はてなキーワード: 文科省とは
【ガンダムバトルオペレーション2】今日も課金だ! 最大5万円課金しまっす (超高画質)
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「課金」という字を見た瞬間に「料金を課す」という意味だとわかるはずだが。
もしかして「納金」や「入金」や「支払い」という言葉を知らないのか。
【櫻井よしこ x 呉善花 】衝撃!!漢字が読めないから歴史がわからない!!反日韓国人の正体を暴露!!【Koreaなんだ?】
https://youtu.be/XBT1MeVKCpY?t=14m20s
ねぇどうして「納金する」ことが「課金する」になっちゃうのー?
ねぇどうしてゲームシステムとプレイ内容については鋭く分析するのに
「課金する」なんて単純な間違いを誰も指摘しないのー?
「課税」と「納税」という言葉から「課金する」という言葉のおかしさに気付けそうなものだが。
もしゲーム脳というのが本当にあるとすればこいつらのことだろう。
■「課金する」「寄付する」「募金する」という言葉の意味と誤用に注意!
http://www.kotobano.jp/archives/1285
課金という言葉は払うということではなく、料金を払わせるようにするという意味。
アプリであれば、運営会社側がユーザーにお金を払わせることをいいます。
お金を払ってしまう私たちもつい「課金した」という表現を使ってしまいそうになりますが、
「課題考査」や「宿題を課す」という言葉は先生側(提供する側)の言葉でしたよね。
「課す」のは提供する側、だから「課される」こちらが「課金した」と表現するのは誤りです。
漢字の構成を考えれば募金と寄付の違い、課金の誤用は防ぎやすいのですが、
視覚的な情報として「課金」「募金」「寄付」の知識を得るだけではなく、
是非一度、「課金した」「募金した」「寄付した」という言葉を声に出して、
その違和感から正しい言葉の使い方を覚えていただきたいと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10107622430
グリーなどの悪徳商法系サービスで消費することを指してるようですが、
課金とは料金を課すことなので、課金『する』のはグリーであり、利用者は課金『される』側じゃないですか?
ベストアンサーに選ばれた回答
kai さん
http://yoshihiroueda.wordpress.com/2012/05/19/%E3%80%8C%E8%AA%B2%E9...
ネットを見ていると、「課金する」という言葉が「料金を課する」という意味とは逆の
「料金を払う」という意味で使っていることに気づく。
実際にゲームをやっている人が「課金する」という言い方をしているのだ。
“本来この言葉は「料金を課する」、つまり提供者が利用者から料金を徴収することを指すのだが、
インターネット上では主体が完全に逆転した解釈のほうが定着している。
「課金されたものに納金する」→「課金する」のように略された形になる。
税金を納めることを”納税”と言わず”課税”と言うぐらい異なった用法である。”
“インターネット上で課金と言えば主に、オンラインゲームなどの内容に利用料金を払うことを指す。使用料を払うこと。”
http://idejun.com/archives/4695
料金を課す、つまり「費用や支払いを引き受けさせる」のであり、
黎明期のオンラインゲーム利用料金決済を発端として誤用が広まり、
今もって正しくない言葉のまま使う人が多い。
納金させようとするソーシャルゲームの台頭により、利用者どころかサービス運営者、
ゲームコンテンツ提供者までもが誤用しているケースが多々見られている。
成功 ありがとうございます、やっぱり誤用だったんですね。
言葉は元々は誤用でもその使い方が多数派になれば正しい使い方として定着してしまうそうなので、
いずれ私のような人間は『古い言葉使いの少数派』として片隅に追いやられてしまうでしょうが、
こんな日本語の乱れたゆとり世代だから悪徳商法にも引っかかってしまうのかと、
http://chiebukuronews.blog.jp/archives/9312941.html
247: 名無しさん@おーぷん 2015/07/05(日)11:18:13 ID:6t0
嘘もいい続けたら嘘じゃなくなる的な思考で頭悪そう
249: 名無しさん@おーぷん 2015/07/05(日)11:26:25 ID:vG2
買う側が「課金する」って言うの
金を課しているのは売る側です
■言葉の変わる速度
http://si.jpn.org/archives/date/2015/0411-230628.php
スマートフォンアプリの有料の機能拡張やオンラインゲームなどで課金アイテムというものが出てきてよく目にするようになった言葉。
本来はサービス提供者がユーザに向けて料金を課する、つまり「課金する」ものであるが、
ユーザが「アイテムを購入した、料金を払った」という意味で「課金した」と遣う人が結構多い。
この場合正しくは「(プラグインなどの)料金を払った」「課金アイテムを購入した」となる。
要するに単に「買った」と言えば良い。これは明らかに誤用。間違えていたら単に言葉を知らないだけかと。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gengo/1509223362/
1名無し象は鼻がウナギだ!2017/10/29(日) 05:42:42.890>>50>>89
正2:課金制が導入されているゲームにお金を支払っている(納金している)。
課金=料金を課すこと。
なぜ人間は、小さな間違いには気が付くのに、大きな間違いには気が付かないのだろうか?
2名無し象は鼻がウナギだ!2017/10/29(日) 06:21:05.640>>4
13名無し象は鼻がウナギだ!2017/10/31(火) 02:29:52.680
「ふんいき」言ってるつもりで無意識に、
漢字と読み方知ってる世代まで釣られて「ふいんき」言うんと違う?
テレビの影響で過剰な「ら抜き」や奇怪な「させていただき敬語」が
広まってるところ見るとそんなふうに感じるわ
18名無し象は鼻がウナギだ!2017/10/31(火) 06:25:03.930
思うに、課金が間違った使われ方をしているのは、
音の響きから「加金」のような受け取り方をしているからじゃなかろうか。
そして、募金が間違った使われ方をしているのは、
おそらく「応募」という言葉の大意を「募」が担っていると錯覚しているからじゃなかろうか。
22名無し象は鼻がウナギだ!2017/11/07(火) 03:25:21.970
課金の誤用って多分「加金」と音が一緒だから助長されてるんだと思う
27名無し象は鼻がウナギだ!2017/11/08(水) 19:06:13.600
課金してきたぞー → 課金されてきたぞー みたいに訂正例文付きでさ
31名無し象は鼻がウナギだ!2017/11/09(木) 07:19:47.010
しかし「課金」はなぜこの意味で使われるようになったんだろうか
32名無し象は鼻がウナギだ!2017/11/09(木) 07:38:37.510
そもそも正しい意味で課金が使われた実績ってどれくらいあるんだろうか
世の中課金する側よりも課金される側が圧倒的に多数なわけだしな
41名無し象は鼻がウナギだ!2017/11/21(火) 20:05:02.700
使い続けるにしても、
アガる、キレる、ナメる、ヘコむ、モテる
なんかのように、ボキンするカキンする
本来の言葉から派生したものとわかるように表記を変えないとさぁ。
49名無し象は鼻がウナギだ!2017/12/03(日) 21:19:31.040
そう遠くない未来に漢字は複雑で不合理極まりない代物として排斥されるだろうな
戦後にフランス語の公用語化や日本語のローマ字表記化が叫ばれた時は
庶民の識字率の高さに助けられて事なきを得たが、現状を鑑みると次はない
そうして文字を捨て去った後、
隣の半島よろしく「読めるけど意味が分からない」という新種の文盲を量産する
よろこべおまえら、これでもうべんきょうにじかんをかけなくてもよくなるぞ
どうしたうれしいだろうなずけよ
126名無し象は鼻がウナギだ!2018/02/12(月) 12:54:09.320>>131>>133
俺完全に勘違いしてた部類だわ
134名無し象は鼻がウナギだ!2018/02/12(月) 16:57:50.140
表現の自由を尊重するあまり無法になっちゃうのも個人的には好ましくない。
言葉狩りは御免被るけどこういう話題を煙たがる傾向が日本語の文章読解能力低下を助長しているんだとも思う。
日常会話レベルでは今のところ問題視されるほどの不都合は生じてないようだけど
文章読解能力には著しい低下が見られると文科省は学府に指導を入れている。
今じゃ国立の大学が日本人の学生向けに日本語の必修科目を設けるほど問題視されている。
杓子定規に拘る必要はないけどかといって下らないと安く見ていいものでもない。
177名無し象は鼻がウナギだ!2018/02/16(金) 05:40:21.810>>178
日本語の変化ゆらぎなどといって国語を破壊するグズどもは本当にどうしようもないな
189名無し象は鼻がウナギだ!2018/02/17(土) 02:31:11.510
日本語は今までバカの手によってメチャメチャにされた歴史があるからな
前文科省局長「『息子をよろしく』とは伝えたが不正に合格させてくれとまでは依頼していない」
…こんなエクストリームな言い訳を繰り出すとは思わなかった。なかなかの人物であるな。
信用失墜行為で懲戒免職程度かと思ったが、破廉恥罪と国家転覆罪による極刑にこそふさわしい人物かもしれない。
(…とは書いたが『ぶっ殺せ』とまでは書いていない。)
関係者によりますと、佐野前局長は去年5月10日に東京医科大学の臼井正彦前理事長(77)らと会食し、前理事長から支援事業の申請書類を示されたうえで「昨年度は落選したがどうすればいいのか」などと助言を求められたということです。
そして佐野前局長はその場で申請書類の書き方などを助言し、「東京医科大学は医大を受験する息子がいちばん行きたい大学なのでよろしくお願いします」などと伝えていたということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180713/k10011532211000.html
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
の続き
ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。
確かに病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。
しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨てる必要があります。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)
それゆえ、日本の近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。
中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番。
問題なのは、日本の看護はその上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。
そもそも現代日本の看護教育は、戦時中の軍隊式日本赤十字の従軍看護婦養成の伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。
日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.
この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。
1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・
この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・
1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり・・・
1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・
2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)
プライバシー尊重とか超超基本的な倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態。
恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。
秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。
今の30代以上の看護婦世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf
「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今日の日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知が蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言で黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。
続く
アカデミアにいるわけでもない人間が酔った勢いで吐き出すので,間違っていたら寧ろ積極的に否定してほしい.
今年度の科学技術白書が話題を集めている.ブコメでは金がなくて雑務が多いんだから当然だという指摘が多くて,その指摘はある程度正しいように思える.僕は企業の研究者だけれども,実際に日本の大学の先生方は(その分野の権威であっても!)たった100万の研究費を出すだけでもとても良くしてくださるし,100万円ぽっちにそれだけ頑張らないといけないのだから当然のごとく忙しい.(海外の大学に研究費100万円なんて言ったら門前払い.少なくともその10倍からスタート)
じゃあ国がもっとお金を出すようになれば技術力の低下が解決するのかというと,少なくとも自分がいる分野ではその段階を超えつつあるのではないかと思っている.一昔前に話題になったポスドク問題の印象で,金を出してポストを増やせば論文数が増加すると思っている人はそれなりにいるのではないかと思う.しかし今,僕がいる分野では寧ろアカデミックポストが余っているらしい.ポストは減っているのになぜそれが余るのか.答えは簡単で,アカデミック人材がそれを超える勢いで減っているのである.僕がいる分野では,文科省の狙いが成功したのかたまたまなのか博士卒が多く民間企業に就職している.民間企業に就職すれば給料は多いし,なによりも期間の定めなく働ける.研究は自由にできないかもしれないが,大学にいても文科省様のおかげで好きな研究ができるわけではない.そして育てても育てても企業へ流出し,そして更に企業への就職志向が強まる悪循環によって,僕の観測範囲では博士新卒の6〜7割かそれ以上が企業に就職している.
つまりいまお金を多少投入されてもこの分野ではその研究費を投入できる人材がいない.企業から呼び戻せるほどの給与と安定したポストを用意できるだけの長期間かつ大きなの予算が与えられれば別だけど,流石にそれは現実的ではないだろう.ポストの空洞化がこのまま進めば教える人がいなくなるので,日本でこの分野はそのうち滅びるのかもしれない.博士卒の人材が就職したことで産業界に根付きつつある技術も,人材が安定的に供給されないのでは滅びるだけだろう.企業に博士人材が流出するのは一部の分野だけだから大丈夫!寧ろ殆どの分野では企業への進出が進んでいない!と主張する人もいるかも知れないが,そもそもそういう分野は博士取る人が減って同じ結果になるんじゃないかと思っている.
大学改革や選択と集中も必要だろう.でも日本のエリート教育の根幹を支えるアカデミックポストの魅力を大幅に引き下げてしまったのは大きな失敗ではないかと思う.そりゃあ腹芸が得意な役人にとって大学の先生方は扱いやすかっただろうけれども,日本の根っこを支えている人たちであるという敬意を失ってはいけなかったんじゃないだろうか.少なくとも研究計画の説明中に寝てんじゃねえよ.
http://www.kore-eda.com/message/20180607.html
Twitterとか見ると変な部分に突っかかって是枝監督に怒りをぶつけてる人が多い。
多分元の文章をまともに読んでないせいだと思うので、きちんと整理しておきたい。
一般的には「喜びを祝う気持ち」のことを指すけれど、文脈を見ると
国会の参院文科委員会で野党の議員が「(是枝に)直接祝意を表しては?現場をとても鼓舞する。総理に進言を」と文科相に問いただしているやりとりを目にし、更にその後「林文科相が文科省に招いて祝福したいという意向を示した」と伝えられたとNHKのニュースで目にしました。
実は受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております。
つまりどこかに呼ばれて表彰、みたいなことは断るよ、ってだけの話なんだよね。
デマ。
実は受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております。
「顕彰の問い合わせ」に対して「有り難い」って書いてあるじゃん。
何を勘違いしたのか
親から仕送り貰って、大学卒業したり優秀な成績残した時に親からおめでとうと言われた際に「親からの言葉は受け入れない」とか言ったら批判されるよね。
親からの「おめでとう」を断るのがカッコイイとか、それが許されるのは反抗期まで。 成人でもみっともないと言われるのに、還暦近い人がそんなの言うとか流石に度を越している。
国から給料貰っておきながら、国家も歌わず日の丸に敬意を示さないどっかの教員連中も同じ精神構造なんだろうね。いつまで経っても反抗期の子供なんだよ。
親と子供の関係に例える人なんか特に多いが、その例えは明らかに間違っている。
(文化庁は親ではないし、お金の出処は税金または文化庁への寄付であって"親"が汗水たらして得た金ではない)
まず、「告発を目的とした映画ではない」と発言していることは知ってもらいたい。
この「公権力を批判」というもの。人によって想定してることがぜんぜん違うんだけど。
「公権力そのものを否定する」というようなアナキスト的思考ならともかく、「社会の問題点を指摘する」レベルのことは独裁政権以外なら誰だってやっているよね。
以下の文にあるように、是枝監督が「映画を撮りながら考えていたこと」は「それほど目新しいものではない」。
「単身者が孤立」とか「自己責任論」とか、多くの日本人がすでにテレビや新聞、ネット上で共有している。
助成金もらっているからってこのレベルのことも言ってはならない、なんてことはないはず。
取材の中で「何故社会からこのような“不可視の”家族が生まれると思うか?」と作品の背景としての社会的、政治的状況を聞かれた。その告発を目的とした映画ではないことを前提に自分の考えを述べた。あくまで私見としてではあるが。今回僕が話したのは「共同体」の変化について、であった。日本は地域共同体が壊れ、企業共同体が壊れ、家族の共同体も三世代が一世代、単身者が増えて脆くなっている。この映画で描かれる家族のひとりひとりはこの3つの共同体「地域」「企業」「家族」からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視の状態になっている人たちである。これが物語の内側。そして孤立化した人が求めた共同体のひとつがネット空間であり、その孤立した個を回収したのが“国家”主義的な価値観(ナショナリズム)であり、そこで語られる「国益」への自己同一化が進むと社会は排他的になり、多様性を失う。犯罪は社会の貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音が世界を覆う。恐らくあの「家族」はそのような言葉と視線によって断罪されるだろう。…ということも話した。これが背景。これは『映画を撮りながら考えたこと』という拙書でも既に述べている考え方である。まぁそれほど目新しいものではないだろうことは自覚しているが。
ただの資料として
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3
・クールジャパンは経産省の政策(文化省や総務省は別の施策を行っている)
・クールジャパンの目的は 情報発信⇒海外展開⇒人を国内に呼び込む という3段階が目的
・経産省の施策のため、文化維持などが目的ではなく基本的には金銭的なものが目的である
・コンテンツ輸出は基本儲からない(赤字と言う意味ではなく総額が低いと言う意味)
・よって海外展開(アウトバウンド)⇒人を国内に呼び込む(インバンド)が重要点になる
・現時点での実績を鑑みると、複数の報道とは裏腹に「結果だけをみれば」クールジャパン政策は"成功"している
・なぜならアニメの海外への輸出額や二次元産業という文化輸出自体が成功しており、さらに日本国内への観光客は安倍政権になってから爆発的に増大しているため、情報発信⇒海外展開⇒人を国内に呼び込む という流れは成功している
・ただし、円安誘導はともかく個人的にはやはり経産省の組織である海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)そのものは問題を抱えていると思うし、アニメ輸出の成功はクールジャパンの成功と結びついているとは言いがたい。
※この3段論法は2000年代前半に「アニメは海外で儲かりますよ」という誤った認識が流布された際の反省点として改良を加えた論法に見える⇒気のせい?
・クリエイターの保護は経産省ではなく恐らく文科省の役割であると思われる。ただし、権力は弱い
・実写とアニメは製作者にも視聴者にも溝を感じる⇒実写界隈の人が無闇にアニメを叩いたり、逆にアニメ側も成長した結果復讐に走る傾向にある。
・これは文化政策を考える上で致命的であると考える。本来は一致協力して政府に意見を述べたり圧力をかけるべき
・ただし、実写側もアニメ側も政府を基本的に信頼していない傾向にあるように見える
・近年のコンテンツ施策は様々な国で行われるようになっている。アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、韓国、中国、またナイジェリア等の新興国でも文化政策としてコンテンツにお金を出すようになっている。
・そのため日本でも政府との協力をおこなわなければ大幅に不利な戦いを強いられることになる
・よって個人的には"なんらかの形で"政府の協力を得るべきだとは考える
・政府が出資した漫画が海外で全然売れないという話がまとめサイトなどで流通したが、あれは海外で設けられる事業を探るための総務省の施策である
・「儲けられるか儲けられないかを判定するために小額のお金を出資しますからマーケティングしてきてください」という話である
・その結果東南アジア(の特定の国)で漫画を売るのは現時点では難しい、という結果を得ることが出来た(つまり別に失敗していない)
・資料を見るとわかるがラーメン店出展は黒字になっており、近年のラーメンが海外で受けていると言った日本国内の報道はそういった点のフィードバックであると考える。
・純粋な文化維持政策は庵野などが関わっている国立メディア芸術総合センターのみではないか?
・⇒そういやアニメたまごがあった、あとは文化省メディア芸術祭か
・優先度低い企業に補助金という報道があったが、これは新興企業ではないから、ベンチャーに投資しろということか?
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018051800343&g=soc
・個人的には字幕翻訳は最も重要な点だと思われるので間違っているとは思わない
・ただし、クールジャパン機構の設立趣旨からはずれると考える(投資ファンドのため
・6月末でクールジャパンの社長が変わる。⇒官民ファンドは10個ほどあるがクールジャパン機構は最も失敗している部類であるため(う~ん
・ファッション系の大田社長から、音楽・アニメ系のソニー・ミュージックエンタテインメント前最高経営責任者(CEO)の北川直樹氏へ
・投資先が現在の「海外におけるファッション・食・デパート等」から海外における「エンタメ」に大幅に切り替わる可能性?
・実績を踏まえても海外はエンタメ系に割り振って、ファッション・食・デパート等はインバウンドで儲けるべきというのは誤ってはいないように見える
・実写が置き去りになっている。⇒ただし、映画を都市部でも撮影できるようにするという仕組みを整えようとしている、という施策を進めている
⇒唯一?、会見にHEROSに出てたマシ・オカや浅野忠信等が参加していたと思う
・クールジャパン機構と総務省の施策と文科省の施策と内閣府直轄でそれぞれ別の施策を打っているように見える⇒縦割り?
・純日本だけで海外展開を進めるのは無理という意見がチラホラ出始めている。
・実際アニメはクランチロール、NETFLIX、bilibili、iYQIYなどの協力なしでは無理に見える。⇒フランスのWakanimはアニプレ参加でしたね
・でもヨーロッパへの輸出額が減っているのが気になる
・米中は大幅に増大しているけどヨーロッパで若干減っているのが気になる⇒クランチロールなどに全部吸い取られている?
・toonamiでFLCLやったり、アカデミアも放送するみたいだけどテレビ放送は拡大できるだろうか?
・バンナムとかイマジカとか最近ついに海外進出を本格化させているように感じる。
・少年ジャンプもネバーランド(ノイタミナ進出)と鬼滅(Ufotabel製作)というのは海外受けをきちんと狙っている?
・ヒロアカのボンズ製作による日本から見てもアメリカ受けは相当すさまじく見える。⇒アニメのPV効果に気づいてきた?
・中国マーケットが落ち着いた昨年後半からアメリカ展開が加速しているように見える。
・NBAでゴクウがシューズが流行る、ジョンボイエガ(NARUTOファン)、マイケル・B・ジョーダン、キムカーダシアンなどの相次ぐセレブによるアニメファン告白
マイケル・B・ジョーダンは「親と一緒に住んで、背の小さい、アニメ好きは情けない」と言うリプライを一蹴する
⇒徐々にアメリカでアニメが市民権を得つつある⇒ニッチはニッチである、ただしその規模が相当拡大してきた
「敵を潰せ」と大将は言葉で言った。兵隊が潰したら「言葉の真意は全く違う」大将がしらを切った。
大日本帝国軍は昭和の半ばで亡くなっているのに。平成の終わりなのに。
この大学は教育面でもお悩みがあるようで。教職員が誰かに話している内容。
・そこの英会話の授業がなんと業務委託で丸投げになった。(委託先WG)
・その授業は教育法では違法だし、業務委託なのでわれわれは関与できない。文科省は大学と癒着している。
そんな話を茶店でしている。話の仕方を知らない教員。大学の程度がアメフト(経営)と教員(労働組合)から見えてくる。全く危機管理ができていないね。
元吉田寮生として簡単に。一応二十年前くらい前に住んでた絡みで。
現在築100年を超える吉田寮では、大学当局より新吉田寮(2015年入居開始)への移転を求められ、
過去数年にわたる団交が不調に終わった事により、最終的な退寮期限を当局に定められ、強制代執行を匂わす措置に対しての抗議活動が行われている。
「京都大学の自由な学風」とは全く違うのが、「大学当局」または「学生部」でして。
https://sites.google.com/site/yoshidadormitory/kakuyaku
確約書は、団交の結果を貰ってハンコついてもらってるもので、実の所、ここに上がっているよりも前のやつもまだ寮にあるんじゃないかなと。
去年ちょっと都合あって近くに行ったので覗いたんですが、未だに自分が貼ったポスターがありました。「季節を抱きしめて」というやつですが。
寮生の生活空間としての寮を維持したいというのが主であり、文化財であれば退去が求められるかと思います。
なので、二十年前の時も内部で議論が分かれた所です。
なお、大学当局(っていうと大げさですが、学生部とか文科省から出向してくる人とか会計監査院とか)にはその考え方はありません。
無いんだからどうしようもない。
学内の認知度も低く、学生部のところには「京大に来る謎のバイト」とか「月一万で住める間借り」とかあったりするんですが、知る人ぞ知る魔境ではあります。
「日本初の合成繊維を作った研究室」とかも潰れてますし、大学の感覚としては、「残しているんじゃない、残っているだけだ」という感じでしょう。
大学の敷地内に、廃墟みたいな温室があったりするのも京大らしいと言えば京大らしい。らしいじゃなくて多分廃墟だと思うけど。
b 構造改修が事実上不可能、又はほぼ新築と同額の予算がかかり、実際に予算を出す当局としては二の足を踏む構造改修費用である
独立行政法人と言われても、結局の所、文科省に申請~国家予算に計上~みたいな流れになるんですね。
で、毎年どうも勝手に適当に予算申請はしているっぽくて、たまに通ると急に通達やってきたりとかします。
寮だけではなく、大学運営の問題ではあるんですが、そもそも独自に使えるお金なんてほとんどないのと、後付けでお金を補填する事も難しいという事があります。
「急ぎなんで建て替えるけどちゃんと後で補填してよね」という話が通じないんですよ。
故に、職員の給料にしわ寄せがいくような運用がなされるんですよね。
という事は、社会人になって地震後の官公庁のお仕事してみてよく分かりました。予算申請してて取れるとか言われてたけど蓋開けてみたら取れてなくて来年とか、マジで平気であります。
日本国内において築100年程度築浅(?)のたかが木造宿舎に、保存価値はないとみられている可能性が非常に高く、
保護を得られない前提で耐震改修が必要となるが、所詮学生向けの安普請なので、耐震改修を行ったうえでのPL法責任を負う
稀有な建設会社はこの世に存在しないと考えられる。また現在の耐震基準で改修した場合は、ただ置石の上に支柱が立っているだけであろう
日露戦争の賠償金で建てられたとかのネタがある寮ですが、「安普請」ではありません。
http://tabenokoc.blogspot.jp/2012/03/blog-post_9674.html
とか読んで貰えば。
あとは疲れたので適当に流しますが、そこそこ情報出てるんですけどね。。。。。。
頼みもしないのに勝手に湧いてきて寮かくあるべし論を述べられる方も、二十年前にもだいたい二年に一人はおられました。
まあそんなところです。そんな憧れる所でもないと思いますけどね。
ところで、加計学園と国がしたことは何かというと、加計学園が獣医学部の新設を認可申請し国はそれを認可した、ということ。その認可手続において認可基準を満たさないのに認可したというのであれば問題だが、そういう問題は少なくとも現時点では議論されていない。認可したこと自体が問題になっている— モトケン (@motoken_tw) 2018年5月15日
いやいやいや、最初っから、「石破4条件を満たしているか」が根本で、それを説明すれば終わる話。
「基準をもとに公平に審査した結果、条件は満たしているんですよ、贔屓じゃないですよ」
ですっきりするんだよ。
一旦決めた条件を、ろくに審査せずに、お友達だけ認可してしまったのが根本の問題。
この状態を説明しようと、ちょっと前まで流行ってたのが文科省挙証責任論というもの。
曰く
「条件に従って審査するのは文科省の責任。『条件に合ってないから却下』と言うならその挙証責任は文科省にある。それを期限までにしなかったのだから、自動的に認可になるのが当たり前」
これだと確かに仕事をさぼった文科省は悪い。しかし審査自体まともに行われてないなら、加計学園の正当性が説明できてないじゃないか。
最近になって流行ってるのが「そもそも石破4条件は、獣医師会の圧力によってできた不当な条件」というもの。
条件が不当って、それなら閣議決定した安倍内閣も不当じゃないか。
公用車の目的地がセクシーヨガだから問題になったわけじゃないんだよね?
行き先が普通のマッサージ店だったとしても同じくらい問題だってことでいいんだよね?
セクシーヨガに行くときはタクシーで帰るときは、つまり公務に向かうときは公用車の使用はOK?
私的利用ってのは公務の合間にちょっと時間ができたから自宅に一度帰るってのも私的利用になるのかな?自宅だったらOK?
自分の子供が遊んでる近所の公園に子供にちょっとだけ会いに行くとかもアウト?
もっと言うと昼食に一人でうまいもの食べるために公用車で移動するってのもアウト?
誰かと会食なら公務でセーフ?
そもそも公用車って自宅から公務へ向かう、公務から公務への移動、公務からの帰宅以外での使用がアウト?
セクシーヨガが違法な性的サービスを提供していたらセクシーヨガに行ったこと自体もアウトだろうけど、実態がよくわからない
手こき、挿入があればアウト
着衣が汗に濡れてセクシーになったところを見せつけながら自慰をさせるのはアウト?
違法に性的サービスを提供しているなら林の問題を追及するだけじゃなくて、店側もきちんと取り締まってほしい
平日白昼、文科省内で「首相案件」文書の探索が行われていた時間帯ってことだから、文科省内に詰めてなきゃいかんかったということかな?