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2023-01-19

地獄個人Vtuber増田分析するよ

この増田Vtuberの切り抜き見てる程度の一般視聴者増田だよ。業界人でも自分でVやってるわけでもないよ。

そういう増田による認知メンタリズムが見たい人だけよろしくね。

地獄個人Vtuber増田はどの類型

個人Vといってもぽこぴーとかの有名Vをカウントしてもアレなので、登録者数が多少あっても知名度は高くない、ブレイクしてない個人勢。

というのが地獄個人界隈のことなんでしょうね。

オタクペ●ス逆撫で女V

友達一般女V

■顔の良い男V

バ美肉

メンヘラガビガビ画像

■ガビガビ3D男V

地獄個人Vtuber増田(以後ジゴマスと呼ぶ)が挙げてくれた個人V六大地獄類型のうち、ジゴマ自身はどこに属するのか。

いちばんマシな表現されているのは【友達一般女V】。つまりこれがジゴマスの姿です。

どうですか、恐ろしいでしょう認知サイコメトリー

最初に【オタクペ●ス逆撫で女V】を持ってきて長々と怨念を述べた後に、【友達一般女V】はマシな地獄さらっと流して

挙げてる男V類型はどれもクズ。ジゴマスは女Vですね。

過度な性アピールもしてないのにセクハラリスナーがやってくるのでブチギレてる様子が目に浮かびます

ところでペ●ス逆撫で、ってなんやねん。逆撫でされたら気持ちを害するだけだろうとはじめは思ったんですけど。

順撫で逆撫でどちらでも気持ちがよくなるので表現問題はありませんでした。偽マフティーも陰茎が苛立つと言ってました。

おっぱいデカいほどいいみたいなのが最近とくに増えてるのは、一時期あった未成年設定のASMRバン対策なんじゃないですかね。

>声はガビガビで耳が痛くなるし、サムネイルも大体終わっているので基本的客観的自分を見る事ができないんだと思う。

発声ができてないオタクマイクなどの配信環境に金かけてない+自分客観視できないバ美肉。ガワの作成お金尽きたんでしょうか。

ガビガビ画像系は、低解像度画像を拡大表示したようなものと推察します。

残念ながらというか幸いなことに増田観測範囲にはひっかかってこないので実態不明です。

アバター簡易作成アプリあたりの仕様なのかPC関係に詳しくないのか、それでも配信できてるなんて偉いですね。

ダサイクル

ダサイクル、は念のため解説すると身内での褒め合いに終始して、向上心がない閉じたサイクルのことで「それ町」で提唱された概念だった気がします。

追記ブクマで指摘があり「それ町」ではなく「ネムバカ」だったようです。紺先輩が言ってたという偽記憶を植え付けられていました。)

初戦敗退常連で定時下校の運動部楽器持ち寄って格好は作ったものの上達は目指さなバンド、幽霊部員帰宅部員の暇つぶしスペースと化した文系部室。

そういうところに向上心に溢れた新人が入ってきて衝突して、環境を一変させる。物語の始まり感ありますね。

ゴマスは地獄部に入部してブチ切れてるわけです。

アイドルにはあるけど役者にはないもの。それが向上心

そこらへんのVはお互いの配信を見に行ってるだけで何の向上心も無いんだから

まりゴマスはアイドル志向個人V。他人を蹴落としてでも自分だけはなんとしてでも売れてやるという向上心の塊。

これが認知ウエストランドです。

個人Vの目的

個人VがVをやる目的は様々です。

趣味として配信をして、友達を作りたい。

あわよくば同業Vか視聴者か、異性との出会いの場にしたい。

配信で人気を得て登録者数増やしてちやほやされたい。

エロ系で登録者数集めて手っ取り早くマネタイズしたい。

話術を磨いて数字をとって大手事務所への実績にしたい。

向上心の塊のジゴマスにとっては、コラボできるレベル個人Vとのつながりは欠かせません。

嫌いなVなら見なきゃいい、という視聴者目線の話ではなく、友達面して繋がったり

関わり合いになってアウトかセーフか見極めるためにも多少は見る必要があるのです。

しかし、数字にはこだわらないが出会いガツガツしている男性Vは邪魔ですし

滑舌悪いバ美肉介護も、スカム発言毒舌を気取るイケメンフォローも大変です。

音量低いメンヘラとのコラボも扱い困るし、巨乳人気個人Vとコラボすると視聴者吸われます

視聴者だってマイナー個人V見てる奴はなかなか一癖ありそうです。

とかく地獄は生きにくい。

認知サイコリーディング増田は、そんなジゴマスさんが大手事務所の難関倍率を突破して年齢経歴も偽り

なんとしてでもアイドルVとして売れることを応援しています

個人Vの生き方

地獄の方では地獄のようなAPEX祭りとか流行りのゲームに急いで飛びついてはなんとかクリアして操作に習熟したころには

次のゲームの流れが来たり大変なことと思います

歌が上手ければVシンガーとして歌配信中心で時折自分の好きなゲームする程度で人気集めている人も居るのですが

みんなが皆歌が得意ではない。

自分の得意なことに特化し、生配信ではなく動画中心にして、同業Vとのつながりも控え目で自分のペースでやってる人もいます

というかVtuber定義がどうのというよりアバターとして別段珍しくなくなってきましたよね、もう。

生身とVの両輪で活動している人も多い。

その立ち位置で満足できるかどうか、それはあなた次第です。

ところで、ガンプラ組み立てが女性配信者で増えてるの何なん?カラオケで親父向けの持ち歌覚えるようなもの

数多の星野ニアの中の星

この流れで具体名出すかどうか迷ったのですが、出自出自ですのでセーフだろうと。

かつてある人物Vtuberアバター発注しました、しか製作者さんがVtuberアバター一式を完成させた時

注文した人物はバックレてしまっていたのです。

怒った製作者さんは作ったものの行き場をなくしたVアバター星野ニア希望する方に無料配布しました。

条件は星野ニアを名乗ること。こうして数多の星野ニアが生まれ、先行してたまたま星野ニアというハンドル活動していた方

とのコリジョンなどもありながら、多くは早々に飽きてあるいは数字が伸びなくて辞めていきました。

そんな星野ニアの中でパズドラ特化Vの星野ニア登録者12万を超えて現在活動されています

パズドラはご存じスマホゲー黎明期からあるモンストと並ぶご長寿コンテンツ10周年を超えたくらいですかね。

界隈の登録者数の規模は、公式チャンネル公認プロが30万程度です。

2021年からの途中参入で数字を伸ばしているのはなかなかすごいと思います

製作者さん、星野ニアは今も輝いてますよ。

最近のV豆情報

・kson氏、龍が如くキャバ嬢オーディション一次選考通過

小鳥遊キアラ氏、かつて乃木坂オーディションの一次選考通過の過去

・にじJP落ちた日本人さん、英語猛勉強してにじENとしてデビュー

2023-01-18

anond:20230118122109

体育会運動部ガチった経験ある奴の悪いくせ出てるぞ

大抵の大人に感心された自分経験絶対に正しいってマジで思ってるから周りに押し付け

親と折り合い悪い奴いたら「お前最低だな·····」とか漫画っぽいセリフで切り捨てる家族仲良い親孝行な奴と同じ

脳ミソ高校一年生なんよ

2023-01-14

anond:20230113173150

そーいやうちの中学色んなタイプ顧問が居たなぁ、30年前ぐらいか

そんなに強くないけど何故だかガチ若いコーチ職業不明)が居た部、顧問もやる気あり

体躯教師などやる気ある系がビシバシやってる部

運動部だけど基本顧問が来ないか上級生が仕切ってたり、仕切る気のない代とかはめちゃくちゃ適当になる部

モンペアみたいなのが居なかったのか、そういう人らの子供は花形部活に入るのでマイナー運動部放置されてたのか

anond:20230113173150

明治時代短期間で富国強兵を目指した日本

徴兵制度のための体育能力向上を学校に担わせた。

独仏は参考にならなかったので英国米国学校運動部方式を参考にした。

あくまで仕組みを参考にしただけで、英国エリート養成学校のいわゆる嗜みとしてのスポーツという精神や、米国スポーツ参加の平等性や公正性は無視された。

戦後の高度成長時期からは、学校運動部活動は、一部私学のマーケティングとして利用され、公立学校では非行防止の一環と位置付けられた。

しかしそういった真の目的ウラの話としてささやかれるだけだったため、合理的科学的なスポーツ環境は育つことはなかった。

そして、今回の地域移行である

十年以上前から国民スポーツする権利保障するため、地域スポーツの強化が国の計画で打ち出され、ヨーロッパ型の地域総合スポーツクラブを推進されてきたがうまくいかなかった。

そこに教員労働時間短縮をカネをかけずにやり過ごしたい国が、教員の代わりに地域押し付けようとという発想で生まれたのが、今回の運動部地域移行である

しかし、こんなもの成功するはずがない。

地域移行にあたっては、国民健康文化的生活向上にスポーツを活かすという本当も目的お題目として掲げられる。だが、真の目的が不純だからだ。

本当に地域移行しようとするなら、

本気でスポーツ国民根付かせ健康文化的生活向上につなげたいなら、

まずは大学実業団運動部廃止することから始めないといけない。

大学大企業では、もっぱら一部の者だけが利用するために、体育施設運動場が整備されている。

それらは、新法をつくり、無償地方自治体に贈与させたらいい。

大学運動部も結成自体結社の自由があるから設立活動自体自由であるが、彼らのために特別優遇措置を図る必要はない。いわゆる文化系サークルと同様の扱いをしておけばよいだろう。

私学にも国の助成金運営されているのだから運動部活動優遇措置継続させたい私学には、助成金ゼロにしたうえで、固定資産税はじめ高額の税を課せばよい。

大学一般教養の体育の授業で利用するためだけなら体育施設の整備は認められようが、せいぜい大学共同利用施設として整備されれば十分だろう。

もっと一般教養で実技としての体育の授業をすること自体に大いに疑義がある。なぜなら同年代大学進学をしていない者は、年に24コマの体育をする権利保障されておらず、大学生と職業人との間でスポーツ権に差が生じるからである

大学で実技体育を必修科目とするなら、労働関係法を改正して雇用者に対して従業員スポーツする時間有給保障させる義務を負わせるべきであろう。

次に高等学校運動部廃止すればいい。

理由大学と同じだ。

中学校運動部活動は、中学校義務教育機関であるため、大学高校とは異なる視点必要だろう。

12~15歳の者にとって、推奨されるべき運動量が、授業の体育だけで十分なのかは科学的に検証すべきであって、授業時間だけで不足するなら、それはやはり学校教育の場で対応するのがよいだろう。それも、運動部活動形態を取るべきではないのは言うまでもない。

そして、推奨運動時間を超える部分は、学校が行うべきではなく、他の行政機関社会体育として実施するべきものであろう。

高校中学運動部無料で利用できたが、地域移行により保護者負担が増加することや、地域移行の受け皿に企業進出することを懸念する声もある。

しかし、学習塾進学塾にはカネを出すが、必要以上のスポーツ活動にカネを出さないのは理屈が通らないので、そういう声は無視すればよい。

企業進出については現状やむを得ないだろうが、企業利用者(生徒・学生保護者)が直接契約するのでなく、あくま自治体教育委員会社会教育部門業務内容を決定し、それを企業委託し、利用者教育委員会に申込む、というスキームにすべきだろう。

そして、十年以上かけて、徐々に地域スポーツ指導員を育成し、市の正職員として雇用するなり、自治体出資スポーツ振興事業団職員として採用するなりしていけばよい。

まあ、いままで無償教員押し付けていたものを、他のスキームでやるのだから膨大なカネがかかる。

そこはビッグデータAI活用して、国民健康力がアップして医療費総額が何兆円減ります計算させればよいし、米軍思いやり予算ゼロにして軍事費GDP1%程度のままにしておけば何とか財源は確保できるだろう。

2023-01-13

部活動から先生を守るために

部活動は、中学校学習指導要領において「教育課程外の学校教育活動」と定められる。だが、校長から「お願い」されて、ほとんどの先生が何らかの部活動顧問をしているのが現状であるシングルマザーで、頼る人も周囲いないのに、運動部顧問になった人を知っている。

僕の感覚だと、部活動顧問をやりたくない人は相当の数いるのではないかと思っている。

それなら「お願い」なのだから拒否」すればいいという人がいるだろう。

インターネット上では、部活動顧問拒否する方法散見されるが、実際に拒否するのは、相当に肝が据わっている人だろう。

それは、みんなやっている顧問拒否したら、いわゆる「村八分」にされるかもしれないと思っているからだ。

教員集団は良くも悪くもチームで働く。村八分になってしまうと、様々な業務に支障をきたしてしまうことは想像に難くない。

ただ、顧問拒否したところで、本当に村八分にされるかは、わからない。「みんな自分と同じように我慢している」というのが前提となり、ノプティコンのごとく、「あいつは、みんな我慢しているのに拒否した」と思われることを恐れている。

また、先生たちの部活動に対しての温度差も大きい。部活動に意義を見出し、生きがいにしている先生一定数いる。とにかく何でもいいから認められたいという理由で、モチベーションが高い先生もいる。こういった先生を前に、「部活やりたくない。意味ない」なんて言ったら大変なことになる。だから、賢い先生部活動が好きなふりをしている。

また、部活動では、どんな先生でもモチベーションが高かろうが低かろうが、生徒や保護者から様々な注文や批判に晒される。同僚や管理職も味方のようでいて、保護者と同じように「クレームを入れられる先生が悪い」なんて言ったりする。

部活動顧問は、一種ガチャである。異動のタイミングで引くことが多い。というか、内部の人間は、うまく調整して逃げられるのだ。

僕も着任早々、なかなか前評判の悪い部活動顧問を打診された。というか決まっていた。

異動した先の部活動の前任者は、土日両方の朝から晩までやっていたらしい。しかし、実情は先生職員室にいるだけ、参加率も低く、適当練習に飽きた生徒は、時間つぶしに鬼ごっこをしているということだった。そこで、文部科学省部活動ガイドライン根拠に「練習は土日のどちらかを休みにする」「活動は3時間程度」にしようとした。

生徒たちは、その提案好意的に受け入れてくれたようだった。しかし、保護者からは、かなりの文句を言われることになった。「前は教務主任先生だった。力のない一般先生で残念」「先生はやりたくないんですよね」「素人でやる気のない先生に教えられて子どもたちがかわいそう」「教育者としての自覚がない」などと言われた。

おまけに、保護者が、僕が競技経験がないことを理由に、外部コーチ候補を半ば強引に連れてきた。そのコーチは、来て早々に「何、この意味のわからない練習」と保護者にこっそり言っていた。生徒の責任にするつもりはないが、当時の3年生の生徒と一緒に考えたメニューだった。

そのコーチは、競技界隈では有名な人らしいが、お断りすることにした。保護者はグチグチ言っていたが、とても一緒にはできなかった。

このような経験をした先生はかなりの数いるだろう。自分に置き換えてみてほしい。僕は、部活動で雇われているわけではないのだ。そのコーチに再び会うことがあったらこう言ってみたい。

あなた生業としてコーチをしていますね。では、あなたがお休みときに、5時間、みっちりと楽しく授業してください。5時間頑張ったら3500円支給します。ただ、あなた休みときは、すべてお願いします。あなたの都合で休むことは許されません」

如何に異常かがわかる。

結局、僕の異動1年目は、保護者管理職の声に押される形で、土日に練習を行うことになった。大会などで三か月休みがなかったこともあった。

そのことを、あるとき校長に話したところ「みんな通ってきた道」と言われた。学校管理職は、管理というものをはき違えているようだ。

こんな風に部活動顧問が嫌な人は、周囲をみんな敵と思い込み孤立を深めていく。保護者ダメ、同僚もダメ管理職ダメ部活に関わる外部の人もダメ

こういった先生たちが、置かれている状況を理解してほしい。部活動廃止した方がいいと思う。

2023-01-07

(追記あり)スラムダンク見てきたのだが安西先生が割とクソだった

安西先生は優しい監督のように言われているが、実は才能がない人に対して極めて冷淡で、ほとんど興味すらないと思う。調べると同じような意見結構出てきたので、スラムダンクファンの間では長く語られていたようだ。

スラムダンクリアルタイムで読んでいたころ、おれは10代だった。40代になり、自分には才能も何もない、安西先生無視される側の人間だと25年かけて思い知らされたいま、当時は気づかなかった安西先生の冷酷さが浮上してきた。レギュラーを取れない補欠としての人生が確定したような、苦い鑑賞体験だった。

追記(1/8 :9:58)

ブコメ等にいただいた内容を読んでの感想

b:id:littleumbrellas

スラムダンクを美化しすぎなんだよ。たくさん張った伏線を回収せずに終わらせちゃったのと同じで安西先生人間性のことなんて作者が何も考えてなかっただけのことだろ。

井上雄彦は一貫して安西先生を才能にしか興味のないキャラとして描いていた」「当時は気づかなかったが、その後の人生経験を経てそのことに気づいた」という話をしており、この人は真逆メッセージを受け取っている。まあおれ含め、読者は読みたいように読むもんである

 

b:id:rakugoman

平成初期の価値観に令和からマウントすんなよ。

この手の意見が多いことに困惑した。「いまの価値観から見ると違和感がある」みたいなことは想定していなかったので、なぜ大勢がそう受け取ったのかと不思議だった。

「ケガを放置するなんてありえない」という点を「令和の価値観」と受け取ったのかと考えたが、おれの感覚は異なる。例えば沖縄水産高校大野倫投手怪我を押して投げたことで全国的バッシングされたのは1990年のことで、当時からして「怪我人を強行出場させるなど監督失格」という価値観は定着していたであろう(そもそも安西先生本人がそう言ってる)。「令和の価値観批判するな」という人とは、この点の見解が食い違っているのかなと感じた。おれからすると「君らは平成のことがわかってない」となるのだが、まあどっちが正しいか検証必要であろう。

 

b:id:kohakuirono

個人的にあの桜木怪我した状況はいらなかったと思うんだよな。桜木選手生命を失うかもしれない自己犠牲の上に成り立たせた感動の試合みたいな展開にはして欲しく無かったんよ。

半分は同感なのだが、山王戦は感動ポイントもりもりのデラックスパフェで、そこにさらに「怪我を押して強行出場」という沖縄マンゴーを乗せて蜂蜜をかけるようなことをしたため、あれほどのエモーションを生んだことは否定し難い。おれが編集者なら(嫌いな展開だが)桜木怪我は切らない。サービスサービス

 

b:id:Erorious_BIG

安西って谷沢の一件で指導者を実質引退したんだろ。で、公立高校顧問のんびり隠居してたとこにとんでもない才能が現れて、急に昔を思い出してやる気になっただけ。

b:id:crimsonstarroad

安西先生やる気全然ない監督で、流川という才能が入ってきたからやる気出したんだよね。そんでさらまさか赤毛素人が同じくらいの才能持ってた。

この手の意見は同感。

 

b:id:osakana110

安西先生は優しい監督のように言われているが、実は才能がない人に対して極めて冷淡で、ほとんど興味すらないと思う。”昭和生まれ高校生の頃のの強豪校の運動部ほとんどそんなイメージレギュラー以外無視

ブコメでも描かれているが、海南の高頭監督なんかはかなり選手のことを見ていて、神や宮益といった人をきちんとフックアップして戦力に育成している。こういうバランス感覚のある監督を敵将として配置している一方、自軍大将いびつな才能の悪魔を置いているあたり、井上雄彦面白い点だと思う。作品瑕疵だと言いたいわけではなく、むしろプラス評価をしている。

普通科では論文を読ませなさい

一般に公開されている英語論文を読ませなさい

運動部ならスポーツのものを探してくるでしょう

受験目的化しないために

論文読書感想文を毎月書かせるのもいいですね

受験偏差値より論文偏差値を上げましょう

2023-01-06

言葉を操りAIに話しか質問する、自分動画教材を見つける、そんな学生は伸びる

人と話し人を動かし運動部で体を整え

授業はゆっくり休憩のように復習がてら真面目に聞いておけば完璧

先生だけのおかげですと言うことも忘れずに

授業だけで勉強は完結していると言ってその嘘を信じ込ませよう

競争相手を増やす

2023-01-03

大学運動部廃止から始めろ ~運動部地域移行をするのなら~

昨日今日大学駅伝が行われ全国放送されている。

夏休み春休みには高校野球も。

スポーツ科学不在の、このカネ儲けと浪花節集団主義運動部活動を眺めていつも思うのは

もう学校での運動部活動廃止したらどう?ということだ。


明治時代短期間で富国強兵を目指した日本

徴兵制度のための体育能力向上を学校に担わせた。


独仏は参考にならなかったので英国米国学校運動部方式を参考にした。

あくまで仕組みを参考にしただけで、英国エリート養成学校のいわゆる嗜みとしてのスポーツという精神や、米国スポーツ参加の平等性や公正性は無視された。


戦後の高度成長時期からは、学校運動部活動は、一部私学のマーケティングとして利用され、公立学校では非行防止の一環と位置付けられた。

しかしそういった真の目的ウラの話としてささやかれるだけだったため、合理的科学的なスポーツ環境は育つことはなかった。


そして、今回の地域移行である

十年以上前から国民スポーツする権利保障するため、地域スポーツの強化が国の計画で打ち出され、ヨーロッパ型の地域総合スポーツクラブを推進されてきたがうまくいかなかった。

そこに教員労働時間短縮をカネをかけずにやり過ごしたい国が、教員の代わりに地域押し付けようとという発想で生まれたのが、今回の運動部地域移行である


しかし、こんなもの成功するはずがない。

地域移行にあたっては、国民健康文化的生活向上にスポーツを活かすという本当も目的お題目として掲げられる。だが、真の目的が不純だからだ。


本当に地域移行しようとするなら、

本気でスポーツ国民根付かせ健康文化的生活向上につなげたいなら、

まずは大学実業団運動部廃止することから始めないといけない。


大学大企業では、もっぱら一部の者だけが利用するために、体育施設運動場が整備されている。

それらは、新法をつくり、無償地方自治体に贈与させたらいい。

大学運動部も結成自体結社の自由があるから設立活動自体自由であるが、彼らのために特別優遇措置を図る必要はない。いわゆる文化系サークルと同様の扱いをしておけばよいだろう。

私学にも国の助成金運営されているのだから運動部活動優遇措置継続させたい私学には、助成金ゼロにしたうえで、固定資産税はじめ高額の税を課せばよい。


大学一般教養の体育の授業で利用するためだけなら体育施設の整備は認められようが、せいぜい大学共同利用施設として整備されれば十分だろう。

もっと一般教養で実技としての体育の授業をすること自体に大いに疑義がある。なぜなら同年代大学進学をしていない者は、年に24コマの体育をする権利保障されておらず、大学生と職業人との間でスポーツ権に差が生じるからである

大学で実技体育を必修科目とするなら、労働関係法を改正して雇用者に対して従業員スポーツする時間有給保障させる義務を負わせるべきであろう。


次に高等学校運動部廃止すればいい。

理由大学と同じだ。


中学校運動部活動は、中学校義務教育機関であるため、大学高校とは異なる視点必要だろう。

12~15歳の者にとって、推奨されるべき運動量が、授業の体育だけで十分なのかは科学的に検証すべきであって、授業時間だけで不足するなら、それはやはり学校教育の場で対応するのがよいだろう。それも、運動部活動形態を取るべきではないのは言うまでもない。

そして、推奨運動時間を超える部分は、学校が行うべきではなく、他の行政機関社会体育として実施するべきものであろう。


高校中学運動部無料で利用できたが、地域移行により保護者負担が増加することや、地域移行の受け皿に企業進出することを懸念する声もある。

しかし、学習塾進学塾にはカネを出すが、必要以上のスポーツ活動にカネを出さないのは理屈が通らないので、そういう声は無視すればよい。

企業進出については現状やむを得ないだろうが、企業利用者(生徒・学生保護者)が直接契約するのでなく、あくま自治体教育委員会社会教育部門業務内容を決定し、それを企業委託し、利用者教育委員会に申込む、というスキームにすべきだろう。

そして、十年以上かけて、徐々に地域スポーツ指導員を育成し、市の正職員として雇用するなり、自治体出資スポーツ振興事業団職員として採用するなりしていけばよい。


まあ、いままで無償教員押し付けていたものを、他のスキームでやるのだから膨大なカネがかかる。

そこはビッグデータAI活用して、国民健康力がアップして医療費総額が何兆円減ります計算させればよいし、米軍思いやり予算ゼロにして軍事費GDP1%程度のままにしておけば何とか財源は確保できるだろう。

2022-12-31

anond:20221231151128

中学高校運動部の話でよ

先生仕事過酷すぎるからなくせと言われてるやつ

あれ元々は体力がありあまって暴れるヤンキーをならすために運動やらせたとも言われてるんよな

運動でへとへとになれば校内や町内で暴れる余力もなくなるんじゃないか

たぶんそれと同じ要素もあるんだと思うね

何するか分からん若者を預かる組織ならその子たちに運動やらせるのも一つの手よな

2022-12-28

久々に会った親友と話が上手く噛み合わない

 社会人になってから、なかなか休みが合わなくて、ずっと会えていなかった親友と久しぶりに会ってきた。

  

 彼女は昔と変わらない笑顔で「久々ー!」と手を振りながら駆け寄ってきたから、わたしも嬉しくて手を振りながらはしゃいだ。

 「やばい、いつぶり?」「確か3月最後、やばくない?」「そんな経つ!?

 肩でどつきあいながら、足は自然と馴染みのカフェへ向かっている。きっとお互いに、早く話がしたかたからだ。

  

 ランチドリンクの注文を済ませると、謎に「お久しぶりでございます」とかしこまった挨拶をして、近況報告会が始まった。

 …はずなのだが、何だかいまいち話が盛り上がらない。お互いに相手の話に上手く共感できない。

 あんなに一緒にいて楽しくて楽しくて仕方のなかった親友と久しぶりに会えて、積もる話もあるというのに、どこか、何かが違う気がしてならない。

 そして、わたしがそう感じるのは、今回が初めてではなかった。

  

  

 高校1年生のとき部活の入部説明会出会った彼女とは、今や8年目の付き合いとなる。

  

 クラスこそ違ったものの、オタク趣味や物の考え方、価値観など、話が合う点が多く、彼女とはすぐに仲良くなった。

 同じ運動部部員として、切磋琢磨する中で絆が芽生えた。合宿中には、他の部員を起こさない程度にひそひそと眠れるまで小声で話すことで、より仲が深まった。部活終わりには決まって駅近くの本屋に寄って、漫画の新巻を指差しては「これ面白かった」だの「この作者好き」だの「こういうの好きそうだよね」だのと語らった。休みの日には学校最寄りのカフェで落ち合って、ジュースサンドイッチを頼んで何時間もくだらない話をした。当時わたしが好きだったアイドル誕生日には、ホールケーキを買ってきて、教室で細やかにお祝いしながら完食した。

 彼女と過ごして楽しかった・面白かった出来事は、挙げ出したらきりがない。彼女わたし高校生活を語る上で欠かせない、かけがえのない存在だし、誰よりも同じ時間を共にし、誰よりも笑い合った親友だと自信を持って言える。

  

  

 高校卒業後は別々の大学に進学をしたが、月に1回程度はカフェに集まって、近況報告会をした。

 ひと月ぶりに会っても、昨日も会っていたかのように話し出しては、ケラケラと笑い合って何時間も過ごせるのがわたしたちだった。お互いに時間割もアルバイトシフトバラバラだったけれど、休みを合わせて何度も遊んだ

 学校のこと、アルバイトのこと、趣味のこと、日々のこと、家のこと、恋愛のこと。文字通り『何でも話せる仲』だった彼女わたしは、会えばいつだって話題には困らなかったし、どんな話にも「わかる」「それな」と言って頷き合っていた。

  

  

 「何かが違う気がする」そんな違和感を感じ始たのは、大学3年の頃だった。コロナ禍になって、誰とも気軽に会えない日々が続き、半年以上ぶりにようやく彼女と対面で会ったときだ。

  

 これには少し心当たりがある。コロナ禍で、彼女と会えなかった時期に、わたしには大きな転機があった。アルバイト先で恋人が出来たのだ。

 お恥ずかしながら、わたし大学3年になるまで恋人いたことがなかった。人生で初めての恋人。浮かれるなという方が難しくて、わたしの興味関心は恋人で持ちきりになってしまったのだ。これまで興味のあった漫画アイドルといった物事は、わたしの頭からすっぽりと抜け落ちてしまった。

  

 おかげで、彼女と会ったときに、話せる話題わたしには「恋人のこと」しかなかった。もちろん、だからといって彼女と何も話せない訳ではなく、彼女恋人に関することで話せることもあったし(彼女にも一時期彼氏がいた)、大学レポート課題やばいよね、多いよね、そんなありきたりな愚痴はお互いに共感できた。彼女継続して好んでいる漫画ゲームの話もよく聞いて、彼女は今そういうジャンルにハマってるんだなあと笑いながら相槌を打っていた。

  

 だけど、どこか、高校生のときように手を叩いて、心の底から「わかる」「それな」と言って笑っていたときとは、やっぱり違うような気がしていた。

  

  

 大学4年となり、就活卒論に追われる日々が続き、また2人で会えたのは大学卒業後の3月末だった。それぞれの就職予定の会社上、お互いの休みが合いそうもないことは分かっていたから、社会人になる前に会いたかったのだ。

  

 近況を話してみると、彼女は変わらず、漫画ゲームが好きなようで、最近ハマっている作品の話をたくさんしてくれた。何の情報も追えていないわたしは、どの作品も知らなくて、ただひたすらに新鮮な気持ちで聞くばかりだった。そしてわたしも、変わらず恋人のことで頭の中が持ちきりだったから、触り程度に恋人との話をした。なんだか、お互いに別世界の話をしているようだった。

  

 そのあとは社会人生活不安だねえと言い合っては頷き、卒論を書き上げたことによる解放感を分かち合ったりして、その日は解散した。

  

  

  

 そして、今日だ。

 社会人生活に慣れ、ようやく時間を合わせて会うことはできたが、話し始めてみると、いよいよお互いの話が噛み合わなくなってきた。

  

 まず、彼女漫画ゲームが好きなこと(新しく音楽アーティストにもハマっていた)。そして、わたし恋人のことをよく考えているのに、変わりはなかった。お互いの話にお互い「そうなんだねえ」と、なんてことない相槌を打つほかない。

  

 それなら社会人1年目、仕事の話はどうか。

 職種が違うため、業務に関する話で彼女共感できないことについては当然だから仕方ないとして、それ以外の些細なこと、例えば通勤一つとっても話は上手く噛み合わなかった。

 電車で片道1時間半の通勤をしている彼女と、車で片道20分の通勤をするわたし。「疲れているときの帰りの電車が辛いか課金して特急乗ってるんだ」と話す彼女に、わたし理解はできても、心から共感してあげられない。そして彼女もきっと「混む道路を迂回できる裏道を見つけると通勤楽になって楽しいんだ」と言われたところで、理解はできても、共感はできなかったと思う。

  

 それに、わたし社会人になると同時に一人暮らしとなり、家のことに興味を持ち始めた。自炊楽しい食器にこだわりたい、インテリアにこだわりたい。休みの日はそんな日々の暮らしを楽しんでいる。

 一方、彼女実家住みで、最近ネイルに凝り始めた。自分に合う色はこんな色、こんなビーズが可愛くて好み、こんなデザインに憧れる。今日休みの日に行うネイルのことを、とっても楽しそうに語ってくれた。

  

  

 彼女の話を聞くのは、好きだ。彼女が楽しそうなら嬉しいし、もっと聞きたいと思う。

 けれど、わたしが今彼女の話にしてあげられるのは、あくまでも理解しかなくて、共感とは少し違うのだ。

  

 だから、なんだか、昔ほど話は盛り上がらなくて、昔ほど「わかる」「それな」と声を上げて笑うことも少なくて、今日不思議時間を過ごしていた。いつもは夜遅くまで一緒に居るのに、18時半なんて早い時間解散してしまった。

  

  

 今日彼女と会えたこと、すごく嬉しかった。

 けれど、前のようにたくさん笑い合うことができなくて、寂しいような気持ちも強くある。彼女が遠く離れた存在になってしまったような感覚がある。

 大人になると、こういうことが起こるものなのだろうか。

  

 今日撮った写真カメラロールで振り返ると、カフェわたしアイスコーヒーを、彼女メロンソーダを頼んでいる写真が一枚ある。

 高校生の頃から、注文するドリンクは変わっていないのにな。

2022-12-26

anond:20221226233748

なんか男子校とか体育会運動部の繋がりっぽい。

いくつになっても俺たち失礼上等、怒ったらノリ悪いみたいなのが。

2022-12-22

anond:20221222185221

筋肉が無いとナメられるから運動部のくくりは必要

消防士自衛隊に進む人を妨げてはいけない

2022-12-19

anond:20221219143255

結婚できるかどうかなんて小学生の時にはもう決まってて

結婚出るようなタイプの男しか運動部に入らないからですね

チームプレイのある運動部出身の男が露骨に既婚率が高くて、帰宅部の既婚率が低いとかデータがあったけど、

チームスポーツって身体的な協調性必要で、非言語協調して進めるセックスが上手いんだと思う

あと帰宅部が駄目なのは意欲や体力がなくて低収入になりがちでセックスも下手なんだと思う

2022-12-14

ッスについて語るッス

ッスは、1954年サザエさん漫画版)で「す」文体が既に使われてたッス

その後1970年代運動部学生職人が「っす」を使い出したッス

1980年代に不良学生が使い、1990年代若者へ広がり、2000年代には女性も使い出したッス

敬語タメ口の間のような言葉で、嫌がられることもあるけど便利な言葉ッス

ポライトネス理論におけるポジティブ・ポライトネス(親しみを込めた礼儀)として使われてるッス

以上ッス

ッス(ありがとうございますの意)

2022-12-12

『THE FIRST SLAM DUNK』を観て来た。

僕のバスケ歴は割愛するが、一応、最低限はバスケを語れる資格を持つ経験者だ。

スラムダンク漫画は全巻持ってたし、連載当時に週刊少年ジャンプでも読んでいた。

でも、他にも色んな漫画をたくさん読んでいたから、特に好きな作品な訳では無いが、スラムダンクを語れる資格も持っている筈だ。

  

アマチュアスポーツには社会という壁が存在する。

プロ選手になるという夢が存在しない分、現実的な折り合いを付け易くなる。

社会人になった元経験者達が資本主義世界の中で大人になって、自分の取り組んでいたアマチュアスポーツを盛り上げようと画策する。

例えば、バレーボール

そこまで人気でもないのにも関わらず、毎年、日本では世界大会を開催。

マスコミが取り上げ、ゴールデンタイムテレビ中継。

試合中に今のスパイクは何mの高さだったと計測された数字リプレイと共に表示される。

人気に見合わない大袈裟演出は、野球サッカーと比べても遜色ない練習過酷さが当たり前のバレーボール経験者達がサラリーマンとして社会活躍しながら競技を後押しし続けた結果だと思う。

  

一方、バスケットボールバレーボールと異なり、野球と同じで日本に強い影響力を持つアメリカ合衆国の4大スポーツの一つだ。

サッカー野球バスケットボールは、日本戦後から続く海外への憧れを象徴するスポーツだと思う。

しかし、野球サッカーと比べて、バスケットボールはようやくプロ化に辿り着いたが、まだまだ日が浅い。

野球ほど社会的影響力は無いし、サッカーと比べて世界的人気は少ない。

からプロバスケ人気を盛り上げるための苦心の策として、 数年前にLEDパネルコートで行われたBリーグ開幕戦試合中継なのではないかと思う。

しかし今のところ、バスケは観るよりもプレイした方が楽しいスポーツだと思う。

現状の日本バスケ界に不足している重要ピースの一つが、世界観作りだ。

サッカーにおけるキャプテン翼のように、日本バスケ界でその一役を担うのが、この映画『THE FIRST SLAM DUNK』なんだと思う。

  

試合中継の未来カメラワーク

今のスポーツ中継のカメラワークは、どの競技も完成形だとは思うべきでは無い。

テクノロジー進歩と共に、見せ方は変わって来る筈だ。

ドローンなんて現時点のテクノロジーによる妥協産物に過ぎない。

モーションキャプチャーCG合成をリアルタイムで処理しながら無制限カメラワークコントロール出来る時代を待つしか無い。

それが実現するのは少なくとも100年先の未来になるだろう。

でも、CG作品ならば、フィクション試合を無制限カメラワーク演出することが可能だ。

『THE FIRST SLAM DUNK』は100年後の試合中継のカメラワークだった。

  

かつて映画製作を学んでいた僕は、映画を観るためではなく、バスケ試合を観に行くつもりで数年ぶりに映画館へ足を運んだのだ。

そんな僕の判断は間違ってないと思った。

  

話題になった声優問題

当初、ジャイアン声優の人が桜木花道であることを知って、困惑した。

ジャイアン襲名たからには、ジャイアンの色が付いて回る宿命スラムダンクに持ち込んで欲しく無いと思った。

けど、その問題杞憂だった。

監督リアリティを追求した結果、出刃庖丁を持った2mの巨漢が全国大会コート乱入する大事件はオミットされた。

桜木花道は終始、バスケ歴4ヶ月のフィジカルモンスターだった。

デニス・ロッドマンのものだった。真っ赤な坊主頭試合を引っ掻き回してた。

かつて緑川光が演じた流川楓も、味方にパスをしない異常プレイヤーだったし、寡黙なキャラに合った雰囲気さえあれば声優なんて関係なかった。

  

おかしかった所

1.いきなり三井寿がスタミナの限界に達した。

急展開過ぎる。

もう少しモーションキャプチャーの演技でスタミナ消耗の下降線を丁寧に描けよって笑ってしまった。

  

2.冒頭辺りの足音

バスケットボールを描くに当たって、ボールドリブル音、バッシュの音にしっかり拘りを持った演出をするのは明らかだった。

けど、屋外を歩くだけのシーンでも露骨足音を鳴らすのはやり過ぎ。この一点だけは偏執過ぎる。まさに勇み足だ。

  

3.桜木花道バイオレーション問題

僕の記憶が正しければ、バスケルールとして、敵陣のゴール下の台形ライン内に3秒間ずっと入りっぱなしだと、3秒ルール適用されて相手ボールからスローインになってしまう。

湘北高校オフェンス時の桜木花道の立っている位置は台形内っぽいことが多い気がした。

桜木花道は何度も3秒ルールを食らってないとおかしいと思った。

  

ラストシーンについて

渡米していた宮城リョータの出現にえっ!?と一瞬、頭が混乱した。

もしや… 例のアレを使ったのか...スラムダンク奨学金!

しかに劇中で宮城リョータほど相応しい人物存在しない。

というか、この映画自体スラムダンク奨学金のための伏線だったのか…と思った。

  

作品としては90点。

そもそも日本映画自体が50点。 良くて70点や80点。

その中での90点だ。

100点じゃない理由原作漫画を読まないと理解出来ないからだ。

当時、原作漫画を読んだバスケ経験者の親達は、この映画を観た感動を情熱に換えて子供と日が暮れるまで沢北の父親さながらの1ON1を続けるだろう。

原作者であり映画監督した井上雄彦は、バカボンドのヒット後にどこかの寺の襖だったか屏風に直筆を描いて日本画の領域進出した。

結果は散々。漫画所詮漫画であり、漫画絵が日本画と肩を並べることは叶わなかった。

ただ、映画世界では違う。

かつて、日本映画界はアニメーション映画日本映画として認めていなかった。

日本映画界が斜陽限界点を突破した結果、映画産業を水増しするためにある時期を境にアニメーション映画を渋々受け入れた印象がある。

日本アニメ界はファンタジー性や虚構に拘り過ぎている節がある。

リアル表現が出来るのに、敢えてそれをしない。

空想夢想固執して、リアリティと向き合わない。

から勝手3.11を風化している扱いにして傲慢アニメ作品で大プロモーションをしちゃったりする訳よ。

  

『THE FIRST SLAM DUNK』のようにモーションキャプチャー2Dライクな3DCGを使ったリアルアニメーションこそ、次世代日本映画だと思う。

  

ちなみに、小学2年生になる息子がいる。

高校時代山王戦でメガホンを持っていた奴らのような惨めな3年間を送った過去のある僕は、子供運動部残酷さを味わせたく無いと思っている。

でも、たまに、自宅の庭でバスケットボールを使ってドリブルパス練習をして遊んでやってた。

昨年、小学校の七夕に「バスケがしたいです」と書いていたことを耳にした時は狼狽した。

それ以来、バスケで遊ぶことを避けてしまった。

で、今回の映画鑑賞は息子を初めての映画館に連れて行った訳だけど、感想を伺ったらバスケに目覚めなかったらしく、内心ホッとしている。

2022-12-11

今思えばいじめられっ子だった私

私は女子校育ちだ。

小学校までは地域公立校に通っていて

私の地区はみんながみんなとりあえず私立受験をする風潮だった。

地元中学が荒れていて、少年院に入ったとか、髪の毛が青いやつがいたりそんなのが噂になっていたのもあったし勉強はしなくてもそこそこだったので母の勧めもあったし女子校へ通うことにした。

第一志望に落ちてしまったらあとはどこでも一緒という気持ちもあったし、なによりも自転車で通えるのが楽そうで良かったからだ。

今思い起こせば私は内部進学生から嫌われていた。

運動部に入って運動部お荷物だったのも原因かもしれない。

内部進学の子が4人、外部の子が4人。

バレー部は内部進学が5人、外部の子が2人。

バレー部はよく考えなくてもいじめをしていた。1人はやめた。

もう1人はいじめに加担することで身を守っていたのかもなあと今思えば思う。

1人敵がいると団結できるもんな。

運動部は内部進学生が強かった、

母親たちのバックアップという意味でも

それでも自分なりに雑用をし、自分なりに頑張ってきた。

そんな中、入院するぐらいの怪我をした。

下手くそバスケさらに下手くそになった。それでも辞めたら負ける気がして最後までやり切った。

なんでか中3だったと思う機嫌を損ねたかもう記憶にないが、内部生の中でも勉強は出来ないけど親は大金持ちという、攻撃的な子Aに嫌われて毎日お前の味方なんかいない、お前見てるとムカつく、他の奴らに言ってみろ殴ってやるなど色々言われて全てが嫌になったのを覚えてる。トイレに呼び出されてなんか壁に押し付けられたのを覚えている。

当時の私は細くてAは小太りだった。

このAは帰宅部だったのに運動部の中で君臨しようとする、実際には友達があまりいないタイプだったのかもしれない。

このままでは私の数少ない友達いじめられてしまうと思ったか親友と連絡を取らなくなった。

その当時流行ってたmixiとかCURURUブロックしたのだ。長文のTwitterみたいな使い方をしていた。

ジャニーズ大好きで一緒にコンサートもたくさん行った。今思えばなんで愚かだったんだろう。

わかってもらえなくても相談したらよかったのに。言ったら

親友でなかったのかもしれない。

その友人は部活高校に入るタイミングで辞めてしまった。

そのことで私はお揃いのストラップをつけるような友を失ってしまったのだと。

ジャニーズから離れてしまったのも私はこのタイミングだったかもしれない。

ただただ毎日その内部進学生Aが高校に進学出来ないように祈っていた。

実際進学できないと聞いてすごく嬉しかった。

もし高校も一緒だったら死のうとすら思った時もあった。

未だにそのAを見ると嫌な気持ちになる。

彼女高校には進学出来なかったにも関わらず大学時代部活仲間との飲み会にいる時があった。確か成人式にもいた。

私は嫌な気持ちを消せなくてそのAがいるとわかったら参加しなくなった。

部活同窓会にもなかなか行っていない。

Aがいなくなってからは私は普通に高校に進学し、大学へ行った。

高校はなにも大きな出来事はなかった気がする。

大嫌いな部活高校になったら気楽になった。

スポ根を味わえたし、私の基礎体力を作ったのでいい経験だった。

チームメイトとは普通に楽しく過ごせるようになった。

負けて悔しい、そんなことすら思えた。

Aは日本高校に受からアメリカに行ったらしい。

向こうからしたら中学までは自分ぬるま湯に浸かってだけでアメリカで開花したとのことだったが、私は未だに彼女を許せてない。

そんなAが子供を娘を産んだというのを聞いた。Facebookに欲しいものを全て手に入れたとか宝物だとか、子供にも人権があるとかこの子を守るみたいなことを書いていて正直不幸になって欲しいと思ってしまった。

最愛の夫はあなた学生時代いじめっ子だったのは知ってるのだろうか。

本人からしたらそんなことなんてあったっけ?みたいな事なんだろう。

同じように人をいじめ子供になるのか、はたまたいじめられる側になるのか、

女子校陰険だという話ではない。

嫌なことは嫌だし、何年経ってもやられた側は忘れないのにやった側はケロッと忘れてる。

しろ向こうからしたらお前が悪いんだろという案件なのかもしれない。

その時の周りはもうみんな気づいてないのかもしれない。

周りはいじめられてたっけ?と思うかもしれない。

世界狭いで今生きてる中学生の私に言いたい。

全て捨てたっていいんだよって。

部活も辞めていいし、学校だって変えたっていい。

勉強だってなんだってやればやるだけ自分の力になるんだから

何もかもが悪い方にいく気がする時は何もしなくたっていい。

そのままのあなたを好きでいてくれる人が1人でもいるなら幸せなんだよって。

それはその狭い世界はいいかも知れない。でも世界は広い。

無理に嫌いな奴と付き合わなくたっていい。

嫌いなやつといなきゃいけない理由なんてないんだから

それを認めてくれる人を探す旅なんだよって。

アンジェラアキの曲を聞いて号泣してしまった。

拝啓15歳の私へ

今負けそうで泣きそうなあなたより

15年後はあなたらしく生きれる友人を選ぶのが上手になりました。

このブログがもしバズって本人が読んだとして今更の謝罪なんて1ミリも欲しくない。ただ過去いじめていた側が、何も知らずに幸せになってほしくない。

いじめてた側は消せない罪を背負っていることを忘れさせたくない。

そんなどこにも吐き出せない想いを綴る。

そして同じような15歳に伝えたい。

いじめてくるやつがクソなんだって

2022-12-06

anond:20221206205742

まともに運動部に入っていなかった人は、引け目があるのでしょう

2022-12-04

仕事辛〜い

上手いこと職場に潜り込んだけど、先のことを心配したり他の部署交渉したりうまくいかなかったことの修正をしたり上司に遅れを説明したりするのが辛いよ〜

まり長期にわたって人間関係をやっていくのが辛いよ〜。俺が藤井聡太だったら将棋だけ勝ちまくればいいのにな〜。

今更人間関係耐性を上げられないか学校とかでもっと人間関係の耐性を上げる教育やっといてくれよ〜。

いやでもよく考えたら学校って人間関係耐性を上げる教育めちゃくちゃやってた気がしてきた。俺がそれに向き合わず嫌なことから逃げ続けてきただけや。

はてブはそういうの否定派が多いけどやっぱ運動部のやつとかは人間関係やっていき力やバイタリティが高いよ。俺もその精神状態にしてくれ〜

2022-12-03

anond:20221201172842

都心通勤圏で裕福な家庭に育って、

進学校運動部3年間やり通して、

名大通って友達も多い、

家族仲も両親の仲も良好、

でも出来心詐欺やって捕まっちゃいました……

みたいな若者って案外、こういう「性根が地獄行」ってタイプの親に育てられたパターンだったりするんだろうか。

戦術とか勉強するとたしかサッカーってのは面白いんだなと思うよ

でも大前提としてフィジカルボールセンス、つまり身体能力運動神経が圧倒的であることを求めているスポーツなんだと感じる。

その世界に身を置いているといつの間にか「運動神経身体能力もない奴は論外」という思想に染まるリスクが出てくるんじゃないだろうか?

実際に俺は、その価値観に染まったとしか思えないサッカー部の奴らに、体育の授業でボロカスにされた思い出を今でも忘れてないよ。

あっちに行けそっちに行け絞れ散れよく見てろと怒鳴られ、必死に走ってフラフラになりながら最後はうろたえている所に飛んできたボールが腕にあたってハンドを取られた。

当時の記憶はボヤけていて不鮮明だけど、あのときの腕の開き方を考えるとアレはそもそもハンドじゃなかった可能性のほうが高い。

そんなのもよく知らない俺はとりあえず謝ったし、周りも小学生だったので曖昧ルールで俺は退場させられた。

んでもって試合に負けた。

授業中のたった1試合に負けただけなのにサッカー部の奴らはひたすら俺に文句言ってきたし、最後には「お前なんて居ないほうが良かったんだから隅っこで立ってたほうがマシだった」と言いやがった。

かに足元の技術がおぼつかないような奴が変にフィールドに居るよりは、消えたほうがオフサイド心配とかは減るのかもな。

でも俺にそんなこと言われても困ったよ。

ただ元々運動神経が鈍くてスポーツが嫌いだった俺は、それをサボる口実に使おうと次のサッカーの授業で教師相談したんだ。

そしたらどうなったか

教師が怒り出したんだよね。

突然全員を集めて説教になった。

内容は覚えてないけど「運動ちょっと出来るぐらいで天狗になってるようだが、そこまで偉ぶれるほど上手くもないくせにえばんなよ」みたいな話を3分ぐらいしてた気がする。

んなことになるならそもそもサッカーをやるんじゃねえよって俺は内心思いながらそれを聞いてた。

普通にそれ以降もチームスポーツはあったし、毎回俺みたいな運動音痴があちこちのチームで足を引っ張っていたし、ソレに対して運動部の連中はキレ散らかしていた。

何も変わってない。

まあ実際ソレで良かったと思うよ。

もしも大きな変化があったら俺がイジメられる原因になっただろうから

でもやっぱ一度こういうことがあるともう無理だな。

もう俺はサッカーなり野球なりバレーなりやったり見たりする度にそのことを思い出す。

運動能力が低い人間から人権剥奪する装置」みたいな認識がずっと付き纏ってくる。

戦術の話を見るのは楽しいけど、試合を見ていて選手応援する気分にはならない。

どいつもこいつも性格の捻くれた戦闘力至上主義スポーツキチガイなんじゃないだろうかってよぎった瞬間に感情移入度が完全な0で固定されてしまう。

こんな奴らがニュースで褒められてるのだって本当は見たくないんだって気持ちが湧き上がってきてイライラする。

俺はサッカー楽しめないよ。

観戦でも楽しめない。

ぶっちゃけ他のスポーツもそうだけど、サッカーはその中でもとびっきりに無理なんだ。

サッカー部の奴ら、マジで嫌いだったわ。

中学だとテニス部の奴らがクッソうざかったけど、まあ中学まで行くと皆おとなになったのかクラス雰囲気でも「テニス部うぜー死んでほしいよね」って感じでウザさに対してのツケを払わされてる感じだったしなんか割り切れるんだよな。

小学校教室サッカー部はさ、なんかこう本当に誰もがコイツらに逆らえないような特権階級みたいなところがあって、人格破綻者なのに人気もあって、本当に手に負えなかったよ。

サッカー選手テレビで褒められて国を代表したヒーローみたいに扱われててるのを見ると、今のこの人達もまさに手におえないなあ、こんだけ凄いなら裏で何でもやり放題なのかなとよぎってしまうんだよ。

小学校トラウマから抜け出せてない俺の個人的感想にすぎないのは分かってるけど、論理を積み上げても感想は覆せないときには覆せないせいで、感情からこそ厄介だなと思うよ。

どうしたらいいのかは分からいから、結果だけ確認して職場では愛想笑いしながら「凄いっすよね。まあ俺あんま興味ないですけど」って感じで流してる。

サッカーなんかに必死になって暴れまわる人嫌いだからさ、自分サッカー嫌いなんかで暴れまわりたくないんだよな。

一段高みにいる気分にでもならないと、余裕が無くなりそうだよこの時期は。

2022-11-28

anond:20221128165503

フェミオタと呼ばれたフェミニストが怒り狂うと当時オタクいじめていた運動部員と同レベルになるっていうロジックだなこれ

約30年前“サッカーおたく„はサッカーファンが怒り狂う蔑称

サッカーおたく(サッカーオタク/サカおた/サカオタ)という表現電子掲示板2ちゃんねるのみで使われていたと言っても過言では無いくらい利用される環境が限られていた蔑称だった。
サービスで使われることもあったがほぼ2ちゃんねる用語みたいなものリアルサッカー好きへ「サッカーおたくなんですね」なんて言うと決まって言われた方のサッカー好きは不機嫌になったものだ。

特にその不機嫌となる傾向は国内サッカーだけでなく欧州サッカーをもフォローしているようなサッカーへ深い理解を持っているサッカー好きほど強く、何ならサッカーおたくと言われたサッカー好きは暴言を返すまであった。
その当時の国内サッカー普及度を考えれば欧州サッカーを知ってるサッカー好きなんてサッカーおたく以外なにものでも無いのだが自身オタクであることを決して認めないどころか怒り狂うほどオタクと呼ばれるのを毛嫌いしたのだ。

ちなみに野球好きはどうなのよ?と思うかも知れないが、“野球おたく„なんて言葉が登場する前から野球狂い„や“虎キチ„“ドラキチ„などという“野球おたく„の上位互換のような表現があったので、そのように呼ばれる野球好きは別に怒り狂うなんてことはなかった。
野球狂いなんて呼ばれても不機嫌になる人も居たが極少数だった。“アンチ巨人„なんてむしろ誉れくらいに思ってる人が居るような文化だったのだ。

今はTwitterなどでサッカーおたくやサカオタなどと検索すると普通に自称しているヒットするようになっており時代は変わるもんだなぁとしみじみ思う。
約30年前はサッカー部員が、というよりも運動部員がオタクいじめてたりもしてたわけだけど、20年くらい前、2ちゃんねる登場以降から状況が変わり始めて、今やサッカー好きもサカオタですよ。

そう言えば女子も“ジャニーズおたく„なんて言われると嫌がってたなぁ。
あぁそうそう“おたく„って当時は男性詞だったのよ。男性詞だったか女性おたくは“女おたく„だったわけ。

そんなことを考えると、これから1020年も経てば“フェミニズムおたく„って表現一般化したりしてね。
フェミオタの皆さん、同じオタク同士仲良くしようぜ?サカオタだってコチラ側に来たんだからフェミニズムオタク趣味の一部になれるよ。

anond:20221127181316

わかる……めちゃめちゃ疲れてる

バイタリティある人見てると運動部出身だったり運動が苦じゃない人が多いから、やっぱり運動して体力つけるのがいいのかなと思う

が、自分運動するとケガしがちで、ケガすると運動しなくなってまた体力落ちて……の繰り返しでほんとやむ

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