2014-09-19

大学やめた。

どう表現すればいいのかずっと分からなくて、ただそれだけなのだけど。

一言で言ってしまうのであれば頭おかしい、と表現される案件なのだけども、そんな話をしたいわけではなくて。

私が書いた他の増田も参考になれば。

http://anond.hatelabo.jp/20120313173731

http://anond.hatelabo.jp/20140616194130

http://anond.hatelabo.jp/20140617174318

http://anond.hatelabo.jp/20140618130300

http://anond.hatelabo.jp/20140626042403

http://anond.hatelabo.jp/20140906043308

http://anond.hatelabo.jp/20140910180334

http://anond.hatelabo.jp/20140913202540

http://anond.hatelabo.jp/20140914131816



朗報。退学なう。

旧帝医学部合格するレベルからすると、東工大勉強しなくても合格できるでしょうというレベルです。
分かる人には当たり前の話であり、また表現したところで誰も幸せにならないこの話をしたかったためだけに、自分人生犠牲にしてしま決断をし続けていました。


テスト問題とは、問題製作者と自分とのコミュニケーションです。
中学受験では、算数物理化学に関して、私には解けない問題はありませんでした。

また私は言葉に対する思いと価値観他人とは大きく異なっており、
国語に関しては気持ちが悪くて、まったくできませんでした。


私は灘中には受験すらできませんでした。
理由は、彼らとの環境の差が大きいからだと思っていました。
あと私は呼吸が苦手であり、健康面でのハンデも大きかったです。

中学受験環境は優れていて、中学でも高校でもマネすればいいじゃん、と思っていました。
家の近所にあった、大阪トップ中学に進学しました。
私は中学時代は親の虐待を受けており、家で勉強したことはありませんでした。
試験本番のテスト中には問題製作者とのコミュニケーションします。
そのコミュニケーションが唯一の勉強時間でした。

算数物理化学に関しては、中学受験での環境が神だった貯金が大きかったです。
大阪トップ校程度では、周り人の算数理科センスは全く高くありませんでした。
中学に内部進学を拒否されたので、他の高校受験しました。
大阪トップ中高よりもレベルの高い兵庫で2位の高校合格してしまいました。
伝説度のレベルでいえば、中学ビリから甲陽の方が、高校ビリから東工大よりも高いと思います。

現役時代鉄緑行ってて、周りは京医か阪医志望とかだったけど自分だけ阪大受験(センター47%) 浪人時代四谷学院いってたけど、能力別科目別の入学テスト英語0点で一番下のクラスに入ったら信じられなかった世の中の底辺を見て信じられなかった。



理由のなかった行動など存在しないと信じて、そう言えるためだけに生きてた小学生時代

他人に対して何か思う時、他人の生まれ環境がかわいそうで不幸だったんだね、という価値観がたぶん根っこにあったんだと思う。

人間言葉では聞かされていても全然体は理解していない。

生まれとき自分環境しか知らないから、親がセンスの悪いところに目が行ってて、言葉に対する価値観の違いがあったけど、社会の中では親のセンスはめちゃくちゃ上位だったことは理解した。

親も他人に比べれば気が利く人で仕事が出来る人。自分も心の中では気が利く人。でも両方とも表現が下手くそコミュニケーションが下手くそ母親自分の親に対する価値観の違い、夫に対する価値観の違い、義理の親に対する価値観の違いがあって、私の知る祖父は温厚だけど母親にとっては違うし、母親自身も親になって親への気持ちが変化したとか言ってて、とりあえずそういう話が聞けたのは良かった

自分中学時代に抱えた心の深い闇母親は私を守ってやれなくてごめんねと後悔しており。母親自体客観的に見ればすごくセンスの良い方である。それはわかる。けれどももっと理想をもとめてしまったんだなとはおもう。



いろんな言葉に対して小学生の時からぐるぐる考えてしまっていていろいろあるけど、認識が全て

自分価値観環境からまれものだし、また私の評価なんかご勝手にどうぞでいいし、いいんだけど

真面目に評価する気のない人から評価されることに思うこと思う人達と思うこと思わない人達存在するもののもの評価する気のない人から評価されるために生きているわけではない

人を評価する気ないと宣言した人の方が評価される時代

人間人間評価する気が全くない、みたいな文化が受け入れられない。受け入れたら人間であることを放棄したようにしか思えない人生だった。

某大会はまけたのだけど、今までの私の高い高い勝率が失われたわけでもないし、人を評価する能力のない不特定多数からのどうでもいい評価を集めても何も満たされなくて、評価している人(仮想の人間を信じる)から評価されればそれで満足する世界に生きてたので、別に小学生の時から他人言葉が大嫌い。

人間人間だと信じることしかできないけども、一方で他人言葉は全てがネタであり
認識が全てであり、全ての人間認識が全てであるという認識を持っているとだけ信じていた。


心を閉ざした状態で、仮にもっといい中学に入り、もっといい高校に入り、もっといい大学に入り、もっといい会社に入ったとしても、それは幸せではなくて

環境大事であり、いい大学の方が確率的にはい環境かもしれないけどね。
でももっと根本的な家庭環境が最悪であった。


心を閉ざしていたから、ともだちはいない。

認められる価値観の違いもあるけど、認められない価値観の違いもあるはずで

望んでるものを望んでるのであり、その上で表現があって。

自分はただ人間人間だと信じることを望んでおり、表現していて

他人も何かを望んでの表現だと思っていて。


はじめてネットにふれたのはブログで、その次はSNSとしてのモバゲーだった

世界のどこかに自分と同じような人がいないかなって思ってた。






いい大学卒業したとして、いい環境で育ってきたんだねと思われるのは絶対に嫌だし耐えられない。


生きてて恥ずかしくないのかなって思われるかもしれないけど、自分他人に対して何十年も思ってたことなのでお互いさまだと思う。


自分にできることを他人はできなくて、他人にできることが自分にはできなくて、その得意不得意も価値観に影響してると思う。自分が主張したいのは、全てを網羅した次元での価値観の違いは認められないでしょ、というところなのだけど。


言いたいことが何も言えないのが生きてる意味を感じないしつらい。




過去存在しない人との間に未来などないでしょ。過去存在しない人との間に未来などないでしょ。しか言うことがない。過去存在しない人にモテても未来がないでしょ

人間人間人間と感じて生きた結果、過去存在する今がありまして。

過去存在しない人には今も存在しないし未来存在しないし過去存在しない。論外。

魅力を感じる人が少なくて、魅力を感じる人が現れるといいね、と思うけど。






人間人間だと信じないと絶望しかないけど、人間人間だと信じても絶望しかない気がする。




中学受験以降、環境地獄勉強したことがない。表現が下手なので経験者にしかわかってもらえないと思うけど許して。

高校までは卒業という形で追い出されたけども、大学では卒業という形では追い出されなかった。

勉強したことがないので東工大しか入れなかったけど、勉強したことがないから東工大すら卒業できない、と言いたいことが言えて満足してる自分がいます。

退学までの決断が遅いことに関してはいろいろあるけど、中学高校ではできなかった、他人とのコミュニケーションの練習をずっとしていたと思う。

中学高校で体験すべきような体験を大学で取り戻したかったのだ。



自分環境は、経済的には恵まれていたけどもそれだけだし、
むしろ経済的に恵まれていたからこそ他では劣悪な環境になりえたのだとも思う。




すべての人には理由がある。過去がある。

自分尊敬しているのは自分だけで、誰も尊敬できないのだ。

全ての人に対して魅力を見せる時間的余裕などないわけで、自分の周りの人もその人の可能な範囲での魅力はあるであろう。

当たり前の認識。当たり前の認識を信じるしかない。

人間として生きたことがあるのであれば分かるであろうとしか言いたくないこの気持ち

誰かにとっては魅力的でも誰かにとっては魅力的ではないというのは当たり前に発生する。

その上で、私と私の周りには魅力的関係が一切発生しないだけ。

みんな表現が下手なんだ。




自分の欲求。

表現がしたい。思いが伝わる人を探したい。

呼吸がだるい。体のだるさを表現するための語彙がわからない。病院いきたい。




東工大の退学、卒業よりも難しいのでめでたい。祝われたい。

自分人生に興味なかったのに急に関心を持てとか言われてもできない。

他人から見て扱いに困る状態で突き進んでる自覚しかないけどやめれない




ネット上なので評価されてしま言葉は、小学生から見ると、大人は過去存在しない残念な生き物なのかなという感じで、レベルが低いですよね。

小学生の段階で、人間であることを放棄しなかった人は、きめ細かい論理ふつうは持つわけです。

相手の認識を信じるしかない小学生小学生の段階では表現する場所がなくて、過去存在しない大人には通じません。





高校生時代に書きためたノートとかあるのだけど、すべて電子化したい。

時給払うから手伝ってほしい。




語彙力がないので認識という言葉を多用してしまうのどうにかしたい

快適な生活を維持したい欲求が罪深い



経済的には恵まれていると思うけど、自分の状態や意識表現する機会と能力のなさは深刻。


ネット上であれば喧嘩している最中であっても、拒絶するつもりが微塵もなかったりするので、結局表現問題なのだなって思う。

存在するもの否定する気はないという意識

正しいものなんてなにもないのだ、というのは人間人間だと感じる感覚否定する行為なので避けたかったのだ

言葉を使うのが下手くそなので求めているものはそうじゃないんだってよくなる。




気が狂うほどの理想真剣に悩んでて、話相手がほしかったね。



雑な表現になるが、死ぬ気でやれば卒業だってできるであろうが

絶対にそうしたくはない気持ちが強かった。

他人から見れば価値のないものに拘っているかもしれないけれど。

中退することができて、自由な気持ち。

人間を信頼できる前提であれば、責任ある自由仕事をしたい。




生きてきて感じてきたものに誇りと自信がある。

言葉ゆえの混同が嫌い。

言葉の奥に存在するもの存在を信じている。




人間の前提となるレベルから価値観が全く合わない。

君は私を全く評価していないし私も君を全く評価していないという構図を理解してほしいなということをまず伝えなければいけないな、って思う。



人間から評価は求めているけど、人間ではない人から評価は求めていないよ。それだけ。





祖父母は母親の本当の姿を知らないと母親は言う。

私と親の関係も同じで、全く知らないと思えるものが思える量だけ存在してる。


子供が親をどう評価するのかは親に強制されるものではない。お互いに全く伝わらないと思っていると思うが、私は不満を捨てる気は一切ない。許せない価値観の違いは許せない。それだけなのに。

こんな親は嫌だ、ただそれだけなのに。



親と会話が成り立つ家庭に生まれたかった、と思ってはいけないのか?という気持ち。





親は仕事ができるし、無言でなんでもこなしてしまう。

私も無言でこなしてしまうことはこなしてしまう。

そして両者ともにコミュニケーションが下手くそ、本当に下手くそ人間コミュニケーションが本当に下手くそ人間人間の間にある言葉は、信じたいように解釈したり、都合の良いように解釈したり、またそれらの逆だったりする。
その気持ち悪さを認識した上で、葛藤認識した上で、言葉を使う。信じるしかないから。
お互いがお互いの主張があって
求めているのはその俯瞰的認識なのであり、そこの信頼関係安心できないよねという話。



相手の認識をどこまで信用していいのかどうかという感じ。

人間評価して人間評価されたくて、人間であることを放棄した人の存在は信じたくないし信じることはできないそれだけ。



もしも自分自分投資するんだったら間違いなく病院につれていく



親が自分ではない自分を見ているつもりになって勝手幸せを感じるのは不快だという気持ち。

感じるものに自信と誇りと責任を持っている。




認識が全てだと信じるしかなかったけど、認識にも期待できないのだったならば、なにも残るものがないや。




本当の欲求を表現することができなくて、子供表現方法を知らないんじゃないかなって思ったりする

自分自己主張を全くしない子供だったのだけど、心の中にはいろんな欲求はあって、今でも残ってて

表現するのってほんとに難しい




言わないのではなく言えない。そしてその未来だって存在する。簡単なことだ。






何が問題なのかって、小学生の私にとって、周りの多くは人間であることを放棄した人達だったのだ。

当然、人間であることを放棄した人達になんかなりたくない。

ただ人間人間と信じることしかできなかっただけだ。

現実的には他人が許されるなら許されるであろうというような認識は発生すると思う、と認識している。

尊敬する人は自分。言えるもんなら言ってみろよ。そう言えるために生きたのでそうとしか言えない。

他人場合自己存在否定から言えないでしょ。






表現が下手って皮肉たっぷりだったりするけど、伝わるわけがないから自己満足世界

なにもするきになれない→やばい(げーむでもいいからしよう)→げーむすらめんどくさいからもういいや(いまここ)

人間人間と信じるっていうのは、他人の不可解な全ての行動に対して理由があるはずだと解釈することなのだけど、そんな心の強さがあるのは自分だけだったみたいな感じ

拒否反応を期待してるところがあるので別に構わないのだけど、世界は不幸だなってだけ思う

生まれ変わっても他人には絶対になりたくない、自分がいい、としか思えない。自分の誇れる唯一の自尊心言葉に対して潔癖なところがあって、死にたいって表現だって理解できない気持ちがあって、なんだけど現状は死にたい気持ちの純度が高いなぁ程度の。別に環境勝手に変われば勝手に生きると思うし、好きに使ってくれよって感じ 

感謝とかそういう言葉も嫌いなのだけど、そんなの体が勝手に誠意尽くすはずだし、人間なめすぎだろって感じで、体ではなくて言葉だけで思考してる人への見下しが激しい。きっと過去存在しないんだって思うしかない

過去存在しない人かわいそう。それでも私は人間人間と信じることでしかこの世に自分としては存在できない。この話難しいかな



記事への反応 -
  • たぶん日本語でいうところのクズなんだけど、自分のせいではないと小学生の時から思ってたし(そう言えるためだけに生きてしまった)まだまだ日本語が十分にわからない段階である...

    • どう表現すればいいのかずっと分からなくて、ただそれだけなのだけど。 一言で言ってしまうのであれば頭おかしい、と表現される案件なのだけども、そんな話をしたいわけではなくて...

      • お疲れ 大変だったでしょう とにかく一人にならずに人と会ったほうがいいよ 幼なじみでも、社会人音楽絵画写真サークルとかでもなんでもいいから、週一でもいいから。 経験者からす...

      • 申し訳ありません。今日は書けませんでした。 新しく書いてみる予定でしたが、また今度書きます。 過去に書いたもの↓ http://anond.hatelabo.jp/20140919171553

      • コイツの垢ヲチしてたんだけど、単なるネトゲ中毒のニートじゃねーか。 そもそも大学時代は一人暮らしで、退学に家庭環境関係ないやん。 親のせいにするとか見苦しいぞ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん