はてなキーワード: がっかりとは
まず2019年8月から12月までに導入されたパチンコ・パチスロの新台でアニメ・映画・実在の人物や団体が題材になっているものソース1 ソース2
貞子vs伽椰子
たった4ヶ月でこれだけ出てる。パチの定番みたいな作品を除いても、結構なヒット作がパチンコ化している。
萌えスロ産まれ10年以上経ちアニメ等とのタイアップも珍しくなくなった昨今。原作側は旬の過ぎたIPを売りパチンコ側はそれで台を作る(あるいは最初から製作委員会に入っている)。この関係が当たり前になりすぎて、パチンコ化に拒否反応を起こし「魂を売った」と言ってる人が今でも居てビビった。
そもそも売ってるのは魂じゃなくて版権料な。決めるのは原作者で外野がどうこう言うものじゃない。喜んでパチマネーを受け取るのもいいし和月伸宏、うすた京介、雷句誠みたいにはっきり拒否するのも自由。個人的には某サッカー漫画作者の「被災地のため」みたいな100%言い訳じみた発言より「パチンコ化で大金入った」と自慢していた原哲夫の方が潔いと思う。
それにアニメ製作サイドにもパチマネーが入って少しでも制作費を回収できるなら別にいいんじゃないか。なんなら台のための新規アニメーションだったり音声や歌の仕事が発生すればハッピーじゃん?パチンコ嫌いだと見る機会が無いから恩恵はないかもだけど。
「大好きな作品がパチンコ化され賭け事の道具になってる所なんて見たくない」っていうのなら情報をシャットダウンすればいい。自分も好きな作品がパチンコ化した時は「えぇ……」と思ったけど、パチンコ情報なんて自分から見に行かないとなかなか入ってこないしどうでもよくなった。自分と全く関わりがない世界の人達が遊んでお金落としてくれるならそれでいい。
向こうからぐんぐん押してくる実写化や舞台化、半年でサ終了しそうなしょぼいアプリゲーム化、全く知らないアプリゲームとのコラボよりマシだと思う(好きなキャラがガチャのハズレ枠にされガチャ動画で貶されてる時のやるせなさ)
しかしながら、拒否反応を起こす人の気持ちも分かる。とあるアニメの生放送で重大発表があるっていうから何かと期待して見ていたら「なんとパチンコ化決定!」だった時のがっかり感。しかもその後スタジオに実機が持ち込まれ、それで声優が遊び始めたんだ。
「ここの声は新しく録ったんですけど、店内の騒音に負けないよう声を張りました!皆さんぜひお店に行って遊んでくださいね~」
うーん、多分行かないかなぁ…。
先週のある日から、いつも乗っている車両に松葉杖をついた30代くらいの男が乗ってくるようになった。
電車は6時過ぎながら乗車率は100%を超え、早く出社したからといって早く帰れるわけではない疲れたサラリーマンでいっぱいである。
ちなみに乗車率100%は「定員乗車(座席につくか、吊革につかまるか、ドア付近の柱につかまることができる)。」だそうなので、この状態は優に超えていると思う。
話を戻して、急に現れた松葉杖男。
彼が乗車してしばらく経った頃、突如車内に金切り声が響き渡った。
「なんで松葉杖の人がいるのに誰も席を譲らないのォォオオ!?!?!?!?
本当にこういう話し方だった。
ババアは席を立ち、松葉杖男に席を譲ると、次のそこそこ大きい乗換駅で降りていった。
松葉杖男が乗車してからしばらくは何も言わなかったところを見ると、降車駅の少し前まで目を閉じるか何かしていて、
さてそろそろと目を開けたタイミングでたまたま松葉杖男が目に入ったんだろう。
しかも正義ババア、「ここ優先席よォォォオオ!?!?!?!?」と叫んでいたが、自分がその優先席に座っていた。
うわあ(笑)
って思わない?自分は思った。
見た目はただのサラリーマンでも、何らかの内部障害を抱えていて座っていた方が楽な人が座っているのかもしれない。
そうでないにしても、朝6時から乗車率100%の電車に乗っているサラリーマンなんて、全員が座りたいほど疲れているのは間違いない。
席を譲ったほうがいい人がいたら、どこの席であろうと譲ればいい。
ジジイやババアの中には「年寄り扱いするな」とでも言いたげに、優先席が空いているのに一般席に座るのがいる。はっきり言って迷惑でしかない。
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56
わーんひどいわー。いじめられたわー。かわいそうな私をみんなでなぐさめてちやほやしてー。
さて、話は全然変わるが、
青識亜論と、石川の論戦だったが、あれはひどい。
もうめちゃくちゃだ。
内容を見たがとてもリンチなどと言えるものではない。ただのtwitterの延長戦だった。
もっと理詰めで相手を苦しめることもできただろうに普通に対応している。
だからプロレスで相手を完膚なきまでに倒すつもりはなかったんだろうなと思った。
そうしたら案の定、開催内容も、司会者も相手の意向に沿って決めて、
相手と質問の内容をやり取りして、自分の質問内容を教え、しかも事前打ち合わせまでやっていたというから驚きだ。
だというのに、そのあとで、
http://www.ishikawayumi.jp/entry/2019/11/18/133232
しかも、青識は一週間前に自分の質問を教えているにもかかわらず、石川のほうは当日まで質問内容を教えてないと本人も認めている。
これではどちらが嫌がらせを仕掛けてるのか?
本当にひどい。
気持ち悪い。
心底気持ち悪い。
「スピン」とはもともと世論誘導や偏向報道のことを指しますが、日本では特に「政府にとって都合が悪い問題から世間の目を逸らすために芸能人の逮捕などをする」という意味で広まっています。
ちなみに民主党政権のころには、民主党が「スピン」をかけていると糾弾されることもあったので、ウヨク・サヨクはあまり関係がなく、とにかく政府やマスコミを信用しない人間が使うということですね。
薬物問題は、逮捕の時期をあるていどコントロールできる(と思われている)ので、スピン報道の疑惑がかけられやすいです。
(実際には薬物の所持・使用は現行犯で逮捕しなければならないので慎重に狙う必要があるらしいですが)
以下は2015年以降の主な政治問題と主な薬物逮捕の年表です。
(主観だけど)特に話題になったかなーという事件は太字にしました。
これを見て「やっぱり狙ってるじゃないか」と思うか「やっぱり関係ないじゃん」と思うかはあなた次第だ!
土壇場で環境が急に変わることって、スポーツに限らずあると思うな。
札幌開催に陸連強い怒り「死ぬまで心から消えない」 - 五輪・一般ニュース : 日刊スポーツ
プレゼン資料を用意していたのに、自分の持ち時間が半分になるとか。
そういうとき、俺は怒らないよ。それが仕事というものだし、プロというものだと思うから。
1時間のつもりで用意したプレゼンを20分でしゃべれとか言われても、5分でしゃべってくれと言われてもOKだ。
もちろん、メタメタにペースは崩されるんだけど、そこを乗り切るのも自分の力量だと思うからね。
春 on Twitter: "ジャンプの件は「女性に配慮した作品をつくれ」ではなく、「少年がメインターゲットであるという点を譲歩しろ」という話でもなく、「倫理観を持て」という話だと理解している。 男子向けにつくるなら女子への加害はエンタメ扱いするのがまぁ当然、みたいな意識には問題がある。という感じの話。"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tiharu4happy/status/1191638835324522496
ちょっと故意にすっとぼけてるのか本気でアレなだけなのか判断つかないので真面目に書く。
ジャンプの件は「女性に配慮した作品をつくれ」ではなく、「少年がメインターゲットであるという点を譲歩しろ」という話でもなく、「倫理観を持て」という話だと理解している。
男子向けにつくるなら女子への加害はエンタメ扱いするのがまぁ当然、みたいな意識には問題がある。という感じの話。— 春 (@tiharu4happy) November 5, 2019
「女子への加害をエンタメ扱いする」とは具体的にジャンプのどれのことなのかがわからない。
女子への加害をエンタメ扱いしてたら確かにグロいし感心できないし当然私もそんな漫画を好きにはなれない。
けれども現在のジャンプでそんな漫画があったっけ?というと思いつけない。
(もしも女性キャラが胸元空けてる衣装などを「女子への加害」と言ってるならかなり話は違ってくるんだけど。)
だからまずジャンプのどの漫画の何ページの描写なのか言って欲しい。
言われればちゃんとバックナンバーを当たって当該箇所を読み直して考えるから。(電子版便利)
でもそれを絶対言わないでしょ。
むしろ「こんなに酷い描写があるから見ろーーッ!」って言いたくなる筈じゃない?
なんでそこ避ける?
雄弁だったのに具体的に質問されると一転ダンマリになる感じが。
…本当にそんなの見たの?
具体的に、何をどのようにすると、何故まずいのかの明文的な基準の提示を規制論者がやらないことにある。※1
その質問を投げかけられても決して答えないので、逃げているようにすら見える。
別にジャンプが無謬だと思わないし「この漫画のこの描写に抗議する」ということなら全然いいと思う。
私も例えばワンピースの単行本のオマケで「男性キャラが女性に性転換したら全員スイーツやサラダの話ばかりするおばかになる」(女性キャラが男性に性転換すると粗暴で野心的になる)という描写にはうわあ~ステレオタイプ!と思ったし感心出来なかった。
スケットダンスにかなりホモソーシャル的だなあと感じた回もある。
そういう具体例について指摘して批判の議論をするならいいと思う。
もちろん納得せずに「それぐらいいいだろ!」って反論してくる人もいるけど、それら全て意味のある議論だし批判だよね。
でも具体的に言わずに「倫理を持て」で規制かけてくるのは怖いよ。
それはもう何でもやり放題じゃん。
でも規制論で「倫理」が基準にされるのは怖すぎ。フリーハンドといっしょじゃん。
ていうかはてなってそういうのを懐疑する側だったと思うんだけど。
「倫理を持て」とか「常識で考えろ」とか「普通にわかるだろ」とかで咎められるのって怖いし理不尽じゃん。
そうやって議論を回避しつつ恣意的に取り締まりたいっていうのは権力的な仕草じゃない?
はてなはどっちかっていうと反権力・リベラル勢力だったと思うんだけど
なんでオタク規制のときだけゴリゴリの保守みたいに問答無用の権力的な顔つきになるの?
そんな長くなかったと思うけどまとめ。
1、ジャンプの問題を指摘するなら問題のある作品名と箇所を具体的に言ってよ。
2、「倫理」とかいう恣意的に内容決められちゃう基準で規制出来たら弾圧国家だよ。
これだけです。わかりにくくないでしょ?
「倫理」なんて人によるんだから、客観的に論じるべき話題でそんな言葉持ち出される時点でちょっと「えーっ?」ってなる。
tweetの春さんは「BLが好き!」って書いてるけど、「ホモなんて論外!」っていう倫理の持ち主絶対居るよ。
倫理ってそういうものなんだけど、春さんや彼女に賛同する人はそこからわかってないのかな。
yas-mal そもそも、元Tweetに「規制」という単語は出てこないようですが…。
2019/11/06
これは予想し得うる限り最もくだらない逃げであると同時に、
「規制」という言葉を使わないようにしているのは気付いていますよ。
で、今回実際起きていることはどうですか。
日赤は弁護士から「セクハラである」と明言され世論への火付けを図られ
ジャンプ作家の篠原健太もクレームへの丁寧なやり取りの中で「不快な表現があり得る」と述べたら
セクハラも差別も一発で社会生命が葬られるぐらい重い疑義であって
挙句に「”倫理観”をもって自主的に”考えれば”これ以上攻撃しないよ?」
ヤクザの脅迫も「誠意を見せろ」と言って具体的に何が問題でどうしてほしいのか言わないそうですが
yas-mal氏の「規制とは言ってない」は「金を出せとは言ってない」とどう違うのでしょう。
segawashin 規制ってどこから出てきたの。表現を考える根拠の一つに倫理を置くことと規制は殆ど正反対の差があるのに。例えば我々が猫虐待画像を許せないのだって要は倫理の問題なんだけど、都合よく目の敵にしないで欲しいね。 33 clicks
2019/11/06
yas-mal氏と同じおとぼけは流すとして、
私は猫虐待画像は全然許します。それ許さなかったらジョジョも読めないですから。
都合よく目の敵にしないではどっちのセリフなんですか、
あなたは日頃からオタクを目の敵にしてオタクの話だと蔑視的攻撃的なツイートする人に見えます私には。
あなたの”倫理”なんてなおさら全然広く共有できる代物でなくないですか。
当人にその自覚もなくむしろ「自明絶対のルールだぞ」ぐらいに勘違いしがちだからこそ”倫理”はあてにならないんです。
noemi_itoh 明確な基準を示さないのは自分の頭で考えろという意味で、表現規制しない為なんだよな
2019/11/06
絶え間ない攻撃と不利益の予告をしながら「自分で考えろ」というのは
あいトレへのクレームや圧力や不利益の予告は「自分で考えることを促していただけ」「倫理の話をしただけ」「規制と正反対」なんですね?
どんな圧迫を加えても「規制」とさえいわなければ規制ではないのだと。
ひどい言い逃れです。
Cunliffe 「「倫理」とかいう恣意的に内容決められちゃう基準で規制出来たら弾圧国家」なんでいきなり「国家」に飛んじゃうのかねえ。「国家」が「倫理」を押し付けてきたらわたしゃ反対するよ。
2019/11/06
私もあなたと同じく国家が倫理を押し付けてきたら反対しますけど、
あなたと違って一部市民が倫理を押し付けてきても反対するんです。
いや、あなただって押し付けられる側に立ったと感じたら絶対反対すると思いますけどね。
俺は辛い俺は辛い俺は愛にあふれてて
俺はだから辛いばっかりで
ただ、シチュエーションに酔ってる。
それが芸風なのね。
あなたのやり方がもう判ったので
淋しくないのですか。
そしてあなたの勘違いの嫌悪感が、相手の気遣いや、マナーから来ていてもあなたには憎しみにしかならないのでしょう。
親が人前で、子どもや身内を「下げて、謙遜した表現する」のは、日本では美しいとされていますが、
あなたは親御さんが当たり前にその表現をしていたことが理解できず、
本音は自慢したいような存在である、あなたは愛されていたこと、わかっておられなくて。
親に嫌味を言われていたなど不思議なことを何度も定期的に書いておられましたね。
可愛い、賢そうなど、本人を知らなくても適当に言える言葉をなぜか喜び、
社交辞令に謙遜でゆる否定するという、お天気の話レベルの「日常よくある会話」に、
親御さんへの不満を募らせて、恨んでいたでしょう。
親に貶されていたのではなかったのではないですか❓
そんなのよくある話ですよ❓
あなたは常識を知らないまま、親の愛を、疑い。老いるのですね。
さらに誰彼なく嫌って、自分から自分を病ませているようにしか見えないです。
増田でのやり取りは
あなたの「(本当は謙遜でしかない言葉に)傷ついた❗️酷い❗️」
身近な存在である親御さんに対する不満さえ、「愛されていなかった。傷付けられた」
どうして人前で褒めてくれないの❓と聞けない。僕は不出来なの❓って親と二人の時にきかないの❓
きけば一瞬で不安も怒りもコンプレックスも霧散するというのに。
まるで「いじめられたい」と言いたげな振る舞い。
親御さんも人なので、しかも幼少のお子がいらっしゃるような頃はお若いでしょうから
不機嫌な事もあるでしょうし、あなた自身、親のしつけを聞いてないし守ってなさそうなのに
「躾が厳しかったと言っていいのは、その躾を守ってきた人だけでしょう❓」
出来ていないのに、不満だけ言うのは怠惰で、不誠実です。
不安や悲しみを自分で解決したいという気持ちがかけらもなくて、
あるいは日常の疑問を教師などの年長者に質問も、できなかったのでしょうか。
私19で教育実習行きましたが、生徒に個人的な悩みも打ち明けられて相談乗ったりありましたよ。
ひと月足らずの研修なのに。ローティーンの悩みはいじめと恋心でした。
恋はわからなかったけど、いじめてくる人の話は、少し相談にも乗りましたし、
担任にも伝えて、注意して欲しい事いいました。
自分で疑問を持たず、感情論で片づけて恨みを持つ人は、単純すぎます。
ひねくれた感情。常識の欠如が招く怒りのしんどさ。なぜ身内なのに自分で確認しないの❓
過剰に喜ぶのも、卑屈になるのもおかしいですよ。
こんにちは、代りに、可愛いですね。が言える人だっておられるでしょう。
接客の方々などは息をするように相手をみないでも褒める事できるスキルをおもちですし。
もちろん、心から褒めてくださる方々もありますよ。でも表向きの反応は同じです。
だから。増田さんは親御さんの謙遜をわざわざ怒るのもおかしい。
親御さんの立場になって、フォローした私にまで「憎しみ」を感じました。
これは。心の闇。頑なに自分の主張を曲げない柔軟性なさ。
よりよい解釈が、今さらでも、そこにあるから喜んで安心してもらいたい一心で、
あなたは、いつまでも「親を嫌いでいたい」事が判明しただけでした。
正直謙遜する親なんて、私自身2歳くらいで構造が判りましたよ。
(親もホントは子供を褒められたら嬉しいけど、取りあえず否定してること。)
パターンがある会話なので、それが判ればまったく気にする必要のない部分、それはお天気の話レベルなこと。
あなたのような賢過ぎる方が、こんな単純なことに悩み続けて「親を逆恨みしている図式」は滑稽でしかなかったです。
それに、もっと気にしなきゃいけない、本筋の部分があるでしょう。
つまらない部分にばかり腹を立てていて被害者のようにふるまっていて、常識人の親御さんが、お気の毒です。
判っていたでしょう。
可哀想な人。そんなつまんないことばかり気にしてると
さぞ疲れるでしょう。
本当は、優しく、繊細で、美意識にあふれているのに、
お商売で、リップサービスを言ってくるような人の言葉にまでストレート解釈して、
本当にあなたに寄り添って、長い月日を歩んでゆく血肉を分けた親御さんにはきつい真逆の解釈。
人間関係。他人にも心があることを、あなたは意識できていないのでは。
言葉に、傷つき、苦しいこともわかりませんか。
あなたに考えて話しかけているひとにも、本質が全く見えていない。
オープンマインドでできれば付き合うほうが良いのは、身近な人たち。
古い友達、一生付き合う親せきや親。
それらに対して、あなたは手を抜いて「牙をむいている」だけのよう。
「自分はこう思った」だけしかありません。「わかってくれ」しかないんです。
相手の振る舞いの意味を「悪意としか解釈できない」なら毎日が闇の中です。
親御さんやご兄弟、仕事の仲間や上司の言葉などは、そんなに批判的に解釈するものなのかな❓
職場の人たちは他人でも、同じように業績を上げ成果を期待されている仲間でしょう。
同じ課の人は、同じ船に乗って目的地に向かう同志のようなものではないでしょうか。
好意的に解釈して、その人の言葉の意味を考えてみてはどうでしょう。
ライバルで競うべき存在なら話は別ですが、直の上司や連携するべきチームの仲間なら、仲良く出来ないと、きついのでは。
疑問はつきませんでした。
周囲は、あなたの心が開かない限りは、話し合うこともできず、
「反対意見」や「命令」に解釈してきついようなイメージがあります。
疲れました。