はてなキーワード: 異能とは
ハイキュー:80点 現実的なスポーツ漫画でありながら必殺技要素もある美味しいバランス感覚が良い。
鬼滅:65点 独特のじっとりした空気のおかげでやり尽くされた異能バトルでありながらどうせ主人公達が勝つんでしょと思えない緊迫感がある。
ブラクロ:60点 スピード感が売りだったのにここ数週足踏みしてるため評価がどうしても下がる。
火ノ丸:55点 少し前までの瞬間風速は90点クラスだったがツッパリ君が仲間の絆で勝つことがわかりきっているここ最近の展開は微妙なのでこの点数。
斉木楠雄:55点 凄い安定感だ。
青春:45点 悪くないんだがもう一声欲しいでも新連載の中ではいい方。
ゆらぎ:45点 シコ漫画だけにシコ点つうかねこういうのは採点しづらい訳よ。
ヒロアカ:40点 主人公とライバルの対決や試験突破よりもヴィランの独り言の方が10倍ぐらい面白いんだがどうなってんだ。
オレゴラッソ(オレゴラ?ゴラッソ?テコン?どう略せばいいのか分からん):35点 光る所はあるので今回の連載で力をつけて次頑張って。
デモプラ:20点 ガッシュとベルセルクを足して割ってここまでつまらない話を作るのは逆に凄い。
アマルガム:15点 コンドルの方が夢があってまだ面白かった画力は伸びてそうだが何が起きてるのか分かりにくい絵が多く総合的には微妙。
左門:10点 バトルや人気投票のネタ引っ張りすぎまだ新入りかつ一次創作なのに早くもノリが同人誌的。
ソーマ:5点 もう駄目だろこの漫画。
銀魂:-100点 爺さんもう潮時じゃよ。
ー番外ー
と、わたし(筆者)は思う。腐女子こそ夢小説を書くべき論とかを読んで、うだうだ考えたことと提案。
わたしの夢傾向のせいで、おおむね夢小説のことになるけれど、ある程度夢創作全体に通じると思っている。そして、だれにも押しつけるつもりはない。
女。
夢創作愛好歴はおよそ10年で、ブランクはない。「灰男」からとでも言えば、わかる人にはわかるだろう。
よく読む(積極的に探す)のは好きな原作の二次創作の夢小説。でも、おもしろいと思えば、なんでも読む。主人公の個性がマシマシだろうがナシナシだろうが、性別が同性だろうが異性だろうが、恋愛があろうがなかろうが、その相手が主人公と異性だろうが同性だろうが、ヒトであろうがなかろうが、ものだろうがなんだろうが、おもしろければ読む。じゃあ、どんな夢小説がおもしろいのかとかいう話しにはキリがないので、割愛させてもらう。
「よく読む」と表現はしたけれど、書きもする。むしろ書くのがメイン。
で、わたしには一つ譲れないところがあって、自己投影する。作者がどういう意図をもって主人公を設定したか知らないけれど、その夢小説を読んでいるとき、その主人公は、わたし自身だ。
自己投影とは - 日本語表現辞典 Weblio辞書にはこう書いてある。
(2)目にした状況や呈示された刺激などを理解したり解釈したりする際に、その時の自分の心理状態や人格特性などが反映されること。「自己投影」は俗に、フィクション内のキャラクターなどを自分と同一視し、キャラクターを自分に重ねることを指して用いられることもある。
そのうち後者(フィクション内のキャラクターなどを自分と同一視し、キャラクターを自分に重ねること)が、夢小説における自己投影だと思う。少なくともわたしにとってはそうだ。
「わたしの夢傾向」を読めばわかるだろうけど、主人公自体にこだわりがあるわけではない。わたしは、おもしろければ読む。かれ(かのじょ)が、生き残った魔法使いだろうが、高校生探偵だろうが、半妖だろうが、天使の生まれ変わりだろうが、悪魔に呪われたエクソシストだろうが、マフィアの十代目だろうが、自分自身の子どもだろうが、あらゆる天賦の才能を無効化する天才だろうが、宇宙人に侵略された地球でなんでも屋を営んでいようが、超次元サッカーを嗜んでいようが、メロンパンが好きな紅蓮の異能者だろうが、宇宙に適応した新人類だろうが、幻のシックスマンだろうが、個性を掴みとった無個性だろうが、異世界の侵略から地球を守っている戦士だろうが、壁の中の人類を追い詰める巨人だろうが、六つ子の六分の一だろうが、あるいはCV田村ゆかりでも、桃色の髪でも、透明な肌でも、眼鏡でも、ショートヘアでも、オッドアイでも、幼稚園児でも、おばあちゃんでも、壁でも、掃除機でも、薄汚い中年でも、ノンケでもレズビアンでもゲイでも、もうなんでもかんでも、それはわたしだ。夢小説を読んでいるとき、わたしはその突拍子もなくかけ離れた、ありえない、あるいはありきたりの、場合によっては自分そっくりの、そのものになる。
ところで、これがだれしもに当てはまるとは、思っていない。自己投影にはレベルがあると、わたしは考えている。レベルと表現したからには高低があるが、そこに優劣を見ているわけでないことは言っておく。
ガバガバ。とくにレベル2と3。レベル0と1と4については、説明は不要だと思う。
「無個性」について。文字どおり「個性」が「無」いことだ。その個性について、個性とは - Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ) Weblio辞書には、以下のように書いてある。
ある個人を特徴づけている性質・性格。その人固有の特性。パーソナリティー。 「強烈な-をもった作品」 「 -を発揮する」
夢小説においては、主人公に「(自分と)同じ性別」「同じ種(つまりヒトである)」だけが設定されていることだと思う。それに加えて「同じ性愛の向き(同性愛か異性愛か)」「同じ好きなひと(主人公とのかけ算の相手)」が設定されていることもあるだろう。その程度だ。ここまでが、レベル2の「無個性」の範囲だと思う。
レベル3の「ある程度の個性」は、単純なものではない。ここでは「なんでもかんでもは無理」としか説明できないことだと思う。レベル2の無個性に少しだけなら、いやいやヒトならいいよ、擬人化された人外なら、異性でも同性愛者ならいいよ、有機物ならいいよ、基本はヒトがいいけど単眼ならいいよ……などといった具合に。
で、「自己投影」についていろいろ言ったばかりだけど、ぶっちゃけ自己投影しなくてもいい。読み方は自由だ。
二次創作に関して言えば「オリ二次」の一つとして読む人もいるだろう。実際、夢小説の主人公は、原作に存在しない「オリジナルキャラクター」といえることが多い。
二次創作的なものにばかり言及することになるが、原作に明記されていないことを、「こうに違いない」「こうだといいな」と考えたり、あるいは原作の設定を無視して「こうさせてみた」としたりすることがあると思う。あれも、ある種の読み方といえると思う。わたしも二次創作夢小説を、そういう原作の読み方から書いている。こんな(夢小説の)主人公がいたら、原作のあのキャラクターはああするだろう、こうしたらあそこはああなって……とか。
どれもこれも読み方だ。わたしたちはおそらく考えながら読んでいる。そして、考えることは自由だ。だから、どう読むかも、また自由だ。
わたしは、よく二次創作夢小説を書く。そして、この日記でいう自己投影レベルは4で、読者としては主人公に自己投影する。
当然(ではないかもしれないけれど)、わたしの書く夢小説には、わたしの嗜好が大きく表れる。「おもしろさ」の基準を満たそうとするだろうし、自分の書くものだから、ある程度は満たしていると思う。で、嗜好が大きく表れるので、主人公は異性愛者の女性かもしれないけれど、おばあちゃんかもしれないし、ゲイかもしれない。ヒトとも限らない。ボールに入るモンスターかもしれないし、壁の外の巨人かもしれないし、魔神族の王かもしれないし、好きなCPが愛を営むベッドのシーツかもしれないし、だれそれがだれそれをドンする壁かもしれない。
でまあ、書くのも自由だ。ある程度は。書くということは表現で、表現することは、ある程度は自由だ(公共の福祉に反しないかぎりとか、憲法かなにかで言っていたと思う)。二次創作について言うと、著作権どうこうの話しになってしまって、これまたキリのない話しで、わたしには専門的な知識がないので割愛させてもらう。今のところ「非親告罪なので原作者が罪をつきつけないかぎりOK」というスタンスで、つまり原作側になんやかんや言われたら速やかに従いますよってくらい。しか言えない。これはマジで。
ここには夢小説に通じる内容があるよねってやつ。だと思ってる。
大阪の国際的なスタジオのテーマパークの、魔法使いになれるところ。原作、大好きです。原作の主人公が通う学校の生徒になれたらな、入学許可証がきたらなって思った。そして、なんと、大阪のその遊園地に行けば、杖が買えるという(行きたい! 買いたい!)。わたし今()に気持ちを書いたし、魔法使いになれたらなとも思った。んでもって、わりと世のなかには、あの小説や映画や、あるいは遊園地で、わたしと同じようなことを考えたひとがいるんじゃないかと思う。遊園地では魔法使いになった気持ちを味わったひともいると思う。
次いこう。実は東京にはない夢の国。あそこで(遊んでいる間だけでも)夢の国の民だったひとも、やっぱりいると思う。あそこのキャスト(スタッフ)の神対応が、たびたび話題になっているから。
というかだね、幼いころに、日曜朝のヒーローになりたい、ヒーローに守られたい、あるいは戦うヒロインになりたい、楽器から魔法の道具を生み出したいとかって、考えたひとも、やっぱりいると思う。「あんなこといいな できたらいいな あんなこと こんなこと いっぱい あるけど」(だっけ?)とか、二十ウン世紀からきたロボットに会いたいとか。
ボールでモンスターを捕まえるゲームが、リアルマップに対応したよね。わたしたちはスマートフォンさえ持っていれば、GOした先で、疑似的ではあるけれど、まるで本当のトレーナーのように、モンスターをゲットできるようになった。
こういうのは夢小説に通じる考え方だ。二次創作の話しになるけれど、先述の「オリ二次」にも、同様に夢小説に通じるものがあると言える。あのCPの営みを空気になって見ていたいとかもだね。そして、それが形になったものを見たとき、そこに「夢小説」のラベルがなければ、「実質夢小説」として見る。
商業の小説にも、「わたし」視点の、あるいは明らかに作者(のペンネーム)と同じ名前の主人公がいたりする。(それだけとは限らないけれど)そういうところから夢小説のにおいをかぎとったとき、やっぱり実質夢小説として見る。
書いてるうちにだんだんと疲れてきて、かなり文章が雑に、より滅茶苦茶になってきていることを、わたしは自覚している。本当に。
それを夢小説かどうか決めるのは作者だ。言いたいのは、これだけだ。題名にもしたけれど。
夢小説っていうのは、すごくガバガバだと思う。自己投影したりしなかったり、名前を変換したりしなかったり。夢小説は、ある種の表現技法で、考え方だと思う。そこには、かなり「主観」の要素がある。
まず、作者が、それを「夢小説」にする。ここには作者の嗜好が、存分に表れていたりいなかったりする。それが発信されると、だれかの目にとまることがある。このだれかが「読者」だ。この読者にも嗜好があって、もしかしたら、かれ(かのじょ)はそれを「夢小説」と思えなかったかもしれない(これのどこが夢小説だ! オリ二次でやってろ! モブ創作でやってろ! 云々)。そのときは、そう思うにとどめて、「これはわたしには合わなかった」「このひとの作品は読まないようにしよう」などと、読者が避ければよいだけの話しだと思う。読者が「おまえのは夢小説じゃないから夢小説のラベルを剥がせ」などと作者に強要することではないと思う。一人の作者として、わたしは、そう強要されるのは嫌だ。読者に読者の「夢小説」観があるように、作者にも作者の「夢小説」観がある。
これは、なにも「夢小説」だけの特別なことではなくて、いろいろなことに言えると思う。わたしは、実質夢小説だと思いながら、言いながら、けれどそこから「実質」を剥がしはしない。つまり、強要はしないし、直接作者に提案することも、しない。わたしは、されたら嫌だから。考えてもみようよ。男二人の友情を、あるいは女二人の友情を、はたまた男女の友情を書いていたのに、「これ恋愛(BL)(GL)ですよね。友情ものを名のるのやめてくれません?」なんて言われたら、どんな気持ちになる?
とくに、「わたしが不快だから(夢小説の)ラベルを剥がせ」とかいう強要(提案)はやめたほうがよい。これにはキリがない。万人に受け入れられるものは、ない。Twitterにロバの絵の四つの比較みたいなのがあったと思うんだけど、まあ、あんな感じで。不快だから剥がせという強要がまかり通るようになってしまうと、気づいたときには、あなた独りだけが夢小説を書いている……なんてことになりかねない。
つかれた。
どっちかというと、男は男キャラこそを性的で受動的で非理性的な存在として描くし、
女は女キャラこそを性的で受動的で非理性的な存在として描くよな。
萌えハーレムのヒロインたちはみんな優等生だったり高潔だったり主人公を叱咤したり夢に向かって励んでいたりして、
男主人公は馬鹿でスケベで意気地なしで将来のことをなにも考えてないクズだったりするわけだ。
異能バトルでも、ヒロインが戦闘担当で主人公が無能なやつとかさ、いっぱいあるじゃん。
少女漫画だとこれが逆になる。何の取り柄もない普通の私、優秀で頼りになる彼、みたいな。
もちろん、全体を見ればいろんなヒーロー、いろんなヒロインがいて、なかには完璧主人公とか、馬鹿なヒロインとか、性的に奔放なキャラとかもたくさんいる。
でもそれは「バリエーション」であって、Aというキャラがいれば、Aを裏返した∀というキャラもいる、という話にすぎない。
異性が「性的で受動的で非理性的な存在」として描かれることがオタク向けコンテンツの必須条件というわけではぜんぜん無いよね。
*観に行った当日に書いたものです。極力他人の感想等を見ない・聞かない努力をしています。
*とはいうものの記憶は薄れてしまっているので、読まれる方の混乱を防ぐためWikipediaなどのによりあらすじ・登場人物名確認を行った上で投稿されたものです。
*自省的なものです。レビューは他のかたの記事をお当たりください。
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映画を見なくて久しい友達が、ハリーポッターくらいしかまともな(?)映画を見たことのない僕に「観に行かへんか」と誘われ数々の選択肢から導かれて「聲の形」を観に行くことになった。
コミック未読の身としては、予告編の限りでは「普通によさそう」だと思い前向きだったが、相方はヒューマンドラマ的すぎて醒めてしまうのではないか、と消極的。結局後々の話題性(新学期の話のネタ)を考慮した結果がこれだったんですが。
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昼過ぎ集合、東宝の某劇場で別の映画を観るも機材のトラブルでサイレントに。7割は観たけど全額返金で謎のオトク感をかみしめ、軽食をとり松竹にうつる。
スクリーンにつく。若い人が多い印象。ぼくらみたいに男だけで来てる集団もかなり多かったような・・・
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主人公・石田が責任を負う形にはなるが、西宮に対するいやがらせは根本的には植野(黒髪の女子)から始まったように描写されている。
そもそもこの「いやがらせ」から「いじめ」への変遷で最も大きなものは、攻撃人数の増加・攻撃者の集団化だと思う。
集団化とは、ときに思わぬ人を巻き込むこと。川井(クリーム色の髪の女子)は集団化の被害者であり西宮への加害者である。
また、極端な描写とはいえ、教師の配慮の無さも事態をエスカレートさせている印象があった。
加害者追及(石田が全責任を負う)の場面は自分の小学生時代の記憶がフラッシュバックした・・・(加害者ではなかった分とても不愉快な記憶)
どれもこれも、人の未熟さゆえの出来事であり、高校生になった今、未だ未熟でありながらも、子どもたちはあの時の集団性を見返すのです。
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なんといっても、主要人物全員が橋の上で集まるシーンがこの作品の中核をなしていると思う。
広義的ないじめ加害者・観測者はすべてあの人物中にカテゴライズできる、と言っても過言ではないかもしれない。
そしてその一人ひとりに対し「主要な」いじめ加害者・石田が吐き捨てる言葉は的確であり、「こんなやつおるよなあ」と感心したくらい。
永束のキャラ性は決して浮きすぎず、むしろ重くなりがちな展開を緩和してくれてありがたい。
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途中に入れようとしたけど入れられない書きたかったところ。
すぐ「ごめんなさい」と伝える傾向にある西宮に対し、怒りを爆発させる植野の心情。
いじめは攻撃のある場にいるだけで参加しているようなものだ、と思う(陳腐ですが)。これを自覚できずただ流されるままの人間にはなりたくない。
たとえ偽善者と言われようと、嫌悪感を抱いたら行動は起こすほうがいい(身の上のためにも)。
島田(金髪男子・遊園地のバイト)はともかく、広瀬はWikipediaみるまで覚えてなかったんですが、なぜ彼らが石田の命を救ったのか。
・永束の扱い
記憶が正しければ劇場においてはいわゆる「正義の味方」役にとどまっていたはず(Wikipediaに載っているようなバックグラウンドは描写されていない)。ただこの一面だけであっても、実に典型的で現実的ないじめの観測者になっている。
・美也子(将也の母)の人物像
綺麗事を並べているわけでもないが、将也をはじめとした多くの人物に一言で影響を与えるとてもいい役をしている。画面にいるだけで安心する(?)。
劇場では厳格で冷たい人物であるように事故前まで描かれていた。館内で配られたSpecialBookでバックグラウンドが補完されている(ことにあとで気づいた)。
・そして、結弦
・石田・西宮が立ち寄った現代美術的モニュメント群は一体・・・?
はじめは金沢美術館あたりかなあと思ったんですが、舞台である岐阜の大垣市は結構名古屋寄り・・・今度調べなければ。
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全体的な感想としては、久々に映画を観るからか、とても楽しめましたし、精神的収穫もありました。
これが「日本映画の典型的なお涙頂戴」とは違う感慨であってほしい・・・
とりあえず自分の思ってたことはかけたので、他の人のレビューを見ていって補完していきたい所存。
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以下オタク雑感。
アニメをみてたのはほんの一時期だったので全話見て知ってるのは俺妹のあやせたんくらいなのですが(すでにうまい)、某動画サイトで異能バトルなる作品での名演が残されています。5分間しゃべりっぱなし・・・
今回は少年ジャンプ+
最初の、祝福者を用いた資源の確保方法はディストピア感が溢れていていいと思う。
まあ、人道的な範囲内でかつ効率よくできる方法は他にいくらでもあるよなあ、と思ったりもしたが。
作者がこういうの好きなのは今に始まったことではないから、これもその一環なのだろうな。
あと、あの子、アグニのことをやたらと語っているけれども、この子と主人公そこまで絡みなかったよね。
このキャラの人格的に考えると、妄言的な意味合いも含めているだろうから、そう解釈するなら不自然ではないけれども、これにページ数割かれてもなあ……。
後先を考えない設定、展開だけれども、短期連載だからコレぐらいのほうがいいかもね。
単純に異能力バトルとしてだけで評価した場合、正直あまり惹かれない。
けれども、そこに「家族」の人間ドラマといったテーマを含めつつ、エキセントリックなキャラクターたちを主要人物にして面白そうと思わせるあたり侮れないなあ。
それにしても、作者を介入させる設定なんて、久々に見たぞ。
けれども、先にメタを絡めた設定にしておいたことで、奇抜なキャラクターの言動や展開も成立していたキライはある。
画力があと3ランクほど高まれば、意外と不条理ギャグ漫画として読めるんじゃないかと最近思い始めてきた。
少なくとも、最近はちゃんと読者も楽しませようというネタ選びやノリになってて、「ウンコ味のカレー」又は「カレー味のウンコ」くらいにはなってる。
○朝食:なし
○昼食:鶏のご飯
○夕食:まだ食べてない
○調子
むねがふるえるー
あたたかなてにー
ふたりでー
あるいーたー
きょりーもー
はなれえぬよう
ながされぬよう
ぎゅっとー
ゆれてはまわる
かっぷとえがお
みあげたー
そらのー
みずいろー
かぜにとけてはー
たかーく
きえたー
あれ? あそこにいるのは、今やまんがタイムきららキャラットの看板作家であり、
魔法少女まどかマギカのキャラデザで一世をふーりんした、
ふーりんした?
ふーーーーーーーーーん。
なきまくれー
あがったもんがち
でもやくなし
といといほー
といといほー
すーあんたんきー
きづけばてんぱい
ふ・り・て・ん!!!!
ふりてん?
ふーりん?
ふーーーーーーーーーーん。
疲れた。
思いつくままに、青春時代に好きだったお歌を歌っている。
いっつも忘れるんですが、ToHeartの最初のアニメで川澄綾子のためだけに、
それとも逆で、川澄綾子が恥ずかしくなっちゃって川澄綾子の地元でだけ、別の曲を流したんだっけ?
川澄綾子と浅野真澄が縁日で売ってるアダルトビデオを伊福部崇さんにお土産で買っていったら、それが獣姦もので
当時付き合ってた田村ゆかり以外の女性声優が犬系マスコット役の演技を学ぶためのプレゼントに最適だったんだっけ?
あーあ、田村ゆかり以外の女性声優と付き合えるなんて、本当ラジオの構成作家って世界で一番優れた職業だよなあ。
女性声優だけじゃなくて歌手とかとも付き合ってる人いるんだろうなあ。
露骨に「つまり、赤尾でこと三重野瞳は付き合ってたんだよ! 的なブコメを誘う、誘い受け文章。
誘い受け?
襲い受け?
ボーイミーツボーイ!
まちにあふれる!
ボーイミーツボーイ!
趣味は掛け算!
好きだから!
もし、いばらみちでーも!
みつめつづける!
このこえーがきーこえーたらーーーーーーーー
(間奏)
あなたのこえりぴーとして
なんどもききたくて
こころのなか
せーぶして
まいにち
かなでえるようなこえで
(英語)
ときがすきで
はじめてしったよ
とおいそらでひびく
えいえんのおもい
このこえがーきこえーたーらー
あくせすしてほしい
電源は切らないで
いつもONにしてるよ
思い出かえないで
終わりにできないのー
奇跡! を一つください
あなたへと
この思いを届けてー
あのさ、二作目の方のアニメで、雫のキャラをモチーフにしたエピソードあったじゃん。
あれって、結局なんだったんだろうね。
いやもう、結局なんだったんだろうねって言い出すと、
リアライズの打ち切りエンドの話とか、アビスボードの話とか、永田さんの女子サッカーの話とか、
いっくらでも、なんだったんだろうねはあるんだけど、
その際たるものは、今の現状がPS寄りで、テネレッツァ時代のXboxへの熱狂はどこへやらって話が、
いちばん、なんだったんだろうねあれだよ。
なんか、刻印が0001の奴が来たんだっけ?
あれ、なんでだろう、もう、ほんとうに、つかれたよ。
あと、急にメガバクーダが滅茶苦茶好きだということに気付いたので、
一世代から地面タイプ統一縛りでスタッフロールまで全部やっていこうと思います。
一世代は赤以外のどれかで考え中、VCのメインロムが未確定だからマックアップ買える青か黄かなあ。(サンドが赤だと出ないからね。この頃はまだタマゴ転送がないから出現ROMを気にしないとなあ)
一世代リメイクはLG? 悩み中。(サンドがFRだと出ないし、FRLGはクリア後までタマゴ転送ができないから出現ROMは気にしないといけない。他はタマゴ転送できるので気にしなくても良い……ってあれ、クリアデータ保持してるのLGの方だな。消すの悩ましい。サンドとサンドパンには泣いてもらうかもなあ、さすがにこのタイミングでLG買うのはお金がもったいなく感じる)
四世代はP。(消極的な理由です。本音はシロナとのイベントが増えてるPtが良いけど、持ってるPtは教え技のカケラが山ほどあるから消したくないって感じ。安いだろうから二本目のPt買おうかな。)
二世代リメイクはSS。(クリア後にグラードン出るから。ただグライガーとドンファンがHG限定なので、タマゴを送って旅パに加える予定。まあタマゴで増やせる一般ポケは、タマゴで送って旅パに加えればいいんだから、あまり気にしなくて良いね)
五世代前半はW。(あまり深い意味はない。メインロムがBだからWにしただけ)
五世代後半はW2。(前半をWにしたから、自然とこっちもこうしといた。ランドロスをARサーチャーで粘って旅パに加えようと思う。旅パで威嚇はたるそうだけど)
六世代はY。(あまり深い意味はない。メインロムがXだからYにしただけ。まあついでに愛する悪ポケの周回で粘らないといけないイベルタルの厳選もしようかな。今フリー用に育てたのがせっかち両刀だから、ようき物理が欲しいかな)
三世代リメイクはOR。(パケ伝が地面のグラードンだし、今回の縛り旅プレイの目的のメガバクーダが早く手に入るから。なんだけど、ORASは周回用をASにしちゃってるから、データ消してもいいOR持ってないな。うーん、でも、さすがにココは譲れないなあ。よし買うか! ……ってでもよく考えたらORがトルネロスで、ASがボルトロスか…… うーん、バンクの利用券生きてるから、ASに全員移して、ORを周回用に変えるのも手かなあ。孵化環境は未だにXだから、まるおまとか孵化アイテムとか努力値下げ木の実は気にしなくていいし…… ってあかんあかん、対戦用の持ち物がバンクじゃ送れないじゃん。7世代間近で今更環境整えるのは面倒しなああ。よし、買おう、買おう。5000円ぐらいでしょ? 買おう買おう)
うーし、準備は万端だ!
がんばるぞいや!!!!
以上、b:id:nagatafe さんのリクエスト通り、普通じゃない人を目指した文章になります。
順不同
一応ネタバレ注意
出会って5秒でバトル
ある日突然、謎の組織に拉致され、能力を与えられた一般人たちが、命がけのバトルを強制される、というありがちなストーリー。
まだ話数が少ないが、主人公が頭を使ってトリッキーな能力をいかすタイプなので面白くなりそう。
登場人物が不自然にペラペラ自分の能力を話したりしないのも良い。
波よ聞いてくれ
主人公の性格がさっぱりとしてるところとか、主人公の語りが面白いところが要因かも。
ラジオドラマとアナログな音響効果というとラヂオの時間っぽい。
作者は「世界鬼」の人。
よくある異能力モノに魔法少女要素を少しだけまぶしてスプラッターとかを足した感じ。
同じ作者の魔法少女オブザデッドと同じで、絶望的な展開で風呂敷を広げていくところは面白い。
うまく畳めるのかが少し心配。
サツリクルート
山本一郎氏とショーンK氏ってとくダネ!で共演するずっと前に2人で対談やってたんだな
ショーンK氏。昔、インタビューしたなぁ。でも、まったく内容が思い出せず、パソコンの「原稿」フォルダを漁る。あった。05年5月か。男性誌での山本一郎氏との対談企画だった。氏によると「大切なのは自由の裏の責任。平等の裏の競争」だそうだ。— SHOICHI HASEGAWA (@shozf5) 2016年3月16日
207 :名無しさん@お金いっぱい。:2005/04/05(火) 21:14:11 ID:8K+mkdWH
月刊サーカスという胡散臭い雑誌の5月号で、ショーンKという胡散臭いコンサルと対談してましたが、
その対談で切込隊長がライブドアの堀江氏に向かって「もう少し何とかならないか」と発言したと法螺
吹いてましたが、果たして本当なのでしょうか?
何もかも胡散臭すぎて信用できませんw
http://live19.2ch.net/test/read.cgi/market/1112111852/
(Archives)KK ベストセラーズ || CIRCUS
http://wayback.archive.org/web/20050414043124/http://www.kk-bestsellers.com/magazine/circus/
世界を股にかける敏腕コンサルタントと若手相場師の120分頂上激論!
J-WAVEのナビゲーターでもある異色の経営投資コンサルティング企業の取締役と、莫大な親の借金を株で返済し、その後も株の世界に生き30代にして市場で大成功を収めた異能の相場師の頂上対談がサーカス誌上でついに実現!世間を騒がす30代社長の「成功の秘訣」とは?
経歴を盛りに盛って世に出た2人は、
当時は胡散臭さがすごかったのに
片方はブログを書き続けて、
片方はラジオで話し続けて、
違う道でそれぞれ定評を得て文化人となり
長いです。
ついさっき、イケダハヤトって人について書いた記事を読んでたんすけどね。
あれつくづく俺と対極にいる人なんだなあと思いました。
個人的な感情としては「そこまでしなきゃマネタイズできないとか向いてないからやめたほうがいいよ」としか思わないんですけども、同時にだれもが文章一本で金とれるわけでもない、ということもよく知っています。
俺はかなり自覚的なアマチュアリズムの信奉者でした。書籍化とかまあそういう話もそこそこあったんですけども、一度の例外を除きすべて断ってます。まあ商業に乗っかることのめんどくささってのがいちばんでかいんですが、それ以上に俺には「自分の文章を換金する」気がかなり強固な意志としてなかった。ブログでもそれを鮮明にしていたはずです。
アマチュアリズムというとかっこよく聞こえるんですが、要は「無料なんだからなに書いたっていいだろ」っていうことです。あるいは「なに書いてもいい自由を俺から奪うな」「つーか金とるにあたって発生する責任とかとる気ねえから」ということでもあります。
仕事柄「商品と価格」ということにかなり鋭敏です。流通に乗っかってる以上は、どんなもんでも商品だろってことです。まあ、需要がありゃどんなもんでも換金できるのが資本主義ってもんでもあるんでしょうけど、だからといって送り手がそのことに無自覚でいいってことはないよね、という。
俺が売ってるものは食い物がメインです。食い物は、払った金のぶんだけはなんらかの満足を客に与えなきゃいけない。そうでないと売れない。食い物の第一の機能は「食ったら腹埋まる」ということですが、ほかにも甘くておいしいだとか、レアだとかまあいろいろあります。ごく大雑把にいうと、普及価格の食い物に関しては「おいしい」と「腹埋まる」がメインの機能で、ほかのものは付加価値だと思ってます。
しかし実際に売れる商品ってのは付加価値で売れるんですよな。パッケージがいい、CMが大量投下されてる、見た目より重い、いままでに見たことがない、など。まあリピート以外の要因では、食ったことがない状態から買うんだからあたりまえの話ではありますが。
で、イケダハヤトっていう人は、この付加価値の部分を極大化させた人だと思うのです。あらかじめ言っておきますが、いいとか悪いとかの話はしてないです。そもそも俺はブログってものを「文章をのっけるためのメディア」としか考えてません。俺にとってそうだからそうだ、というだけの話で、この段階で、そうは把握していない人を批判する資格と能力がありません。
ただ、人目に触れるなんらかのメディアである以上、その本分は「おもしろい」か「役に立つ」だと思ってます。おもしろいってのはなんでもいいです。単純に笑えてもいいし、罵倒芸でもいいし、人の生の一断面があらわれてるようなものでもいいし。そして、それ以外の部分はすべて付加価値です。
おもしろさというものが単純に言語化できる性質ものではない以上、付加価値のほうも明確には定義できない。だからあくまで「俺から見て」という話になりますけども、イケダハヤトという人のブログからはおもしろみを感じることができなかった。役に立つかというと、それもあまりそうは思えない。ではなにが得られるのだろうと考えたときに、ある種の人々を「その気にさせる」「逆から見ることでわかったような気にさせる」機能がメインじゃないかな、と思えました。
付加価値は金になります。しかし付加価値だけでは長持ちしない。それをなんとかしてきたところに異能があったんじゃないかと思えます。まあ実際にだれかの人生に影響を与えたんだとしたら、それはもう「付加」とは呼べないのかもしれません。
個人的にはイケダハヤトという人のスタンスは嫌いです。ただ、嫌いである以上に理解ができない。これはあくまで俺の理解能力の限界なんだと(遠回しな皮肉でなく)思うんですが、たとえマネタイズという強力なモチベーションがあるにせよ、ああいう炎上上等な手法で得られるものはいったいなんなのか。それが金だというなら仕事なんだからいやなことでも我慢するっていうことなんでしょうか。
考えてみると、俺は常におすそわけの原理で動いていた気がします。たとえばカレー作った。なんかおいしくできた。じゃあ隣にも分けてあげよう。やっべー俺の作ったカレー超うめえっすよ。でも隣の人がカレー好きじゃなかったらおすそわけしない。インターネットのすばらしさは、俺にとっては「俺の作ったカレーここにあり!」「俺は超うまいと思うからカレー好きな人は食え!」「でも俺の好みで作ったから好みにあわない人ごめんね」「そのかわり無料」っていうところです。
かといって日本全国のカレー好きの人に俺のすばらしいカレーを届けるための努力をするほどではないのです。だから別に有名になる必要はなかった。それに俺には「今日はカレーを作ろう」「いや、気分的に今日はうどん」という自由がありました。その自由を捨てる気はなかったのです。カレー職人になりカレーで金をとるためには、三度のメシよりカレーが好きであり、魂がカレーでできている必要があります。それでいえば俺は「料理が好き」なだけであり、だれかがおいしいといってくれればそれで満足だったのです。もっといえば「おいしいといってくれる可能性がある」だけで満足だった。
さて、彼は三度のメシよりなにが好きなんでしょう。俺にはそれがわかりません。その答えがおそらく彼があのような手法をとる理由であり、そしてどうやら俺は、わからないながらもなんとなくその理由があまり好きではないのです。
これを、文章だけでのし上がってきた人間のマッチョイズムといえばそれはそうでしょうし、インターネット懐古主義だというのならそれもそうでしょう。それでも俺は、なにも書かれていないテキストエディタを前にしたときの「さあ、いまから俺はなにを書いてもいい。そしてだれかがそれを読んでくれるかもしれないんだ。こんな素晴らしいことがあるだろうか」という原初的な感動を捨てたくはないです。同時に、この感動はおそらくSNSの時代以前の人間のものだということも承知のうえで、なおそう思います。まあ、かたちを変えた「飽食の時代なんだから文句言うな論」にしか聞こえないでしょうけど。それでも俺は「読まれる」というだけですばらしいことだとしか思えないのです。
※追記
あー、逆に「読まれる」という自体がさほど困難ではない状況以降の人にとっての「原初的な感動」がなんであるかは聞いてみたいかもしれない。自分にとっての感動が真実である以上、その先の状況にいる人たちの感動ってのは理屈でしか想像できないものなのです。まあ物心ついたころにはインフラとしてネットが存在していたならそんなもののありようはないのかもしれませんけど。
http://anond.hatelabo.jp/20160107235839
絵師ってものが嫉妬を集めているっていうのは現実として目の当たりにはしてるんだけど、何がそうさせているのかは今ひとつピンときてない。
みんなそんなに絵を描きたいの? マジでかな。でも今時、敷居低いよ。はてなする程度のパソコンで、画材としては十分だよ。つまり目の前の箱で今なう描けるよ。
絵を描きたいわけじゃなくチヤホヤされたいって言う意見も聞いたけれど、別に絵がうまくても、そんなにチヤホヤされないと思うよ。
費用対効果で言えば、お金持ちに生まれたほうが手っ取り早くチヤホヤされるよ。「生まれは運だろ」っていうのならば才能の有無も運だし。「いや絵のうまさは努力だろ」っていうならその場合「じゃあみんなも努力すればいいじゃん」だし。
とにかく、チヤホヤされるための手段として、絵はあんまりコスパ良くないと思うよ。プロになってもファンレターバンバン来るのは上のほうだよ。
いいや同人で有名になればファンのコスプレ女子バンバン食えるんでしょう、とか聞くけれど、ないから。それエロ漫画の読み過ぎだから。もしあったとしても、その場合、絵の巧さ以上に、そいつにはコミュ力と女性に対しての積極性とタフさがあるだけだよ。絵がうまくたって、自分を傷つけないようなおとなしめの巨乳の女の子が前戯もなく股を開いてくれるとか、ないですよ。っていうかそういうところで女の子を食える要領のいいやつは、絵の腕と無関係に食べちゃえると思うよ(そういう人は割といるよ)。
チヤホヤされるためにも、彼女作るためにも、やっちゃうためにも、「絵がうまくなる」なんてのは迂遠だしコスパが圧倒的に悪いよ。
同人で有名になれば、毎朝ラッシュに電車に乗らないでも数百万円稼げるんでしょ? という意見も聞いたことがあるけれど、それも、そうそううまくいかないと思うよ。そういう人がいないわけじゃないけれど、まず非常に敷居の高いレアケースで、絵の巧さ以上に、サークル運営とか人付き合いとか重要だよ。同人ってコミュ力なしで行けるような場じゃないよ。それに、もし仮にそういう稼ぎが出るようになったとしても、それを維持するのは天文学的に大変だよ。同人で400万円稼ぐのと、それを10年維持するのはぜんぜん違うことだよ。消費者の絵の好みは変わっていくわけだし。それって、要するに起業して個人事業主になるってのと全く同じことだもの。
お金を儲ける、という視点で言えば、サラリーマンの方が数百倍有利に生涯年収稼げると思うよ。大部分の同人サークルなんて赤字かトントンなわけで、ヒット率とか考えれば、コンビニバイトよりもずっと儲からないよ。
絵を描けるようになるっていうのは、極端に言うと、絵を描くためにしか役立たないよ。その他の希望を叶えるためには、効率が良い手段がもっと他にあるよ。
今現在絵が上手い人は、まず最初に絵が上手くなりたいから(その動機は他者に伝えたいとかまあ色いろあるにせよ)なっただけで、金がほしいとか彼女欲しいとか、そういう目的を果たすには他の手段のほうがよっぽど簡単だよ。いまプロとしてお金を儲けてる人は、成行きで偶々それを手にしているけれど、それそのものが目的だっていう人は少ないと思うよ。金を得る「だけ」なら他の手段のほうが有効だから(もちろん、才能が偏った個人はいるものだから「絵を描く以外に生活費が稼げない無能/異能者」はいるよ)。
いつもの。
お馴染みのあのアニメを見てるんだけど、このアニメ見てるとテンプレラノベっぽさっていかにアホの子を出すかなんだろうな…と大真面目に思えてきた。昔から「自分のことをかわいいと理解した上で色気を振りまいてくる娼婦のような女子高生キャラ」はいたんだけど、最近のテンプレラノベはそれよりも…ある時期までは「(自分がかわいい・お色気を期待されている理解してる)娼婦のような女子高生」が出てくるラノベが増えていると思うんだが、最近はそれをさらに突き抜けて「男子中学生の恥ずかしさを詰め込んだようなアホの女の子を入れる(むしろ、彼女達こそラノベらしさ)」になってない?
例えば、西尾維新(というよりも、この場合は物語やめだか)がラノベかどうかを議論する上で、ヒロインの娼婦っぽさとか設定の中ニっぽさに着目するならラノベよりもクサいから、ラノベにカテゴライズしてもいい。でも、ある時期からのハーレムラノベに出てくるアホの子はほぼ出てないから今の基準だと。僕が西尾維新が苦手(少なくとも、あんまり文学的だという評価をしたくない)なのはめだかボックスに代表されるような「読んだだけでお腹いっぱいになるような中二」なんだ。ある時期までラノベには多かれ少なかれそういう雰囲気を入れるものだったが、最近のは形骸的に中ニという作品が増えた? 落第騎士で学んだことはアホの子も萌えキャラにすると許されるというかいじりがいがあるという「可愛い子は正義」「オタクは本質的にはフェミニスト(女の子びいき)」ということだと思うの…。個人的感想だから、異論は認めるし、僕自身おかしな事言ってる自覚はある。落第騎士見てると頭悪くなりそーだけど、逆に言うとテンプレでラノベ書いている人がなんでそんなことをするかを考えながら見てると「あー読者的にはこうだから、こうなってるのか」と感じることがしばしばある。頭悪そーなことには変わらないけど、自分が好きな作品・ガチで語る作品はウケへんもん…
主人公が唐変木すぎてセクハラにも相手からの好意にも気づかないというラノベの主人公の設定って要約すると(というよりも、女性が身もふたもないツッコミをするとするなら)「ガキ」なんだろうね。それも悪い意味ではなく、煩わしい性欲がない代わりに性を隔てるデリカシーもないという両方の意味で。すご~く変な言い方かも知れないけど、落第騎士ってホモアニメだと思ったほうが(登場人物全員男子で、男子校的な場所にいると思ったほうが)ぶっちゃけしっくり来ると思うんだよなぁ…。ちゃんと女の子らしい視点とか、キャラを持ってる人がいないし、女性目線入れると簡単に崩壊しそうな意味で…。女の子を女の子として書く必要がなくなってると考えるとテンプレラノベって童貞でも…いや、むしろ童貞の方が書きやすい?男がかっこいい男を主人公とかすぐ死ぬキャラとして配置して、男子的な幼さは女の子に埋め込んでしまえばいい。あーそう考えると、女の子っぽさが何かとか考える必要ないわ。
ハーレムラノベでドンドンヒロインの影が薄くなって、主人公が他の女の子には親身になって行くという現象を学術的に言い表すと「クーリッジ効果(ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF…)」と言っていいと思うの。浮気は本能。新しい女の子は別腹!!
萌え豚はフェミニスト ※半分はネタだけど、もう半分はジブリ社屋のトイレが女性のモノのほうが広い理由を尋ねられた時に「それは宮さんがフェミニストだからです」と鈴木さん(だったかな?)が答えたのを元ネタにしてる
姫さんなんか言動の(斜め上な)色ボケっぷりを外して評価すれば、刑事モノとかアクション劇の“バディ枠”ですわね… 負けず嫌いが過ぎて時々逆噴射する熱血・正義漢だと思えばいいと。「男子中学生の小っ恥ずかしさを女の子に詰め込んでかわいいかわいいという系統のキャラの代表格は柏崎星奈だと思う」的なことを1,2週間前ぐらいにいったらヴァーミリオンが肉っぽくなり始めてきた…。予想どおりっつうかなんつうか
禁書からずっと続いてる、ラノベ世界に都合よく湧いてくる悪役のヤンキーってなんなんだろう?悪く言うつもりかどうか以前にあいつらの存在自体が謎。本来、フィクションの中で出てきたヤンキーって主人公一味よりは現実味を帯びたキャラクターのはずなのに、なぜかヤンキーの方が現実味がないキャラクターに感じて萎えるんだよなぁ…。アレなんでだろう?数日に一度は、近所でヤンキーらしき人見てるから「いない」とはおもってないんだけどなぁ。異能力使いよりも非実在性をヤンキーに見出してしまうのはなんでだろうか?NPC的な割に人間味を見いだせないラノベに出てくるヤンキーほど謎なキャラクターも珍しい。舞台装置といえばそれまでなんだけど、もっとうまくやれないのかが謎。いや、下手だと感じるライトノベルにしか出てきてないからヤンキーが出てきちゃう時点で下手くそなラノベなんだけどぱにぽにとかパンストみたいにヤンキーが楽屋裏で出演陣と楽しく盛り上がってないと整合性が取れないぐらいの舞台装置っぷりに困惑する現象を何と名付ければいい?
Amazon.co.jp: ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか (青春新書インテリジェンス)
年間休日183日。「日本一休みが長い会社」:日経ビジネスオンライン
岐阜発「楽園企業」、年休140日で驚きの高年収 | 日本一“社員”が幸せな会社の「うらやましすぎる真実」 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
google:勤続3年以上の社員が最大連続28日間の長期休暇を取得できる「ステップ休暇」
ヤフー 土曜祝日なら金曜を振り替え休日に ― スポニチ Sponichi Annex 社会
ヤフー、最長3カ月長期休暇「サバティカル制度」導入 “支援金”も支給 - ITmedia ニュース
6年後に復職できる「育自分休暇制度」 サイボウズが目指す人材戦略とは? (1/4ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)
サバティカル制度を導入してほしい!6年働けば6か月~11か月の長期休暇がとれる! : TenkiKidsの生活
企業人よ 長期休暇「サバティカル」で力を覚醒せよ :日本経済新聞
日本に長期休暇サバティカル、根付いてほしい? 1か月、3か月、1年…「新たな成長の機会に」 : J-CAST会社ウォッチ
“大禍災”以前と以降で、オーバービーイングの実戦的環境はかなり変わってしまった。
“大禍災”以前だと、《契厄者》への呼びかけとか普通の雑誌にさえ時々載るぐらいだった。
でも、今はそんな事はあり得ない。
異能者忌避な雰囲気があるし、需要も無い。“邪黒精霊書”が未だに発刊されてるけれど、知り合いで買っている人は居ない(僕自身は、斑鳩=シュヴァルツヘイム=キラが書いているファナティック・レポートが楽しみなので一応毎月確認している)。
さて。
となると、やれ【邪冥獣】が見えるだの、《聖霊視》だの、骨紅璃散(ボーンレッド・ブレイカー)だのは、本当に「超律結界の中でしか見かけない」モノになってきてしまっていると思う。“熔壊の大時計”を見て赫魔は本当にいるんだ!という人はまずいないだろうが(“妖しの覚者”除く)、例えば獄光七邪神だとか、そういったインフェルノ・エナジー系の「神敵」はまだ暗黒時空内でちょくちょく見かける事がある。
能力者曰く「“視”えるんだから“視”える」世界であり、多分“視”えない人は一生“視”えないし、“視”える人はずっと“視”えてしまう。そういうものなんだと思う。
世の中がどう変わったとしても、“視”える人は“視”えるんじゃないだろうか、と思う。
そして、そういうオーバービーイングは今の時代がどうであれ、生まれてきて、育ってしまっているのではないかと思う。
そういう人は、今はどうしているんだろうな、と思う。時代によっては普通の人間として学校に通い、オカルト好きなクラスメイトと友達になったりする可能性だってあったろうに、今の時代では、単なる《契厄者》になってしまっているんだろうか。
あと、世に【黄金文書】が出回らなくなったので、《聖霊視》などの訓練しないと身に付かない系の能力を身に付けている覚醒者はぐっと減ったんではないだろうかと思っている。
まぁ何か主張したくて書いた文章というよりは、不安というか、どうなってんだかなぁという感じで書いてみた、取り留めもない文章なので、馬鹿にするぐらいならスルーして頂けると助かります。
俺の知っている限りあらゆるメディアがおぼえたてセックスはすごいのだと言い張るのだ。最近では「お兄ちゃん、右手の使用を禁止します」がそうであった。ほかにもさまざまなエロ漫画がおぼえたてセックスすごいと俺に囁いた。しかし俺はそのたびに疑問に思うのだ。おぼえたてはすごい。それはわかる。そこまではいい。しかし男女(であるとして)相互におぼえたてすごいやめられない、セックスすごいよぉと思えるためには前提条件がひとつ必要なのだ。それは少なくとも男性の側が早漏ではないということである。包茎であることもあまりよくない。この世界は敵だらけだ。
たとえば挿入から射精までの時間を5秒としよう。服を脱いでからふたたび着るまでの時間を1セックスとする。1セックスにつき何回射精できるかは個人差があるだろうが、おぼえたてはすごいのだから5回くらい射精できるとする。若いってすばらしい。みんな敵だ。しかし早漏の人はそのすべてを5秒で終える。仮に挿入時間と女性の側の満足度にある程度の比例関係があるとしよう(かならずしもそうとは限らないが、この記事の目的は単に逆恨みすることなのでそれでよい)。その場合、挿入時間と女性の満足度は1対1の比例ではなく、おそらく指数関数的な動きを示すはずだ。もっとも挿入してから男性が3日射精しないとかだと話は違うが、この場合そういう例外的な事例は措いておく。
指数関数的であるということは、時間が短ければ短いほど満足度の上がる比率は下がる。つまり5秒×5セット=25秒分の満足ということではなく「え、もう?」×5回ということである。これはすごいな。心折れるな。もう俺ヤギでいいやっていってヤギ探す旅に出るも、ヤギからも「え、めえ?」とか言われるレベルだ。もうだれも信じられない。ヤギですら。
つまり「おぼえたてセックスすごい」というのは、あくまで男性が早漏でないことを前提にしているということだ。神速のホワイトスペルマであるような人種は、何度セックスしても速度的な意味で常に神の領域にいる。時間が止まって見えるほどの異能があったとして、自分の内部では5秒を無限の時間に感じ「ああ、まだだ、まだ遠い……この5秒は永遠だ……」と思っていたとしても現実には挿入してフンッ、ハッ、あああ……である。
ご理解いただけただろうか。あとおぼえたてセックスすごいのとお医者さんごっこの経験ある人はそれを詳らかにしていただきたい。現実とファンタジーの境界線の彼方に我々は見果てぬ夢を見るのだ。
あと「お兄ちゃん、右手の使用を禁止します」は、すごく安定したテキストと、すごく妹かわいいのと、おぼえたてセックスすごいのと、妹かわいいのと、妹がすごいので、ぜひやってみるといいと思います。ただし個人的な嗜好により最初のえろしーんまでの煮詰まり感がすごくありがたいので、えろしーんを通過すると一山越えたなあって感じになってあとは作業になります。もっとなんかこう、お兄ちゃんの夢精ジュースが飲みたいとかいう理由で、煮詰まった状態を延々と繰り返して相互におあずけ繰り返すようなエロゲないすか。