はてなキーワード: 結果的とは
男の上司ならメイクしてるかすっぴんかなんてすごく濃いとかじゃないかぎり気づかないと思うので大丈夫
女の上司ならもしかしたら気づくかもしれないけど咎めたりはしないんじゃない? 知らんけど
最近は男性ファッション誌にメイクのこと載ってたりするしちょっとずつだけど変わってきてると思う(ちなみに具体的にはメンズノンノで見た)
男女問わず化粧したい人はする嫌な人はしないが当たり前になってほしい 結果的に化粧したほうが見た目が良くなった結果色々有利になってしまう→マナー化とかはありそうだけど
https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a
この記事を拝読して少し思うところがあったので初めて記事を書いてみる。
先に言っておくが、筆者を批判する意図もないし、世の中に何か伝えたいわけでもない。
ただ、自分の境遇を書き殴り、あわよくば共感してくれる人が現れることを期待しているだけだ。
ちょうど増田なら周囲のノイズ情報から人間性を邪推されることもないし、純粋なぼやきを書くのに最適だろう。
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筆者は田舎の一般家庭という途轍もないギャップを必死の努力とそれを土台とした更なる努力の積み重ねで乗り越えようとしている。このまま突き抜けて欲しい。
が、世の中にはそう上手くいく人ばかりではない。
たまたまちょっと頭が良かった田舎者が、分断された世界を乗り越えようとするも、中途半端な努力のツケが回ってきて手前の谷底に落ちて沈むこともあるのだ。
私も北関東の片田舎の公立中を卒業し、そこから紆余曲折あっていわゆる高学歴層である東京の大学に進学した。が、それは努力の放棄の結果でしかない。
「成功率1割未満の綱渡りを何度も繰り返して辿り着いた先には、そこが『スタート地点』の奴らがゴロゴロいた」なんて経験は彼女からすると慣れたものだろう。
だが、私はそれを高校進学で体験し、そこでまさしく「人生を賭けた」努力を放棄してしまった。スタートラインが高い奴に勝つには一点集中しかない。一点集中は苦手だ。
小中学校は地元の公立だった。この手の記事で紹介されている事実に相違ない。付け加えるとしたら同級生が暴行で少年院に入り、卒業生がバイクで学校に乗り込んでくるし、喫煙率は中学生の時点で1割ぐらいだったということぐらいだろうか。
そんな中学校だが、3年時の学年主任にまさに世界の分断を教えられ、県内でも都会の子供たちが通う私立高校への進学を勧めてくれた。(彼の息子さんがその高校の先輩で、今は東大を卒業して超大手メーカーで働いているらしい。息子さんは分断を乗り越えた。)
受けてみたら運良く特待生になれた。当時好きだった子が先に同じ高校へ進学を決めていたし、修学旅行が海外だったので親の許可をもらって進学を決めた。
(ちなみに中学の時一番勉強ができた奴は地元の公立高校から東大に進学し、今頃は公認会計士の試験に通っているだろう。彼も分断を乗り越えた。)
高校に進学していきなり衝撃を受けた。
まず、ブルーカラーの家庭が我が家しかない。みなホワイトカラーで高給取りの子供だ。余談だが私はそれを嫌だと思っていないしむしろ世の中の為になる仕事で稼いで育ててくれたことに感謝している。だが、どうしても育ちの違いはある。言葉で表現するのが難しいが、見た目・行動・趣味の全てに清潔感があり、上品さがある。
なるほど育ちの違いとはこういうことかと初めて身を以て理解した時だった。そして同時に思った。「こんなに育ちが良くてなおかつ才能もある人間に勝てるわけがない」
当時私はITエンジニアになりたいと思っていて、理系に進んで情報科で院進して…なんていう未来を思い浮かべていた。しかしおそらくこのまま理系に進んでも中の上ぐらいにはなれるが秀才・天才の類にはなれない。
そんなことを思って文系に進んだ。これが1つ目の努力の放棄だ。
文系でもSEとしてITの世界に入る道はあったから、最終的に同じような結果になる以上他の選択肢も広い方がいい。そう思って文系で高学歴を目指した。
といっても受験勉強はそれなりに頑張ったつもりだったし、結果的にはよいものだった。が、東大を受けなかったことはその後の努力を放棄することに繋がる。
東大に入ればもっと育ちの違い・地力の違いを認識させられる。しかも大学に入ってからも受験勉強のような厳しい勉強が待ち受けている。受験勉強で懲り懲りだ。そう思って東大以外の大学を受けた。
(ここでも自分が勝てなかった奴は東大に合格し、今頃は官僚になっているだろう。彼も片田舎から這い上がった。分断を乗り越えた。)
結果として受験は上手くいき、予想通り合格した。そして大学に進学した。まあ、そこも世間一般的には優秀とされている大学なのでありえんエグい育ちの違いを見せられるのですが…。
就職活動を通して思ったことだが、田舎から生産されるべきは理系の秀才であり、文系のエリートははっきり言って求められていない。というよりかは結局育ちの良さとコミュ力の高さとある程度の頭の良さと整った顔面が求められているので、そんな遺伝子ガチャを田舎で成功させることがまず無理に等しい。遺伝子ガチャに成功しても育ちの良さをカバーするための努力は尋常じゃない。冒頭の記事の筆者はそれを実現しそうなところまで来ている。本当に頭が上がらない。
https://anond.hatelabo.jp/20130809115823
そういえば高学歴の世界・低学歴の世界なんて言葉もあったな。どうも田舎の公立中を卒業して必死に努力して都会の旧帝大や早慶に何とか入った人間には、こうやってエリート層と底辺層との分断が実感を持ってのしかかるものらしい。
地元の公立中を出た人間が、初めて都会の人間と高校で交わり、そこで夢に向かって成り上がる努力を放棄した。次に大学進学でも妥協し、やはり頂点を目指す努力を放棄した。
周囲の「普通」を見ると出生ガチャの時点で勝ち目がなさすぎるし、一方で同じような境遇の人間は信念に裏付けられた本物の努力で分断を乗り越えている。
どちらもない自分はそんな分断を乗り越える人間のライバルとして花を添えることしかできなかった。
一方でたまたま周囲の人間には恵まれ、人生そのものはコスパよく楽しくやっている。結局はずっと興味があったITの世界に入れることになったので(結局のところ分断は乗り越えられず大手の子会社だ)、これからもトップを目指さずに成功とも失敗ともつかない谷底の人生を歩んで行こうと思う。
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最後に、「この割れ切った世界の片隅で」の筆者はまだ高校生らしい。これからも私には想像できない、耐えられないような苦労をたくさんするだろう。我々のような屑の屍には目もくれず頑張ってほしいです。最後の最後まで勝ち残った時にはきっとその境遇が誰にも負けない強さとなって味方してくれるはずだから。応援しています。
ネットでの評判がよかったのでお盆休みに一気見した。仕事を始めてから、アニメを一気見すると生きてるなって感じるんだよね。
第一印象としては、原作が完結してないという前提でなら良くまとまっている。劇伴が美麗で物語に引き込きこんでくれる素敵なものだった。ストーリーはケモミミ従者のラフタリアちゃんの過去をキチっと掘り下げて結末につなげることで、実は物語がラフタリアちゃんの成り上がりにもなっている。キャラは可愛いし、ストーリーとしても不遇の勇者が冒険して報われるというシンプルなもので不満はない。ここが凄くイイよと熱狂できるポイントはなかったけれど、強烈に不快な点もなかったので、売れそうなものを効率良く集めて体よくまとめたっていう感じかな。
このアニメが心に残したものって何だろうと振り返る。体よくまとまっているからこそ、何かが少し物足りない気がするんだ。主人公の盾の勇者はいったい何を行動指針にしていたんだろう。一見、主人公のやったことは利己的で生き残るためなら何でもするというようにも見えるが、後半に行くにしたがって逆境にあっても結果的に正義をなしていたことがわかってくる。一見すると、主人公は何もかもどーでもいいやという投げやりな態度に見えて、その実しぶとくしたたかに生きている。最後は政変によって無実の罪を晴らしてくれる権力者が現れて、すべてを解決してくれる。なんかしっくりこないんだよね。前評判として聴いていた復讐の物語というのを前提にして見ていると、残り5話くらいで名誉を挽回してしまっていて、拍子抜けする。巌窟王みたいな復讐に命を懸けるほどの熱意もない。
最後に、キャラが可愛かった点は声を大にして訴えておきたい。巨大な鳥のボスから褒美として、なんでもやるぞと言われたのに、王女様のメルティはあなたの背に乗りたいと言ったことが印象的だった。世俗の富も権力も手にしている王女様が俗物ではないことがそのシーンから伝わってくる。
フィーロちゃんがメチャカワだったよね。だったよね! この点は少なくとも最高。ニコッと笑った表情の動きが、止め絵では表現できない絶妙な愛らしさを振りまいていて、流石ゆゆ式・ごちうさ・くまみこを世に出した制作会社だと納得。もっと早く見ておけばよかったよ。
米津さん、インタビューとか昔のブログだとか読んでても、奇をてらってやろうとか自分の内相世界を克明に描ききりたいみたいなアーティスティックなエゴあんまり感じないんだよね。
曲聴いてても社会にちょっと意見してやりたいみたいな態度に出てくることもない。
影響受けたものとかはまっているものとかその時々流行っているものを素直に受け入れている印象。
なんかそこら辺が藤原基央や野田洋次郎のような先駆者や、常田大希、山口一郎あたりとは違うところだよなと思う。
ハチ時代からマスの中で自分の作ったものが共有され楽しまれることを第一に掲げてるように僕には見えた。
曲の中に広がる世界にしても「面白い話を思いついたんだ」と友だちに話すことの延長線上にある気がして、米津さんがやることや言うことを聴衆が「面白い」とか「カッコいい」っていってその気持ちを共有していることが軸になってるんじゃないのかな。
じゃないとあの時代のニコ動のボカロ文化にのめり込まなかっただろうし、メジャーデビュー時からのタイアップソング量産体制に舵を切らなかっただろうと思う。
米津さんがすごいのは独特な感性を持っているのに大衆性を全く取りこぼしてないところで、逆に言えば大衆的なアプローチを意識してもどこかしら独特な風合いを帯びてしまうことだと思う。
そしてどんなアプローチでも米津玄師らしいマインドというものが奥の方でブレなく残っているように僕には聴こえる。
また、おそらく本人は自分が素敵だと思ったものを無邪気に曲に盛りこんでいるだけだったり、みんなが楽しめるポップソングを真摯に作り上げたいと思っているだけで、最初から独自の米津ワールドを展開したいとは考えていない気がする。
結果的にそうなってしまうんだろうし、それでいて気負わずに聴けるポップソングとして未だに破綻していないから米津玄師は支持されるのだと思う。
僕は昔から宇多田ヒカルが好きなのだけれど、宇多田ヒカルと米津玄師はどこか近しいものを感じる。
宇多田ヒカルが今さらFirst LoveやDistanceの頃のテンションで曲を作ることはありえないし、それに反してFirst loveのような曲を求める人がいることも理解できる。
マスメディアの中に鎮座しながらも、最大公約数的な共感の世界に生きていない。作者の個人的な感情や自分だけが持つ脳内のイメージを、聴き手の心情に照らし合わせフィットしていくようなドアtoドアの世界。
アクタージュの件で、過去に一緒に仕事をしていた人間が児童買春で捕まった時の気持ち悪さ、おぞましさが蘇ってきて、じわじわダメージを受けている。
作品のファンという訳でもなく、過去の気持ち悪さをぶつけたいだけの自分語りなのでご理解いただきたい。
数年前に、同じプロジェクトで仕事をしていた人間(以下A)が突然出社しなくなった。
本人かご家族に何かあったのかと心配していたら、数日後にほかの業務で呼び出された先で、Aが逮捕されたことを知った。
私に対して告知が行われたのは、Aと一緒にしていたプロジェクトとは無関係で、たまたま私が報道に関するチェック部門にいたから。
その告知でも罪状は伏せられていたので、酔ったかストレスで暴力事件でも起こしたのかと思いきや…
報道をチェックして、Aが前職時代に、他県で犯した児童買春だと知った。
報道には社名はなく、他県の地方紙に小さく載っていただけだったので、そこは安心した、が。
児童買春、いわゆる女子高生の風俗店だったわけだが、昨日まで一緒に仕事をしていた人間が違法と分かって未成年を買っていたという事実は気持ち悪すぎた。合法な風俗はいくらでもあるのに…
押収品が写真だったんだが、Aが入社時に写真が趣味と言っていたことを思い出し、よりおぞましい気持ちになった。
(ここからは若干自意識過剰と思われるかもしれないが)同じプロジェクトで仕事をしている中で、ほかのメンバーから「あの人あなたに興味があるらしいから今度飲み会セッティングするよ」と言われたり、本人からもちょっとした好意的なアプローチがあったので、その欲と地続きで児童買春して未成年のいかがわしい写真を撮影していたかと思うと本当に気持ちが悪く、恐怖を覚えた。
プロジェクトの時に私に向けられた、よく言えば好意的、悪く言えばいやらしい目つきで、被害者の写真を撮っていたことがリアルに想像できたから。
その上、報道チェックの業務としては、Aのプライバシー保護のために逮捕されたことすら口外禁止だったので、誰にもこの気持ち悪さを言えないことにもモヤモヤした。特に私は何か被害にあった訳ではないが、結果的にAは守られ、私はひとりでこの気持ち悪さを抱え込むしかないのかと。
アクタージュの件、被害者の感じた恐怖はいかばかりかと思う。私も中学生時代まででも十数回痴漢行為をされているのでその面でも許せない。
同時に、一緒に仕事をしていた作画の先生は、どれほど悔しく、おぞましい思いをしているかと思うと心が痛い。
「クリエイターとして、作品が中断される無念」の方がクローズアップされがちだけど、個人として、今回の痴漢行為と地続きの人間性や欲を、向けられてたこともあるんじゃないか。直接の被害でなくても、言動や表情から滲むものはあったと思うし、思い出したくなくてもそれらが気持ち悪い記憶として残ってしまわないか。
「COVID-19」ゲームは、非感染者になりすました人物を雰囲気で見つけ出すゲームです。
プレイヤーは、全員とあるムラの住人として振る舞います。その中の何名かは感染者で、非感染者に化けて社会的に生き延びようとしますが、結果的にムラが滅びます。
ムラ人たちは毎日、発言や仕草を頼りに見分けのつかない感染者を探し、多数決でもっとも疑わしい1名を感染者とみなして隔離あるいは社会的に処刑します。一方、感染者たちは人知れず誰かに感染を広げていきます。
こうして昼と夜が繰り返されて犠牲者が増える中、感染者をすべて隔離できたらヒトの勝利。それよりも早くヒトを減らし、生存者の半数を感染者で占めたらSARS-CoV-2の勝利。
感染者や非感染者の他にも、夜に感染者を見つけることができるPCR検査や、昼間に隔離した相手が感染者だったか分かるPCR検査など数多くの役割があり、これらはプレイ開始前に配られたカードによって決まります。
PCR検査は感染者を見つけることができますが、30%ほどの確率で感染者を非感染者と判定します。同様に、1%ほどの確率で非感染者を感染者と判定します。またPCR検査のカードの枚数には制限があります。
そのほかの特殊なカードとして、昼間に石や生卵を投げる役割、夜に張り紙をする役割、夜にネットに書き込む役割などを追加することができます。
そのため、同じメンバーで遊んでも毎回異なる展開を楽しめます。
感染者は巧みな言動で、非感染者は的確な推理で、会話を通じて仲間を説得し仲間と分断されていくのが「COVID-19」ゲームの醍醐味です。
漫画アニメゲームってやっぱ作中の表現と現実はどこまで地続きなの?みたいな展開が可能だから難しいよ
過激な表現だからゾーニングするべき、というゾーニング戦略でフェミニスト達が共同歩調をとれれば良かったけど、ツイフェミと称される剛の者達が表現そのものを抹殺させようとして結果的に運動としては分裂したよね
フェミニスト=ツイフェミって感じの認識が一般化されて急速にオワコン化が進んだよね
ちなみにここで使ってるオワコン化って、意味としては成長分野ではなくなったってこと
オタクが金になるコンテンツとして成長していったのに対してフェミは金にならないコンテンツになっていってると思う
芸能人なんかがメディアで「私、結構フェミニストなんですよ~」が金に繋がるシグナルではなくなってるということ
これは運動としては致命的だわ
NHK朝ドラ「エール」の主題歌「星影のエール」のMVが先日公開された。
曲も映像も素敵で、ストーリーも素晴らしいような気がして初見で泣いてしまった。Youtubeのコメント欄でも泣いたファンは多かったようだ。
それで立て続けに何回も観たが、見れば見るほどストーリーは分かるようで分からなくて、考える余地がたくさんありひどくハマってしまった。ストーリー重視のMVはたくさんあるけど、こんな刺さり方をしたことはなかったので、妄想したことをひたすら書いていきたい。
まず私について簡単に。
しがない社会人。かつてはこういうコンテンツに興味があって勉強をしていたこともあったし、なんならそういう職に就いていたこともあった。
くじけてそうじゃない職に移ってしまい、いまはただの消費する側になってしまった落ち武者。仕事しんどいと思いながら虚無になる前にコンテンツを消費することで救われている多くのうちの一人。
少しだけ作る側の現場や状況を知っているので、そのことに思いを馳せて敬意とか羨望とかを織り交ぜながら楽しませていただいています。
GReeeeNの明示的なファンではないけれど、めっちゃ有名な曲とかはスマホに入れてて、星影のエールは朝ドラの主題歌なんだーと思って買ってた。
星影のエールの作品世界を考察しながら、MVをリピートしまくっているところ。
〜〜〜〜
〜イントロ〜
〜1番〜
光る星と遠ざかる青い惑星
〜2番〜
星空を見つめるロボット
〜Cメロ〜
浜辺。流星群を見つめる男女
宇宙船内。眠っている老婆
それを見つめるロボット。窓外に青い星
〜大サビ〜
意を決するように胸のスイッチを押すロボット。激しい光があふれる
倒れるロボット
構成は「段階的に年老いていく女性」と「段階的に老朽化していくロボット」の変化が主軸。1番サビではロボットに庇護される赤ちゃんの笑顔、2番サビではロボットと少女の喧嘩と対置されている。怒っている少女はこの作品の芝居の中では最も感情が発露されるアクション上のピークだが、その直後には宇宙船内から回想へ移る展開の落差が用意されている。流星郡や星空を含め無数の星が描かれている作中で「誰よりも私には輝く星」の箇所では、青年はそれらの一切は眼中になく少女を見つめているのが印象深い。そのあとは老婆とロボット、宇宙船の行く末という作品の山場に雪崩れ込む。
宇宙船のデザインやロボットのデザインはレトロフューチャーなのであまりカッチリ考えてもというところではあるが、楽しいしその後の考察の手がかりとして重要なので考えておきたい。
つまり近未来か遠未来かという点だが、ロボットに人格や精神を転写したり、恒星間宇宙船を建造できるくらいには未来、ということになると思う。
宇宙船は、メインの舞台になっている広間の「大窓」がイントロのカットでも確認できるので、居住区を回転させて遠心力で擬似重力を得るタイプではなく、狭い範囲の重力制御とかを実現しているのかもしれない。
また、ラストで事実上船員がいなくなった宇宙船をオートバイロットで着陸させられる程度に進んだ科学技術がある。
超光速航行は実現していない、重力制御はできる遠未来、と考えたい。
眉間の間に指を持ってくる謎の仕草をたびたびするが、これが回想に登場する青年と同じ癖であることが描かれる。このことからロボットと青年は深い関わりがあると考えられ、「ロボット化した青年」もしくは「青年の精神や人格を引き継いだロボット」だと考えられる。この差はSF的には重要で繊細だけれど、これ以上判断材料は提供されていない。ひとまず設定上の同一人物として扱っていいと思う。
青年がロボットになった理由はなんだろう?宇宙船は恒星間航行ができるが、超光速ではない。生身の人間は保たない。だがそれでは「少女はロボットではない」理由にならない。
作中、そのボディは徐々に劣化していく。記号的にボロにしているといえばそれまでだけどあえて考えてみる。宇宙船内だけで活動している場合、こけて塗装がはげるくらいは起きるだろうが、大袈裟にへこむことは考えづらい。赤ちゃんの世話だけでなく、船外活動など宇宙船のハード的なメンテナンスも多いに請け負っていたものと考えられる。大型の飛来物は宇宙船を操作して避けるだろうが、小型の飛来物は当たってしまうのだ。天文学的確率で。(あたったらへこむどころでは済まないんですが、そこは主人公補整)
冒頭で産声を上げ、時にはロボットと喧嘩をし、回想後にはカプセル内で眠っている老婆。これらは同一人物として見ていいと思う。その後、ロボットがトリガーした謎の発光により、再び赤ん坊へと再生する。歳を重ねてから赤ん坊へ戻る仕組み(能力)の詳細は不明だが、トリガーはロボットのボタンと女性が握った星型のアイテムにある。
回想の中で登場する女性と同一人物かどうかは分からない。ただ、別人と考えた場合、回想の男女のうち男性はその後ロボットになったのに女性が描かれない、ただ数秒登場する男性の恋人ということになる。その二人の子供が冒頭の赤ちゃんだと考えてもいいが、それだと母親は乗っていないのか、乗っていないにしてもロボットだけで行けばいい(お子さんは連れて行かなくていいんじゃ?)という話にもなるので、そのすじは想像を膨らませすぎというか、素直に回想の女性=宇宙船の女性と考えていいと思う。少女時代の姿もとても似ている。
GReeeeNらしい緑色の星。作中たびたび光の強さが変わるが、冒頭は光っていない。赤ちゃんが嬉しそうに持ち上げている時にぼんやり光り、ロボットと少女が喧嘩した時には光が弱まった。回想には登場しない。終盤、ロボットが胸のスイッチを押すと激しく発光し、女性の体が薄く透けていく様子が確認できる。
このことから、女性の生命の様子に深く関係し、影響を与える(具体的には身体を若返らせる)。
また、ロボットと二人の関係に影響を受けることが分かる。若返り発動が「女性が星を握る」「ロボットがスイッチを押す」という両者のアクションで発動した(女性ひとりのアクションで発動しない)ことからも、星は両者に関係して動くのだと考えられる。
感情に感応する・若返り効果を発揮するといった現象が、登場する二人だけに生じるのか、人類全般に対して生じるのかは不明だが、「互い照らすその意味」を司るアイテムだと考えたい。
終盤、老婆になった女性が、ロボットがスイッチを押した途端発生した光により赤ちゃんへと若返る。途中、老婆の手が透けてうっすら星が見えることから、コナンくん的に身体が縮むというよりは、もっとファンタジックなものだと思う。なのでやっぱり、若返りというよりは転生という語が適当だと考える。
船員はこの女性とロボットの二名で、ほかの船員は描かれない(最初はいたのかもしれないが、空間に余裕のある船ではなさそうだし、二人だけだと思う)。となると、出発時点で赤ちゃんだということは考えづらいので、MV開始時は「旅路の途中で、女性が老婆から赤ちゃんへ転生したあと」ではないか。
なので、MVのクライマックスで描かれる発光と転生はMV開始時点で最低一回は行われていることが分かる。そうなると問題になるのは回数だ。何度もできるならロボットが最後に「意を決するように」押す必要もなく、気軽に押せる。おそらく回数制限があるし、多分MVラストのそれが文字通り最後だったのだと考えられる。
冒頭、転生直後のためか星は光っていなかった。ラストでは淡く光っており、ロボットすら転生する様子はまさしくキセキということだと思う。
回想シーンでは、夜空に流星群が飛来している。GReeeeNのキセキでも同様のモチーフが使用されていて、同MVがYoutubeに登録されたのは2010年7月のようなので、ほぼちょうど10年ということになる(10年前でももう少しグラフィカルな合成はできたと思うのでMV制作の厳しい予算のことなんかを考えてしまった。このフルCGアニメは仕上がり通りの潤沢な予算で作られていてほしいと流れ星に祈るなどした)。
流星群と言っても放射点がない?ので、この呼び方が適当かはわからない。
流れ星には「良いことの前兆」「悪いことの前兆」両方の伝承があるようだが、今回はどちらだろうか。流星の色、宇宙船内の星形のアイテムの色をみると、両者に関係があると考える方が自然で、もっというと両者は同一物だと思う。
悪い物を持ち込んで旅をするのは苦しいし、実際転生のアイテムでもあるので、ここは吉報の方の流星だと考える。カタストロフの前兆を描いたものではない。
そんな特殊なものが降っていると考えると、自然現象としての流星ではなく、人為的な何か(人工物は降っている、または軌道上にあった人工物が飛び散って降下している)ではないかという妄想も膨らむ。
そろそろまとめていきたい。
流星が飛来し、それに祈る女性とその女性にみとれる男性がおり、二人は姿を変えてすごく長い宇宙の旅に出かけた。その理由はなんだろうか。
彼女は、流星として降ってきた何かの作用を受けて、若返ることができる。ロボットはできない。では男性は、同じことができただろうか?
20xx年、宇宙から飛来したものに、一部の人類の身体を転生させる効果があることがわかった。
そして、なんらかの理由でそれを多量に行使する必要が出てきた。収穫するために、宇宙を渡る旅に出なければならない。
なんらかの理由とは、やはり人類が滅びるようななにかではないかと思う。その着想はYoutubeの考察コメントで見かけたものだが、細かい理由はMV内に描かれていないしなんでもいいのだけど、このご時世、どうしても強大な病原体による感染症を考えてしまう。
人類が滅びに向かう中、かつて流星群で飛来した物体に特殊な作用があることが分かる。それは使用回数に制限のある消費物で、できればたくさん欲しい。
一方で転生に耐えられるのは人類の全員ではなかったのだと思う。なので、適性が見られた彼女が、星を摘みに行くミッションを担うことになった。
男性は病魔に屈する(または、転生の適性がなかったのでやばいことになった、という想像もできる)が、ロボットとして彼女をサポートし続けることを選ぶ。
SFで恒星間航行といえば冷凍睡眠だが、設備が大きく収穫物を積むスペースはできるだけ確保しなければならない。冷凍睡眠設備は搭載されなかった。その意味でも、転生可能な人材はこのミッションに適切だったし、それをサポートできる誰かが必要だった。
一人と一機は地球のために旅立った。
どれくらいの旅路だろう?
回想で高らかに歌われる歌詞。普通に考えて2020年の現在からみて星座を眺めた数千年前(ギリシャ時代とか)を指した歌詞に違いないが、ここは妄想の翼を広げたい。この歌詞が流れる瞬間が千年前の出来事。作品が描いている時間と、回想とで、1000年程度の開きがあるという妄想だ。
片道500年以上の旅だ。光速の何パーセントの速度が出るのかはわからないが、計画の時点でわかっていた数字だと思うと絶望が深い。
宇宙船建造時点でも、現代より進んだ科学で人の寿命は伸びていると思う。それでも何度となく転生が必要だ。
MV内で描かれた赤ちゃん、少女、老婆は、それぞれが通しではなく、転生した時々の一コマ一コマであると考えたい。転生する度にロボットと喧嘩をしたかもしれないが、孤独な旅に耐えるために、おそらく女性は感情を抑制する精神改造か何かが必須だっただろう。喧嘩なんて起きない、そんな中での感情の発露。あの衝突は、数ある転生の中でもほとんど起こらなかった、非常に珍しく尊いといえるような出来事だったのではないか。
窓の外の星はどうだろう。冒頭、大窓の外には青い星が見え、子供が歩き出すころには遠ざかっている。
ただ、最低一度は転生を実行し、新たに産声を上げたにしては、地球が近い気がする。また、赤ちゃんの一人歩きは1歳三ヶ月で80%とのことだが(ググった)、それだけの期間が経過したなら、青い星はもっと遠ざかっていてもいいのではないか。冒頭に環のある惑星が写っているが、土星軌道から見た地球であれば遥かに小さいはずだ。
ふたつめの理由については、推進剤を節約するためにスイングバイしていたと考えることができる。
ひとつめの理由については、「出発時点=赤ちゃん」はSF的な筋立てを思い浮かばないのでここでは支持しないのだが、そうするとMVが描いているのは「行き>回想>帰り(到着)」ということになり、作品としての納まりはなんとなくいい。そうでない場合、あの星は地球ではなく目的地の星だと設定できる。MVは「帰り>回想>到着」という流れで、こちらは描かれているものの背景の勘ぐりとしては納まりがいい(と思っている)。冒頭の環のある惑星も、目的地近傍の土星ではない巨大ガス惑星だと考えると辻褄が合う。
最後の転生は、女性が自ら動けなくなるほど老いてから行われた。転生の回数券がいよいよ最後だと判明し、可能な限り老いてから実行することになったのだろう。目的の星での収穫物を使えればいいのだが、察するになにか使えない理由があったのだろう。
「時に私の後ろに光る星」
それまで暗い星空で埋め尽くされていた大窓には、いま青い星が大きく見渡せる!
安堵もある、悲しさもある複雑な美しさに目眩がする。
地上300〜400km程度の低軌道で、降下は始まっていただろう。時間がない。最後の転生の光に包まれながら、宇宙船を地上へ降りていく。
二人を迎えてくれるのは、二人を、あるいはほかの多くの収穫者たちを打ち出したかもしれないマスドライバー発射台。人類の残り時間が少ない中、限られたリソースで建造されたそれは、いまは朽ちて鉄骨を晒している。(そうではない頃に作られた灯台は、長らく無人の状態でもメンテナンス機構が行き届いているようだ)
地上に着いてすやすやと眠る赤ちゃんだが、誰一人迎えには来ない。滅びかけの人類は、おそらく地上設備では可能だった冷凍睡眠を実行し、ミッションの成功とともに目覚めるのだろう。
女性はロボットと喧嘩する前、空の絵を見ていた。その次のカットでは引きの絵になるが、反対のページにはほとんどなにも描かれていない。おそらく商業的な画集などではなさそうだが、船内スペースが貴重な中で持ち込まれたものなので、とても大事な、プライベートな冊子だと思われる。
「明日はきっといい天気/青き春もまた そうであれ」
青き春の時代に、白紙の状態から、誰と物語を描いていくのか、考えながら描かれた絵。回想に登場する二人にまつわる品、もっというと青年にとっての「輝く星」である女性を描いたものだろう。流星群を見る前の昼間か、「夜明け前の空」を見たあとの絵だ。そう考えると、右ページに見えるスケッチが回想に出てくる帽子に見えてくる。
そんな思い出の絵なのに、少女は空のみに注目して、暗い星空と見比べる。
ロボットの手を払いのけて、少女は怒りながらなんと言っただろうか。たとえば「こんな空を一体いつになったら見られるのか」。
自分が描かれていることには気づかない……転生しても、記憶は引き継がれないのだ。いま怒っている彼女は、だから青空は見られない。
答えられるわけがない。
ロボットの献身、ふたりの悲哀に残酷ささえ感じるが、それでも困難を乗り越えて互いに照らし続けた二人が、数百年の航海を終えてのちには青空の下で安らかに眠っている。
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だいぶ書きたいことは書けた気がする。
ここで明示しておきたいのだが、「公式はこう考えて制作したに違いない!」と当てようとしているわけではない。むしろ、私はここでこう考えたが、全く違う考えで作られていたのならその方が面白い。そうあって欲しい。
残念ながら、設定を徹底的に練りきった上で作られた作品なんて、それこそ恒星間航行でデブリにぶつけられるくらいの低確率で、どんな作品も多かれ少なかれ作りながら決めた・変えたことが無数にあり、特に理由もなく決めたことも無数にある、ということを私は想像してしまう癖がついている(そういうナイーブさはないけど「考えてなかったけど結果的に筋が通って見える」みたいになってる箇所には、謎のかっこよさを感じたりする。このMVにもそういう箇所があったら楽しいなと思う)。このMVの制作期間中には緊急事態宣言とか自粛とか、ままならないことがあったと思うし、その意味でも、隅々に渡って「ここはこういう考えで作られたに違いない」という考察態度でいることは難しい。
いや、そのあたりはなんでもいいけど、とにかく妄想が捗る作品に出会えて嬉しいってことです。
監督の森江康太さんは、ヨルシカやAmazarashiのMVもやってるひとっぽい。探したら観たことあった。
顔を出してない歌い手のMVをよく手がけているのかもしれない。
同じく8/7に公開が始まったドラえもんのポスターにも名前が載ってる。
誰にいうでもなく自前の発表の場があるでもないので、初めて匿名ダイアリー使ってみた。
誤字とか見つけたら直します。
(「地球を滅ぼすようななにか」の所ですが、SFに興味がある方は「天冥の標」(小川一水)を読んで思い浮かべるといいと思います
男を立てるというのは「何か危険があれば男に死んでもらう」ためのものであって、
女が男を馬鹿にして立てなくしたらその魔法が解けて、男は「ああ、そうか。命かけてまで守らなくてもいいのか。」と気づいてしまい、
結果的に女たちは男を盾にして自分らを守ることが出来なくなっていく。
つまり女は自分の力で自分の身を守ることがフェミニズムの本質にある。
離婚話も最近は男側からむしろ切り出す事が多くなったのは「守るほどの価値が無いのか?」と判断しようとしている。
分かりやすく言うと戦争とか狩りとかビジネスでも何でもいいけど、
闘争において死ぬための消耗品は必要だからこそ死を美談にして納得させる・洗脳するしかない。
そのために「男だろ」という価値観が続いてきた。
でも女が「男さん素敵」を使わない「男はゴミ」を言い出したらゴミに頼るゴミから卒業しないと、自分らで戦わないといけなくなる。
けど男も好きでもない女の為に命賭け無くなる。
当たり前だよな?
「褒める」と「命を賭ける」じゃ価値が違いすぎて取引に見合わないよな。
男もそこまで馬鹿じゃないから褒められなくなったら命賭けて守らなくて当然になるよ。
洗脳前提の取引で洗脳辞めたら通用しなくなることくらい分かるよね?
離婚も当然男が望むし。
養育費があっても本当にシンママでやっていけんの?無理でしょ。
本当にそれを理解してるのか。
結果的にこれが非常に良かった充実した大学生活が送れて就職も非常にうまくいった
アドバイスを一つ言うとあなたを監視する存在が必要だ、塾より何よりライザップのような金を払ってあなたの行動を逐一報告し管理してくれるようあんコーチが必要なのだ
京大を目指すような人間は学習方法はわかっている、ただそれをやらないだけなのだだから警備員のような存在が必要だ
たとえば「受験コンパス」はそれに近いサポートを受けることができる、もちろんそれ以外にもあるだろう
健闘を祈る
うちもほぼ同じ状況です。32歳同い年夫婦。
特に、旦那が興味ある人としか話したくない、人に興味ない、浮気とは全く違う世界に身を置いている、酒ギャンブルやらない、部屋が汚れていても気にしない点、
また、自身が運動も仕事もせず食べて寝てばかりの生活であるという点
ただ、私はこのままじゃ嫌なので、最高!とは思いません。。
思うことがあったので書かせてください。
うちがそちらと違う点は下記の通り、これはあなたの参考までに記載します。
・うちは確実に子供がほしいこと
・旦那が会社経営にまつわる事が好きなので、結果的に好きなことを仕事にしていて、労働自体に興味はないが、仕事に意欲があること
・旦那の年収がそちらより少し高いこと(現時点で1,300万)
・うちはお小遣い制でないこと(欲しいものねだれば大体買ってくれるけど、収入を知っているから無理なものはねだりません。私が欲しければ自分の貯金から勝手に買います。)
・うちの方が外食頻度が多く(週1,2)、比べるとうちの方が贅沢できていること(これは年収から考えると当たり前ですが)
・私が23-26までブラック中小→転職して26-30は優良な大企業で、いずれの会社でもいわゆるキャリアウーマンをしていて年収が800万あったこと
・私も頑張りすぎたったと思うけど、それが楽しくて、鬱にはならなかったこと
・私は一生働きたくないとは思わないこと(結婚を機に引っ越して退職したけど、コロナが落ち着いたら絶対にバリバリに復帰したい。社会から経済から必要とされたいという考えから。)
私がもしこのまま、ダラダラした生活を続けていても、きっと旦那は変わらず好きでいてくれると思います。
ただ、私が「このままのダラダラした生活がいい!」と思うようなタイプなら、そもそも彼みたいな人には選ばれてなかっただろうな、と思っています。
一つ言えるのは、東大で32歳で800万というのは比較的低い方なのでは?仕事への意欲があるならまだしも、それも無い旦那様とのことなので、今後も上場企業の昇給額程度しか見込めないのでは?そうなると、今後もし子供が生まれれば、生活水準を少し下げる必要があると推測します。人間は基本的に、生活水準を下げるという事ができない生き物と言われています。読んでいて、そこ(漠然とした将来ではなく、直近の未来)への想像力が少し欠けているかなと感じました。
素朴な疑問だが、外出して狼藉してる時点で通報。身元引受を拒否、ってしたらどうなるのか。
……と調べて知ったが、どうやら増えてきて法務省も困ってるらしい。
http://www.moj.go.jp/content/001224996.pdf
もちろん「親を犯罪者にするのか」とか「扶養義務違反」との声もあるかもしれないが、こういうケースってもはや「介護」や「扶養」の範囲を越えてるでしょ。公的サービスの協力を最大限仰いだうえで手の施しようがない部分については放置し、逮捕収監されるならされるに任せる……まで言わなくても、結果的にそうなることはありうるだろうな。
あらゆる差別(ここでは人権に関わることや公的なもの)は是正されていくべきだし、きっと良くなっていけるという立場。
なので一部の差別のみについての活動や、自分を不快にした個人を差別と呼ぶ行為は、別カテゴリだと思ってはすに眺めている。
声高だし主語を大きくして関係ない人の意見を引き出そうとするから、まるで多くの人が矛盾ある問題意識を持っているかのように見えるけれど、ごく一部だよ。好んで集まるから一カ所だけ見るとそんなのばかりに見えるし、数は多いから探せばいくらでも見つかるけれど、割合は多くない。(余談になるが、大きい主語に巻き込まれただけの人は、今コメントしたことと過去の発言は矛盾することもあるかもしれない。本来は関係ないのでそれほど強固な意見は持っていない。)
あとはてブのホットエントリーを見ているとそんな話題ばかりに見えるけれど、罵り合いが好きな人が集まりやすいだけなので…ほんとなんなんだろう。
強い言葉を使わない人だけが結果的に残った TL だと、 300 人超の中で anan に言及しているのは二人だけで、どちらも非対称性についてのコメントだった。適切にサンプリングするとどれくらいかは分からない。
話題になると話題そのものが嫌厭されて…手話面倒くさい近寄らないでおこうって人、何人も見たよ…文化盗用だって断言していたの、元の人ひとりしか見つけられなかったよ…つら…
うーん、まあ考え方の違いだからしょうがないけど、結果的に悪くな方向に応援するっていうるのはなーw
まあ、今のところは需要があるみたいなんでどうしようもないけどねw
誤配達を完全に防ぐことはできないのでここまで一方的にUberを全否定するのはどうかと思う。
自分も5月から在宅勤務になり運動不足解消も兼ねて配達員を初めて今は300配達位。
1回の配達に対してお客がGood,Badの評価を付けることができて
今Badが2つ付いていてそのうちの1つが言及元のように誤配達が原因だった。
夜の配達で同じような外観のアパートが2つ隣り合っていて、間違った方のアパートの同号室に置いてしまった。
アプリのお客のメモに自転車のかごに入れるように書いてあり間違えたアパートの同号室のドア前に目立つように
この例では正しい場所にピンがあったが、そもそもお客の入力したピンの位置が実際の場所とずれていることがよくあり
Googleマップでマンション名で検索し直してやっと配達できるということが10回に1~2回の割合である。
また、このコロナの状況で置き配が多くそれが誤配達を増やす原因になっていると思う。
例えUberが存在していなかったとしても他のサービスがコロナ対応して置き配をはじめるということは想像できるだろう。
単純に母数が急激に増えたせいで問題化しているのだと思う。
今までの出前サービスではそれらに対してきちんと対策がされていたかといえばそうではないと思う。
・心のキャパが狭いから、時間や仕事量が多いといっぱいいっぱいになる
・劣等感を感じたくないから、ある程度責任や頼られてる実感がほしい
・与えられた仕事が簡単だと、自分を低く評価された気になって辛くなる
という人間だったから、独り身だったこともあり、小さな会社の事務員に転職を勧めた。
小さい会社だったら任せられる仕事は広く浅いけど、人数少ないから 頼られてる実感もあって、結果的にうまくいったみたいだった。
頼られてるって感じることが大事だったみたい。
事務員がダメだったら、クリーニング屋さんの受付を勧める予定だった。
元増田に勧めておきながら言うことじゃないかど、兄弟は手芸が趣味で家で使うアクリルたわしとか作ってた、が、「この程度人に売れるものじゃない」ってピエンピエンされた(笑)
何かヒントになればいいな。
料理は時折かんたんなものを作る程度なので、とりあえず冷蔵庫にあったニラと豚肉を焼肉のタレを和えて焼いた。
タレを入れすぎてしまったので、フライパンの底が隠れる程度に肉汁やニラの風味が溶けこんだ焼肉のタレが残っていた。流石にこの量を捨てるのはもったいないと思った。
父が醤油で餅をたまに焼くので、その要領で、少しタレとみりんを足して角餅を三つ焼くことにした。
焼けた餅に海苔を巻いて、三枚の皿にひとつずつのせ、父の席、母の席、自分の席にその皿を置いた。
餅を焼いているあいだに母が作った、卵と野菜の炒めものもテーブルの中央に鎮座していた。
早く餅を食べた方がいいぞと父が言うので、席について餅を食べた。餅自体が美味しいのでタレで焼いた餅も美味しかった。
席についた母が、餅ののった皿をこちらによこそうとした。お腹が空いていないのかな、と思った。
けれど自分は餅をひとつ食べていたし、なかなかの弾力とボリュームがある餅をもうひとつ食べられるほどに夏バテ気味の腹に余裕はなかった。お腹がいっぱいだからと、断った。
すると母は父の前に餅の乗った皿を押しやっていた。
「食べないの? せっかく作ったのに…」
純粋に疑問だったのもあったので尋ねた。母も夏バテ気味なのかもしれない(にしても恩着せがましい嫌な言い方をしてしまったと、あとになって反省した)
「焼いた肉の出汁が入ってる!」
母が語気を荒げて言った。父が小さく母に苦言を呈す。
「責めないでよ!」
母の叫び声が響いた。
母が肉嫌いなのは家族全員が了解していることだった(ちなみに父は魚が嫌いで、自分は辛いものが苦手だ)
焼肉もステーキもローストビーフも手羽先も角煮も焼き鳥も食べない。
しかしソーセージやハンバーグ、餃子などの加工品は比較的好んで食べる。大好物の焼きそばは肉をよけて食べていた。
それなりに長い付き合いをしているけれど、母のことを実はあまり知らないのかもなあと思いながら、自分の皿の上にあったニラと肉を口に詰め込んだ。
いつもはそれなりに和やかな食卓の雰囲気が、気まずいものになったのは誰がとりわけ悪いというわけでもなかったように思う。
それでも一番悪いのは、付き合いの長さのうえに胡座をかいて、普通に焼いても美味しい餅を肉を焼いたあとのタレで焼けば美味しいのかな、と浮かれて食べるかどうかを確認をしなかった自分だろう。結果的に責めるような言い方をしたのも。そもそも母があのように語気を荒げたのは、父や自分がいままで母に対して似たような反応をしたことがあるからなのかもしれない。
近頃youtubeなどでゲーム実況の配信を見ていると、一部の視聴者がコメント欄に間違った情報を書き込み、それに対して別の視聴者が「エアプは黙れ」「エアプ湧きすぎ」などと反応してバトルになっている光景をよく目にする。
「エアプ」とは「エアプレイ/エアプレイヤー」の略で、まあ英語としては意味不明な和製英語だが、ざっくり言って「その場で話題となっているゲームを自分ではプレイしていないのに、あたかもプレイ済みであるかのように訳知り顔で振る舞う奴」というような意味である。
実際のところ、このようなコメントを書き込んでいる人間の中には、原義の通り実況対象のゲームをプレイしていないのに偉そうにコメントしている「エアプ」や、あるいはコメントで配信者を混乱させて楽しんでいるような愉快犯も少なからず存在していると思うが、
しかし、一時期ゲーム開発・運営に関わった経験から言って、おそらく大半は「プレイ済みでありながらシステムを正しく理解できない・していないプレイヤー」によるコメントだと確信している。
熱心なゲーマーには想像もできないことかも知れないが、以下に書いていくように、ゲームシステムの理解には実に様々なハードルがあって、それぞれの段階に実にたくさんのプレイヤーが存在しているのだ。
まず、根本的にゲームシステムを理解することが難しいプレイヤーというのが一定の割合で存在している。これは、開発側のプレイヤー統計の数値などを出さなくても確認できる実例がある。
Steamなどの実績システムで、細かめに実績が設定されているゲームを適当に選び、グローバル実績解除率を確認してみてほしい。
作品のジャンルや難易度、長さによって傾向差はあるものの、多くのゲームで最序盤のうちに2~4割のプレイヤーがドロップアウトする解除率の「壁」のようなものがあることがわかるはずだ。
この内には、「遊んではみたが好みに合わなかったから辞めた」というようなプレイヤーも一定数存在するだろうが、やはり一定数は「システムが根本的に理解できず、先に進めなくて諦めた」プレイヤーなのだ。
また、サイドクエストやアイテム収集、カスタム要素などに関わる脇道的実績に関しては、「ストーリーを進めなくてもその要素を少しでも触ればすぐ取れる」というような実績でも解除率が低い傾向にある。
これも同じようなことで、そもそもそのシステム自体を認識していなかったり、認識した上でもシステムが理解できず、放置しているのだ。
そういうわけで、実績からはプレイヤーのゲームに対する理解能力の割合というものを窺い知ることができる。事実として、ゲームプレイヤーのうち何割かは「そんなもん」なのだ。
システム理解の最初のハードルを乗り越えてプレイを継続したプレイヤーであっても、ゲームの理解度には大きな開きがある。ゲームのアクティブユーザー数に対して、攻略wikiなどを利用してデータ面の情報収集をしながらプレイに臨んでいるプレイヤーの割合は、体感では7割ぐらい。
そしてその7割のうちでも、大半はわかりやすいFAQ系のページや、キャラなどの性能評価などをざっと洗っているだけのことが多い。システムの内部的な確率や計算式などパラメータ的な側面を詳細に解説しているページは、如実に閲覧数が低下しているのが見て取れる。
「内部計算式や理論を理解した上で、この部分が強いからこのキャラは強いのだと理解し説明できる」というようなレベルに届かず、「キャラのページに強いと書いてあるから強いらしい」レベルの理解で止まっているプレイヤーはかなり多い。
このようなざっくり理解にとどまっているプレイヤーや、そもそも攻略情報を見ていないプレイヤーは、知識の不足分をイメージや経験則や直感、時にオカルトなどによって補ってプレイしている。そしてその内容は残念ながらしばしば間違っているのだ。
そして、このハードルを乗り越えてゲームシステムの理解に努め、しっかり情報収集しているプレイヤーでさえ、そもそもその情報源となるwikiなどに書かれている情報が事実である保証がないという問題にぶち当たる。
内部的な処理の説明に関しては攻略サイト側が勘違いして記載しているパターンも多いし、確率などが絡む要素についてはさらにひどい。(このあたりの内部ロジックを過度に隠蔽するゲーム開発側にも罪はある)
そもそも匿名のwikiであれば悪意を持って誤情報を書き入れることも出来るだろうし、近頃は広告収入目当てなのか粗製乱造的なゲーム攻略サイトも目立つようになってきた。
このような理由で最初から誤情報が書かれているサイトを読んでしまう、というパターンもあるが、近年はアップデートなどでゲームのデータや判定計算などに随時調整が入ることが多いため、攻略サイトの側がキャッチアップ出来ず、過去の情報が残っていて結果的に嘘になってしまっているケースも多い。
また、個々のプレイヤーの側でも、そうした調整が行われたこと自体を把握しておらず、過去の時点での情報理解で止まっていたせいで、結果的に嘘を言ってしまう……という事例も少なくないだろう。
そういうわけで、自分のシステム理解が間違っているかもしれないとか、攻略上どの選択が一番有利だとか、確率論的にどの選択が一番丸いとか、システム上の最高効率を考えた場合の立ち回りとか、最新のメタゲーム動向とアップデート情報とか、そういうことをとことん突き詰めて「最新かつ正確な情報を抑えてアドバイスできるプレイヤー」というのは、上記のような大量のハードルを全て飛び越えた一握りのスーパーエリート層であり、逆に言えばそうでないプレイヤーはどこかで間違った認識を持ってしまっている可能性がある。
そして、その上で、多くのプレイヤーは各々の段階において「それでよし」としてゲームを遊んでいる。ここまで割と否定的なニュアンスで書いてしまったが、ゲームは娯楽なんだから各々のスタンスでやればいいし、たとえシステム理解が間違っていようとなんだろうと、本人がゲームを楽しめているならそれが一番なのだ。
しかし、ゲーム実況のコメント欄という空間においては、こうした様々な理解段階のプレイヤーが同じ視聴者として接触してしまう。
そして、各々の視聴者は自分のプレイ経験の範囲で事実を言っているだけなのに、ごく一部のスーパーエリートを除けば上記のハードルのどこかで引っかかってしまい、「エアプ」として責められてしまうことになる。
「誰もがエアプ扱いされる可能性があるから優しくなろう」とか、逆に「スーパーエリートを崇めてそれ以下のプレイヤーは黙るべきだ」とかそういうことを言うつもりはないし、そもそもこの問題を解決できるとは思っていない。
ただ、従来このようなプレイヤー同士は、それぞれ分かたれたコミュニティの中で活動している傾向が強かった。そうした垣根がなくなり、いち視聴者として一つのゲームを楽しむ実況配信という環境において、対立が強く表面化しているのはとても悲しいことだと思っている。
わたしもテラフォーマーズを読んで危機を覚えたがある時、偶然にも治すことが出来た。その過程を説明しよう。
風呂に入っているときはいつ尿意が来るかわからず、一度我慢しても何度もやってくる。
止めようと思ってもどうしても止められなかった。
あるときテラフォーマーズをみてシャワーを浴びているときは気持ちいいのか、ということを知り、頭にシャワーを浴びているときだけおしっこするようになった。
今までの入浴中の「いつか」から、「シャワー中」に限定できるようになったのだ。
いつ来るかわからないものを我慢するのは難しいし、一度我慢しても出すまでは入浴中は何度もやってくる。
一ヶ月ぐらいは入浴中(シャワー中)の尿意が続いたが、それをすぎると尿意がなくなった。
勝ったのだ。25年間戦ってきたあいつにやっと勝つことが出来た。