2020-07-12

ウイルス臭いから窓を開けろと社長に言われて、あわてて窓を開けると、雨混じりの湿った空気事務所に入ってきた。窓の外は隣の雑居ビルの薄汚れた壁しか見えない。

いままで気づかなかったが、言われてみるとウイルスっぽい臭いがかすかに漂っているようだ。社長くらいのレベル感覚が研ぎ澄まされると、ごく微量のウイルスでも嗅ぎ分けて避けることができるから絶対感染しない。まだ私はそのレベルに達していない。

からいつもトルマリンペンダントを身につけて温めておけと言われている。温め続けることでペンダントから電磁波が出て身体作用し、細胞ウイルスを殺す力が増幅される。細胞活性化されることでウイルスへの感度も上がっていき、ウイルス特有臭いも嗅ぎ分けられるようになる。当然、感染リスクも下がるというわけだ。

基本に忠実にやることなんだよ、と社長は爪を切りながら言う。これは社長の口癖のようなものだ。トルマリンペンダント毎日使い続けるだけで、誰でもウイルス臭は嗅ぎ分けられるようになる。こんな安い投資はないと。

そのはずなのに、今のところ販売では苦戦している。先月はポスティングを使ってチラシを撒いた。かかってきたのはいたずら電話1件だった。某フリマアプリはいままでに55個売れたが、除菌グッズとして売っていたら先週アカウントを消された。

トルマリンペンダント販売戦略どうなってるの、このままだと今月は業績、未達じゃないの。隣の席から係長が圧をかけてくる。

係長が扱っている商材は、集団ストーカー防止パッチという器具で、スマートフォンノートPCに貼っておくと、集団ストーカーが使ってくる電波を遮断することができる。一時期は中国メーカーから送れなくなって欠品していたが、流通が再開してからは、オンライン店舗を中心に安定して売れている。係長はしっかりインセンティブも確保しているから、こちらにちょっかいを出す余裕があるというわけだ。

そろそろ出前頼もうや、と係長ソリティアをしながらいう。だいたい私が黒電話の脇に置いてあるメニューを見ながら注文することが期待されている。

会社では最近出前が流行っている。外へ食べに出ると混んでいるわ、へんなプール臭いミストを吹きかけられて、サラダキャベツみたいに消毒されるわで、嫌になっていたからだ。

なんとかイーツというのも使ってみたが、配達員の格好が社長は気に入らないらしい。なんだあの魚の行商みたいな大袈裟背負子は、普通に出前にしろや、出前、というわけだ。

社長社長。出前、何がいいすか。係長が呼びかけても、社長自分肩にせんねん灸をすえるのに忙しい。「もぐさ」のにおいが事務所に漂う。

社長

三度目の呼びかけでようやく「冷やし」と返事が返ってくる。

じゃあおれも冷やしで、と係長ソリティアの画面に向かったまま言う。私は黒電話の受話器を取り、ダイヤルを回す。

「すいません、出前で、冷やしオメガラーメン二つと、天津飯お願いします。あ、お宅の四軒隣のビルの、梶田興業です、はいよろしくお願いします」

これで今日も昼は来る。午後からは、トルマリンペンダントの売り方をなんとか考え出さねばならない。やや気が重い。

  • 「それ、売ってくれない?」 その夜、雑居ビルの地下にある、小さなバーに居た。 週に1回くらい、ここでくだらない時間を過ごしてから、部屋に帰っている。 彼は、職業を「占い師...

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