はてなキーワード: 点呼とは
反応が一拍遅れる。これは既婚者の女性に多いですね。名前が変わるので。病院の受付で名前を呼ばれた時、男性はスムーズ。女性はばらつきがあります。その反応と一緒。
苗字を呼ばれた時と下の名前の時で反応が違いすぎました。保護者会で親の話を聞くと母親が子供とそっくり。連絡網で父親にぎこちない敬語で話してたんで再婚家庭ですね。
真面目な生徒会長が昔ぐれてたのがわかった
本人が「私服装がきっちりしてない人がきらい」って言った時、幼なじみの副会長がへー、そういうこというんだって顔してました。あ、これは高校デビューして変えたななと。同じ中学だった人の昔話で正解だとわかりました。だらしないかっこうでおっかなかったと。
これは2人。生活音の大きさです。1人は神経質なくらい小さい。若い声も普通の話声も小さい割に性格は大人しくない。階段の歩き方が気を使ってるなー。と思ってました。本人にアパート住まいなの聞いてます。
戸建て住まいは逆。うるさかった。これも本人に戸建てを教えてもらった。
頭髪検査のたびにいやそうな顔をしてたから。髪の話題が出るたび表情を変えていくので、金髪が地毛、普段のは染めてるってのがわかりました。
細々とした好みがわかる
女の人の方が表情を変えやすい。日常の会話をしていれば好き嫌いの食べ物、俳優、好きな人は把握できる。一回全部言ってみたら引かれた。なにも言ってないもんね。
前作『暗殺教室』前々作『魔人探偵脳噛ネウロ』読切『離婚調停』と比較しても妙に弱い気がする
主人公の北条時行は戦わず逃げることに類まれなる才能を持っている。北条家は御家人であった足利によって瞬く間に滅ぼされる。未来が見えると自称する諏訪神主は肝心なところで言葉を濁すも「逃げる才能で時行が天下を取る」という。
ネウロは第1話、実父が殺害されたヤコの元に魔人ネウロが現れる。
壁に対して垂直に立っているという構図がすごかった。
手首まで貫通している遺影の実父が笑い、投げられた骨壷から溢れた灰はネウロと同じポーズでケタケタ笑う。
トリックが用いられた事件を人智を超える頭脳と魔界能力で早々に解決するも犯人の動機には一切興味が無い。
笹塚さんや吾代さんや怪盗Xや電人HALなど敵味方問わず魅力のあるキャラクター。
すごくおもしろかった。
暗殺教室は学園モノだか朝の点呼で生徒全員が一斉に射撃。タコの姿をした教師は全ての銃弾を避けて点呼をとる。月を破壊し地球を破壊すると予告している化け物。でも教師としての仕事はしっかりとして、不良行為や捨て身の攻撃を許さない。タイムリミットは卒業まで。
AI生徒だったり天才の赤羽だったり自分がもっと若い時に見てればさらにハマったと思う。
合理主義だけど教育者としての理念は揺るがない浅間理事長もよかった。
物語が進むにつれて明らかになる殺せんせーの秘密と開花する渚の暗殺の才能。
そしてE組の卒業式。
大ヒットしてしっかり終わらせてくれた。
離婚調停は干上がった地球が舞台で巨大な何でも切れる剣を引きずったおじさんの話。
道中で出会った少女に巨大ポンカンを分けてもらい、お礼に水を独占する地主を懲らしめる。
正体は神で引きずっている剣は地球を切っているのだという。
奥さんに愛想をつかれて財産分与として地球を半分にしているという。だから離婚調停。
読み切りにしては随分綺麗でさっぱりとした読後感だった。
このまま行くと和をテーマにしているだけに鬼滅の後追いをして爆死したと揶揄されそう。
「私、増田阿野太郎は!恥ずかしながら!戻ってまいりました!」
暗い気持ちを誤魔化すために、久しぶりにあった両親の前で冗談めかしてそう答えた。つもりだった。
わずかな沈黙のあとで父親が「随分怖い喋り方になったな」と半笑いで応えてくれた。
母が怯えた目をしていたことに気づいた。
嘘が多い。
私、増田阿野太郎が某実力組織への就職を決めたのは、大学を出て無職になった次の秋だった。
惰性で続けていた就活にもバイトにも嫌気がさしていた頃で、親の態度も少しずつ冷たくなっていた。
曰く「デスクワークもある」
なんとなくで、就職先を決めた。
そして、気づけば私は税金で寝食を得る身になった。
総員起こしの前に歯磨きや洗面を済ませる。
着替えを用意し、寝ている間にズレたベッドシーツをベッド下に潜って引っ張りなおす。
そうして、何事もなかったかのようにベッドに戻り、ずっと寝ていましたよというオーラを漂わせつつ喇叭を待つ。
朝の体操と点呼により貴重な血税を一斉にドブに捨てたあとは、朝の掃除である。
上官の靴を磨かせていだくことの喜びを噛み締め、靴墨をこれでもかと塗りたくる。
そうして塗りたくられた靴墨がそこかしかに染み付いた床を必死に擦るのも、下々の者達の公務である。
二度目の点呼、国旗への敬礼、朝の挨拶、行進、大事な大事な公務の時間。
蛆虫が羽ばたく権利を得るために求められる最大のモノ、それはベッドメイク。
人生と同じだ。
もしも明日、訓練中に死んだとして、親が死に目に会いに来ても恥ずかしくないベッドメイクを。
それをシーツに込められぬものが銃を持てば国民が不安になろう。
国民を信頼させろ。
敵国に威勢を見せよ。
それがベッドメイクに現れる。
完璧なベッドメイクをする軍隊を前に、その絶対の統率を前に攻め込もうとするものがあるだろうか?
否!
絶対の統率!
目の輝き!
輝く靴!
輝くバッジ!
無理だった。
「なぜこんな安定した仕事を辞める?」
「定年後も自衛隊員という立派な経歴でガードマンでもバス運転手でもよりどりみどりだぞ?」
役に立ちたいから、こんな所にいたくねえんだ!
その言葉は流石に飲み込んだ。
もう疲れた。
自分も恐くて失敗しても誰も死なない仕事に就きたいと思ってた。
保育教育は点呼とる自信ないから交通事故や保護者でない人に引き渡しとかしそう。
親が捩じ込んだ会計事務所で死にそうになった。
他人様のお金を扱うわけで、しかも仕事のお金だから桁が大きい。
(お金と言っても金勘定で、出納帳や経費の扱いを確認するので現金そのものでなかったからまだ良かったけれど)
何か失敗したら赤字になったりして、銀行さんが運転資金貸してくれなくなったらどうしようとか怯えてた。
勿論、簿記勉強中のペーペーなんで使い走り程度の事しかできないから、全部先輩や上司が見てて問題は起きないけどこわかった。
そんなペーペーが保険代理店業務の勉強して簡単に合格しちゃうから、
お客さんに法人向け保険契約営業もしなければならなくなって、ますます苦しくなった。
今は会計事務所ではないけど、失敗しても人が死なない仕事ってたくさんありそうだけど就職までたどりつけなかった。
今も失敗はしてる。誰も殺したくないからただ祈ってる。
自分も恐くて失敗しても誰も死なない仕事に就きたいと思ってた。
保育教育は点呼とる自信ないから交通事故や保護者でない人に引き渡しとかしそう。
親が捩じ込んだ会計事務所で死にそうになった。
他人様のお金を扱うわけで、しかも仕事のお金だから桁が大きい。
(お金と言っても金勘定で、出納帳や経費の扱いを確認するので現金そのものでなかったからまだ良かったけれど)
何か失敗したら赤字になったりして、銀行さんが運転資金貸してくれなくなったらどうしようとか怯えてた。
勿論、簿記勉強中のペーペーなんで使い走り程度の事しかできないから、全部先輩や上司が見てて問題は起きないけどこわかった。
そんなペーペーが保険代理店業務の勉強して簡単に合格しちゃうから、
お客さんに法人向け保険契約営業もしなければならなくなって、ますます苦しくなった。
今は会計事務所ではないけど、失敗しても人が死なない仕事ってたくさんありそうだけど就職までたどりつけなかった。
今も失敗はしてる。誰も殺したくないからただ祈ってる。
バス会社営業所内での敷地内撮影について、バス事業者とマニアのもめごとは、自分が知っているだけで今年に入って3件あった。自分が知らないだけでもっとあるのだろう。
1件目は四国の事業者、2件目は東北の事業者、3件目は中部地方の事業者で、3件目は本当かどうかわからないが、職員がマニアに殺虫剤を吹きかけたとマニア本人がツイートしている。もっとも、これはマニアの言い分なので、実際のところはどうかわからない。
マニアの方であればなんとなくわかっていると思うが、もしかしたらマニア以外の人が読むかもしれないので、ここでバス会社営業所での敷地内撮影について、どのようなものか述べたいと思う。
インターネットが普及する以前から、バス会社営業所の事務員から許可を得れば、マニアは敷地内で撮影ができるというところが多かったという。このダイアリーに書いている「敷地内撮影」はこのことを指す。以前はマニア個人の自己満足だったのだろうが、近年はインターネットの発達でマニア間同士の画像の載せ合い(=人よりいかに早く撮れたか)が盛んになり、Twitterなどでも敷地内撮影の画像をよく目にするようになった。
また、近年はバス会社のバスを貸し切り、マニアの参加者を募って各地の営業所に乗り込み、バス車両を順光になるように置いたうえで撮影するツアーが組まれることもある。ツアーと言ってもマニアが企画・参加者集めをしたうえでバス会社に申し込んでバスを貸し切っているので、個人的なツアーであり、バス会社主催ではない。敷地内撮影と区別するために、こちらのことは順光撮影会と呼びたい。
自分は営業所での敷地内撮影を検討・実行する際は、事前に以下のようなことを確認している。
③本社併設かどうか
④窓口があるかどうか
⑤田舎かどうか
①は大事だ。基本的に画像がネットにあがっていないところは、よほどの田舎でマニアが寄り付かないか、そもそも敷地内撮影が禁止されているか、突っ込み駐車で前から撮れないかのどれかだ。バスマニアは少ないとはいえ、よほどの田舎でもここ10年で撮影された画像がないところは、敷地内撮影は禁止されていると思っていいだろう。かといって、半年前に撮影された画像があったので、敷地内撮影の許可が下りるだろうと思って行ってみたら「うちはそういうのは禁止」と言われたところや、自分が撮影したあと、別のマニアが何かやらかして敷地内撮影になったらしいというところはあるが。また、基本的に許可は下りるが、マニア嫌いの事務員さんが点呼係という日だけは許可を出さないといった事例も聞いたことがある。
②については、やはりマニアがその1人しかいないような田舎か、その1人がバス会社の中の人、あるいは知的障害者でバス会社はネットに載せるなと注意しているが無視している(日本語が通じない)のどれかであることが多い。マニアが1人しかいないような田舎、あるいはその1人がバス会社の中の人であれば特段問題はないのだが、最後に述べたのは基本的に敷地内撮影は禁止されていると思った方がいいだろう。この件についてはのちほど言及する。
③は、本社併設の時点で敷地内撮影のハードルがあがる。本社併設でないところでもそうだが、敷地内撮影は、誰が敷地内撮影の許可を出したのか、何か起こったときどう責任を取るのかという難しい問題が付いてくる。偉い人がいるところは余計そういうところに細かいし、何より本社併設のところは営業所の規模が大きく、バスの出入りが多いため許可が降りにくい。以前田舎の本社併設のバス営業所を訪ねたとき、観光部の部長だという方が車両を案内しながら車庫内を一緒に回ってくれたことはあったが、そんなことはごくまれで、本社の人は基本的にマニアにはいいイメージはない。本社でなくてもそんな気がするが。
④だが、一般人向けに高速バスの乗車券を売っているところは、一般人が出入りしやすいため、マニアも受け入れてくれやすい。窓口がないところは、バス会社関係者以外の人が来ただけで身構えてしまうように感じる。また、敷地内撮影の帰りにお礼として回数券を買うと、意外とマニア向けのお話しをしてくれる(○○号車はもうすぐ廃車など)のだが、それがないところは結構マニアへの対応は厳しい印象だ。
実は⑤が一番重要だ。なぜなら、都会は敷地内撮影の基本的に許可が降りないからだ。南関東、名古屋、近畿など大都市圏は基本的に許可が降りない。既にインターネットに画像が上がることなどへの対策として一律に禁止しているからだろう。地方でも一律に禁止になっている事業者もあるほか、県庁所在地の営業所での敷地内撮影は禁止だが、車両が10台ほどの片田舎の営業所では敷地内撮影OKという事業者もあるらしい。
⑥は複数の事業者で取り入れられている。車両内に立ち入らないことなど注意事項が書かれた紙に住所や連絡先を記入し、宣誓書として残す。自分の経験だけで地方問わず6社くらいはあったと思う。うち1社は免許証のコピーをとられた。もちろんやましいことはないので、どんどんやってもらって構わない。どこもをこういったことをやっていただければいいのにと思う。
今度はバス事業者から見た敷地内撮影の許可を出すことのデメリットを書きたいと思う。
④一度ネットに画像が載せられると、どんどんマニアがやってくる
一番危険なのは①で、これが起こったら敷地内撮影は禁止になるだろう。②は心無いマニアが勝手に部品をもっていく可能性がある。もっとも、以前2社で残高がなくなったバスカードの束をお土産代わりに渡されたことはあったが…。③は事務員や運転手がマニアに聞かれたので善意で未公表情報をしゃべったが、それをマニアが勝手にネットに載せてしまうことだ。これはしゃべった事務員などが処罰されるので、本当にやめていただきたい。ただ、近年は中の人自らが会社非公認の個人のTwitterで廃車予定や新車導入といった情報を流している事例もあるが…。④は言葉の通りで、一度画像がネットに載ると「あの事業者は敷地内撮影の許可が出るんだ」と、マニアがやってくるようになるのだ。
それにしても、なぜもめごとが起こっているのだろう。原因はいくつかあるだろうし、何よりそれは当事者間でしかわからないことだ。しかし、ここであえていくつかの原因を推測したい。
1つ目は、「ネットに載せるなと言ったのに載せられた」である。バス会社において、ネットに載せられては困るものはいくつか存在すると言われている。どこまでを困るものに分類するのか、マニア間で長きにわたって論争しており、未だに結果は出ていないが、事故を起こしたバス車両などとされる。このほか、ネットへの画像掲載禁止が敷地内撮影の許可を出す条件とされることもある。
2つ目は、「マニアの無断立ち入り」である。これは言語道断だが、残念ながら時々ある。その中でも知的障害者によるものが多い。以前あるバス会社を訪問した際、運転手から「いつも勝手に入ってきて写真を撮るやつがいて、以前は注意していたのだが、知的障害者なので注意しても通じない」という話を聞いたことがある。この手の話は複数の事業者で聞いたことがある。正直、日本語が通じない知的障害者なので、対策のしようがない。しかし、バス会社からしたら知的障害者であろうがなかろうがマニアであることに変わりはないので、何か問題を起こした場合、ちゃんと敷地内撮影の許可を得ているマニアに迷惑がかかるので、無断立ち入りは本当にやめてほしい。知的障害者に向けてこれを書いたところで、読んでも理解できないのだろうが…。
3つ目は、「短いスパンで訪れる知的障害者に嫌気がさした」である。知的障害者は加減がわからないため、週に何度もやってくる。そのため、知的障害者に敷地内撮影の許可を出さないようにする。すると、無断立ち入りをするようになるのだ。あるいは、他のマニアが来ているときに知的障害者が来たり、運転手などから他のマニアが敷地内撮影できていることを聞いてしまったりすると、「なんで自分だけ入れないんだ」と知的障害者はパニックになってしまい、知的障害者と事務員との間でバトルになってしまう。先ほどあげた中部地方の件はこれに該当するような気がしてならない。
最近ではマニアがマニアを注意している事例もみられる。これ自体はいいことなのだが、その多くは順光撮影会ができなくなることを危惧しているのであり、本心からマニアのマナー向上を願っているわけではないのが実情だ。
個人的には、敷地内撮影に関するバス会社とマニアのもめごとの多くは、知的障害者が原因であると思っている。なぜなら、普通の人なら注意できることやものの限度が、知的障害者には実行・理解不能だからである。知的障害者であれば、注意事項を理解したとする宣誓書が書けないであろうから、宣誓書を書いたうえで敷地内撮影の許可を出す方式にすれば、多少は知的障害者を敷地内撮影させられないのではないかと思うが、それでも無断立ち入りの問題は解決できないであろう。
これらは難しい問題で、敷地内撮影を禁止すること以外に解決方法はないだろう。しかし、そうされると困るのはマニアである。それゆえ、マニアは注意して行動したい。
これは割りとライトな愚痴なんだけど、夫はよく「(我々が)もっと早くに付き合っとけばよかったよね〜」って言う。私は全くそう思わないし、同意を求められるのがうざい。
うちの夫婦は大学の同級生で、卒業して2年後くらいから付き合い始めた。大学の頃から友人であり、一部同期や教授からはお似合いだとか付き合ってるんでしょとか言われていたらしい。夫の母も、付き合っちゃえばいいじゃん!とか言っていたらしい。
らしいらしいばかりなのは、全て夫から聞いたが裏取りはしていないから。
私は交友関係が狭く浅くで顔見知りの教授は指導教授くらい、大学の友人は夫しかいない。
私と夫の友人関係は、一年の実習(泊まり込み、一ヶ月くらい)で同じ班になり始まった。ぼっちの私とおとなしい系男子の夫は実習の当番(2〜3人で一組)でよく組み、雑談を交わす仲に。実習の解散地点は大学から東京ー大阪くらい離れていたので、帰り方わからないんだよね(調べるのめんどいから教えて)と言って一緒に帰ることになった。帰りの新幹線では、夫持参のラノベを借りて読んだりしていた。たしかアドレス交換(まだLINEとかない時代)もした。これがおそらく、夫と大学で二番目に仲が縮まったシーン。ちなみに実習が終わって大学に戻ってからは、週に一回、一言二言話す…かな?話さないかも?用事ないし。みたいな程度。
二年の実習は学科全員ではなく半々に分かれて行われ、夫とは別だった。
私は一年の実習で後悔している部分が多々あり、それはまあ、簡単にまとめると実習にコミットしなかった事が原因だった。班員に壁を作り、班に出された課題も他人事のように聞き、他の人が仕事を割り振ってくれるのをただ待つ。座学こそ真面目に受けていたけれど、手を動かすのも避けていてはぶっちゃけ何も身につかなかった。真面目系クズとか言うやつ?
二年の実習では、他学科も合わさり班の顔ぶれも全然知らない人たち。しかもなんか、皆良い奴そう。少なくとも苦手な奴は入っていない。皆初対面なのに班の雰囲気がいい。これはチャンスだと、リーダーに立候補して性格も明るく装い、実習にも率先して参加した。楽しかった。
(ぼっちコミュ障喪女的な私に何故これが出来たかというと、一番は班のメンバーが良い奴だったから、あと全員作業服に安全帽なので私服センスがだっさい中学生レベルの私でも誤魔化せた、勉強は得意なので実習も本気で取り組めば出来る奴になれた、双方向コミュニケーションは苦手だけどプレゼントか一方的に話すのは得意、などの理由による)
ちなみに実習が終わって大学に戻ってからは、別に友達になったとかでは全然ないので班の人とは関わってない。相変わらず私は、講義を最前列ぼっちで受ける変人枠。
三年の実習は挫折を味わった。
班のメンバーに苦手な人が複数人いた。知らないうちに、去年も立候補したんだからと私がリーダーになっていた。私のやる気は皆無、それを見た班員も当然こっちを舐めてかかって指示には従わない。班の空気は最悪だし、実習降りて来年後輩と一緒に受けようかなって割と本気で考えていた。この頃、夫に気晴らし?相談?のようなメールをした気がするけど気のせいだったかも。
ここまでほぼ実習の話しかしてないけれど、まじで通常の生活は「講義をぼっちで受け、直帰、たまに休日に単発バイト」だけなのでしょうがないね。大学生活の思い出は7割実習、2割卒論、1割その他みたいな‥‥。就活も大学推薦で簡単に決まったので思い出は無い。(なお肩慣らしに受けた面接3件は全部落ちた。大学推薦様様)
さて、一年では集団にコミットしなきゃ面白くないことを学んだ。二年では自分で先頭に立って集団を引っ張る面白さを、三年ではその大変さを学んだ。そして四年の実習では、集団の一員として能力の無いリーダーを信じることの難しさを学んだ。
四年の実習は三ヶ月の長丁場で、前半と後半でリーダーが交代する。前半のリーダーは去年、一昨年に他班のリーダーとして存在は知っていた男。経験者+やる気ありとして順当に決まった。しかしこの人物、熱意はあるんだけど空回りしているというか、やり方が下手で粗が目立つ。徐々に班内ではリーダーに対する信頼が落ちていく空気を感じたし、リーダーの補佐役になった私自身、上手くフォローは出来なかった。
後半、リーダーが代わることでその鬱々とした空気は一変する。そこで私が考えたのは、これまでの三年間の実習のことだった。
一年の実習は辛かった。周りは、私のことを戦力外の変なぼっち女として見ていたし、何か発案すると変な注目を浴びた。私の知らないうちに何かが決まって、皆何かをやっていて、でも私には知らされていなくて、どうしたらいいのかわからなくて。夫だけが私とコミュニケーションを取ってくれた。
二年の班員の人たちが好きだった。初対面で気さくに輪に入れてくれたから、この中なら自分を出すことができると思ったし、じゃあ一年の実習では周りが皆敵で出来なかったあれをやりたい、これも本当はやりたかった、その為には私が一番に頑張るって責任を持つ立場、リーダーになって、面倒なことも引き受けるし、皆が楽しく実習できるように、一年のときの私みたいに何すればいいかわかんなくて言い出せなくって困ったりしないようにフォローもしようって思えた。皆がいい人たちで、好きだったからだ。
なのに三年では、「なんか去年すごいリーダー頑張ったらしいじゃん、今年もよろしく」みたいなノリで、というか何も誰からも一言も言われず、勝手にリーダーにされた。
ふざけるな私がなんで(別に全然好きでもない)お前たちに去年と同じ働きを期待されなきゃならないんだと、静かに、一人で勝手に私はキレて、勝手にリーダーの仕事をサボることにした。点呼の際に人数を数えるのと、号令をかけるのだけはやって、後は徹底的にサボった。課題の話し合いも指揮を取らず、希望者のみ参加の課題には露骨に反対して、班員が揉めそうなトラブルの芽は放置した。個人課題は一人だけやって勝手に出した。
「なんでリーダーとしてちゃんとやらないんだ」とか、一言でも言われていたら、私も「なんで勝手にリーダーにしたんだ、だったら私が何しても私の勝手だろ」と言っただろう。でも彼らは、やっぱりここでも私に何も言わず、勝手に私のことは諦めて自分たちでやっていった。私はめちゃくちゃ怒ってたし、彼らがめちゃくちゃ嫌いだった。
でも、それは、やっぱり正しくなかった。
前半のリーダーは、たとえ空回りしても、班員が全然ついてこなくても、熱意を持って最後までリーダーをやった。後半のリーダーは、前半のリーダーに呆れつつ、なんか上手いこと(←ここ何したのか、未だに全然わからない。すごい。)まとめて、なんか上手いことやった。
上手く言えないんだけど、私もこうしたかった、とか、こうすればよかったのか、とか、そんな感じ。
これは自分的に褒め称えてほしいポイントなんだけど、あと一週間もすると実習も終わりってぐらいに、三年のときに班員だった何人かに、去年のことを聞いてみたりした。私がリーダーに推薦された経緯なんて、誰も覚えてなかった。自分から言いだしたんじゃなかったっけ?って聞かれたから、私も知らないうちにリーダーになってたから、ほんとびっくりだったんだよって笑った。その中でも自分的に、一番ひどい態度したなって人には、去年のことを謝ったりした。まあ、お互い、今年は楽しくやれてよかったね。
と、このように、私にとって大学の四年間(というか実習)はぼっち非コミュの人間以下が人間仕草を覚え、コミュ力を身に着け、リーダーシップとフォロワーシップを学び、圧倒的成長を遂げた物語なので、そこに夫との楽しいキャンパスライフが入る隙間は無いわけです。私の視点では。
というか、一年の実習の後で付き合っていたら、おそらく二年、三年、四年の実習は全然別の体験になっていて、それは、 絶 対 イ ヤ だ !
私にとって大切な、血肉となった経験を奪うな。
twitterで「#先生死ぬかも」というタグが流行っているので以前、私の勤務していた地方の私立高校のことを書こう
20年くらい前なのだが就職して寮に入るように言われた、寮とは職員の寮ではなく生徒の寮である
その高校での教員の一日はまず、寮で6:30にワンフロア15人位の点呼を取る、その生徒たちと一緒に草刈りや掃除をする
7:30に生徒と同じ食堂で給食を摂り、校舎に向かう(寮は校舎の隣りにある)、授業をして、部活をする、これは他の学校と同じだ、ただ高校なのだが生徒と一緒の食堂で給食を摂らねばならない
その後18:00に3度めの給食を食堂で摂り、その後はだいたい学校に戻り仕事をするのだが、週に1,2度19:00から寮の生徒と何らかの行事・会議(寮にも学校と同じように委員会がある)をやる
このような生活なので学校の外に出ることがほとんどなかった。行くのはコンビニだけである、しかし、夜にまちがってコンビニで生徒と会おうものなら最悪で夜間に無断外出ということでその処理が始まり収集がつかなくなる
もちろん男子高校生が夜の10時ころ近所のコンビニにいきトラブルになることなどほとんどないのだが、みつけたらそうなるので、近所のコンビニには行かないようにしていた。近くにパチンコ屋とゲームセンターがあってそこに生徒がいると通報が入り、夜、見回りの仕事が増えたこともあった
部活動は希望が通ればいいのだがだいたい通らず、運動部になったので日曜は練習や試合である、(ちなみに私学なので土曜日は授業があった)
よかったのは平日に授業がない日がありその日は学校に行かなくてもよいというルールが有り、少なくとも午前中(午後は残務処理や部活のためだいたい学校に行った)は寮の部屋で寝ていてもよかった、この半日があったから死ななかったのかもしれない
このようなシステムでは本当に死ぬと思い担任になる前に15年ほど前、勤続3年でその学校をやめてしまった(最もその年で寮は出ることになっていたのだが、結婚したら夫婦でまた数年間入らなければいけないという法律を無視した内規があった)
流石に現在はこのような運営はしていないはずだが、ここ数年で現役の教員が3人死んでしまったと学校の関連サイトに載っていた