「どうやったら」ってそりゃ「運がよければ」に決まってるじゃないか何言ってんだこいつ。
よく成功者が「自分はこういうふうにしたから成功したんだ」と語ったり本にしたりするけど、
でも、決して100%にはならない。んでまあ死なない限り、0%にもならない。
99%の状態で失敗することもあれば、1%の状態で成功することもある。
その差は単に運の良し悪し。
確率のコントロールはできても、運自体のコントロールはできないんだな誰も。
いい大学行ったのに留年して精神病、これは努力したのに運が悪くて失敗した典型。
かわいそう。
おまえは社会のことがわかっていないだよw
お前を見て半勃起してたんだろw
http://d.hatena.ne.jp/seraphy/20120519
これ、間接的には高齢化によって引き起こされている問題じゃないかな。
老人が政治を動かしてるでしょ?
老人のITオンチっぷりは、ネットに浸かっている人には理解しがたいレベル。正直、ITがわからないんじゃなくて単に頭が悪いだけなんじゃないかと思うほどひどい。けど、そういう人らがあまりに多いのを見ていると、単なる地頭の問題ではなさそうな気がしている。なんなんだろね。
それに、こちらから見れば、今の時代ITがわからなければ社会が理解できんだろうと思うのに、彼らは「自分はパソコンが苦手」くらいにしか思っていない。パソコンはわからないけど社会のことならまかしとけ、とか思っている。そして、自分が社会を良くできるしすべきだという変な自信と生きがいをもっている人が多い。
彼らはよくわからないものが怖いんだよな。そういう意味では魔女狩りという言葉はまさにピッタリだ。
ともかくそうだとしたらネットで反対をいくらとなえて共感得てもあんま意味ないな。IT教育が浸透して世代交代するのを待つしかないんじゃないかね。IT教育はうけてなくても70年代生まれくらいが老人になるころには変わるか。
ま、老人でなくても一般人のITリテラシーはネット民の想像以上の低さだと思うけど。Twitterでバカが多く発見されているけれど、表面的にでもTwitterを使えているだけ上等。魔界は深く、奥底にはS級のバカがいっぱい潜んでいる。
じゃあ自分の気分のいい事だけして生きてりゃいいじゃん。
どうしてこう繋がるのかがいまいちわからない。いや、何となくはわかるけれども、自分にとって気分のいいことには自己陶酔も含まれるのではないのかな?
もう何を贈ったら良いか、皆目検討もつかないレベルに達している。
今回も百貨店で迷い、アレも駄目コレも駄目。でも適当に選んでNGならまた小言だ。
「もう何で私はこんな事に貴重な休日を丸一日費やしてるんだ」と若干泣きそうにもなった。
そして悩んだ挙句の妙案。両親がいつも口にしていた梅干はどうか。
平時はスーパーの特売品だった筈なので、贈り物で良い物があればいける!
そう思い贈答用の、個包装されたものを買求め、実家へメッセージ付で送付した。
しかし返答は「いつも買ってるブランド品があるんだけど。」と。
実家離れて数年経つが、そういう話は聞いた事がない。
私に黙って買っていたのか、私が離れてから買いはじめたのか。
ともかく、この親相手に今更その辺を追求したり一連の苦悩を語ったりする気力もないが、
逆だろ、こういう状況だからコンドームがどこでも買えるようになったんだろ。
昔の感性で、非処女というだけで不利益を被った時代に、コンドームがあったからといって状況が変わるとは思えん。避妊という概念すら薄いんだから。
第一 コンドームは男性を女性から守るものでもあるから、無くしてもどうかと思うけどな。
童貞どうのこうの言わないなら、フリーセックスで、セックスしたい奴らで集まって、やっててくれ。ただ、何人の男と付き合ったかは嘘つかずに正直に言えよとは思うが。 そんだけ。やりたい奴らはやればいい。
性能のいいコンドームが「安価」に「どこでも」手に入るようになったのなんてここ30年ほどで、
それ以前は手に入れるまでのハードルが高くてそんなに普及してなかったからね。
今じゃ考えられないが、80年代前半くらいまでは買い物はほとんど個人商店で買ってた。コンドームも個人商店の薬局でないと手に入らなかったり(生理用品なんかも。エロ本は個人商店の本屋で買うしかないから、わざわざ遠くの本屋まで買いに行ったりとか)。
それもコンドームというもの自体が性能が上がって安価になった80年代とかの話で。戦後何十年の間、コンドームなんてものは製品として未完成だったし。穴が開く危険とか普通に高かった。ゴムは今じゃ考えられないほど分厚かった。
そんな状況で女性はおいそれとセックスはできなかったんだよ。常に妊娠と隣り合わせだから。
そこでセックスしないということを神聖化する価値観を女性側からも作ったって側面がある。
子供作ってもいい状況=結婚後でないと怖くてセックスなんてできんかった。だから新婚初夜=本当の初夜であることは普通だった。
コンドームは初期のキャッチフレーズ通り、「家族計画」のためのものだった。今じゃこのフレーズも忘れられているが。
当時(終戦後から80年代前半くらいまで)はむしろ人口増加に悩んでいて、ポンポン子供作られると色々困るから、ある種の「政策」としてコンドームを「明るい家族計画」のツールとして広めさせた。当時は5人兄弟6人兄弟当たり前だった。
ところが、90年代のコンビニの普及とともに性能が進化したコンドームが匿名的に気軽に安価に買えるようになり、しかもそれから数年後、携帯電話の爆発的な普及によって状況は激変する。
本来、女性って言うのは「オスをとっかえひっかえ吟味して、最終的にいいオスを1匹手に入れたい」という欲望をもっていて、コンドームの普及がそれを可能にした。解放されたと言ってもいい。
それ以前は男女は「付き合わない」のが普通であって、「付き合う」という言葉は「結婚を前提として、本来は許されないはずの交際(付き合い)をする」という意味だった。
「彼氏」「彼女」という言葉には「おおっぴらに言えないあの人」という意味が含まれていた。
コンドームの普及とともに性的に解放された若者たちは、単に「ある程度の独占契約のもと、セックスもOKな遊び仲間」という意味を「付き合う」という言葉に込め、また単に「恋人」という意味のみを「彼氏」「彼女」という言葉に含めた。
それはとにかく役に立ってるんだと、成長なんだと。
ならば散々相手をとっかえひっかえ「経験」した現代人は、さぞかし数世代前の人たちに比べて人格的にお優れになっているんでしょうね。圧倒的に。
しかし実際のところ、経験論が生まれた動機は「オスをとっかえひっかえ吟味して、最終的にいいオスを1匹手に入れたい」という欲望」を正当化するために過ぎない。
が、それは言い換えれば、コンドームが普及していなかった頃、「生涯ただ1人の好きな人にだけ捧げる」という神聖化のもと、単に結婚しない妊娠を怖がっていたに過ぎないということの裏返しであり、表裏一体なんだ。
どちらも「状況において最適化した行動」をとっている。コンドームがなければ簡単にやらせないのは理にかなっているし、コンドームがあれば相手をとっかえひっかえ吟味するのも理にかなっている。
女性は何も変わっていない。状況が変わっているだけなんだ。女性の言葉を真に受けてはいけない。女性の言葉は常に言葉以外の意味しか持っていない。
逆に言えば、それさえわかっていればコントロールはできる。簡単にはできないかもしれないが、不可能ではない。
じゃあわかってるよね。社会のどういう状況に手をつければいいか。そう。禁止(もしくは異常に高い税金をかける)すればいい。コン、ド、、、を、、。
一生寝込んでればいいと思うよ。
自分が代数幾何を勉強していた時は「これなんの役に立つんだろうか。でも面白いから続けよう」と思っていた。
しゃぶれば良いと思うよ
みんなでそれやって食っていけるの?