『アインシュタインよりディアナ・アグロン』の歌詞が批判されている。
http://matome.naver.jp/odai/2146033391996228201
http://mess-y.com/archives/29624
大変もっともな批判だと思うが、せっかくなので匿名で別の見方を書いてみたい。
秋元康は性格悪いかもしれないし、心が歪んでいるかもしれないが、海外ドラマは好きらしいし、ドラマを見てメッセージを誤読するようなバカじゃないはず。たぶん元のドラマを見ていて、ドラマのメッセージもよく分かっている(この前提に同意できない人はこの後読んでも無駄かもしれない)。
歌詞カードのクレジットを見ると上記の通り。要するにHKT48というグループ内から選抜されたユニットの曲。そしてシングルのカップリング。こういうの扱いの曲にはちょっとしたお遊びが入るのがアイドルソングの恒例。たとえばグループを卒業する主要メンバーがカップリングにソロ曲をもらって、歌詞も歌っている本人の体験を元にして本人のイメージに近づけて書くとか。つまり、この歌詞はなこさんかみくさんかめるさんかみおさんの実体験である。
最初に私が引っ掛かったのは『glee』というドラマを見た女の子の歌なのに、歌詞が役名のクイン・ファブレイじゃなくて俳優名のディアナ・アグロンなことだった。この時点で既に歌詞の主人公の女の子は俳優さん本人と演じるキャラがごっちゃになるタイプのバカという設定なんよ。ハリウッド映画を観に行って「外人てみんな同じ顔してるから話が分かんなくなっちゃった」言うのと同じタイプのバカという設定なんよ。「おバカでいい」と思っている人じゃなくて、客観的にバカなんよ。
余談だが、大昔ご飯屋さんで隣のOL3人組みたいなのが「ほら、『ER』にイタリア系のモテる小児科医がいるじゃん…」ていう会話してて、横から「ダグラス・ロスでもジョージ・クルーニーでも、名前のどこにイタリア系の要素があるんだよ!顔が濃かったらみんなイタリア系かよ!」ってツッコミたくなった経験がある。TVの海外ドラマなんて雑に見ている奴いっぱいいるから。みんながみんなメッセージとか気にしてないから。ぼけっとしながら見て誤読する奴いっぱいいるから。
おそらく秋元康とユニットの4人の誰かが舞台裏かどこかで世間話をしていたんよ。そしたらその子が「最近『グリー』っていうドラマにハマってんれすよ。その中でも特にディアナ・アグロンていう女の子がすごくきれいで、目なんかもキラキラしてて、男の子にもモテて、すごく憧れなんれすよ」みたいな話をしてきて、秋元は心の中で「うわー、こいつ、ドラマと現実の区別も曖昧だぞ。ドラマの内容も全然読み取れてないぞ。…うーん、でも、こいつ、TVで見た人に憧れて、その人に近づこうといろいろチャレンジして、これはこれで本人はなんか幸せそうだなあ。よし、こいつを主人公にした曲を1つ作ってみるか」みたいなことがあったんだろう。
「この歌詞は秋元康の理想の女の子を描いているに違いない!ロールモデルにしようと企んでいるに違いない!」と考えるか、実在のモデルがいる実在のエピソードを元にした歌詞と考えるか。歌っている本人は案外「うわー、私が話した事を元に歌にしてくれてる。私だけの歌だ。大切にしよう」と思っているかもしれない。