はてなキーワード: 運動部とは
中学校の合唱コンクールの練習で、私の前で歌っていた合唱部の子に一部分、音が外れてるから直せと何回も注意をされたことがあった。最初は直そうとしてみたのだけど何回やっても上手くいかず、たしか最後は声を小さくするか、口パクで歌っていたと思う。
その時に、音楽の先生に、注意されている事を話したら、CDを貸すから家で練習をしてこいと言われた。でも、その時に私は正直、学校の合唱コンクールでなぜわざわざ家にまで持ち帰って練習しなくてはならないのかと思った。もちろん、音楽の先生は練習してこいしか言うことはないだろうなと今なら分かる。
他にも、中学生の体育のリレー授業で、私の足の遅さが原因でペアの陸上部の子を怒らせてしまったことがある。
その子は別に怒っていた自覚も無いのだろう。ただ3年生の時期だったから内申点に響くのが不安でヒステリックに私にあたったのだと思う。中学生だから仕方ないと今は思う。
その子は仲間の陸上部の友達と3人で、リレーが終わる度、集まって、なんであの子のペアなの?なんで出来ないの?とか、私のことをこそこそ陰口を言っていた。プリントにはタイムを記入しなくてはいけないけれどタイムも見せてもらえなかった。3対1の圧で、当時の私は怖さと劣等感と恥ずかしさで、授業終わりまで涙を堪えることができず、リレーが終わり次第、授業終わりののチャイムが鳴るのを待たずに、体調が悪いと言って保健室に行き、泣いた。保険室の方が同級生に見られない、次の授業に遅れても大目に見てもらえると思ったからだ。
保険室の先生は優しかったけれど、そんなに泣くなら足を速くする努力をしたら?と言われた。でも、やっぱり私は、なんでそんなことに時間を使わないといけないんだろうと思った。相手が劣っていたらぞんざいな扱いをしていいのだろうか。
ここまでの話だと私は全く努力しない人間に見えるだろう。いや、実際私の努力なんて他の人から見たらゴミみたいなものの可能性だって大いにある。
こんな私でも運動が苦手なのに、結構ガチな運動部で毎日練習していたし、毎朝走る練習をしていた時もあった。水泳も泳げなくて授業で晒し者にされて、自分でプールに練習しに行った。(下手くそすぎて友人や知らないおじさんに馬鹿にされまくったけど)
進学後は絵が上手くなりたくて苦手なデッサンを勉強し、毎日授業後も残って描いていた。
苦手な接客がうまくなろうと、人と関わるバイトをしたり、発表のときに大きい声が出せるようにとカラオケで練習したり。
他の人の努力に比べたら些細なものだけど。(複雑で文章に出来なかったけどもちろんチームワークのために努力したこともあったよ。寧ろ、お節介だから、そっちの方が多いよ…)
何が言いたいのかというと、努力できることは人によって違うということだ。
私も、一応、苦手なものに立ち向かう意識はある。けれども、あまりにも苦手なことが多い人や、過去のトラウマで頑張る気持ちが潰されている人は、努力できない分類のものもあるのだと思う。
もちろん、なにもかも頑張ることができたらそれはそれでいいし、運動も勉強もリーダーシップもなんでもできる子はたくさんいた。その子達は努力していた。でもみんながみんなそうではない。一位がいたら最下位がいる。
社会に出たら、運動神経なんか必要なかった。なんでもできる子だけが輝いているわけじゃなかった。
今でも怒られたあの時私は、走るのを早くする練習をしなくてはならなかったのか?と考える。自分が選んだ道なら、ある程度のレベルまで引き上げる努力は必要なのかもしれないけれど、選んでもいない体育の授業、ましてや昔からからかわれて嫌な思い出しかない体育で、そこまで頑張ることはできないなと。私に強くあたったその子が美術の授業で足を引っ張っていたとしても(そんなグループワークはほぼないけれど)その子は改善する努力をするのだろうか。
結局は分からないけれど、
ただ私は逆上がりができない子がいても、絵が上手く描けない子がいても、勉強ができない子がいても、それを馬鹿にして揶揄う、ぞんざいに扱うような人が一番良くないと思っている。
できないことがあっても、無駄に劣等感を感じず、前向きに取り組める教育になっているといいなと思う。
【追記】
こんなに反応を頂けると思っていませんでした。なのでタイトルが大雑把ですいません。皆さんの意見、興味深いです。
体育は苦手でしたが、スポーツは好きで楽しめました。苦手なくせに、なぜか好奇心で部活をしていたから運動の楽しさを味わえたけれど、していなかったら味わえなくてもっと体育が嫌いだったのかなぁ。
最近の体育はタブレットで動画を撮って教え合うって聞いたことがあります。できないを揶揄するのではなく、できるように互いに教え合うって、最近の子は出来ないことがあっても対等の関係性を築けるのか。すごいなぁ、大人だなぁと。
タイトルは、努力は必要か?にしてしまいましたが、人に合わせて無闇矢鱈に努力することは必要か?できないからといってぞんざいに人を扱うことは仕方がないのか?ということが言いたかったのだと思います。結論を出すというよりは考えたくて、書いていました。
出来ないことがあるからってぞんざいに扱ってはいけないとか言ったけれど、私自身、相手に、なんでこんなことが出来ないんだろう?なぜ努力しないんだろう?と思い、腹を立ててしまうこともあります。でも、その人にとってそれは努力するべきことじゃないのかもしれない。実はそれでも努力しているのかもしれない。努力できる環境や、状態じゃないのかもしれない。自分の価値観で人の努力を測ってはいけないなと思ってはいます。
それでも、授業だと評価基準に努力点を入れるから何を見て評価すべきか難しいし、社会だと、もうちょっとなんとかならない?って人もいるし、努力してない人の支援は気持ちが進まないところも正直あるし…(でもそーいう支援はとても大事だとは思っている)なかなかハッキリと線引きはできず…
不安を煽られ、努力するのではなく、ポジティブに自分の理想のために努力できたら1番だなぁということをよく考えていたのでこんな古い昔の話を書きました。
あと、話は少し逸れますが、コメント欄にもあったように、私も努力のことについて考える時に障がいを持つ方を思い出すことがあります。
障がい支援にほんの少し携わったことがあるのですが、本当にその多用さに考えさせられました。良い場所だとそれぞれにあった支援をしていて、努力するための支えがしっかりしていて、そのような環境は、もっと他の場所でも成されるといいと思っています。
身内に障がいがある人がいたのですが、環境次第で大きく良くも悪くも変わったことがあったので…
長々とすいません。
これに触発されて。
https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2023/04/02/014016
前提として、
・給食費は別建てで引き落とし。およそ月5000円。
・制服は計50000円くらい。
・部活動にかかる用具代などは別途。
日本スポーツ振興センター掛金 500円
学年運営費・学級運営費 700円 → 教室の掲示とかクラス運営にかかるお金とか。使い勝手のいいお金が必要なのはわかるけど、これって保護者負担なの?公立中ですが……
生徒会費 3000円 → 生徒会運営に使われるのは微々たるもの。ほとんどが部活動への助成に充てられている。
中体連負担金 600円 → 運動部大会にかかるお金。学校の生徒数分を徴収される。文化部・部活動未加入の生徒も集金される。
同窓会費 500円 → 同窓会開かれてない。聞いたら使われずにプールされてるだけ。うちは高校じゃなくて「公立中」です。
PTA会費 3000円 → まあ普通の金額、と思うだろうけど、ここからの支出見るとなんと半分がPTA雇用事務員さんへの人件費!
体育文化振興費 3500円 → 部活動への助成。実質運動部の遠征助成に充てられている。
PTA安全会費 500円 → 保険代。会員は加入必須なのでわかる。
一日一円貯金 365円 → 学校施設の整備補修に充てられる。まあ使い勝手のいいお金が必要なのはわかるけど……PTAは学校の財布じゃないよ。
総計400万以上の予算を執行するために、100万円で事務員さんを雇ってる状態。PTA、お金で解決できるならwin-winじゃね?というのが実現してるよ!
ちなみに「学校徴収金」「PTA関連」一緒くたにして集められてるよ!
一斉集金は違法じゃないとはいえ、そもそも学校とPTAは別組織という意識は学校にもPTA本部にもありません。
百合豚は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かねばならぬと決意した。百合豚には政治がわからぬ。LGBTもSDGsも実際のところよくわからぬ。百合豚は、一介のオタクである。ウマ娘のトレーナーを女性に設定し、#女先生(ブルーアーカイブ)で検索をかけて、キャラクターたちのプレイヤーを相手取った感情を無理矢理百合に変換し、プロセカやらトワツガイやらを尊んで暮らしてきた。けれども邪悪に対しては人一倍、敏感であった。
百合豚はヘテロ作品が嫌いである。そうしてしかし、なぜ嫌いなのかが少し前まで判然としていなかった。百合豚は極度の女性恐怖症の態を表していた。百合豚を拗らせ過ぎて、男であるところの自分が女性と話している現実が受け入れられなかったのである。先の嫌悪の理由も、概ねそういう類の話である。
憐れむべきかな、百合豚にも性欲はあった。然して、男女のまぐわりは受け付けないので、女性同士や一人だけの、あるいは人間を介さないより倒錯的なものをも好むようになった。そうしてことが終わると、都合よく人間の性欲を否定するようなツイートをして暮らしてきた。
百合豚には、最早自分が分からぬ。自分が女性を愛するのは事実である。然し先の通り、自分が女性と、下世話な隠喩ではなく言葉の通り何かしらの関係性を持つのは到底耐えられぬ。百合豚は、自分は女性になりたいのかと深く自問したことがあった。それでも、これまた愚かな自分の趣向から知っていた女性を愛する女性の苦悩の事を思うと、それが途端に今まで自分が誠実でありたいと思っていた全てに対する不誠実に思えて、するともう、到底そんなことは考えられなかった。
今日未明、百合豚はついに激怒した。何者かもわからぬ漠然とした悪意に憤怒の限りを覚えた。或いは、それは誰からの悪意でもない、ただの鬱屈の塊かも知れなかった。ただ、何人たりとも生かしておけぬという殺気だけを持て余していた。
そうして、百合豚は走った。野を越え山越え、シラクサまで届かん限りの気概を胸に、三〇〇メートル走った。それだけ走って、百合豚はぜえぜえと息を吐いた。百合豚はヒョロガリのオタクである。中学高校時代を男子校で運動部に怯えながら暮らしてきた。人並みに走れよう筈もない。百合豚は人目も憚らず通りに横たわると、瀑布の如くおいおいと泣いた。浮かす枕も無いまま、こんこんとアスファルトを濡らした。そうして、最後に一つ絶叫すると、それを最後に、ぴくりとも動かなくなってしまった。
物心ついた頃から現在までのことを(ボカしやフェイクを入れつつ)時系列で書かせていただく。
N=1の話で恐縮だが、読者には少しでもADHDについて知って欲しいし、それにより社会の分断がなくなって欲しいと思う。
と、ここまで書いて思ったのだが、私は数日前よりADHDの治療薬を断薬しており、マトモに「書く」ことができないことに気がついた。数日ぶりに薬を飲むこととする。
父親について覚えているのは、しょっちゅう会社を辞めてしまうということだ。それも突然に。
何かが(主にカネ)キッカケで口論となる。
父親に包丁を突きつける母親。まだ産まれたばかりの弟を盾のように前に突き出す父親。
床にぶちまけられる牛乳。
弟が1歳の頃、「ハロワいけ!」と喋ったことを覚えている。母親の真似である。
机をくっつけて、隣の席の子にしょっちゅう見せてもらっていた。授業はまあまあ理解できていたと思う。
宿題に関しては「忘れる」というより「やろうとしても動けない」が正しい感覚。
テコでも動けなかった。
宿題の代わりに家で何をしていたかというと、デュエル・マスターズのデッキを組んだり、ミニ四駆のカスタマイズをしたり、スマブラDXをしたり…?あれ、そんなもんかな。当時何してたかな自分…あまり思い出せない。熱中すると深く深くどこまでも熱中し続ける性格だった。(過集中)
同じマンションに1つ下、1つ上の子供が何人か住んでいたので、毎日遊んだ。河原で秘密基地作ったりとかしていた。
また、男女分け隔てなく誰とでも遊ぶ子供であった。
違う。
(上で挙げたマンションの住人以外の)男の友達がどうしても出来なかった。
全く交流できないということではなかった。
同学年で話したことがない人は恐らくいない。
誰とでもそれなりの雑談ができた。
輪に入れはするが、誘われる人間ではなかった。
故に、常に疎外感を感じていた。
今になって振り返ると、原因は恐らく「自分の話ばかりして止まらない」から嫌われたのだと思う。
次第に、無理してグループにいなくてもいいと思うようになり、休み時間は教室でひとりでボーっとしていた。
見かねた心優しい女子グループが、自分を輪に入れてくれた。情報量0のどうでもいい雑談がとても楽しかった。自分が輪に誘われたことが、なんだか初めて他人に受け入れられたようで、とても嬉しかった。
通信簿の「担任からのコメント欄」には毎年「男女分け隔てなく仲良く友達がおり〜」と書かれていたので、客観的にはそう見えていたようだ。
地方なので中学受験をする人なんてひとりもおらず、当然のように地元公立に進む。
中学での成績は150/200あたりだった。
たまに一夜漬けの過集中が爆発して、50番あたりになった。
国、社、英は不得意で、理数が得意だった。
勉強をしない分の時間は何をしていたかというと、運動部の活動をするか、家のパソコンでニコニコやYouTubeを見たり、携帯を買い与えてもらえたのでモバゲーやMixiをやっていた。
高校受験は持ち前の過集中で上振れを引き、偏差値50位の公立情報系学科に滑り込んだ。
元がアホなので上振れしてもこの程度である。
なぜ情報系にしたかというと、自分専用のパソコンを親に買ってもらう為だ。
高校では朝読書の時間があったので、とつげき東北氏の「科学する麻雀」を何度も何度も読み込んだ。熱心に読みすぎて、本の小口が手垢で黒くなった。点数計算を覚えたり、チンイツの牌効率を考えたり、24時間麻雀のことを考えていた。
この頃はもう自分の行動を制御できなくなっていた。自室のPCで毎日朝までニコ生をしながら天鳳を打っていた。学校の授業は全部寝ていた。教師は注意しても無駄だと悟ったようだった。自分の人生は天鳳の段位とレーティングが全てだった。
謎の過集中で競技プログラミングが少し出来たので(当時はchokudai氏もまだ大学生で、AtCoderもない時代だった)、大会に参加して何度か受賞するなどした。
その後、持ち前の過集中により小論文と面接を突破し、AO(アホでもオッケー入試)により近所の私大に滑り込む。
麻雀への情熱は大学に入っても変わらず、1限どころか2限3限も出席できなかった。たまに講義に出ても何も分からなかった。
情報系科目だけはテストだけ出て100点を取るという天才ムーブをかました(自慢)。
麻雀サークルに入った。楽しかった。今でも付き合いのある友人が数人できた。
2年次が終わった時点で16単位しか持ってなかった。中退した。
バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳が社会に放出された。
なんていうか、普通に死のうと思った。
ある日、ふと一回死んだ。
自○未遂をしたということではない。
自分は今死んだ。そして新しい自分が今生まれた。そう思うことにした。
どうせ一回死んだのだから、もう好きに生きよう。
それでなんともならなくなったら、生活保護でも受けよう。
一応、親は家に住まわせてくれた。
速やかに就職して家を出ろということだったので(言われなくてもそうするが)仕事を探し始めた。
やり方がわからなかったので、若者向けハローワーク的な所に行った。色々親身に相談に乗ってくれて、クソみたいな人売りSIerを紹介していただき、内定が出た。
自分に内定が出るということは、「バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳に内定を出さざるを得ないクソ企業」であることが導かれるのである。
人売りのクソさを書くと主旨がブレるので割愛する。
自分が特別社会に適応できなかったのかは分からない。他にも大勢辞めていたから。
この辺で(不快になる方もおられると思うので大変恐縮なのだが)所謂理解ある彼女ちゃんが突然地面から生えてきて、家を出て2人暮らしを始めた。
会社を辞める前に人生初の精神科に行き、うつの診断書を書いてもらい、色々金に困らないような諸手続きをした。こういう手続きは自分では何もできないので、理解ある彼女ちゃんがサポートしてくれて本当に助かった。
うつの治療で通院する中で、医師よりADHDについて指摘された。
3割負担だとバカ高かった。1ヶ月分で5000円以上したのではないだろうか。当時はジェネリックがなかったと思う。無職にはとても支払えなかった。
脳の中の話なのでうまく言語化するのは難しい。
今まで自分は文をうまく読めなかった。
脳のメモリが小さいので、読んだ瞬間内容を忘れてしまい、戻り読みばかりしていた。
また書くのはもっと苦手だった。いくら考えても頭にモヤがかかり、表現が出てこなかった。
そして計算は最も苦手だった。一時的に何かを記憶しておいて、他のことを考えるのが無理だった。
プログラミングが得意だったのは、自分で計算する必要がなく脳のメモリがあまり要らないからだろう。
皆これが普通だと思っていた。
薬を飲む前は苦手だとも思っていなかった。
当然みんなもそうなんだと思っていた。
こんな「脳縛りプレイ」で学生生活を送ったら、そりゃ、こうなるわと思った。
薬を飲んでからは夜更かしが減った。
アホみたいな情熱に突き動かされることはなくなったが、その方が穏やかで心地よかった。
人生も徐々に良い方向に向かった。
長々と書いてしまった。
もし読んでくださった方がいるのだとしたら、とてもありがたいと思う。
自分はADHD当事者として、発達障害で苦しむ人の気持ちが分かる。
「○○ができないだけでしょ?」「やれないっていうかやろうとしてないだけでしょ」のような反応を見ると、心が痛む。
しかしながら、発達障害はその「できない」「うまくやれない」があらゆるライフステージで常に足枷となり、人生全体に負の影響を及ぼし続ける。
そして大人からは常に怒られ続け、自己肯定感もなくなり、「自分の可能性」を信じられなくなる。
その一瞬だけではないのだ。「常にその状態が続く」ことによる不利が、生まれた瞬間からその人にはあるんだということを、できれば理解してほしいと思う。
そして、今小さい子供を持っている親に言いたいこと。
もし子供が何かをできなくても、その全てを無条件に受け入れてあげてほしい。
そして、もし発達障害の疑いがあるなら、早い段階で医療にアクセスしてほしい。
・「俺たち、最高だったな」のセリフいとエモし
ずっと組むっていうのがない〜の下りと
掛け算で感情にきた
あの3人が組んだ1年は時間的に見ると短い一時だったけど滅茶苦茶熱い完全消化、今後生きてくのに焼き付く時間だったんだなあって
東大的な大学にガチガチの運動部やりながら現役合格するのすごすぎ
早稲田やったわどっちにせろすごすぎィ
普通の人だったら「そんなに早く上手くなる訳ないじゃろ!」ってなるけどこの人ならまあ…ってなる
「ようやっとる」グッ と
・ピアノの人、あざてえよ…
こんなん好きになるやろ…
「ちんちんでか男」みたいな名前になってなかった?違う?そっか…
・ピアノの人、「ピアノやるならそんな指傷めるリスクの高い所じゃなくて接客業とかやればいいのに」と思ったらアッ
・所々挟まれる「当時を振り返って〜」ターンで不穏になった この時間は…永遠じゃないんか…?
・色んなおじさんが沢山出てたまに「このおじさん誰?!誰なのぉ?!」ってなった
公開初週の日曜だったか原作ファンっぽい一人鑑賞おじさん勢が多い印象
・モブサイコの監督の人って聞いてほえ〜せなんや〜と思ったら思ったより共通点あった 演奏シーンのカラフルな波とか異次元に連れてかれる感じとか
・主人公の演奏に魅せられると一瞬金色にピカッってなる演出、カッコイイ
原作読んでみたくなった
追記)
よかった
一緒に行った人が「初ライブの演奏以降、良すぎて自然に涙がでてきた」っていってて映画すげえや!ってなった
お客さん、やっぱ40〜60代位の男性が多め
2回目だと初ライブが「ぴったり合ってない」感じに聞こえて、ライブを重ねてくにつれて音がぴったり合ってくのがわかって面白かった
1回目だと「初ライブから上手いじゃん!」ってなったけど2回目だと「ピアノとサックスそれぞれ上手いけどなんか慌ててる・走ってる・いまいち重なりきらない上手い音+滅茶苦茶パニクってがんばってるドラム」って感じだった
親世代の人が「10代の子供の胃袋は怪物」などと爆食レポートをあげているけど
ふと自身の体験を振り返っても、自分の記憶の中で大量に食べていたってのが殆ど無いことに気づいた
ご飯2人前を食べるとか1時間もすればお腹が空くとか、そういうものが見当たらない
運動部に入っていたからそれなりに体力使っていたはずなのに、なんでだろう
果物はよく食べていたけどそれ以外に何をどれだけ食べていたかというものが抜け落ちている
よく考えると自分の食生活は外食中心で家の中で母親が作ってくれたことがあまりないことに思い当たった
だから場所は覚えているけど食べたものに特別な思い出がないんだろう
家庭の味というものがなく、楽しい食卓を囲むことがないとこうなるのか
それにしたって外食の思い出があるはずなんだがな
この増田はVtuberの切り抜き見てる程度の一般視聴者増田だよ。業界人でも自分でVやってるわけでもないよ。
そういう増田による認知メンタリズムが見たい人だけよろしくね。
個人Vといってもぽこぴーとかの有名Vをカウントしてもアレなので、登録者数が多少あっても知名度は高くない、ブレイクしてない個人勢。
■顔の良い男V
■バ美肉
■ガビガビ3D男V
地獄個人Vtuber増田(以後ジゴマスと呼ぶ)が挙げてくれた個人V六大地獄の類型のうち、ジゴマス自身はどこに属するのか。
いちばんマシな表現されているのは【友達系一般女V】。つまりこれがジゴマスの姿です。
最初に【オタクペ●ス逆撫で女V】を持ってきて長々と怨念を述べた後に、【友達系一般女V】はマシな地獄とさらっと流して
過度な性アピールもしてないのにセクハラリスナーがやってくるのでブチギレてる様子が目に浮かびます。
ところでペ●ス逆撫で、ってなんやねん。逆撫でされたら気持ちを害するだけだろうとはじめは思ったんですけど。
順撫で逆撫でどちらでも気持ちがよくなるので表現に問題はありませんでした。偽マフティーも陰茎が苛立つと言ってました。
おっぱいはデカいほどいいみたいなのが最近とくに増えてるのは、一時期あった未成年設定のASMRバン対策なんじゃないですかね。
>声はガビガビで耳が痛くなるし、サムネイルも大体終わっているので基本的に客観的に自分を見る事ができないんだと思う。
発声ができてないオタク+マイクなどの配信環境に金かけてない+自分を客観視できないバ美肉。ガワの作成でお金尽きたんでしょうか。
ガビガビ画像系は、低解像度の画像を拡大表示したようなものと推察します。
残念ながらというか幸いなことに増田の観測範囲にはひっかかってこないので実態不明です。
アバター簡易作成アプリあたりの仕様なのかPC関係に詳しくないのか、それでも配信できてるなんて偉いですね。
ダサイクル、は念のため解説すると身内での褒め合いに終始して、向上心がない閉じたサイクルのことで「それ町」で提唱された概念だった気がします。
(追記:ブクマで指摘があり「それ町」ではなく「ネムルバカ」だったようです。紺先輩が言ってたという偽記憶を植え付けられていました。)
初戦敗退常連で定時下校の運動部、楽器持ち寄って格好は作ったものの上達は目指さないバンド、幽霊部員や帰宅部員の暇つぶしスペースと化した文系部室。
そういうところに向上心に溢れた新人が入ってきて衝突して、環境を一変させる。物語の始まり感ありますね。
そこらへんのVはお互いの配信を見に行ってるだけで何の向上心も無いんだから。
つまりジゴマスはアイドル志向の個人V。他人を蹴落としてでも自分だけはなんとしてでも売れてやるという向上心の塊。
向上心の塊のジゴマスにとっては、コラボできるレベルの個人Vとのつながりは欠かせません。
嫌いなVなら見なきゃいい、という視聴者目線の話ではなく、友達面して繋がったり
関わり合いになってアウトかセーフか見極めるためにも多少は見る必要があるのです。
しかし、数字にはこだわらないが出会いにガツガツしている男性Vは邪魔ですし
滑舌悪いバ美肉の介護も、スカムな発言で毒舌を気取るイケメンのフォローも大変です。
音量低いメンヘラとのコラボも扱い困るし、巨乳人気個人Vとコラボすると視聴者吸われます。
視聴者だってマイナーな個人V見てる奴はなかなか一癖ありそうです。
とかく地獄は生きにくい。
認知サイコリーディング増田は、そんなジゴマスさんが大手事務所の難関倍率を突破して年齢経歴も偽り
地獄の方では地獄のようなAPEX祭りとか流行りのゲームに急いで飛びついてはなんとかクリアして操作に習熟したころには
歌が上手ければVシンガーとして歌配信中心で時折自分の好きなゲームする程度で人気集めている人も居るのですが
みんなが皆歌が得意ではない。
自分の得意なことに特化し、生配信ではなく動画中心にして、同業Vとのつながりも控え目で自分のペースでやってる人もいます。
というかVtuberの定義がどうのというよりアバターとして別段珍しくなくなってきましたよね、もう。
生身とVの両輪で活動している人も多い。
ところで、ガンプラ組み立てが女性配信者で増えてるの何なん?カラオケで親父向けの持ち歌覚えるようなもの?
この流れで具体名出すかどうか迷ったのですが、出自も出自ですのでセーフだろうと。
かつてある人物がVtuberアバターを発注しました、しかし製作者さんがVtuberアバター一式を完成させた時
怒った製作者さんは作ったものの行き場をなくしたVアバター星野ニアを希望する方に無料配布しました。
条件は星野ニアを名乗ること。こうして数多の星野ニアが生まれ、先行してたまたま星野ニアというハンドルで活動していた方
とのコリジョンなどもありながら、多くは早々に飽きてあるいは数字が伸びなくて辞めていきました。
そんな星野ニアの中でパズドラ特化Vの星野ニアは登録者12万を超えて現在も活動されています。
パズドラはご存じスマホゲー黎明期からあるモンストと並ぶご長寿コンテンツで10周年を超えたくらいですかね。
界隈の登録者数の規模は、公式チャンネルや公認プロが30万程度です。
2021年からの途中参入で数字を伸ばしているのはなかなかすごいと思います。