はてなキーワード: 優美とは
半年くらい、他の本も読みながらちまちま読み進めて、やっと銀英伝読み終わった。
読了感が何とも言えないというか、図書館で借りた歴史の研究書読み終えた時のやっと読み終わったったわ感。
読み始めたきっかけはワートリの二次創作でヤンの名前が出てて、元ネタが気になったから。
私は割とネタバレ見る方なのに、何故か2巻までネタバレ見てなかった。2巻までね。
それまでは、キルヒアイスが好きで、腐女子なもんだからラインハルトとの絡みを読んでフーン……とか思いながらニヤニヤしつつ読んでた。
まさか死ぬとは思わんかった!!!まじで!!お前戦争しとるんわかっとる?って感じやけど2巻読むまでの私まじで死ぬとは思ってなかってん。
多分それまで伏線あったり、怪しげなフラグがあったんだろうけど、キルヒアイスが死ぬなんて夢にも思ってなくて、庇って怪我した時も、まあ大丈夫やろみたいな。大丈夫なわけないんやけど。
ページ進めて、あれ?これ、あかんやつ?ってなって、慌てて親のいない部屋に移動して、読んで号泣した。本当にびっくりした。死ぬにしても2巻じゃない。
そこでやっと銀英伝は人がたくさん死ぬ話だと知りました。遅いね。あほ。
そっから怖くなってネタバレ見まくったよね。あっでもヤンは読む前から知ってたなあ。こんなしんどいのによう読んだわ自分。キルヒアイスが生きてれば……みたいなのもしんどいし、ペンダントはもう……ね。
耐性つけなもう無理。でも展開知ってるとそれはそれで読むのしんどい。ロイエンタールむっちゃしんどかった。でもロイエンタールはあれで完成というか、とてもかっこよかったです。
外伝読もうと思ったけど、ついさっき25歳のカイザーが終わってしまったのにすぐに気持ち切り替えて読めないよね。
かなり忘れてるから読み返したいけど、それも無理だよね。3年くらい置きたい。本当に面白いけどね。
銀英伝のしんどいところって、結果的にラインハルトのせいで死んでしまったキルヒアイスとか、子供が生まれないミッターマイヤーと、ロイエンタールの対比とかが皮肉でつらいよね。
昨日やっと劇場版見たけど、スッッゴイ面白いね。ボレロ頭から離れないし。でもNHKで去年やってたアニメランキング?みたいなやつの録画だからその後26話。また泣いた。でもオーベルシュタインの声とてもよくて好きになった。あとアッテンボローも好きになった。
劇場版であんなに華麗で優美で敵味方欺いて最高のラインハルトさまがね、声を荒げてねえ……
首から血ダラダラのキルヒアイスに喋るな!って言っといてキルヒアイスが目つむったら返事をしろ!なのちょっと笑いそうになった。
現代アートはともかく芸術ってすべからくエロが原動力だよな〜と最近思う。
フェチズムといったらいいのかな。色っぽさというのかな。
ここが好き!!!!というのを追求した技術力とセンスのある変態が突き詰めたものが絵画というか絵になってる感じ。
なんかうまく言えないんだけどさ〜「人間の欲求を綺麗なものにしてくれてまじでサンキューな」という感想を最近抱いてる。
彫刻のベルニーニとか絶対女体と薄布に対して圧倒的執着心を感じるもん。
あとは世紀末芸術好きで見るんだけど、女性の曲線と布の優美さに心奪われた変態たち(褒め言葉)がたくさん作品残してくれてるから見るの楽しい。
性的欲求なんてそのまま描いたらきれいなものじゃないけど、こうやって美しいものに昇華できる人間は捨てたもんじゃないよね。好き。
ノートの文字がかすれて消えそうだからここに置いておく(一応ネタバレ注意)。
二人の子供から二人の大人へ。最終章「Adulthood」をクリアした。
あの出来後のと翌朝。二人でインスタントの朝食を食べ登校する。二人で登校したことで Hanako は注目を浴びてしまい逃亡してしまった。
学校をサボって公園を歩き考え続ける Hisao。考えていたことは二人の間の壁について。昨夜の出来事があったといえども二人の間には互いを理解することを妨げている壁がある。Hisao は Hanako と話をしてその壁を壊したかった。後ろから声をかけられる "H...Hisao"。
Hanako も外出をして公園に来ていた。Hisao の前から逃れて、結局出会ってしまう。とうとう Hanako 自身の気持ちを尋ねる Hisao。Hanako の返答は彼の思い込みを打ち砕くものだった。
あの夜の出来事は Hisao の大切な人になりたかったから、他の人より私を見て欲しかったから、庇護の対象ではなくて一人の女性として扱って欲しかったから。Hanako の告白は Hisao を強く動揺させた。そして告白をした彼女自身も、そんな自分に対して嫌な女だと自覚していた。
"Was... I wrong?"
もちろん彼女は悪くないと思う Hisao だが言葉が出てこない。Hanako の告白は続く。家事の前までは少ないけれど友達がいて周りとちゃんとやれていたこと。大火傷を負ってからは全てが変わったこと。周りからの反応で深く傷ついたこと。傷つくことを拒否するために人と関わることを止めたこと。自分が消えてしまえばいいと分かっていたが、人との関わりを止める方がより簡単だったこと。Yamaku 学園に行けば再び社会との接点を見つけられるかと思ったこと。そして Lilly に出会ったこと。Lilly と出会って友達になれたけど、Lilly は Hanako ができないことをなんでもできてやっぱり自分は useless だと思い知らされたこと。そして Hisao に出会ったこと。Hisao も Lilly と同じで Yuko と簡単に仲良くなれたりして、自分はすぐ不要なものとして切り捨てられてしまうと思ったこと。それは嫌だったこと。誕生日は世界中の人が疑いもなく正しくて幸せだと思い込んでいるので、useless な自分はとてもつらかったこと。朝、ベッドで寝ている Hisao を見て、やっぱり自分は切り捨てられてしまうと思ったこと。
そんな Hanako に Hisao は衝撃を受ける。今までか弱くて自分が庇護しなければと思い込んでいた Hanako は守られたいと願う子供ではなかった。
語り終えて下を向く Hanako に対して Hisao は振り絞って語りかける。
Hanako がパニックを起こした時心配したこと。寮の自室に閉じこもった時は彼女に拒絶されているのではないかと感じたこと。それからいろいろ考えたこと。
そう言う Hisao に対して Hanako は思わず叫ぶ "I wasn't rejecting you!"。
Hanako がつらくて悲しくて Hisao を押しのけてしまった時も Hisao は彼女を捕まえていてくれたこと。そんな Hisao や Lilly 達の重荷にはなりたくなかったこと。それは Hanako の心からの叫びだった。
二人の間にあった壁は崩れた。壁を崩すのに痛みがともなったがとうとう二人は正面から向き合った。
Hisao は続ける。心臓の異常が発覚した時とても怖かったこと。社会から切り離されて Yamaku へ来て自分の人生が一度壊れたこと。でも Hanako と出会って一緒に過ごして友達になって再び自分を取り戻したこと。そして失ったからこと Hanako と気持ちを通じあわせられたのだと。
ずっとずっと自分は useless だと信じていた Hanako はこの言葉を聞いて座り込んで泣き出した。そしていっぱいメチャクチャにしてごめんなさいと謝る。Hisao は彼女を抱きしめてそんなことは言わなくていいという。
そして自分は useless なのにと言おうとする Hanako に
"You're my firend, Hanako! You're... No, you're more than that. I love you, Hanako."
泣き続ける Hanako に Hisao は寄り添う。Hanako はずっと自分は必要な人間だと言って欲しかったと泣く。
ようやく泣き止んだ Hanako に Hisao はいい天気だからこのままクラスをサボろうと提案する。でも……と迷う Hanako に対して大丈夫謝ればいいだけだよと言う Hisao。そんなことができないと拒否する Hanako。だが Hanako はやれる、絶対できるし、力が必要なら自分を頼ってと言う Hisao。そして二人は同じ道を歩いているんだから互いに助け合うのは当然なんだと言う。
公園を抜けて商店街を歩く二人。互いにたがいを横目で見つめながら歩く。なにかを思案しているように見える Hanako に何を考えているのかを聞く Hisao。立ち止まり一心な表情で Hisao に答える。Hisao に私からあげることができることがあると思う。でもそれにはすごく長い時間がかかると思う。だから恥ずかしいけれど、これが最初の小さな贈り物。
Hanako は Hisao の肩に両手を置き、ゆっくり顔を近づけた……
(Fin.)
Hanako 編は図書館から始まる。図書館で見かけた Hanako は夢中で本を読んでいた。クラスメイトだと思い出した Hisao は同じ本好きとして Hanako に話しかけるが、全力で逃げられる。
Lilly と出会い再び Hanako と Hisao 。 Hisao - Hanako - Lilly と三人の生活が回り始める。
基本的に仲良くなる→逃げる→もっと仲良くなるというのが Hanako 編。
彼女の逃避は後半になるにしたがってより深刻さを増す。
1. Lilly
Hanako の一番の友人。より正しくは唯一(Yuuko も一応友人だが)の友人。目が見えないのでよく Hanako が買い物に付き合う。
優美な身のこなしでありハイソな雰囲気を持つ。実際言葉遣いがとても丁寧。外見もスコティッシュハーフであり金髪アンド碧眼アンド長身でスタイルがいい。
Hisao と Hanako の隣のクラスで class represent を勤めており、Hanako と異なり交友関係も広い。
Hanako は Lilly のそんな万能っぷりを頼り、あごがれ、そして対照的な自分に対して無力感を抱いている。 Lilly にとって自分は価値のない人間だし彼女の重荷にはなりたくないと思っている。
Lilly は、 Hanako は守ってあげなくてはならないけれど、このままでは Hanako にとって良くないとも感じている。
Lilly は Hisao が現れたことで、 Hanako に良い影響が起こることを願っている。
2. Hisao
つい数ヶ月前まで健常者だったが、突然心臓病を発症しそれまでの社会から切り離される。そんな彼為のために両親は障碍児のための学校 Yamaku 学園に転校させる。見慣れない disable (盲目、手足の欠損、聾啞)にはじめは驚いたり疎外感を感じたりしたが、それぞれのユニークな個性を知るにつれて(足を使ってすごい絵を描く Rin、義足なのにものすごく足が速い陸上部のエース Emi、目が見えないが深い洞察力を持ちできないこととできることの違いを見せてくれる Lilly、聾者だが生徒会長を務める Shizune) disable について理解をしていく。
やがて Hanako、Lilly と仲良くなりともにボードゲームをしたり、お茶をしたり、誕生日会を開く仲となる。そしていつしか Hisao は Hanako の力になりたい、守ってあげたいと思うようになった。
しかし Lilly が家の用事でスコットランドに滞在している間、 Hanako の誕生日が来て、 Hanako の態度が急変する。順調に Hanako と friend-ship を築けていると思っていた矢先に Hanako は教室から姿を消し、自室に閉じこもる。 Hanako との関係が壊れるのを心配する Hisao だがどうすることもできない。 Hanako が姿を消してから Hisao はこれまでのことについて初めて考え始めた。そしてこれからのことについて自分が取るべき道を探し始めた。
自室から外へ出てきた Hanako だが、 Hisao は相変わらず彼女と自分の間に壁があるのを感じてしまう。なんとか Hanako に彼女のことを理解したいと願っていることを伝えようとして、 Hisao は自分の胸の傷を彼女にさらす。自分も傷を負っているから Hanako は独りではないと伝える。
Hisao の傷に触れた Hanako 。また一つ二人の絆が深まったように感じた。
数日後、図書館で勉強していた Hisao 。やってきた Hanako に、 Hanako が自室にこもっていた間ずっと考えていた彼女の過去について教えて欲しい、と Hisao は言った。ずいぶんとためらったがとうとう Hanako は真剣な表情で語り始めた。
多くの生徒が下校をして静かな校舎の中を二人で歩きながら、 Hanako は昔の火事について Hisao に語り始めた。深夜に突然火が出たこと、熱から逃れようとして体を丸めて小さくなっていたこと、彼女の両親が彼女に覆いかぶさって守ってくれたこと、体の半分だけ助かったこと。
二人はいつしか Hanako の寮の部屋まで来ていた。入室を躊躇する Hisao に対して Hanako はドアの鍵を閉めてと言い、カーテンを閉じる。そして大きく息を吸い、覚悟を決めると、ブラウスやブラジャーを順番に脱ぎ落した。 Hisao が彼女に傷(心臓手術)を見せたように彼女も傷(火傷)を見せたのだ。
そんなことをする必要は無いと言う Hisao だが、 Hanako はこれが私だからと傷を見せる。そして二人は......
(二人のプレイの後、息も絶え絶えな Hisao は心臓発作の兆候を感じていたところがリアルだった)
はじめは Hanako を守ろうとしていた Hisao だが、結局それは間違いだった。
守るというのは守る人間と守られるべき人間の関係だ。その関係は非対称であり、守る者は守られる者に対して優位な力を持つ。
3. Hanako
出会いはひどいものだった。話しかけられて、自分の空間に入られて、そして目が合ってしまった。
"I..."
"I...I..."
"Ivegottogodosomething!"
Hanako 編に入ると Hide and Seek (かくれんぼ)という Act がある。彼女と親しくなるということは Lilly や Yuuko そして彼女自身の中に隠れている Hanako を見つけ出すことだ。いろんな彼女がいる。
Life of Pie を読みふける Hanako 、チェスを好む Hanako 、ドールが好きな Hanako 、 Lilly とお茶を飲むのが好きな Hanako 、外へ出る時は顔が隠れるように大きなキャスケットを被ること、火傷の痕を隠すために左側を歩くこと。
何を書いているのだろう。まとまって体系だったことを書かなくては。
Katawa Shoujo とは disable である人々が able であることに焦点を当てた作品だ。例えば Emi は両足が膝より下がないのに、競技用義足で誰よりも早く走れるし、 Shizune は聾唖者であるがクラス委員と生徒会長を務めあげる才媛だし、 Rin は両腕が無いのにもかかわらず足で見事な絵を描く。そして Hanako の親友の Lilly は、全盲を苦ともせずクラス委員であり友人も多い社交的な女性だ。
皆ハンディキャップをかかえながらできないことを嘆くのではなく、できることで生活を組み立てている。
それでは Hanako の disable と able は何なのか。実は Hanako には先にあげたヒロイン達のような disability は無い。右半身に皮膚がひきつれるひどい火傷の痕が残るが五体満足であり、他のヒロイン達のような明快なハンディキャップは無い。では Hanako の able は何か。目が見えること?耳が聞こえること?意外と足が早いこと?両腕があること?そう Hanako の able とはそれだけなのだ。 Lilly しか友人はいないし、他人の視線が怖くてたびたび授業を逃げ出すし、人から話しかけられると赤面してしどろもどろになる。 Hanako とまともに会話できるのは Lilly と Yuuko 、Lilly の姉 Akira、そして Hisao のみだ。Hanako の disable とは able の裏返し、彼女は肉体的に able ではあれど精神的に disable なのだ。
どのヒロインも多かれ少なかれ悩みや心の傷はあるが、 Hanako は突出して深く、彼女のストーリーは見えない心の傷とその象徴である人目を惹く火傷の痕をメインテーマとして進む。
Hanako は過去のトラウマ(フラッシュバックに襲われて痙攣するレベル)のせいで、火傷の痕を見られることをひどく嫌がり恐る。そのため、普段は髪の毛で顔の半分を多い、人目が多い場所に行く時は大きな帽子を被りLilly の左側で小さくなり、顔の右側にある火傷の痕への視線を遮ろうとする。彼女が心を落ち着かせることができるのは、親しい友人と部外者が来ないところでひと時を過ごすことだけだ。悲しいことに、自分の部屋では外部からの侵入者を防ぐことはできても、彼女を苦しめる悲しい思い出が甦るのは防げないのだ。
彼女の disable は他のヒロイン達が外見上のものに対して内面的なものだ。その disable の根本の大火傷が彼女の全てを変えた。親を奪い家を奪い社会を奪った。そしてそれは主人公の Hisao との共通点だった。disable が二人の出発点だった。
「Disable」で Katawa-Shoujo のテーマとは disable の中の able であると説明した。そして Hanako は disability を持たない代わりに able が disable になっていることを例をあげて紹介した。ここからはそんな Hanako の数少ない able から彼女の内と外を考察する。
Hanako と初めて言葉を交わしたのは図書館でだった。図書館は Hanako にとってクラスからの逃避先であり、本は現実からの逃避先だった。そして読書は Hisao との共通の趣味であった。
本編の中で特徴的であるのだが、物語が進み Hisao と Hanako が仲良くなるにつれて、 Hanako が図書室へ逃避する回数が減少する。 Hisao たちと外へ出たりして内から外への変化が見られる。しかし図書館に来る描写はあるので、本から卒業したというわけではない。本は逃避先から趣味になったというべきだろう。
振り返ると Hisao と Hanako が交友を深めるのはゲームを通してだった。空き部屋でチェスをすることで友達になり、パブでビリヤードを遊ぶことで Hanako の意外と子供っぽい内面を知り、アンティークスタイルのチェスセットを贈ることで喜ぶ顔を見た。
いつも Hanako は感情を顔に出さず、自分から積極的に出ることもない。Shizune & Misha につつかれても困ってちぢこまるだけだし、知らない人に話しかけられると逃げるし、人に何かを協力してもらうこともできず独りで作業をする。
しかしゲームで遊ぶときの Hanako はかすかに笑み、時には自信を持って駒を動かす。その普段とはちがう姿は Hanako の本来の気質---人見知りだけど、活発で、遊びに夢中になれて、ちょっと子供っぽい性格が浮かび上がる。
Katawa-Shoujo では多くの登場人物は高校生だ。高校生というのは肉体的には大人であり精神的にはまだ子供であるという、大人と子供の狭間の期間である。そのためシナリオでも子供から大人への成長を軸とする。 Hanako 編では最終章が「Adulthook」である通り、 Hanako そして Hisao が大人への一歩を歩み出すことがエンディングを通して描かれる。
「大人になる」にはいろいろな意味がある。例えば成人することは社会的地位を手に入れるということだし、親元を離れたことに対して「大人だ」と使われることもある。それでは Hanako と Hisao の場合はどのような意味で「大人になった(子供を卒業)」のか。これには Hanako 編の主題である体と心が深く関係する。
よく知られた「大人になる」として男女ともに性交を経験することがある。Hanako 編においてもこの意味で二人は大人になった。共に痛みを経験し( Hanako は処女喪失。 Hisao は軽い心臓発作)一夜を明かしたことで二人は次のステージにシフトしたかに見えた。しかし後に分かることだが、二人は未だに子供のままの関係だった。
子供(children)という言葉は、作中で直接しかも Hanako の言葉として現れる。
```
"All I ever was to you was... a useless person. Just someone... to protect. Someone like... a child."
```
小さい頃に火傷の原因となった火事により社会と切り離され、そのまま子供のまま育った Hanako は、 Hisao に庇護が必要な対象(=子供)としてではなく友人以上の人として見て欲しかったから自分の傷を全て見せたという子供のような思いを告白する。 Hisao はこの告白を聞いて自分が全く Hanako のことを理解していなかったことを痛感する。 Hanako の外面的性格ばかり見ていて Hanako がどう感じているかを考えていなかったこと。
しかし Hisao が自分の病気のことその心情を同じように告白したことで、二人は互いに理解し合えることを確信した。そして自分か相手かでしか考えられなかった二人は、自分と相手を同じ道の上の存在として考えられるようになった。
Hanako 編では心をもって「大人になる」ことが提示される。
Hanako は声をあげて泣くことで子供時代に別れを告げた。そして大人の最初の一歩としてラストシーンの最初のギフト(てれる)を Hisao に送った。
Hanako のことを語るには子供と成長についてが欠かせない。
子供の頃の Hanako は人見知りするけど純粋で好奇心が強い子だったのだろう。しかし火事で人生を曲げられ、社会から切断され、その気持ちのまま体だけ成長した。自分の生きる意味を見失い、自分を守るため人と関わることを止め、ただ耐えていた。
Hanako が語る言葉に裏はない。 Hanako の世界は見たままの世界だ。トラウマのフラッシュバックに襲われたときには自分を責める自分の声を周囲に放射するけれど、それが嫌だから鬱の期間は自室にこもる。
フツウならばたとえ Hisao がテキストとノートを机に広げていたとしても、勉強より Hanako とのやり取りを優先すると気づくだろう。また茶目っ気のある性格ならばそのことをからかうように勉強しているじゃないというだろう。でも Hanako は見たままを見るのだ(But...)。
成長という言葉を使ったが、作中では Change が使われていた。 You can change という具合に。
変わること、変わるものはいつも Hanako の周りの世界だった(ムービーをみよ)。世界はすごい速さで動き続け彼女はその流れに乗れなかった。しかし Lilly と Hisao に出会ったことで、自分でも自覚しないうちに彼女は変わっていた。授業を逃げなくなったこと、自分から話しかけるようになったこと、きわめつけは Hisao を電話でお茶に誘ったことだろう。そして何より彼女の気持ち「友達では嫌」。
"If... if you're not busy... I-I was wondering if y-you would... l-like to... m---"
噛みっかみである。)
エンディングで Hisao は Hanako に変われると保証する。このとき Hanako もいつしか自分が変わっていたことに気づいたのだろう。
私はこれを祖母から教わった。祖母はその母から。曽祖母は、その母から。
私の母は、祖母から教わらなかった。これは二人の関係性の問題だ。
だから私は、母の前では増田に投稿しなかった。あるいは、わざとブクマを稼げるような投稿から程遠い内容を書き込んだ。
そのままブクマ0、トラバ0で流れていくのを母に暗に示したこともあった。
天保のころに文書が燃えて、古い記録は一切失われたのだそうだ。祖母が言っていた。祖母は曽祖母から聴いたと言う。
私は、それがもしあっても、いつから増田に投稿しているかはわからなかったのでは、と思っている。
あやふやな由来記しか書かれてなかったのではないか。失われたからこそ、色々と想像の余地が生まれる。
文の構成要素や、それを用いる順番(流れの様なもの)、投稿する時間帯や、呼応する(であろう)ファーストからサードブクマ家。
古い教えなので、五行説に基づいた緻密な理論がある。もちろん、五行説は譬えで使われているにすぎないのだが、昔の人はわかりやすい仕組みを考えたものだ、と感じる。
祖母が亡くなって19年経つ。亡くなるまで母とは不仲だったし、時を経るごとに離れて行ったように思う。
祖母の書く増田は、先祖からの言い伝えを鮮やかかつ優美に再現し文を編む。で、祖母はそこにちょっとだけ「乱れ」を含ませるという。
あえて五行を「乱す」のだ。五行はあくまで譬えなので、揃えることがかならずしもブクマ稼ぎに直結しないのだと言う。
祖母はそういうのをあまり気にしなかった。母は、祖母のこうした気質が気に入らなかったのかもしれない。
「五行」に基礎づき、しかしそれを「乱す」ような出来事があった場合、祖母は増田に書き込み、そしてたくさんのブクマを稼いだ。
祖母は実体験を増田に編むのに長けていた。実体験の中でも話が「乱れ」る話が得意だった。その方が読み手にリアリティや想像性を伝えられる、とのことだった。
私は15歳の娘が増田に書いているのを見た。
最近、木星に人類がはじめて到達したことに関して、地球の通っている学校でどのような話をしたか(莫大な公費がつぎ込まれている)。
そうした内容で投稿された増田。「五行」は完璧だ。だが、伸びない。189ブクマ。平凡な結果だ。「五行」を満たしたのに。
直接アドバイスすると彼女の気分を害するので、祖母との昔話の体で、「五行」を満たすだけでは嘘くさて、古い言葉で嘘松とか言われてしまう(たとえそれが実際にあった出来事でも)という話をした。
祖母そっくりになった私の母は、うらめしそうな顔でこのやり取りを見ている。遂に増田に書かなかった母。
母からすれば、増田に永遠に書き続ける家の習わしを奇妙で「乱れた」ものと感じ、生を送ってきた。二つの要素は等距離で「乱れ」ている。
ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。
↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義、ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。
ついでに、最近話題のポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。
文章はいい加減だし、今日の日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである。
たとえば、労働問題について考えてみよう。
「過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?
私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。
「過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府が長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。
人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権の範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しかし労働問題においては、そういう権利を適用するべきではない。
長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合、ブラックな労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである。
女性が労働するときのハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。
明治時代の日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化の過程では必ず「上からの改革」がある。
「旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊を排除することで、国民はようやく新時代に適応できる。
たとえば女性差別がひどい国では、政府が女子教育の権利を提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。
権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層や田舎にまで女子教育を普及させるには、政府が国民に権利を与えるだけでは不十分であって、その権利を行使することを国民に義務付けなければならない。
「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親や祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子を学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。
そして女子児童は、当人がまだ子供であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。
ここにおいて「多様な価値観を尊重せよ」などという主張は有害だ。政府は旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。
当然ながら現代の日本で、後進国が近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府や会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。
たとえば就活の会社説明会で服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令が必要だ。
上から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的な手段なのだ。
私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社や官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである。
前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベートな時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)
私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。
もし本物の極左ファシストであれば、プライベートな時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である。
近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。
そのときのリベラル側の主張は、「女性蔑視の表現は政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由を制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレに配慮せよ」というものであった。
私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視的であるからだ。
もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。
「女性の主体性を尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ。
しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性がハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別を肯定するという現象だからである。
被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別を正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。
(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)
私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。
そしてこれはあまり知られていないことだが、お上が纏足を強制していたわけではない。とりわけ清朝は漢民族のこのバカらしい習俗を忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足を選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。
女真族(満州族)の建てた清朝が纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部で罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命で反革命的行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。
当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑の言葉を口にする。母親のなかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間の非難をあびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである。
この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。
そして子供のときは纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。
さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊を強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。
「纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性は成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」
http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html
西洋で女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。
これはまさしく、現代日本の女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしまい自家撞着するのと同じ心理だ。
ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性の主体性を尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。
無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足やコルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別が過酷なものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。
だから我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしまう女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである。
なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働の問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家・知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。
この理論を適用すれば、女がオシャレをする自由を是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。
twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。
リベラリズムの本質的価値-自由、平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値を原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要な遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。
「スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より
https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995
前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170411/k10010943961000.html
こういう節目に際しての文章の中には思いがけない名文がしばしばあるし、浅田真央の事が観測範囲に入らなくなって暫く経つから、
もしかしたら、僕の知らないうちに彼女に何か変化があって、意外と名文に出会えるかもしれない、
期待はずれだった。
そして予想どおりだった。
書かなければいけないことを通りいっぺん書いただけ。
【応援に対する感謝】【これまでの実績】【引退を考えるようになったきっかけ】【引退を決定づけた出来事】【これからの展望】
そこには「浅田真央でなければ書けないこと」が何もなかった。
彼女の最盛期がいつなのかは分からないが、世間の流れに疎い僕でも彼女の存在を認識した訳だから、
多分、選手としてはかなり能力の充実していた良い時期だっただろう。
当時、テレビで見る度に、なにやらレポーターや解説者達が興奮して誉めそやし、確かにいい得点を出していた。
しかし、すごいはずの彼女の演技を見ても自分の中にはなにか漠然とした印象しか残らなかった。
「技術的にはすごいんだろう」
自分はそう思った。
そうも思った。
しかし、現実には芸術点でも高い得点を出していた。それも結構安定して。
(多分そうだったと思う)
正直、自分の感性がおかしいのかもしれないと思ったし、今でも少しそう思う。
しかし、自分にとっては、例えば村主章枝や安藤美姫や高橋大輔の演技のような迫力・表現したいという欲望を感じなかった。
かと言って、例えばプルシェンコのような優美さも見受けられなかった。
ただ無機質な身体の動きがあるだけだった。少なくとも"表現"と言うにはあまりにも味わいがなかった。
それは"言葉にならない言葉"を全身から振り絞ることでないのか。
形にしきれない情念を見るものに対し訴えかけることではないのか。
あるいは、興奮や緊張、その上にのみ存在する楽しさなど、自らの心向きを寡黙な雄弁さで伝えることではないのか。
僕の言っていることがピンとこないなら、例えばバレエを見てほしい。
若手の登竜門であるローザンヌコンクール、中でもコンテンポラリーがおすすめである。
ともあれ、彼女は確かにアスリートなのかも知れないが、芸術家ではなかった。
初めのころはお子様だから仕方がないと思っていたが、いつまで経ってもそうだった。
ただ技術を高めたいというスポーツマンとしては立派な動機があるばかりで、
僕はそんな浅田真央が嫌いだった。
知り合いに美穂さんと優一さんという夫婦がいるんだが、
ペアルックは最低限であり、
しかも優一さんの方にはYouと書いてあり、美穂さんの方にはMeと書いてある。死ね。
長女の名前は美優(ミユ)ちゃん、長男の名前は一美(カズヨシ)くん、次女の名前は優美(ユウミ)ちゃん。死ね。
優一さんは学歴こそ底辺私大卒だが商才があったらしく紆余曲折を経て某有名企業に転職し高収入高身長のフツメン。許す。
美穂さんは俗にいうむちむちボディでおっぱいも大きいのに、なぜか某都内国立大学を卒業するなど頭にも栄養が行っている元リケジョで現在大手メーカーの企画に携わっている。死ね。
なんでこんな幸福度高すぎる家族とお知り合いになってしまったのだろう。生きろ私。
そういえば書くの忘れたけど、なんでこの夫婦をさん付けしてるかって言うと、子供三人産んだ今でも互いにさん付けで呼び合ってるから。眩しいわ。死ね。
『優』って漢字が好き。『優しい』の柔らかい響きも好き。できれば僕も優しい人間になりたい。
じゃあ、『優しい人』ってどんな人なんだろう?
【優しい】
1.上品で美しい感じだ。優美である。2.素直でおとなしい感じだ。
類語:穏やか。温和。柔和。温厚。
だそう。優しいって、ものすごくふわっとした意味だと思う。親切とも違う、感覚的なもの。
結論から言うと、優しい人=優しくなりたいと思っている人 だと思う。
自分の”優しさ”を自覚した時点から、今そのときの思考や行為は”優しさ”ではなくなる。
だから、優しいと自負している人って、どこか偽善くさい印象がある。そして”自称優しい人”が僕は苦手。
本当に優しい人は、自身が優しい人間であることを自覚することはないけど、そう思い続けている間は優しい人間になれているんじゃないかな。
元ネタ:http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002457/dtlrvwlst/3464106/
あ、まず前提として、
貴男がヅカ大好き女を夢中にさせることが、
はたして貴男を幸福にするかどうか、それはまた別問題だけれど。
したがって、釣り師たる男たちにとっては、
なかなかあなどれない釣り場です。
貴男は、どう答えれば理想的でしょう?
あとはバウホール公演、そして(遠征をするほどではないけれど)全国ツアーをたまに見に行く、
貴男は彼女の目を見て、微笑みとともに質問など無視して、こう言いましょう、
「ぼくが、一緒に観に行ってあげる」
これこそまさに必殺の答えです。
そこでヅカ大好き女が、えへへ、とやにさがったならば、
貴男は、ひそかに、その公演のパンフレットあたりを
ひそかに熟読しておきましょう。これで成功まちがいなしです。
しかし、ここでは、もう少しハイブロウな(?)いわゆるヅカオタの女の
落とし方をお伝えしましょう。
「ぼくは、小池修一郎が好き。
彼の一本物よく観に行くよ、大体いつも外れないし、
一幕のラストとか、大好き♪」
もしも貴男がそう答えたならば、
彼女の貴男への恋心は、
20%増量になるでしょう。
なぜって、小池修一郎の作品は、
使われる曲も名曲で、
チケットは取りにくいながらも、そこがまた
客席が満杯である熱気をかもしだしていて。
質高くタカラヅカナイズしていて、なおかつ、
あの「エリザベート」を売りこんだ功績もあって。
したがって小池修一郎作品こそは、
本来なんの接点もないまったく縁もゆかりもない別々の世界に生きている、
そのへんの一般人と、玉もあれば石も混じっている、そんなヅカオタ女たちが、
この世界で唯一(いいえ、系列の東宝と並んで唯二)遭遇しうる場所です。
●
では、参考までに、危険な回答を挙げておきましょう。
貴男がこう答えたとしましょう、
しかし、「通常版と特別出演版で台本がなんと2種類!」とかなんとか無意味な自慢を吹聴し、
ふつうの宝塚についての謬見を撒き散らした罪がありますから、ヅカ大好き女にとっては天敵なんです。
また、もしも貴男が「石田昌也が大好き♪ ぼく石田昌也作品は、よく観に行くよ♪」
と答えたとしても、同様の効果をもたらしうるでしょう、
しかし「傭兵ピエール」の問題発言など、いやはやなんともな台詞をジェンヌに言わせることも多く、
最高に好きなのは「めぐり合いは再び」。ちえねねも、星組もすっごくいいよね。」
と、答えたとしたらどうでしょう?
なるほど、貴男の趣味は高く、
たしかに小柳奈穂子作品は、ストーリーが Romanic であるのみならず、
全体的に最高にヅカらしいんですけれど、
しかし、貴男の答えを聞いて、ヅカ大好き女はきっとおもうでしょう、
(なんだよ、少女漫画が好きな男だな、軟弱そう)って。
なぜならば、原田諒は、「ロバート・キャパ 魂の記録」「華やかなりし日々」で第20回読売演劇大賞優秀演出家賞や2012年ミュージカル・ベストテン演出家賞をとり、
貴男がその名前を挙げても必ずしも、あなたがヅカオタ宣言をしているとは受け取られないでしょう。
しかし、たとえば、宝塚が誇る「すみれの花咲く頃」の訳詞で知られる白井鐵造にせよ、
斬新でありながらすばらしい作風の高木史朗にせよ、
ましてや貴男が、「宝塚三巨匠の一人の内海重典が大好き♪ ぼく、もうほとんど全種類、観ちゃった♪」
と答えたならば、どうでしょう?
これはかなり博打な答え方で、
なるほど、内海重典は、40年以上の長きにわたり宝塚歌劇に携わってきたの名演出家ゆえ、
あなたがそう答えた瞬間、ヅカ大好き女がいきなり超笑顔になって、
しかし、逆に、(なんだよ、この男、ヅカオタかよ)とおもわれて、どん引きされる可能性もまた大です、
なぜって、必ずしもヅカ大好き女がヅカ大好き男を好きになるとは、限らないですから。
ヅカオタたちは、周囲の一般人を導き高みへ引き上げてあげることが大好きゆえ、
もしも貴男が、「内海重典の作品が大好き♪」なんて言ってしまうと、
そこにはもはや、彼女が貴男をヅカ教育する余地がまったく残されていません、
したがって貴男のその答えは、
ま、ざっとそんな感じです、貴男の目には女たちはバカでファナティックに見えるでしょうが、
しかし、ああ見せて、女は女で繊細で、傷つきやすく、男に夢を持っています、
貴男の答え方ひとつで、女の貴男への夢は大きくふくらみもすれば、
一瞬で、しぼんでしまいもするでしょう。
●
では、スキットを繰り返しましょう。
「ぼくは、小池修一郎が好き。
彼の一本物よく観に行くよ、大体いつも外れないし、
一幕のラストとか、大好き♪」
そして、その瞬間、ヅカ大好き女の目がらんらんと輝いたなら、
貴男はこう重ねましょう、
「それからね、いま、ぼくが行ってみたい公演は、
バウホールでやってる若手の公演、将来の宝塚を担う人材って話を聞いたから。
これでもう完璧です。
そうなったらこっちのもの、
デートの日には、ジーンズやスニーカーはなるべくさけて、オペラグラスを持って、
あ、まず前提として、
貴女がLifetimeRispect男と一生一緒にいることが、
はたして貴女を幸福にするかどうか、それはまた俺を信じなさい。
とはいえ、LifetimeRispect男たちは玉石混交ながら、
しょーもない裏切りとかは嫌いな男なども多く、
したがって、釣り師たる女たちにとっては、
なかなかあなどれない釣り場やねん。
では、LifetimeRispect男に「一生一緒にいてくれや」と訊ねられたとき、
あとはみてくれや才能、そして(hear whe mi say)一生一緒にいてくれや、
貴女はかれの目を見て、微笑みとともに質問など無視して、こう言ってくれや、
「一生一緒にいてくれや」
これこそまさに必殺の答えやねん。
そこでLifetimeRispect男が、今の俺にとっちゃお前がすべて、とやにさがったならば、
貴女は、ひそかに、「ちゃんと俺を愛してくれや」あたりを
ひそかに練習しておいてくれや。俺を信じなさい。
しかし、ここでは、もう少しハイブロウな(?)いわゆるLifetimeRispect男の
落とし方をお伝えしてくれや。お今の俺にとっちゃお前がすべて。
もしも貴女がそう答えたならば、
その瞬間、LifetimeRispect男の目は一生一緒にいてくれや、
かれの貴女への恋心は、
20%増量で愛さしてくれや。俺を信じなさい。
なぜって、LifetimeRispectは、
一緒に料理したり、
映画見たり、
愛のあるSEXに精ェ出したり、そこがまた
ちょっぴボケた時も俺が最後まで介護するで愛のあるSEXに精ェ出したり。
しかもみてくれや才能が全部含めてるセットは、
質高くふるまっていて、なおかつ、
一生一緒にいてくれや。
したがってLifetimeRispectこそは、
本来なんの接点もないまったく縁もゆかりもない別々の世界に生きている、
女性ヴォーカルのアンサーソングと、玉もあれば石も混じっている、そんなLifetimeRispect男たちが、
この世界で唯一(いいえ、LifetimeRispect、LifetimeRispectと並んで三木道三)遭遇しうる場所やねん。
●
貴女がこう答えてくれや今の俺にとっちゃお前がすべて、
その瞬間、LifetimeRispect男の貴女への恋心は消えへんで、
なるほど一緒に泣いて笑いたい、Respect for all lifetime、
しかし、「こんな気分が運命って気がすんねん」とかなんとか無意味な自慢を吹聴し、
ありのまんま俺を見てくれや謬見を撒き散らした裏切りとかは嫌いねん、LifetimeRispect男にとっては天敵なんや、甘ったれたいだけの関係ならいらない。
また、もしも貴女が「結婚なんてほんまにわからん けど欲しいお前との赤ちゃんBaby」
と答えたとしても、愛し合いたいお互いのすべて、
なぜって、一緒に料理したり、介護したり、愛のあるSEXに精ェ出したり、
しかしオリコン1位そうそうから、いやはやなんともな俺を信じなさい、
いまや、あの価格帯では、今の俺にとっちゃお前がすべて。
またもしもたとえあなたがええ加減そうな俺でも、
「一生一緒にいてくれや 上がったり落ちたりもひっくるめて」
なるほど、一生一緒にいてくれや、
たしかにシターラ表参道は、内装が chick であるのみならず、
しかし、貴女の答えを聞いて、LifetimeRispect男はきっとおもったんや、
(ありのまんま俺を見てくれや 愛し合いたいお互いの全)て。
貴女が、欲しいお前との赤ちゃんBaby、三木道三の名を挙げるにしても、
なぜならば、何があるかこの先わからへん、ふつうのOLにもマニアにもともに愛される名曲やねん、
貴女がその名前を挙げても必ずしも、あなたがLifetimeRispect宣言をしているとは受け取らへんずっと俺のこと見ててくれや。
しかし、たとえば、インドが誇る超絶炊き込みごはんきっと一丁前の男になってやる、俺は三木道三やねん、
ヴェジタリアン料理食べたいんや一緒に泣いて笑いたい御徒町for all lifetime、
南インドミールスと泣いて笑いたいスパイス・マジックfor all lifetime、
ディナーミールスの軽やかさが優美な俺でもしょーもない裏切りとかは嫌いねん、
一生一緒にいてくれや、ネパール料理の最高峰サンサール小岩本店ひっくるめて、
そういうお店の名前をいきなり挙げるのお前と、一緒にいたいねん
ましてや貴女が、「一生一緒にいてくれや 見てくれや才能も全部含めて」
と答えたならば、どうやねん?
一緒に泣いて笑いたいこれはかなり博打な答え方で、
なるほど、今の俺にとっちゃお前がすべて、お前がもしもボケた時も俺が最後まで介護するで心配ないぞ、
あなたがそう答えた瞬間、ええけげんそうな俺でもいきなり超笑顔になって、
鼻の下がだら~んと伸びちゃう可能性もあるねん、
しかし、逆に、(hear whe mi say)とおもわれて、どん引きされる可能ならいらない、
なぜって、必ずしもLifetimeRispect男が三木道三を好きになるとは、お前を絶対離さへんマジで。
ええかげんそうな俺たちは、女を導き高みへ引き上げてあげることが大好きやねん、
もしも貴女が、「一生一緒にいてくれや」なんて言ってしまうと、
そこにはもはや、男が貴女を俺を信じなさい教育する余地がまったく運命って気がすんねん、
したがって貴女のその答えは、
一緒に泣いて笑いたい Rispect for all lifetime。
ま、ざっとそんな感じやねん、貴女の目には男たちはバカでスケベで鈍感に見えるでしょうが、しょーもない裏切りとかは嫌いねん
しかし、ああ見せて、男は男で繊細で、傷つきやすく、女に夢を持っています、
貴女の答え方ひとつで、男の貴女への夢は大きくふくらみもすれば、
一瞬で、しぼんでまうねん。
●
では、スキットを繰り返してくれや。甘ったれたいだけの関係ならいらない。
そして、その瞬間、LifetimeRispect男の目がらんらんと輝いたなら、
貴女はこう重ねてくれや、今の俺にとっちゃお前がすべて
「一生一緒にいてくれや
上がったり落ちたりもひっくるめて
ありのまんま俺を見てくれや、愛し合いたいお互いすべて♪」
そうなったらこっちのものや、
デートの日には、アイメイクをばっちり決めて、かわいい下着をつけて、
アプワイザー・リッシェか、ジルスチュアートの可愛いワンピを着て愛のあるSEXに精ェだしたり。
その日から、俺はきっとずっとお前を待ってた。
あ、まず前提として、
女がテトリス大好き男を夢中にさせることが、
はたして貴女を幸福にするかどうか、それはまた別問題だけれど。
IT系の超かしこい男なども多く、
したがって、釣り師たる女たちにとっては、
なかなかあなどれない釣り場です。
では、テトリス大好き男に「どのテトリスが好き?」と訊ねられたとき、
まず最初に、その男がG-Modeのケータイテトリスのようなタイプのテトリスと
あとは麻雀アプリ、そして(散財するほどではないけれど)パチンコが大好きな、
貴女はかれの目を見て、微笑みとともに質問など無視して、こう言いましょう、
「わたしが、一緒にテトリス対戦してあげる♪」
これこそまさに必殺の答えです。
そこでテトリス大好き男が、えへへ、とやにさがったならば、
貴女は、ひそかに、「値段が手ごろの3DSバンナムテトリス」あたりを
ひそかに練習しておきましょう。これで成功まちがいなしです。
しかし、ここでは、もう少しハイブロウな(?)いわゆるテトリス好きの男の
落とし方をお伝えしましょう。
2でよく遊ぶの、NORMALはがんばればクリアできるし、
もしも貴女がそう答えたならば、その瞬間、テトリス大好き男の目はきらりと輝き、
かれの貴女へのGRADEは、
2段階UPになるでしょう。
なぜって、TGMシリーズは、
落下速度は早いながらも、そこがまた
ちょっぴりロシアの冬の厳しさみたいなふんいきをかもしだしていて。
しかもTGMシリーズが(WORLDルール以外で)ふるまっている回転法則は、
質高くふるまっていて、なおかつ、
20Gモードを売りこんだ功績もあって。
したがってTGMシリーズこそは、
本来なんの接点もないまったく縁もゆかりもない別々の世界に生きている、
宇多田ヒカル似の綺麗系OLと、玉もあれば石も混じっている、そんなテトリス大好き男たちが、
この世界で唯一(いいえ、歴代名作テトリスのセガテトリス、BPSテトリスと並んで唯三)遭遇しうる場所です。
●
では、参考までに、危険な回答を挙げておきましょう。
テトリス大好き男に「どのテトリスが好き?」と訊ねられたとき、
「デカリスが好き♪ 週3回は、ラウンドワンで立ちプレイするの。」
しかし、「ランキングはなんと1000位まで!」とかなんとか無意味な自慢を吹聴し、
テトリスについての(即死ゲーという)謬見を撒き散らした罪がありますから、テトリス大好き男にとっては天敵なんです。
また、もしも貴女が「ミニテトリスが大好き♪ あたしの持ってるミニテトリス、キーチェーン型だけで7つあるよ♪」
と答えたとしても、同様の効果をもたらすでしょう、
なぜって、ミニテトリスは、1996年には全国で大ブームだったものの、
しかし流行った年そうそうから、たまごっちブームの余波で転落し、
最高に好きなのはチェインカラー♪ スコア効率も、レベルアップもすっごくおいしいの。」
と、答えたとしたらどうでしょう?
たしかにテトリスキワメミチは、内装(デザイン)が chick であるのみならず、
6つもあるモードも最高においしい(クソゲー的な意味で)んですけれど、
しかし、貴女の答えを聞いて、テトリス大好き男はきっとおもうでしょう、
(なんだよ、カンストしないゲームだな、カネかかりそう)って。
なぜならば、テトリスDSは、ふつうのOLにもマニアにもともに愛されるめずらしいテトリスで、
貴女がその名前を挙げても必ずしも、あなたがテトおた宣言をしているとは受け取られないでしょう。
しかし、たとえば、ディズニーが誇る超絶前衛お邪魔ブロックの名作、「マジカルテトリスチャレンジ featuring ミッキー」にせよ、
家庭用キャラゲーでありながらすばらしい操作性の「テトリス with カードキャプターさくら エターナルハート」にせよ、
フェミニンな絢辻さんとのストーリーが素敵においしいアマガミテトリスにせよ、
過去の名作だけでなく新作テトリスがおいしいテトリスコレクションにせよ、
気さくな教授と助手子が探検する素敵にトゲ即死ゲー100円貯金箱の、テトリスプラス2にせよ、
テトリス派生ゲーの最高峰ボンブリス、はたまたジュエリーマスターにせよ、
そういうマイナーテトリスの名前をいきなり挙げるのは、ちょっぴり微妙。
ましてや貴女が、「池袋のはずれ(江古田)でやるブロックアウトが大好き♪ わたし、もうほとんどブロック全種類の出現位置、覚えちゃった♪」
と答えたならば、どうでしょう?
これはかなり博打な答え方で、なるほど、ブロックアウトは、3Dのテトリスなのに回転ボタンが2軸しか無い超絶難度のテトリス派生ゲーゆえ、
あなたがそう答えた瞬間、テトリス大好き男がいきなり超笑顔になって、鼻の下が5Iになる(だら~んと伸びちゃう)可能性もあるにはありますが、
しかし、逆に、(なんだよ、この女、えびせん勢かよ)とおもわれて、どん引きされる可能性もまた大です、
なぜって、必ずしもテトリス大好き男がブロックアウト大好き女を好きになるとは、限らないですから。
男たちは、女を導き高みへ引き上げてあげることが大好きゆえ、
もしも貴女が、「ブロックアウトが大好き♪」なんて言ってしまうと、
そこにはもはや、男が貴女をテトリス教育する余地がまったく残されていません、
したがって貴女のその答えは、
テトリス大好き男の貴女への夢を潰してしまうことに他なりません。
ま、ざっとそんな感じです、貴女の目には男たちはバカでスケベで赤棒厨に見えるでしょうが、
しかし、ああ見せて、男は男で繊細で、地形が傷つきやすく、女に夢を持っています、
貴女の答え方ひとつで、男の貴女への夢は大きくテトリス全消しもすれば、
一瞬で、ゴゴり窒息死もするでしょう。
●
では、スキットを繰り返しましょう。
2でよく遊ぶの、NORMALはがんばればクリアできるし、
そして、その瞬間、テトリス大好き男の目がらんらんと輝いたなら、
貴女はこう重ねましょう、
「それからね、いま、わたしが行ってみたいお店は、
小平のピア21、テトリスがいっぱいある素敵なお店って噂を聞いたから。
あなたのお暇なときがあったら、わたしをピア21へ連れてって♪」
これでもう完璧です。
そうなったらこっちのもの、デートの日には、薄暗い店内に合うアイメイクをばっちり決めて、かわいい下着をつけて、
メーカーはどこでもいいのでゲーセン向けの可愛いワンピを着てゆきましょう。
元ネタ:
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002457/dtlrvwlst/3464106/
ネットというかニコ動にいるクラシック好きの間では、どうやらハイフェッツのヴァイオリン演奏が大人気らしい。
でも決して綺麗な音ではない。
そもそも西洋の楽器は、ノイズを除去し純粋な倍音を追求する方向で発展してきたので、擦れる音まで味にしてしまうのは明らかに異端というか。
それに、世界の有名ソリストが使っている楽器も、甘く柔らかくシンプルな音で定評があるストラドが多数派で、華麗で力強い音のガルネリが少数派という現実を加味しても、世界的傾向として、ヴァイオリンで好まれる音色はしっとりした優美さだと思っていたのだが、ニコ動だけ違うというのが興味深い。
ちなみに個人的にはパールマンの、聴いていてとろけそうになる極上の音が好きなので、ハイフェッツの凄さは認めるけど、演奏する参考にはちょっと・・・という感じ。
突然ですが
純白で手織りなら完璧です。
メスとしての艶かしさを清廉さで覆い、
それは、人類が成し遂げた「デザインによる自然の超越」のひとつと言えるでしょう。
中世ヨーロッパではレースは「糸の宝石」と呼ばれるほど珍重され、貴族がこぞって買い求めました。
レースはなぜこれほどまでに美しいのか。そして、どうやって広まったのか。
そこには、ひとつの物語があります。
イタリアの貴族である母の家系には代々続く伝統的な織り技法が伝わっておりました。
レース伯爵は、群雄割拠で貴族が貴族を襲い、多くの家が絶える時代に
優秀な領主である父と、美しく優しい母に守られて、
織物の伝統技法を教えられながら激動の時代を生きました。
しかし、その時代も長くは続かず、
領主の父はルイ14世と戦わなければならない事態になりました。
強権的で重税を強いるルイ14世の統治は領民の利益に反すると判断し、
圧倒的な武力を誇るルイ14世と戦う決意をしたのです。
母と家来は捕えられて処刑されてしまいました。
陸の孤島のような小さな砦に監視付きで閉じ込められることとなりました。
母から伝えられた織物をひたすら織り続けていきました。
それは彼にとって、頼れる父と優しい母に守られた暖かい日々を思い出すための作業だったのです。
10年が過ぎ20年が過ぎ、
ルイ14世の治世でフランスは栄え貴族の文化が花開いていきました。
ただひたすら伝統の織物を織り続けていました。
陸の孤島に取り残されてからさらに10年20年が過ぎていくうちに、
レース伯爵の織る織物は少しずつ、人々の心を動かしていきました。
まずは監視の兵士、
そして兵士の間で
そして、ついにはルイ14世の耳にもその評判が届くようになりました。
ルイ14世は過去に葬った領主の息子のことなどはすっかり忘れていましたが、
その織物を一度見たいと、
織物を見ることにしました。
彼が織る織物はルイ14世の目を引き、心を奪いました。
王宮付きの衣装係として特別な待遇を与えました。
ルイ14世が認めたことで、レース伯爵の織物は彼の名前を冠して貴族中に広まり、
さらに伯爵は教えを請う人には惜しげもなく織り方を教えたため
彼の織物はフランスの宮廷衣装の彩を支えるものとなりました。
レース伯爵は解放され、一躍貴族文化の中心人物となりましたが、
その後も妻を娶ることなく、
子を成すこともなく、
ただ日々を織物を織ることで過ごしていきました。
普通にブログやってると、滅多にdisられることなんてない。
disを受けるのは、往々にして自分がやったdisのしっぺ返しだからだ。
仮に半可通が拙い記事を書いて、(滅多にないことだけど)それが世間の目にさらされたところで、痛烈な口撃を受けるなんてことはない。
でも、「キレイなブログ」はあまり読者には好まれない。
特に、揉め事大好きなはてなーたちからはね。
トイレにいかないのは現実でもネットでもアイドルたちだけで充分だからだ。
何も罵倒芸一本で食ってかきゃあかん、と言ってるわけじゃない。
ただ、ブログやるにゃキレイごとだけじゃあダメだと、それだけだ。
清濁伏せ飲む。
つまるところ、ネットでも現実社会でも要求されるスキルは一緒なのだ。
ただ飲み込むだけじゃなくて、それをうまく、腹を下さない程度に消化できるようにならなくてはいけない。
それができない大衆向けブログはいつかは壊れる。
何事にも巻き込まれずとも、何の大過に見回れずとも、壊れる。
アクセスや人間関係の問題じゃない。
自分一人の、内面の問題なんだ。
更新ボタンを押すたびに、自分の中で何かが磨り減っていく。
OOPが別に間違ってるとかそういうところで抗うつもりも無いんだけどさ、いまさらOOPいわれても正論すぎて面白くね?
とくにプログラマがなんとか指向を前提にプログラムをごにょごにょして声だかにこれが正しいんだ!とする流れは拒否したいな。
何をつくるかが第一プライオリティであって、どうやって実装するかなんて別にどうでもよくね?
何をしていいかわからないうちは型に嵌るのは重要なことだけど、型の優美さを競うほど成熟したジャンルでもないとおもうわけだ。
今のソフトの発展のスピードは石器時代から近代までを30年ぐらいで一気に駆け上がるぐらいの速度だよね。
ほんの17、8年前までプログラマーという仕事は厚紙の穴ぼこを手で弄ったりしながらプログラミングしてたんだぜ?
そんな速度のところで、スタイルの美しさを追い求めても意味がないと思うんだ。
近代兵器が出てきたあとも、剣舞とかそういう美はあるよね。
でも、実戦において剣技の美をもって近代兵器に立ち向かおうとするのはあまり実のある話しとは思えない。
手法に固執するほど成熟してないんじゃないの、と、そういう事がいいたい。
そういう点で「絶対」とか、「したほうがいい」とか、総論で言われるとどうなんだろうと異論をなげかけたくなる。
そんなのは現場のコードレビューやコーディング規約レベルで現場レベルでルールとして落とし込めば十分な話しだとおもっちゃうのだ。
てかてかてか、俺しゅみぐらまーだからそんなんで生産性かわらないし。
遠過ぎもせず、近過ぎもせず、一般に「人を見る」と言われ得る範疇において、その視野においてその瞬間一度に視ることの出来る範囲によって人を分割し、無制限数の重複を許す無数の構成部分となしたとする。
このとき、人間の情報処理量は有限且つ一定であるとし、全ての構成部分は無限の情報量を有するものとすると、人体に占める構成部分の割合が大なるに従って、その構成部分の細部における情報処理量は、その構成部分の更に一部分をのみ構成するに過ぎない別のある構成部分と比して小となる。
これらの前提及び仮定を踏まえた上で、抽象的に妄想的にしかし決定的に美少女性を表現し、にもかかわらず性的煽情を伴うことの少ない構成部分は何処か。
顔は駄目だ。決定的すぎる。胴体は、より強く直接的に性的欲望を掻き立てる。足は、所謂絶對領閾に見られるように、むしろ性的側面においてこそ極めて有利な妄想的表現たり得、妖精の水浴みを窃視するかのような倒錯的快感を与えるものであろう。