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2018-12-01

私の「#先生死ぬかも」

twitterで「#先生死ぬかも」というタグ流行っているので以前、私の勤務していた地方私立高校のことを書こう

20年くらい前なのだ就職して寮に入るように言われた、寮とは職員の寮ではなく生徒の寮である

その高校での教員の一日はまず、寮で6:30にワンフロア15人位の点呼を取る、その生徒たちと一緒に草刈り掃除をする

7:30に生徒と同じ食堂給食を摂り、校舎に向かう(寮は校舎の隣りにある)、授業をして、部活をする、これは他の学校と同じだ、ただ高校なのだが生徒と一緒の食堂給食を摂らねばならない

その後18:00に3度めの給食食堂で摂り、その後はだいたい学校に戻り仕事をするのだが、週に1,2度19:00から寮の生徒と何らかの行事会議(寮にも学校と同じように委員会がある)をやる

そして場合によってはその後校舎に戻り仕事をする 

最後に9:30ころ最終点呼を取り10:00に消灯させる

このような生活なので学校の外に出ることがほとんどなかった。行くのはコンビニだけであるしかし、夜にまちがってコンビニで生徒と会おうものなら最悪で夜間に無断外出ということでその処理が始まり収集がつかなくなる

もちろん男子高校生が夜の10時ころ近所のコンビニにいきトラブルになることなほとんどないのだが、みつけたらそうなるので、近所のコンビニには行かないようにしていた。近くにパチンコ屋とゲームセンターがあってそこに生徒がいると通報が入り、夜、見回りの仕事が増えたこともあった

部活動は希望が通ればいいのだがだいたい通らず、運動部になったので日曜は練習試合である、(ちなみに私学なので土曜日は授業があった)

よかったのは平日に授業がない日がありその日は学校に行かなくてもよいというルールが有り、少なくとも午前中(午後は残務処理や部活のためだいたい学校に行った)は寮の部屋で寝ていてもよかった、この半日があったから死ななかったのかもしれない

このようなシステムでは本当に死ぬと思い担任になる前に15年ほど前、勤続3年でその学校をやめてしまった(最もその年で寮は出ることになっていたのだが、結婚したら夫婦でまた数年間入らなければいけないという法律無視した内規があった)

流石に現在はこのような運営はしていないはずだが、ここ数年で現役の教員が3人死んでしまったと学校の関連サイトに載っていた

直接の原因はわからないのだろうが、まちがいなく法律無視した学校システムが関与したのだろう

私立学校は給特法の対象でないことを最近知ったので3年間分の残業請求をしたいところだが15年もたっているので無理のようだ

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2018-09-05

ATMでの忘れ物チェックのストレスあるある

現金を引き出した時にどうしても気になってしまう3点。


現金の取り忘れ

キャッシュカードの取り忘れ

・明細の取り忘れ


自分は3点を毎度指差し確認しながら取っているんだけど、その作業すら自動化されているの直後に気になって結局財布を確認してしまう。


実際に忘れたことなんて無いんだけど、このストレスなんとかならないのかな。

ライトかヘビーか分からないけど、強迫性障害の傾向なのかなとは思う。


ATMUIが、そもそも忘れ物を防止するような手順になっているのでまぁ杞憂。でもその杞憂ストレス


1. 明細書とカードを受け取る

2. 現金を受け取る(1が終わらないとキャッシャー(?)が開かない)


[改善策]

キャッシュレスで生きる(やってみたい)

・引き出し都度にチェックリストにチェックつける(面倒)

・指差し確認に加え、「カードよし!明細よし!紙幣よし!」の点呼を行う(ひどい)

2018-05-14

増田の中に、運輸系に携わる人いる?

睡眠不足は乗務禁止 トラックバス、6月から義務

というニュースを見たんだけど、これって意味ないよね?

事業者は、乗務前に運転手健康状態飲酒の有無などを確認する「点呼」の際に睡眠が十分かを確認することが義務となる。睡眠時間には個人差があるため具体的な時間についての基準は定められていないが、睡眠不足のまま乗務を許可したと認定されれば運行停止など行政処分対象となるため、事業者は厳しい対応を求められる。具体的には、運転手と対面などでやり取りし、睡眠不足による集中力低下など安全に支障がでる状態にないか丁寧に確認して結果を記録として残さなければならない。

これに対して、

根本的な問題解決するとは思えません。」

「疲労の蓄積も睡眠不足になる原因も、解っているのだろうか?」

規制緩和がもたらした、過度な安売り競争新規参入が原因」

というようなコメントが多かった。

原因となるのは、運賃抑制低賃金人手不足、等々で、

これらの問題解決せずに睡眠不足解決できないという主旨のもの

この事に対するてこ入れ無しに睡眠だけ確保しろというのは不可能だし、

国としてはこの部分のテコ入れ必要だと思う。

2018-03-22

2018年アニメ宇宙よりも遠い場所」を12話まで観た感想 その2

各話ごとのレビューネタバレあり)

https://anond.hatelabo.jp/20180322081336 からの続き)

5話

ゲーム機

 めぐっちゃんと、「南極行きの荷物整理中に見つけためぐっちゃんゲーム」を「(昔は2人でプレイしていたのに)キマリが一人だけでプレイ」しながら「めぐっちゃんの知らない、キマリ友達」の話をするという流れが端的にめぐっちゃんの心境を表している。めぐっちゃんの心境は各話で少しずつ描かれているが、ここで一気に「めぐっちゃん…」ってなる非常に強烈なシーン。

めぐっちゃん

 めぐっちゃんがキマリにすべてを打ち明けるシーン。以下自分語り

 私には小学生時代に知り合った友人がいた。友人はきっかけはよく覚えていないが、小学校高学年になる頃にはほぼ毎日一緒にいたと思う。ただ友人は変に気の強い性格だったのか、私が他の子と遊んでいると鬼のような形相ですっ飛んできて私をそこから連れ出そうとしたり、一人にされることを極端に嫌がったりした。それに振り回されるうち、私は一日中その友人とセットで行動するようになり、中学生になる頃にはその子以外と一切遊ばなくなっていた。

 私が当時その状況に甘んじていたのは、一つは友人といて楽しかったと思ってたから。友人はいろんなゲーム漫画のある家庭に育ったので、友人の家に行けばわりと満たされたからだ。そして二つ目は、私が友人から距離を置こうとすると全力で拒否するようになったからだ(暴力込み)。はじめのうちは喧嘩もしたけれど、そのうち「あまりに近くなりすぎないよう距離を置きつつも、概ね抵抗せず、常に機嫌を伺う」というぬるま湯に浸かる術を身につけた私達の仲は、大学時代まで続いた。

 その当時の心境を端的に言うと「友人には私が必要だが、私はそうでもない。でも友人から得られるものもある。適度に利用しながら、距離をとっていこう」みたいな感じだった。

 別々の地方大学に進学したあとはコミュニケーションを取る頻度が劇的に落ちた。たまに友人からヒステリじみたメール等が飛んできたけれど、物理的な距離のおかげで友人の拘束から逃れることが出来た。そして一人になって初めて、孤独というものを強く思い知らされた。サークルに入っても上手く人に合わせられない。ワイワイする方法がわからない。大学生同士の話題についていけない。同じ趣味の人を見つけることが出来ない。何もかもが上手くいかない。そしてその悩みを共有する相手がいない。本当に空虚だった。案外、友人を縛り付けていたのは私だったのかもしれないな、と今は思っている。結局友人とは音信不通になった。

マリとめぐっちゃん

 だから、面と向かってキマリがめぐっちゃんにこの話をしたのはキマリの鋼メンタル物語ってる。言わば「いっつも面倒見てくれて、それにずっと甘えてきたけれど、もうやめにしよう」とめぐっちゃんを突っぱねたんだから。「いつも面倒かけて申し訳いから…云々」という消極的理由ではなく「ゲーム相手になれるくらい」の関係を築きたいというキマリの想いは絶交を宣言しためぐっちゃん対照的なのだけれど、どっちの気持ちも分かる。私がずっと抜け出そうとしなかった不幸のぬるま湯に、めぐっちゃんもキマリも気づくことが出来て、しかもそこから抜け出そうと一歩を踏み出したのだから。私には二人が眩しく見えた。

 でも一方、5話におけるライティング演出が二人の「ここではない、どこかへ」という勇気について非対称性を感じさせる。簡単に言ってキマリ=陽 めぐっちゃん=影 なのだけれど、出発のシーンでは

めぐっちゃん独白…影

「一緒に行く?」のときのめぐっちゃん…陽

バカ言え!」のときのめぐっちゃん…影

「絶交無効」…陽

 となっていて、「友達と4人で」一歩を踏み出すキマリの明るい予感と、「そうではない(一人で)」一歩を踏み出すめぐっちゃんの暗い予感という対比に見えた。私自身めぐっちゃんルートだったから、最後にキマリが絶交無効したシーンで二人に陽が当たる演出は、「めぐっちゃんにキマリ必要であることを肯定的に描いてて本当に好き。そう考えると、5話におけるライティング演出の狙いはすべてこの「絶交無効」に収束している気がする。

マリかわいい

19:00頃~

6話

シンガポールの背景美術

 日本編と航海編をつなぐ回。シンガポールメジャー建物が現地民も納得のハイクオリティで描かれていて、めっちゃ行きたくなる。本作における聖地巡礼は、館林群馬)→歌舞伎町新宿)→極地研(立川)→シンガポールフリーマントルオーストラリア)が無難か。

マリゆづのベッドと、報瀬&ひなたのベッド対比

 キマリゆづの部屋と報瀬&ひなたの部屋でダボーベッドの広さが異なって見える(報瀬ひなた部屋のベッドの方が距離を感じる)。計測したらどっちもほぼ2m幅になっていたので、2組それぞれの心の距離に差があることを非常にうまく対比している、すっげえ大好きなシーン。

空港でのやりとりと、3話”報瀬の「自己嫌悪」と、ひなたの「思いの強さとわがままは紙一重である」”のくだりから見る報瀬の成長

 無理ーってなってる日向を、自分わがままで引き止める報瀬。このやり取りは、3話で報瀬が自身性格について自己嫌悪していた時、日向が「思いの強さとわがままは紙一重である」とアドバイスするとても尊いシーンと対になっている。あのとき日向が報瀬のパーソナリティ肯定たからこそ報瀬が成長し、その結果として6話があるのだと考えるとこんなに幸せな話は他にない。

マリーナベイサンズでのやりとり

 シンガポールの街並みを見ながらそこに住む人々の生活に思いを馳せ、

同時に過去日本での生活)を思い出しつつ未来(人々の生活存在しない大陸)を暗示させる印象的なシーン。

マリポイント

19:35頃 ビジネスクラスチケットを持ってムッフーなってるキマリ

7話

冒頭の観測船出発ビフォーアフター

 前回の観測船→今回の観測船の対比(減ったトラック物資、前回は多くの取材陣に囲われていた隊長、前回は一緒だった貴子

 アバンだけで「観測隊の船出が順風満帆ではないこと、また隊長、かなえ、貴子関係」を回想と現実の対比によって簡潔に表している。

取材がすごい細かい

 本作を支える「緻密な取材に基づく描写」がこの辺りから本領発揮する。砕氷艦報瀬の内部構造がしっかり描かれていて、話の内容関係なく観てて楽しい

隊員たちの想い

 ここまでの伏線として「先行き不透明」とか「カネがない」とか「南極ってめっちゃ過酷やねんで」等重大な問題示唆されているのだけれど、それに対して「一発逆転(一攫千金)の方法」とか「やってみなきゃわかんない」等の非現実的な展開によって解決せず、「これから先いろんな困難が待ち受けている」のではなく「いろんな困難があったけれど、強い覚悟で3年間戦ってきたからこその今がある」っていうもう一つのドラマとして丁寧に大人組を描いていて、主人公の4人よりむしろ大人組に感情移入してしまった。隊長の「この船は、そういう船」っていう言葉で胸がいっぱいになる。

 だからこそ、その観測隊員の前で自己紹介をするキマリゆづ、ひなたの晴れやかな顔を見ると「ああ、この子たちはそれでも主人公なんだな」って感じさせるくらいのドラマがあったことを思い出す。大好き。

認定or仲間相手じゃないと普通に喋れない報瀬と、最後自己紹介に見る報瀬の成長

 ここまで「南極にとらわれているお姫様」という舞台装置しかなかった貴子の「星を見る船を率いていた一人」という側面を知ったことで、報瀬が抱く(手放しで仲間と呼べない)観測隊への複雑な想いが伝わってくるし、自己紹介とき小淵沢…報瀬です…」という言い方から彼女にとって、そして隊員たちにとっての「小淵沢」という姓の重さが伝わってくる。だからこそ、敵or仲間相手じゃないと普通に喋れないポンコツ報瀬が(日向フォローもあって)あのセリフを言えたことは彼女の成長を強く感じさせたし、「報瀬のコールに応える隊員たち」というシーンだけで、セリフもない隊員達含む全員の想いを完璧に描いた演出は控えめに言って最高すぎる。

マリポイント

8:40頃 物資を運ぶのが大変すぎて、疲労のあまり原型を失ったキマリ

8話

砕氷艦しらせでの生活が詳しく載ってるブログ

海域へ到達!波濤を進む砕氷船しらせ」での艦内生活南極観測シェフ青堀力の南極紀行2】 https://serai.jp/tour/141947

船内の音

 船内のシーンでは声の反響シチュエーションごとに異なっていて、反響を聞き分けるだけでその部屋の大きささえもわかるくらい細かい

 「特に荒波に揉まれ砕氷艦の船内」の音がすごい。どうやって作ってるんだろ

マリの前髪

 キマリの前髪という話題に触れるのは8話が初めてであり、言ってみれば「主人公キャラデザキービジュアル)に個性的伏線を張り、それを8話まで引っ張る」というマネをしている。「なんやこのキャラあんま可愛くないやんけ」って思われたらどうしようとかそういう不安をぶっ飛ばすストロングスタイル戦略である。前髪の理由を聞いて「あー、だから・・・」って思った私は見事術中にハマっていたらしい。キャラデザ最高かよ。

揺れる画面と大画面

 Bパート以降ずっと画面がゆらゆらしている。公式ラジオでキマリ中の人こと水瀬いのりが「アフレコの時ずっと見てて軽く酔った」と言っていて、たしかに大きい画面で観ると結構きつい。むしろそういう効果を狙った演出だったら笑う。

4人が「訓練された大人」ナイズされちゃう不安

 大人の一人として扱われ、荒波に揉まれる(物理)姿は新社会人を思い出す。観測隊としてやっていくためにはもっと多くのことを出来るようにならなければダメだし、そこに「やる、やらない」という選択肢はなくて、ただ与えられる業務淡々とこなすことが求められるのも社会人の一つの形なのかもしれない。そしてそういう姿に青春は宿らない。「宝石の国」(2017)12話のフォスフォフィライトを「入社3ヶ月目の俺」と評した人がいたけれど、この4人ももしかして…と思わせるような心境が「頑張るしか無いでしょ…他に選択肢はないんだから」という報瀬のセリフによって描かれている。

 これと対になっているのが4話ラストのシーンで、4人が観測隊(あるいは報瀬の旅)についていくのではなく、「みんなで南極に行く」という覚悟が対になっている。だからこそキマリの「この旅が終わった時にはぜったいにそう思ってるもん!」はその鋼メンタルに痺れたし、その後4人のやらかす姿は相変わらず青春しててめちゃくちゃ眩しかった(夜なのにね)。また4人が水平線流氷を見つけた時の顔は出港時の4人と全く同じ構図になっていて、彼女たちの「変わらなさ」を象徴している気がした。

マリポイント

20:00頃 海水を頭からかぶって爆笑してるキマリ

9話

砕氷艦のラミングと吟の魂と縄跳び

 南極の大変さにビビってたキマリたちがかなえさんに昔の観測隊が何度も何度も南極に挑み続けた話を聞いて、あるいは同じ話を幼い報瀬に話していた吟隊長、そして今の報瀬が砕氷艦のラミングを繰り返す姿に「行け!」って前のめりになっている姿がすごく良い。時代を超えてそれぞれに受け継がれてきた魂のようなもの(作中では「吟の魂」と表現されててかっこいい)の強さがラミングしながら進む砕氷艦の勇ましさや音響シンクロしてて、控えめに言って最高。

 あと、「吟の魂」がなかった3人組は吟と想いを共にする隊員たちより縄跳びが下手で、一方それを幼少期に受け継いだ報瀬は縄跳びがうまいっていう文脈良いよね。そういう意味で3話Cパートの「貴子と、縄跳びを手に持つ報瀬の写真撮影者はおそらく隊長)を手に持つ隊長」のシーンは非常に印象的。なお現実観測隊でも縄跳び大会があるみたい(娯楽大会と称して、アウトドア競技インドア競技で盛り上がるらしい)。

過去に囚われる隊長

 「その貴子はもういないのよ」というかなえのセリフが刺さる。吟は強い信念を持って前回の南極観測に挑んだ結果貴子を失ったことを非常に悔やんでいたし、加えて報瀬を強く傷つけた。しか自分の信念をロリ報瀬が受け継いだからこそ今の報瀬は母の亡霊と決別するために、あろうことか「宇宙よりも遠い場所」を目指しちゃって、しか成功しちゃって今目の前にいるというのは吟のカルマのもので、もはや「自分のせいで報瀬の人生めちゃくちゃ」なのか「報瀬は報瀬なりに一歩を踏み出す勇気を持った子に育ってくれた」のか分からないよね。両方か。そのくせ自分過去に囚われてるままだし。ラミング→貴子の回想っていう構成で胸がいっぱいになる。

 だからこそ最後の「ざまーみろ!」を最初に報瀬が言う演出は最高だった。おまけに大合唱だし。泣くやんあんなの

砕氷艦の進む音

 ラミング(2回め)の氷が割れる音がすごいので、ぜひ爆音で聞いてほしい。あと氷にまつわる音で思い出すのは「宝石の国」(2017)7話の流氷の音。あっちもすごい。

マリポイント

11:55頃 甲板で会話する報瀬と隊長の二人を、下からこっそり見守るキマリのアホ顔

10

息が白くない

 南極のあらゆるシーンで息が白くない。これは気温が低くても息が白くならないリアル南極仕様再現してるのだけれど、「白い息を描かない」ことで「ここが南極であることを再認識させられる」っていうのがなんか良い。

ヘリの音

 「ヘリの音がうるさくて会話が聞こえない」というシチュエーションアニメ表現しているところを見ないのだけれど(当たり前か)、このシーンはガチでヘリの音がうるさくて好き。ぜひフラットな出力の(人の声を強調しない)スピーカー大音量にして聴いてほしい。

朝の点呼

 朝の「ご安全に」、ついつい復唱したくなる。あのシーンだけで「この基地においては隊員たちがああやって生活している姿がメイン」であることを再認識させられる。南極から彼らが毎日特別なことをやっているわけではないんだよ、というメッセージになってて好き。

友達誓約書と4人それぞれの「友達定義」にみる過去回での掘り下げ

 「友達とはなんぞや」という話を中心に、それぞれのキャラクターを描く回。10から本格的に基地での活動生活を中心とした物語になる関係上それぞれのキャラクターが「友達とは」に言及する尺が結構短い。なのにすごく説得力があるのは、うまくこれまでの物語彼女たちの心を描いてきたからこそだなぁ、と感じる。

 ゆづが「友達誓約書」を出してきて、もしこれが3話とか4話だったらただの笑い話なのだけれど、あれから7ヶ月も一緒だったからこそ3人が曇った顔をしていた気持ちもわかるし、5話があるからマリが泣いちゃう気持ちがわかるし、一方笑顔でめぐっちゃんの話をするキマリを見てると胸がいっぱいになるし、1話カーチャンのことがあるから報瀬の友達論は重みがあるし、6話があるから日向が「友達って」をうまく説明できないのが辛い。そして何より、3話で自分から友達になりませんか!」という宣言とともに獲得した2人の友達(察しのいいゆづならきっとその2人がなんで友達になってくれたのか分かるはずなのに)にすごくこだわっていたゆづ故の「友達誓約書」って思うと、すごく切ない。だって7ヶ月間ずっと待ってたんだぜ?友達宣言

 大好きなのは日向と報瀬がゆづを励ますパーシャル丼のシーン。BGMが3話等の挿入歌ハルカトオク」のアレンジになっている。BGM聴いただけで「なんて温かいシーンなんだろう」って思わせるくらい優しい空間になっていて、(ゆづの悩みとは裏腹に)明るい予感に満ちている。メッチャ好き。

既読」の表現と風化

 現代風の表現を用いる時の問題として、時代の変化によってその意味が変質したりするという点がある。これは意図して変質を招くことは少なくて、大抵は無自覚に発生する問題であるex,宇多田ヒカルAutomatic”の歌詞に出てくる「受話器」)。今作で言えばSNSアプリでのやり取り。もしSNSポケベルと同じ運命をたどった時、その未来においてこの作品意図はどれくらい伝わるんだろうか…と心配になるのだけれど、10話の18:30頃において、「既読が付くこと」を「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」と表現していて、思わず「おおっ」ってなった。現代風に言うなら「既読スルーしてやんの」とか言いそうな所だけれど(キマリは言わないけど)、「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」という言い方は向こう20年くらいは伝わる表現なんじゃないだろうか。風化しにくい表現を選んだ、と言う意図があるかどうかは分からないけれど、すごく好きな表現だ。

マリポイント

5:30頃 飛び立つヘリの風に耐えようとして、轢き殺されたカエルみたいになってるキマリ

2018-02-28

anond:20180228093425

確かスイミングスクールでの点呼の時だったと思うんだけど

俺のいた級に新しく進級してきた女の子に対して、先生が満面の笑みで「ちゅうむら〇〇ちゃーん」って言ってたんだよな…

の子はとりあえず挙手してたけど、そんな呼ばれた方したのこれが最初最後だろうな

2017-12-16

10分間の新幹線通勤

サラリーマンだったころ、もう通勤ラッシュが嫌になって、自腹で新幹線通勤をしていたことがある。

東海道新幹線新横浜品川間、所要時間は10分弱。3ヶ月定期で10万円ぐらいしかなぁ。

Suica対応していないから、改札機に入れるタイプ磁気定期。偽造防止のためかホログラムが入っていて、真ん中に大きく赤字で(幹)って印字されてた。

品川新横浜も「のぞみ」も含め全列車が止まるので、本数はめちゃくちゃ多い。

だけど、朝は座れない。三島始発の「こだま」号ですら、新横浜到着時点ではほぼ満席

座っている乗客の読んでる新聞が「静岡新聞」だったりするからガチ遠距離通勤してる人が多数。

たった10分間で、おまけに座ることもできなかったけど、デッキで壁によりかかりながら、車窓を眺めるのが好きだった。

途中で並走する横須賀線乗客目線があったり、大崎駅あたりの再開発工事現場でみんなで点呼ラジオ体操しているのが見えたり(ちょうと8時頃ね)。

あんまりいい景色じゃなかったけど、在来線で揉みくちゃにされて体の自由を奪われるよりかはマシだった。

そして、品川駅新幹線改札を出て在来線乗換通路に入った瞬間、現実に引き戻される。

あぁ、これから会社か、と。

会社辞める直前は、定期券も切れてしまったので、行きは新幹線(回数券)、帰りは東海道線グリーン車とか、アホみたいなこともしてた。

とにかく金に糸目をつけず、混雑を避けて移動するためなら出費を惜しまなかった。

懐かしい黒歴史だ。

2016-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20160907062831

登録制バイトって、どこもこんなもんなん?

 

日雇い底辺バイトは、雇う側もこいつら信用できない屑という前提で接してくるのでいろいろメンドクサイ。

見る限り直バイおっさん点呼の人とまともではない。

 

その仕事でで生計を立てているとかでなければ関わらないに限る。

真面目に対応しても無駄だろう。

2016-09-07

【胸糞】登録制アルバイトに行ってきたけど、コレ俺が悪いの?

本人特定恐いので詳細はぼかしま

結果から言うと、ボロクソに怒鳴られて追い返された。以下経緯

  

http://reon5653desu.hatenablog.com/entry/tourokusei-baito-merit-demerit

この記事見て空いた日がお金になるならと登録してみた

  

貰えた仕事倉庫内のピッキング作業

集合場所に行くと点呼の人が居て10人程集って現場

点呼の人も俺らと同じで派遣バイトで何回か同じ現場に入ると

俺も点呼係させられるらしい

  

現場に着くと、無駄に高圧的なオッサン命令口調で指示を出してくる

・言われた事以外一切するな

・何かあったら全部すぐに報告しろ

勝手判断して仕事をするな

ここまではまあ分かる

こっちも何やって良いかからないんだし自分判断しろとか言われる方が困る

「お前らなんか一ミリたりとも信用して無いぞ」と言わんばかりの態度は鼻に付いた

社員ではなく直接雇われてるバイト、直バイと言われてる人らしい

  

倉庫内に携帯持込禁止

・休憩時間は休憩室までの移動も含む

この辺で怪しい雰囲気に、なんで携帯持込禁止なのか?

写真取られたらやばいことでもやってるの?

倉庫はかなり広いし休憩室は別階にある

往復で5~6分かかるだろうに厳しすぎやしませんかねぇ

  

モヤモヤしつつも言われるままに作業開始

俺の分担はピッキングではなく、トラックが置いていった荷物を棚に割り振っていく作業

エプロンをつけた直バイのオッサンバーコードの印字されたシールを貼ていった商品

台車に積んでバーコードの下の数字に合った棚に収納して行く

オッサンは指示を出す時はずっと高圧的で、たまに巻き舌でスゴんでくる

普通に喋れない人なのかもしれない、可哀想

  

時間ほどした頃

収納しようとした棚に元々置いたあった商品が明らかに破損していることに気付いた

置き場を確保しようと向きを変えたら裏側の包装が破れていて中の商品パッケージも破れ

中身がむき出しになっていたのだ

向きを変える時に引っかかった感触は無かったし、棚の奥にも尖った箇所は無かったので

俺が破ったってことは絶対無い、はず……

嫌な予感がしたが、破損している商品台車に載せて下ろし場に戻ることにした

途中で点呼の人とすれ違ったので一応尋ねてみると、やはり直バイに報告しとけばいい

と言われた

  

バイに状況を説明すると、苦悶の表情で「あーあー」と頭を抱える仕草をした後

俺を睨みつけ、無地の紙切れを渡してきた

「ここに派遣会社とアンタの名前書いて商品に貼っといて」

嫌な予感が一気に膨れ上がる

  

俺「いや、俺が壊したんじゃないし名前書く意味からないんすけど」

  

直「ええから書いてや、そういう決まりから

  

俺「なんに使われるか分からん名前なんか書けないっすよ

  どういう理由で書くか言ってもらわんと」

  

直「書けゆうてんねん! 書いたらええんじゃあ!! 書けやあ!!」←ブチギレ

  

倉庫内に絶叫が響き渡り、みんながこっちに注目する

状況を知ってるはずの点呼の人も見て見ぬフリ、一瞬目が合ったが助けてくれるわけでもなく

作業に戻っていってしまった

  

俺「俺の責任無いって証明……」

  

直「そんなもんどーでもええんじゃ! 名前書けコラあ!!」

  

俺「じゃあ携帯持ってきますんでそっちの指示で名前書かされたって記録取……」

  

直「もうええ帰れ!」

  

俺「はぁ?」

  

直「お前みたいなややこしい奴いらんのじゃ! かえれ!!」

  

俺「あの、2時間やと電車賃も出ないんですけど

  帰れってそっちの都合ですよね

  給料補償してもらえるんですかねえ」

 

直「ゴチャゴチャ抜かしてやんとはよ帰れえええ! ボケがあ!!」

  

バイさん、もう会話にならない感じで発狂しまくっていたので俺は言われたとおり帰ることにした

後ろからしつこく追い討ちの罵声が飛んでくる

  

直「どこの現場も貰えんように報告しといたるからなあ!!

  二度とくんなクソボケええええ!!」

  

  

この後、派遣会社から鬼着信が続いたが面倒そうなので一切出ずに着拒に入れた

時間分の給料も振り込まれていないけど、高々1600円の為に戦う気もしないので放置している

  

登録制バイトって、どこもこんなもんなん?

俺、なんか間違ってた?

訴えられたりとかしないよね?(←ちょっとビビってる

ほとんど愚痴みたいな話だけど、指摘とか有ったら欲しい。

2015-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20150417220710

点呼とは一人一人名前を呼んで確認することを言う

「相沢!」「はい」「池田ァ!」「ハイ!」という奴である

従って「番号!」「1!」「2!」「3!」は点呼とは言わないのである

…という蘊蓄を以前聞いたのだが、では後者をなんと呼ぶのが正しいのか忘れてしまった

誰か代わりに思い出してくれ

2014-08-24

増田って何人くらいいるのかな

増田って何人くらいいるのかな。点呼したらわかるけど2chじゃないし迷惑かな…とか考えてたら前に2chで「このスレ何人いるの、連呼しようぜ、1!」とか書き込んで、「2!2!2!2!2!2!2!」とか「いつから連呼だと錯覚してた」とかめちゃくちゃツッコミ入れられたのを思い出した。

2014-07-16

僕が経験した逮捕から留置所での生活

ろくでなし子さんが逮捕される前に教えてあげたかった女子留置生活TIP 「http://anond.hatelabo.jp/20140716042957」で留置所生活を思い出した。

僕の場合、いわゆる冤罪だったわけだけど、面倒だから認めた。

もう済んだことだからそれにはあーだこーだ言うつもりはないけど、留置所生活は色々な意味で本当に糞だったので、ココに書きたいと思う。

まず入る前に荷物すべてを色々調べられて、リスト化される。

カード類とかをたくさん持ってる場合、これに時間かかって入るまでが大変。

そんで留置所内で自殺とかできないように、紐とかボタンが付いてない服に着替える。

借りることもできるけど臭い

基本着れるのが許されるのはスウェットジャージTシャツだけだと思ってくれれば分かりやすいと思う。

Yシャツボタンあるからダメね。

あ、そうそう着替える前にケツになんか入れてないか、全裸四股踏まされた。

これが一番屈辱的だったのを覚えてる。

それから着替えて、手錠付けて、腰縄付けてリードのようにして檻の中へ。

檻と呼ぶにふさわしい、鉄格子の扉の部屋。

○房というようにいくつかの房に分かれてて、1房につき4畳ちょっとで4人が定数。

入ったのは冬だったけど、暖房が付いててずっと適温だった。

年末とかだとわざと入ろうとして無銭飲食する輩がいるらしい。

あったかくて飯も出るからそういうホームレスには最適だなと確かに思った。

先に三人、先客がいたので自己紹介をした。

僕の場合、とっても気さくな拘置所常連再犯数回)が一人いたので、制度ルールについて色々聞けた。

担当弁護士っていうのを呼べるよーとか。

自弁っていって弁当に所持金使って追加できるよーとか。

お金なければ担当弁護士キャッシュカード渡しておろしてきてもらえるよー(もちろん暗証番号を教える羽目になる)とか。

面会は一日一回だよーとか。

17時におやつ時間あるけど、自腹だよーとか。

欲しい本とか新聞あったらこれに書いて自腹で買えまっせとか

あとは、弁護士は面会に含まれないよーとか。

自分逮捕内容についても、「その場合、だいたい○円ぐらいで示談できるよー」とか。

うそう、↓このへんは行く署によってルールが若干違うらしい。

・「運動」って実は塀に囲まれた所で「爪切る」か「煙草を吸う」ための時間

風呂は週2回

・土日はラジオが流れてる。

だけど外の情報は完全シャットアウトから

ニュースとか流れないように番組管理されてるし、新聞は切り抜かれる。

外でどんな事が起きてるかは全く分からない。

静かでひたすら時間をもてあます

あ、そうそう。

注意されたこともあった。

暑いからちょっと窓開けて」って鉄格子の向こうにある窓を開ける様に頼んだら

規則なんで」って言って全く応じなかった。

規則」以上の理由はないらしい。いかにも警察

あと、暇だから拘置所内のスケッチを描いたら怒られた。

内部の状況が分かるような物を作成してはいけないんだそうな。

脱走防止かね?

色々自由が奪われてたし、飯もまずかったので、出て速攻でメシ食いに行ったけど、

拘置所静かな生活に慣れてしまって、うるさすぎて落ち着かなかった。

あと、家でTVを見た時はずーっとみとれちゃいましたね。

軽い浦島太郎状態。

僕は拘置所の中にいた人とか、検察に行った時(検察には範囲内の別の署からも集まる)に色々な人から話を聞いた。

何せ暇だから話すぐらいしか暇つぶしができない。

大体は「なんで捕まったの?」みたいな話。

もちろん普通の会話じゃないから変な話、面白い

痴漢冤罪徹底抗戦してすべて失った人の話とか、

組織窃盗だと疑われてしまった無実のおじいちゃん(窃盗物だと知らずに置き場所提供する連絡を仲介してしまった)とか、

女の子自分の部屋に来たから手を出したら親告されて捕まったとか。

無実のおじいちゃんは半年ぐらい拘置所生活してるって言ってた。

組織ぐるみ犯行を疑われた場合捜査時間がかかるから、拘束期間も長くなるんだって

警備会社かなんかの社長をやってたこともあって、柔道も何段とか言ってたな。

どっちかっていえば警察よりっていうか、超善良な人で、道徳的にもすごくしっかりしたモラルのある人だった。

最後まで僕の事件や他の留置者を気づかってくれて、落ち込みそうになると冗談いったり、時に親身に話を聞いてくれたり。

とてもとても優しい人だった。

その人はよくため息交じりに言ってた。「人生、何がおこるかわかりませんよ」って。

出ていく日も一緒だった。僕は裁判所なので彼は検察で先に車を降りた。

僕の隣に座っていた彼は、手錠されて腰縄を引っ張られながら、最後に立つ際に僕の膝を叩いて

幸せになってください」

って言ってくれた。僕は涙を必死にこらえながら鉄格子が貼られた車窓から外を見た。

こんな人にこんな生活させるなんて、本当に警察はどうかしてるって思ったのを覚えてる。

すごく強烈に記憶に残ってる。

話戻って。

拘置所での暮らしは朝は6時に起床、点呼取って、房毎に布団しまって、房の掃き掃除と拭き掃除

「洗面」で歯磨きと洗顔とかして、あとは朝飯。

それから検察に呼ばれるか、調べがないとずっと暇。

体がなまりそうなので筋トレしてました。

12時に昼飯食って、17時におやつで19時に夕飯。

出る時は僕の場合略式起訴だったので裁判所いって、軽く読みあげて、

身元引受人が用意した罰金を払って、釈放。

ま、とりあえずあそこの生活精神的に罪人扱い。

色々な人の話を聞いて分かったのは「一般の倫理観的な罪」は犯してないのに捕まるのも珍しくないから

いつ誰もが経験する可能性がある生活だと思う。

お財布の金は大目が良い、には賛成☆

教養としての留置所生活

ろくでなし子さんが逮捕される前に教えてあげたかった女子留置生活TIP」(http://anond.hatelabo.jp/20140716042957)がバズってたので乗っかる

まずタイトル留置所というのは俗称で、正しくは留置施設。各警察署の中にある。

僕が知ってるのは都内区部の某警察署だけど3階くらいにあったかな。

から見て鉄格子がはまってる階があればそこに留置施設がある。

留置施設に入るのはまず警察逮捕された人。

現行犯でも礼状逮捕でも、ひとまず管轄の警察署連行されて、両手の指紋と掌紋をデータベースに登録されて、ベルトやその他持ち物没収された後に分厚い鉄のドアを隔てた向こう側に閉じ込められる。

法律上逮捕から48時間警察勾留(閉じ込めておく)する事ができる。

そのいわゆる48で出る人もいるし、有罪にできそうな人、あるいは警察に敵視された人などは検察勾留延長申請されて10日延長を2回まで、トータルで22日間まではわりと簡単に勾留される。

検察が有罪にできる自信を持てる容疑なら起訴されてさらに数ヶ月は閉じ込められるけど、自信がなければ釈放される。

日本の有罪率が高いのは、有罪にできる人しか起訴されないから

裁判制度あんまり意味ない。

よほど危険人物や具合の悪い人以外は4人から6人くらいで一つの房に入る。

6畳くらいのスペースにトイレだけ付いたカーペット敷の部屋。

鉄格子ではなく金属ネットが正面と背後にある。両側は壁。

いちおう挨拶するけど、極限に狭くて長い時間一緒に過ごすから基本的に皆気を遣う。

普通に外国人もいた。逮捕されてから日本語勉強したとか。

ちなみに彼はその時点で2ヶ月以上入ってたと聞いた。(半年くらいだったかも)

本来起訴されて裁判が始まったら未決囚として拘置所という別の施設に移されるはずなんだが、拘置所の定員が一杯だったりすると留置施設にそのまま置かれたりする。

代用監獄と言われるゆえん。

最初に番号を付けられる。

留置施設の中では名前でなく番号で呼ばれるので、激しく尊厳を傷つけられる。

有罪確定どころか起訴前でさえ閉じ込められて番号で呼ばれるという暴力

まるでお前は社会ゴミクズだと言われているような気になるし、そうする事で自白させやすいし冤罪だって作りやすい。

起床は6時くらい、番号で点呼があって、掃除して、洗顔歯磨きして朝食。

メニューは安い民宿の食事みたいな感じで、特に悪くないけど量は少なめ。

その後運動と髭剃りの時間がたしか15分くらい、房ごとに交代で10畳くらいの狭いスペースで過ごす。

日光を浴びられる貴重な時間。でも壁に囲まれて外は見えない。

取り調べある人は取り調べ、または裁判所検察に行く人は行く、行かない人は貸本を読んだり差し入れの本を読んだりして過ごす。

刑事の取り調べはうんざりするけど、窓から外が見えると嬉しい。

出たらマックに行きたいとずっと思って過ごしてた。

12時くらいに昼食。

昼食だけは自弁といって、留置係に現金を預けている人はそのお金特定のお店から缶の飲物やお弁当を買って、普通の食事に追加できる。

缶の飲物は目の前で開けられてお椀についで渡される。

僕の知ってる留置施設では、昼食は食パン4枚とジャムマーガリン、それにゼリーみたいなもの。それだけ。

ものすごく味気ないし初日から飽きる。

知ってる限り20日くらいは続いたから今でも毎日それかもしれない。

午後も取り調べある人、裁判検察の調べ、または実況見分など人それぞれの過ごし方。全部他人が決めるんだけど。

夕食はたしか5時くらい、掃除して就寝は9時くらいだったと思うけど、少し蛍光灯が暗くなるだけでかなり明るい。

これが一番つらかった。

明るい中で寝なければいけないし、毛布を被ったりうつ伏せで顔が見えなくしてると留置係の警察官に注意される。

常に留置者の顔が確認できないと駄目らしく、その状態で寝るのはつらい。

外に出て一番嬉しかったのは寝る時に真っ暗にできる事。

暗闇で寝られるのは幸せ

僕は20日ちょっとで出たけど、あれ以上あそこにいたら人間性が歪むと思う。

警察国家を憎み反社会的活動家になるか、誇りを失って利己犯罪者性向になるか。

痴漢冤罪ちょっとしたトラブルで誰でも警察逮捕されるおそれはある。

こんなひどい状況は誰のためにもならないんだから、早く是正されるように少しでも声を上げたい。

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