はてなキーワード: 優美とは
褒める前に無意識に“サゲる”のはNG! いつの間にか自分をサゲてしまう“ひとサゲ”の怖さを教える漫画
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2106/21/news015.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2106/21/news015.html
ひとサゲしてしまう理由の1つに、本音を言い合える仲は素晴らしいという日本人の〈本音信仰〉があると、アスクミ先生は言います。オープンハートで友好アピールしてるつもりになり、さらに正直者アピールが混ざることも。
はあ、何言ってんの?
これ逆じゃね?
すくなくとも俺は親しくない人に、とあることについて「全肯定」していると思われるのがいやだから但し書きのつもりでつけてるけど。
たとえば「はあちゅうは嫌いだけどMeToo応援する」とか「石川優美はクソだけどKuTooは応援する」っていうふうに言わないとMeTooとかKuTooを応援できないじゃん。
石川優美さんなんかは、KuTooを応援するなら私に逆らうな! 私に責任を求めるな! 私の思い通りに動け! みたいなノリだしさ。
この前も石川優美さんは応援してる人がちょっと苦言を呈したらヒステリー起こしてたじゃん。
https://togetter.com/li/1731851
こんなんヒトサゲなしってルールならKuTooごと100%不支持にならざるを得ないよ。
部分的賛成を「ひとサゲ」みたいな括りで言われると困る。
繰り返すけど
私は、親しい人にはこういうヒトサゲは言わない。
他人については誤解がないように嫌いなところは嫌いっていわざるをえない。
海外のファンタジー物を、日常的に目にする日本語の文章に近いものにするのはちょっとしたコツがある。
(ただし、ファンタジーやTRPG、SFにおいて独特の翻訳調が好まれることもあるので、ジャンルによる)
彼の冷酷さと、最も意志の強い海賊ハンターを避ける能力で知られている
使用していました」
XXXのレイピア:この類まれなるレイピアは、ある海賊の船長が所有していたことで有名である。
彼は、海の果てまで相手を追い詰める冷酷さと、執拗なハンターを巧妙に避け続ける能力を持ち、広く恐れられていた。
(通常、英語圏での解説なら、XXXな冷酷さと、XXXな能力とをもち、と対になるハズ)
かつて、パイレーツ・ハンターを煙に巻く逃げ足の速さと、必要とあれば仲間をも即座に切り捨てる冷酷さから、広く悪名を轟かせたあるパイレーツ・キャプテンが所持していたと言われている。
テキスト:近海にその名を知られたある海賊の船長が所持していたことで有名なレイピア。
なっとるやろがい。
レア度から入るのファンタジーあるあるなんだけど、日本語の解説と相容れないんだよね。
希少な、とか。異様な風貌の、とか。「何が」が解説の目玉でその土台の共有部分がスッポリ抜けてるから。
なので、その抜けてる部分を補うのがコツ。
「XXXのレイピア」は、「冷酷さと逃げ足の速さでその名を知られたXXX船長」に愛用されていました。現存する「XXX船長」の所有品のうち、レイピアとしては「唯一のもの」です。
「XXXのレイピア」は、優美な曲線で知られる同時代のレイピアとは一線を画する作りから有名であり、知られている限り類似のレイピアがない大変希少なものです。その異様な風貌から、同時代に悪名を轟かせたXXX船長が好んで使っていたと言われています。
ニンジャスレイヤーを見よ。
そもそも異なる言語からニュアスンスを落とさず補わずに翻訳できると思うのが間違い。
フレーバーテキストなのか、アビリティなのかでも違うしね。(固有名詞やエピソード、レア度に一貫した訳語を当てる必要があったりする)
異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。
七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。
部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。
誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。
やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。
私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。
初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。
そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易な生活を送っていました。
これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働にしろ、兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。
こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。
私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。
犯罪と探偵の遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアルな遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主人からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄を発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。
その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯を発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘンの喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢に我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。
そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。
それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事が動機を為なしたのでした。
どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います。寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町を何気なくヒョイと曲りますと、出会頭であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男は自動車の運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています。交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。
私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから、医院の所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」
すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。
実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。
「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」
私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」
「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」
と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しかも外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議な心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。
私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院ではいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。
私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。
この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車の運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上の処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが、事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますまいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながち咎とがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますまいか。
これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しかし法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上の殺人者である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。
皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。
これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車や自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。
(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)
この場合「危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものとしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれる理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。
世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律が人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。
そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対に法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。
今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。
併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法を告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます。
この方法を発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手の言葉にさからったことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。
ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水の工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。
それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、
「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)
「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」
と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、
「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」
などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、
「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。
こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人の動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。
ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。
ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外の文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。
変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33
確かに高垣楓はそのビジュアルによって上品で優美で完璧な良い女という印象を抱かせるが、酒好きそしてダジャレ好きという属性によって、上記は偶然の産物であり中身はダメな大人なんです、と「ダメに見られたい」といういじらしい個性を併せ持つに至っている。しかしこれは元が素性のいい出来た人格だから様になっているだけとも言える。
まあそれは結局の所架空のキャラクターの話なのでどうでもいいとして、個人的にはウイスキーが好きという女性はまだ魅力的に思える気がする。
ウイスキーを好むということは、すなわち、上品で節度ある酒の嗜み方を知っているということだ。
アルコールをがぶがぶ飲んで酔うことを楽しむ人間はウイスキーの領域に立ち入ってこない。ただハイボールが好きというのはそちら寄りのライトな「好き」の域にとどまりがちなのでNGだろう。
ワインでも良さそうな気はするが、ワインは一種の社交上のコードのような立ち位置なので、ウイスキーのほうがより個人的な趣味という感じが強く、その域に踏み込んでいることに独自性がある。
まあ実際のところ、ビールであれ日本酒・焼酎であれ、酒自体に興味を持ち通でオタク的な楽しみ方をしている人であれば良識ある行動が伴っている=クズではないことも多いとは思うが。
英語を話すイギリスではそうだったというだけで、いまのフィギュアスケート競技(フリースケーティング)のルーツは図形を描くところにはないよ。
図形を描く競技とバレエ的な競技が合体したものから、前者が排除されたのがいまのフィギュアスケート
ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。
初めてスケートリンクに遊びに行ったとき、普通にスケート教室がリンクの中央で開催していた。そこで自分と同世代の女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。
性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分が自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精のときも呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。
ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術そのものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。
で、そのスケートが競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパンが発見された。以下はその資料である。
1928年、ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。
https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059
1948年、Barbara Ann Scottのクラシックなスケートスカート。ミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートのスカートが極端に短くなったのだという。
また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったかの写真が掲載されている。
こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。
同じくBarbara Ann Scott、1948年のオリンピックである。
同じく1948年、アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートのアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代のワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないもの(パンツ)を見ている気がする。
ちなみに、プロの選手が練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえ、ジーンズにワイシャツのかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。
スポーツジムで、体操の選手のレオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチな気持ちになるのが申し訳ないくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣そのものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。
言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。
とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。
http://www.olympicleotards.com/leotard-history/
上記の資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレス状のものである。初期の女性の水着がドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。
1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。
今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年、ナディア・コマネチはビートたけしのギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。
おそらく女子バレーでブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツ型ブルマー導入の遠因になっている気がする。
https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/
それ以降、基本的にレオタードはハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国的デザイン→キラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。
なんとなくブルマーの本場というか総本山のイメージが女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ、選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションでスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。
で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好の選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。
https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896
こういう写真の資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。
ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/
また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。
ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤から、ショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツ型ブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語からも陸上ブルマーの歴史について再検討したい。
しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピックの選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記の記事はいちおう公的なメディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。
之より社中の気風益ますます固結して曾かつて動変することなく、
爾後じご王政維新の太平に逢い又無数の事変をも目撃したれども、
報国致死ちしは我社中の精神にして、
その由来一朝一夕に非あらず、
蓋けだし社中全体の気風なりとは雖ども、
仁三郎君の一言亦重しと云うべし。
第二章 「貧富を問わずに人才を作るは、前金を払うて後の苦労の種子を買うもの」
「最も恐るべきは貧にして知ある者」
「報国致死はわが社中の精神」
─労働権を軽視する福沢女性論は男女平等論とは無縁である」216
─偕老同穴論が前提されている 226
「夫婦間の権利については、条文の規定一点の疑いを容るるところなく」
─「女徳」へのこだわり 234
「内実は不品行を犯すとも、これを秘密にして世間の耳目に隠すべし」
─ 239
─良家の娘を守るために公娼制は不可欠 242
─薄幸な貧しい女性をそこまで指弾するか?! 251
競馬自体ももちろん好きだが、競走馬の名前から今まで知らなかった外来語を知るのが、1頭の馬に込められた馬主の隠れた愛情を知ることができるようで「花ことば」のような詩情があり、一番好きだ。
昨年の有馬記念の投票結果からその一部を、競走馬名、原語、その意味の順でご紹介。
[英語] Saturnalia / サートゥルヌス神(農耕神)を祝う祭り
[フランス語] Fièrement / 気高く、勇ましく(音楽用語)
[ドイツ語] Wagnerianer / ワーグナーの音楽に心酔している人々
[アラビア語] Al Ain(欧字表記)/ アブダビにある遺跡群
[フランス語] Cheval Grand / 偉大な馬
[ラテン語] Velox / 素早い
は? マジだが?
① 身もやせるような思いでつらい。他人や世間に対してひけ目を感ずる。恥ずかしい。 「世の中を憂しと-・しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば/万葉集 893」
② 心づかいをして控えめである。つつましやかである。 「されば重木は百八十に及びてこそさぶらふらめど、-・しく申すなり/大鏡 序」
③ (節度をもって振る舞うさまが)殊勝である。けなげである。 「己が振舞-・しければ、一筋取らするぞ/保元 中」
動詞「やす(痩)」の形容詞形で、身もやせ細る思いだというのが原義。
平安時代には② の意でも用いられ、つつましくしとやかなさまを優美と感ずることから③ の意が生じた。
③ は優位の者がほめことばとして用いた。→やさしい(易)
その①
https://anond.hatelabo.jp/20191120183622
その②
https://anond.hatelabo.jp/20191120185300
その③
https://anond.hatelabo.jp/20191120185607
・続いて、「グラビアが表紙の雑誌も撤去すべきだ」と言っている
→これはまさに表現規制であり、終わりがない。一歩も譲るべきではない
#家事をするのは女性、というジェンダーロールの押し付けであるとされ炎上
#体形を強調し乳首が浮き出ている、上気し男性に媚びた表情であり不適切とされ炎上
・のうりん
#企画内容と無関係な胸の露出、煽情的な顔つきが不適切とされ炎上
#男性の教授役に対して生徒役の女性、という配役設定がマンスプレイニングであるとされ炎上
#女性の身体を明らかに強調した絵を、無関係な献血のポスターに使用し公共の場に掲出することは環境型セクハラであるとされ炎上
・太田弁護士は女性のジェンダーロールについて批判をする一方、「容貌に劣る男性がマッチョにあこがれてサーフィンを始める」動画については絶賛している。これはまさにルッキズムであり筋が通らない
・「強力効果論(暴力的なメディアや、性的なメディアが、受け手を暴力的にしたり性的にしたりするという説)」は研究により否定されている
・モノ化とは→単なる道具として扱うこと
・容姿で評価されることは悪か?異性のパーツを好きになることは悪か?
・また、自分(石川)ではない人のツイートや炎上を紹介していたが、自身の発言でないものを指摘されても答えようがなく、別の事例について話したい
●表現について
・エロがいけない、萌えがいけないと言っているのではなく、「女性らしさ」「男性らしさ」ジェンダーロールを固定化した表現が問題と考える
・黒人の表現として黒塗りをすることは、事実アフリカ系の人種が色黒だとしても、社会的に認められていない
→規制ではなく、当事者の気持ちを慮った自主的な配慮として行われている
・TSUNAMIの自主規制も同様。あくまで被害者への配慮として行われており、表現を規制するものではない
・乳袋と言われる、胸を異様に強調した服
→実際には存在しない服であり、女性の性的魅力を強調しすぎている
・「女性の身体を持っている」ことを理由に被害を受けた人への配慮が不足している
・エロだからダメ、ではなく、女性性の強要が存在する以上、配慮が必要
・「ちょうどいいブス」
→表現者本人は女性だが、他者にこうすべきと役割を押し付けるのでダメ
●女性のモノ化とは?
●「お気持ち」について
お気持ちがあることは人間である以上当然であり、ないがしろにされてはならないものだ
・宇崎ちゃんのどこがモノ化?
・胸があることに対して受けた被害があるのに、それを他人が表現することがおかしい
・グラビアについては本人の意思だったりそうでなかったりするので難しいが、意思と主体性があればOKと考える
・キズナアイはイラストレーターも女性、声優も女性。では誰に許可を取れば使ってよいのか
・女性性の主体があるところ、すなわち全ての女性に配慮するべき
・イラストに関しては女性の主体がいないので認められる余地がないと言っているように聞こえる
つまり萌え絵、女体を表現に使うことが理論上不可能ということではないか?
事故に遭った人が傷つくから気持ちに配慮すべきであり、車のCMを規制するべきとなるが、
そのようにお考えか?
・クルマの広告はクルマそのものを売るためのものであり、献血と無関係な女性性を強調している本件とは異なる
・胸が大きいことがセクハラとしている人もいるが、逆に誇りに思っている人もいる、その女性をひとくくりに代表して「これは差別である」とすることは、個人の「お気持ち」の押し付けではないか?
・性的価値(女性の裸は価値があり、男性の裸は価値が低い)は商品になるが、それをすべて否定するか?
・よしもとの「不細工芸人コンテスト」は批判を受けていったん中止になったが、男性に限定して復活した。これをどう思うか?
・被害を受けたことに言及し活動することと、お気持ちを押し付けることは別の話である
・黒人差別と同様、被害にあっていない人がいるから規制すべきではない、とはいえない
黒人も、黒人であることを喜び、誇りを持っている人もいる。だからといって別の人に存在する黒人差別を許容するべきではない
・女性性によってプラスもマイナスもあるはず、性差があることは明らか。事実石川さんも女性だからグラビアの仕事ができた。
その利益を享受しておきながら、不利益は許容できない、というのでは筋が通らないのではないか
・プラスがあるからマイナスには目をつぶれという理論には賛同できない
被害・加害があるなら是正されるべきであり、声を上げるべきである
スプツニ子先生は、東京大学准教授兼、東京藝術大学准教授。MITメディアラボ所長である伊藤穣一氏が性犯罪者からの資金調達で不正処理を行っていたとき、同ラボで助教だった。伊藤穣一氏司会のNHK Eテレのスーパープレゼンテーションの共演者を2年間務めた。
https://www.instagram.com/p/B2IeLrZjkjU/
メディアラボにジェフリーエプスタインがかかわっていたことを知り、悲しくなりました。そういった人からの寄付は決して受けるべきではありません。エプスタインが犯した罪の被害者に対する悲しみが私の心を締め付けます。
優れた同僚と過ごした4年間は、私に多大な良い影響を与えました。そして、ラボにおける情熱と創造の文化に対する敬意を育んでいました。
すべての必要な調査が行われることを望むとともに、求められれば、必ず前向きに調査に協力します。こういった過ちは決して繰り返されてはいけません。そして、私の心は被害者の皆さんとともにあります。
彼がそう言ったのはちょうど今日みたいな蒸し暑い雨の夜のことだった。
営業部の人との合同の飲み会。暑さとアルコールに当てられ、一息つこうと外に出たところ、彼がいた。
同期だった彼とは、部署異動ですぐに別々になり、話したのは久しぶりの事だった。
背の高い彼、爽やかな彼、笑うとえくぼのできる彼、密かに憧れていながらもなかなか話しかけられなかった彼。何度か話せたのは彼と私の好きな洋楽バンドがたまたま一緒だったから。思えばいつも彼から話しかけてくれていた。自分から話しかけられたことは一度だったなかった。
だって彼はいつも素敵で、彼の周りには沢山の人がいつもいたから。
思い切って話しかけられたのはきっとさっき飲んだカシオレのせいだった。
かき集めた勇気と勢い。けれど彼の気さくな笑顔と「大好きな洋楽の話」という共通項のお陰で、あの時解けなかったぎこちなさは舌の上のかき氷のようにすんなりと溶けた。
「あのバンドのアレ、もう聞いた?」そんな焦れったいやりとりの末に言った「連絡先、聞いてもいいかな?」は営業部の爽やかな笑顔でばっさりと却下された。
あーあ、やっぱり彼みたいな素敵な人にはもう彼女、いるよね……。そう思ってすぐに彼が言った。
ここ、使おうよ
そうして彼が見せたのがこのページ
青を基調としたすっきりとしたページだった。
「なあに?これ、フェイスブック……じゃないよね?」
「ノンノン」彼はそう言って細長く優美な人差し指で私の唇をそっと塞いだ。
「名前を隠して楽しく日記……それがこのはてな匿名ダイアリーだよ」
唇がかぁっと熱くなった。お気に入りの赤リップの色が彼の指に移って煌めく。
「でも……匿名なんでしょ?これじゃ誰が私のエントリかわからな……ん」
今度私の唇を塞いだのは彼の唇だった。柔らかくて優しくて暑いkiss。唇についた私の赤を拭いながら彼は言った。
「大丈夫。増田ちゃんのエントリのことなら僕が必ず見つけるよ。」
「それに」低くて甘い声。こんなに綺麗な声だったっけ……。さっきkissした唇が今度は声で私を惑わす。
「そこ、人気エントリにね」
ーーーー
約束通り、彼のエントリはそこに並び続けた。政治、ライフハック、大喜利……、その度に形は変わったけれど、私には誰が彼のエントリだかすぐにわかった。
だって彼の魅力は匿名の青い仮面でも隠し通せるものでは無かったから。
「2人だけの秘密……だね」
彼との約束通り、私は誰にもバレないように彼にトラバを送った。ある時はうんち、ある時は低脳、ある時はお気持ち長文……それでも彼は私のことをいつも見つけてくれた。
それももう、4年も前の話だ。もう何度リロードしても、彼のエントリは見つからない。
彼がいた頃、世界は輝いていた。雨に濡れた安居酒屋前の歩道も銀に輝く川だった。仄暗い街灯下に並ぶ街路樹も、枝葉に光を満たしていた。
彼がいない今は何もかもがすっかり色あせたガラクタだ。チープで薄汚れたつまらない街。
彼がいた頃、増田たちの語らいは七色の絵の具で描き出される夢だった。愛、理想、正義に溢れていた。
彼がいない今は何もかもが、酒の席の御託だ。使い古されたくだらない正論。
それでも私は日記を書く。届かないとわかっていながら。