はてなキーワード: TVとは
・他のスマホゲーは触ったことがある程度で1年続いたのは1~2個くらい
・「ブレイブフロンティア」リリース初期からのユーザー
他ゲーをあまりプレイできていないため、実は普通のことなのかもしれないが、個人的に「この運営頭おかしいわ」と思った点を挙げていく
他ゲーでの実施例などあれば指摘していただけると幸いです
■初期 (この時期はわりとふつう)
・公式ニコニコ生放送「ブレ生」開始 … ニコ生はパズドラとかでもやっていた
・ブレ生内コーナー「教えてエイリム」 … ユーザーからの質問にガチで答えるコンテンツ。踏み込んだ質問も取り上げたり、要望に応えたりするため、一番の人気コーナー
・ゲーム内ユニットの上限レアリティを上げる際に、プレイヤーが初期に選択する無料ユニットから解放 … これはサイプロも記事にしていた
ブレイブフロンティアの最高レアリティキャラが、無料ガチャからしか出ない件~無課金ユーザーに優しい運営~
http://toaru-sipro.com/?p=8458
■中期 (徐々に様子がおかしくなってくる)
・スタミナ回復時間を10分→3分に短縮 … 今でこそ白猫がスタミナ撤廃のため、かすんで見えるが、当時パズドラが回復時間を10分→5分にしたことを受け、ブレフロでもという要望が高まり、回復時間の短縮を決定。5分と思ってアップデートを迎えたら3分となっていたことに度肝を抜かれた
・最高レアリティ専用ガチャ実装 … ブレフロにおける課金ユニットのレアリティは☆3~☆7(2月より☆7の上の幻創進化が実装)である。☆7になるユニットは一部を除き初期レアリティが☆5のキャラのため、☆3~4産のユニットはハズレとなっていた。ガチャを引いて☆3~4が出た時の失望感はソシャゲ経験者ならおわかりだろう。ソシャゲ運営上避けられないインフレに対し、エイリムはなんと☆7専用ガチャを実装。ユーザーは本気でエイリムの経営を心配した。
(元々1回500円の召喚だったが、☆7召喚は500円のままで、☆3~4を300円とした)
・好きなユニット1体プレゼント … 昨年の2周年記念で実施。ユーザー全員が好きな課金ユニットを1体取得できた。(ブレフロでは限界突破はないため、ユニットは1体あれば十分)※後に他ゲーでも好きなユニット1体プレゼントがあったということを聞いた
・ブレフェス … 夏での屋外イベント。昨年の開催日がメンフェスと同じで当日モンフェス関連のTLが大いに荒れる中、ブレフェスは穏やかに進んだ。ユーザー数や実施規模が違うため単純比較できないのは当然ではあるが、来場者限定ユニット配布などしないし、事前に参加フォームにより最大参加人数の把握をするなど危機管理はできていた
・まとめて教えてエイリム … 一番の人気コーナー「教えてエイリム」が時間の関係でブレ生でできないことがあり批判殺到。後撮りしてYouTube公式チャンネルで配信。このときだけかと思いきや、元々質問が多く取り上げきれなかったためレギュラー化し、毎週配信することになった
・デバックモード実装 … ゲーム内では「召喚術演習場」という名称でデバックモードを実装。明文化されていないバフの検証や攻撃タイミングの練習用として実装されたが、開発者の格ゲー好きが影響してか、かなりのガチさにユーザードン引き
・ゲーム業界についてあれやこれや語り合う「ヨルハチ」開始(後述) … あからさまに「ヨルタモリ」から発想を得ている
・投稿されたユーザーの絵や創作物を紹介する「ブレ生」天国開始 … タイトルが「ボキャブラ天国」のパロディであるだけでなく、大賞の景品がてぬぐいであることから高橋Pの相当のタモリ好きがうかがい知ることができる
・公式周回機能実装 … プレイヤーレベルのレベリングにおいて、ユーザーの間でマクロ疑惑が問題視。「教えてエイリム」でも取り上げられるが「疑わしきは罰せず」の方針により煮え切らない空気の中、なんと公式が周回マクロ機能を実装。マクロの監視を強化するのではなくそうきたかと、ユーザーの想像の斜め上の対応は衝撃とともに受け取られた。
■ブレ生での悪ノリ
・エイリムを離れることとなったシナリオライターとアートディレクターへの感謝の手紙を読む際、「両者が泣くかどうか」をブレ生視聴者にクイズ投票する企画を観光 … 某むらい氏との違いをしみじみと実感した
https://www.youtube.com/watch?v=uKWLx6GQ7i4
・エイプリルフール企画で広報がアイドル化しクオリティの高すぎる曲を3曲作成 … エイプリルフール企画のためにサウンドチームが3曲作成。普通に発注すると300万円ほどかかる模様。作詞は高橋Pが担当
3:00以降
これに関して、ブレ生出演者でもあるジャスト野島氏は「ほかのメーカーさんも色々仕込んでるけど、この会社やっぱおかしいわw(もちろん褒め言葉)」とコメントしている
□ヨルハチ
・最近電ファミニコゲーマーの「ゲームの企画書」が話題となっているが、それに匹敵する濃度の動画コンテンツ。間違いなくゲーム好き
の内容となっている
第1回
https://youtu.be/ymCNm5bofKg?list=PLNYqeBA-s5RmdTpmo5LR3X0vOLjjZQbiS
「Appleが禁止したシリアルコード商法の功罪」「ガチャが生み出す恩恵の桁違いの話」「ファミ通への入り方」など
第2回 Part.1
※最近これで話題になった人 なんかスクウェアエニックスが大変なことに
http://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/4488383.html
「どうやったら社長になれるか考えた瞬間にクリエイターとして終わったと思った」「TV、音楽は文化たりえたが、ゲームがならないのはメディアが未熟だから」「ファミ通クロスレビューの功罪」「」
第2回 Part.2
https://youtu.be/ymCNm5bofKg?list=PLNYqeBA-s5RmdTpmo5LR3X0vOLjjZQbiS
「プロデューサーとディレクターの違いは映画で例えるとわかりやすい」「日本は作り手意識が強いため、作っていないPをナメがち」「日米の構造的な違いは、日本はPがサラリーマンであること」「ゲームの過去と今を結ぶゲームDJ」
第3回 Part.1
https://youtu.be/ymCNm5bofKg?list=PLNYqeBA-s5RmdTpmo5LR3X0vOLjjZQbiS
「SQUAREの話」「FINAL FANTASYの話」「少年ジャンプとSQUAREの話」「ドラクエと大きく差別化するために天野氏に依頼した」「クロノトリガーは権利が複雑でコラボ実現がほぼ不可能」「坂口博信が語るFFBE」
第3回 Part.2
https://youtu.be/ymCNm5bofKg?list=PLNYqeBA-s5RmdTpmo5LR3X0vOLjjZQbiS
「映画 FINAL FANTASYの話」「スマホゲはエグい部分もあるが面白い」
第4回 Part.1
https://youtu.be/ymCNm5bofKg?list=PLNYqeBA-s5RmdTpmo5LR3X0vOLjjZQbiS
・高橋名人
「現在シューティングゲームを買うユーザーは2~2.5%」「クソゲーの話」「クソゲーでも買ったからこそ遊びつくされ伝説になった」
「ハドソン入社から名人になるまで」「現代のゲームについて」「ユーザーライクに浸って育った子供たちは忍耐が育まれないのでは」
第4回 Part.2
https://youtu.be/ymCNm5bofKg?list=PLNYqeBA-s5RmdTpmo5LR3X0vOLjjZQbiS
「e-sports発展における賭博法の壁」「フードファイターが番組になるのになぜゲームでできないのか」「e-sportsが普及すればパッケージゲームが売れるようになる」「splatoonの話」「テニスのナダルのように、WiiのプロがPSでも勝ち上がってきたという展開になると盛り上がるはず」
■最後に
まだまだ書きたりないことはあるのだが、ひとまずここまでとする。
当のブレフロは2014年8月をピークにユーザー数は右肩下がりで非常に残念ではあるが、
http://v4.eir-parts.net/DocumentTemp/20160502_035623623_q3140ovvxmncdy55xi02wrv4_0.pdf
P32
各種放送を見て、高橋Pは現在のゲーム業界を必ずしも健全だとは思っていないことが窺い知れる。
いつかゲーム業界に大きな風穴を開けられることを願ってこれからも応援していきたいと思う。
…と、こんなことを書いていたら昨日、エイリムがロゴ刷新を発表した。
なるほどなぁと思うことが多かったので返答させてもらいます。
一点目
わざわざ、「今の段階ではストレートです」とは名乗らないでしょう。もちろんこういった話題の場合では、言葉足らずだったかなぁと思いますが。
二点目
「ゲイじゃねーの??」って普通の会話ではなかなか耳にしませんよね。大体これを言われるのはからかわれているときで、ジェンダーをネタにするのはいけないことだという多少の正義感と、実際に自分がゲイであると認識されることが嫌、という二つの思考回路によって「語気を荒げてしまう」と自分では考えています。ゲイって笑われるものという認識は、TVなどを見ていれば皆さん少なからず持ち合わせていると思うんです。その笑われるものに自分が同一視されるとイラッとくるという感じですかね。実際増田さんの仰るように語気を荒げる必要はないのですが、心でそう思っている以上ほとんど同じことではありませんか?
三点目
もちろん、増田さんの仰るとおり私は恋愛感情抱かれることには特に嫌悪感を抱きませんし、ゲイやレズの方は彼らのコミュニティでお相手を探すことも理解していますよ。
ただ、「私、ゲイなんだ」といわれたとき、「ああ、そうかそうか」とこれまでどおりの関係を維持できるとは必ずしも言い切れないということを書きたかったのです。私は根拠もなしに自分はできるという確信を持っている人の方が恐ろしく思いますが。
もちろん、私も理解する努力はすると断言できます。(そうでなければ何のために勉強したのか…)
ジェンダーに対する理解って何段階もあるんですよね。ストレート以外は存在しないと考えている人も世の中に入るだろうし、私はジェンダーについて寛容だ、と思い込む人も、本当に寛容な人もいます。
これってずっとそのままの段階の人もいれば変えていける人もいるんですよね。私は自分が本当に寛容であるとは思っていないので、これからも努力をしなければいけませんね。
以上返答になっているかは分かりませんが、読んでいただければ幸いです。
大学入学とともにインターネットに触れ、ネットの隆盛をウォッチしてきたつもり。
貴重な時間を無駄にしてしまったとも、時代の変化をリアルタイムで体験できた唯一の世代ともいえる。
ネットに触れる前、1995年は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、Windows 95発売と、今につながる転換点となる大きな事件があった。
アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」は、1995年10月~1996年3月放送。今年は、TV版エヴァ最終回から20年でもある。
当時、声優の緒方恵美さんのファンだったので、初回からビデオで録画し、各話とも何回も何回も繰り返し見た。
今週、口腔外科の1泊2日の手術のため、入院することになり、Kindleセール時にまとめ買いした「貞本版エヴァ」を最終回まで初めて読んだ。
実は、コミックは当初の数巻は買っていたが、発行の遅さに購入をやめていた。
読みながら、アニメ版のセリフやカットが蘇る。後半は1997年上映の劇場版のシーンが浮かぶ。
媒体は紙ではなく電子書籍になり、当時は存在しなかったスマートフォンでページを送る。
一部のアニメファン・声優ファンが熱狂していた当時、誰がこんな未来を予想しただろうか。
しかも、エヴァはマニアの作品ではなく、ネット上ではスタンダードな作品に「昇格」した。
1995年は、「エヴァ」放送前は「ガンダムW」が人気を得ていた。
「エヴァ」がなければ、アニメ・マンガはもちろん、ネットやエンタメ全般のトレンドも今とは違っていたはず。
毎週、画質の汚いビデオテープを繰り返し再生し、セリフを覚えるまで見て、大げさではなく、人生が変わった。
物議を醸した最終回放送後、ラジオや新聞も取り上げるようになり、世間も騒ぎ出した。
一般的には旧劇場版、新劇場版のほうがムーブメントだと認識されているかもしれないけれど、
誰が何と言ってもエヴァのピークは1996年3月。とにかく20話以降、続きが気になって仕方なく、毎回、衝撃的だった。
ファン同士のつながりは、アニメ誌だけ。パソ通では盛り上がっていると聞いたが、触れる手段はなかった。
あれから20年、コミック版を見て、週1回放送の「テレビアニメ」だったこそ、ハマったと感じた。
声・音楽抜きで、ストーリーだけ追うと、陳腐で、今となっては、それほど新鮮味はない。
特にミサトと加持のからみは、出産後、恋愛感情が消失した身には、眩しく羨ましかった。
貞本エヴァの主役は、トラウマに囚われた大人子どものミサトに思える。
名作と呼ばれる作品は、後から評価されるパターンもあるけれど、時代とのリンクが大きい。
「エヴァ」は、当時、学校や親との関係に悩んでいた人の心の支えだった。
新劇場版は、毎回、見ているけれど、TVアニメ版リアルタイム視聴時の熱さには及ばない。
いっそ、子どもと一緒に映画館に行ける日まで、完成しなくていい。
10年後、「あれから30年」と振り返る頃、自分はどうなっているのか、アニメファンが目立つネットはどうなっているのか。
スマートフォンが普及し、よりリアルタイム性が重視されるようになった結果、
コンテンツの大半は消費するものになり、「心の支え」にはならなくなってしまった。
未来は予想しない方向に転がっていく。生きることは、歳を重ねるごとに厳しくなる。運転ミスは命取りになり、仕事で失敗したら貧困に転落する。
今も昔も、現実の世界の他者は、「助けて欲しい」「悩みを聞いて欲しい」という叫びを聞いてくれない。
ネットでいくら検索しても、答えはどこにも見つからず、一人で頑張って解決するしかないと悟ったけれど、いま、とても不安だ。
72位だそうだ。
国連の会見を見た限りでは正直わりとまっとうな内容だったと思う。
しかし、問題なのは一部マスメディアが記者クラブの件について話題にしなかったという部分だ。
朝日新聞は記事に載せていたが、毎日新聞は言及していなかった。
これが何を意味するのか。
もし、このまま記者クラブの件についてマスメディアが触れないまま進むと、インターネット上でどんどん記者クラブに関する話題が増加していくように思える。
特に今回の国連の報告で「インターネットに関してはむしろ重要なモデル国である」という発言がその勢いを補強してしまう。
そうするとどうなるかというと、ネット上に表現の自由度ランキングが低い主な理由はマスメディアの怠慢や既得権の独占といった論調が支配的になっていくように思える。
これはつまり、大手メディアに取って報道の自由度ランキングが不都合な存在になっていくということだ。
ここまでくれば何を言いたいかわかるだろう。
新聞大手やTV業界は報道の自由度ランキングを取り上げることを段々と少なくし、最終的には0にしてしまうと思う。
しかも、政権が圧力をかけるからではなく、マスメディアの不利益になるから。
という理由で。
https://note.mu/enkykliospaideia/n/nc971ac77b96c
この話ね。まず、
1 技術が活かされてないと感じる
テレビというメディアは単純な受身型のメディアという面がありますが、最近は地上波デジタル放送によって双方向に対応したり、サブチャンネルによって各局複数の情報を同時放送できるようになってます。でも、そういったことが災害報道では全く活かされないのはどうしてなんでしょう?
なっているのは規格だけ。双方向で送れるのは5つのボタンを押したかどうかだけだし、その情報はインターネットがつながってないと送れない。停電しているところに「無事ですか?」ってアンケート送ってそれに対する返事があったりなかったりすることが災害報道で活かせるかというと、ないよりましな程度。
地上波デジタル放送になって、テレビのチャンネルは複数放送できるようになっているのに、それを活用しないのはどうしてなんでしょう?
サブチャンネルは、リアルタイム動画エンコーダを複数持っていないと放送できない。MXは複数チャンネルを活用しているね。あとは、関東地区のキー局と関西地区の準キー局、あとはプロ野球のホームチームが強いところだと複数エンコーダをもってる可能性があるけど、熊本は微妙。使うかどうかわからないSD動画エンコーダを入れるってかなりの経営判断になるし、これを書いた人は2006年位に佐々木俊尚が「2011年、新聞・テレビ消滅」とまで煽っていたことを忘れているんじゃないかな。実際5年間の移行期間の出費とデジタルTVの普及率次第ではそうなる可能性もあってどこもなるべく安く導入しようと必死だったから。たぶん、双方向データ放送の制作設備なんか、もってるところのほうが少ないと思う。
そのアイデアは面白い。HD化しているのでもしかしたら映るかもしれない。ただし、筆者はたぶんお役所が出している資料がどれだけ読みにくいものか認識の外にあるんじゃないかとも思う。資料はPDFで役所のwebサイトに公開されているし、それを再生紙に印刷したら、手持ちのカメラを使って録画して見てみるといい。
ちなみに、「どのチャンネルも同じ絵を映している!もったいない」はたぶん担当者も同じことを思っていて、記者会見なんかは余裕のない地方局を中心に代表でカメラを出してあとはそれを分配、なんてこともしているけど、これその代表者が撮影に失敗しても泣かない、ということとトレードオフなので重要なところほど他に任せられなくなるという問題がある。
2 センセーショナリズムから抜け出していない
被災地の悲惨な状況や、困窮、資源の不足を取材したのなら、そこにうまくそれを助けるために私たちが何ができるか、義援金のお願いや救援物資の送り先といったものの情報をうまくセットにして常に伝えるといった工夫が足らない
義援金のお願いは普通にしている。ニュースの〆に流れているカンガルー災害募金(今は別の名前になっているけど)とか、ドラえもん募金とか聞いたことないとは思わないけれど、それがセットになって伝わっていないとなるとちょっと厳しいかもしれない。
救援物資の送り先は基本的には流さない。なぜかというと、救援物資が足りない、と言われてから個人に用意されてもどうにもならないから。そもそも、困窮とか資源の不足の話、今回の熊本の地震では、東日本大震災の時の教訓もあってかなり抑制的になっているというか「(届けてくれるところはあるけれど)それが来るまでの数日が足りない」っていう話とセットになっていたはずで、本当にこの人、災害報道見ているのかちょっと怪しいと思った。
延々テレビ局のスタジオから放送しているのに、出てくるのは切迫した雰囲気で伝えるアナウンサーと、わずかな地震学者や地質学者系の専門家だけという感じなこと
バラエティ番組や情報番組であれほどコメンテーターやら、何やら評論家やらをたくさんテレビ局に呼んで並べているくせに、こういう長時間の放送の時にこの人の少なさはなんなんでしょう?
もっと役に立つ人がいるなら呼ぶから、こういうのはその役に立つ人の名前を出してほしい。ちなみに、エコノミークラス症候群とか、避難所がそもそも危ない場合もあるとか、そういう話については専門家を呼んで話してもらうまでもなく共有されている情報だったので、キャスターから直接語りかけられていたよ。
4 正確性が疎かになっていること
テレビはその速報性やリアル感といった部分での競争を意識するあまり、ネットで流れる情報をあまり確認せずにテレビでも取り上げるという愚を犯すようになり、自ら信頼性を下げているのは嘆かわしいことといえるでしょう。
これ、具体的にはイオンモール火災の話だと思う(マンションの接合部はそこがもともと計算した上での設計であろうと今回の地震で壊れたことに変わりはないし、熊本城の瓦は加藤清正の設計じゃないよね?)けど、そこは確かにどうにかしないといけない。
とはいえ遠隔中継できるカメラを持っている人が山ほどいる時代にそれを使わないのは流石に微妙なので、誰を信用するか、みたいな部分で担保するしかないのだろう。
正直、正確性と速報性はどちらも求められることで、そのバランスは難しい。新聞とテレビと比べると、テレビは若干速報性にバランスを振っているし、新聞は正確性にバランスを振っている面はあるので、そこは新聞と併用してほしいとも思う。
『アインシュタインよりディアナ・アグロン』の歌詞が批判されている。
http://matome.naver.jp/odai/2146033391996228201
http://mess-y.com/archives/29624
大変もっともな批判だと思うが、せっかくなので匿名で別の見方を書いてみたい。
秋元康は性格悪いかもしれないし、心が歪んでいるかもしれないが、海外ドラマは好きらしいし、ドラマを見てメッセージを誤読するようなバカじゃないはず。たぶん元のドラマを見ていて、ドラマのメッセージもよく分かっている(この前提に同意できない人はこの後読んでも無駄かもしれない)。
歌詞カードのクレジットを見ると上記の通り。要するにHKT48というグループ内から選抜されたユニットの曲。そしてシングルのカップリング。こういうの扱いの曲にはちょっとしたお遊びが入るのがアイドルソングの恒例。たとえばグループを卒業する主要メンバーがカップリングにソロ曲をもらって、歌詞も歌っている本人の体験を元にして本人のイメージに近づけて書くとか。つまり、この歌詞はなこさんかみくさんかめるさんかみおさんの実体験である。
最初に私が引っ掛かったのは『glee』というドラマを見た女の子の歌なのに、歌詞が役名のクイン・ファブレイじゃなくて俳優名のディアナ・アグロンなことだった。この時点で既に歌詞の主人公の女の子は俳優さん本人と演じるキャラがごっちゃになるタイプのバカという設定なんよ。ハリウッド映画を観に行って「外人てみんな同じ顔してるから話が分かんなくなっちゃった」言うのと同じタイプのバカという設定なんよ。「おバカでいい」と思っている人じゃなくて、客観的にバカなんよ。
余談だが、大昔ご飯屋さんで隣のOL3人組みたいなのが「ほら、『ER』にイタリア系のモテる小児科医がいるじゃん…」ていう会話してて、横から「ダグラス・ロスでもジョージ・クルーニーでも、名前のどこにイタリア系の要素があるんだよ!顔が濃かったらみんなイタリア系かよ!」ってツッコミたくなった経験がある。TVの海外ドラマなんて雑に見ている奴いっぱいいるから。みんながみんなメッセージとか気にしてないから。ぼけっとしながら見て誤読する奴いっぱいいるから。
おそらく秋元康とユニットの4人の誰かが舞台裏かどこかで世間話をしていたんよ。そしたらその子が「最近『グリー』っていうドラマにハマってんれすよ。その中でも特にディアナ・アグロンていう女の子がすごくきれいで、目なんかもキラキラしてて、男の子にもモテて、すごく憧れなんれすよ」みたいな話をしてきて、秋元は心の中で「うわー、こいつ、ドラマと現実の区別も曖昧だぞ。ドラマの内容も全然読み取れてないぞ。…うーん、でも、こいつ、TVで見た人に憧れて、その人に近づこうといろいろチャレンジして、これはこれで本人はなんか幸せそうだなあ。よし、こいつを主人公にした曲を1つ作ってみるか」みたいなことがあったんだろう。
「この歌詞は秋元康の理想の女の子を描いているに違いない!ロールモデルにしようと企んでいるに違いない!」と考えるか、実在のモデルがいる実在のエピソードを元にした歌詞と考えるか。歌っている本人は案外「うわー、私が話した事を元に歌にしてくれてる。私だけの歌だ。大切にしよう」と思っているかもしれない。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
異端者アピール説が有力だが、今回はちょっと別の切り口で攻めてみよう。
物事には多少の偏りが出るが、それがあまりにもいきすぎるとバランスを保とうとするんだ。
「アナと雪の女王」は覚えているかな(忘れようと思って忘れられるものでもないが)。
私も観にいって「これは素晴らしい作品だ」と当時思ったよ。
その熱を保ったままネットでレビューや、関連動画を渡り歩いた。
そして、それがしばらくすると不安になってくるんだ。
上映から数ヶ月たっても、動画サイトでもレリゴーレリゴー、TVメディアもレリゴーレリゴー。
「もういい」と思ったね。
人は食べ物に限らず、同じことを繰り返せば繰り返すほど嫌悪感が増すからだ。
「コンテンツを消費している」という言い方があるが、その弊害がまさにこの現象だと私は考えている。
「オートバランサー」はその流れを緩やかにするわけだね。
彼らは酷評されまくる駄作に関しても出てくるので、その点で平等だ。
絶賛する人、酷評する人と同じく冷静ではない。
とはいえ、作品というものは評価の対象で、だから賞賛も批判もある。
それらを発する個々の動機だけで是非を語ることにさして意味はないが、汲み取るべき部分があるのならば耳を傾ける価値はあるさ。
まあ、そんな高尚な心構えで常に臨むのは疲れるがね。
君がそれを他者に納得させたいなら、少なくとも「なぜその結論に辿りついたか」くらいは、順序をおって説明できないとダメだね。
どのような高尚な理念で「人それぞれ」、「ケースバイケース」だと言っているのか分からないから。
「YES側」も「NO側」もやっているのだから、君だってそれくらいしなくてはな。
前の質問で私は、絶賛されたり酷評されまくる作品にたいして「それほどでもない」という人間を「オートバランサー」といったのを覚えているかな。
ただ、保たなくてもいいところでまでバランスを行使する人間を、私は「均衡の執行者」と呼んでいる。
そして、彼らは中立的な意見を「YESかNO」より尊いものだと信じているんだ。
だが、両者にとって最も邪魔なのは「YESでもNOでもないのにしゃしゃり出てくる側」だ。
でも、君はその域にすら達していないように見受けられる。
「人それぞれ」、「ケースバイケース」だなんてことは、ほとんどのことにいえるから、誰だっていえる。
大した段階もなしに、その結論にたどり着くのは何も考えていないのと一緒さ。
それを踏まえたうえで、「YESかNOか」議論する意味をもう少し君は考えるべきだな。
学ぶべき教訓はこうだ。
「賢人は必ずしも中立にいるとは限らない」
A鈍かったのもあって地震の深刻さに全く気付かなかった。
今回の地震で思い出したことを徒然と。
地震が発生したのは学校で一斉に英語の試験(英検みたいなので強制だった)を受けていた時だった。
一度校庭に避難させられたが、揺れが収まって暫くしたらまた教室に戻らされた。
そして安全のため、生徒達は親が迎えに来てくれる子以外は学校に泊まることになった。皆で教室でだべっていたような記憶がある。
実はこの時点では非常に大きい震災だと私は思っていなかった。
何故なら携帯禁止の学校で、外部の情報が私に全く入っこなかったからである。
母校が妙に携帯所持に厳しかった。確か2回か3回見つかったら推薦取り消し&退学一歩手前の状態になる、授業中にどこかから携帯の音が鳴ったら、誰かが携帯を出すまでクラス全員下校時間の18時まで教室から出れま10させられるというぐらいのものだったので、大体の子が持って来ていなかった。正確な所は知らないがこの様なものだった…筈…。
場所も東京だったので「ちょっと大きい地震だなー」ぐらいにしか思っていなかった。学校から帰れない時点で気付くけそうなものであるが私は鈍かったのだ。学校も特に損壊とかしてなかったのも相まってた。
後先生が平然と教室に戻った後試験を続行させようとしたのもそう思わせるのに拍車をかけてた。試験中余震がちょいちょい起き、生徒から「こんな中で試験なんて無理だろ!」とブーイングが起きたのですぐ中止になったがw
TVも教室にあったが生徒だけでは番組映せなかったので意味を為さなかった。オンリー砂嵐。
まあ友達が少なく携帯持ちこんでる子と話せなかったのもあるかもしれない。とにかく外から情報を得る手段が私にはなかったのだ。
なんか呑気に友達と話してた気がする。呑気だったのは私だけかもしれないが。
なので母の迎えによって(地震が大きかったので帰れないか察知して来てくれたんだったかな?)家に帰ることが出来、テレビを見た瞬間は非常に驚いた。
自分の想像を遥かに超える酷い災害だったのだ。母は大変な被害が出ていると言ってたが、実際TVで見るまで半信半疑だった。学校で想像していたものとの落差が半端じゃなかった。先生ももしかしたら不安を与えないために情報を伝えてなかったのかもしれない…。試験やろうとしてたけど。
暫く後、そして自分のような鈍い奴が情報を遮断されると、外で何が起きてるか知ることが出来ない、思い至れない事実に思い至ってゾッとした。
http://anond.hatelabo.jp/20160413011603
『映像だけ見て萌えているのか?』と思うのは誤解です。省略されているとはいえ引きつける構成・演出・楽曲すべてが一体となって表現されているところに感動があるのです。(補足3参照)
京極監督は初めから劇場版を狙ってたわけではないだろうけど方向性はTV1期から存在する事は明らかです。漫画や小説では表現できないアニメならではの作品とする方向性。
どのように構成と演出と楽曲が一体となって表現されているかを説明して頂けないと解釈が難しいです。また、一体となっていないことを表すもつれが構成に存在することについては、おりあそ氏の記事やそれに対する自分の考察記事などでも言及されています。それを全部放り捨てて「一体となってます」と無理矢理言い張られても困惑します。
もしかするとアニメならではの作品として表現したいという方向性が一環していてそのために構成演出楽曲すべてが一体となっているという意味でしょうか…。だとしたらその姿勢や結果に致命的な怠りが存在しているので問題があるという話を何度もしています。そしてそれは言い換えると全てを雑にやろうという意図がしっかりしているみたいな状態です。
劇場版でSDSのライブシーンで海未がいるはずの所に存在せず作画ミスだと物議を醸したことがありました。海未はアニメ以降特に不遇だと囁かれるキャラの一人であったため制作陣の悪意や、または慢性的な配慮の怠りの結果だと感じる人も多かったようです。
絶賛派はそれについても全体的な表現として問題ないからどうでもいいというつもりでしょうか。呆れるしかありません。
それを理解しない増田は絶賛派を以下のように認識しているようです。
『ラブライバーである自分が好きだからラブライブが好き』なので、失敗作である現実から目をそらして『盲目的に賛美すること』しかできない人間 (かぎ括弧内引用/ 他筆者補足)
まあひどい言われ方ですね(笑)
『海外ドラマにのっぺりとした無個性の二次元美少女絵を貼り付けて動かしてたまにライブシーンで踊らせておけば萌えて尊い』
ため息がでますね・・・私がどうして感動したのかはこのブログで5本も長文投稿をしたのでここで繰り返しません。でも読んだとしても理解はしてもらえないでしょうね。
自分の価値観も相手の価値観も絶対ではないのです。そんなことは発言する時の広く大きな前提です。その自己嫌悪の苦しみと戦いながら内へ外へと開いていくものです。
このように結局は絶賛派が批判派に対して主として持ち出すのはファンとしての立場の在り方的な話です。作品の内容を論じる場でそれを用いても、今まで論じてきておいて今さら何を言っているんだろう…?と思ってしまいます。
一時期流行ったように「それはあなたの感想ですよね?」と返せば全てが解決するわけではありません。それは元も子もない大前提ですし、お互い様になってしまいます。
自分の感想を他者の感想として言っていたなら問題あるでしょうけれど、互いに自分の感想を真っ向から述べているはずの場です。
また、絶賛派の考えがその作品としての在り方を照らし合わせて見た時に論理的妥当性を欠いていて即時的で表面的な感想じみていることは、この記事でもずっと指摘してきていますし、そこを検討してみてほしいところです。
もっとも、絶賛派の多くは作品において即時的で表面的である所の彼らがいうところのアニメならではの表現内容への思い入れを拠り所にしていて、前後や総合的なつながりや辻褄の考察を要する物語性やキャラクター性については考えたくないようなので難しいかもしれませんが…。
増田の言うように駄作という現実から目をそらして感動したフリをしているのでしょうか?さすがに増田も自分の論理に無理があると薄々気づいているはずです。
多くの人の感動させた作品であるという事実。それを受け入れられないとすれば『現実から目をそらしているのは増田の方である』というしかないでしょう。
洗脳だろうと幻覚だろうと感動したらしい人達が沢山いたことは確かでしょうから、そのことには一定の価値があると思います。
しかし、主に内容自体の在り方を主題として論じていたところで「お前が何を言っても感動した奴は沢山いるんだぞ」という内容自体の考察から距離が離れた根拠を持ち出されても、たまたま都合がいい形で現れた現実に縋りながら、内容そのものという真実から目をそらしているように映ります。内容に対する真実の好きを手に入れたいと思わないのでしょうか。好きという状態さえあればいい、そんないまが最高だからいいのでしょうか…。
君、原理主義に陥る事なかれ
自分の価値観を大切にするのは良いと思います。でもその価値観を唯一絶対のものとする事は『原理主義』ではありませんか?増田の論は批評を超えて否定となっているように思います。
『アニメ化以前の作品が好きだ。劇場版はまったく理解できない』それはそれで結構じゃないですか。しかし現実にこれほど絶賛している人がいる以上『自分には理解できないが別の価値観があるようだ』と受け入れるべきです。
正直な話、私も増田の言っている事の多くは理解できません。だから『なぜこの人は本作の良さを理解できないのだろう・・・かわいそうに』となるのです。
増田は自分の好きなものをポジティブに論じるべきでしょう。②の方はいくらかポジティブさを感じたし同意できる所も多いです。(あそこまで合っててなぜ結論が違うのか・・・補足7参照)
私にとっても『駄作・理解不可能』な作品が世間で絶賛されている事が多くあります。その度に自分の認識不足を自覚し考えを改めます。
増田も本来は同じだと思います。しかし今回は不幸にもメディアミックス作品と言う事で感情的行き違いがあるように思います。初期派はおそらく強い矜持を持っているのでしょう。でもそれが原理主義に陥らないで欲しいのです。
確かに理解不能の作品が売れたり評価されたりしている状態は不愉快なものですが、人気がなくても好みなのでしかたがない。一方で人気があっても嫌いなのは好みなのでしかたがない。芸術はそういうものだと思います。
どの現実が真実により近いのかは分かりません。だからより感じて考えて主張して反応を見て…などという行為に意味も生まれるのでしょう。
『アニメ版の良さは理解できないけど初期作品はこんなに素晴らしい!』と言ってくれればアニメ版以降のファンも目を向けてくれるかもれません。一つがダメだから全部潰れてしまえ!では悲しいではありませんか。
.私はラブライブ!とμ'sがいつまでも輝いていて欲しい。だからファン同士の対立は否定ではなく肯定で終わらせて欲しいと思うのです。
投稿においては確かにアニメ以降の批判が多いかもしれませんが、それでも初期の良さも述べていますし、また、先にも述べたように絶賛派は平和ボケしていて余裕なので脳天気なことを言うだけでいいでしょうけども、肯定で終わらせられるわけがないくらいにラブライブというプロジェクトは致命的な問題が山積みなのです。
それを好きな人、擁護する人が多いから問題ないとするのは思考停止です。犯罪はバレなきゃいい理論に似ています。
自分は現実的に考えて、作品が是正されることや、社会的に糾弾されることにはもはや期待していません。作品が終わる折に思い出を語るように純粋に意見を発信する目的で述べています。
純粋さと不純さどちらがいいとも悪いとも時によりけりではありますが、作品が批判されたくないために内容の状態にかかわらず擁護するというのは不純です。内容自体に対して、また自分自身に対しても純粋でないために説得力が不足しています。
今回は意見交換になってますが、元はただ作品内容の問題点を感想としてただ述べているだけでした。
そのように純粋に意見を独り言のように発しただけの投稿を態々発見して頂き、読むだけでなく反応を返してくださったことはとても貴重なことで有り難く思います。そのような純粋な喜びは励みになります。
以下は補足説明に対して述べます。自分の補足説明にもなりますね。
*補足1*
とはいえメディアミックスなのだから、すべての作品がμ'sが出演する創作作品と考えるのが自然だと思う。それは原案者への冒涜になならないはずです。
名前とか見た目や声だけ同じμ’sでもキャラや作品内容が根本的な所から違いすぎるのでそれを乱暴に同一人物が出演してるかのようにまとめてしまうのは逆に問題があります。
*補足2*
パクリである事と『つまらない』かどうかは関係がないので、その辺をあえて混同するのは論理として如何なものかと思っています。
せっかく自分はパクリじゃなくても滅茶苦茶つまらないからクソだみたいな身も蓋もない独断偏見を避けて説明したのに対して、まるでどこにでもあるようなパクライブ批判に対して反応するかのようにざっくりいかれてしまって残念です。
とりあえず配慮の足りてない意図から内容を歪め、配慮の足らない結果になってしまったことが問題なのですと繰り返し強調しておきます。
*補足6*
「今が最高!」と騒げば『飛べるよ』」というようなパッパラパーな意味
ひどい皮肉ですね(笑)むしろ私は『今が最高』の本来の意味『時を巻き戻してみるかい?no no no 今が最高!』※(過去には戻らないの意)を、増田は『過去=初期作品』と捉えて『初期作品ではなく劇場版が最高!』と言われて怒っているのかと思いました。
もちろんその点にも怒っているというか呆れていましたが、その点は言うまでもないほどのことですので…。過去のことや積み重ねてきたものをしっかりと大事にしながら、今を成し遂げたなら今が最高もいい言葉になるんでしょうが、そうではないので残念でしたね。結局、大事な原案とか過去とのつながりを普段どうでもいいと思っているくせに困った時だけメディアミックスを持ち出してみたり、黎明期の声優のことに思いを馳せて声優を思いやれるファンを気取る程度のファッション的なファンにとって都合良く理由はないが今が何より良い気分だということと、積み重ねを感じているふりをできるということを表せる都合のいいフレーズになりましたね。
*補足7*
『ラブライブ!のPVは内容的にアニメキャラというよりアイドルPVの二次元化であり』- ②より引用
私も近い考えですが、私は架空アイドルの『コミック化』『ノベル化』『アニメ化』『ゲーム化』『ライブ化』であると思います。結論が違うのはやはり増田が原案重視だからではないでしょうか。
架空アイドルをコミック化~化…という作品なら特に珍しくなく、今に始まったことじゃないですから当時に期待するものとしては価値を見出しませんでしたね。
実際公式がどうしようとしていたのかは分かりませんが、自分が当時の状態を見て想定し、期待した魅力ある展開の仕方はそれだったということです。
そこについては原案重視とかそういう問題ではありませんし、また、アニメ以降の在り方を評するならともかく、アニメ以降の立場からの物言いでその点を論じるとかなり捏造に近いと思います。
また、ここで原理主義的だとか原案厨や原作厨というものについても言及しておきますが、それらはよく批判されますけど、それが重視されるのは時により人により残念かもしれませんが当然だと思います。
そこについては逆に原作を好きじゃない作品の展開について考えていた時に至った考えです。結局は原作が一番偉いから仕方ないと思わなきゃいけないんだと自分を納得させました。その作品をその作品たらしめるのは原作であって、原作者であるべきなんだろうと考えたのです。
つまり、原案や原作こそ作品にとって最も重要なアイデンティティとなり、軸となる要素ですから、その要素が消えて倒れてしまったら、もはや元とは無関係の作品です。
実際アニメ以降のラブライブはラブライブと無関係の学生が歌って踊る作品としてならば積極的に評価できる部分も増えてくると思いますが(それでも色々盗作などの問題点はありますが)、『ラブライブ!』として見たら間違ってもとても快い気持ちで見られる作品ではないということです。
カップヌードルはカップヌードルで美味しいと思いますけどステーキ屋で高級ステーキを食べられると思いそれを期待して頼んだ時にカップヌードルが出てきたら快い気持ちになるでしょうか。
それをカップヌードルはステーキと違ってただ肉を焼いただけではなく素晴らしい発明で最低限肉も入っていてステーキよりむしろ素晴らしいんだとかなんとか言われても一理なくはないですが困りませんか?
それぞれをそれぞれに例えたわけじゃないですが、自分が感じる納得できなさはそのような感じなのです。
例えば、鈴木福くんが川谷と写真を撮って、ブログに載せていたらどうなっただろうと考えてみた。
流石に福くん本人は叩かれないだろうし、好感度が下がることもないだろう。
まあ写真は現実離れしすぎかもしれないが、TVで「私以外私じゃないの~♪」と口ずさむ場面が放送されるとかなら、あってもおかしくはない。
「邦画が面白くない」問題について、色々な論が飛んでいますが、私の考えを述べます。
おおよそ2000年になるまで、くらいと考えるのが妥当でしょう。
その時代はまだまだネット普及率も高くはなく、必要な情報を検索して調べることが
できたのも一握りの人だけで、コミュニケーションツールとしてもまだまだ未成熟だった。
では人々は何を頼りにして映画を見ていたのかといえば、それはTVによる宣伝など
また、映画を評論する映画好きの人達も一定数いて、糞映画を何本も自腹でみては
その中から面白い映画を選りすぐり、評してそれらを参考に一般の人達は映画を見ていた。
広告代理店にしても、面白くない映画を売り出すことは難しいので、企画にまで絡んで
いただろうし、プロの宣伝人と、プロの企画者と、色々とプロな人達が提供するものを
これが良いかどうかは別として、やはりプロの人達が頑張った結果、それなりの水準のある
映画を作ることができていたのだとは思う。これは結果論として。
スマホの普及により、ネットコミュニケーションの闊達が著しくなった。
それと同時に社会情勢も踏まえて、娯楽にお金をかけることに最大のパフォーマンスを得れないといけないという観点が高まってきた。
今までは、そもそも他にどういう選択肢があるのかわからない状況で、TVの宣伝だけをみて、良さそうなところを選ぶ。
この時点で、それなりのプロが選んだフィルタリングがかかっているわけで、それなりの水準のサービスを享受できていた。
しかし、ネットの情報により、選択肢がそもそもたくさんあるということが見えてきた。
だとしても、選択に失敗をしたくないという人が多くいるので、ネットの口コミというのを参考にするというシステムが出来上がった。
当初はこれも、口コミをする人が、正常な大人だけで、よく機能をしていたが、
スマホのおかげで、どこの馬の骨ともわからない有象無象が、勝手な意見をする状況になってしまった。
ネットで話題が、正当な作品の評価によるもので話題なのであればいいが
今あるネットで話題は「シェアしても面白いかどうか」になってしまっている。
絵面が面白いとか、ツッコミどころがあるかとか、そうしたことがシェア要素になってしまって
また、作品を評価する人も単に「つまらん」「おもんない」という一刀両断切り捨てタイプが多くなってしまい
本当の意味で作品を評価できる人よりも、ただ気に食わないから低評価をする人の割合の方が多くなってしまった。
そうした評価をみて、多くの人が作品選びをするので、作品の質とは違った所で
作りて側もそうした、時流をみて、とにかく話題になることを1番に考えて作品を作るわけだし
見る側も、根拠の無い評論をするので、どんどんと場は荒れていくのはしょうがないことだと言える。
負のスパイラルに陥っていることは現状を見ればわかることだ。
・どうすればよいか
そもそも論として、映画を見るのに他人の評価を気にすることが無意味だと思うのだが、
実際の所そうして、安牌を選びたいという人が増えている現状なので、
それではやはり年間何百本と見ているプロに評価をお願いするのが良いのではないかと思う。
ネットの有象無象が作品もなにもかもぐちゃぐちゃにしてしまう世の中で、
「本当に良い物は評価されるはず」みたいな美談はもう成り立たない。
上述した通り、面白い映画をつくるだけでは、話題にならないので、商業的には失敗する、という状況になっているのです。
ネットで話題にならないと、土台に建てないのです。
卵が先か鶏が先かわかりませんが。
自分にとって面白いと思えない作品を見ることで、面白い作品がより際立つというもの。
視聴者側の沸点が低くなりすぎて、すぐに「クソ」とか言っちゃう。
別にいいじゃないか、映画にエンタメ性だけを望んだら、ハリウッド映画以外存在しなくなっちゃうよ。
あれこそ紋切り型でつまらないとも言えるし、露骨な商業路線だという人もいるはずです。
「1800円で2時間過ごせてよかったなぁ」くらいの気持ちで映画見ましょうよ。
一度浜村淳の映画解説を聞いてから、映画を見てみることをおすすめする。
邦画は2000年より以前から既に落ちぶれていた、っていう人の
(俺の中では)くそってなんでも言えるしな。
hobbling 洋画が面白いのはネットが普及してないからか!
↑
こいつアホだなー。
Tottenham Hotspur vs. Manchester United live 2016: game time, and TV Info, Highlights, Score, Stream
「目的のために生きる奴が嫌いだ
そうやってお前は、何かのために命を賭ける。
生き物は生きることが大事だ
目的のために生きる奴がどうなっていくか
俺は知っている。お前もそうなのか。」
-----------------------------------
スナドリネコさん
苦しいことも必ず終わる。 この世にあるのは
それはたぶん 生き物が
「何かをやるためじゃあないの
じゃあ僕たちは 何のために生まれてきたの」
スナドリネコさん
「さあな・・・・
見るためかもしれないな」
「え、見るため」
スナドリネコさん
「そう・・見るためだ」
「何を見るの」
スナドリネコさん
「お前が見られるものさ」
「見てるだけなの」
スナドリネコさん
「そう、しっかり見てればいいんだ」
「でも見てるだけじゃあ つまらないんじゃないかなぁ」
スナドリネコさん
「そう、退屈するかもしれないな
退屈したら、何でもやってみればいい」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
じゃあ僕たちはなんだかすごく簡単なんだね」
スナドリネコさん
「そう、簡単なんだ」
でも本当は簡単じゃないんじゃないの」
スナドリネコさん
「いいや本当に簡単なのさ」
「本当に簡単なの」
スナドリネコさん
「ああ、簡単なんだ」
「簡単なのかぁ」
スナドリネコさん
「簡単なのさ」
http://anagogogo.exblog.jp/11345952/
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うわ・・・今更気づいたけど、TV版最終回の「どうして楽しいことって終わっちゃうのかな」っていうぼのぼのの問いは、映画一作目へのオマージュなのか・・・
どう違うのかは君の目で確かめてほしい!ビシッm9
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アンパンマンっているやんか。
まあそんなに突飛な話やないんやけど、
人によっては似たような話聞いたことあるでって人もおるかもしれんし、
まあでも、もしよかったら聞いてって。
アンパンマンな、あいつ、まあ小さな頃から素質もある方やったんやな。
それで、努力するのも嫌いじゃないみたいやし、
まあ、「もう無理」ってなったらやめちゃうけどな。
それでも、いろいろ興味のあることやってみて、能力磨いたんやな。
もちろんそのなかにはアンパンチもあるし、自分の顔ちぎって遊んでたりもしてたみたいやな。
あと、アンパンマンな、いまだとネットで右傾化とかやってるけど、
どちらかというとリベラルな考え方やったんやな。
自分もまあまあ幸せになれるんちゃうかとか考えてたらしいんや。
まあ、いい子ちゃんの考え方やな。
で世のため人のために自分の力を役立てようみたいな雰囲気で仕事始めたんやって。
ある日、ばいきんまんとカバオとあと何とかっていう名前のよくわからん奴が来て
「なにこれ怖い」と思ったらしくて、
ジャムおじさんに助けを求めたんやな。
だけどジャムおじさんもなんか知らんけど怖い顔して、助ける風でもなかったんやて。
それで、アンパンマンしょうがないからしばらく引きこもってな、
たまに外の様子を伺いに出てくることもあったらしいのやけど、
ばいきんまんとの件を知ってる奴とかおったらしくて、
で、コンビニとかで週刊誌読んだらけつ毛バーガーとかあったりな、
それでまた「なにこれ怖い」とか、そんな感じやったんやて。
それでしばらく引きこもってたんやけど、何年かしたら文句も落ち着いてきて
それでも外に出られるようになってきたんやて。
とりあえず近場で仕事し始めたらしいんやな。
それで、アンパンマンそうは言ってもまあまあ有能やん。
アンパンチとかほんまに役に立つんかなとか思ってたらしいけど、
これが意外と結構役に立ったんやて。
で、毎日アンパンチしたり、自分の顔をちぎって食わせたりして、
ジャムおじさんのところで補充しいしい、そこそこ充実した生活を送ってたんやって。
でな、そんな日々やったけど、またちょっとした出来事が発生してしまったんやな。
それは何かというと、アンパンマンがせっかく自分の顔ちぎって食わせたのに、
まずいって言ってくるやつが出てきたんやて。
時には危険な思いもしながら振り回すやろ。
まあ、やっぱりショックやったんやて。
自分でうまいアンパン作ったらどうやろ、と思ったらしいんやな。
できるんやないかな、と思うたんやろな。
それで、また何年か修行してな。
それやと結局アンパンまずいっていう奴もおるかもしれんな。
意地でもまずいっていう奴もおるから。
な、すごいやろ。魔法やで。アンパンマン、魔法も使えるんやで。
まあその場にいないから、ほんとかどうかは知らんけど。
あとな、どうでもええけどアンパンマンの仲間には
選挙でじみんとうを大勝させた奴もおるらしいで。
じみんとうやで。
と思う
たぶんな。
あとな、女やと朝の連ドラでじゅじゅじゅとか言って
人気者になったやつもおるらしいで。
ワイから見たらこの人エロなしでも行けるんちゃうかと思ったで。
ちょっと違った括りになるらしいけどな。
あの人たちは「文句を言われているような気がする」ていうんやなくて
そういうことも関係あるかもしれんな。
まあちょっとアンパンマンとは違うんやて。よう似てる人もおるけど。
まあでもぐう有能の人も割といるな。
凄まじい××と表現する人もおるらしいな。
話が脱線したな。
アンパンマンの話に戻るけど、アンパンうまいって言わせた後な、
みんなにいいね!って言ってもらえてな、
いい気分やったんやて。
それで、よくよく考えてみたら最初のばいきんまん達が文句言ってきたあれ、
あれは一体何やったんやと。
教えてるって言えば教えてるだし、
じゃれついてるって言えばじゃれついてるだし、
受け取り方によっていろいろあるやんと。
文句を言われたのを、あれは自分がそう受け取っただけやと思って
完全に忘れる選択肢もあったんやけど、
でもな、文句を言われたような気がする、その自分の感覚自体は本物やし、
他の人が同じ状況になったら、また「なにこれ怖い」と思いそうやし、
その感覚も含めて、頭の片隅に置いておこうと思ったんやな。
たまに遊んだりして過ごしたらしいで。
よく楽しいのが一番って言うやん。それと似てるのかもしれんな。
それでええんやて。
な、不思議やろ。
ワイはほんま不思議やと思う。
あとな、アンパンマンそれから国連に就職して、なんやめっちゃ偉い人になったらしいで。
名前を「パン」にしたらしいけどな。無能や言われてるらしいけど。
あれダジャレやねん。
アンパン3個くれんか
まあどうでもええな。