、顔の造形に対する違和感、不気味の谷が原因である可能性が高い。
また今回親しい人の初めて葬式ということで、事をうまくやろうとして調べごとしたり周りを観察することに注力していた。
意図してかせずか、別のことを思ったり考えていたために悲しまなかった可能性はある。
とりあえず6つ原因を挙げた。
この原因からどう思考を持っていくか何も考えてなかった。
とりあえずこの6つから自分自身がどんな人間か読み取ってみる。
・オタク
・根暗
・消極的
・世間慣れしていない
自分自身に対して碌な形容が出て来なかったがしかし、こんな奴は現代社会だと掃いて捨てるほどいるだろう。
ということはみんな外に出さないだけで同じ考えを持つ人間が多くいる可能性は高い。
と、ここまで結果を想定せずにダラダラと文章を綴っていたが、ゴールが見えてきた。
気にしなければいいのである。
まわりからもそう見えるし、自分の内面にそう言い聞かせて納得させることもできる。
そういう意味では葬式自体がそもそも悲しくない人間も内包するようにできている。
つまり昔からそんな人間がいるということだ。何一つ精神的不具者ではない。
そんなことを、最近思うようになった。
ネットというのは、本当に凄まじいツールだ。数回のキータッチとクリックをするだけで、必要な情報を必要以上の量で出力してくれる。
出力された情報全てが有用かつ無害なものなら、これほど便利なものは無い。しかし、知っての通りネットの情報は玉石混淆。いや、比率としては石の方がはるかに多い。
見ず知らずの人のどうでもいい日常の記録。ペット写真。料理写真。
問題は、今やネット上のあちこちに蔓延るネガティブな書き込みだ。
非コミュがどうのこうの。韓国がどうのこうの。売国がどうのこうの。あの作品は薄っぺらい。この作品が好きな奴は頭がおかしい。DQN。キョロ充。真面目系クズ――。
いつの間にか、Twitter、Mixi等々人の多いサイトは所謂2ch的な空気が支配しつつあり、その影響かこういう無駄に攻撃的だったり自虐的な書き込みが、どんなに避けようとしても目につくようになった。
断言する。これらの書き込みは、間違いなくメンタルに悪影響だ。特に他人の目線が気になる性格の人……まぁつまりほとんどの日本人にとっては。
これらの書き込みは、ただそれだけを見れば何でも無い、馬鹿馬鹿しい意見に過ぎない。
厄介なのはその量の多さだ。こういう書き込みに限って何故だかやたらと量が多く、ちょっとググればすぐに似たようなネガティブ書き込みであふれた2chスレッド、コピペブログ、知恵袋のリンクがわらわら出てくる。とにかくほんとに量が多い。
こういう数の暴力をモロに受けると、段々冷静な思考ができなくなる。
その意見は単に声の大きい少数派が喚き散らしているだけかもしれない。またはその意見に影響された普通の人が、特に考えも無く気軽に書き込んでいるだけかもしれない。
そういう思考を、ふと忘れてしまう。
ただ書き込みの多さが単純に賛同者の数として目に映ってしまう。
書き手の本気さも、情報の正否も、悪意の有無も、思考の歪み具合も関係なく。数が多いと言うだけで、それが一般的な意見だと錯覚してしまう。
これでは、よほど確固たる自分を持っている人以外、少なからず影響を受けてしまうだろう。
「これらの書き込みが多数派とは限らない」と頭では分かっていても、無意識に刷り込まれるのを避けるのは難しい。
集合知とかいう言葉もあるが、集団で出した答えが必ず正解とも限らない。
また、ある作品に対する評価など、感性に頼る部分が大きいものついては、しばしば多くの人の評価と自分の評価が対立することがある。
自分の大好きな作品が、ネット上のコミュニティではボロクソに叩かれていた。そんな経験をし続けたら、自分の感性に無用な不信を抱くのは時間の問題だ。
ネットにどっぷり浸かってから、それまでの趣味が純粋に楽しめなくなったという人は結構居るのではないか。かくいう俺も、そういうクチだったりする。
文章にまとまりがないが、とにかくこんなような事を色々思って、タイトルのような事を考えた。自分のこれまでの経験的に、まるで見当違いな事は書いていないと思う。
もちろん、こういう問題はネットだけの問題ではないのは分かる。リアルでも、他人の影響というのはかなり受ける。が、現状のネットとリアルを比較したら、まだリアルの方が無駄にネガティブな意見は見続けないで済むのではと思う。
『ウェブはバカと暇人のもの』というタイトルの本がある。これはまさにその通り。
ブコメだとネタにマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。
それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、
「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強の意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」
というものだった。
で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺さった。あのとき先生がそうしてくれたらよかったのにって思った。コメントとかに勉強は役に立たつ必要はないっていう意見もあったけど、これも違うと思う。役に立つと思ってやったことの方が身につくし、楽しい。実際に、知識がお金に化ける場合もある、人を助ける場合もある。役に立たないより立つ方いいに決まってる。
上記エントリによると『大人は「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけない。』らしい。まったくもってそのとおりだ。自分は高校時代に「勉強が何の役に立つか」を本気で考えていたから、普通の人よりこの質問により多くの解答を出せる。だから、今度はこの質問に答える側になってやろうと思った。
『多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない』らしいが、勉強が最も直接的に役に立つフィールドは仕事だと思う。だから、勉強が役に立つ職業の説明から入る。職業という点で考えると、教科ごとに役に立つ職業は異なる。
建築家(どのような構造が壊れにくいのか計算するのに必要)、研究者(物理、化学、工学、情報系などは直接的に使うが、その他、心理学、経済学、生物学などほぼすべての研究に統計は必要)、ゲームプログラマ(3DのCGなどは特に計算が難しい)、その他のシステムエンジニア、プログラマ(どうやったら計算量が少なくできるか考えたり、負荷を分散できるか考えたり色々)、機械の設計をする人間(船、飛行機、車、エレベーターなどなど動くものの設計には計算が欠かせない)、弁理士(特許の手続き等を行う人。こういう文章http://kantan.nexp.jp/%E7%89%B9%E8%A8%B1/a2007272629/を書いたり読んだり)。
ガソリンスタンドの店員(危険物を取り扱うため)、研究者(主に化学と生物学。医学、薬品や農薬の開発、試験、コンピュータ、発電、蓄電、建築などに応用できるような新素材の開発)、官僚(農林水産省や経済産業省など。農薬、食品添加物、産業廃棄物の基準をきめたり色々)、医者、看護師、獣医、畜産家、農家、栄養士、薬剤師、保健師、衛生管理者(食品工場など)、水道局員。警察(科学捜査系)。
海外に行く人。外国人がいる職場で働いているひと。英語の資料を読まなきゃいけない人。論文とか書く人。
翻訳家、記者、作家、漫画家、企画職、コピーライター、検事,裁判官,弁護士,政治家,官僚(法律の難解な文章を読んだり、条文を作る際により正確にものを伝える)、システムエンジニア,プログラマ(ソフトウェアの利用規約はだいたい難解、仕様を作る際もわかりやすく伝えないといけない)。
自分が思いつくもので、わかりやすく役に立つ職業はこんな感じだ。自分が理系だし、理系の方が役に立ってることが分かりやすいので理系科目に力を入れている。国語とか社会科とかは広く薄く役に立ってる気がするのでこの仕事で役に立っているというのが少しわかりづらい。
さて、この職業のリストを見て自分はこの職業につかないから関係ないやと思ってる人も多いんじゃないかと思う。しかし、実際にはこのような職業を評価する側の人間も同様の知識が必要となる。たとえば、雇用主、人事、取引先の人間。このような人は上記に挙げた職の人間を評価しなければならない。その人の態度や風貌で評価をするのはあまりよろしくない。それ相応の専門的な知識が必要だ。上記に挙げた職の人と取引のある人間というとその範囲は一気に広がる。そして、取引先には消費者も含まれる。
家電を買うにしたって食品を買うにしたって知識は必要だ。これまでマイナスイオンのような科学的に根拠のないものがブームを生んだ例もあるし、健康食品だってそういうものがあふれている。これからも第2、第3マイナスイオンが生まれるかもしれない。どういう理論で効果があると主張されているのか、実験は正しい条件で行われているのか。そういうことを判断するのには科学の知識が必要になる。
答えはNOだと思う。具体的に、勉強嫌いな高校生S君を想像してみると、すぐに反論されてしまうのが目に浮かぶ。
学力を必要とする職業は多いが、あまり必要でない職業も一定数存在する。土木作業員、コンビニ店員、居酒屋店員、服屋の店員、料理人、バス,タクシー,トラックの運転手、芸人、音楽家、デバッガー、清掃員。もちろんこれらもある程度の学力がいるが、せいぜい中卒レベルの学力があれば学校の勉強よりももっと役に立つことをするべきだというのも筋が通る。そして、それが学力が必須でない職業につくのが、学力が必須の仕事に就くのより大変かといわれるとそうとも言えない。学力が必須でない職業に就いた人は幸せになれないわけでもない。学力が必須の仕事についたからといって幸せだとは限らない。医者は多忙だし、貧困な生活を送るポスドクの研究者もいる。社長や政治家より、責任のない立場の人間のほうが気が楽かもしれない。
マイナスイオンの話にしたって、科学に詳しい友人が一人いれば済む部分が大きい。高校時代にやるべきことは勉強よりも友達作りなのかもしれない。
簡単だ。ほぼすべての仕事が仕事として成立しなくなる。ほとんどの日本人が生きていけなくなる。
そもそも、学校の勉強というのは「ある人が勉強をしたとき、その人が得をする」ようにではなく、「みんなが勉強をしたとき、みんなが得をする」ように作られているはずだ。例えば、騙されやすい人間が増えれば騙す人間も増えやすい。集団の中にいる知識を持った人間がガセや嘘がはびこるのを防いでいる。日本人全体の語彙が増えれば、説明のとき使える言葉も増える。先進的な科学技術がみんなの生活を支えている。ある人の勉強によって、周りの人が得をする例と言うのは山のようにある。
このことがいわゆる『囚人のジレンマ』の状態を作っているので、ひとりの人間を勉強させるように説得するのは難しい。自分で手間をかけて勉強するより、他の人にやってもらったほうがはるかにお得だ。
勉強が自分でやるより他人にやらせるほうが得なことを踏まえると、自分は勉強しないけど人には「勉強をしろ」と言う人間や、「理由は言えないけどとにかく勉強しろ」という人間の多さにも納得がいく。自覚のあるなしに関わらず、周りの人間が勉強しないことへの危機感をもって行動ができている。つくづく人間って賢いと思う。生命の神秘すら感じる。
自分でやるより他人にやらせるのが得なら、子どもがやるべきは「たくさん勉強する」ことよりは「周りに勉強をさせられるような人間になる」ことなんじゃないかと思う。だから、どうすれば人に勉強をさせることができるかを考えてみる。
子どもには勉強をしろと言いつつ、官僚を馬鹿にしたり、科学者に「お前の研究は役に立ってない」と言ったりする人がいる。こういうのは明らかにダメだろう。これでは子どもが「なぜ勉強をするの?」と思うのは当然だ。勉強をたくさんしてそれを生かしている人たちは褒めなきゃいけない。これこれこういうところがすばらしいということを具体的に言えれば、子どもが勉強と尊敬される人間になることを関連付けられて、勉強への意欲がわきやすい。
また、たくさん勉強をしている人間を「がり勉」などといって馬鹿にするのも良くない。これは大人より子どもがしてしまう。あまりそういう人間を馬鹿にして減らしてしまうと結局は自分が損をすることになる。
人は同調圧力に弱い。周りに勉強している人が増えれば、勉強は楽しくなるし。自分が勉強していることに対する疑問も持ちにくい。
誰かが勉強している時はその質を上げられるといい。楽しく勉強できるようにするとか、短時間でもより多くのことが身に着くように勉強法やテキストを改善してやったりするといい。どうゆう勉強が役に立つかを教えてあげるのもいいと思う。勉強は役に立つほうが面白い。
志の高い人にとって、役に立つ勉強はたくさんある。簡単ものでもプログラミングができれば、何時間もかかる作業を一瞬で終わらせられたりする。デザインについて学ぶのもいい、デザインは人に伝えるためのものなので人に物事を伝える手助けになる。こういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6やこういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を知るのもいい。学校の授業でも英語、理系科目、地理、政治・経済などは役に立つ場面が分かりやすい。
勉強にも大学受験では評価はされないものがある。役に立つ勉強をしてきた人間をしっかり評価するということも重要だ。役に立たない勉強がもてはやされれば勉強はつまらなくなる。
給料が高い方がやる気が出るし、そうなりたい人が増える。雇用主だけが考える話じゃない。消費者がしっかり価値のある技術にお金を払うのも大切だ。消費者がキャッチコピーや広告に流されてその製品に使われている技術が見れないと、会社はキャッチコピーや広告の制作に熱心になって技術者に対する対価が増えない。お金に余裕のある人が、大学研究、素晴らしいオープンソースソフトウェアの開発、政党に寄付をするのもいいと思う、なかなかそんな人はいないかもしれないが。でも、科学雑誌なんかを読んだり最新の技術研究に注目する人が増えるだけでも、その研究が陽の目を見る可能性は増す。
それは自分が勉強をすることだ。周りに勉強している人を増やすには、自分が勉強するのが手っ取り早い。勉強している人間をほめるのも、対価を増やすのも、勉強している人を見分けられる必要がある。十分な学力がなければ、支持している人間が似非科学者であってもそれを見抜くことができない。勉強をしなければ、勉強の質を高める方法もわからない。
「勉強って何の役に立つの?」は答えるのが難しいが、「勉強を役に立てたいのですがどうすればいいですか?」という質問なら少し話が変わる。幸い、今はインターネットがあり勉強を役に立てる方法は身近になっていると思う。単純なものだと、学習サイトでも作ればいい。上でも言ったとおり職業上、勉強を必要としている人がいるし、昔習ったことを復習したいという人もいる。そういう職業になりたいという人もいる。そういう人に向けてサイトを作ればある程度需要はあると思う。 楽しいものが好きならばゲームを作ることもできる。高度なものとなると少し難しいが、ミニゲームであれば中学レベルの数学で通用する。ブロック崩しあたりだとちょうど中学の座標やグラフの交点とかの知識が役に立つ。ブロック崩しなんて作ってもぱっとしないかもしれない。それは、もうすでにあるものだからなんだと思う。重要なのはちゃんとした知識があれば、今はまだないものもできるということだ。
勉強の役にたつすばらしい場面というのは今はないものを生み出せる、新しい勉強の役立て方を見つけた時だと思う。印刷機だって、テレビだって、洗濯機だって、パソコンだって、FaceBookだって、スマートフォンだって、十分な知識があったから生まれた。それが生まれる以前は勉強がそんなことに役立つことは知られていなかった。
有名な動画Did you knowによると2010年の需要のある仕事Top10は2004にはなかった仕事らしい。
勉強がどう役に立つのかは時代ごとに変わっていくし、勉強の新しい役立て方というのは次々と見つかっている。勉強の新しい役立て方が見つかると、世の中の仕組みが爆発的に改善されることだってある。勉強にははそういう夢がある。見つけるのは多少むずかしいかもしれないが、それをできた人はたくさんいる。勉強を役に立てたいのならその方法を探してみるといいと思う。
これを読んでも勉強に乗り気にならないという人はいると思う。人にやらされる勉強っていうのはどうしてもやる気がわかない。
正直、学校の勉強の質はさほど高くないと思う。歴史はもっと現代史に力を入れるべきだろう。カエサルが死に際に「ブルータス、お前もか」と言ったなんて話は何の役にも立たない。フランス革命のころにナポレオンがどうこうしたという話ですらも大して役には立たない。南アメリカ、アフリカ、東南アジアなども含めて、ここ100年の歴史を詳細に学んだほうが役に立つ。昔の人間より今の人間の方が身近だ。より正確な記録もあるので嘘も少ない。古代の話は教訓を学ぶには記録が少なくて曖昧すぎる。また、古文は考古学者か歴史作家にでもならないと役に立たない。もっと役に立つ勉強をするべきだと思う。小説は人の気持ちを考えるのにあまり適してないと思うし、教科書に取り上げられる論説文は論理的に穴だらけの文章も多い。
それでも、詰め込み教育、ゆとり教育を経てだんだん良いものになっていると思う。テキストも改善され、勉強はより楽しくなっているようにみえる。
自分は詰め込み教育からゆとり教育への変遷は改善だったと思っている。円周率を3.14で計算することは小数の筆算の能力を高めるが、現在では紙とペンより計算機の方が身近にある。筆算よりは、およそ3として暗算で計算できる能力のほうが有用だ。総合的な学習は調べ学習や、クラス内の発表練習、英語の学習などに割り当てられた。時代の変化に学習指導要領が追いつくまでにはラグがあるが現場の人間が内容を決められる授業がそのラグをうまく埋められるようになっている。初めて、パソコンに触れたのも、検索エンジンに触れたのも(当時使ったのはgooだった、なつかしい)、htmlに触ったのも総合の時間だったと思う。この勉強は間違いなく役に立っている。そして楽しかった。
学問も進歩してるし、教育も進歩しているんだと思う。でも、まだ無駄は多い。それは、これからもっと改善されていくんだと思う。
個人的な意見だけど、学校の勉強にやる気のわかない人は別のことをやってみるのもありだと思う。いま目の前にある勉強よりもっと役に立つことがあると思うなら、それをやればいいと思う。学校の勉強よりも役に立つことを見つけたいと思ったらそれを探してみればいいと思う。自分は学校の勉強より、プログラミングの勉強してゲームとかつくってた。それは学校の勉強よりももっと役に立つことだと思ったから。そういうことを続けていたら、IT系の会社に就職することが決まった。自分で役に立つと考えてやったことを評価してくれる人はいた。
ちょっと長くなったのでまとめる。
自分が考えた勉強の意味はこんな感じだ。勉強の意味は考える人ごとに多少違うものになるんだと思う。勉強には他にもこんな意味があるんだという人がいたら、ぜひその意見も聞いてみたい。勉強の意味は多い方がいい。一人の人が勉強の意味をたくさん感じられるようになったらそれだけ勉強をする人は増えるはずだ。
http://anond.hatelabo.jp/20120531114646
今回の騒動を周回遅れでざっと目で追ってきて、何よりも驚いたのは
クラブの存在自体が非クラブ愛好者から見たら「パブリックエネミー」そのものだったという事実。
自分は数ヶ月に一度、友人のイベントに行く程度の愛好者だけど、外から社会悪と思われているとは露程も知らなかった。
当たり前だけどのりぴーの元旦那みたいな薬キメに来るようなアホはもちろん見たことない(ものすごく迷惑しているので本当にやめてほしい)。
確かに暗いし退廃的なイメージはあるけど、それはネタとして消費されているにすぎず、
ほとんどの人は友人とテーマ縛りのカラオケに行くような感覚だと思う。
小箱の営業が法律上認められないとこれだけ話題になってもなお知らない人も多いんじゃないか。
健全とはいえないまでも、キャバレーやゲーセン以上の社会悪とまで言われる程とは思わなかった。
渋谷系以降のDJや客は今や30代以上で、昼間は普通に働いている社会人が殆どだろうし。
だから「夜暗い所で踊るだけで十分『いかがわしい』」という意見を見た時は目から鱗だった。
(余談。「リア充ざまあwww」との声も目にしたがDJや客は基本ヲタなので、レコード買うために生活費や交際費を切り詰め質素な生活をしており
今回の騒動で「クラブは治安悪化させ『そう』」「薬やって『そう』」といろいろ言われてはじめて
「キモイ」「性犯罪助長」と云われなき中傷を受けるアニヲタ各位の気持ちが自分達の痛みとして理解できた。
(もちろん自分はヲタまでいかないがアニメや初音ミク好きだし、アニヲタをキモイなどと思ったことはない。
むしろ同じヲタ属性として共感を覚える。最近はアニソンかけるDJも増えているし、概ね自分の周りのDJはアニメ好き。念の為)
「法律変えたきゃクラブは犯罪の温床でないと証明をしろ」という悪魔の証明のようなものを迫る言論を目にした時に
(赤の他人であるどこかのクラブ愛好者が犯罪起こさないなどとどうして保障できる?)
非実在青少年規制問題に直面したアニヲタさん達の厳しい状況を自分達の状況として理解できた。
サブカルの宿命かもしれないけど、元々少数派であり敵意に晒される中で民主的解決(法改正)なんて絶対無理だろ。
迷惑かけなくても目障りだから、社会的に有用じゃないからイラネと言われる殺伐とした世界に生きる厳しさをこれほど感じたことはない。
オーガナイザーやハコのオーナーが何故声を上げない?という意見もあったけど
その意味では現状適法の非実在青少年問題より解決困難かも知れない。
みんなもう若くないし社会と闘ったり説得する元気もないし
諦めて踊ることにこだわらず純粋なDJ Barでまったりやるしかないのかも知れない。
善良な風俗怖い。