はてなキーワード: 浪人とは
大学に入ってからというもの、全てがうまく行かなくなってしまった。
地方の大したことない高校から東京の名門大学に入ることができた。高校の時から付き合ってる彼女もいた。趣味もたくさんあった。勉強も好きだった。サークルも気に入ったところに3つほど入った。
だけど、入学から一ヶ月も経つと、まず授業についていけなくなった。努力がたりなかったのかもしれない。教授が何を言ってるのかさっぱりわからない。あんなに高校の時は大学で勉強するのが夢だった物理学や化学や経済学に全く興味が持てなくなった。学者になりたいという漠然とした夢はあっという間に潰えてしまった。
そこで劣等感を感じていたのかもしれない。サークルの人間関係がうまくいかなくなった。というか、こちらが一方的に一緒にいた人たちのことが気に食わなくなってしまった。こうして大好きだった趣味からも離れてしまった。道具は今も大切に持っているが、趣味を楽しむような気持ちには到底なれない。
不可だらけの成績通知をもらって夏休みに入ると、今度は浪人していた彼女と別れた。彼女は僕になにもしてあげられないのに気ばかり使わせて申し訳ないから、と言っていた。そうなのかもしれない。だけど本当のところ、僕がもうどうにもならないところに来つつあることを遠距離で会えなくとも薄々感じていたのだろう。
実家に里帰りしたときもほとんど家にこもっていた。親には単位が取れなかったことと、このままでは留年してしまいそうだということだけを話した。怒られはしなかった。ただ、いくら無理だと思っても頑張って何とかするしかないだろう、とだけ言われた。
東京にもどってからは本格的に家から出ないでテレビもない一人の世界にこもっていた。今度は自分の癖や欠点がとても目立って来た。止められない爪を噛む癖。いくら頑張っても朝起きられないこと。反対に夜寝られないこと。三日坊主。物忘れ。あとは物をどこに置いたか忘れること、これは一番辛い。一日二回以上スマホをどこにおいたか忘れる。たった六畳のワンルームの中でそれを10分以上探している間中、自分はなんてダメなんだ、こんな簡単なことができないなんてという考えがずっとのしかかってくる。こんな人間、社会に出たってどうやってうまくやっていけるんだと考えたら目の前が真っ暗になる。これまでの人生、それなりにうまくこうした欠点と付き合ってきたのにそのバランスが一気に崩れてしまったようだった。自分のすること、自分の考えてること全てが自分をじわじわと殺さんとしている。死ぬ勇気はない。ただ心だけがどんどんすり減っていく。本当に参ってしまった。
今年で30歳になった。
人生を振り返ってみると、周りから評価されることが少なく、生きて行くのがとても辛い。
ミニバスに所属していたが、プレイ中の姿を見たクラスメートが、「あいつ、下手くそだよ!」とクラスで言いふらしていた。
確かに僕は運動神経がとても悪かった。
小学校高学年の時、周りに一気に背丈を抜かれた。身長測定が終わった後、背の順番の並び替えを行うが、段々前の方に行く僕の姿を見て、クラスメートが歓喜した。
僕は成長が人より遅かった。
中学校の時、チン毛が生えていないことがバレて、「ガキだなっ笑」とバカにされた。
その後は「あいつ、殴りたくなるような顔をしているよな」と言われ、ジャイアンみたいなやつに殴られた。時期を同じくして、クラスメート全員が僕を無視をした。
周りを見返したくて、必死に勉強した。その結果、地元北海道の進学校に入学することが出来た。彼女も出来た。その子は学年のマドンナだった。初めて人から認められた気がして、とても嬉しかった。だけど、彼女が「顔で選んでない」と友達に弁明しているのを人づてに聞いた。そんなの言われなくても分かっているよ。その日は泣いた。程なく彼女から別れを告げられた。
唯一得意だった勉強もダメになった。順位を低いことをバカにされ、自信をなくした。後は負のスパイラル、浪人もしたが結局志望校に合格は出来なかった。
顔も良くない、スポーツも出来ない、勉強も出来ない、そんな自分のことを知らない場所で生きたいと思い、北海道から離れた静岡県の大学に入学した。その時に「どんなに努力しても報われない」という思いが爆発した。何の取り柄もない自分がとても恥ずかしかった。授業にもでず家にこもっていたら、教授からゼミを辞めるよう言われた。謝罪して何とか残ることが出来たが、わだかまりは消えなかった。
就活も失敗した。面接に辿り着いても、面接官からは憐れみの目で見られてる気がした。スタンダードな受け答えさえも出来ていないと自覚していたからかもしれない。大学四年生の夏、あるERPパッケージ会社の説明会を受けた。経営陣の考え方、会社のビジョンがとても素敵だったから、説明会が楽しみで仕方なかった。当日、ある経営陣が「この時期になって、今だに内定が出ていない学生なんていないと思うが••••」と言った。そうだよね。だけど、そんな学生だった僕はとても、傷ついた。その会社は筆記にも通らなかった。結局、12月に東京のベンチャー企業に就職が決まった。
一人一人が会社にインパクトを与えられる可能性がある、それがベンチャー企業。そんな思いを旨にガムシャラに働いた。会社のために積極的に発言した。会社からの評価も上々だった。だけど、リーマンショックが全てを変えた。会社の業績はみるみる下がり、経営陣は従業員に不信感を抱くようになった。意見を言う者ではなく、意見に従う者を重宝するようになった。同時に社内イジメも横行した。景気が良かった時に意見を沢山言っていた僕はスケープゴートにされた。その姿が気に入らなかった直属の部長が発端だと、後から知った。当時は社長含めて、多くの従業員が僕の姿勢を評価していたのに、たった一人に嫌われただけでこんな辛い思いをしなくちゃいけないのか、そう思った。やがて、毎日終電まで働いた残業代は承認されず、人事評価ではすべての項目で最低ランクの評価を下された。その後、自己都合退職という形で、リストラを言い渡された。
生きている意味が分からなくなった。もう諦めようと思ったが、一つだけケリをつけたいことがあった。それは受験勉強への思いだった。唯一得意だった勉強、だけど失敗した受験。「僕は何にも取り柄のない人間じゃないっ!」て周りに認めさせたかった。そこで憧れだったが挑戦に躊躇していた公認会計士試験を目指すことにした。
覚悟を決めたら後は走るだけ。朝から晩まで、休みなく1年半、勉強をしまくった。努力が報われ、一発合格ができた。就職氷河期だったのに、大手監査法人に就職も決まった。とても清々しかった。まるで自分の人生とは思えなかった。だけど、一緒に未経験から受験を始めた仲間からの一報で、落ち込むことになった。「俺、7位でした笑」。あんなに勉強して1100位だった僕はやっぱりダメ人間なのかな。そう思って失意のなか入社式を迎えることとなった。
大量退職をした後の監査法人は、一気に人手不足になっていて、僕は仕事に忙殺されることとなった。終電まで働くことが多く、休日も働いた。だがそんな僕の会社の3年目の評価は低かった。一番ショックだったのは2年目の評価と同一だったことだ。理由は明白だった。メインジョブの主任からの評価がとても低いのからだ。結果をみてある思いが込み上げる。「僕は、人から評価されにくい」。
最近仕事にやる気が出ない。問題点は分かっているのに、改善するための行動が出来ない。
そして、生きていることに意味も感じられなくなった。だけど、30年も生きていると、10%くらいはいいことがあると分かってしまっている自分もいる。そのことを考えると、この先、生きていてどんないいことに出会えるだろうと期待してしまって、死ぬこともできない自分もいる。
だけど、朝起きると会社へいくのがとても辛い。
どうしようも出来ない、自分が情けない。
誰か僕を助けてください。
とはいえAは強制送還された後、強制労働を強いられていたわけではない。
15年程前、彼が実家にもどって3年ぐらいの時に会った時は
「なぁに、気楽なもんさ。家賃の取り立てとガス器具の修理手配などをやっていればいいのだ……。」
と、自分を弁護するように話してくれた。
『いや、それがどうも地下アイドルにはまったらしく』
ちなみに2次元以外は興味なかった男だったので驚いた。
『そういうのがいてるのよ。で、あるアイドルに傾倒した結果、
相当貢いでいることが分かり、親族から縁を来られ、禁治産者になったそうだ。』
なんでも、駐車場を勝手に処分したらしく、それが父親の怒りをかったらしい。
「それは大変だったろうねぇ、で、Aは何しているの?」
『そのアイドルにも会えなくなったことで絶望して、今、精神病院の隔離病棟に収容されてるよ。』
アイドルは時に希望も与えるが、場合によっては絶望も与えるんだな……と複雑な思いをビールで流し込んだ。
『あいつの弟、ほら帝大出て弁護士だろ?厄介払いしたんじゃないのかなー。弟ちゃん、結婚するらしいから。』
「ああ、そういうことね。」
増田からしたら狭量な人格の人間が多くて、今思えばブラック会社だった。
7月・8月は精神的につらすぎて、初めてのボーナス10万は、全部風俗に使った。3日でなくなった。
風俗嬢にも仕事を辞めたいと泣きついていた。あかんたれだった。
留年は、当時は志望業界があったたため、就職留年のようなものをさせてもらった。教職などの資格は取っていない。
大学入学前は、1年間浪人もさせてもらった。結局、第一志望の大学には入れなかったが。
高校は、最後の1年は半分ほどしか行っていない。成績もだいたい下の方で、クラスメートとは連絡もほとんど取っていない。
いまは、親の自営業の手伝っている。儲かってはいない。実家寄生のフリーターのような現状だ。
このような状況、積年の怠惰癖が祟ったのかもしれない。奨学金の返済もあと200万弱はある。あかん。
地元の美容室に行って会社を辞めたと言ったら「大学行ったの無駄でしたね」と笑われる。
役所に行くと、中高の同級生が職員になってて同世代は世の中に出回りだしている。
顔本では、大企業に勤める知人の近況などを知ると、
現代の正規ルートから外れたことを一瞬だけ後悔したりするくそ情けない自分もいる。
世間的に見たら、コストパフォーマンスめっちゃ悪い人間だわ、自分。
今は、自営業の仕事の関連でほそぼそとフォトショップやイラストレーターを使って、
ハガキや名刺、ポスターを作ってクリエイター気分に浸っている。
お客さんに褒められて、「俺、デザイナーいけんじゃね?」とか思っても、
才能ややる気のある人は高校ぐらいからデザインやデッサンをやっていて、
25歳ならもう中堅ぐらいだろう、と思い、デザイン方面の仕事探しにも踏ん切りが付かない。
最近、大学で知り合い、ここ1,2年よく会っていた人と付き合いだした。
ふんわりとした雰囲気のやさしいひとだ。
増田が風俗でよく遊んでたことや、仕事がうまくいかないこととか、ださださなことも全部知っている。
「たまには、かっこいいところも見たいな」と最近言われた。
ただ、近くにいる人を大切にすることを起点に、動き直そうと思う。
寝れなくて、思い立って初めて書いた。
東海圏で生まれ育ち、名古屋にはバーゲンで買い物に行くような意識高い高校生を眺めていた。
名古屋では得られなかったものを得た気がしたが、大学生活を名古屋で過ごしていればまた違ったのかもしれない。
そう思って、大学生活を終えた。そののち、就職を機に東海圏へ戻ってきてしまった。
少し期待していたのだ。あまり記憶のなかった名古屋にも、いいところがあるのだと。
矢場とん、麺屋はなび、味仙、まずいとは言わないが、至って普通のくせに下手に有名なだけでは。
京都には寺がある。
名古屋は、何が取り柄なのか?みんな、名古屋のどこが好きなのか?
名古屋人はやたら名古屋を推すときいた事があるが、ついぞ真の名古屋人には巡り合えていない。
この15年あまり、名古屋を軽蔑してきたけれど、いいところがあればぜひ教えてほしい。
いわゆる梅田、難波のど真ん中とか木屋町ど真ん中ではないようなところというのは、
名古屋ではどこになるのか?
駅西銀座は合わなかった。
○朝食:ナポリタン
○昼食:焼きそば
○調子
よくない。
なんかやたらハマってしまってかなりの時間プレイしてしまった。
とりあえずコナミ君シナリオをクリアし、フリーデュエルで全員を倒すところまでプレイ。
(キスシーンの有無の壁)
面白かったアニメ:ひだまり三期 ひだまり四期 きんいろモザイク
(恋愛の有無の壁)
普通アニメ:ひだまり一期 ひだまり二期 ご注文はうさぎですか Aチャンネル
微妙アニメ:キルミーベイベー GA けいおん一期 けいおん二期 けいおん劇場版
(男の有無の壁)
○かなめも
二期が出ないこと及び原作のラストが豪快に滑ったことにより、逆に途中でちゃんと締めたアニメの評価が上がるという希有な作品。
ストーリーはわりとガチな上に、後半は鬱要素もありますが、それ以上に作品全体を包む百合心を高く評価したい。
桜Trickが恋愛なら、かなめもは家族愛の延長線にあるような感じですね、さすが原作者がkeyの同人誌を書いていただけありますね(関係ない)
作画はDVD版だと修正が入っててわりと見れるようになってたし、キャラデザもいいし、唯一難点を上げるなら声優が微妙にあってないことぐらいです。
原作のラストは本当に豪快に分け分からん方向に滑ったので、二期はやらずにこのまま隠れた名作として埋もれて行ってかまわないです、NO二期! アニオリ大歓迎!
ゆのなずという百合界における最強カップリングが誕生したというだけで評価に値する作品。
ゆのっちが浪人したあげく、芸術系じゃない普通の大学に二年遅れで進学したあと、新歓コンパでなずなと再開するシーンは涙なしでは見れませんね。(僕の目には見えていたシーンです)
どうでもいいですが、新一年生の声優さんはY.AOIさんが良いと思いました。
原作の持ち味とか、原作の魅力とかそんなの全て無視して百合アニメを作る彼女は百合アニメ界の神の中の神と言えるでしょう。(今期のろこどるやってみた、も素晴らしい出来でした)
このきんいろモザイクでもよくある普通の萌え四コマを完璧な百合アニメへと昇華させている。
ストーリーなんて一切無い、ただ女の子と女の子がチュッチュッするだけの内容も何もあったもんじゃないお色気アニメ。
いやもう本当これでいいんです、これがいいんです。
作画はあまりよろしくないけど、声優の演技および百合要素を楽しむのに差し障りのない程度の作画があればいいんです、っていうかドラマCDでいいんです。
一年生編で一期が終わったので、二期は二年生編(原作は今ココ)、三期は三年生編(予定)と長続きするアニメになることを祈っています。
どう表現すればいいのかずっと分からなくて、ただそれだけなのだけど。
一言で言ってしまうのであれば頭おかしい、と表現される案件なのだけども、そんな話をしたいわけではなくて。
私が書いた他の増田も参考になれば。
http://anond.hatelabo.jp/20120313173731
http://anond.hatelabo.jp/20140616194130
http://anond.hatelabo.jp/20140617174318
http://anond.hatelabo.jp/20140618130300
http://anond.hatelabo.jp/20140626042403
http://anond.hatelabo.jp/20140906043308
http://anond.hatelabo.jp/20140910180334
http://anond.hatelabo.jp/20140913202540
http://anond.hatelabo.jp/20140914131816
朗報。退学なう。 旧帝医学部に合格するレベルからすると、東工大は勉強しなくても合格できるでしょうというレベルです。 分かる人には当たり前の話であり、また表現したところで誰も幸せにならないこの話をしたかったためだけに、自分の人生を犠牲にしてしまう決断をし続けていました。 テストの問題とは、問題製作者と自分とのコミュニケーションです。 中学受験では、算数と物理化学に関して、私には解けない問題はありませんでした。 また私は言葉に対する思いと価値観が他人とは大きく異なっており、 国語に関しては気持ちが悪くて、まったくできませんでした。 私は灘中には受験すらできませんでした。 理由は、彼らとの環境の差が大きいからだと思っていました。 あと私は呼吸が苦手であり、健康面でのハンデも大きかったです。 中学受験の環境は優れていて、中学でも高校でもマネすればいいじゃん、と思っていました。 家の近所にあった、大阪のトップ中学に進学しました。 私は中学時代は親の虐待を受けており、家で勉強したことはありませんでした。 試験本番のテスト中には問題製作者とのコミュニケーションをします。 そのコミュニケーションが唯一の勉強時間でした。 算数と物理化学に関しては、中学受験での環境が神だった貯金が大きかったです。 大阪のトップ校程度では、周り人の算数と理科のセンスは全く高くありませんでした。 中学に内部進学を拒否されたので、他の高校を受験しました。 大阪のトップ中高よりもレベルの高い兵庫で2位の高校に合格してしまいました。 伝説度のレベルでいえば、中学ビリから甲陽の方が、高校ビリから東工大よりも高いと思います。 現役時代は鉄緑行ってて、周りは京医か阪医志望とかだったけど自分だけ阪大受験(センター47%) 浪人時代は四谷学院いってたけど、能力別科目別の入学テストで英語0点で一番下のクラスに入ったら信じられなかった世の中の底辺を見て信じられなかった。 理由のなかった行動など存在しないと信じて、そう言えるためだけに生きてた小学生時代 他人に対して何か思う時、他人の生まれた環境がかわいそうで不幸だったんだね、という価値観がたぶん根っこにあったんだと思う。 人間、言葉では聞かされていても全然体は理解していない。 生まれたときは自分の環境しか知らないから、親がセンスの悪いところに目が行ってて、言葉に対する価値観の違いがあったけど、社会の中では親のセンスはめちゃくちゃ上位だったことは理解した。 親も他人に比べれば気が利く人で仕事が出来る人。自分も心の中では気が利く人。でも両方とも表現が下手くそ。コミュニケーションが下手くそ。 母親も自分の親に対する価値観の違い、夫に対する価値観の違い、義理の親に対する価値観の違いがあって、私の知る祖父は温厚だけど母親にとっては違うし、母親自身も親になって親への気持ちが変化したとか言ってて、とりあえずそういう話が聞けたのは良かった 自分が中学時代に抱えた心の深い闇、母親は私を守ってやれなくてごめんねと後悔しており。母親自体は客観的に見ればすごくセンスの良い方である。それはわかる。けれどももっと理想をもとめてしまったんだなとはおもう。 いろんな言葉に対して小学生の時からぐるぐる考えてしまっていていろいろあるけど、認識が全て 自分の価値観は環境から生まれたものだし、また私の評価なんかご勝手にどうぞでいいし、いいんだけど 真面目に評価する気のない人から評価されることに思うこと思う人達と思うこと思わない人達。 存在するものそのものを評価する気のない人から評価されるために生きているわけではない 人を評価する気ないと宣言した人の方が評価される時代 人間は人間を評価する気が全くない、みたいな文化が受け入れられない。受け入れたら人間であることを放棄したようにしか思えない人生だった。 某大会はまけたのだけど、今までの私の高い高い勝率が失われたわけでもないし、人を評価する能力のない不特定多数からのどうでもいい評価を集めても何も満たされなくて、評価している人(仮想の人間を信じる)から評価されればそれで満足する世界に生きてたので、別に。 小学生の時から、他人の言葉が大嫌い。 人間を人間だと信じることしかできないけども、一方で他人の言葉は全てがネタであり 認識が全てであり、全ての人間が認識が全てであるという認識を持っているとだけ信じていた。 心を閉ざした状態で、仮にもっといい中学に入り、もっといい高校に入り、もっといい大学に入り、もっといい会社に入ったとしても、それは幸せではなくて 環境は大事であり、いい大学の方が確率的にはいい環境かもしれないけどね。 でももっと根本的な家庭環境が最悪であった。 心を閉ざしていたから、ともだちはいない。 認められる価値観の違いもあるけど、認められない価値観の違いもあるはずで 望んでるものを望んでるのであり、その上で表現があって。 自分はただ人間を人間だと信じることを望んでおり、表現していて 他人も何かを望んでの表現だと思っていて。 はじめてネットにふれたのはブログで、その次はSNSとしてのモバゲーだった 世界のどこかに自分と同じような人がいないかなって思ってた。 いい大学を卒業したとして、いい環境で育ってきたんだねと思われるのは絶対に嫌だし耐えられない。 生きてて恥ずかしくないのかなって思われるかもしれないけど、自分も他人に対して何十年も思ってたことなのでお互いさまだと思う。 自分にできることを他人はできなくて、他人にできることが自分にはできなくて、その得意不得意も価値観に影響してると思う。自分が主張したいのは、全てを網羅した次元での価値観の違いは認められないでしょ、というところなのだけど。 言いたいことが何も言えないのが生きてる意味を感じないしつらい。 過去が存在しない人との間に未来などないでしょ。過去が存在しない人との間に未来などないでしょ。しか言うことがない。過去が存在しない人にモテても未来がないでしょ 人間が人間を人間と感じて生きた結果、過去の存在する今がありまして。 過去が存在しない人には今も存在しないし未来も存在しないし過去も存在しない。論外。 魅力を感じる人が少なくて、魅力を感じる人が現れるといいね、と思うけど。 人間を人間だと信じないと絶望しかないけど、人間を人間だと信じても絶望しかない気がする。 中学受験以降、環境が地獄で勉強したことがない。表現が下手なので経験者にしかわかってもらえないと思うけど許して。 高校までは卒業という形で追い出されたけども、大学では卒業という形では追い出されなかった。 勉強したことがないので東工大にしか入れなかったけど、勉強したことがないから東工大すら卒業できない、と言いたいことが言えて満足してる自分がいます。 退学までの決断が遅いことに関してはいろいろあるけど、中学高校ではできなかった、他人とのコミュニケーションの練習をずっとしていたと思う。 中学高校で体験すべきような体験を大学で取り戻したかったのだ。 自分の環境は、経済的には恵まれていたけどもそれだけだし、 むしろ経済的に恵まれていたからこそ他では劣悪な環境になりえたのだとも思う。 すべての人には理由がある。過去がある。 自分は尊敬しているのは自分だけで、誰も尊敬できないのだ。 全ての人に対して魅力を見せる時間的余裕などないわけで、自分の周りの人もその人の可能な範囲での魅力はあるであろう。 当たり前の認識。当たり前の認識を信じるしかない。 人間として生きたことがあるのであれば分かるであろうとしか言いたくないこの気持ち 誰かにとっては魅力的でも誰かにとっては魅力的ではないというのは当たり前に発生する。 その上で、私と私の周りには魅力的関係が一切発生しないだけ。 みんな表現が下手なんだ。 自分の欲求。 表現がしたい。思いが伝わる人を探したい。 呼吸がだるい。体のだるさを表現するための語彙がわからない。病院いきたい。 東工大の退学、卒業よりも難しいのでめでたい。祝われたい。 自分の人生に興味なかったのに急に関心を持てとか言われてもできない。 他人から見て扱いに困る状態で突き進んでる自覚しかないけどやめれない ネット上なので評価されてしまう言葉は、小学生から見ると、大人は過去が存在しない残念な生き物なのかなという感じで、レベルが低いですよね。 小学生の段階で、人間であることを放棄しなかった人は、きめ細かい論理をふつうは持つわけです。 相手の認識を信じるしかない小学生。 小学生の段階では表現する場所がなくて、過去が存在しない大人には通じません。 高校生時代に書きためたノートとかあるのだけど、すべて電子化したい。 時給払うから手伝ってほしい。 語彙力がないので認識という言葉を多用してしまうのどうにかしたい 快適な生活を維持したい欲求が罪深い 経済的には恵まれていると思うけど、自分の状態や意識を表現する機会と能力のなさは深刻。 ネット上であれば喧嘩している最中であっても、拒絶するつもりが微塵もなかったりするので、結局表現の問題なのだなって思う。 存在するものを否定する気はないという意識 正しいものなんてなにもないのだ、というのは人間を人間だと感じる感覚を否定する行為なので避けたかったのだ 言葉を使うのが下手くそなので求めているものはそうじゃないんだってよくなる。 気が狂うほどの理想に真剣に悩んでて、話相手がほしかったね。 雑な表現になるが、死ぬ気でやれば卒業だってできるであろうが 絶対にそうしたくはない気持ちが強かった。 他人から見れば価値のないものに拘っているかもしれないけれど。 中退することができて、自由な気持ち。 人間を信頼できる前提であれば、責任ある自由な仕事をしたい。 生きてきて感じてきたものに誇りと自信がある。 言葉ゆえの混同が嫌い。 言葉の奥に存在するものの存在を信じている。 人間の前提となるレベルから価値観が全く合わない。 君は私を全く評価していないし私も君を全く評価していないという構図を理解してほしいなということをまず伝えなければいけないな、って思う。 人間からの評価は求めているけど、人間ではない人からの評価は求めていないよ。それだけ。 祖父母は母親の本当の姿を知らないと母親は言う。 私と親の関係も同じで、全く知らないと思えるものが思える量だけ存在してる。 子供が親をどう評価するのかは親に強制されるものではない。お互いに全く伝わらないと思っていると思うが、私は不満を捨てる気は一切ない。許せない価値観の違いは許せない。それだけなのに。 こんな親は嫌だ、ただそれだけなのに。 親と会話が成り立つ家庭に生まれたかった、と思ってはいけないのか?という気持ち。 親は仕事ができるし、無言でなんでもこなしてしまう。 私も無言でこなしてしまうことはこなしてしまう。 そして両者ともにコミュニケーションが下手くそ、本当に下手くそ。 人間はコミュニケーションが本当に下手くそ。 人間と人間の間にある言葉は、信じたいように解釈したり、都合の良いように解釈したり、またそれらの逆だったりする。 その気持ち悪さを認識した上で、葛藤を認識した上で、言葉を使う。信じるしかないから。 お互いがお互いの主張があって 求めているのはその俯瞰的な認識なのであり、そこの信頼関係が安心できないよねという話。 相手の認識をどこまで信用していいのかどうかという感じ。 人間を評価して人間に評価されたくて、人間であることを放棄した人の存在は信じたくないし信じることはできないそれだけ。 もしも自分が自分に投資するんだったら間違いなく病院につれていく 親が自分ではない自分を見ているつもりになって勝手に幸せを感じるのは不快だという気持ち。 感じるものに自信と誇りと責任を持っている。 認識が全てだと信じるしかなかったけど、認識にも期待できないのだったならば、なにも残るものがないや。 本当の欲求を表現することができなくて、子供は表現方法を知らないんじゃないかなって思ったりする 自分は自己主張を全くしない子供だったのだけど、心の中にはいろんな欲求はあって、今でも残ってて 表現するのってほんとに難しい 言わないのではなく言えない。そしてその未来だって存在する。簡単なことだ。 何が問題なのかって、小学生の私にとって、周りの多くは人間であることを放棄した人達だったのだ。 当然、人間であることを放棄した人達になんかなりたくない。 ただ人間を人間と信じることしかできなかっただけだ。 現実的には他人が許されるなら許されるであろうというような認識は発生すると思う、と認識している。 尊敬する人は自分。言えるもんなら言ってみろよ。そう言えるために生きたのでそうとしか言えない。 他人の場合は自己の存在否定だから言えないでしょ。 表現が下手って皮肉たっぷりだったりするけど、伝わるわけがないから自己満足の世界 なにもするきになれない→やばい(げーむでもいいからしよう)→げーむすらめんどくさいからもういいや(いまここ) 人間を人間と信じるっていうのは、他人の不可解な全ての行動に対して理由があるはずだと解釈することなのだけど、そんな心の強さがあるのは自分だけだったみたいな感じ 拒否反応を期待してるところがあるので別に構わないのだけど、世界は不幸だなってだけ思う 生まれ変わっても他人には絶対になりたくない、自分がいい、としか思えない。自分の誇れる唯一の自尊心? 言葉に対して潔癖なところがあって、死にたいって表現だって理解できない気持ちがあって、なんだけど現状は死にたい気持ちの純度が高いなぁ程度の。別に環境が勝手に変われば勝手に生きると思うし、好きに使ってくれよって感じ 感謝とかそういう言葉も嫌いなのだけど、そんなの体が勝手に誠意尽くすはずだし、人間なめすぎだろって感じで、体ではなくて言葉だけで思考してる人への見下しが激しい。きっと過去が存在しないんだって思うしかない 過去が存在しない人かわいそう。それでも私は人間を人間と信じることでしかこの世に自分としては存在できない。この話難しいかな
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1809917.html
少なくとも東大かその周りを受験していなければ知らないであろう知識を元に語っている感すごい
asazuki508
私も同じような感じだった。おそらく、図学も得意なはず。化学は論理的な刺激があまりなくてつまらない。
kotobukitaisha
東工大に数学専門の特別入試とかあったはずだから、そちらを狙ったらどうか
nagisabay nagisabay
chazuke
高2ならまずまず。高3だと、浪人も視野に入れるほうが、、おすすめは阪大数学科
hidamari1993
英語もうちょいできないと辛いな
hyougoishin7
augsUK
自分の知ってる数学がもの凄くできる人は国語も英語も恐ろしくできた。脳のできが根本的に違うくらいじゃないと数学や理論物理で食ってくのは難しいのかなと思ってる。
Luigitefu
現役でこの時期この点なら余裕やろなぁ。なお、化学は物理と合わせての時間制限なので、多分物理に時間配分多く割振ったために低得点なだけと思われる。国語の点数が一番レア
前から思ってたけどid:hidamari1993って東大卒?
冬目景の漫画を暇つぶしに読んでいた。建物の一部に手を触れることで蘇る建物の記憶に振り回される主人公の姿に、今逗留している祖母の家で何か見えるものはないのだろうかとふと気になった。
今いる祖母の家は古くて新しい。二十年前に今の場所に建てられた時、ふんだんに最新の家庭設備が取り込まれたそれは今も黴びた様子はない。地震で浮いたままの玄関の畳石、打ちっぱなしのコンクリートに浮かぶ排水溝の汚れ、Nationalブランドの自動給湯機、そういったものに目を瞑れば。
"リモコン"のボタンを押さなくても、立てば勝手に流してくれるトイレには子供ゆえの興奮がすごかったのを覚えている。二階にシャワー室なんてものもある。着替え室を出れば、電磁調理器の炊事場に冷蔵庫。新築を案内するときに、友達をたくさん連れてきてもいいのよ、と笑った祖母の言葉は、あれからずっと叶えられてない。多分ほとんど利用されたこともないのだろう。浪人中、吹き抜けで蒸し暑くなった廊下を横切って風呂を利用する煩わしさから度々利用したシャワー室には、まだ当時購入したシャンプーがそのまま残っていた。棚に入っていたボディタオルの柄も同じ。無論、清潔な状態だが。今は週一でいらっしゃるお手伝いさんが、祖母一人ではカバーできない人の記憶を家に残すことで朽ちていくのをかろうじて防いでる。
その昔はその隣の日本家屋に住んでいた。マツダスタジアム建造に伴う都市区画整理で更地になった今、その面影を記憶している人たちはほんのわずかしかいない。
いつまでも好きになれなかった、日本人形が置かれた寝室。餌をやった錦鯉と金魚。土間で繋がっていた隣のガソリンスタンドにラジコンを突っ込んで、専務さんと呼んでいた親戚筋の叔父さんに怒られた後、コーラを奢ってもらった。裏庭に作った打ちっぱなしで練習する祖父をこっそり見ていた。お庭の松の木が立派だと、離れに住む芸術家の大祖母と話す母の姿。それぐらいしかない。ほとんどの記憶は鬼籍に入った人たちが持って行った。二階立ての母屋と同じくらいの高さを誇った土倉は約七十年前のあの日、被曝した建物だという。祖父の弟が当時別荘だったあの場所に大八車で運び込まれて息を引き取ったそうだ。土倉に入ったことがあると母は言うが、全く覚えていない。外観ばかり記憶に残っていることを思うと中はつまらないものしかなかったのだろう。
更地を見つめていると、関東では見られない白と灰色を掛け合わせたような土の色に、対岸の同じ色をした公園で祖父と遊んだ記憶が蘇った。公園は未だにあるけれども、その問面にはあの頃にはなかったスタバが立っていた。区画整理で道が広がる前は古い木造建築の民家が道なりに犇いていた所だったから、 この家のリビングからよく見慣れたロゴが見慣れないモダン建築に輝いていることに気づいた時、唖然としてしまったのはたった二週間前のこと。よくよく見れば、黒い正方形の建物は周りとよく調和している。私は記憶にある対岸の街とスタバを重ねて、そして今ある対岸の街とスタバを重ねたのだろう。かつては浮いていただろう風景も、街全体が若返った今、可笑しさを感じるのは変化を知らない異邦人だけなのだ。
ちょうど雨が舞い込んだこともあって駐車場には満車の看板が立っていた。今二階のバルコニーで佇むお客さんらの視線の先に、八十年前に猿猴川を裸で泳ぐ祖父らの姿を被せると可笑しい気がしてきた。川の流れだけはいつまでも変わらない。
先に言っておきたい。LINEは確かに便利だけれども、運営があまりにもサボりすぎである。
LINEゲームに労力を割きすぎているのではと、勝手に思ってる
あ、僕はそこらの大学生ですよ、誤解なきよう
(個人的には高校・浪人時代のメールの返信を待ってる時間が好きだったけどなぁ、時代は変わっちゃいました笑)
で、表題の件だけれども、以下に書いてみた。時間ない人はまとめだけ読んで下さい。
※まとめ
iPhoneのLINEが強制アンインストール(またはアイコンが消えそうになってる)されてる時は
その場で機内モードにすると(なぜか)防げた
数時間前のことの流れはこんな感じ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
↓
LINEのアイコンが暗くなって揺れていて、「削除中」の途中だった。
(焦ってて細かく覚えてない、Appの自動更新はオフにしてるから、アップデート時の不具合ではない。原因不明)
↓
↓
↓
機内モードにする
↓
↓
iPhoneは機内モードのまま、怖いからiTunesでバックアップ
http://appllio.com/line-transfer-and-restore-talk-history-completely#h2_1
http://did2memo.net/2012/09/21/naver-line-how-to-move-talk-history/
※この時PC版LINEでは購入したスタンプが消えていた。トークは閲覧可
↓
(キャッシュがかなり消えていたみたいで、友達のトップ画をロードしたりと。)
ほんとにトーク内容消えなくてよかった・・・
一安心。
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運営いいかげんにしろや、LINEゲームのCM流してる暇あるなら、LINEアプリのバグフィックスしろ!!!!!
国内トップのシェアあるからって、天狗になってんじゃねーよ!!!!
※無料ってのには感謝しますけど、不具合多すぎ、利用人数考えて下さい。もはやインフラです。昔のキャリアメールの代わりですから、その辺、もう少し責任をもって下さい。
人生を振り返ってみたりとか。
1年前に家を出て行った嫁をそろそろ整理しなくてはとか。
などと言われるけど、面倒なんだよね。
40年の人生を振り返ると、可でもなく不可でもない人生が浮かび上がってきて
働いていたい。休みたいけど働いていたいわ。考える時間がないというのは良いことなのか悪いことなのか。
いい歳なのに。子供がいたら余計なことを考える暇なんてないんだろうね。
社会ってよくできてるわ。子供早く作っておくべきだった。嫁が出て行ったのもそれが原因のひとつだろう。あ~あ。
で、人生を振り返ってみた。
なんとか目立つグループには入れたものの、一番下っ端で全くモテず。
でも、今考えるとやり方を知ってたら彼女くらいできるチャンスはあったんだよなあ。
中学時代は本当につらかったのに、今文章にしたら1行なんだな。
予備校に通って毎日ゲーセンに通い続け、勉強は真面目にはしなかったけど、
大学に入ったものの全くモテず、友達もあまりできず。同じようなタイプの友人数人とダラダラ4年間を過ごし、
やる気がないのとバイトしすぎたのが原因で留年。両親に怒られた。
大学時代はモテようとして高い服着たり、モテてるような素振りを見せてみたけど、
精神的に辛く、あまり効果がなかった。でも、嫁と出会えたから何もしないよりもよかったかもしれない。
学生マンションを出て激安アパートに引越し。身の回りの物を売って数ヶ月生活したが尽きて、
ネットショップの運営のバイトを始める。そして半年後会社が倒産。
大学時代の後輩に誘われて小さな公認会計士事務所になんとなく入った。
この仕事がまたつまらなくて面倒だったんだけど、徐々に面白くなってきて、
毎日のように勉強して、本を買ってまた勉強して、ひたすら12年働き続けた。
でも、同じことの繰り返しに飽き、給与が400万程度で安かったので突然絶望して退職。
退職の数年前には嫁と入籍していたのだけれども、突然すぎて驚いていた。
大型の資格はとれなかったけど、中型小型の資格はたくさんとれて今は非常に役に立っている。
で、転職活動を始めたら、紹介会社から電話がかかってきて紹介された会社を受けたら受かり、
今、採用の担当もしていて、たくさん履歴書を見ていたら採用された理由がなんとなくわかる。
数年が立ち、わりと評価されていると思う。がんばれば取締役経理部長くらいにはなれるかも。
年収も200万円以上上がった。
でも、1年前に嫁が「冷めた」と言って出て行った。つらい。子供がいない夫婦ってこういうキケンがあるんだな。
というわけで、現在に至る。
振り返ってみた。可もなく不可もない普通の人生で、人に話したところで、「で、どうしたの」と
言われるような人生だ。
ひとつ言えるのはモテないことだ。セックスも嫁としかしたことがない。
一回だけ友人が連れてきた女の子がエロそうだったので酔った勢いで誘ってホテル行ったら生理だったんだよね。
それだけ。嫁と離婚したら次の嫁は見つかるんだろうか。
オナニーしすぎのせいか日中眠くなることが多くなってきてやばいので、
オナニーからデリヘルに切り替えようかと。オナニーばかりして嫁としてなかったのがダメだったかな。
性欲が年を経ることに増してきて犯罪者になりそうでやばいんだよね。
学生時代は純粋だったからか、女性をエロい目で見たりしなかったのに、
今、超見てる。我慢してる。俺はどうかしてると思う。中学生みたい。
人生を振り返って気づいたけど、人生だんだん良くなってきている気がするから
俺の人生は晩成型だな。うん。これからいいことあるよ。モテるよ。または嫁が帰ってくるよ。
家族 → 嫁が出て行った以外は良好だけど、嫁が出て行ったので最悪
友達 → つながりは深くないけど学生時代からは考えられないくらい知り合いがいるから良しとしよう
仕事 → 概ね順調
なんとなく漠然と不安な気持ちだったけど、現状を文章にして客観的に見つめると、
全然不安になる必要はないな。そりゃあエリートから見たらクソかもしれないけど、
勤務先は安定しているし、年収も高くないけど普通だし、太ってきたけどブサイクでもないし、
遊びに行く知り合い(友達ではなくても)はいるし、仕事は順調だし。
でも何が楽しいのかねこれは。いや、みんなもそんな楽しくないよね。仕方ないよね。
俺が神様だったら、「君ね、落ち込んでるけど、まあまあだよ。そりゃ、世の中に大革命は起こせないだろうけど、
平凡でいいよ。風俗も行ったらいいよ。」と言うな。
周りの人には言えないので日記に書きました。
言われても困るよね。
俺、「仕事バリバリやっててけっこう賢いです」的なキャラクターだからな、たぶん。
洗脳には松下幸之助がオススメです。あと永守氏ね。話がそれた。
「俺の人生はクソだった。」とかっこつけたいけど無理だな。クソじゃないな。普通だな。むしろ良くなってきてるな。うん。
40歳になってこの文章はどうかと思うけどね。いいよ。いいですよ。
辛くなったらこの文章を見て「俺はこういう人間です」と立ち位置を確認しよう。そうしよう。
雑過ぎるので書き足していこうかな。
追記:
嫁が出て行ったのも50歳になって振り返ったら1行になるのかな。それはなんかいやだな。
どうしようもないぐらいへこんでしょうがない。
こんな書き出しだから、落ちたのは読んでるアナタには自明のことかと思うが、
成績開示して愕然とした。なさけない。
以下、結果。
■筆記試験成績
十番台 / 4ケタ
↓
3ケタ / 3ケタ
もう、なんも言わんけどさ。
名言はされなかったけど。
でもさ、面接、失敗したわけじゃないんだぜ。
終始和やかに。ただ、俺だけ、初めの発語から明らかに面接官の態度違うの。
質問もすげー少なくて、言葉の途中で切られたりするの。ほんとに。
俺さ、どもりなんだよ。それも、けっこうきついほうの。
今思い返してみても、感じがわるいわけでもなかったし、
民間受けてこの吃音がカナリの烙印だってことはわかった(ほんとに想像以上だよこれ)が、公共部門でおなじよーに扱われるとは思わんかったなー。。。
民間じゃ、人事の人に面と向かって言われたこともあったな。
おっきな企業の社長面接で「どもりはどうにかならない? うちにはどもる人間はいらない」って言われたこともあった。
別にこのためにいままでコミュニケーションができなかったわけでもないし、いわれのないものではあると思う(企業って意味からすれば正当だという思いもあるけれど)。
ただ、これが現実なんだろうなぁと。
そして、俺はたぶん付き合ってかなきゃいけんのよねーこれ、ずっと。
もともと、俺んち母子家庭でさー、大学行くのも結構苦労したんだわ。
母ちゃんはわりとパワフルに俺を育ててくれて、誰からも借金せず、貧乏ながらも働いて俺を養ってくれてさー。
それにあてられて頑張った甲斐あって、浪人して結構いい国立入ったけど、
母ちゃんが授業料断固として「奨学金など借金だ! 要らぬ! 借りぬ! 借りさせぬ! それならワシの貯めていた金がある! そしてあとで就職して私にかえせ!」
なんていうもんだから、俺、どうしたらいいか今わかんねーよ
母ちゃんはさっき仕事から帰ってきて、ずっと俺にごめんな、ごめんな、って言って謝ってた。
謝る義理なんてないのにな。むしろ俺が謝りてえ。どもりでごめんな、って。
たぶん誰かはコレ見て笑うんじゃないかな、と思う。
こうも同じような人格になるのかと疑問が。
(一部は同じ人かな)
★[2014/08/06(水)]暇人/(^o^)\速報: お前ら、これが公務員浪人失敗三十路の末路だ。
http://himasoku1123.blogspot.jp/2014/08/blog-post_853.html
★[2014/07/07(月)]公務員浪人だけど同級生の民間社畜共がうざい。俺は無職じゃなくてドラフト待ちの身分なのに : 鬼女速
http://kijosoku.com/archives/39754774.html
★[2014/07/05(土)]4年間公務員浪人続けてる俺の友人がヤバイ・・・ : まとめでぃあ
http://totalmatomedia.blog.fc2.com/blog-entry-2976.html
★[2014/06/22(日)]資格ちゃんねる : 公務員浪人は絶対やめろ - livedoor Blog(ブログ)
http://shikaku2ch.doorblog.jp/archives/38777700.html
★[2014/06/05(木)]27歳公務員浪人が合コン行った結果wwwwwwwwwww : 稲妻速報
http://inazumanews2.com/archives/38511538.html
★まとめのまとめ
周りは山あり川あり田んぼあり海ありの、自然環境に恵まれたエリアであった。
高校にあがり、私は音楽を志すようになり、その都市中心部にあった音楽教室へと通った。
そこの先生がことあることに「親御さんたちの教育への関心度が低い。高校3年からようやく進路を考え始めて、子供を通わせるとか。。」と、よく嘆いていた。
私もそのうちの一人であった。
今現在、私は海外のちょい大き目な都市で生活しており、子供が生まれた。
私の妻しかり、周囲も子供の教育には非常に熱心だ。 近所の人と会うと必ずといっていいほど、子供の習い事、子供の教育についての話で盛り上がる。
ピアノ、語学、右脳開発、水泳、絵画教室、舞踊、などなど、一人の子供が3つ以上の塾を掛け持ちしているのも珍しくない。まだ小学校前なのだけど。
私の親も含めて、周囲はやはり、私が学生だった20年ほど前と同様、子供の教育についてはほとんど関心を示すことはない。
「健康であればいいじゃないの」
「何もしなくたって、子供は育つし勉強もするようになる。勉強できないのはできないで道はある」
と、私の知り合いの旦那さんが言っていた。
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こんなことを書き連ねる自分が一番気持ち悪い
気持ち悪い
気持ち悪い
お前みたいな(他人と違う経歴を持つ人間は何かしら問題あるんだろ、と色眼鏡で見る)人間がいるから、日本じゃそれが不可能なわけだけど。
いや、日本は異常だよ。
実際日本で飛び級制度があったって殆どが利用しないだろ。苛められるのが目に見えてるから。
同じくアメリカじゃ小学校でも普通な留年なんかも日本ではさせない。長期入院して出席日数足りないケースなんかでも強引に進級させる。でないと苛められるから。
低出生とか発達遅延の子の小学校入学を1年遅らせる、ってのも日本じゃ相当の覚悟でもって行わなければならない「重大な決断」扱いだ。
制度上は普通に認められている高校浪人だって殆どの子はしない。
大学だって18歳から精々20歳くらいまでに入学しなければならない。
もう10年近く昔。高校2年生のときから2年間、片思いをしていた。
自分の場合は、高校は別で、塾が一緒の女の子だった。一つ下の学年。
向こうにはずっと大学生の彼氏がいて、高校生の自分からすると「大学生って…反則だろ…」というかんじだった。
その子のミニブログを見ていると、彼氏との交際状況に関する情報を逐一得ることができた。
(当時は前略プロフやリアルというものが全盛期で、誰でもミニブログを持っていた。「アダ名 高校名」とかですぐに見つかった。
そして炎上もへったくれもなかったので、本当にリアルな情報が赤裸々にインターネッツに晒されていたのだ)
彼氏は大学生。一人暮らしだし、バイクは持っているわお金は持っているわで、自分は到底勝てなかった。
自分の思い人は、フツーの女子高生だった。ギャルではない。当時でいうと「姫系」というカテゴリに属する女の子だった。
その子に、自分は何度か思いを伝えていた。その伝え方が増田に似ていて、すごく気持ちがわかる。
彼氏はいたが、何度か一緒にデート?のようなことをした。花火をみにいったりした。
彼氏がいるのに他の男に誘われて花火にいくとかビッチかよ…というかんじではなく、
その子は、自分のようなアプローチにどうしたらよいかわからず、断れば傷つけてしまうのではないか…というような心境で
一緒に時間を過ごしていてくれたように思う。優しい子だった。
何度か、といったけれど、実はきちんと覚えている。
高校2年生から浪人期間の2年の間、自分は3回、その子に告白した。
メールなどではなく、直接思いを伝えた。困った顔で「彼氏がいるから…」と断られた。当然だ。
「好きでいることを知っていて欲しい」というような言葉を、自分も彼女に言ったことがある。
自分の友達たちは、みんなこの経緯について共有しており、いまでも青春のトピックの一つになっている。
自分は地域の公民館的なところで勉強していたのだが、自分の好きな彼女も、同じ場所で勉強していた。
この期間は本当につらかった。
休憩がてら近くのマックに誘うと、一緒に時間を過ごしてくれる。
そうしてもやもやしているところで、彼女は秋に推薦で大学に合格した。
いま考えると血迷っているのだが、自分は彼女が入学予定の大学を第一志望大学にした。
というか、その大学以外受けなかった。いま考えると、ストーカーに近い感覚だし、相当ヤバいと思う。
ただ、当時は周りの友達たちもこの流れを楽しんでいて、ストーカーじみているとか、そんな感覚はなかった。
純粋に彼女が好きすぎて、自分がその大学を志望するのも自然だった。若いって凄い。
そして自分はその大学に合格し、彼女と同じ大学で新生活をスタートさせた。
彼女に大学を選んだ理由を聞かれ、素直に答えた。よく引かれなかったと思う。
新生活がスタートしてすぐ、彼女に告白された。すごくビックリした。
大学生活がはじまって準備することも多々ありドタバタしている最中だった。
好きな彼女と同じ大学やほーい!という気分より、新生活に慣れず慌ただしかった時期だった。
曰く、自分が好きだという気持ちが伝わったらしい。なによりこれだけ長い期間好きでいてくれることが嬉しい、みたいな。そんな話をされた気がする。
結論をいうと、自分はその子と2年ほど付き合って、いろいろあって別れてしまった。
でも、いままでで一番思い出に残っている恋愛だったし、いまは恋愛感情ないけれどすごく大切な人だ。
何がいいたいかというと、増田がんばれ!!!!ということだ。それを伝えたかったのに、ついつい自分語りしてしまった。ごめん。
「こんなに好きになったことはない」という気持ち、よくわかる。
彼女と別れたあと、他にも恋愛をしたけれど、それはそれで真摯に付き合ったが
好きでいつづけてアプローチしつづけることが正解ではないかもしれない。ちょっと見方が変わればストーカー感あるし。
ただ「こんなに好きになったことはない」という気持ちを大事にして欲しい。ツラいのを耐えてみてくれ、というかんじ。
彼女を好きでいることで自分の心が折れそうだから彼女を諦める、みたいなことはしないほうがいいと思う。
彼女と会って、まだ自分は好きであることを伝えて、いつでも受け入れ態勢は整ってるぜ!ってことは伝えておきなよ。
自分はあなたが好きだ→付き合って、ということを伝えるより、とにかく自分にとってあなたは大切な存在だ、ということを伝えるよう意識したらいいと思う。
負けるな増田。