はてなキーワード: コモディティ化とは
AI級爆ビジュとかいう言葉を見た。ビジュが安くなってる。言葉が下品だよな。
外見と中身の品性が合わなくなってきている。顔整いという罵倒もあるが、もう顔だけじゃダメなんだよ。
顔さえ良ければいい時代は終了!閉廷!
次の時代は、美人やイケメンがブサイクと言われるようになるわけじゃない。
「美人だね」「イケメンですね」が、「あなたは価値がないですね」の意味になる。
それは今まで美人やイケメンが言われ続けてイライラしていたことだ。
美人やイケメンはそういうのが嫌だから他のことに力を費やしていた。
美人やイケメンがコモディティ化すると、もはや外見的な美に価値がなくなる。あってもなくても同じものだ。
今はまだ過渡期で外見の価値が高い部分もあるがそのうちもっと普及すると格安になる。外見のインフレ。
ユニクロのようなものになるかもな。ファストファッションならぬファスト外見。
みんな正直興味ないだろ。他人の顔。
それより、他の人間より価値がある人間を手にした自分、最高。ここじゃね?
美人とイケメンばかりの世の中では逆にそうでない人間に目が行くようになる。個性的ってな。
規格化されてるだけじゃん。他のものと取り替えられる人間に何の価値がある?
正直世の中にはルッキズムに苦しめられている人間が多い。特に若い世代。
だがルッキズムの価値観の中で一定以上のレベルに達したあとは、もうルッキズムの価値観上では人生の苦しみからは逃れられない。
終わるぜ。
昔のBEVに対しての識者の見解は、車がコモディティ化するって話だった気がする。
エンジンと違って、モーターは電圧かければ速く回るって言う簡単な仕組みだから、もう電圧コントロールだけ。ギヤチェンジもクラッチも要らない。
PC/AT互換機とWindowsが覇権を握ったらパソコンメーカーが乱立したように、家電メーカーまで車を作れるようになる。
発電所は車みたいに加減速を繰り返さないから、同じ速度で燃やし続ければいいだけ。同じ石油からエネルギーを取り出すにしても、車の内燃機関にはよく精製された油しか使えない。送電ロスを考慮しても、圧勝する。
車の形も、車の動きも自由になる。
ガソリンタンクと違ってバッテリーはいろんな形にできる。モーターはエンジンより小型だし、電力を伝える配線さえできればいい。
それぞれのホイールの中にモーター入れちゃえば、それぞれタイヤが別々の動きが可能。その場で旋回だって簡単。
自動運転との相性もいい。内燃機関で自動運転なんて夢のまた夢だけど、シンプルなBEVなら実現の可能性がある。
んで、2010年代にそれまでアーリーアダプター向けの高級車しか出さなかったテスラが、庶民も手が届く小型車を出して、いよいよBEVの時代か?
って雰囲気だった。
航続距離に多少の不便はあるにせよ、充電ステーションが各地に整備されればほとんど無視できるようになる。
ということをいろんな人が言ってたと思う。
ゴジラの3DCGがすごいと話題になっているが、製作費は1500万ドル程度だと聞いた。
ハリウッド映画の製作費に比べれば微々たるものだが、日本映画としてはビックバジェットだ。
ただ、重要なのはこの製作費でクオリティに金額ほどの差がないように見えることだ。
最近驚いたのが、陰陽師0の予告編のCGIもかなりクオリティが高いようにみえる。
反対にハリウッド映画はインフレなどの影響もあり大作映画の予算の高騰化に苦労し始めているように見える。
スーパーヒーロー物は顕著だが、リトルマーメイドなども製作費が異常な値段になり利益を出すのにかなり苦労していたからだ。
リトルマーメイドの製作費は2.5億ドルと言われていて、こんなに製作費が高くなければあれほど騒がれなかった(容易に黒字化していたはず
もしこの傾向が続くようであれば、遂に3DCG映画はコモディティ化し始め、今後10~20年で世界の映画界はIPの強さやブランド力などが重要な時代が来る可能性がある。
絵師がAIに懸念持つのは当たり前だと思うんだけど、SNSで「アンチ活動」やってる絵師のイラスト観に行くと大体2次エロ。しかも絵のクオリティが下手ってわけではないが上手いわけでもない
何でパターンみたいになってんだろうなって思ったけど、この人たち絵を描くのそんなに好きじゃないんだろうなって思う。自分のオカズが欲しくて描き始めたタイプで、描ける絵のクオリティが一定ライン超えると、自分の性欲に学習のコストが見合わなくなるからそこそこの画力に落ち着くし、パースとかデッサンとか歪なのにおっぱいの描き込みだけめっちゃ細かい
でこういう人たちにとって「いい感じにオカズを生成してくれるAI」ってのはまさに今までやってきたことの全否定なんだと思う。正直無断学習とか著作権とかどうでもよくて、「今まで自分がやってきたことは何だったんだ」っていう怨嗟なんだろうなと
繰り返すけど、どんな絵師でも生成AIに懸念を抱くことはおかしくないと思う。でも狂ってるレベルまでいってる人は大概このパターンじゃないかなと
自分もお絵描き練習中で、捻りのないAI絵がピクシブに並んでる光景とかは反吐が出るんだけど、AIそのものはそんなに恐怖感がない。単純に描くのが楽しくて描いてるし、もっと上手くなりたいし、ピクセル情報食っただけでこっちがやりたいことできるわけないから勝手にやってろって思う
正直一次やってる人とか、インターネットお絵描きマンじゃない「アート」やってる人から見れば、AIぐらいで筆折るならさっさと折れって思ってる人結構いるんじゃないかな。自分はそこまで強い表現じゃないけど、承認欲求獲得手段や商品としてコモディティ化したイラストなんて自分には必要ないかなとは思うし、インターネットできる前から、さらに言えばイラストレーターが職業として成立する前から描きたい人は黙々と描いてるし、まあ本当に絵が好きな人だけが描き続ければいいんじゃないかなとは思う
時代の流れが早すぎて自分の強みが一瞬でコモディティ化されるという現象が多々ある。
オンプレではAuth系の設計実装は複雑で管理も大変だったものが、今ではAWSだGCPだのクラウドで2日勉強すれば実装できるようになってる。
AIなんてもっと酷い。今まで自分たちでコツコツ作ろうとしていた機能とかオリジナル機能と思っていたものが日進月歩で世に出て今までの努力はなんだったんだっていう事がある。
実体験はないけど1年かけて作ろうとしていたものがプレスリリース直前に上位互換サービスが出たなんてことあるかもしれない。
とにかく日本の白物家電はさっさとイヤーモデル型のビジネスやめないとダメ。日本の白物家電の良くないところは
といったところだろう。これらすべてがイヤーモデル制と関連している。基本構造はフルモデルチェンジの時以外は同じにして、高価な金型を5年ぐらい使い回して、毎年同じ時期に(季節家電は需要ピーク前に)新機種出して、毎年ちょっとずつカタログスペック上げるやつだ。型番見ると5年前の製品とほぼ同じ型番で、アルファベットの部分だけが1年ごとに順送りになってたりする。
ちょっとずつ機能を足すのに比べて、デザインを変えたり構造を変えたりするのはコストがかかりイヤーモデルの切り替えにフィットしないから、やらない。そしてイヤーモデルのベース設計は、トータルでは3年とか6年の間売り続ける想定で作られるから、プラットフォームとしての使い回しが重要で、意欲的なデザインや構造は投入しにくく、保守的な「箱」になりがち。
結果として、「毎年イヤーモデルを更新し、非本質的な「改良」をちょっとずつ行うことで、製品の値落ちを防ぎつつ、店頭での露出確保競争で他社と互して戦う」という販売側・マーケティング側の要請にもとづく、消費者無視の開発体制と販売体制ができあがっている。
そして、そのことはすでに多くの消費者に見透かされつつある。
こういう消費者動向は、たとえばkakaku.comなどを見ているとはっきりわかる。kakaku.com掲示板には「イヤーモデルの些細な違いよりも価格差のほうが重要だから、旧型モデルになるのを待つ」という声が非常に多い。実際、モデルイヤー更新のタイミングまで数ヶ月待てば同じ製品の値段が2/3になったりするのだ。別の例で言えば、ジャパネットたかたは、遂に型落ちエアコンであることを大々的にアピールして売り始めている。
もはや型落ちは消費者にネガティブな印象を与えていない。そもそも、すでに白物家電の分野では最新型であることが具体的なポジティブさにつながっていないのだから、当たり前だ。エアコンはそこそこの熱効率で暖房・冷房が効けばいい。電子レンジは食品をあたためられればいい。それ以外のところで細々と付加機能や性能向上をアピールされたところで訴求はしない。
こんな感じで、いまや大半の消費者は、家電のモデルイヤーが直近・最新であること自体に価値を感じなくなっている。にもかかわらず、日本の家電企業は、製品自体の訴求力向上の阻害要因となっている、古い開発体制と販売システムを維持している。大きく変えられない形状、大きく変わらぬ使い勝手、大して意味のない機能追加。それが納得感の低い価格政策で販売されている。
だから、この市場のハイエンドは欧州家電が、ローエンドはアイリスやジャパネットや中国家電のようなアウトサイダーが奪い、ミッドレンジでは日本製の家電が型落ち待ちで利益が極限まで薄まった状態で買われている。だから、日本の白物家電は死につつあるのだ。
今のはてなは女叩きのメッカと言っていい状態で、特に最近運営が手を入れるまで半年ぐらい主に増田の女叩き記事が延々毎日複数個ホッテントリ入りしていた。
元々弱者男性論が幅を利かしているところで、そこまでは許容範囲なのだがそこで男性社会での疎外や表現規制の主題を扱えばいいのに女叩きの方に行ってしまい、雪だるま式にルサンチマンやデマで埋まってしまう。
更に最近だとコロナ初期での反PCR運動という反技術ラッダイトムーブメントの中心となり社会に甚大な悪影響を与えたのが記憶に新しい。
はてなは2010年頃からブクマリニューアルとか日経との提携とか「キャズムを超える」為の施策を色々やってたんだが、その結果キャズム超え出来ずに土着化したようなユーザーの楽園になってしまったんじゃないかと思われる。
創業当初のはてなは個性的な「変な会社」で、技術志向のユーザーと運営の距離が近かった。障害が発生したらその障害の内容を技術的に解説する、todoリストを公開する、ユーザーがwantリストに書き込める等の特徴があった。
人力検索だけだったサービスにはてなブックマークとダイアリーを加えると数年でユーザーの特徴や偏りが顕著になった。
IT技術者、経営者ワナビー、リベラル、非モテ、がメインユーザーとなった。
IT技術者が多いのははてなの運営特性に合致するターゲット層だから。
経営ワナビーは小泉改革と大人気学者だった竹中の影響だが、肝心の経済に弱いという特徴があった。日本の経済構造を一新する改革側に居れば既存の経済活動に関する知識や経験は必要ないしそれが自分を幸せにすると信じていた。金融とは証券取引の事と信じそれらとM&Aの記事に金融タグを付けて経済通のつもりになっていた。商慣行や銀行との付合いには無知だった。
リベラルが多かった理由は2chの隆盛の為だ。まだネットの書き込みに関する事件捜査は行われておらず、ブログや掲示板を炎上させれば意見が通ると信じられて全能感に浸る2chネラーが暴れており、その対極としてはてなが位置づけられていた。故にこの頃のはてなは一部のネラーに憎悪されていてはてな=在日朝鮮人などという病識がないコピペで溢れていた。「2chの専門板ははてなでは敵いませんよ」という有名な文章があった。このころの2chネラーの全能感に棹さしてキャリアスタートさせたのが佐々木俊尚。
非モテは今に繋がるが、この頃は革非同などネタに昇華させて外国メディアに記事にされたりもした。
はてなユーザはこういう布陣でいた訳だが、一方で「キャズム」が問題になっていて『キャズムを超えろ』なんてブログが人気をはくしてもいた。
キャズムとは断崖の事で、新製品の受容ユーザーをイノベータ→アーリーアダプタ→マジョリティと分類した時に分布が正規分布になり、そのベルカーブの縁の部分を超えて広がるのが困難だという事である。
当時のネットはキャズムを超えられずベルの端っこの下、ロングテール部分にしか訴求出来ていない。これは製品の販売量で規模の経済が働かない、それ故広告料も上がらないという事である。
はてなはユーザーが特殊で偏っていて更にブクマのせいで喧嘩も多いという特殊な環境で、それで一般の人に忌避され、日記を始めてみたけど止めちゃう、アメーバに乗り換えちゃうというケースも多かった。
そこでキャズムの中のキャズムを打破すべくはてなは2010年頃から色々なイメージアップ策をするようになった。
・日経と提携する:経済意識が高いユーザーが多いのに応えてだと思われる。B層的であり経済事件などに不如意な点も経済記事を毎日読めばリテラシーがアップすると期待されたと思われる。
・綺麗なオフィスを公開する:会社のイメージアップと社員の採用面で重要。
・旅ブロガー等の推し:ココロ社氏やメレ子氏、在華紡氏など、一般受けしやすい旅&食べ物ブロガーを推してインタビュー記事などを掲載。最後の在華紡氏は喧嘩や炎上があると必ず火事場にガソリン持って立ってる人で推していいのかと不安に思うが、この甲斐あって彼等ははてな出身ライター、ブロガーとして多種媒体に出るようになった。
・はてブの改変:人気コメントだけだが表示されるようにするなど。ブコメ欄での論争低減を狙ったものと思われるがかなり不評でユーザーの流出もあって元の仕様との折半になっていった。
だがこうやって一般化を目指すと一つまずい事がある。
はてなのユーザ層はオタクに寄っている。そこでキャズムを埋めると一番流入するのは当時隆盛を誇っていたまとめブログ層じゃないのか?すると一般人とのキャズムはより深くなってしまう結果となる。
このまとめ民流入が増えた時機ははっきりしていて2018年だ。18年にネトウヨ春のBAN祭り騒動というのがあり差別デマや文字スクロール動画で埋まっていた日本版Youtubeが大掃除されたのだがそれでネットでの風向きが変わった。
更にこの前後からまとめブログでの広告引き上げが続いており、要するにまとめブログがおいしい商売では無くなった。元々差別的なまとめブログが隆盛となったのは広告料の上昇によるもので商売の形として確立され情報商材屋のシマともなった。しかも情報商材屋はネット広告でカモを集めるというループである。ネット広告キャパが拡大するに従って拡大した循環参照だが、広告料の上昇で審査が厳しくなって商売にならなくなったのだ。
ヘイト動画の方は18年の前から米国で悪質動画が問題になっており、極右や極左、イスラムの過激派が過激動画で勢力を伸ばしている事が問題視されてgoogleは対策に追われていた。ISの殺人動画等は消されても支持者がアップしてしまうのでそれを上回る速度で面制圧して統制しろとの要求がユーザーだけに留まらず行政司法機関から出されていた。
その為にガイドラインが相次いで変更されノウハウが蓄積され組織化されていた。結局広告キャパの拡大がそれらのコンテンツを爆増させ、それにより広告料の上昇が阻害され、対策されて消され市場として消沈するという流れだ。
ところでイーロンマスクは買収相手の業態の上記の流れを知らなかった為に「広告料上昇阻害」のラインまで広告引き上げされた訳で素人丸出し過ぎるんだが、まとめキッズとかツイ廃キッズのままで経営出来ると思っちゃったんだろうか?不思議な人である。
こういう流れがあってまとめブログのパイが急速に縮小して代わりにはてなにまとめキッズ(中年)が増えたという流れである。
彼等はtwitter社の大量解雇ではコンテンツ制御部署や法務部署の存在理由や綺麗なオフィスをわざわざ見せる理由が判らずにバックオフィスを「キラキラ世田谷自然左翼」だとの認識に蝟集し、めいろまの「twitterはアニメやプラもが好きな人らのものなのにユーザーに背を向けている」との論難に快哉を送ってしまっていた。会社にバックオフィスがある理由やこれまでのネット事件での流れ(特に米国内)、メジャーサービスでのキャズムの超克というテーゼなどを何も知らない無垢さを現していて侘び寂びの念に包まれる。
ついでにM&Aでイーロン下でtwitter社が多額の負債を抱えることと成長企業は積極的に融資を受けて投資に回す事を混同しており、企業体質が巨額赤字だと信じていた。税制への無知である。後になって「LBOはそういうもの」等と誤魔化しているが、そもそも個人が手持ちの金で買うというスキームで考えていたので無駄である。これは給与生活以外の世界を知らないからでネットの経営者ワナビーの悪影響である。
新型コロナが流行し始めるとはてなでは「インフルより弱毒」「ゆっくり感染して社会免疫」「PCR検査数が増えると偽陽性が激増するので検査してはならない」との危険なデマが席巻する事になった。また悪質なブクマカがPCRを受けたいとの願う患者や意志を見つけ出しては悪罵して叩き潰すという行為に出た。
最早社会に対する驚異である。この時のはてなはパブリックエネミーと呼んで差支えない。
これらの主張が「科学的」の表皮を被っていた事は忘れてはならない。有名なのがベイズ推定での偽陽性の議論の援用だが、ベイズ推定はベイズ統計学の一つのタームでしかないので概念の理解が簡単な上に知的に背伸びした気分になれる。だがPCRの特性上、偽陽性が発生しないのだから適用出来るはずもない。
PCRは独立で機能出来る検査じゃなくて、DNAシーケンサーの開発と普及に拠っている。2001年頃にシーケンサーが開発され、塩基配列が容易に読めるようになった。更に開発競争により世に普及するとともにありとあらゆる生物、ウイルスの遺伝子が読まれるようになった。この時に沢山使用される試薬の需要に応じて多くの試薬ベンダや製薬会社の部門が設立され、例えば焼酎の宝酒造が設立した子会社がタカラバイオだ。
この流れでコモディティ化した技術がPCRで、生物由来の物品を扱う様々業種で利用されるようになった。もうコモディティ化して普及が始まって20年以上になる。
要するにバイオテクノロジーにキャッチアップ出来てない人間があれらのデマに乗っかっていたのである。そもそも遺伝子検査で偽陽性が出るという事に疑問を抱いて調べないものだろうか?遺伝子偽陽性とは端的に他の生物と配列が一致するって事で、人間ががんになったら光合成できるようになったとか、人間同士から時々マンモスが生まれるって事だぞ?
しかもコモディティ化した技術なら必ずマニュアルと技術説明は公開されている。ソーシャルブックマークなのにそういうのを探しに行かないのだ。
代わりに「最先端の特別な知」的なものに弱い。これは、それらは具体的に判る所まで判らなくても背伸びした知的な自意識が満足させられるのに対して、コモディティ化した技術や常識では具体的に判ったところでスタートラインのペエペエだ。自意識の面では効率が悪いのだ。
これは経済分野でも同じで、日本が発達した資本主義社会なので経済知識を身に着けるのは大変だ。学校では教えてくれずに社会に出てしか判らない秘術みたいな知識もかなりある。それを身に着けて初めてペエペエなのだ。
だが給与生活者が経営者エアプしている限りはそれらの摩擦に晒されずに済む。こうして「ネット経済通」となって中年の永遠に終わらない青春に浸り続ける事になる。
コロナ初期にはてなスターが機能停止し運営はテストだと言い、それをブクマカらは無能だと評していたが、まず考えるべきなのははてなの異常なデマバブルだろう。SIモデルとベイズ推定を全能感の為だけに消費して批判的に検証しない、技術マニュアルを見に行かないという自意識フィードバックを停止させるために止めたのではないかとまず考えるべきだろう。
元から弱者男性論が多かった地でまとめキッズの植民が始まったら女叩きに移行するのは目に見えている。自分たちの権利擁護として表現規制反対が多くなるのは当然の権利で真っ当な事だ。だがそこから批判対象がフェミに収斂し、女叩きへと容易に至る。
だからcorabo叩きの最中に男女平等パンチ賞賛の増田なども当然にホッテントリ入りする。
https://anond.hatelabo.jp/20230110202355
女に対する恨みの蓄積なんだそうだ。しかも世の男は皆女に恨みを抱いていると考えている。それは弱者男性だけであるし弱者男性の敵はそもそも「男らしい男」やその概念ではないのか?
それからcorabo叩きの最中には「西早稲田2-3-18-51」デマも複数ホッテントリ入りしている。これはプロテスタント教会が市民運動に事務所貸ししてるのだが以前は在日朝鮮人の根拠地という噴飯な差別デマであったものをアレンジしたものだ。エグザイルの伝統舞踊を踊りなんである。
非モテ+リベラル+経営者ワナビーの集団のうち、非モテは残って女へのルサンチマンで上書きされ、リベラルの非現実性とのバランスに実務者や現実主義ではなくて自称リアリストが蝟集して現実から遠ざかってしまい、経営者ワナビーの経済音痴は温存されたままになってしまったのが現在のはてなだ。
故に10年前のリニューアルはうまく行かなかったと言える。一般人を呼び込むつもりが一般人が近寄りがたいデマが横行するルサンチヘイトサービスの方に行ってしまったのだ。
グラビアDVDの総合的な価値はモデルのルックスと露出度の積により決定される。
つまり、「よりかわいいモデル」が、「より過激な格好」をするほど「使える」というわけだ。
だが世の中はそううまくいかない。
かわいいモデルは顔がかわいいというだけで価値が高いので、あまり脱がない。
結果として総合的な価値はだいたい同じようなところに落ち着くわけだ。
一般化すれば、「おっぱいをどのくらい生乳に近い姿で見せるか」がバストの露出度だ。(生乳=なまちち≠せいにゅう)
その演出にもこれだけの多様性がある(序列は筆者の独断による)。
《露出度低》
↑ 着衣
│ 着衣の胸元がはだける
│ ブラ+下乳
│ 眼帯ブラ
│ 着衣の胸元が完全にはだける
│ 紐のはずれたブラや着衣+両面テープ
│ Tシャツたくし上げ下乳見せ
│ 前腕ブラ
│ 片乳が手ブラ
│ 両乳が手ブラ
│ 指ブラ(本数により調節)
│ 泡ブラ(泡量により調節)
│ ニップレス
│ 絆創膏
│ ペイント
│ 生乳
↓
《露出度高》
強引に細分化しただけのように思えるかもしれないが、実際にグラビアではこれらの表現がかなり慎重に選ばれ、使い分けられている。
露出度(≒興奮度)の序列には異論があるかもしれないが、この序列は筆者が興奮する順番ではない。
一般にグラビアモデルはその活動の過程で徐々に露出度をアップさせていく。作品を出すたびに表現を少しずつ過激にしていかなければ売上が落ちていってしまうからだ。露出度を足踏みしたままで何十作も作品を出せるのは限られたスーパースターだけだ。
露出度を上げていく過程は、モデルの視点に立てば許容範囲を譲歩していく過程でもあるし、モデル事務所の視点に立てば出し惜しみの緩和の過程と捉えることもできる。
上に並べた表現の序列は、おおむねその過程を一般化して並べたつもりだ。だいたい似たような過程をたどるのである。
ちなみに、ECサイトなどで成人向け(R18)に指定されるのは下から2~3番目だけ。乳輪の見えない絆創膏までならば全年齢向けのグラビアDVDで楽しめる。
上では可視範囲という軸だけで序列を行ったが、その乳房に対してどのようなアクションをするかという評価軸もある。
走って揺らす、縄跳びして揺らす、側面や上面をマッサージする、洗う、ガラス面に押し付ける、シャワーヘッドを挟む……など、グラビアDVDは様々な手法でモデルの乳房の質感を視聴者に伝えようとする。
露出度とアクションの過激さでバスト表現から受ける興奮度合いが調節されているわけだ。
ただし、直接的にも間接的にも乳首がいじられることはない。全年齢作品においては禁じ手なのかもしれない。
さて、グラビアDVDにおけるこうしたバスト表現だが、近年はインフレの一途を辿っている。
デビュー作のパッケージ写真がすでにニップレス姿という作品が増えてきた。
バスト露出にとどまらず、表現演出の観点でもR18一歩手前を攻めた作品が相対的にかなりの割合を占めるようになってきている。
製造やサービス業では、競合同士の品質の差がなくなると価格だけで競争しなければならなくなる。
これを過当競争と言ったりコモディティ化と言ったりするが、グラビア界にもそれが起こりつつあるのではないかと思う。
業界全体として露出度・過激度が飽和し、「かなり脱げてる作品」「かなりエロい作品」でないとユーザーの関心を引けなくなっているということだ。
もちろんユーザーにとってはこの上なく喜ばしい話であるが、ファストフードチェーンが価格の叩き合いの末に疲弊していったように、グラビア業界にもいずれこうした傾向の揺り戻しが来るのではないかと危惧している。