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はてなキーワード: 浅薄とは

2015-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20150406022022

たったこれだけの文章から浅薄さが透けて見えるというのも凄い。

2015-03-20

「帝」は「御門」にあらず―高畑勲天皇観を駁す

スタジオジブリかぐや姫の物語」のストーリー批判については既に玖足氏が記されているゆえ、ここにおいては多言はしない。

かぐや姫の物語 感想その二 高畑勲監督原作の良さを自己中心的に曲げたダメ映画

http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20150316/1426441543

僕がここで記したいのは、高畑氏のあまりに32年テーゼに縛られたかの如き貧弱な反天皇である

例えば、高畑氏の擁護をするツイートまとめとして以下のようなものがある。

高畑勲かぐや姫の物語」についてのCDBさんのツイート

http://togetter.com/li/794657

この中でCDB氏は「帝の性暴力女性性の収奪」を描いたと言っている。しかしそれは高畑氏の平板な反天皇観をあげつらうことでしかない。

天皇は決して収奪暴力に結び付けられて語られる存在ではなかった。天皇もまた征旅に行くことはあったが、軍の最高司令官として赴くことはなかった(「我国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にぞある」という軍人勅諭の出だしは山県閥の西周西洋歴史に準じた擬制に過ぎない)。例えば斉明天皇百済救援のために親征の途上、崩じられても軍はそのまま百済上陸している。天皇はむしろ巡狩(みそなはし、視察のこと)して各地を平定したのであり、軍隊中大兄皇子武内宿禰のような皇子臣下に統率されて敵を討ったのである天皇が自ら軍を指揮することは東洋古制の兵学から見ても邪道であった。東洋において軍の戦略を決定する軍師軍司令官の任免もできるゆえに、天皇がそのような地位に就かれることはあり得ないのである

では天皇とは何であるか。それは何よりも「社稷を祀る」存在である。具体的にいえば、五穀の豊穣を祈り天照大御神が宣らされた「斎庭の神勅」を奉じることであった。それゆえ自らは何も所有されないのが天皇原則であった(詳しくは保田與重郎の『述史新論』『鳥見ひかり』『方聞記』などを参照せよ)。作中で「御門」は支那趣味侮蔑意味を込めて使うのではない)の俗な人物として描かれているが、これなぞは共産党仕込みの「収奪する権力者」の図式に無理やり天皇をあてはめたものに過ぎない。何も所有されない天皇からこそ、天神地祇を祀り権力者を束ね日本を統らすことができるのである権力といえば外交権を一手に握った大宰府の方がよほど強く、「遠の朝廷」と呼ばれたほどだった。聖武天皇大宰府へ下る節度使たちに下された御製の長歌の冒頭「食す国の 遠の朝廷に 汝らが かく罷りなば 平らけく 我は遊ばむ 手抱きて 我はいまさむ」は権力や所有とはほど遠い天皇本来のあり方を示している。

明らかに反差別思想を有しているだろう高畑氏が「御門」の顔をわざと崩してかぐや姫生理的嫌悪感を催させ、それが月からの使者が来る原因となっているのも氏の醜悪な思想垣間見える。氏は容姿差別は良くて身分差別は悪とでも思っているのだろうか。先に述べたように、天皇は五穀の豊穣を祈る点で国民とつながっていたし、今もなおつながっている。明治大帝は「子等はみな 軍のにはにいではてて 翁やひとり 山田もるらむ」と詠まれているし、昭和帝と香淳皇后戦後まもなくの国内行幸啓されて国民暮らしぶりをみそなわした。今上陛下東日本大震災津波を被った田を心配されたのも記憶に新しい。天皇は宮闕の奥深くに居ましても農土を、漁場を、金山を離れてはいないのである高畑氏の浅薄思想はこの国史上の事実にどう応えるのか。

2015-03-02

2ch

久しぶりに2chオタクスレを覗いた

そしたら私がよく覗いていた10年前と何も変わっていなくて呆れた

変わっていないというのはつまりオタクにとってTwitterメジャーじゃないし

女性同性愛者などへの差別問題への意識が、まだまだ浅薄だった頃だ

この時代Twitterを一律「バカッター」だとか言ってバカにしているオタクいたことにびっくりである

いまやオタクコンテンツTwitterは切り離せない関係にあるのに

また、かつてインターネット上では「本音」というカモフラ差別が許されていた節があるが

最近はどんな建前があろうと差別表現マイノリティへの攻撃批判される風潮である

そんな中で、2chはいつまでも女と同性愛者は男の慰み者でサンドバッグであるみたいな価値観のまま止まってるんだ

やってることがとにかくダサい、ダサすぎる

2ch便所の落書きとはよく聞くが、概ね一般のインターネット基準で動いているスレも見るので

なおさら、あの雰囲気には失望した

2015-02-13

うつ病が増えたのは絶望したまま歩いていける場所が少ないからである

絶望はガムのようなもの

いつまで噛んでもなくなる気配がないが咀嚼していればそのうち口の中で溶けて消えていく時が来る、消えても口の中はガムの匂いに侵されている、人と会話している時に絶望という口臭に気づかれないだろうか

そんな感じだ

あえて時代観を述べなさいと言われたら僕は「感情喪失排除」だと答えるだろう

例えば現代は怒りに関してはとても不寛容だ、twitterなどでDQNが店員を土下座させていたりするとすぐに共感性が欠如したアホウが湧いてきては社会的制裁を与える

しかしよく考えてみてほしい、人はその時の感情によって怒りのリミッターなどすぐに外れるものだ。僕は高校生の時に500円の借金を返してくれない友人にキレたことがある

理由?ただ虫の居所が悪かっただけだ

キレたことがないのでわからない?おまえはおまえの人生を生きることに尽力したほうがいい

500円で失う友人との関係という社会的損失のことなど頭によぎることもなくキレた、がこんなことをネット上に書いたらなんとバカ人間かと99%の人間非難するだろう

しかDQN土下座させるのも友人にキレるのもネット上で非難するのも単なる「刺激に対する反応」だけで本質はそれほど変わらない

全てを押しなべて考えることができる人間は人の感情が発露した行動にたいして救う気があるなら優しさを見せるかもしくは黙るはずだ、秩序を守る裁きは裁判所でやればいい

よるするに怒ることは恥だなんていう浅薄な考え方が蔓延っている

絶望も同じだ

リストラ借金失恋離婚などなど積み上げたものがぶっ壊れたりいきなり奈落に突き落とされる絶望なんかそこら中に転がっている

しか満員電車で肩を落として座っているわけにはいかない、会社に「失恋したのでしばらく休ませてください」なんてことも言えない

一人でファミリーレストランで酒を煽るわけにもいかない、こじゃれたバーに死んだ目で座っているわけにもいかない

うつ病パニック障害などは人を嫌うのではなく避けるようになる。これは人が持つ価値観にたいして違和感を持つようになるからだ。うつパニックの人はけっして人が嫌いだという人ばかりではない

人を嫌うのではなく自らとの錯誤を感じる人のその偶像を嫌うのだ

すこし前までは絶望という経験はとても大切で心を落ち着かせるものであったような気がする。飲みやでは昔の苦労話を笑って誇りのように話す人がたくさんいた

最近はあまり聞かない、それは絶望が恥であるという妙な価値観格差という言葉に踊らされた人によって作られてしまたからだろう

死んだ目をして肩を丸めて黒いダウンを着て缶チューハイを片手にベッドタウンを歩くことの何が悪いのだろうか

頼むから静かにしてくれ

2015-01-28

艦これアニメ足柄合コン問題本質は、浅薄キャラ描写にある

艦これアニメ弓道問題本質は、やる気のないアニメートに尽きる

http://anond.hatelabo.jp/20150113233602

を書いた増田です。


巷では第3話の内容が取りざたされるなか、今さら第2話に言及するのかよ、ってツッコミはごもっともですが、ニコニコ配信で視聴してる人へのネタバレ回避のためのこのタイミング投稿ということでご理解いただきたく。


さて本題。

艦これアニメ第2話における如月セリフによって「足柄合コンに行って失敗した」ことがほのめかされており、そのことに反発が集まっているという経緯がある。ツイッター上での感想などはtoggetterにもまとめられていたりして、ちょっとした騒ぎに。

よくある演出じゃないかと擁護する向きもあるけど、そもそも足柄というキャラ男漁り的な属性を付加しているのは二次創作でしばしば見受けられる描写であり、しかし今まで公式媒体でそのような扱いを受けたことはない、という事情がある。つまり問題セリフは、単によくあるテンプレ描写という位置づけではなく、公式にはもともと無かった属性二次創作で盛んに用いられているからという理由アニメに輸入されたという構図に見えてしまう。これは原作ゲーム足柄のファン(かつ、二次創作での描写に不満を持っている層)にとってはキャラ改変・改悪にも映るわけで、荒れるのもむべなるかな。過去にも赤城大食い属性二次創作から原作ゲーム逆輸入されたという前例もあって(そのときも一部の赤城ファンを中心に荒れていた)、二次創作ネタ公式採用されることを嫌う提督が少なからずいるということがあらかじめわかっていたのに。

本筋に関係ない枝葉末節なのだからスルーしろという向きもあるけど、枝葉末節ならなおのことこのような描写をする必要性がないはずで、なんでこんな描写を入れたのかと、よりいっそう制作側のセンスが問われる話になる。こういう点について鈍感な制作陣は、そもそもキャラクター人気に支えられている原作アニメ化になど携わるべきではないのでは?

KADOKAWAアニメでいうと、キディ・ガーランドにおいてニコニコネタをふんだんに突っ込んだエピソード放送して視聴者の顰蹙を買ったという事例が思い出されるけど、二次創作との距離の取り方がわかってないアニメスタッフ(それも上流工程)がぼちぼち現れてきているのではないか、という気もする。


ここまでが前振り。

今回の問題も、第1話における弓道描写問題と同様に、単なる一描写の巧拙の問題にとどまらず、制作全体に潜んでいる本質的問題氷山の一角であり、駄作化の兆候なのではないか、というのがここからの主張。


まず1つ言えるのは、作品方向性スタッフ間で共有・統制されていないのではないか、ということ。

アニメでは提督の姿の直接的な描写が避けられているが、提督を具体的に描かないことで男の影を排除している、あるいは提督視聴者というニュアンスを込めていることは、様々なスタッフインタビューでもほのめかされている。いずれにせよ、いわゆる美少女動物園型の作品志向されていることになるが、ならばなぜ合コンなどという男の影ちらつきまくりの要素を出してしまったのか。提督描写を避けるというかなり強い枷(実際にそれによって作劇が不自由になっている部分は多かろうと思う)を自分たちでハメておきながら、その意義をスポイルするような要素を、まったく本筋に関係のない枝葉末節のところで触れてしまう、というのは、自分たちがどういう方向性作品を作り上げていこうとしているのかコンセンサスが取れていない、または誰一人として自覚していないか、あるいはわかっていながら実務がコントロールしきれていないか、いずれかである


もう1つは、原作キャラ描写を読解し理解したうえでアニメという媒体ならではキャラ描写をしていく努力放棄しているのではないか、ということ。

この点については、「ハラショーしか言わない響、という例もあるが、もう少し議論やすい例として暁を挙げたほうがわかりやすいだろう。アニメにおける暁もまた、レディーに絡めた発言ばかりしている。これは一見すると原作通りであるかのようにも思えるが、ではなぜ原作ではそのような描写になっているのかを考えてみると、その大元には背伸びをする女の子像を描きたいという動機があると容易に想像でき、しか原作立ち絵が静止画ゆえ動きが表現できず、また提督艦娘の会話どころか艦娘どうしの会話すらない造りとなっていて、モノローグ的なセリフによってのみ背伸びしがちな女の子キャラ性を描かなければならないため、その条件に最適化した結果が、ある種テンプレ化したようなあのセリフ群になっているのだろうと思い至る。その点、アニメという媒体ならば動きもあるし会話もさせられるから、個々の場面に合わせてキャラ描写もっと柔軟に行うことができるし、むしろ原作通りのセリフ回しをそのままアニメでやってしまうとテンプレ臭が強すぎて場面から浮きかねずかえって不自然になるだろう・・・にもかかわらずアニメでは愚直に原作セリフを真似てばかりいるのである

公式コミカライズやそれこそ同人誌などでも、場面とセリフとをきちんとすりあわせて、テンプレ臭くならないような、それでいて暁が背伸びしようとしている感じを醸し出し、その可愛らしさをうまく表現している例は多々ある。そういった例と比べると、アニメでのキャラ描写練り込みが足りてないし、そもそも練り込もうという意欲もなくただわかりやすいレディーというキーワードを振り回しているだけの、ひどく雑に記号化された描写しか見えない。

足柄合コンを匂わせる描写も全く同根で、原作における足柄がいったいどんなキャラなのかということを掘り下げて考えることをせず、ただただわかりやす記号として男漁りという要素が二次創作界隈に流通していたから、それを拝借してきて一丁あがり、という安直脚本になっているのである


以上2つ、艦これアニメにおける足柄合コン言及から垣間見える問題点を述べた。前者は制作全体がきちんとまとめきれていないことを示唆しており、後者脚本家技量不足を示唆している。このような事態に陥っている制作体制から良作が生まれてくるなどとは、全く期待できないだろう。

2014-12-04

オタクサブカルの線引きについて

基準

マニアック趣味嗜好を持つ人のなかで

①異性にモテる 
→ おしゃれサブカル(a.k.aサブカル野郎)

②異性にモテない and 主にオナニーAV
サブカル(a.k.aボンクラ)

③異性にモテない and 主にオナニー二次元
オタク

キモい
キモオタ

通達

実務指針

2014-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20141118000737

何のために人間芸術宗教を開発したか、ということを考えてみたらいい。

アクセスできる権利がないから、いったいなんだというんだろう。言葉を紡ぐには浅薄すぎる。

2014-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20140831205130

自分と知識欲のない人との間に物凄い断絶があるかのような書きぶりからして、「知識欲のある人」を自認しているのだろうけど、そこまで断絶があるほど知識欲があるなら

なるほど、「知識欲が無いんだ」、と。

それで全て合点がいった。

あー すっきりしたー

こんな風に適当に型にはめて捨てるような浅薄感想を抱くものだろうか?

と言うか、知識欲にもピンからキリまであるし、ネットが無いことによって何かが測れるというのは、あまりにも単純化し過ぎるように思う。

2014-08-08

増田で語られるフェミニズムワイドショーレヴェルな件

とあるごとに増田において語られるフェミニズムだが、それがひどく浅薄に感ずる。

私は仕事関係上どうしてもフェミニズムについて知っておかなければならず、

岩波の「日本フェミニズムシリーズは全部読んだし、最近岩波新書の『女のからだ』を読んでいる。

勿論、専門家から見ればこれじゃあ不足なんだろうが、まぁ一般に仕事をするのであれば、この程度で言葉遣いや概念運用問題はない。

でだ。増田フェミニズム議論(や、それに付随する伝統的に語られる「非モテ」論)は、何か特定の、特定ホットエントリから生まれる、何というか、条件反射的な、即物的なものに過ぎないように感ずるのだ。

一体、増田において、フェミニズム議論が、具体的な論者を提示し、さらに具体的な論点を提示したうえで議論が進行したことが今まであっただろうか。

なんとなーくな「知っている」レベル概念で、なんとなーく、言いたいことを語っているにすぎないのではないだろうか?


こんなもんは、増田が普段唾棄しているワイドショーレベルと同じなのだ

フェミニズム歴史的変遷を感ぜられずに恣に運用している。要は適当なのだ

フェミニズムについて発言している者は、なにか専論を少しでも読んだことあるのだろうか?

大学生が、ちょっと背伸びして大学図書館社会学の棚でフェミニズムの本を手に取るような、そんな大学生的児戯が増田において横行している。


これでいいのか?え?増田よ。しっかりと学問的にわきまえた者が発現したものの俗っぽい揶揄によってそのまま流れて行くことがあるぞ。何度も。

それでいいのか?増田よ。

まぁ、増田がその程度ならそれでいいんだがな。

2014-07-31

健全(=安全)な批判提言

提言

はてながいわゆる粘着増田投稿削除等を発表してからそろそろ1週間。

この間の動静を見る限り、増田批判精神が顕著に損なわれることはなかったようで、まずは安心している。

一方で、はてブユーザーの間では、気に食わない記事に対し、通報をちらつかせて削除を迫るような流れも出来つつあるように思う。

例えば、以下に引用するブコメからは、通報を背景とした削除要求の萌芽を見てとることができよう。

feita

ここに引用されているツイート後も私とよしきさんのやり取りは続いており、記事投稿者が私を貶めるために一部のみを抜粋した恣意的引用であると判断します。投稿者には記事の削除を要求します。

http://b.hatena.ne.jp/feita/20140729#bookmark-210985069

そして残念なことに、一部増田はてなに通知されれば記事が削除される恐れが全くないとは言えない。

そのため、仮に脅迫まがいの削除要求がなされたとしてもこれを完全に無視しさることは心情的に難しいのではないかと思われる。

よって、通報を背景とした削除要求の流れが加速すれば、記事削除等のリスクを抱える増田批判を手控えるという事態に陥る可能性も十分に存する。

それは増田の萎縮や批判精神喪失に他ならない。

現状において増田批判精神が顕著に損なわれてはいないとしても、状況は未だ予断を許さなものと言うべきである

そこで私は、増田諸氏に健全批判をするよう呼びかけたい。

健全批判は正当な言論であるから継続的に行おうが非難される筋合いのものではないし、相手が嫌がろうがやめる必要もない。無論法律やはてな利用規約にも抵触しない。

健全批判とはすなわち安全批判なのである

健全批判とは

健全批判とは、基本的には以下の条件をみたす批判であるあくまでも「基本的には」である。以下に述べるところをふまえたうえで、具体的状況に応じた判断をしていただきたい)。

  1. 真実の(少なくとも真実らしい)事実に基づくものである
  2. 必要もなく個人情報に言及しない
  3. 罵倒人格攻撃でない

第1の点については、むしろ批判内容妥当性との関係問題になるものではないか、と思われるかもしれない(言うまでもなく批判健全性と批判内容妥当性とは別の問題である)。

しかし、例えば事実無根横領容疑を捏造して政治家批判する行為想像してもらえば分かるとおり、虚偽の事実に基づく批判は、場合によっては批判健全性の観点から問題となり得るものである

常に真実事実に基づいて批判することは難しいとしても、健全批判を行おうとする者は可能な限り真実を追求する姿勢を持たねばならない。

第2の点については、多言を要しないだろう。

現代社会においては、ある個人に関する情報をどのように扱うか、ということについて、当該個人の判断がかなり尊重される。

したがって、必要もなく氏名や住所等の個人情報に触れることは、その扱いに関する当該個人の判断を害することとなりかねず、批判健全性が損なわれうるのである

第3の点については、単なるキレイゴトだ、と思われるかもしれない。

しかし、「罵倒人格攻撃をしない」というのは批判健全性を向上させるうえで簡易でしか効果的な方法である

最も重要ポイントは、主語を「人」でなく「論」にすること。この区別に頓着しない方が、増田には比較的多いように思われる。

可能であれば、一般に悪口と分類されるような表現を別の穏当な表現に置き換えるとなお良い。

こうした形式面にわずかに注意を払うだけで、批判健全性は格段に向上する。

具体例を挙げておく。

「君はバカだ」→「君の考え方は浅薄だ」

「君はクズだ」→「君の考え方は不誠実だ」

終わりに

以上、甚だ簡単ではあるが、健全批判有効性とその方法について述べてきた。

本記事が、通報を背景とした記事削除要求に対抗する一助となれば幸いである。

2014-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20140715155143

正直、嫉妬心を抑えこむことがやっと。

ぐちゃぐちゃ文句つけるなというなら話もわかるが、その上喜べとなるととても無理だ。

だって素直に喜んであげたいという気持ちは少しぐらいならある。

でも嫉妬心の方が大きすぎるんだな。

これはもうどうしようもない。

消し去る方法があるのなら教えて欲しい。

俺には触れることができないであろう世界とのこの断然感が、お前にわかるか。

お前には縁のないものなんだろう、この苦しみが、この戦いが。

ドン引きでもなんでもして、一生見下してりゃいい、俺みたいな人間を。

俺は俺の心が感じるように感じる。

お前の浅薄正義感は心に届かない。

追記

からないのは仕方ないさ。

一度も大切な人がいたことがない人間とは余りにも違いすぎる。

多数派の人間は幸いだ。

何故俺のようになれないと喚くだけでいいのだから

幸せ人生が続くことを祈っているよ。

2014-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20140607005428

科学的に正当」であることと規制が許容されることとの間には、

さらに越えるべき壁があるという問題意識は正しいが、

他人を揶揄するために浅薄理解で、

黒人差別問題をひきあいに出すその性根は感心しないな。

そもそも、

白人のほうが劣っていると優劣が付けられた時はもちろん規制に賛成ですよね?」

というのがあまりに雑すぎて意味が通じない。

元記事では、

放置有害、あるいは規制有益である場合規制もありうるという話をしているのであって、

優れているか劣っているかという話ではない。

規制に賛成ですよね?」というのも、いったいどのような規制を想定しているのか不明である

最低でもその辺りをきちんと説明しないことには、支離滅裂なうわごとの域を出ない。

仮にそこを善解するとしても、優劣という観点から黒人差別は、

少なくとも建前上は、20世紀半ばまでには乗り越えられている。

その意味でも議論があまりにも素朴すぎるという印象を受ける。

差別問題や人権の制約といったことに興味があるなら、とりあえず何冊か適当な本を読んでみてはどうか。

この分野の書籍は、それこそ読みきれないほど出版されているので。

2014-05-28

釣れる記事の書かかれ方

無料で見られるものPVを稼ぐ事が至上命題のものなら、

多かれ少なかれ以下の成分を"意図的"に調合してる。

で、浅薄な読者を釣ってコントロールする訳。電通マーケティング理論みたいなもん。

大体、無料で手に入ったものなんか人は尊重しない。優れた、良い文章を書こうとするなんて回り道もいいとこ。

ユーザーがバカなので、結果としてこういう形態蔓延してしまうんだよね。

それが醜い

「確かにあの人と私には諍いがあったけれど,それは私とあの人との問題であってあなたには関係ないですよ。」と言うべき時に言えない大人は見るに堪えない。浅薄で分かり易い人柄なんだから好き嫌いを我慢して利用させてもらえればいいのかもしれない,きっとそうなのだと思うしそういう人の方が恐らくは多いのだろう。そう考えることもまた醜いというのはまた別の問題として。

2014-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20140527111142

コメ主の浅薄結婚に対する姿勢への皮肉だとしても、あんまり成立してないと思うんだが。

フィリピン英語教師フィリピンパブの女とは違う上玉だみたいな補強とか蛇足でしょ。元コメ主と同じ浅薄さを醸し出してるだけだし。

2014-04-28

♪燃ーえろよ 燃えろーよー アフィブロ燃えろ

と思いながらしばらく見守ってきたのですが、

やはり炎上具合がいまひとつだな。

というわけで燃料投下。

下が、過去増田投稿した記事なわけですが、

http://anond.hatelabo.jp/20140217175047

さて、増田投稿記事にはブックマーク時にコメントをつけられるという、まさに“批判だけなら誰でもできる”という事実体現たかのごとき機能があります

このブクマコメに返信してみようと思います

まずは総評から



***   ブックマークコメント総評   ***



はい一言で言って皆さん読解力が足りませんねー。

浅い浅い。

まずね。「リピーターになってはいけない」という表現を「祈願を受けに来てはいけない」と誤読する人の多いこと多いこと。

あのね、リピーター意味わかります? 一見さんの事じゃないですよ?

祈願を受けに来ることは否定していないが複数回受けに来るのはよくないと言っている。ここでは頻度や回数を問題にしているわけだ。

皆さんもっとよく文章読みましょうねー。

それと、ツリー全体の内容にまで言及するなら、もっとしっかりその全部を読みましょう。

ツリーの中のどのエントリとどのエントリ元増田が書いたものかすぐにわかるはずですよ? 少なくともこのツリーに関しては。

たっぷり字数を費やしているものと、そうでないもの、そして浅薄で安っぽい脊髄反射めいた反論と、重厚理論にきっちりと裏打ちされた主張。違いは明白ですね。

http://anond.hatelabo.jp/20140217183649

http://anond.hatelabo.jp/20140217185233

http://anond.hatelabo.jp/20140217192523

http://anond.hatelabo.jp/20140218062823

http://anond.hatelabo.jp/20140217200316

http://anond.hatelabo.jp/20140217202300

http://anond.hatelabo.jp/20140218122451

http://anond.hatelabo.jp/20140219135935

http://anond.hatelabo.jp/20140220141948

ツリーの中で私が書いたエントリは以上のみです。

これだけの字数を費やしている元増田エントリと、それ以外のもの

きちんと見分けて、その上で言及しましょうねー。



じゃあ次は、人気コメント(笑)への返信を。



id:tokoroten999

・全くわかっていない。往復4時間かけて数千円の祈祷料を払い長い祈祷を受けるという作業を行うことが人生には必要な時があり、それは時として正面から問題に取り組むことよりも大事ことなんだよ。

A:はいバカー。今書いたような、読解力のない人の典型例ですね。筆者が祈願の必要性については否定しておらず、頻度と回数について否定している事をちゃんと読み解きましょう。巡礼ごっこも程度の問題です。


id:asatti

生臭坊主のたわ言。御利益信仰宗教のすべてではない。この無知さで宗教家を名乗ることがおこがましい。

A:はいバカー。坊主が神神言うわけないですねー。お坊さんが神を崇めると思ってる人と、宗教実務者の私。一体どちらが無知なんでしょうね? 宗教に抱いている幻想を捨てて、現実を見ましょうね。




id:gg7g

・なんか中学生宗教社会批判みたい… 「現実と向き合え!」って叱りつけるか黙って金取るかの二択しかないの?本職がこんなんなら昔話のお坊さんからは随分退化しちゃったんじゃないかな

A:はいバカー。坊主が神神言うわけないですねー。個人の問題は個人で解決するしかないという現実が厳然と存在するからこそ、ご都合主義的展開のドラマ小説が売れるんですねー。神や仏の存在もまたしかり。昔話のお坊さん(笑)しかり。残念ながらあなた幻想を抱いている対象実在しませんよ?




id:sys-arts

風俗嬢説教・・・じゃなくて風俗嬢常連客に説教してる感じ

A:はいバカー。聖職者様が有難くもして下さっているお説教を何と心得ますか。高尚なもの低俗ものになぞらえて歓心を買うやり方はウケ狙いとしては一般的なやり方ですが、品性下劣ですよ?



id:sardine11

・「夫婦が問題にきちんと向き合ってない」と思うなら忠告しろ宗教が使えるならなおさら正命(正しい仕事のこと)を説けるはずだ。依存何が悪い、完全に自立した個人なんて存在しないんだぞ

A:はいバカー。まず、そこまでしてやるだけの給料待遇福利厚生恩恵に預かってはいない、という可能性に留意してから物を言いましょう。そして依存を肯定する人はよく、共存によって成り立っている社会構造を引き合いに出しますが、社会相互扶助で成り立っているのとマヌケ他者依存して生きているのとは何の関係もありません。免罪符捨てましょうね。




id:fukken

・そういう人に「説教」するのも坊主仕事だろ。宗教家カウンセラーとしての側面も持っている

A:はいバカー。坊主が(以下略)。そういう人に説教するのはもう仕事ではないし、またそこまでの給料待遇福利厚生恩恵に預かってはいません。カウンセリングが受けたいのなら、精神病患者レッテルを張られる事を恐れずに、また自分病人である事を認めるのを恐れずに、ちゃんと心療内科へ行くべきですね。ああこれあなたの事ですよ?




id:yachimon

・俺個人は違うなあ。祈る時は問題と向き合う時だな。普段はアニメとかで気を紛らわせられるんだけど、勤行ん時だけは逃げられん。自分の願いを自分で祈願するんだから逃げられる訳がない。祈願を他人任せにするな!

A:はいバカー。自分のお願い事を自分で祈っちゃってるお坊さん来ましたコレ。自分の願いを自分で祈願している人が、他人の祈願依頼を受けて何ができると言うんですかね? 「こういう風に!真剣に祈るんだよ!」って背中で教えているつもりなんですかね? 相手が祈り方を知らないと思っているのなら、傲慢にも程があるどころか参拝者を馬鹿にしきってますよね? あなたは無力で、そして参拝者に対して何もできないんです。その事をまず認めましょうねー。




id:wander1985

・現世利益を神に祈るったらクリスチャンでもなく神道か?とも思ったが、神道って「信仰心」をとやかく言わないような。仏を神に言い換えた坊主だとしても、「信心」を語る浄土系は祈祷をしない。中二病患者っぽい。

A:はいバカー。まず匿名の発言だという点を思い出しましょうね。神道信仰心をとやかく言わないのは言えないからです。なぜ言えないのかは、そこまで個々の宗教定義区別している人間ならば少し考えればわかるはずですね? 他人に安易レッテルを貼る前に、少しは自分で考えましょうね。




id:white_rose

トラバまで読んだけど、この人が本当に聖職者なのかどうか疑問。むしろ普通の人よりそういう資質が欠けてるんじゃないか。

A:はいトップレベルのバカー。トラバまで読んだとか言っちゃってますが、まあ

http://anond.hatelabo.jp/20140217183649

http://anond.hatelabo.jp/20140217185233

http://anond.hatelabo.jp/20140217192523

http://anond.hatelabo.jp/20140218062823

http://anond.hatelabo.jp/20140217200316

http://anond.hatelabo.jp/20140217202300

http://anond.hatelabo.jp/20140218122451

http://anond.hatelabo.jp/20140219135935

http://anond.hatelabo.jp/20140220141948

これ読んでから出直してきて下さいね。あと言っておきますが、宗教において実務に臨むのが聖職者であって、宗教幻想を抱くのは聖職者仕事ではないですからね? 年端もいかない若造理想燃え宗教家みたいな連中は速攻で辞めていって、実務に淡々と向かう職業者が長年支え続けているのがこの世界ですからね。宗教幻想を抱いている人間ほどヘタレ根性無しで実務に耐えられません。宗教理想を抱いている人間ほど聖職者としての資質に欠けた行いをします。聖職者であり続けるのが聖職者としての資質証明であって、聖職者をやめるのが理想家や夢想である事の証明です。宗教とは現実から出発して理想を目指すものですが、あくまでも理想ではなく、ただの現実に過ぎません。あなたの愚かさを常に自覚し忘れない為にも、今のふたつの名言を紙に書いて壁に貼っておくといいですね。




id:p_shirokuma

信仰が形式化した詐欺に堕することがないよう、職業人としてはつとめてください。ネットでの打ち明けはともかく「現場」では。あなた職業あなたの「現場」でしか出来ないことはきっとある筈です。

A:はいバカー。詐欺である事は皆知っていて、その上で騙されているという茶番の前には「現場」も何もあったもんじゃないんですねー。決まりごとだから従う。慣習だからそうする。歴史を重ねる事により一種の様式美にさえ達した詐欺というものは、そうやって無言にして不動の搾取構造を築くものです。私はその腐敗の中においてラクに飯を食わせてもらう為に聖職者になったのであって、決して理想を抱いて聖職者になったわけでもなければ、切々たる思いを匿名で訴えたわけでもないんですねー。文章が長いのはもともとで、もう長い事書いてもいますブログアクセス数を見てから物言ってくださいねー。


人気(笑)コメント(笑)

ブクマコメなら好きな事言って、言い逃げできる」と思ってる連中にはいい薬になるといいですね!

id:oramudahttp://d.hatena.ne.jp/oramuda/)でしたっと。

2014-04-04

嘘をつきすぎて辛い

自分は物事を計画的に進めるのが苦手で、思い立ったら動き

思いついたときにやるという思慮にかける生き方を今までしてきた。

先日もほとんど気まぐれで仕事を辞めた。

何で辞めたの?と当然のようにみんなに聞かれる。

それにはこういう深い理由があって仕方なく辞めたんだ。

自分浅薄さを見破られないように嘘をつく。

次の仕事は?

もう決まってるよ、⚪︎⚪︎というところ。

また嘘をつく。確かに行きたい所だけどそもそも面接にも行ってない。

お仕事慣れた?

ぜんっぜん、怒られてばかりだよ。もう。でもやり甲斐はあるね、だってさー

この辺りからもう本当に自分が見えなくなってくる。

もう何度塗り重ねた嘘か分からない。

自分の行動が成功に繋がった経験が極めて少ないために、

精神が育ってなくて、少しでもブレるとすぐ嘘をついて叩かれないようにする。

毎日が虚しい。

2014-03-22

MacWindowsを比べてMacを推す記事が死ぬほど薄気味悪いのはなんなの?

Macについて調べて出てくる比較記事の大多数に漂う薄気味悪さ、チープな選民思想が本当に心底気持ち悪い。

似たようなことは例えばEvernoteを勧める記事にも言える。恐らく大多数の人間がこの感覚を抱いたことがあるだろう。

まり浅薄だ。その愚かさを意識している自分像が文字列から滲み出ていて不快だ。加えてその意識自体無理解他者への嘲笑内包されているときた。

お前はそんなつもりで書いたんじゃないと反駁するかもしれない。だが文字列はもう存在していて、そこからは既に腐臭が放たれている。

「どういうつもりで書いたか」なんてことは問題じゃない。問題は何が読み出されるように書かれているかだ。

思うにこの薄気味悪さは相互理解の軽視に由来する。

自らの製品のよさを理解できないものたち。その区切りを導入することについては何も言わない。

問題は、そうして区切られた「自分たちとは同質でないもの」=「他者」の感性暴力的に抽象化され、さらにその暴力性が意識されていないところにある。

ドザであるとかマカーであるとか。日本人であるとか男であるとか女であるとか人類であるとか。いい加減にしてくれ。

抽象化それ自体が既に暴力だ。

もちろんだからといって抽象化をやめろなどと言うつもりはない(暴力でないことがこの世にいったいどれほどあるのか)。

そうではなく、暴力性を無視するなと言っている。

それは相互理解根本的な不可能性を無視する態度だ。

しかしたら分かり合えるかも知れない、「分かり合えない」ということそれ自体すらも分かり合おうとしない態度だ。

形骸化しているかもしれない自らの思考回路についての反省を可能性レベルで取り除く態度だ。

取り除かれているかもしれないということを危惧しない態度だ。

俺はそれを読み取って、ほとんど生理的次元で、心底薄気味悪いと思う。

他者を汲み尽くせるとだけは思うな。

もし「お前のような低俗馬鹿に批判される筋合いなどない」と言うのであれば、最初から批判せずに済むよう書いてくれ。

書けるはずなのだから

2014-02-02

え、なんで駄目なの?

https://twitter.com/rinpuro/status/429542548197998592

① 「明日、ママがいない」問題、作家には擁護派が多いみたいだが、僕はちょっと違う。

その感情を説明する為に昔のTV学園ドラマ引用する。

15年以上前なので記憶が錯綜しているが、事故で顔に大火傷を負った女生徒自殺する話だった。

https://twitter.com/rinpuro/status/429544098492473345

②僕は偶然、放映の数日前に街で友人とファンシーグッズを買い物している笑顔中学少女の顔に

面積の大きい痣を見て、前向きな姿に勝手に感動していた、という経緯があったのだが、、、、

https://twitter.com/rinpuro/status/429545972008361985

ドラマでは死んだ女生徒が「こんな顔になって、生きていけるわけないじゃない!」と言っていた。

あの中学生ドラマをもし観ていたら一体どれほど傷つくだろう、と、

一瞬殺意に近い憤りを制作サイドにおぼえてしまったのだった。とうてい取り返しのつくレベルではない、と。

https://twitter.com/rinpuro/status/429547854546214912

④これは多分、作り手の想像力の欠如と配慮不足の産物だと思うし、僕も身におぼえはある失敗だが、

どうしてソレで済まないのか、というと、中学生が前向きに生きている(勝手な思い込みかな)

人生の出鼻における『しなくてもいい絶望』になり得るからだ。

https://twitter.com/rinpuro/status/429549552933154816

⑤人は常に悲観と期待を繰り返す。そして前に進むには期待せざるを得ない。

ハンデがある人の『せっかくの、なけなしの希望を挫く』事だけはエンターテイメントはしてはならない気がする。

明日、ママがいない』は内容変更やむなし、と思う。

 

この意見には同意できない。

道徳的善悪の話で言えば、人に言えないような悩みが大衆的なフィクションで描かれることで、

その悩みが世間に周知され、当人の気が安らぐ面もあると思う。

昨今の低級なテレビドラマが、浅薄な知識や覚悟現実の重い問題を扱って

醜態さらす事例には辟易するが、作ること自体が駄目という意見は理解できない。

2014-01-26

フェミニズムやそのアンチでもなんでもいいんだけど、社会学哲学といった人文科学自分ルサンチマンの解消のために用いるのはかっこわるいしそれを専攻している人間から見ると方便として人文科学を用いているのがバレバレだぞ。

もっと気合入れて本読んだり勉強したり考えたり実践したりしないと君の語りは浅薄だしルサンチマンも解消されないぞ。頑張れ~

2013-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20131228023909

真面目にポリティカル・コレクトネス考えると本当にめんどくさいよね…

つい浅薄対症療法としてギャン喚きしてる人を色んな手段でなだめて落ち着いたら解決ってことにしがちだけど

それだと喚いた人は喚けば喚くほど美味しいとしか学習しないし

見てる人は「正しいことが成された」ではなく内心で「うわぁめんどくさいなこれは関わり合いになりたくないぞ」ってなるだけで差別の溝自体は深まるという

2013-12-06

読書好きの女子のファッショ

 世間一般様から読書家」とひとくりりにされ、一束十円のブックオフ価格流通している今日このごろの読書ファッションクソ野郎どもであるけれど、その内実はピンキリで、とりあえずジャンルや内容や分量に関わらず月に三冊以上読んでいれば全国平均的に照らして「かなり読んでいる」ほうの部類に入る。

 数を誇りがちなのは男だ。

 数をこなしたからといって偉いわけではないと口ではうそぶきつつ、「いやあ、今年は千冊も読めなかったよ」だとか「一日頑張れば十冊は行けるね」だとか「○○の必読本リストは○冊しか読めてないな」だとかなんでもかんでも数字還元する。

 別に速読はクソだとか熟読こそ至高だとかいう議論をしたいわけじゃない。ヴォルターベンヤミンは生涯で1700冊しか本を読まず、一方でレヴィ=ストロースは一冊書くために7000冊を読み、イケダハヤトは年速500冊を読破し、ボルヘスは「1000冊も読める人間など存在しない」と主張した。この四人の言う「読む」はおそらくそれぞれ意味が大いに異なる。だが今はそんなことは関係ない。「本を読む、とはどういうことか」じゃない。傾向の話だ。重要なのはベンヤミンレヴィ=ストロースイケダハヤトボルヘス松岡正剛佐藤優もそのへんのラノベ評論家ブログやってるビジネスマンもみな男だという事実だ。

 男は自分についてであれ他人についてであれ、読書について言及するときに数の話をしたがる傾向にある。

 数が多い方が偉くて強い。そういう世界は微笑ましい。人によっては浅薄で醜いと断じるかもしれない。けれど、浅い分理解しやすくはある。

 そこに現れているのは一種体育会系的な価値観だ。どんなメガネモヤシとて鬱屈したヲタとて、オスである以上は筋肉量に憧れるのだ。私の読書冊数は十三万です。

 強い。わかりやすい。

 読書メーターが珍重される理由もそこに関係している。RPGみたいに、読書家のステータス可視化してくれるのだ。今までの読書冊数がHPなら、月あたりの読書冊数がすばやさ、コメントがパワー。

 既読冊数も数なら、読んだ本の内容も数だ。実のところ「読んだ本の数より、どれだけ内容を理解しているかのほうが重要だろ」と、男が言うときに使う「理解」という単語はそのまま「記憶」に置き換えうる。つまり、本の筋や要点をどれだけ他人の前でそのまま垂れ流せるか、どれだけ脳にストックしてある別の本と(それぞれの文脈を無視した上で)リンクさせられるかが男の言うところの「理解」となる。ぷよぷよとかミスタードリラーとか、そのへんの連鎖パズルゲームをやってるのとあまりかわらない。


 ひるがえって、女は数の話をしない。そもそも数えない。目の前を流れてゆく本にただ好きか嫌いかのスタンプを流れ作業で押していく。

 小説についての話をすると、まず自分がある登場人物をいか好きか/嫌いかを述べだす。本気で。ぼんくら男子同士が「ビッチ」だと「処女」だのとぼんくら慣れ合いのための属性を貼り付けて表面的に消費するのとわけが違う。彼女らは本気でキャラを憎み、愛している。

 そして、いきなり自分語りを始める。マミさんによく似たバイト先の先輩の話を始める。そんな先輩がいらっしゃるならぜひ紹介していただきたい、というこちらの懇願無視して、いかにその先輩とそりがあわないか、先輩がクズかをとうとうと語り、最終的にバイト先がかつてマルクス予言し憂慮した末期資本主義的状況下にあり私はとてもつらいんです大変なんです疎外されてるんですだからマミさんは最低な女だと思います、という実に革命前夜なティロ・フィナーレに行き着く。

 よくわからない。よくわからないと言えないまま、また別の本と別の現実の話題にうつる

 マミさんが嫌いな女子とは別の知り合いで、村上春樹を嫌いな女子がいる。その子村上春樹がそりゃあもう大っ嫌いだ。春樹に関係するものすべてを憎悪していて、村上春樹本人も嫌いなら、ファンも勿論大嫌いで、村上春樹フェアをやってる書店も嫌いで、『色彩を持たない多崎つくる』が大ヒットしている現代日本社会も嫌っている。読まず嫌いというわけでなく少なくとも数冊は読んでいるはずのその子本質的村上の何が嫌いかはよくわからなくて、理由を訊いても「キザっぽくて嫌だ」とか「セックスだけじゃん」とか、いまいち要領をえない。だって、おまえ、バタイユとかサドとかロブ=グリエとか喜々として読んでるじゃん。

 男子にも村上春樹とそのファンとその社会を嫌うやつはそれなりにいて、でもそういうやつらはなぜか「『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』だけは好きだね」などと妙に言い訳地味た予防線を忘れない。続いて、聞いてもないのに春樹論について語りだす。「俺は基本的に春樹嫌いだけど、文学性や価値は理解できるし、いいところがあれば認める度量もあるよ」と言いたいわけだ。春樹以外の気に食わない作家陣に対しても似たような態度しかとれない。嫌うのに社会的にコレクトな理屈を探そうとする。それを見つけたあとでも、けなしはしても全面的な攻撃はしかけない。そんな度胸はないんだよ。俺もお前も。

 女は退かない、媚びない、顧みない。嫌った相手には容赦しない。同時に自分正当性正義も疑わない。よって言い訳をしない。理屈を探さない。よその基準など関係ない。私の人生が伊坂はクソだと告げている。

 虚構と現実境界線をきちんと引き、作品世界をきっちり読み込み把握したうえで、手前の価値観物差しのみを武器に全身全霊をもって襲い掛かってくる。彼女たちは数を数えない。だから物差しで切り捨てた数もおぼえていない。


 あなたがもし男であるならば、女と本についてトークするのはオススメしない。なぜなら、あなたは弱い。あなたはその本について、内容を記憶しているだけで実は何も独自の見解を有していない。その場でとっさにひねりだした解釈に、あなた確信を持てない。それでは耐えられない。あなた読書を通じてコミュニケートする、ということがどんなに恐ろしいことか、リアルオリジナル見解を持っている人間狂気がどんなに鋭利か、わかっていない。年間三千百冊を読了できたとしても、それらの内容を一字一句違わず暗誦できたとしても、絶対に辿りつけない彼岸がこの世界には存在するのだ。そこでは数や引用など意味を持たない。愛情感情がすべてだ。あなた死ぬ。死にたくないなら他人と金輪際本の話をするな。外に出ろ。ゲーセンにいけ。三鷹駅裏のゲーセンではまだ『ぷよぷよ通』が現役で稼働している。あなたの居場所はまだそこに残されている。生きて欲しい。生き延びてほしい。


http://unimochi.hatenablog.com/entry/2013/12/05/174304

2013-11-30

結婚したくないヤツの話

ドヤ顔で「他人と同じ空間で過ごすのとかムリ」とか言えちゃう連中のほとんどは個性的自分アピールしてカッコつけたがっているか恋人結婚相手もいないことを指摘される前の予防線張ってるかのどちらか。まあ、もちろん皆とは言わないけど。

つーか、はてな民には「結婚に向かない」「子供はいらない」アピールの好きな連中が多いくせに、だとしたらなおさら少子化とか女性ワークライフバランスの取り方とか全くどうでも良い話題じゃねえか。

あと、結婚というと「長期売春契約」「ATM代わり」などの浅薄まりないワードを持ち出す連中はちょっと頭がどうかしてるとしか

2013-11-29

わがこころベアトリーチェ観月小鳥さんへ

 この手紙をどうはじめたらいいだろうと蝉の鳴き声もかまびすしい夏からずっと考えていましたが(伝えるって本当に難しいです)、結局気の利いたすばらしい挨拶が見つかりません。ですからはじめまして小鳥さん、とだけわたしはいいたいと思いますあなたに伝えたいことがあって今回このお手紙を書くことにしました。突然のことで申しわけありません。

               *

 あなたはまず思ったことでしょう。お気に入り自転車のかごに放り投げられた、飲み口にまだ内容物のこびりついている中途半端につぶされた空き缶みたいな不躾で無礼なこの恋文を送りつけてくるわたしが誰なのか。

 わたしは現在36歳、独身、職歴なし(アルバイト歴はあります)、童貞アニオタ精神のほうをわずらっており、精神障害2級、まったくありがたいことに障害基礎年金も受給させていただいており(2級。786,500円/年)、日々社会復帰に向けて努力している(作業所で時給200円で働いております。内職系の作業です)日本に確実に数%は存在するありがちな中年男性です。若いころのあだ名は塩昆布です。キモオタAAを想像していただければおわかりになると思いますが、この世の悪意を集中的に浴びてきたせいか皮膚が月面のクレーターのようになってしまっており、細身という点ではまだ社会的に許容されうる生物なのかと思ってはおりますが、実際かなりの醜男です。野良猫般若の面をかぶせて火をつけてみれば、野良猫はおそらく面を残してなに食わぬ顔で逃げていきますが、ちりちり灼かれていくその面に残った放火魔殺意怨念と哄笑こそがわたしの顔からにじみ出ているといってもよく、わたしはそのような人間とは正反対の人見知りでおとなしい男であるにもかかわらず、買い物先のイトーヨーカドー出会った幼児には顔を見るたびになにか恐ろしいものでも見たかのようにびくっと反応され、かならず泣かれてしまうのです。

 小学生のころから容姿からかわれいじめられてきたわたしは他人に自分の姿を見られるのが恐ろしく、友人も恋人も作らず、いや、作れずといったほうが正確でしょうか、人生に絶望し、引きこもり勇気を出して面接に行っては人事担当にお祈りされ、ついに自殺未遂をしたあとでは、家族にもうなにもするなといわれ、こうやって小鳥さんのことを考えて毎日すごしています小鳥さんの腋を見ると、わたしのあのひからびてしまった棒状の物体(その先は言う必要ないですよね)も突如として復活し、さらさらとしたそれでいて粘性のある透明な液体が山奥の新鮮なわき水のようにちょろちょろとあふれてきて止まりません。そんなしょうもない中年のわたしですが、小鳥さんは「わたしでしていいよ(・ω<)」といって顔をほんのり赤らめほほえんでくれます。ああ、なんて天使なんだ!

 鉄男さんと以前小鳥さんについて語りあったことがあります

小鳥のやつはさ」と鉄男さんは眠たげに足を組むと、たばこに火をつけていいます。「遊馬のことが好きなんだ。だけど遊馬のやつはED(勃起障害)でさ。超越論的跳躍(かっとビング)しすぎた副作用らしいけど。小鳥も酬われないよな」

「わたしは遊馬のことが許せませんよ。小鳥さんを情熱的に愛撫すべき立場にいながら、なめらかな肌といやらしい声と絶妙チラリズム天使無視して、蜜蜂のように扱ってはしっしっと追い払ってしまう」

「そこなんだよ。たしか処女から声は出ていないが、間違いなくあいつは処女だぜ。でも遊馬はEDなんだよ。詰みだよ、詰み。チェックメイト。E、N、D」

「EDになってから幽霊アストラル)が見えるようになったとか」

霊感商法ってやつだよ」

「まったくひどい!」

「その通り」鉄男さんはそういうと、たばこ排水溝にはじき飛ばして立ち上がり、ふうとため息をつきました。その背中がとても男らしかったです。

 鉄男さんは遊馬と親友という噂でしたが、実はそれほどでもなく、微妙距離感を保っているらしいですね。ちなみに鉄男さんには璃緒さんという統合失調症未来恋人がいるらしいので、小鳥さんには興味がないということでした。よかった!

               *

 わたしは小鳥さんの魅力を語りたいのです。

               *

 まずは腋です。小鳥さんはことあるごとに片手を突き上げてその美しい腋を全世界に全宇宙に見せつけています小鳥さんの腋のくぼみ方はミケランジェロも参考にしたといわれるほどの芸術的な曲線美で、腋汗が溜まりやすく、舐めると南国の風の爽やかさとやや辛めの塩味が感じられてとても美味です。安い発泡酒を飲みながらちびちび舐めるのがとくに好きで(まずい酒のほうが腋汗のうまさが引き立つ)、まるで食べて応援することによって日本社会皮肉っぽくも明るくなるように、わたしの鬱々とした気持ちも小鳥さんの腋汗によって応援されるようなのです。鬱病患者に「頑張って」は禁句だと世間はいますが、それは世間のしょうもないオッサン、オバハンからの善意という名の嫌がらせについていうものであり、火星の砂粒やミトコンドリアすら愛するような天使からの励ましはわたしを勇気づけてくれます。「増田くん、頑張って!」「いいですとも(`・ω・´)」

 鉄男さんは小鳥さんの腋について以前こうおっしゃっていました。

小鳥の腋はすげえよ。おれが小鳥決闘デュエル)で勝てないのはあれのせいなんだ……」

「というと?」

「見たらわかるだろう? あの肉感的な陰翳、くぼみに渦巻く官能的な黒い風。あの腋が生み出す磁場ファルスを屹立させる特殊効果を持っているんだ。おれは決闘に集中できなくて、それでどこに意識を集中してるかっていったら……」鉄男さんはちっと舌打ちすると、それにつづくことばをためらっているようでした。

「なるほど。でも鉄男さんは璃緒さん押しなんですよね」

「もちろんそうさ。璃緒さまは小鳥とは違うよ。璃緒さまは性的なものを超越していらっしゃるからな。でも小鳥やばい

「ですね」

小学生のころ、夢のなかに小鳥が出てきてさ、『鉄男くーん』とかいって頭の上で手を振ってるんだよ。まだ毛も生えてこない腋がちらちら見えてな。そしてあの磁場がおれのファルスにとりついて、シェイクスピアの生み出したあの世紀のアホ、リア王とでも比べればいいのか、情けないことにおれは下着を濡らしてしまった! とんだ娼婦だよ、あの女は!」

「でも、その……、よかったんでしょう?」

「まあな」鉄男さんはそういって照れくさそうにくすくす笑うと去っていきました。こちらを振り返らずにあばよと手を振ってよこしたのが夕陽の逆光のなかで見えました。

 おそらく小鳥さんの腋からはなんらかのフィールド魔法が自己言及的に発動していると思われます。腋が下半身に絡み付いてくる、ちょうど異星人の触手美少女戦士をしめあげて離さないように。そこでわたしは腋地獄という概念提唱しました。小鳥さんの腋はバウムクーヘンのように七層構造になっていて、そのそれぞれが自律的に動いています。そして腋全体も螺旋状に回転していて、ちょうどウロボロスの蛇のように、リビドーが第七層の腋まで達すると今度は第一層の腋に連結され、循環され反復されることによって小鳥さんの腋地獄さらに磁力を増すのです。もがけばもがくほど深みにはまる底なし沼、負ければ負けるほどやめられないギャンブル、呑めば呑むほど呑みこまれるアルコール。そうです、小鳥さんの腋とはあらゆる依存症メタファーなのです。小鳥さんの腋はやめられない。前立腺指圧師! 快楽の大銀河

               *

 つぎに太ももについてです。これについても新概念を導入しましょう。それは不可視のパンティです。あるとき鉄男さんはつぶやくようにいいました。

「なあ、増田ちゃん」

「なんです、鉄男さん」

「お前、見えてるパンツをどう思う?」

「どうってどういうことです?」

「いやな、おれくらいになると見えてるパンチラに興奮しないんだよ。わかるかな。見えてるパンツはただの布だよ、増田ちゃん」

メモっておきます」わたしはあわててオタク風の黒いリュックサックから黒い手帳と黒ボールペンを取り出しました。「でも、パンチラとは見えるからチラなのでは?」

「そこなんだよ、増田ちゃん」鉄男さんは少々呆れたように笑います。「パンチラはいうが、チラってしまえばパンチラではないんだ。パンチラとは一種のパラドクスことなんだよ。パンチラとは非パンチラのことだ。おれたちはその見える“かもしれない”という可能性に人生をかけているのであって、布に人生をかけているわけではないのだ。見えそうで見えない、でもよく見ると見えているかも、いや、見えていない。それがパンチラというものだ。わかるかい増田ちゃん」

「うーむ。なるほど。あ、すみません、鉄男さん。このボールペン、インクが出ないのでメモれません」

「書けないボールペンとな!」そういって鉄男さんはぼくの手からボールペンを引ったくると大事そうにズボンのポケットにしまいました。「見えないパンティこそ美しい。書けないボールペンを使えば時空の果てでも恋文が書ける。そして璃緒さんはうるわしい!」

 わたしは小鳥さんのパンティを見たことがありません。あ、どうか勘違いしないでください。わたしは見たいと言っているのではありません(それでは変態さんですね)。見えそうな状況でも見えないということが小鳥さんの魅力だといいたいのです(しかし絶対に見えていないともいいきれません)。小鳥さんはパンティを見せないことによって、自分存在が布へと矮小化されてしまうことを一種のヒロイン生存本能によって防いでいるのです。布ならば手に取りじっくり見て分析解釈考察することもできますが、小鳥さんはそのような研究対象から逸脱した、科学的な尺度によっては測ることのできない超越者だということなのです。小鳥さんの太ももには慈悲があり永遠平和がある。そこにわたしは神を見たのです。

               *

 小鳥さんはとても明るく元気でまるで熱帯雨林のように表情豊かな方です。明るい陽射しのなか丘の上に立ってこっちに手を振って鈴蘭のように笑っている顔も、土砂降りのなか服をびしょびしょに濡らして蒼白になって泣いている顔も、誰かさんテストの点数のように真っ赤になって恥ずかしがっている顔も、遊馬を心配している顔も、感じている顔もすべて素敵です。そしてその表情のすべてが一回きりのもので、ふたたび同じ表情が現れることはありません。小鳥さんの表情は数によって大小を示せるようなものではなく無限のものなのです。これは誇張でもメタファーでもありません。小鳥さんの顔は見ていて飽きません。

増田おい増田」誰かと思って振り向くと雑居ビルの影から鉄男さんが呼んでいました。

「鉄男さん、どうしたんですか。てか、そんなところでなにやってるんですか」鉄男さんの首にはひもがかかり、その先端にカメラがぶらさがっています

「いいからこっちこいって」あの穏やかで紳士な鉄男さんがいつになく興奮しています

 雑居ビルの影に隠れると、わたしは十数枚の写真を渡されました。そこには璃緒さんが写っていました。

「美しいだろう?」

きれいなひとですね。で、なにやってるんですか」

「これから璃緒さまが病院に行くんだ。ここはその通り道になってるってことだ」渡された写真をよく見てみると、どの写真雑居ビルの薄汚れた壁と特徴的なお掃除ロボットが写っていて、まさにこの場所だとわたしにもわかりました。璃緒さんは写真ごとに異なった服装です。

「璃緒さま、今日はどんなお洋服なんだろうな」

「鉄男さん、これってストーカーってやつでは?」

「おれには愛がある!」

 璃緒さんの無尽蔵の洋服が鉄男さんのコレクター魂を刺激し惑わせ堕落させたように、わたしも小鳥さんの表情に吸い寄せられ離れられなくなってしまいました。でもこれは愛なのです。

               *

 小鳥さんの声はわたしの敏感な部分に海底トンネルのようによく響きます。よくあるきんきんした味気ないテンプレート萌え声ではなく、ロリであるにもかかわらずエロいという特徴があって、少女として見ると大人っぽく、大人として見ると幼女っぽいという絶妙バランスとなっております。尿検査では中間尿を採取しますが、それと同じようにわたしたちが最も注目すべきなのは少女でもなく大人でもない、その境界線を肉付きのいい脚でまたぎ、ふくらみかけの乳房突き出しながら居心地悪そうに立っている半熟の女の子なのです。小鳥さんの声はまさにその時期を繊細に表現しているいってもよく、この世でもっとも貴重な声のひとつであるとわたしは断言いたします。

               *

 最近の女子は料理が作れなくなってきたといわれています。そんな現代社会ですが、小鳥さんは決闘飯(デュエルめし)を作ることができるとても家庭的な素敵女子なのです。小鳥さんの体液、通称小鳥汁がしみ込んだ決闘飯とはいったいどんな味がするのでしょう。鉄男さんによれば、小鳥さんの決闘飯は「バイアグラの味」だそうです。

               *

 ああ、どうしましょう、くだらないことを書いてしまいました。申し訳ありません。わたしはどうしたらいいのでしょう。生きているとつらいことばかりです。すべてがむなしいです。幼女を見てもかわいそうだと思うようになってしまいました。こんな不完全な世界の重圧をその春風のような無垢なほほえみで受け止めなければならないなんて。世界グロテスク悪臭を放っていますが、迷信のごとき科学技術や洗練された(!)法治主義社会たくみに見せかけの清潔さで覆い隠してしまます。それは合成着色料のようで、すべてはフォトショップ的ともいえる一種の嘘で塗り固められていて、どこにも真実はなく、しかし虚偽すらなく、ただひたすら軽薄で浅薄希薄で、原初の一点から湧き出たあの宇宙的エネルギーはどこにいってしまったんだと、この時代無意味さ、無価値についてわたしは考えるわけですが、わたしのそんな行為ともいえない似非行為すらまったく意味のないことで、わたしが死ねばすべてはどうでもよくなるのだと思ったりもするのです。

 しか自殺しようかなと思ったとき毎日小鳥さんがわたしにほほえみかけてくれます。「増田くん、超越論的跳躍(かっとビング)よ!」なるほど、たしかにわたしの眠っていた愚息は雪融けのように感動的な反応を見せ、天上の世界アストラル界)を目指してぐんぐん伸びていきます、蛇玉さながらに。そしてわたしは今日も生きようと思うのです。EDになるまでは。小鳥さん、あなた存在していてくれてありがとうございます

(以上の文章は主治医から自分のことを表現してみるといいと助言があったため書いてみました。長文失礼しました)

2013-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20130825152923

こういう人が提唱するステレオタイプの「大人」って浅薄だよね。

成功者ゲーム漫画なんぞ相手にせず、経済学投資に傾倒してる

ってな感じのビジネス書の発行元が言うポジショントークと一緒。


風俗ギャンブルは批判され、漫画アニメエロゲは幼いと揶揄される。

「大人()」は大変ですなw

海外交流とか盛んにして、意識高い系の勉強会に参加し、趣味フットサルなどのオサレスポーツ

でもこれな、そういう事を本当に楽しんでる人ってのは、他人を見下す必要がないんだわw

承認要求を満たすのに、自分より下の他人が必要な人は、生きるの大変そうだよな。

キョロ充」とか言うんだっけ?

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