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はてなキーワード: 行商とは

2020-07-12

ウイルス臭いから窓を開けろと社長に言われて、あわてて窓を開けると、雨混じりの湿った空気事務所に入ってきた。窓の外は隣の雑居ビルの薄汚れた壁しか見えない。

いままで気づかなかったが、言われてみるとウイルスっぽい臭いがかすかに漂っているようだ。社長くらいのレベル感覚が研ぎ澄まされると、ごく微量のウイルスでも嗅ぎ分けて避けることができるから絶対感染しない。まだ私はそのレベルに達していない。

からいつもトルマリンペンダントを身につけて温めておけと言われている。温め続けることでペンダントから電磁波が出て身体作用し、細胞ウイルスを殺す力が増幅される。細胞活性化されることでウイルスへの感度も上がっていき、ウイルス特有臭いも嗅ぎ分けられるようになる。当然、感染リスクも下がるというわけだ。

基本に忠実にやることなんだよ、と社長は爪を切りながら言う。これは社長の口癖のようなものだ。トルマリンペンダント毎日使い続けるだけで、誰でもウイルス臭は嗅ぎ分けられるようになる。こんな安い投資はないと。

そのはずなのに、今のところ販売では苦戦している。先月はポスティングを使ってチラシを撒いた。かかってきたのはいたずら電話1件だった。某フリマアプリはいままでに55個売れたが、除菌グッズとして売っていたら先週アカウントを消された。

トルマリンペンダント販売戦略どうなってるの、このままだと今月は業績、未達じゃないの。隣の席から係長が圧をかけてくる。

係長が扱っている商材は、集団ストーカー防止パッチという器具で、スマートフォンノートPCに貼っておくと、集団ストーカーが使ってくる電波を遮断することができる。一時期は中国メーカーから送れなくなって欠品していたが、流通が再開してからは、オンライン店舗を中心に安定して売れている。係長はしっかりインセンティブも確保しているから、こちらにちょっかいを出す余裕があるというわけだ。

そろそろ出前頼もうや、と係長ソリティアをしながらいう。だいたい私が黒電話の脇に置いてあるメニューを見ながら注文することが期待されている。

会社では最近出前が流行っている。外へ食べに出ると混んでいるわ、へんなプール臭いミストを吹きかけられて、サラダキャベツみたいに消毒されるわで、嫌になっていたからだ。

なんとかイーツというのも使ってみたが、配達員の格好が社長は気に入らないらしい。なんだあの魚の行商みたいな大袈裟背負子は、普通に出前にしろや、出前、というわけだ。

社長社長。出前、何がいいすか。係長が呼びかけても、社長自分肩にせんねん灸をすえるのに忙しい。「もぐさ」のにおいが事務所に漂う。

社長

三度目の呼びかけでようやく「冷やし」と返事が返ってくる。

じゃあおれも冷やしで、と係長ソリティアの画面に向かったまま言う。私は黒電話の受話器を取り、ダイヤルを回す。

「すいません、出前で、冷やしオメガラーメン二つと、天津飯お願いします。あ、お宅の四軒隣のビルの、梶田興業です、はいよろしくお願いします」

これで今日も昼は来る。午後からは、トルマリンペンダントの売り方をなんとか考え出さねばならない。やや気が重い。

2019-11-28

anond:20191128133720

未婚も離婚も多く、独身男性が多く暮らす町・江戸からこそ芽生えた文化というものがある。

自炊をしない独身男が多かったからこそ、世界のどこよりも早く17世紀には外食産業確立した。

寿司(すし)や天婦羅てんぷら)、蕎麦そば)などは、当時は移動式屋台で売られ、今でいうファストフードとして栄えることになる。

居酒屋という業態発明されたのもその頃である

食にうるさい江戸の男たちのために、今のグルメ口コミサイトミシュランに当たる料理茶屋番付表」なるものも配られていた。

から一歩も外に出ることなく、必要食材料理は「棒手振り(ぼてふり)」という行商から買うことができた。

今でいうデリバリーフードサービスである江戸独身者たちは、モノを所有せず、必要な時だけ借りるという消費形態を好んだが、それはまさしく今のシェアリングエコノミーのものだ。


現代東京秋葉原で隆盛を誇るアイドルビジネスメイドカフェビジネスも、原型は江戸時代にあった。

アイドル写真集とも言うべき浮世絵美人画)や、マンガに相当する黄表紙という本のジャンルもこの時代に生まれた。

江戸独身男たちは、未婚のまま生涯を終え、確かに子孫は残せなかった。

しかし、彼らはその代わり、今に続く、世界通用する文化をたくさん残したと言えるのだ。

おもしろいw

2019-05-30

田舎幹線道路沿いに出没する果物行商

国道でない幹線道路でよく見る。

いつも同じ場所に店を出す。

住んでる東海地方のいろんなとこで見た、他は知らない。

キロ手前から看板を置いてる。

看板手書き書体がどこ行っても似たような感じ。

フルーツの他に秋はマツタケとか出してる。

九州ナンバーとか停めてある。

あれ盗品なん?ググってもよくわからなくて怖すぎる

2018-11-18

anond:20181118205819

能がないってゆーか

当時は工具も全部木製で

今ほど効率よく農作業ができなかったわけさ

種まいても発芽率がすごく低かった

ビニルハウスもない、ガラスもないから温室・ハウスもなく

植える前の苗も作れない

種まきなわけね

作業はほぼ人力

運がよくて牛馬がいるレベル

大規模な土木建築ができないか

千枚田みたいな土地が便利だとされたのね

現代においては運搬用車両も通れないし、農地トラクター入れられないか放置されつつある)

んで手工業は秋~冬の農業ができないとき

米の茎の部分や、さつまいもの茎なんかを加工して行ってた

ALL人力でどこまでの数の茎を入手できるかどうか考えてほしい

さらには、昔はスーパーあったわけじゃないか

肉はわなを仕掛けてちょくちょく見回って運よく捕まえられるレベルだし

欲しい野菜は他の農家交渉するか、行商から買うとか

野菜ごとに別の人と交渉しないといけないレベル

魚は自分で取りに行く

当然歩いて移動するので時間クソかかる

生活時間がかかるので、

現代みたいに効率よく手仕事なんてできないんだよ

照明もないからね!!

2018-08-27

マックを食べると、120バーツ=380円くらいする。

タイ人女子学生それを普通に買うのに、白人が好き好んで、より安い物を買い求め、食事を取っていくのを見ると、なぜか辛くなる。

少し通りを出れば、オッさんが一日中同じ場所道路に座っている、スラムとはいえ、いざ格差というものに直面してしまうと、切ないものだ。

かに日々、勤勉な人たちが富を得ていくのはいいとは思う。しかし、いかにも貧しい路上生活者たちがいるのにそのままというのはやはり違和感を感じてしまう。

もちろん、本人の努力不足で自己責任と言い切ることができるし、好き好んでやっているのかもしれない、そういう人にも寛容ということだけなのかもしれない。そういう社会なんだろう。

実際のタイがどうかはわからないのだが、少なくとも日本はそういった社会ではない。ホームレスはいるが、あってはならないという認識がある。

仕事がないのだろうか。確かに食べ物行商タクシーは多すぎる。これは年収も低いだろうなと。しか若い人まで。仕事にこだわりがないとは聞くけど、いかにも金持ってなさそうなおっさんやおばさんを見て、将来を憂えないのだろうか。

日本人手不足だというのにな。不衛生になりやすく、どうでも良くなってしまうような気候も影響しているのかもしれないが、常夏なら寧ろ、管理やすそうな気もするけどね。

ただ、国民性は温厚で大変よろしいと思う。詐欺も少なく、大半の人は親切だ。寺院王室モニュメントに近づくと自然と手を合わせるその様は美徳だと思う。感謝だとか、尊敬だとか、しばしば、日常生活から遠ざかりがちな温かい心を取り戻せる。彼らが手を合わせる姿はそうした心を大切にしていることを覗かせてくれる。

民族国家ならではなのかもしれないが、こうした国民統合象徴を愛する行為はその国民が愛を感じやすくさせる効果があると思う。

民族というアイデンティティを消耗するのではなく、敬意を払うことで、ほんの少し、人は幸せを噛みしめるようになれるのだろう。反対意見もたくさんあるだろうから、心の中だけに留めることになってしまうだろうが、こうした、チャンスはフルに味わさせてし、幸せに生きたいものだと、私は思う。

2018-06-20

anond:20180620121738

http://megalodon.jp/2009-0724-1941-48/www.sankei-kansai.com/2008/10/07/20081007-002852.php

秋の収穫を迎えるころになると毎年、青森県弘前市から大阪新聞社にリンゴが届けられる。このリンゴ大阪府内の福祉施設クリスマスプレゼントとして贈られる「善意リンゴである

大阪新聞が贈り物の橋渡し役をしている。

善意リンゴは、13年前の 「リンゴ事件」 がきっかけで始まった。

昭和59年4月23日、大阪京阪天満橋駅前。青森からトラック行商にきた人が、はるばる運んできた赤いりんご80箱をトラックの荷台に積んで売っていた。

桜の季節で、駅前は近くの桜の名所、造幣局の 「通り抜け」 に訪れた人たちでにぎわっていた。

事件はその人が、電話をかけるため目を離したわずかなすきに起こった。

リンゴの山に、「試食をしていただいて結構です」と垂れ幕がしてあった。それをみた人が、つい一つ、手にした。

リンゴはただやで」ということになり、1個どころか何個も手にする人が出た。

「押さんといて」。群集心理に火がつきトラックの前には身動きもできない人だかりがした。興奮してかリンゴの山にのぼり、人がきを目がけてボンボンリンゴを投げる背広姿の男の人もいたという。

千数百個のリンゴはアッという間になくなってしまった。

かえってきた青森の人は、ぼうぜんとした。最初は何が起こったかからない。

http://megalodon.jp/2010-0412-2052-49/www.sankei-kansai.com/2008/10/07/20081007-002853.php

被害総額40万円。

「いまさら警察に訴えてもしかたがない」と被害届も出さなかったが、マスコミに「大阪は本当に怖いところ」ということばを残して帰った。

大阪新聞は、事件の発生から3日後に「大阪良識を取り戻そう」キャンペーンを展開した。これが当時の佐藤編集局長の発想である

「いまからでも大阪良識を取り戻しましょう。持ち帰ったリンゴの代金を支払うのも反省の証の一つです」と代金の支払いや寄付を紙面で呼びかけた。

キャンペーンは大きな反響共感を呼んだ。

天満橋サラリーマン」を名乗る人からは「事情が分からず、4個拝借しました。申しわけありません」と代金の倍額の2千円を届けてきた。「大阪イメージダウンになるのはたまりません」と10万円をボン寄付する団体も現れた。

青森出身の舞踏家江口乙矢さんも3万円を寄託。寄金は31万2500円に達した。

現地の希望に沿い、交通遺児のために役立ててほしい、と編集局長弘前市役所を訪れて、大阪市内の幼稚園児が描いた200枚のリンゴの絵とともに福士文知市長に託した。当の被害からは、「大阪人の真心に触れることができました」と手紙が届いた。

大阪弘前の両市が市制100年を迎えた平成元年からは、府内の福祉施設へのリンゴ寄付スタート。そして平成9年も10月23日、市内のホテル金澤弘前市から大阪新聞社に20ケースのリンゴが託された。

昭和55年の毎日新聞じゃなくて昭和59年の大阪新聞(後の産経新聞)やし、

記事中にもあるとおり群集心理で「無料で取ってもいいもの」と思われただけで、

しか大阪めっちゃ反省しとるやんけ。

嘘ついてまで大阪人を貶めるなんてとても同じ国の人とは思えへんわ。

2018-03-22

サーティワン

嘘松ってなんで嘘松っていうのかな?

って何気なくひとり呟やいてたらさ、

隣のJKが、昔、福生から来た行商バカマツタケを「まつたけぇー、まつたけぇー」って言いながら売って歩いてて、それこそバカ売れしたらしいんです。でも、結局松茸じゃないってバれて町人たちに吊し上げられちゃったんですけど、本人は「まつたけぇーと言ってただけで松茸を売ってるとは言っていない」の一点張りの上、いつの間にかどっか行っちゃたの。それ以来、松茸が売られていると、偽物なんじゃないか意味福生松茸なんじゃないかって言われるようになって、そこから福生松、ふさまつ、嘘松って言われるようになったらしいですよ。って早口で言ったから、それ嘘松だろ、って突っ込んだら、ねっプレミアム金曜日になったでしょってアイス食べながらどっかいった。

2018-02-17

https://anond.hatelabo.jp/20180217050552

まあ貨物列車行商車両みたく、女性専用車両が30分に一回程度の間引き運用で、専用レーンで待ってもらう仕様だったらそんなに文句言われなかったと思う。

ただこの本質的問題他人同士で密接するレベルの混雑率にあるのであって、その解消努力第一にすべきことでしょう。

船でよくあるように過剰積載で事故るなら本来搭乗拒否するのと同じ。こういうのはもちろん行政主導でなくては意味がない。

2017-11-21

anond:20171121173742

ロブスターおばさん(ロブおばさん)は、最初エビ行商だった

山奥にある街ではエビ行商は珍しくありがたがられた。たいそう儲かっただろう


しかしあのババア、何回目かの行商ロブスターを描いた絵を描いて売るようになった

ロブおばさんが言うには、これは「アート」というものだという

まあ後にそれ自体パクリだと判明したがね

2017-11-09

コピー商品

カロリーメイトに似た栄養補助食品が有った。

カロリーバランスと言うものだった。

バランスパワーと言う先行商品もある。

なんか両方の名前を取った、変なネーミングだなーと思ったが、

安かったので買ってみた。

ほぼカロリーメイトコピーのような感じだった。

箱の裏書きをよーく見ると、韓国製と書かれていて、納得した。

二度と買わんわ。

2017-10-25

https://anond.hatelabo.jp/20171023212011

小難しいこといわなくてもヒエラルキーの下側をケアしないと上にたってられないってだけじゃん

沼地にビルが建たないみたいに土台がだめになったらみんなダメでしょ

自分より下のものを切り捨てたら下のものにさせてた仕事をぜんぶ自分でしないといけなくなるのはわかりきってるでしょ

下がいなくなると泥臭い作業とかきつい仕事とかストレスたまる業務とかがまた分業から自分にかえってくるじゃん

コンビニがなくなればスーパーへ買い物に スーパーがなくなればデパートに 行商に 畑仕事に 開墾に みたいに

最終的に切り捨てた末端に自分がおいこまれてくだけじゃん

どう考えても基礎とか土台とか下をかためることにつとめておけば 上は最悪すげかえることもできるじゃん

2017-09-22

anond:20170922112409

例えば、行商のおばちゃんが売ってくれる野菜めっちゃ美味しかったとする。

行商のおばちゃんはいつ来るか分からないし、美味しい野菜が売り切れていることだってある。

この不安定な状況を打破するために、行商のおばちゃんと長期契約をし、

定期的に美味しい野菜を届けてもらうようにする。


結婚も、これと同じ考え方なんだよ。

パートナー排他的完全独占契約

2016-10-23

[]10月23日

○朝食:ハンバーグパン屋さんのやつ)

○昼食:野菜たっぷりちゃんぽん

○夕食:生ハムナポリタン

調子

はややー。

今日もお休みはややー。

近所で、ワインパン祭りをやってたので見に行ってきた。

が、滅茶苦茶人がたくさん並んでてて、美味しそうなのはどこも長蛇の列だった。

並んでまで食べたいとは思わなかったので、空いてるところの「焼肉ハンバーグ」を買った。

が、さすがあれだけ人がいて並んでないのには理由があるクオリティだった。

一応擁護すると、お題目焼肉部分はとてもよかったと思う、ただパンが、もう、こう、ストレートに言うと

コンビニで3個200円ぐらいのやつで、とても微妙だった。

その後、歩いて2時間ぐらいかけて、リンガーハットまで行ってきた。

ヘットヘトになったが、歩いて運動をして、野菜たっぷり食べて、これで後はお風呂瞑想すれば、もはや健康権化といってもいいぐらい健康になれるのでは?

いや、1日だけしても意味なくて、習慣にしないと意味ないんだろうけどさあ。

帰りは電車でさっさと帰った。

○お便り返信

sugimurasaburo ナポリタンベーコンですか?ソーセージですか?私はソーセージを薄く輪切りにしたのが好きです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/305425581/comment/sugimurasaburo

ソーセージベーコンを入れる、そういう価値観もあるのか!

と衝撃を受けました。

いや、じゃあお前は今までどんなナポリタンを作ってきたんだよ? と聞かれそうですが、

具入りケチャピーナポリタン

http://www.nisshin.com/products/detail/4902110367348.html

これでパスタを炒めるだけの簡単お仕事しかしてなかったのです。

なるほど、これはNQナポリタンクオリティ)が低いと言われても言い訳のしようがないですね。

というわけで、ベーコンソーセージを買ってきて、両方を試します。

今日ベーコンを試しました。

ケチャップ味のベーコンって美味しいですね、薄いから味がよくしみてうまうまです。

狼と香辛料アニメ

Netflixで一期を全話視聴。

面白いね!

行商人の男の人と、豊作の神様的な狼の女の子が、イチャイチャしながら行商をするお話

ラノベってこう、バトルとかど直球ラブコメかばっかりなイメージがあったけど、こういう作品もあるんですね。

とても面白かったので、二期を見てから原作も買おうと思う。

ポケモンSM体験版

サブイベントを一通りこなして、いろいろアイテムを入手。

いろいろと日付で解禁されるイベントがあるらしいので、定期的に起動はしよう。

バッジとれ〜るセンター

ノー課金

コンプが見えてきた、残るはビビヨンその1だけかな。

ポケとる

ミッションカードをこなして、メガアブソルナイトをゲット。

ふひひ、これを昔手に入れなくて辞めたので、今更ながら嬉しい。

ポケモンコマスター

久々にメインストリーをこなす。

ボルケイノのステージ5「アチャモリベンジ」まで攻略

こんだけEXを揃えてるだけに、楽勝だなあ。

2016-08-16

路上果物を売り歩く若者を久しぶりに観た

 もうなくなったと思ったが、まだやっているようだ。

続いているということは、利益が出ているということだろうか。

しかし一体だれがあの果物を買うのか。

誰かあの行商実態を知っている人がいたら教えてほしい。

ちょっとググっただけではたいした情報が出てこない。

2016-05-21

結局アニメってなんなのさ

未来から猫型ロボットが来たり、基地外家族の団らんを見せられたり、MSに乗ったり、褐色娘と謎の島を探したり、突然ゴマフアザラシが来たり、ワニがよくやられたり、春日部に住む変な5歳児だったり、足の生えたナマモノがいたり、落ちこぼれ忍者の卵がいたり、下ばっかなのに後半シリアスになるジャングル漫画だったり、尻から魔法が出たり、ラッコアライグマいじめられたり、突如人型人造兵器に乗せられたり、毒針使って腹話術したり、タイトルが作者への謝罪と噂されたり、やたらサブカル好きの派出所警官だったり、海外チンコ皮肉られたり、同級生がやたら殺人で捕まったり料理で殺し合いしたり、車と一緒に並走できるくらい速く走れる兄弟がいたり、本編とずれてるアドリブばっかのCGアニメだったり、エルフが出てくるファンタジー作品元祖だったり、途中からカードゲームになったり、魔法少女レリーズしたり、古っい車でドリフトしたり、閻魔大王から尺を盗んだり、児童漫画の中でやたら作画のいいヨーヨー漫画だったり、ビー玉で腕壊したり、PCに突如卵が産まれたり、メイドロボとセックスしたり、CDからモンスター召喚したり、いまいちホビーに乗れなかったランニングバトルだったり、金属生命体に乗ったり、2年後になっても全然終わらない海賊だったり、ウエハースが捨てられるシールだったり、中学生同士で赤ちゃん育てたり、腐ってる西遊記だったり、ハムスターブームになったり、玄人だったり、子供向けの悪魔合体だったり、ラスボスいかけっこがやたら長かったり、同人誌を売るというメタネタエロゲだったり、なぜか脈絡もなく12人の妹ができたり、死んだら強くなる未完作品だったり、幽霊が取り付いて碁が強くなったり、ベイゴマ世界大会に出たり、宇宙人の嫁が先生だったり、叔母さんがやたらかわいかったり、コンピュータウィルスが具現化された世界だったり、アソコに触れると記憶が消えるアンドロイド少女に恋したり、へーちょ、許嫁が上京してきて一緒に住んだり、ゴジラしか見えない母親だったり、巫女ブーム火付け役だったり、なぜかJKが突然兵器にされたり、心を読まれ能力で逆に告白したり、核をキャンセルしてまたそれをキャンセルしたり、なぜか若手でいいともに出演させられたり、王を決める魔物の戦いに巻き込まれたり、バイクでいろんな国を旅したり、決して枯れない桜の木告白したり、同級生監禁されて女になるルートがあったり、母親を甦らそうとして弟と左腕をもってかれたり、超法規的措置だったり、宇宙は一人で死ぬには寂しすぎたり、路地裏で殺した吸血鬼と仲良くなったり、石田彰のせいで遭難して無人島生活したり、やたら格闘する魔法少女だったり、右手女の子になったり、名前のない怪物だったり、死んだと思ったら異星人と戦わされるし、7人の侍とロボットが戦ったり、月は東だったり太陽は西だったり、ヒロインだと思ったら首がなくなったり、悪魔でいい魔法少女だったり、猫耳ブームに火をつけたり、スペイン語がやたらうまい死神だったり、双子に恋するどっちつかず主人公だったり、生きた人形の戦いに巻き込まれたり、漫研部の大学生活だったり、病んでる野球少年だったり、途中からバトルものになった魔法先生だったり、女神と同居したり、OPだけ盛り上がったロボットアニメだったり、メイドブームに火をつけたり、記憶を失くした幼馴染といろんな世界を旅したり、突然みんなでフットサルしだしたり、DTのロボット乗りだったり、ざわざわしたり、死んだと思ったらフレイムヘイズに助けられたり、沖縄吸血鬼で戦ったり、虫の仕業だったり、英雄女体化したり、落語師匠が出たり、病院で月を眺めたり、鬱になる孤独アニメだったり、家にガーゴイルがいたり、水先案内人の修業をしたり、普通の人に興味ないヒロインだったり、ラジオがやたら盛り上がった和風ファンタジーエロゲだったり、スタイリッシュインラインスケートだったり、パロの多かった1期が一番面白かったSF江戸侍だったり、おはぎに待ち針いれて無限ループしたり、娘を守るためにお母さんが魔法少女になったり、モンキーパンチ構想13年の糞作品だったり、正常位じゃイケなかったり、ツンデレ流行ったけどアニメ微妙だったり、異世界召喚されて使い魔になったり、NHKは関係なかったり、ランタン二重人格になったり、錬金術あん関係ない錬金だったり、人を操る力で反逆したり、まったく販促になってないおもちゃアニメだったり、家庭教師なのにバトルしたり、おっさん主人公漢字バトルだけど流行らなかったり、ライバルが死んでから面白くなるのにアニメは打ち切られたり、スパロボではおもしろいけどアニメはつまらなかったり、ドリル宇宙と戦ったり、パロネタがコアすぎてついていけなかったり、アイドルなのにロボに乗ったり、契約者になってたばこ食ったり指折ったり、超能力マザーコンピュータと戦ったり、作者は女じゃないJKの日常だったり、ロボに乗っても乗らなくても死んだり、メガネコンピュータウぃルスと戦ったり、菌が見えたり、狼娘と行商の旅に出たり、妖怪を友人にしたり、ノート名前を書いたり、ヒモヒーローだったり、サッカー必殺技出したり、主人公チームかと思ったら1話で全滅したり、心理戦だけでメジャーに行ったり、生まれつき不幸で無能力だったり、世界征服する気ない秘密結社だったり、ネットカラーギャング作ったり、橋の下金星人に恋したり、裏切りは僕の名前を知っているようで知らなかったり、イカがかわいいだけで話がつまらなかったり、そんなにオペラしてない探偵だったり、ダンボールステージのほうだったり、あだ名アナルだったり、ヒロインが一番影が薄かったり、ファミレスバイトしたり、未来が実現するケータイとか関係なしにヒロインヤンデレだったり、アドリブコーナーがある妖精だったり、ラスボス概念だったり、クトゥルフヒロインになったり、田舎少女日常だったり、オンラインゲーム殺人が起きたり、コネティブヒナしたり、隣の席の男子が遊んでたり、妖怪メダルで呼び出したり、学生なのにテロリストと戦って全然劣等生じゃなかったり、オンラインゲーム世界から抜けられなくなって脱税したり、駄菓子火付け役だったり、

結局アニメってなんなのさ

2014-10-15

行商も含め)取り締まるようになって欲しい

赤ちゃん病人夜勤の人なども寝ている可能性のあるベッドタウン

拡声器で怒鳴り散らす輩なんとかならないもの

小学校保育園騒音とはわけが違い、必要性がない騒音

2014-08-21

酷い爺さんの意外な一面

俺の爺さんは酷い人だった。毎日酒ばっか飲んでいた。

そんなに酒に強いわけでもないが、日本酒を1日に1升飲むこともあったし、多い時で2升飲んでいた。

まあ、2升飲んだときは、排泄物垂れ流しで家の中が修羅場になるんだが。

仕事をサボって朝から飲むこともあったので、あまりシラフの時は見たことがない。

近所の道路でひっくり返って寝てる時もあった。死んでるのかと思った。

酒癖も悪い。家のガラスを素手で割る。もちろん手は血だらけ。

婆さんに殴られる。柱で頭を打つ。血だらけで倒れている。

家に帰ってきて倒れている爺さんを見ると、ああまた喧嘩したのか…と思っていた。


若い頃は博打に狂っていたそうだ。遠くまで行商に行って売り上げを競艇でスル。

突然バイクカブ)を買った。競艇か何かで勝ったらしい。しかしそれも近所の人に博打のカタに取られ、3日ほどしか乗れなかったという。

酒場ヤクザ喧嘩を売ることもあったそうだ。言いがかりがすごい。

「お前ヤクザやと思ってえらっそうにしやがって!」いきなり関係ないヤクザにキレる。もちろんボコボコにされる。

免許飲酒運転で取り消された。

挙げればきりがない。


本当に酷い爺さんだ。でも最近意外なことが分かってきた。

たまに近所の寄合や、最近では遠い親戚の家に初盆で行った。

そういう場所での爺さんの評価は高い。

「俺はあんたところの爺さんに酒を教えてもらったんだ。俺の酒の師匠だ。」

こういうセリフを何度聞いたかからない。

意外と周囲の人たちからは慕われていたようだ。


あと、婆さんとは毎日のように文字通り血を見るような喧嘩をしていた。てっきり仲が悪いものだと思っていた。

爺さんは酒の飲み過ぎのせいかは分からんが、現在は寝たきりで動くことも飯食うことも話すこともできない。

老人ホームに入っている。

意外だったのは婆さんの行動だ。毎日見舞いに行っている。何があっても行く。

俺がいつ見舞いに行っても熱心に世話をしている。こんな献身的な人だったのかと婆さんを見直しつつも、そこまで愛されていた爺さんを羨ましくも思う。


酷い爺さんだったが、そういや小さいときから俺にだけはやさしかった気がする。

一緒に酒を飲みたかったが子供なのでそれほど飲めず、一口もらう程度だった。

大人になったら一緒にガブガブ飲もうと思っていた。

一度だけ、大人になってから爺さんの酒飲み友達が家にやってきた。

体が限界にきていた爺さんはほとんど飲まなくなっていたが、その日は飲みまくった。

俺も散々飲まされ、潰されてしまった。

でもそれが爺さんと飲んだ最初最後だった。間もなく爺さんは医者に酒を禁止され、飲んだら明らかにヤバい状態になった。

もっと一緒に飲みたかった。爺さんが何故あんなに周りから慕われるのか、その理由が少しでも分かるような気がしたからだ。

しかし、あの頃の爺さんはもういない。老人ホームのベッドで動くこともできず、うめき声を発することしかできないのだから

2014-07-26

友人におすすめを聞かれたので並べてみた。

なろう系では異色な物語、死出の旅路世界を救う冒険へつながる。その道中にかかわる人々のつながりが織りなす綾が醍醐味

能力者という超常の力を持つ人が一般的にいる社会でその能力者として生きる学生の話能力者がいる社会システム描写と、能力を使った物事の解決方法アイデアがいい

世界召喚もの最初はぬるいが後の死力を尽くすバトル描写がいい。

インフレしつつあるテンプレ転生もの人生イージーモード

テンプレ的転生もの前世を悔い、ときどき後ろ向きになりながらも頑張って生きていく一人の男の人生が丁寧に描かれてる。

物語世界への転生系、自分が没落する物語の結末を回避しようと空回りする主人公を愛でる物語

この世界ゲームだと俺だけが知っている http://ncode.syosetu.com/n9078bd/ 継続

MMORPG転移系、バグだらけのクソゲーに対する愛にあふれる物語ゲーム攻略系をメタにするとここまでばかばかしい状況になるのかというギャグが秀逸

強さを求めて戦い続ける男の物語、俺つえー系だけどおっさん

ちょっとぬけてる不死者、山田とまきこまれ系少女ラブコメ、徹底的に冷めてる由紀子がいい味

日本昔話のような世界お菓子つくりの物語

なろう版の狼と香辛料行商描写経済的な点もきっちりおさえてある

戦争の中で死者を率いて戦う少女の話。全体的に暗い

迷宮攻略物語絶望的状況の描写うまい

2014-01-23

リヤカー手売りで毎日弁当を売っています

脱サラしました、と言うと聞こえが良いのかもしれませんが、どうしても会社員が続けられなくなったので、唐突に、二十数年ほど勤めた、大手会社を辞めました。いただけた退職金雀の涙ではありましたが、そのお金で少しの余暇を楽しむことができました。

さて、その後、残ったお金で何をしようかと考えました。

私には、家族が、いません。

私には、恋人は、いません。

私には、ペットも、目立った友達も、いません。

もうかれこれ7年以上使っている携帯電話の連絡帳も、仕事で使っていた連絡先しか入っていません。風俗にも行かないもので、女性と会話するのは、商店街にある総菜屋の女性ぐらいです、私の母ぐらいの年齢ですが。あとは、たまに利用する、時報ぐらいでしょうか。

会社員時代は、企画戦略室という場所で窓際に座っていました。ずっとコンピュータに向かいエクセルパワーポイントグラフと睨めっこばかりしていました。データ集めとそれを見やすくして上長に提出し、それを使ってもらうのが私の仕事でした。何ヶ月かけて集めたデータも使われなければ報われませんし、役立たずになってしまます。きちんとした資料を作ることができると良いのですが、褒められる事などなく、それは当たり前でした。そして、私よりも若い人が、私の何倍もの速度で、私よりも良いものを作るようになっていきました。コンピュータ基本ソフトが変更になると、私が覚えたこと一部しか使えなくなり、勉強の日々でした。若い人はすらすら使えるんですよね。若さはいものだ、と身に染みました。それでも、長年、お世話になった会社に、上長に、少しでも力になればという思いで働いていました。

そんな私が、会社員を辞めて始めてみようと考えついたのは、リヤカーでの弁当販売でした。ずっとオフィスに缶詰だった私ですから、外で、人に、直接、何かを売る、そんな仕事がしたいと思いました。会社員だったころオフィスにそのような弁当販売の方はいらっしゃってましたし、ビルの1Fなどでもたくさん見かけていたので親しみがあったのです。

この歳まで生涯独り身ですので、料理は出来ないことはありませんでしたし、大体のものは作れます最近ですと、インターネット検索をすれば、作り方がすぐに出てくるのでどなたでも時間さえあれば簡単ですね。大きな鍋や調理器具、大きなガス炊飯器などを買い進めました。初期投資としてはさほどかかりませんでした。

販売に関しての法律勉強しました。とはいえ大したものではありません。行商としての申請、保健所への申請の2つだけです。区に該当の手続きをすればすぐに始めることができました。このときは意外にすんなり終わって「これでいいのか?」という気持ちでした。

弁当容器のパックを何種類か選びます。もちろん捨てられるもので、なるべく安い物。色は白いものがやはり売れるようでした。あまりパックが薄かったり弱いと、箸で固い物などを切ろうとしたときに箸が貫通してしまいご不便をかけてしまことなどもあります。この選定は何度か繰り返してやっと今のものに落ち着きました。

パックもそうなのですが、おそらく最も大事なのはお箸の選定です。これは本当にぴんきりで、安すぎて、これはどこの木なんだろう?というお箸もあります普通に箸として使っているだけなのに、固い物を切ろうとしたときに折れてしまったりするものや、使う前に二つに割る際に、きちんと真っ直ぐに割るのが難しいものや、割った面がボソボソになってしまい、手にトゲが刺さってしまうようなものも。また、爪楊枝が同梱されているものされていないもの。爪楊枝が入っていると箸を取り出すときに手に刺さるから嫌いな方もいらっしゃいます。お客さんの要望をたくさん聞いて分かった部分がたくさんありました。

販売するお弁当には、製造者や賞味期限を印したシールを貼る必要があります最初はすべて手書きしていたのですが、いまでは日付部分をスタンプで打刻するようにして余計な作業を減らすことができました。時間があるならできる限り美味しい料理を作るか、路上で販売する時間に充てたかたからです。

さて、肝心な料理ですが、これは今でも苦心しています

おかずについては、日替わりのもの毎日(といっても平日だけですが)私の弁当を食べておられる方がバランスのとれたものを召し上がっていただけるようにしています。それとは別にレギュラー定番商品ハンバーグ唐揚げ焼肉弁当とか)も用意しています毎日唐揚げ弁当を買っていかれる方なんかもいらっしゃって、お身体大丈夫なのかなと一度聞いてみたところ、土方で仕事をされている方で、体力をつけなきゃいけないのでとおっしゃってました。

ご飯については、現在私は、ご飯とおかずは別のパックにいれて販売しています最初は、よくあるコンビニの幕の内弁当のように、1つのパックにご飯とおかずを入れたものを販売していました。ですが、お客さんに聞いてみると、特に女性の方ですが「雑穀米が食べたい」「ご飯はいらない」「ご飯は少しでいい」のような要望があることが分かりました。それ以降はご飯を別にして何種類か準備することで対応しています。これが非常に評判がよくて、雑穀米は原価が高く少し値段があがるのですが、毎日最初になくなってしまます

販売する時間については、基本的に12時から13時ですが、オフィスによって少し遅めの時間(13時〜)がありがたがられることも少なくありません。最近のIT会社さんなんかは始業時間が遅めで、昼休みも遅めになっているとのことで。私の世代アフターファイブ原則でしたから、これについても調査をしなければ気付くことはありませんでした。また、逆に、夕方から夜の販売も試してみたのですが、こちらは全くといっていいほど売れませんでした。もしかするとどこかに需要があるのかもしれませんがこれは私の腕不足でしょうか。

非常にありがたいことに、味の面ではとても広くご好評をいただいております最近では、予約販売や、専任契約などのお話会社さん側からいただくこともあり、有り難い限りです。ですが、予約も専任も私はする気がありません、とお断りさせていただいています。私は、ずっと、路上で、今のこの形態で売りたいのです。また、はるばる遠方(電車で数駅程)から私の弁当を買いに来て頂く方までいらっしゃいます。本当に頭があがりません。そういう方に特別サービス!はさすがにできないのが悔しくて仕方有りません。

通常ゴミになるお箸が入っている袋を、特定数集めて頂くとお弁当が1つ無料になるサービスもしています。ですがこれは使ってくださる方はほとんどいないのが現状です。やはりゴミでは難しいんでしょうか。他のお弁当屋さんではスタンプカードサービス券のようなものを付与しているようですが、少し煩雑になってしまうため導入は検討中です。そこにコストをかけるなら、料理に少しでも良い食材を使いたいと思ってしまますね。

私の名字弁当屋の名前にしています。みなさん名字で呼んでくださりますが、下の名前を聞かれた常連さんからはその名前で呼ばれたりもします。私もそういう方にはお名前を必ずお聞きして一人たりとも忘れたことはありません。みなさん大切なお友達です。本当にいつもありがとうございます

他のお弁当屋さんの調査も欠かせません。私が販売している場所では他に4〜5社?さんぐらいいます。ただ、リヤカー専任なのは私だけで、他の方達は近くに弁当屋さんを構えていたり、近くの中華屋さんだったりします。最近ではココイチさんがリヤカーカレーを入れて持ってきて販売していたりもします。私はカレーは作りませんので良いですが、同じことを大手チェーン店さんとかにされてしまうと少し大変かもしれません・・・

ほぼ毎日全てのお弁当をお買い上げいただいています。ご飯が残ったりするぐらいですが、100円などで置いておくとご飯だけを買っていかれる方も多く、そちらも問題なく売れています。すべて私が一人でやっているので、一日に販売できる数には限りがあり、買いに来て頂いてももう売り切れですと伝える際にとても悔しい思いをすることもあります。そういう方は必ず覚えておいて次回に何かしらサービスさせていただいてます。本当にすいません。どうしてもどなたかを雇うというのは出来ず難しいのです。すみません

そんな弁当屋を続けてかれこれ5年ほどになりました。

売り上げは、6畳一間の家で男が独り身で暮らすには、ちょうど良い身の丈の売り上げがあり、なにより色んな方の笑顔に会えるのが嬉しく、毎日楽しく過ごしています

そんな中、半年ほど前から、少し喉に詰まりを感じるようになりました。声がかすれたりもするようになりました。風邪かなと思っていましたが、それが非常に長引き、ほんの一週間ほど前、吐いた痰に血が混ざっていました。すぐに病院にいって精密検査をしていただいたところ、食道がんという診断を受けました。ステージは2で、ちょうど、明日から入院になります

悔しくは、ありません。

早く治して、弁当をまた、手売りで売れるようになればいいなと思います

たくさんの方の、笑顔にまたお会いしたいです。

美味しいですって言ってくれた方の顔、全員覚えています。忘れません。

悔しくなんか、ありません。みんなありがとう

2013-05-13

友人がア○ウェイにときめいた

友人が、仕事で知り合った人に食事に招かれたらしい。

友人はググればヒットするとある行商チックな仕事をしている。

どうやらその行商中に知り合ったとのこと。

仕事中に出会った人に食事に誘われた」とか言ってるから、どうせマルチとかだろとか思ったら案の定ア○ウェイだった。

「どうせマルチかなんかの人でしょ?」って言ったら、「ア○ウェイはやばくないでしょ?」って。

友人の現在の職もちょっと宗教がかった匂いがするお仕事

元々世間知らずというか一般常識があまりないやつなので、今の仕事するって言ったとき不安だったが、更に輪をかけて今度はア○ウェイ。

マルチは駄目でしょ」

「ア○ウェイはやばくないでしょ?」

「あれもマルチでしょ。上のやつしかからない仕組みだよ。」

「けど、ビジネスとしては面白いと思うんだよね。」

「下のやつは売るの大変だし、簡単に上にあがれるもんじゃないよ。」

「けど、俺もの売るのは得意だし、いいと思うんだよね。マルチはよくないけど、別に俺がもの売るだけだからよくね?」

友達なくすぞ。」

「なんで?」

「あれやってるやつって、どんどん普段もモノ売るとか、向上心がー見たいな感じで言動がちょっと怪しくなるから、周りの人がひいてくよ。」

「けど、俺普段からそんな感じだから別によくね。」

・・・。」

普段から自己啓発書読みまくったり、会社研修だかで妙なポジティブさを捩じ込まれてるやつだけど、まさかこんなにころっと靡くとは思わなかった。

そして、ア○ウェイはやめとけと説得する俺の語彙の少なさ。

このままだと本当にア○ウェイ始めちゃいそうだ。

どうにかしないとな…。

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

2010-06-18

携帯再興なるか

日経の記事、面白く読ませてもらいました。

http://tinyurl.com/28n7ct3

今更また海外に出ていこうなんて・・・

携帯電話なんてのは、かつて日本が最も進んでた分野だったのに。

結局製品に問題があるんじゃなくって、企画と売り方が悪かったんですよ。

液晶集積回路技術なんて、ここまで主要部品コモディティ化されてしまったら意味ないじゃないですか

そんな変なプライドは捨ててしまいましょう、スペック至上主義の時代はもう終わりました。

そんなものより、デザインソフトウェア重要です。

たとえ液晶の色味が汚かろうと、CPUが遅かろうと、容量が微妙だろうと、iPhone買ってるのがいるわけです。

あと、富士通のIT技術は殆ど全部糞ですので、持ち寄る必要ないと思われ。

昔は凄かったんですけどね。

日本人が喜ぶもの=世界が喜ぶものではないです。

特に海外来て衝撃的だったのは、携帯電話ステイタスであり宝飾品みたいなものであったということです。

彼らはメールもろくに打てないのに喜んでiPhoneを使っています。

ただかっこいい、自慢が出来るからiPhoneなんです。

海外市場なんて利益率の悪い低価格機だけしか売れない、中国を筆頭に韓国台湾と値段の叩き合いになるから出ていくの止めよう。

そんな小賢しい負け犬根性が、今日体たらくを招いたのです。

私はタイで働いていますが、低価格機はタイ人馬鹿にして使う人は減少傾向です。

所得が低くても、彼らは月賦で高級機を買います。

給料の3カ月分でも買います。

発展途上国購買力をなめてはいけません。

そして北米に至っては、デザインが良くて便利ならばちゃんと市場が評価して売れます。

しばらくヒットに恵まれなかったモトローラだってDroidを気合い入れて作ったらしっかり売れました。

彼らは非常に賢い消費者です。

ある意味日本人なんかよりよっぽど。

失敗をまとめてみると、

1に、調査不足。

海外リサーチをしなかったのは大失敗です。

アメ公ってどんなの興味あるんだろう、みたいのを何で調べなかったのか。

ノキアシェア高いんだすげえ!」とか、そんなの調べただけで調査した気になって馬鹿かと。

タイなんて最初タイ語対応してた携帯ノキアしかなかったんですよ。

だから今日ノキアがある。

それより、ノキアの幾らの機種が売れてて、なんで現地人がそれを買っているのかとか調べればよかったんです。

そして、恥を忍んでパクればよかったんですよ、サムスンみたいに。

2に、宣伝不足。

海外宣伝を打たなかったのは愚かでした。

損を覚悟で名前を売って、有名人に使わせれば彼らは同じものが欲しくなります。

オバマBlackBerryしかり。

海外だとこの手のミーハーっぷりは日本人が思うよりもっと強烈に存在します。

3に、企画力不足。

ブームを自分たちで起こそうくらいに考えないと世界を取れない。

結局、日本工業デザイナーにろくなのがいない。

グッドデザイン賞とか、海外から見たらレベル低すぎです。

もうデザイン部門はヨーロッパにでも別会社作って、美術系や工業系の大学生を青田買いしてスタッフ集めてはどうでしょう

彼らに簡単なテーマを与えてデザインさせる。

その方がよっぽどエッジの効いたものが出てくるでしょう。

今更iPhone真似たってどうしようもないじゃないですか

そんな事より、セパレート携帯とかクネクネ折れる携帯とかをもっとプッシュして、流行らせてやろうと思わないと。

サムスンなんて、数打ちゃ当たる戦略で、とにかくいろんなのパクって出してます。

今からでも遅くないから、まずはさっさと国内向けの機種を海外CM流して売り出せばいいんですよ。

開発コストだった、すでに日本向けに作ったやつのファームウェア言語リソース変えるのに何億もかかるわけじゃないでしょう?

アンドロイド使えばその辺更に簡単なんですし。

円高だから海外に出ていきにくいとか醜い言い訳はもうやめて、さっさとSIMロック外した携帯を鞄いっぱいに詰めて、ニューヨークでもワシントンでも北京でも上海でもどこでもいいんで行商に行くべきなのです。

売れなかったら、なんで買ってくれないのか現地の人に聞けば、理由はすぐにわかるでしょう。

そんな簡単な事すら、ここ数年どこの会社もしなかっただけです。

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