アクタージュの件で、過去に一緒に仕事をしていた人間が児童買春で捕まった時の気持ち悪さ、おぞましさが蘇ってきて、じわじわダメージを受けている。
作品のファンという訳でもなく、過去の気持ち悪さをぶつけたいだけの自分語りなのでご理解いただきたい。
数年前に、同じプロジェクトで仕事をしていた人間(以下A)が突然出社しなくなった。
本人かご家族に何かあったのかと心配していたら、数日後にほかの業務で呼び出された先で、Aが逮捕されたことを知った。
私に対して告知が行われたのは、Aと一緒にしていたプロジェクトとは無関係で、たまたま私が報道に関するチェック部門にいたから。
その告知でも罪状は伏せられていたので、酔ったかストレスで暴力事件でも起こしたのかと思いきや…
報道をチェックして、Aが前職時代に、他県で犯した児童買春だと知った。
報道には社名はなく、他県の地方紙に小さく載っていただけだったので、そこは安心した、が。
児童買春、いわゆる女子高生の風俗店だったわけだが、昨日まで一緒に仕事をしていた人間が違法と分かって未成年を買っていたという事実は気持ち悪すぎた。合法な風俗はいくらでもあるのに…
押収品が写真だったんだが、Aが入社時に写真が趣味と言っていたことを思い出し、よりおぞましい気持ちになった。
(ここからは若干自意識過剰と思われるかもしれないが)同じプロジェクトで仕事をしている中で、ほかのメンバーから「あの人あなたに興味があるらしいから今度飲み会セッティングするよ」と言われたり、本人からもちょっとした好意的なアプローチがあったので、その欲と地続きで児童買春して未成年のいかがわしい写真を撮影していたかと思うと本当に気持ちが悪く、恐怖を覚えた。
プロジェクトの時に私に向けられた、よく言えば好意的、悪く言えばいやらしい目つきで、被害者の写真を撮っていたことがリアルに想像できたから。
その上、報道チェックの業務としては、Aのプライバシー保護のために逮捕されたことすら口外禁止だったので、誰にもこの気持ち悪さを言えないことにもモヤモヤした。特に私は何か被害にあった訳ではないが、結果的にAは守られ、私はひとりでこの気持ち悪さを抱え込むしかないのかと。
アクタージュの件、被害者の感じた恐怖はいかばかりかと思う。私も中学生時代まででも十数回痴漢行為をされているのでその面でも許せない。
同時に、一緒に仕事をしていた作画の先生は、どれほど悔しく、おぞましい思いをしているかと思うと心が痛い。
「クリエイターとして、作品が中断される無念」の方がクローズアップされがちだけど、個人として、今回の痴漢行為と地続きの人間性や欲を、向けられてたこともあるんじゃないか。直接の被害でなくても、言動や表情から滲むものはあったと思うし、思い出したくなくてもそれらが気持ち悪い記憶として残ってしまわないか。