はてなキーワード: 有用とは
この前「大学受験でTOEFL義務化!」とか言ってたのが立ち消えたかと思ったら、またなんかホッテントリにニュースが入ってたよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20130404-00000471-fnn-pol
このへんと合わせて読むとたいへん興味深いよねーー
http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20130404/1365066300
TOEFLを「義務化」から「活用」までトーンダウンしたけど、ここまでほぼ脈絡もなく、根拠もなく(2つ目のリンク参照)、唐突にTOEFLゴリ押されるとなんかこう、裏を考えたくなっちゃうよね。 自分だけかなーー
これってさ、大学の受験、卒業要件にTOEFLを導入するとかいってるけど、単純に受験料だけ見ても、日本の大学生が2011年で257万人(もーめんどくさいから240万人にするね)、受験料がだいたい2万円とすると、全員が受験、卒業と2回の受験でパスする(そんなことはありえないけれども)としたら、
240万人÷4×2万円×2=約240億円
って計算合ってる? 桁、これで合ってる?って、ど文系の自分がパニックに陥るレベルのお金がアメリカのNPOに入るわけだ。なんてこったい。実際には何度もうける人がいるから、これの数倍にはなる。
センター試験の予算が100億円くらいだそうなので、まあ軽くその規模を上回るわけですね。
これだけでもアメリカの外圧を邪推するのに十分だとは思うんだけど、この自民党のTOEFLゴリ押しはやっぱりTPPとの関連で考えるべきだと思う。スピーキングスピーキング言ってるけど、コミュニケーション能力をはかる試験は他にもあるでしょう、と。IELTSとかさー ていうか英検だってスピーキングあるじゃん? そもそも100億円以上もかけるんなら、自前で英語の試験つくれるでしょーよ、と。
じゃあなんでTOEFLなのか。それは、これがアメリカの試験だからだよね。つまり、アメリカの基準で英語能力をはかります、と。
歴史的に考えてみても、新しい共同体(国民国家とか、国家間の共同体とか)作るときには、まず「言語」を統一するっていうのが基本なんだよね。近代だけで考えても、まずフランス革命後に「近代フランス語」をつくる努力が行われているし(ドイツもグリム兄弟ががんばったよねー)、あるいは最近で言えばEUが創設されるときもこれが大きな問題だったわけだ。何語を共通語にする?と。で、結局、全部を共通語にすることにしたんだけど、そうすると、それぞれの言語の習得っぷりにも共通の基準が必要になる。A国でB国人が働くとき、A国語がこれくらいできなきゃいけませんよーっていう基準と、B国でA国人が働くとき、B国語がこれくらいできなきゃいけませんよーっていう基準が違ったら困るわけね。これが許されたら、ある種の障壁をそれぞれの国が作ることが可能になっちゃって、地域共同体つくった意味がないからね。で、それぞれの国でバラバラだった、その国の言葉を外国語として学ぶ時の基準とかシステムとかが共通化されていったんですね。たとえば「ヨーロッパ言語共通参照枠」とかでググると出てくるよ(わかりにくい訳語ですよねーー)
さて、まあそんなことを思い出してみると、アメリカが日本政府に「TOEFL導入しろ」って圧力かけているっていう仮説も、まあ、アメリカを中心とした地域あるいは経済共同体を作りたいからだと考えれば、ありそうな話だと思うのです。EUは一応他言語主義をベースにしているから、マイノリティの言語にも生き残る道はあるけれど、TPPって要するにアメリカ中心の経済圏をつくる構想だよね?(建前は違うかもしれないけど) そしたら「アメリカの英語」を共通語にっていう圧力かけられてもおかしくない。アメリカの英語の試験の影響力が強まるということは、アメリカの英語の影響力が強まるということでもあり、その影響力の強さはまたアメリカの地政学的な影響力の強さと裏表の関係にある。(そもそも英語が世界共通語になったのは、大英帝国の覇権→アメリカの経済/軍事大国化の影響だよね。まあ、それだけではないにしても)
ちょっと強い言い方をすれば、これはある種の「侵略」だ。この言い方が強すぎるとしたら、言い換えよう、「これからやってくる侵略の地ならしだ」と。
英語って「アメリカの英語」だけじゃないんだよねー イギリスも、カナダも、オーストラリアも、インドも、フィリピンも、公用語としている国だけでもいろいろあるしさ、そもそも、もはや「世界共通語」になっていて、非ネイティブが英語を話すことのほうが多い勢いだ。「ネットの共通語」でもあるしね。グロービッシュという造語もできたくらい。ほら、あれだ、古代アジアにおける「漢語」みたいな?
そんななかで「アメリカの英語試験」であるTOEFLを自民党が(たいした根拠もなく)ゴリ押すとしたら、やっぱりそれはアメリカに対する「外交的配慮」だと思うんだよね。
それでいいんすかね。
日本人が使うんだから、日本の基準で英語の試験作ればいいんですよ。その試験の有用性が低いんなら、それを改良していけばいい。「日本人が話して伝わる英語」は必ずしも「アメリカの英語」とは限らない。
これって、本来の保守層からしたら、立派な「売国」だと思うんですけど。てか、日本語守れや。むしろTPPの共通語に日本語入れるくらいの強気の交渉姿勢でお願い致します。(弱小言語は放っておくと死滅するのもまた歴史が証明しているわけで)
http://anond.hatelabo.jp/20130331034659
http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/marehitomikagami/entry-11499736332.html
同業者であります(書き手側)。面識はありません。電撃さんとはお仕事したことありません。
という設定でコメントですが、これに関しては、結論として運が悪かった……に尽きるかと思います。
記事だけ読んでみると、言葉はきつくなってしまいますが、担当編集氏は腕が悪かったです。売り上げが上がらなかったという点を取ってもそうですし、このようなトラブルが表面化し、編集長に持ち込まれている時点で、担当作家の手綱も握れないのか、と編集長としては叱責をせざるを得ないでしょう。Web上にこういった醜聞が出ているのは、明らかにレーベルイメージにたいしてプラスにはなり得ません。これは編集氏の失点であり、どう見たところで手柄にはなり得ないでしょう。
しかしでは悪なのかと問えば違います。無能と悪、あるいは悪意の存在は違います。担当編集氏はおそらく悪意の人ではないでしょう。電撃も悪意の編集部ではありません。
作者氏も。こう書くと言葉はきついですが、力及ばなかった。良いものを書くためには戦略と書くための環境が必要です。そのためには、担当氏との関係性を構築するのは必須です。その段階で敗北していたというのが後々にたたった。国内世論をまとめきれなかったために遠征軍の戦力がそろわなかった→結果として軍事的敗北。というような種類のトラブルです。それは担当編集氏のみの責任に帰せるものではない。作家業は個人事業主です。小説を書くというのは個人事業の一部であって、中核ではあってもすべてではありません。営業力や交渉力が足りなかった。
その力不足が、悪かと言えば違います。作者氏は悪ではなかったと思います。むしろ読者によいものを届けようとした、善であろうとした事に疑いはないかと思います。
しかし結果、売れなかった。悪意など無くても、結果として負けると言うことはあります。両者の言い分を妥協させることが出来なかった。
担当氏の力量の問題もありますし作者氏の力量の問題もあります。相性の問題もあるでしょう。2人の戦闘能力を足した結果(おそらく足の引っ張り合いになってしまい)、コンビは空中分解、醜聞事例がひとつ出来た。別に誰が悪いと言うことではなく、運が悪かった。
今回の件はこの距離から見る限り、担当氏と作者氏にコミュ能力(説得能力)が欠けていたのが、第一の躓きのように思われます。
コミュ能力や信頼関係というのはトラブルを表面化させないためのクッションとして有用です。クッションですから根本解決はできませんが、トラブルが爆発するまでの時間を引き延ばすことは出来る。またトラブルの目を小さなうちに摘むことも有用です。今回の件でいえば、たとえば担当氏は作者氏の反感を買うことなく、新しい魅力の付加という形で作風変化を促すことも出来たと思います。作者氏から見れば、担当氏の要望を受け入れつつも自分の書きたいことを守るというような結論の出し方はあったはずです。
そのように信頼醸成をしつつ、引き延ばした、もしくはチャレンジの時間でなにをすれば良かったのか? 根本解決の手法はなにか?
というと、それはおそらく部数を積み上げ売り上げを上げることでした。利益というのは様々なトラブルを癒すことが出来ます。利益的な意味での成功というのは、なによりも「次のチャレンジの機会」を保証してくれます。食い違った担当氏との視点についてゆっくりと話し合い精査をする時間です。たとえば、担当氏の方針で一作書いてみる、作者の方針で一冊書いてみる。2シリーズやって確かめてみる、というようなことでもいいですし。そもそも、出版社が求めているのは利益なので、利益さえ十分に上がっているのならば、編集氏から作風への口出しはずいぶんと減ります。編集部から作者への信頼の究極的な形のひとつが「1人で稼げる作者という評価」です。その場合、担当編集の仕事は、原稿の受け取りと事務連絡、取材の中継くらいになります。
本人にとっては(作者氏のみならず、おそらく担当氏にとっても)辛い件だったとは思うのですが、余り珍しい事でもないな、というのが本音です。表面化しないだけで、おそらく年間十件以上、類似の事例が発生しているでしょう。
ラノベ界隈の新人賞システムというのは「今まで一冊も本を出したことのない素人、下手をすると社会常識もわきまえぬ素人」を、いきなり「プロとして扱いデビューさせる」という乱暴なシステムです。おまけに作家業は前述の通り個人事業であり「就職」ではないので、オリエンテーリングもガイダンスも新人研修も教育も、公的には一切存在しません。作者は個人事業主として「自分をプロとして教育する」事も大事な仕事として求められます(1年目はそれに忙殺されるといってもよいと思います)。
耳によい話ではないですが、こんな事例はごろごろ転がっています。ですからやはり、健康、社会常識、コミュ力の3つは、どうあっても必要になってしまうかと思います。
それぞれ最初に、「それまで気がつかなかったが」なんかが付く。(気がついてれば対策してるからだ)
例えば、サランラップが何にでも使える、カセットコンロは漏れが怖くて使えなかった、等。
(もちろん、石油ストーブがとても助かったという経験をそのまま使うのではなく、不完全燃焼で危ない思いをした、等のデメリットも必ず参考にすること)
逆に、3は「対策のきっかけになる」重要な意見だが、「対策そのもの」は参考にならない。
例えば今回の「車での移動が必要だと痛感した」は被災者の重要な意見だが、「だからガソリンを備蓄しよう」という対策は参考にならない。
なぜならば、その対策は、経験からきているものでも、プロの意見でもなく、素人の推測だからだ。
(例えば阪神淡路大震災では、車は全く機能せず、バイクなどの二輪車が移動手段として有用でした)
3に似た経験談として、「対策が不十分だった」というのもある。
例えば、阪神淡路大震災では、古い木軸構造の家屋が潰れる中、プレハブ工法の家は倒壊までは行かずに済んだ。この場合なら、「耐震補強をしておけば」というのが意見ではなく悔いだというのは、わかりやすいだろう。
大都市で起こる災害と、地方で起こる災害とでは、対策に違いがでる。
また、迂闊な対策が、被害を呼び込むこともある。
すでに多く指摘されているけど、地震でガソリンタンクに穴が開いて引火すれば、自分の家が燃えるだけでは済まない。(そもそも、普段からそのリスクが高くなりすぎる)
まず、家族全員で普段の生活環境内にある避難場所や連絡手段の話し合いをする。
寝室に背の高い物を置かない。タンスや家電(テレビや冷蔵庫)などには適切な転倒対策をする。
逃げるときには躊躇しない。
全て、助かった経験者の言葉だし、助からなかった状況を見たプロの言葉でもある。
備蓄やグッズの話になるのは、そのずっと後だ。
もう15年も昔に卒業した大学に卒業証書を貰う事になった。戯れに偏差値を調べてみたら40だった。
15年前の偏差値を知るよしも無いが、当時から3流大学だった事は間違い無いし、それでも大学は非常に楽しかった。
ふと、もしかしたら高校生や浪人生で偏差値40の大学に入学する事に不安を抱いている人もいるかもしれないと思い、ここに吐き出してみる事にした。
いい大学へ入りなさい。いい会社に入りなさい。安定した仕事をしなさい。親が公務員だった事から常日頃からそう言われて育てられた結果、小学校から成績は低空飛行を続け、高校では県下で下から数えた方がいい3流高校へ入学。そのまま推薦で3流大学へ入学という底辺コースをひた走った。
努力無く見栄えだけは整えようと、部活や生徒会の役職をこなしながら教科書の代わりに小説や漫画を読み、寝食を忘れてゲームにのめり込んだ。というのが僕の小中高だった。
当然学校の勉強なんてついて行けるわけが無く、中学時代は教科書が記号に見えたし、英語なんて未だに主語と動詞も理解していない。
それでも高校も3流だった事が功を奏し、比較優位の問題で成績は悪くなく、小論文と面接で大学は受かった。第二次ベビーブームの終焉による学生不足という学校側の都合もあったと思う。
もちろん、私立、文系、低偏差値、別居という4重苦に対して多大なる投資をしてもらった親があってこその入学だった。
入学して最初に感じた事は、大学は人種のるつぼだったという事だ。政令指定都市の3流私立なんて、政令指定都市のご子息が集まるはずもなく、僕の様な「はぐれ者」が全国から集まる事になる。
いきおい、出身もバラバラ、年齢もバラバラ、バックグラウンドとしての知識もバラバラなやつらに囲まれる事になる。それだけでも相当面白い。
また、皆一人暮らしな事から寄り集まる事も多く、各地の料理や故郷観とも言うべき価値観などもゆるやかに共有していくコミュニティが作られる事になる。
その政令指定都市の中でも15くらい偏差値の高い大学に在籍した妻の話を聞くと、周りは政令指定都市のご子息だらけで、実家または遠くても近県出身が多かったとの事なので、これは偏差値というより立地と偏差値がパラメーターになってバリエーションが変わってくる様だが、多様な価値観を知る事ができ、感じる事ができるというのはどこの大学にも共通した価値だと思う。
曰く「社会に出てからの仲間には必ず損得勘定が働く。君たちは損得勘定抜きでつきあえる最後の仲間だ。大切にしろ。」
おぼろげながら社会の厳しさを想像していた僕には、目から鱗な一言だったが、今でも確かに一理ある。と思う。
低偏差値大学であればあるほど、なんというか社会に出てからのバリエーションが豊富(?)なため、価値観にも違いが出てきて、仕事の話や生活の話はしにくくなるが、今でも合えば当時に戻って文字通り損得抜きで話ができる大切な仲間ができたというのは財産だ。
逆に偏差値の高い大学に入るメリットも、まさにここだろう。低偏差値の場合は損得抜きの仲間を作れるが、偏差値が高いと損得有りな関係を構築する事が可能だ。
今後いつまでこの状況が続くかわからないが、就職というのが卒業生大多数の選択肢となる現代日本においては、偏差値の高い人達は価値観が似通う仕事をしている割合が多いようにみえる。
結果、社会に出てからも有用なお付き合いができる仲間が持てる。という事になる。正直これはうらやましい。
研究内容や就職しやすさなんてのは些細な話で、この一点においてのみ、僕は高偏差値大学がうらやましいなと思う。これが必要だと思う人は頑張って勉強して偏差値の高い大学に入って下さい。
ただし、これは低偏差値出身でも高偏差値の人達と付き合ってると、次第に増えてくるものなので、何が何でも学生時代に得なきゃいかん!というわけでは無い。ちょっと座布団ひいて社会人生活をスタートできる。という程度の話だ。
大学に入ると教授という生き物が居る。低偏差値大学は、この大学教授の距離が異様に近い。
これは卒業して他校の話を聞いてはじめて知ったが、低偏差値大学の教授はある種学生に諦めにも似た境地を持って接しているため、権威誇示などという無駄な事に労力を使わない。
普通に研究室へ行けば居る人という近所のおじさん感覚で教授と会話できるのは、低偏差値大学ならではのメリットだろう。
低偏差値大学は遊びに来ている学生も多い事から、少し普通に学生ぶってみるだけで、その道の専門家の豊富な知識と多様な人脈が面白い位簡単に手に入る様になる。
これは有形無形の様々な価値を僕にもたらしてくれた。当時の研究内容は教授の助けもあってそれなりに面白いテーマにできたし、それは社会に出てからも自分の専門領域として高偏差値出身の人達との目線併せという意味で一役買ってくれている。
また、師事した教授の人脈で直接師事していない教授を知り、そのつてが就職にも有利に働いた。
何よりも「答えの暗記」ではなく「問題を考える」という事に慣れる事ができた事は大きい。今にして思えば、なんで高校までは考える事を教えないんだろう??実は聞いてなかっただけで教えていたのかな。
ほんの少し吐き出そうと思ってたら、意外と長くなってしまった。もう一回要点だけまとめてみる。
文系でも私立で一人暮らしとなったら、余裕でレクサスを買える位の金を払って大学に行く事になる。それなら、十二分に喰い物にしてやろう。という気持ちで臨めば、低偏差値大学には低偏差値大学なりの得られるメリットはあるので、前向きな気持ちで入学してください。新入学おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20130303010801
張本人なんだが、気になるコメント頂いたので。
>okra2
>たしかにまじめな記事ではあるんだけどだからこそ、これが内部の人が書いてたとしたら結構心にひっかかる。
>内部の情報をいかなる理由でさえ非公開に晒す人間が居る会社なのかと。
>okra2
>匿名でも実名でも内部の情報自体は暴露しちゃいけないでしょ。
>外部から推測したり公式に提示された情報で議論するなら増田も使い道はあると思うけど、リークの場にするのはダメだ。
自分は「増田を内部リークツールに」と言い出した張本人であるが、確かに野放図なリークが横行するのもなんなので、
1.「許される内部リーク」
自分の価値判断として「増田投稿が許される内部リーク」と考えるのは「公益性の高い内部リーク」。
具体的には
(例:三菱自のリコール隠し告発、東電下請けの放射能管理ずさんさの告発)
などが該当する。
告発によって、当該企業の信用が失墜することになるが、公益性に鑑み、やむを得ないと考える。
2.「許されざる内部リーク」
自分の価値判断として「増田投稿が許されざる内部リーク」と考えるのは
「公益性が存在せず、かつ当該企業に損害を与える・信用を貶める内部リーク」。
例えば「内部関係者しか知りえない経営戦略の暴露」とか「不必要な個人情報の開示」とか。
野村不動産関係者が「今後5年間、このエリアでマンション供給を予定したい」と戦略を打ち立てたが、
内部関係者が増田に野村不の戦略を暴露投稿するのは、公益性もないし、企業に損害与えるから、×。
あるいは、
「野村不マンションのモデルルームに、男性タレントA氏が、女性連れて現れた」
では、今回のケース、
「パナソニックがエネループブランドから距離を置いたのは、アメリカ中国の独禁法適用を回避するための、
仕方ない事情によるものである」という「中の人」の投稿は、許されるリークなのか?
このケースの場合、「投稿に公益性があるのか?」と言われれば、正直公益性はない。
「違法行為告発の大義」がある訳でもないし、そもそも消費者にとって、独禁法云々は「どうでもいい」からだ。
となると、リークの大義は、見受けられない。
しかし、逆に、この投稿で「パナソニックに損害を与えたか?」「パナソニックの信用が失墜したか?」と言えば、
そういうことはない。
どちらかと言えば、ネット界隈で「エネループブランドを重視しないパナに失望した」「デザインダメ」などの
いわれなき悪評が蔓延していたのを、この投稿で「信用を回復」した格好になっている。
本来であれば、パナソニック広報部なりの人が、顕名で「実はこういう事情で・・・」と投稿できていれば
よかったのかもしれないが、うかつに広報部なり、パナソニックの社員が、顕名で発言することはできない。
下手に発言することは、独禁法の趣旨を否定する、各国公取にケンカ売ることになってしまうからだ。
となると、「増田」というフォーマットを使って、「中の人」が発言して、うまくパナソニックの名誉を回復したのは、
「実に上手いやり方だ」と感心してしまう。
今回のケースは、人によってリーク是非の判断が分かれるところで、
okra2様はリークに否定的なようだが、自分は「企業価値の回復に資する投稿だった」ということで、
この内部リークは「アリ」だと思っているが、いかがだろうか?
これを読んで思ったこと、またはその反応に対して思ったこと。
http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20130228/bigdataisdead
Web2.0からクラウド、ビッグデータまで、様々なバズワードが生まれ、おっさんたちを虜にし、また一部からは揶揄される状況が繰り返されている。当然ビジネスの上でも、これらのバズワードは多用され、一部では本質的に意味のある事業が進んでおり、また一部では知的ゴロツキの餌となっているのが現状だろう。
このようなバズワードに対し、一般的な反応は大きく分けて2つだ。「我が社もビッグデータ事業だ。その方が時代に乗っていて格好いいだろう、ぐはははは」と「またバズワードか。食傷気味だ…一年で何回聞くことになるんだろう…」である。
ここで、問題にしたいのはバズワードの対象自体が有用か有用でないかではない。基本的に正しく捉えればクラウドもビッグデータも有用だ(だからこそ、バズっているともいえる)。では、なぜこれらのバズワードが飛び交う時に、嫌な気分になったり、攻撃的になったりする人たち(自分含む)がいるのだろうか。
考えてみたのだが、バズワードは言葉自体がもつ情報量が圧倒的に少ないことに起因するのではないか?ということだ。これはバズワードの定義が曖昧ということとは異なる。そうではなくて単語が発言されるときにその単語がもつ情報量の問題だ。通常の会話ではある単語が発言されたときに、その人の知識量やバックグラウンドを示す単語があればその人の能力をある程度推測することができる。
卑近な例だが「Excelだと100万行以上あると開けないですよね」という発言があると少なくともこの人は100万行のデータを扱ったことはあるんだなという情報が受け手は得られる。技術的会話とは本来そういうもので、その人の発言する技術用語である程度の技術力を推測するものだろう。いや、コード書かせてみないとわからないだろ、というツッコミはおいてください。あくまで最低限の推測、例えばこれまで付き合いのない企業間での打ち合わせのような場合でのスクリーニングの状況を想定してほしい。
このとき、バズワードによって、なんかよくわかってない人も「ハドゥープでノーエスキューエルでアレですよ」みたいな発言をするようになると、これまでどちらかというとマイナーで技術者かどうかを識別する単語につかえていたHadoopや統計手法名をまた一から考え直さなきゃいけなくなる。一番最初のスクリーニングの仕方をこちらが変える必要がある。それが激しくめんどい。だから、バズワードは嫌いだ、という思考を自分がしていることに気がついた。
というわけで、ビッグデータうんぬんにイライラしている方々、この仮説は如何でしょうか?
蛇足だが、なんでこの思考に辿り着いたのかというと、あまり親しくない他社との打ち合わせ時に相手がビッグデータ、ビッグデータと連呼するので、ほんとに技術力があるのか(またはほんとにビッグデータに関心があるのか)よくわからなかった。そこで、関心あるならそれなりにビッグデータに関する情報もフォローしているはずだという仮説のもとでユバタスについて話題を振ってみたところ、ユバタスどころかPFIも知らなかった。世の中そんなもんである。
それは失礼しました.
世の中,かなりの話は『程度問題』だと思うのですよね.「財政マネタイズ」という(通貨の信認とか構造改革とかと同じように)おどろおどろしい,そしてたいていの場合に空虚な言葉というのは,黒か白かはっきりするよな定義のある話ではなく.インフレ税ないしシニョリッジというのが財政に寄与するなら,実はどの国も常に「財政マネタイズ」してると言えるのかもしれない.日銀乗換は日銀引受と違うという強弁だって『程度問題』でしょう.
『程度問題』ともう一つ私が念頭に置きたいキーワードは『言葉より行動』です.人が何を言うかよりも,どう行動するかが重要.「市場関係者がこう言っている」よりも「市場がこう動いた」の方が確か.市場だってもちろん間違えるが,「メディアが取材したシジョーカンケーシャの言葉」なんてのは,ほぼノイズにすぎないですよね.
http://anomalocaris89.blog69.fc2.com/blog-entry-208.html にあるとおり中央銀行の独立性は別に金科玉条ではない.財政マネタイズも,まあ今のところは「やってはいけません.これは中央銀行にとって神聖不可侵な教義です」という振りをするのがお約束となっている,くらいの意味だと思っています.実際は100%か0%かの話ではなく,行動を見れば少しはやっていると見えなくもない.
ヘリコプター・ベンが,サマーズと組んでヘリコプターマネー政策を実施しても,さらに,購入した国債をロールオーバーし続ける(日銀乗換に当たるものを無制限に増やしていく)と発表しても米国債が暴落なんかしなかったのは「財政支出をやって,猛烈に通貨発行を増やしてますけど,財政マネタイズじゃないですよ〜」と言った言霊のオカルト効果ではなく,もっと単純な市場予測(米国債を売ると損をする可能性が高い)の結果でしょう.
で,リフレ政策で肝要な期待(expectation)ってのは,人々の気持ちとか意思とかじゃなく,まさにそういう『将来についての市場予測』のことを言っているに過ぎません.「それを財政マネタイズと呼ぶかどうか」という曖昧な話じゃなく,「政府が今後どう行動するか・その結果どう行動すると得か」について市場が予測した結果.それがリフレ派の言う期待でしょう.だから,「中央銀行の独立性」「財政規律」とかいう「意図を表すレトリック」なんかではなく,例えば「いつまでに何を買う」「いつまでにいくら支出する」と言った具体的な行動の予測に資する情報によって(のみ)市場は動く.まあ市場予測に影響する気分(センチメント)というのはあるでしょうし,それは言い方で動いたりするのかもしれませんが,それはむしろ「すぐに修正される予測のズレ」を表す言葉でしょうね.あんまり重要でない.
これも『程度問題』ですね.デフレに(少なくとも例えば賃金や企業の収益や税収にとって)はっきりした害があって,5%や10%のインフレにそれほどの大した害が知られていない.なのに,デフレを止めるための日銀への介入でさえこれほどの大騒ぎになる.
そこで,インフレを止めるような介入がそんなに容易だと市場が予測するなら問題でしょう.
すいません.誤読してたので訂正(どっちにせよ,根拠のない無茶な介入は簡単じゃないだろうと思うんですが…)
これも『程度問題』ですね.インフレ恐怖症の方々はもとより,リフレ派でさえ反対するような「引き締めを妨げるような介入」がそんなに簡単なら確かに問題でしょうが…
追記:一つの担保としては,日銀にも政府にもそう簡単に方針を変えられないような歯止めを法制化しておくことでしょう.曖昧な「日銀の独立性」という言葉が指す内容がどういうものか,例えば「中期的な望ましい物価水準は政府と日銀の合意によって定める・それを達成する手段は日銀の専管事項」という趣旨の条文を日銀法に入れるとか.え,法律なんか政府がインフレにしたくなったら簡単に変えられる? そうかなあ…程度問題ですが,法律がない場合より「簡単」ではないと思いますね.
まあ,既に書いた通り,債券市場参加者の「声」とか,割りとどうでもいいと思ってますんで…
追記: インフレ目標と,日銀の(上記のような)独立性の法制化は,ひとつの歯止めとして市場の期待を安定化するのに有用だと思います.
住宅購入って、一生に一度の買い物なので、第三者的アドバイザーが(有料であっても)有用だと思うが、
かと言って、「知恵袋」なんかは、質問者数と回答者数のバランスが非常に悪く、
質問に回答が付かないまま、奥の方に埋もれて・・・ということが、ママある。
知恵袋とか、マンション掲示板(マンションコミュニティ)とかでも、
「Bというマンションは割高ですか?」という質問が消費者から結構なされたりしてるが、
ある程度は、的確に回答する自信はある。
(それなりに客観的に答えるつもりではある)
しかし、会社員に属している立場では、表立って回答することは出来ない。
~~~~
ところで、ネット系質問サイトには、一般人(=素人)が回答する「知恵袋」「OkWave」系以外に、
無料だと「オールアバウトプロファイル」、有料だと「アスクドクター」が代表例。
健康相談のアスクドクターは、まあ有料にしても、納得な内容である。
(多分、医師法の関係で、回答者を医師限定にしないとマズイんだと思う)
一方、オールアバウトプロファイル、あれは無料で回答する、という建て付けだが、
カネ取ってもいいんじゃないか、カネ取れるニーズはあるんじゃないか?という気がする。
「これ有料質問の建て付けにすれば、もっと具体的な質問が来て、マネタライズできるのに」と思わなくもない。
「プラ●ド淵野辺はどうですか?」とか「ファイン●ート新三郷はどうですか?」のような、
思い切って、有料質問コースを設けて、しかも「回答内容を限定公開」風な感じにすれば、
そうすると質問のマネタライズもできるし、「大手不動産会社社員」も片手間に回答して小遣い稼ぎ・・・
というのもありえる。
「プラ●ド淵野辺はどうですか?」のような質問は、実は、「他の検討者も、質問したがっている項目」なので、
「質問料を、多少は払っても、いいかな」と思っている人は、結構存在したりしている。
つまり、最初の質問者が回答を得たら、それを2回目以降の閲覧者は「少しカネ出してでも、この回答見たいなあ」と
思う可能性がある。
(アスクドクターは、閲覧者からもカネを取ってる。上手い商売。)
~~~~
ということで、比較的利用しやすい価格体系(万円単位)で、有料質問サイトを設計してみた。
【このサイトの特徴】
1.「以前誰かが行なった質問に、似ている質問を行う質問者は、多いはず」ということで、
続いて似たような質問を行おう、という人からも、(若干安い料金で)利用料を徴収する
2.一方、アスクドクターと違って、回答を2つ以上にしていること。
医師と違って、マンション業界の見立ては、結構回答者によって真逆なこともある。
有名なコメンテーターでは、櫻井幸雄氏と榊淳司氏じゃ、いってることが正反対だ。
なので、セカンドオピニオン、サードオピニオンを取れるような設計にした。
マンション系だと、榊氏、桜井氏、沖有人氏、坂根氏、中山氏などが思いつく。
★相談者は2万円を払う。
★先着2名に回答権あり。
最初に桜井氏が回答し、2番目が沖氏、3番目が坂根氏だったら、
坂根氏以降は回答権なし。
★上記ケースだと、質問者は桜井氏の回答と沖氏の回答を見比べ、
これによって、回答の質が確保される。
残り5千円は運営手数料
★イメージとしては、プロの専門家が1時間程度かけ、下調べ&回答するような手間暇イメージ。
★1年間は、回答をフルオープンにせず、
「200円払った人だけ、回答が見れます」というブラインドを施す。
(アスクドクターは1年以降経過してもブラインドにしているが、
マンションの話だと、1年以上経過すると、市況も変化して、回答が陳腐化するため、
賞味期限を1年としてみた)
★200円払って回答閲覧された場合、うち100円はベスト回答者へ支払われ、
うち50円はセカンド回答者に支払われ、残り50円は質問者に支払われる。
つまり、「多くの人に有料閲覧されそうな、万人が興味持ちそうな質問」を質問者が仕立てれば、
その分、質問者は(一旦2万円支払うが、)後から閲覧する閲覧者からの閲覧手数料収入で
儲かる、ということになる。
⇒万人が興味持ちそうな質問にしよう、と工夫するインセンティブが生じる
因みに、2万円÷50円=400だから、400人の有料閲覧者が現れたら、「モトが取れる」ことになる。
★上記レギュラーコースは、専門家が実名で回答するイメージだが、
ライトコースの場合は、専門知識はあるが、実名じゃなく匿名で回答したい、という回答者を想定している。
具体的には、三井不動産レジデンシャルの社員が匿名で回答する、野村不動産の社員が匿名で回答する、のようなイメージ。
彼らは実名専門家(榊氏とか桜井氏とか)に引けを取らない専門家であるが、
いかんせん、「会社の社員」という立場があり、実名では回答しづらい。
そういう社員であっても、一般消費者からの不動産質問に回答したい、という
欲求は、結構あったりする。
(何を隠そう、自分がそうだ)
そして、「どうせなら、少し小遣い稼ぎしたい」というスケベ心も併せ持っている。
なので、彼らの回答欲求、そして多少のスケベ心に答えるべく、
で、先着2名まで回答を受け付け、質問者がベストアンサーを選択するのは一緒。
謝礼はベストアンサーには1、000円、セカンドアンサーには500円の支払い、
サイト運営者は500円貰う。
回答者は
「大手不動産会社社員 宅建主任者」のような肩書きで回答を行う。
サイト運営者は、彼らが不動産会社社員であることや、宅建主任者であることを、
従業者証明書や宅建主任者証のコピーを提出してもらって、確認する。
「三井の社員なら、三井不に有利にしか回答しないだろう」と思われるかもしれないが、
あまりに露骨な三井誘導だと、ベストアンサーに選ばれなくなるだろうから、それなりに自浄作用が働くのでは?
【回答者数増員】
★基本は「レギュラーコース2万円、ライトコース2千円」だが、
中には「回答者が2人じゃ不安だ、3人は欲しい」という慎重派がいるかもしれない。
そういう場合は、2万円じゃなく2.5万円を支払うことで、回答者を増やすことができる。
この場合は、ベストアンサー者1人に1万円、それ以外の2人に各5千円、計1万円、
運営者に5千円が渡るイメージになる。
セカンドオピニオン、サードオピニオン、・・・と増えるにつれ、
回答の確度は上がる。
ライトコースの場合も考え方は一緒。回答数3名を希望する場合は2,500円を支払う。
(なお、この場合、閲覧者の閲覧料は250円に引き上げず、200円のままとする)
【他ジャンルへの応用】
★アスクドクターのような、理系的分野なら、回答の幅はあまりないから、シングルオピニオンでいいのかもしれないが、
ということで、他のジャンルについて、このスキーム(有料回答&一定期間有料閲覧&セカンドオピニオン制)
が有用かどうか、少し考えてみる。
・注文住宅新築、リフォーム=「マンション」と似たような性質。このスキームをそのまま流用可
ライトコースの回答者も、たっぷり存在する。(ハウスメーカー社員が匿名回答する)
・法律、税金、会計、マネー=有料回答&セカンドオピニオン制がマッチしている。
また、税金などは特に、年によって税制が変わってしまうので、「賞味期限」がある。
その意味では「一定期間有料閲覧」(一定期間経過後無料閲覧)の意味がある。
ただ、法律、税金、会計はいずれも「士業」なので、有資格者以外が相談に乗ると法律違反になる。
ライトコースは、法的にアウトかもしれない。
・旅行、グルメ案内=そんなにカネ払って相談する人は多くないかもしれませんが、一応は成立します。
・人生相談、恋愛、子育て=成立しますが、こういう場合の「専門家」って?
むしろ「知恵袋マスター20人」を回答者に仕立てた方が、いいのかな?
あと、相談内容が経年劣化しないので、「一定期間有料閲覧、一定期間終了後無料閲覧」とはミスマッチな気はする。
・受験=高校生相手に、報酬取って相談受ける、というスタイルに、良心の呵責が・・
・ネット・パソコン・翻訳=この場合、セカンドオピニオンの必要性は少ない気がする・・
ほかにどういうジャンルがあるでしょうね?
必ずしもガチガチの護憲派ではないが、変な風に変えるぐらいなら現行のままで良いと思ってくるぐらいの緩い「護憲派」からの返事。改憲といってもいろいろ論点があるが、とりあえず9条に関心がありそうなので、そこにポイントを絞る。
憲法というのは、一種の努力目標なんだと思っている。憲法には様々な人権に関する規定があるが、それらが今の日本で守られているかと言えばそんなことはない。たとえば、第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるが、健康で文化的な生活を送れていない人などいくらでもいる。だからと言って、現状に合わせて健康で文化的な生活を送らなくても良いように憲法を改めようということにはならないよね。
9条も同じ。世界の現状を見れば、戦力を持たないわけにはいかない。誠に残念なことに中国や北朝鮮との緊張関係もあるし、それ以外の国々でも少数民族に対する弾圧等を止めさせるために戦力での威嚇が必要なこともある。なので、いますぐに戦力を放棄するわけにはいかない。
しかし、他方において、戦力の行使には制約があったほうが良いとも考える。近現代において戦争はたいてい「自衛」や「自国民保護」のために遂行されてきた。ナチスドイツだって「ドイツ民族の生存」のために周辺諸国をどんどん侵略していったし、「自分たちは平和を望んでいる、戦争を望んでいるのは他国だ」と主張していた。「自衛のためなら武力行使も許される」という発想だけでは、実質的には戦争抑止にならない。
こうした意味で、9条の重しはそれなりに有用なのではないかと思う。9条があることで戦力の行使は最後の最後まで避けるべきことなのだという価値観が強化されてきたのではないだろうか。戦力の行使にはそれぐらいの慎重さが欲しい。先の大戦にしても、好戦的なマスメディアや世論に軍部が煽られた部分がかなりあると聞く。9条そのものが戦争抑止に役立つとは思わないが、戦後の日本で「戦争は良くない」という価値観が培われたのは良いことだと思う。
また、いまの改憲派の少なからぬ人たちが歴史修正主義的な価値観を持っているように見えることも怖い。石破さんあたりはさすがに慎重だが、脳天気に戦前日本を持ち上げる人たちを見ると改憲にはどうしてもイエスと言いにくくなる。内外の多くの人たちを苦しめ、泥沼に入り込んでしまったことに対する真摯な反省もないまま、国防軍への改組というのは怖すぎる。しかも、そうした反省なき改憲では、欧米諸国の理解も得にくいし、中国国内でも対日強硬派がさらに発言力を増すことになってしまう。
むろん、9条があることで、自衛隊をアンビバレントな地位に置いてしまうことは問題だとは思う。「憲法では許されていない組織」といったスティグマが自衛隊員に貼られることは良くない。しかし、先の震災での活躍もあり、自衛隊に対する国民の信頼は高く(http://www.crs.or.jp/data/pdf/trust12.pdf)、もはやそうしたスティグマを心配するような状況でもないだろう。その一方で、自衛隊内部にも歴史修正主義的な思想が浸透しているということもあり、そこには不安を感じる。自衛隊の元トップがコミンテルン陰謀論を論じているのとか見ると冗談としか思えない。
というわけで、ゆるい「護憲派」からすれば、(1)努力目標として9条を維持することは支持したい。永久に実現しない目標かもしれないが、戦力に依存しない国際秩序を目指すことは自体は悪くないと思う。(2)それでも、どうしても9条の改正が必要ならば、歴史修正主義は全面的に放棄して欲しい。
という感じ。以上。
初めてネットに繋がるパソコンが家にやってきたのは2001年の春だった。
もちろん今から考えればくだらないものが大半だったのだろうけど、ネットが楽しかったのは今思えば、周りが皆大人だったからだ。
いや、年上だったからだと言ってもいい。
彼らが懐かしがって語っていた昔のアニメやプラモデル、古いコンピューターや、まだ華やかだった自作PCなど、すべてが格好よく見えて、自分もそういう趣味を自然と持つようになった。
けれど、20歳を過ぎた頃からだんだんと居心地が悪くなっていって、最近、自室からパソコンを排除するまでになった。
それは、10年前と同じように子供の頃を懐かしむ人たちが語る内容が、自分が子供の頃に遊んでいたミニ四駆やスーパーファミコンになっていったからだ。
別に自分が、過去を懐かしむ同世代より優れていると言うつもりはないけれど、そういう話題をわざわざネットですることに理由は見出せない。退廃的でさえあると思う。
そして、自分が10年前の大人と同じ世代になって、ネットから新しい有用な情報を得ることもなくなった。
あたりまえだ。自分と同じように、同世代以上の人々はネットになんか本当の情報を書き込むわけがない。
10年前ももちろんそうだったのだろう。けれど、子供から見ると大人のすることは皆輝いて見えた。
海外のフォーラムも覗いてみたけれど、英語だというだけで、正直なところ内容は日本のものと五十歩百歩だ。
ただ、リアルの人間関係の延長としてのSNSは使う理由があるので、主に普段はスマフォで見るようにして、必要なときだけPCを使う。
自分もまた、下の世代が憧れるようなネット上の大人を演じることも考えたが、そんなことをする義理はないし、なにより下の世代にはネットなんかよりもほかの輝くものを見つけてほしい。
大雑把にフィルタリングできるなら有用だろう。少数応募の就活システムなら
というのもわかるけれど、ここしばらくの就活事情は大量応募大量不採用だからね
フィルタリングしないとやってられない
なるほど、そういう読み方もあるんだな。
それは、裕福な偏差値50は大学進学して、貧乏な偏差値55は進学できない。とかそういうのどうするの?
無茶苦茶頭良くなくても、普通でも裕福なら進学できる。そうじゃなければ進学できない。というのは変だろ。
そのうえ、大人になってから振り返れば、塾って、あるいみ答え暗記メソッドだよね。
塾は塾で有効だけど、社会的に有用か?というのは考えなきゃならん。
未知の問題に対する対応力が低い人間を大量に生み出しているから、『想定外』なんていう事態が起きるんではないか?(必ずしも塾だけのせいではないけど)
塾に行けば偏差値10ぐらいは底上げできるとすると・・・それって本来 自頭だけでみると
バカを社会構造の上に押し入れるシステムで・・・あるいみ裏金とあまりかわらんよね。(大きく違うけど、わかりやすくするためにこういう表現を使った。)
人は人の殻を破れないので、「思えば叶う」というのは妄言に過ぎない
それは精神論・根性論に帰結するのであって、現実的には何の影響力も持たない
しかし、その正反対にある工夫や英知、努力や健全さなどもお飾りに過ぎないのですよ
そこに「人はより良いものになる」などという金メッキを貼りつけたところで、何も表せてはいないのですよ
同時に「人は堕落するものである」などと泥を被せたところで、やはり人の本質は捉え切れていないのですよ
そうして色づけされた真実は、その側面のどこかを欠落させるだろう
「しかし君ね、それではおかしいではないかと。真実に貼られたメッキや泥に過ぎない思想の価値を、君自身が認めているではないか」と
「思想によって人が救われないというのならば、君の言う行動分析学とやらは今まで以上に人を救うのかね」と
この時、「思想で救われるものなど一つもないのですよ」という命題自体が思想であることになり、形骸化すると同時にその有用性を主張するようになる
以上でオチが付いたということで、あつちへ行つてくれ。私は、もう、ねむい。
昨今の政治不信は今の選挙制度や根本的な政治の仕組みが今の時代、もしくは日本人に合致していないことから生じているのではないだろうか?
よく皆が口をそろえて言うのが、「今まで自民に入れて、前回の選挙で民主に入れ、今回は維新やまた自民に入れようとするメディア妄信型のB層のせいで政治がめちゃくちゃになる」という話だ。
これは致し方がないことだろう。少なくとも今のように選挙権が一律で与えられている世の中において、頭のいい人から悪い人まで、選挙に関心がある人からない人まで平等とされるからだ。
しかし、優秀な人や政治を考えている人の一票と、テレビやネットからの情報をうのみにする人や何も考えていない人の一票が同じという世の中はどうなのであろうか?
今の世の中は知名度による選挙だ。メディアに露出すればするほど、有名な政党であればあるほど票を得やすい。しかし結局はその中身は空っぽ、そんな政治を何十年も続けてきてしまっている。
そろそろその終止符を打たなければどんどんと国力は低下していくだろう。
選挙権を得るためには、政治や一般常識に関する試験(センター試験程度を想定)を突破しなければ得ることはできない。
もちろん選挙権を得るための試験は性別や職業、年齢によって差別は受けない「平等」な試験である。必要であることは日本国民である、ただそれだけである。
これにより、政治に無関心であるもの、知能の劣るものを排する。そしてこれは更新制にし、2回の衆議院選挙(もしくは8年)までの間有効でその後は再度受験が必要になる。
この試験を突破すると自動車の免許証のような「選挙免許証」が発行され、晴れて投票権を得ることができる。
しかし、これを受けたものは政治への参加が義務付けられる。これが後者の直接選挙制度である。
国会議員は法案などの作成を行い、それを審議にかける。この審議には選挙権を受けたものも決議に参加する「義務」を負う。
年間の審議の参加率が50%を切った場合免許は失効となる。などのペナルティを課し、政治への参加を義務とする。
しかし、その法案の有用性を有権者がどのように決めるか、それは国会議員がわかりやすくメディア等で法案のメリットとデメリットを説明する。ツイッターのようなサイトで有権者同士で議論を交わすのもありだろう。
それらを見た上で判断し、有権者は投票を行う。投票期間は二週間程度設け、できれば自宅のPCからでも「選挙免許証」により投票できるようにしたいが、難しければコンビニエンスストアなどで24時間投票できるようにする。
このようにすれば政治に関心のない者、周りに流されて投票する者を遠ざけ、さらに有権者は一票の重みを知り投票することができる。