車の中で打ってた文章。 私は小学生の時から他人と言葉に対する価値観が違う。言葉に対する認識が違う。 私は人間であり、人間が選択する行動には理由があって、理由の存在を信じている。 私は、世界一いい子だと思われたい欲求はとても強かった。 私は中学生の時も高校生の時も、心の壁が分厚かったので、誰とも満足に会話をしたことがない。 私には表現能力がない。ずっと時間が止まっていたからだった。 私は、高校生の時に、思っていることをメールに書き込むことを覚えた。今現在は文字を打つのがパソコンからの方が 楽であるとかの変化はあるが、他人との会話も直接ではなくて、ネット上が多い。 それらは想像に難しくないはずであるとおもう。 テストとは問題製作者との会話だった。 ボードゲームとかも製作者との会話だったり、対戦相手との会話。自分の認識と相手の認識がそれぞれあるけど。 ここらへんで気分が悪くなったので以下は帰宅後の入力。 母親も父親も、その親との関係が存在するような形で存在してあった。 もちろんお互いに認識の違いも含んでいたと思うけど、達成しているレベルの会話があったはず。 母親も父親も、自立できるだけの理由があって、その上で行動できるのだと思う。 私の場合には、欠けてるものがあって。 これに関しては例えるのであれば、私は算数ができない人を理解できないけど、できない人にはできないだけの理由が あるんだと思うの。とりあえずそう思っていただければ。 私は、人間に対して、ものすごく有能だと期待していたのだと思うの。 もし私が一人で生活できたとしても、それは私には親が存在しなかった、と認識する出来事になるのだと思う。 別に親の存在を否定することを直接望んでるのではなくて、親の存在を認めたい願望があるからこその、気持ちだった のだと思うの。 私には私なりの人間像があって、葛藤があります。すべての人がそうだと信じているけど。 というか私が持つ人間像は親の影響がとても大きいです。 ただなぜ親と話が合わないかというと、親の時代環境と私の時代環境が異なるからだったりすると思います。 子供の私の論理として、葛藤の中身にはどんなものがあるかというと 親には子供時代が存在しなかったのか?という疑問が出てきて、もちろんそれは親にも子供時代があったはずだと信じ たい気持ちがある感じ。 親は自分はできたと思ってると思うけど、それにはそう思えるだけの環境があったのだと思います。 私の中にある欲求は、言いたいことが言えるようになりたいことだったり 相当なコミュニケーション経験不足であったので、補いたい気持ちがあったり。 私は言葉を選ぶのが時間がかかる。せめて一定量を同時に送らないと不安である。 【追記】 親「結論はなんなの?」 私「結論しかないやん」 認識に対する信頼関係だよねっていう話がしたかったのだ。 認識に対して信頼してるから関係が成り立っているのだ。 認識に対して信頼関係が崩壊すると、ダメになるのだ。 親の見ている私は私ではないというか、不満ポイントの認識の違いが不満。 誤解が激しくて嫌になってた。 親に対して評価してるところはある。あるからこそだった。 自分は自分の心理の話をしてて、それを否定されるのが不快だと言っているのに。 親は親の親ができないのを知ってて、一人でなんでもやったかもしれないけど 私は親ができるのを知ってて、独りでやらされるのが違和感があるというか 一番はそう感じるのだという話を否定されるのが嫌だという話の存在であり、物事を混同されて押し切られるのが不快なのだ。
どう表現すればいいのかずっと分からなくて、ただそれだけなのだけど。 一言で言ってしまうのであれば頭おかしい、と表現される案件なのだけども、そんな話をしたいわけではなくて...
お疲れ 大変だったでしょう とにかく一人にならずに人と会ったほうがいいよ 幼なじみでも、社会人音楽絵画写真サークルとかでもなんでもいいから、週一でもいいから。 経験者からす...
申し訳ありません。今日は書けませんでした。 新しく書いてみる予定でしたが、また今度書きます。 過去に書いたもの↓ http://anond.hatelabo.jp/20140919171553
コイツの垢ヲチしてたんだけど、単なるネトゲ中毒のニートじゃねーか。 そもそも大学時代は一人暮らしで、退学に家庭環境関係ないやん。 親のせいにするとか見苦しいぞ。