そんなことを、最近思うようになった。
ネットというのは、本当に凄まじいツールだ。数回のキータッチとクリックをするだけで、必要な情報を必要以上の量で出力してくれる。
出力された情報全てが有用かつ無害なものなら、これほど便利なものは無い。しかし、知っての通りネットの情報は玉石混淆。いや、比率としては石の方がはるかに多い。
見ず知らずの人のどうでもいい日常の記録。ペット写真。料理写真。
問題は、今やネット上のあちこちに蔓延るネガティブな書き込みだ。
非コミュがどうのこうの。韓国がどうのこうの。売国がどうのこうの。あの作品は薄っぺらい。この作品が好きな奴は頭がおかしい。DQN。キョロ充。真面目系クズ――。
いつの間にか、Twitter、Mixi等々人の多いサイトは所謂2ch的な空気が支配しつつあり、その影響かこういう無駄に攻撃的だったり自虐的な書き込みが、どんなに避けようとしても目につくようになった。
断言する。これらの書き込みは、間違いなくメンタルに悪影響だ。特に他人の目線が気になる性格の人……まぁつまりほとんどの日本人にとっては。
これらの書き込みは、ただそれだけを見れば何でも無い、馬鹿馬鹿しい意見に過ぎない。
厄介なのはその量の多さだ。こういう書き込みに限って何故だかやたらと量が多く、ちょっとググればすぐに似たようなネガティブ書き込みであふれた2chスレッド、コピペブログ、知恵袋のリンクがわらわら出てくる。とにかくほんとに量が多い。
こういう数の暴力をモロに受けると、段々冷静な思考ができなくなる。
その意見は単に声の大きい少数派が喚き散らしているだけかもしれない。またはその意見に影響された普通の人が、特に考えも無く気軽に書き込んでいるだけかもしれない。
そういう思考を、ふと忘れてしまう。
ただ書き込みの多さが単純に賛同者の数として目に映ってしまう。
書き手の本気さも、情報の正否も、悪意の有無も、思考の歪み具合も関係なく。数が多いと言うだけで、それが一般的な意見だと錯覚してしまう。
これでは、よほど確固たる自分を持っている人以外、少なからず影響を受けてしまうだろう。
「これらの書き込みが多数派とは限らない」と頭では分かっていても、無意識に刷り込まれるのを避けるのは難しい。
集合知とかいう言葉もあるが、集団で出した答えが必ず正解とも限らない。
また、ある作品に対する評価など、感性に頼る部分が大きいものついては、しばしば多くの人の評価と自分の評価が対立することがある。
自分の大好きな作品が、ネット上のコミュニティではボロクソに叩かれていた。そんな経験をし続けたら、自分の感性に無用な不信を抱くのは時間の問題だ。
ネットにどっぷり浸かってから、それまでの趣味が純粋に楽しめなくなったという人は結構居るのではないか。かくいう俺も、そういうクチだったりする。
文章にまとまりがないが、とにかくこんなような事を色々思って、タイトルのような事を考えた。自分のこれまでの経験的に、まるで見当違いな事は書いていないと思う。
もちろん、こういう問題はネットだけの問題ではないのは分かる。リアルでも、他人の影響というのはかなり受ける。が、現状のネットとリアルを比較したら、まだリアルの方が無駄にネガティブな意見は見続けないで済むのではと思う。
『ウェブはバカと暇人のもの』というタイトルの本がある。これはまさにその通り。
おまえさんが本当は何をしたいかって話にならないか?
Facebookのイイネボタンがわかりやすいけど、自分に都合のいいものしか見えない社会は廃れると思う。少なくとも進化しにくい。 ネガティブな内容を知って、本音はどうなんだと理解し...
確かに、ネガティブな意見だって重要。ネガティブというか、反対意見ね。 だけど、ネットに転がってる反対意見は、"攻撃性"というゴミがかなりの割合でくっついている。 そんなもの...
俺の好きなモノは大体2chでは叩かれまくってるね。 むしろ叩かれてる方が安心できるw