はてなキーワード: 浪人とは
俺は冴えない高校生だった。女子とはほとんど喋らないし、恋愛経験もない。当然、高校卒業時に俺は童貞だった。
そうはいってもクラスで浮いてると言うほどでもなかったから、普通にクラスの打ち上げには呼ばれたし、そこでワイワイしていた。
打ち上げのボーリング中、クラス1の美少女が、自分がまだメールアドレスを知らないクラスメイトにメアドを訊いて回っているのに気付いた。
俺も訊かれるかなあと思っていたら訊かれて、めちゃくちゃ笑顔で教えたと思う。
他愛もない話をしてるうちに、なぜか明日河川敷で会うことになってしまった。
だんだんその子が下ネタに話を振ってくるようになり、ヒートアップしたところで、
「あれ何の建物か知ってる?」
知らないと答えると、
「ラブホだよ」
俺は動揺していた。
その子は笑いながら、
「入ってみる?」
と聞くので、これは一生に一度のチャンスだと思い、入ると答えた。
そのあとはもう想像の通りです。
しかし結局その子とはそれっきり会うことも連絡を取ることもなかったけど。。
あれから5年。
1年浪人して、なんとか私文に合格し、卒業も決まり、内定も取れた。
あれから5年ですよ。信じられないな。
18歳の高校三年(来月卒業)なんだけど、三年ぶりにパソコンを触った。
中学の頃にずっとThinkPadをいじってたら母親に捨てられた。
高校に入ってタブレットとスマホを買ったからパソコンなんて使わなくなった。
受験も終わって(全落ち浪人する)久しぶりに姉に借りてパソコンを触ってFireFoxを触っているんだけど、久しぶりすぎてインターネットの楽しさが分からない。
中学生のころは、別にゲームとかをやっていたわけでもないのにパソコン漬けだった。
MGEWINTV(面白動画を出している人)にはまって、彼の真似をして友達とコメディ動画を撮影して編集して、twitter見て、まとめブログを見ていたりした。
今、同じことをやっても全く面白くない。
YouTubeもYouTuberとかいうのがトップページにたくさん出てきてクドい。
twitterは見る気が出ない。他人の独り言なんて見てもつまらない
あのころの俺はどこに行ったんだろう。
経済的事情も絡んで,進学先は志望とは真逆の学部だった.文理さえ違う.
いろいろあって,もう一度受験しようと思った.
今度こそ,と思って受験して落ちた.
ここまで事実を突きつけられると自分は勉強,特に数学の才能がないんだなあとつくづく思い知らされた.
結局,今いる大学を卒業しなければならなくなった.勉強が出来ないのは全部,自分のせいなんだが.
自分が自分らしく生きるのは,そう難しいことじゃないと思う.一人で好きなことに励めば,多分自分らしく生きるという事になる.
しかし,ここではやりたくもない勉強を課題として押し付けられ,「あなた達はレベルが低い」と他の学生とひっくるめて言われ,好きで現在の学部に入ったかのように誤解され,学習過程が違うからか自分の考え方が他の学生とまるで違う.
文字で見ればなんともないことだが,実際毎日それにさらされる,しかもあと何年もと思うと正直絶望である.
もう死んだように生きるしかない気がする,と思った.死んだように生きる,というのは人によって解釈,意味が違ってくると思うのだが,私の場合は「何にも頑張れず,劣等感を抱き,現状に不満を感じながらただ生きてるだけ」といった意味である.
私は大学進学しているだけ十分マシな方であるということは自覚している.勉強が出来なくて大学に落ちまくったのも自分の研究不足と才能不足である.(勉強は努力だ,と思われるかもしれないが,これでもこれ以上はないと思うくらいには勉強した結果,数学はやはり才能が関係あると感じた.)
まあ,こんなことは,人生で一番悲しかったことと比べると,ちっぽけなものなのだが.
滑り止めで受かった不本意の学校にすすんだが、大学生活に身が入らず無為に過ごし、一人暮らしのアパートに引きこもっていた。
親の反対を押し切って休学して、仮面浪人を強行した。
仮面浪人して慶応って中高一貫の進学校の連中からはバカにされるのだろうけど、
田舎の公立高校出の僕にとっては精一杯の結果だった。満足できる学校だった。
2浪じゃ学歴を話した時点で変わり者扱いされるし、浪人しても受からなかった残念な奴っていう印象になる。
もう10年も前の話になるのに、転職の面接でも中退の理由を根掘り葉掘りつっこまれるし、いいことなんて1つもない。
親がにくい。
そんなわけがない。
悪い方に転んだ後にいい方に転んだ人は自ずと目立つからそういう考えがでてくるだけで、
スタートでつまづいた人は、たいていはその後もうまくいってない。
滑り止めで受かった不本意の学校にすすんだが、大学生活に身が入らず無為に過ごし、一人暮らしのアパートに引きこもっていた。
親の反対を押し切って休学して、仮面浪人を強行した。
仮面浪人して慶応って中高一貫の進学校の連中からはバカにされるのだろうけど、
田舎の公立高校出の僕にとっては精一杯の結果だった。満足できる学校だった。
2浪じゃ学歴を話した時点で変わり者扱いされるし、浪人しても受からなかった残念な奴っていう印象になる。
もう10年も前の話になるのに、転職の面接でも中退の理由を根掘り葉掘りつっこまれるし、いいことなんて1つもない。
親がにくい。
そんなわけがない。
悪い方に転んだ後にいい方に転んだ人は自ずと目立つからそういう考えがでてくるだけで、
スタートでつまづいた人は、たいていはその後もうまくいってない。
卒論がとっくの昔に詰んでる。
どーしてこーなったかというとやっぱり一番の理由は、俺の中に情熱がないからだと思う。
今日は昼間に研究室を抜け出して最近めっきりご無沙汰していた部室に顔を出したんだけど、麻雀狂いで留年して自分と同学年になった先輩も「今日はまだ全然書いてないやー」と言っててそれを聴いている俺(卒論まっさら)はヘラヘラしながら心臓が止まりそうになっていた。
大仰な言い方だけどそもそも、情熱がなきゃ生きてる意味ほぼないよね。
じゃあなんで俺が死んでないかというと、以前、本屋バイトの同僚だった一人の女の子のキャハキャハした笑い声が耳にこびりついて離れないせいかもしれない。
俺より一学年上(俺は一年浪人してるので年齢はタメ)の彼女はこの春から働き始めていてそれからわりと忙しそうで、でもこの前のうちの職場の飲み会に来てくれて「いやー仕事つらいっす」と愚痴をもらし始めた。
その締めに言った言葉がこれ。
「まあでも、本当に行き詰まったら今の仕事辞めてまた本屋で働くんで大丈夫っすwww」
キャハハハハハ。
なにが大丈夫なのかは今でもイマイチ分からないけど、それを横で聞いていた瞬間の俺は嵐のように救われていた。これが生きていける気がしたってヤツか!!!と感動した。
結論からいうと、結局、あなたが現時点で一番魅力を感じているところに行くのが一番よいと思う。
というかはっきり言って、志望学科も志望動機も書かれていないこんな文章では、正直なところアドバイスといったってまともなことは何も書けないんだよね。あなたがどういう人で、なぜ阪大基礎工を志望するに至ったのかということがわからない以上、どこの大学があなたに合っているとも言いようがない。これでは誰も有効な助言はできないと思うよ。
仕方ないから適当に思いついたことを散漫に書き殴らせてもらう。なお、元増田の文章から立地に関する制約(有り体に言えば親御さんの懐具合とか、あるいは自宅通学圏内にせよとのお考え)はないものと判断させてもらった。もし東大・京大・阪大のうち実際には通学が叶わない大学があるなら、そこは除外して読んで欲しい(というかその場合はそもそも選択肢として提示すべきじゃない)。
まず、大学選びの基準という意味ではこれが王道と考えるのが普通だと思う。でも、これは誤り。はっきり言って工学部と言っても守備範囲は広いし、このレベルの大学になってくると研究レベルは研究室単位で違うので、どの大学が本当に実力があるかなんて判断はおそらく誰にもできない。
もし研究レベルありきで大学を選びたいのなら、それは学部入試じゃなくて大学院入試の段階にすべきだと思う。それも多分、実際にそれを判断できる能力が付くのは博士進学(もしするのならば)の頃だろう。というわけで、そんなことは気にしなくて良い。
ただ敢えて言うのならば、東大は研究室が多いので選択の幅が広いような気がする。ただそれは私の分野に限った印象だろうからなんとも言えない。
これについては私は京大しか行ったことがないので周囲の人を見ての不正確な印象論だけれども。
・東大は一番カリキュラムがしっかりしていて良くも悪くも強制的に勉強させられる。進振りがあるからテストの点も重視。
・京大はカリキュラムの縛りが緩い。自分で「何を学ぶか」をかなり自由に設計できるが、際限なく堕落することもできてしまう。
まあ、京大と阪大の比較は高校か塾の先輩にでも電話かけて訊いてみるのが一番早くて正確と思うよ。阪大志望するような人の周囲には大抵そんな先輩がいると思うけど。
実はこれが重要。大学時代というのは、特に独り暮らしをする場合、生活全てをどのように過ごすかによって大きく変わる。
・京大:観光都市の端っこ。良くも悪くも俗世間から隔離された空間。求道から堕落までお好きにどうぞ。
当然、京大に行けば世間に煩わされずに済む代わりに疎くなる。東大にいれば良くも悪くも世慣れする。阪大はその中間。
今のあなたにとってどれが合うか、だね。それは自分で判断するしかない。
あなたが関西人だと想定して言っておくけど、関西の外に出ると阪大ブランドは暴落するので注意すること。あなたは多分早稲田や慶応なんて阪大の滑り止めだと思ってるだろうし受験という観点ではそれは正しいのだけれど、ところが世間の認識はさにあらず、たとえば東京の人間は阪大なんて早稲田や慶応のずっと下だと思ってるからね。京大でもようやく早稲田や慶応と同格かちょっと下かっていう位置づけ。
この認識の差は、文系就職するのでない限り就職活動なんかで不利に働くことはないけれども(技術職の人は阪大の研究レベルの高さを熟知している)、あなたの性格によってはその後の人生で誇りを傷つけられることになるかもしれない。そのことをどれだけ重大に考えるかはあなた次第。
浪人は必ずしも悪いことではなくて、特にあなたが社会的成熟よりも知的成熟の方が先行したタイプなら、浪人という逆境を経験することは前者を後者に追いつかせる機会にもなり得る。そういう意味で、もしあなたが浪人を必要以上に怖がっているのなら、それは一面的な見方であるとは言っておく。
ただ、経済的には浪人の負担は意外なほど大きい。これは親御さんだけでなくてあなた自身にも言えることで、同い年の人よりもスタートが1年遅れるということは、将来的にリタイアするまでに稼げる年月が1年短くなるということになる。そして大抵の人はキャリアの晩年近くに収入のピークが来て、阪大卒だとおそらくその頃にはかなりの確率で年収1000万円ぐらいになっているから、浪人することは1000万円損することだとも言える。その辺をどう考えるかだね。
これについて私が個人的に問題を感じるのは、センター試験と模試の点数だけで合格できるかどうかを考えていること。
そうじゃなくて、実際に過去問を解いてみてその手応えで考えるべきなんじゃないの?センター試験と二次試験じゃ問題のレベルが余りにも違うし、合格点も違う。このレベルの大学は、センターの問題なんて朝飯前にこなせる人が受けるところ。模試なんて数ヶ月前の実力の目安にすぎないし問題も所詮は模造品にすぎない。
過去問をやってみることが一番大きな判断材料になるはずなのに、それをやらないでどうするの?
はっきり言って、目の前の課題に対する自分の客観的な実力を測ってみようという発想がないのはちょっと心配だよ。そういう問題解決能力はどこに行っても重要だよ。
そうなんだよな
阪大でレベルが低いって感じるやつは東大受験で浪人を心配するような学力に留まってるはずないからなあ
それに、阪大だと学科内での縦の交流も濃いし、クラスで圧倒的な一番であっても、それこそ同レベルの学生は 2 年置きくらいに在籍してるもんだよ
学部 1 回生からすでに研究室に出入りしてるやつもいるし、数年に一人の飛び抜けて優秀な先輩には絶対出会えるはずなんだよな
そういう出会いもなく、研究室配属まで尊敬できる人間に出会えなかったって、いかに学部時代にあんまり大学にきてなかったか、よくわかるよ
http://anond.hatelabo.jp/20150119185257
点数と志望しか書いてないけど、ご両親はどういう意見なのかな。
一人暮らしはありなのかとか、浪人はありなのかとか(どっちもお金がかかるよね)、その辺の事情は軽視できないと思うんだけど。
あと志望を変えることをそもそも視野に入れていたのかどうかというのも。
志望変更は視野に入っていなかったという前提で書くと、個人的には志望を変えない方が安全だと思う。
これまで阪大基礎工目指してきたなら、二次対策だってそのためにやってきたと思うのだけど、今から志望を変えるとそっちに向けた対策を相当な急ピッチですることになる。
たぶんそれなりに情熱がないと難しい。
とりあえず私は京大のことしか知らない(おまけに文系だし受験生だったのは10年以上前なので間違ってるかもしれないけど)のでその話をしてみよう。
二次試験は文系だろうと理系だろうと国英数があって、そこに文系なら地歴、理系なら化物生から選択だったかと思う。
基本的にどの科目も記述がメインなので、もしそれに慣れていない場合にはまず記述形式で答案を書く訓練が必要になる。
それと同時に過去問の傾向も把握しないといけないわけだ。
センター後から二次試験までにそれができるかどうか。正直あんまり分のいい賭けじゃない気はする。
あと京大工は桂キャンパスにおいやられてしまったので楽しい学生生活という意味では条件はよくないかもしれない。
おおむねネガティブなことを書いてしまったけど、あくまで「その方が安全」という観点からの意見なので、もしもやってみたいと思うんならそれはそれでいいし、あんまりその気になれないけど先生の顔を立てた方がいいというなら後期で記念受験という手段もある。
もしも志望変更も視野に入れて二次試験の勉強してたのであれば、B判定が出てればそこまで無理ゲーってこともないと思う(自分もセンターでようやくB判定出たけど受かったし)。
いずれにしても、自分にとって何が重要なのか考えて選ぶのが大事じゃないかな(家から通える方がいいとかでもそれは全く問題ない。人によってそんなのは違うし)。
元阪大生です。似たような状況で、志望校を阪大から京大に変えるよう強く勧められたことがありました。
当時の私は、浪人する可能性を排除したいという、ただ一点の理由で阪大の受験を決めました。いま振り返ってみれば、学力の面では、京大を受験したほうが私にとって適切であったのではないかと思います。こういうことを確信したのは、大学院に進学し、学会などで他大学の方々と交流を持つようになった後ですから、ぼんやりとしていた高校生の私が気付くはずもありません。
ただ、ひとつ迷わず言えることは、私の阪大での学生生活は大変幸せなものであったということです。あのとき異なる選択をしていたら、その後どのような人生を歩んでいたのだろうかと夢想することもありますが、しかし実際の半生よりも良い結果を想像することはなかなか難しいものです。思い出とは得てして美化されるものですから、それを割り引く必要があるのかもしれません。
さて、自画自賛をするようで大層憚られますが、私が学業優秀であったことは大学時代の知人すべての共通認識であったと思います。これは、私が人間として優れていたということでは決してなく、私にとって、自身の情熱を注ぐ先が学問というものであったというだけのことです。そのような人間が大学生活を送るにあたって、良かった点と悪かった点を思い返してみようと思います。
卒業のために課されている学業に関して、何の苦労もありませんでした。講義で説明される内容は非常に冗長に感じられましたし、試験の準備もそれほど時間を要さず済みました。おかげで日頃から時間に余裕ができ、興味のある事柄を独学したり、サークル活動に没頭することができました。また、成績優秀者は経済的にいくらか優遇されますので、労せず「優」が取れるというのは悪い話ではありません。余談ですが、特別な理由がない限り、何かしらの部活動やサークル活動に参加されることをお勧めします。この年頃に築いた友人関係は、後々、自身の人生にとってかけがえのないものに成長して行きます。私は内気で恥ずかしがり屋な人間でしたが、少しの勇気の積み重ねの結果、とても気のいい友人たちと出会うことができました。私の中で当時の学生生活が美化されているのも、彼らとの関わりによるところが大きいです。
学問について、共に語り合う仲間を見つけることは困難でした。講義の内容について友人たちに講釈を垂れる機会は幾度と無くありましたが、自分と同じレベルの基礎学力を身につけ、学問に情熱を持っている人というのはほとんど見かけませんでした。そのような状況下で、天狗にもならず、怠惰にも流されないというのは、未熟な私には中々困難なことであったように思われます。ただ幸運にも、4年目に研究室へ配属された際、良き師である教授と出会うことができました。彼は一流の研究者であり、私は研究指導を受けるたび、自身との圧倒的なレベルの差に愕然とするとともに、大いに啓蒙されました。良き師に加え、良き好敵手に出会いたかったという欲張りな思いが、大学受験の際に下した決断を後悔の方向へ引っぱる唯一の要因であると感じます。
若い方は、大学を卒業した後の就職について心配をお持ちでしょうが、阪大ならば、大学のネームバリューという意味では何ら心配無用です。その一方で、東大や京大というのは非常にレベルの高い学生が集まる魅力的な場ですので、直近の経済的な事情が許せば、浪人のリスクを負うのも悪い選択肢ではありません。大学へ入った後は、1浪や2浪程度、(本人を除いて) 気に掛ける人はおりませんから。それよりも、自身の内面を磨き、生涯の付き合いとなる人々と出会う場として、適切だと思う大学を選ばれるのが理想です。そのため、月並みな言葉ですが、ご自身が将来的に何者に成りたいのかということを、よくよく自問されることをお勧めします。
以上、拙い私見で恐縮ですが、ご参考になりましたら幸いです。
一次の成績は「足きり」につかうだけ。
先生はそれを言うのが仕事でいってるだけで実際、どっちのほうが合格確率が高いかを判断してるわけじゃない。
一応、前期で大阪、あまった後期で東大/京大という手がある。後期は録る人数が少ない。到達目標たかくなる。
逆もある、前期で東大、後期で大阪。時間的猶予が少なくなるし、大阪も安定しなくなる。
どっちにせよ、やるなら忙しく二次対応をがんばらねばならない。
でも今までできることはやってきてるでしょ? 女の子ならまじめにつみあげる形でやってきただろう。
サッカーだ野球だでさぼってきた男子が浪人覚悟で駆け込み勉強するのとは全くわけがちがう。
おそらく、「のびしろ」があまり大きくないとおもう。サボってきたならのびしろは大きいんだろうけど。
自分でもそんなムリができるかどうかはわかるのでは。
テレビで天気予報を見てもCMを見ても、お菓子のパッケージを見ても「がんばれ、受験生」なんて言っている。
言われるたびに申し訳なってくる。
ごめんなさい、お天気おねえさん。ごめんなさい、キットカット。ごめんなさい、森高千里さん。
今週、通っている高校で決起集会があった。
先生が僕たちに一言ずつ応援コメントを言い、最後でみんなで「えい、えい、おー!」って言った。
ここで、学校の先生は「今までやったきた自分の頑張りを思い出して、自信をもちなさい」なんて言ってた。
でも僕は頑張った記憶なんて全くないし、大学に受かるとも思っていない。
学校の定期テストで赤点をたくさん取っていたし、数学の問題集の提出日に間に合わなくてクラスメイトの前で先生に怒鳴られた事もしばしば。
でも、そのころの僕に「自分は頭が悪い」とか「自分はクズだ」なんて自覚は全くなかった。
試験に対しての緊張感なんて全くない。
むしろ「浪人したい。予備校に入って旧帝大を目指したい。」なんて思ってる。
自分は高2の頃に成績が悪いから勉強に専念するなんて理由で部活を中退した。
でも結局、アニメみてばかりだったし、図書館の自習室でも居眠りしかしなかった。
放課後はずっと暇なのに数学の問題集が提出締切日に間に合うこともなかった。
学校の現代文の授業で読んだ夏目漱石の「こころ」に載ってる超有名な台詞で「精神的に向上心の無いものはバカだ」ってあるじゃないですか。
僕はバカだ。もう取り返しがつかない。
今日の晩御飯は母親がスーパーの総菜売り場で買ってきたトンカツだった。
いま、「胃がもたれるんだよな...」なんて思いながらタルタルソースと一緒に食べている。
小学生のころは滅茶苦茶に勉強ができた。中学入試で誰もが知っている名門中学に受かった。ただそれは記念受験だったので、地元の優秀な私立に行った。中学生の間はその中学の中でも常にトップ5に入っていた。
ただ、高校に入ったころから、何もかもつまらなくなってしまった。何かと理由を付けて勉強をサボることが増えた。それでもそれまでに積み上げた貯金があったから成績は良かったし、模試の成績も安定していた。
高1の夏ごろから勉強をサボって街をふらふら歩いたり、ネットを何時間も徘徊したり、漫画を読み続けたりすることが増えた。それから恋をした。絵を描いたり、ギターを弾いたり、どれも長続きしなかったが色々なことを試した。学年順位が5位以下になるようになり、10以下になるようになり、気付いたら50位を割るようになっていた。
それでも、昔成績が良かったのだからちょっと努力すればすぐ成績は上がるだろうと高をくくり、やりたいことをやり続けた。他校の女子生徒に恋をして付き合った。うちは裕福だったから小遣いもたくさんもらっていた。あり得ないほど貢いだ。総額20万を超える。ただ結局僕は金づるだったようで、あっけなく振られた。俺は精神的な危機に陥り、1か月学校を休学した。ネットを徘徊したり、街を出歩いたり、映画を見たり、やりたい放題遊びまわった。
学校に復帰してからもただボーっと生活した。何も楽しくなかった。感動したかった。心がパッサパサに乾いているのが分かった。愛されたいと心から願った。
高3になるころには成績は平均以下だった。勉強を少しずつ始めたが、驚くほど頭が悪くなっていることに気付く。ハッキリ言って「何も分からない」という状態だった。それに、これまでの怠け癖のせいで勉強に打ち込めるだけの集中力を失っていた。3日勉強して1日休むという感じだった。結局そのまま、今に至る。
今俺は高3である。今週の土曜日にセンター試験を控えている。けれど、1週間前から昨日まで、全く勉強していない。ひたすらネットを徘徊していた。怖い。心の底から試験が怖い。学年の7割が、現役進学、残り3割もほぼ全員が浪人して大学へ進学する学校だ。言い忘れていたが両親はふたりとも医者だ。逃げ場がない。俺はなにもしたくない。けれど勉強しなければならない。どうせ今から勉強したところでセンターの点なんぞ10点も変わらない気がする。
小学校時代だとそこまで成績差とか出て無いし、中学とかに行っても差は出てきても普通に話したりした気がする。
でも、成人するまで歳を取ると結構変わるもんなんだよな。うちの例だと中学中退してるのが普通に居るし。
そもそも小学校すら来ずに今も生きてるか分からないようになってる奴も居る。成人式で聞いたらプーで世界中飛び回ってるらしい。
唐突だけど、昔虐められてた。
小学校時代はそこまで直接的な暴力は少なかった気がするけど、今で言う「消極的な虐め」って言うのかな。
無視やら明らかな逃避とかは当たり前のようにやられてた記憶がある。
時代的には、「いじめ」ってのが社会現象のようにニュースやらで取り上げられ始めたような時だった気がする。
んで、そんときにそういうのを指揮というか、「俺が気に入らないから従え」みたいな奴ってやっぱり居たんよな。
今もちょくちょく地元に戻った時に連絡入るけど、適当に弄る相手が欲しいんだろう。
自分の中では(完全に納得なんてしないけど)まあ折り合いがついてるし、適当に会って相手してる感覚だった。
成人式に行くと、そういう差にそろそろ気づいたんだろう。俺が他の大学行ったような奴と話してると、随分と居心地悪そうだった。
自分が他の人間と単位やら卒論の話やらしていると、「俺に大学の話はわからん」などと自分に言い捨てて適当に歩いてた。知ったこっちゃ無かったが。
そういうのもあったんじゃないかな、2次会の酒と飯の時、そいつの近い席に呼ばれた。
自分は煙草をやらない人間なんだけど、その席は小卒中卒高卒で就職して煙草吸ってる席だった。
そいつは「酒の飲み方教えてもらえよw」みたいな事を言ってた。
まああっちは酒煙草女薬みたいな世界で生きてる人間だし、酒にも慣れてたんだろう。よく飲みに行ってるみたいな話も聞いてた。
多分、自分を酔いつぶして遊ぶ気だったんじゃないかなあ。
自分は5月生まれなんだけど、成人してから随分先輩やら浪人同輩やらとよく酒に行ってたし、血縁的にも酒には強かった。
居酒屋の飲み放題で安い酒をガバガバ飲みまくったりもしたし、〇〇年モノの良い酒を先輩やら教員やらと一緒に買ってきて飲んだりしてた。
ホスト上がりやら土方の親分やら居る席でも普通に飲んでたし、むしろ「ペース早いし、しっかり酒の飲み方知ってるな」みたいな事言われた。
んでそいつはぶっ倒れた。悪酔いの部類だったし、吐いたりもしなかったけど、随分と周りの人間に絡み酒してたな。
その後はカラオケまで付き合ってたけど、ずっと寝てた。そりゃずっと虐めてて見下し続けてた人間が勉強で適わない所にいって、自分の得意分野である酒でも負けたんだから面目潰れだろう。ざまぁみろって感じだ。
その後自分に殴りかかってこなかっただけ良かったかもしれない。
まあ自分の感想とすれば、「勉強も酒も勝てなくてねぇ今どんな気持ち?wwww」って感じなんだが。あっちのがガタイ良いしこんなチラ裏でしか言わないけど。
Aラン大学の女子に絡んでたりしてたけど、流石に生きる世界が違いすぎるしとっとと諦めろって言いたかった。自分が言う前に他の奴(こっちもガタイが良い、自分には結構好意的に接してくれる)が言ってくれたけど。
「あの建物、俺が建てたんだぜ」って言って自慢してる気になってるかもしれんが、社会の誇りであると同時に社会の埃でもある事を自覚して欲しい。
大学1年の女です。1浪したので二十歳です。
高校2年生の時、私はW君が好きでした。イケメンではなかったけれど、すごく優しくて頭のいい優等生タイプの人でした。
文化祭の準備で私とW君が同じ仕事をしなければならなくなり、そこで仲良くなったのです。
W君と話しているととても楽しくて、そのときはじめてまともに喋ったとは思えないような親近感でした。
メールアドレスを交換し(当時W君はガラケーだったのです)、それからほとんど毎日メールをしました。
だいたい私からメールを送った次の日はW君からメールが来るし、W君からメールが来た次の日は私からメールを送りました。
1カ月ほどたったある日、ちょっとしたことから下ネタの話題になりました。
意外にもW君の食い付きは良く、私はW君は淡白なタイプだと思っていたので驚きました。
私はW君が頭がおかしいほど好きで、当時の私は周囲の友達の影響で貞操観念がぶっ壊れていたのもあり、こういう会話になってしまいました。
私「W君って童貞なん?笑」(私はずっと君付けで呼んでいました)
W君「え、なんでw」
私「いや気になるじゃん」
W君「そっちはどうなん」
私「残念!非処女です!!」(もちろん本当は処女でした。ただ、当時すでにバイブでオナニーをしていたので、セックスに関しては非処女を偽れるだろうと思ったのです。)
W君「まじか・・・」
私「引いた?笑」
私「で、童貞なの?」
W君「まあね」
W君「マジで?」
私「マジマジ」
W君「ちょっと考えさせて」
という感じでした。ちなみにこのメールのやり取りは当時のメールを見ながら絵文字などの再現不能なもの以外そのままの文章をコピーしたものです。
私とW君はセックスにやみつきになりました。毎週土曜をセックスの日と決め、いろいろな場所でセックスしました。
同じクラスのSさんと1か月前からセックスしていたというのです。
冷静に考えると浮気と言うのもおかしいのですが、私は当時完全にW君と付き合っているような気分だったので、浮気されたのと同じショックを受けたのでした。
私はあまりのショックから、W君に「もうニ度と関わらないで」と言ってしまいました。
しかしさらに驚いたことには、W君はそれからもケロッとしていて、それから1ヵ月後、正式にSさんと付き合い始めてしまったのです。
実は私はW君に、冗談っぽく「ねぇ・・付き合わない?」という話を吹っ掛けたことはあったのですが、毎回「うーん・・・」みたいなリアクションを返されていたのでとてもショックでした。
私の中で糸がプツンと切れました。こんなになっているのにまだセックスしたくなっている自分への憎しみもありました。
私は男子に積極的に絡みにいくようにしました。こっちから絡みにいけば案外むこうも親しくしてくれるもので、仲の良い男子が増えました。
それから、友達のツテで他校の男子ともつながりを持つようになりました。
そしてなるべくたくさんの男とセックスしようと思い、ある程度まともそうな奴と片っ端からセックスしていったのです。
卒業までそういう行動を続け、結局卒業するころには経験人数が20人を超えました。
今となっては何を考えてそんな事をしたのかわかりませんが、数打てばそのうち自分を大切にしてくれる人が現れるかもしれないと思っていたということはあります。
しかしそんなことはなくて、私はただのみんなのセフレになってしまったのでした。
一応進学校にいたので大学には行かなければならないと言う風潮がありました。
当然セックスばかりで勉強なんて全くしてなかったので浪人し、いまでは3流私文に通っています。
自分たちの学年は、医学部にしては珍しく馬鹿揃い、との評判だった。
とにかく多浪が多く、現役を0と計算しても平均2.x浪というような感じだったと思う。
でも自分はこの浪人組の人たちが大好きだったし、なによりも素敵だったのが、
この学年は上の学年から落ちてきたほとんどの先輩たちを道連れにして、
むろん国試合格率は史上最悪だったがそれが何か悪いか?(翌年ちゃんと頑張って合格していた。東大みたいに国試不合格者が吹き溜まると大変だもんね)
10を超える多浪の人が何が違ったか、というと勉強のスタイルが「孤独」だった事だろうか。
ノートも生真面目にとってらっしゃるから、「貸して見せてください」とお願いしたところが、
字がきれいなだけでまとまっていない、大変な物体だという事に気づいた数人は、これ以後、
「ねえ、○○さん、こちらのノートを読んでみてください。そして先生はこれを重要だと説明してらっしゃると思いますよ」
とアドバイスする側にまわった。
何しろこの人の人格が素晴らしくてなんとかしてお医者さんになって欲しい。
授業はもちろん最前列で聞いておられるわけだけれど、そのノートの内容は起承転のみで終わる小説のようだったから、
何人かでフォローするためにかわりばんこにノートを取った事を思い出す。
人格の素晴らしいその人だけでなく、中で何度も何度も足踏みしていた人々も沢山落ちていらっしゃったけれど、
彼らは年を取っている分記憶力が落ちるわけだから、ピンポイントで「こことここが大切!」と教えなければならない。
自分たちは大した勉強をせずに試験には楽勝で通ってしまっていた。
そして彼らもなんとか一緒に卒業できて本当うれしかった。仲間は大切よね。
(教える側に回っていたのは自分も含めて5-10人ぐらいいたと思う)
基本的な学力があって、入学試験を突破してきてもかなり勉強しまくらないと医学部は厳しいかもしれないけれど、
自分は不思議と全然楽に感じていたのは彼らのおかげだと感謝しています。
むろん今でも尊敬できる素晴らしいお医者さんたちで活躍している。
20何浪の話を聞いたら、医学部の勉強を集団以外でしたことがなかったのを思い出した。
追記:もしも同クラスの人がいたらごめんね。
これは医学部の教育問題について言われているいくつかの問題のうちの一つについて考えている。
ノートが「起承転」と書いたが、これは何を意味するかというと「正しい答えは出せるのだが、時間がかかる人がいる」の比喩だ。
優秀な人には何種類かいるが、医学部には判断力が早い人がかなり多いし重視される。
でも優秀さには時間で測れない物差しがあるはずで、そういう人達がたまたま自分たちの学年に集まった。
ある人々は浪人で、ある人々は留年で。でも現状ではそういう人が受験前にふるい落とされたり学内で孤独に勉強してふるい落とされたりするのではないか。
「医師は成熟した人間が少ない」の答えの一つはそれなのではないか?物事をゆっくり考えない、、、
就活で自殺するぐらいなら就活する前に自殺しろ。そうすれば就活なんかしなくてもいい。就活をするんだったらしてもいいしした後で自殺してもしている途中で自殺してもおんなじだ。みんな自殺しよう。
いつも偉そうな能書きたれている清水だかなんだかいうアホが就活で自殺するな中小企業がどうだこうだと書いていた。清水はバカである。学生のうち99.99%は特に何の業績も上げられずにガンなり糖尿なりになって普通に情けなく死ぬ。ウィキペディアに名前も残らない。残るのはせいぜい2chの恥ずかしい書き込みログぐらいだ。増田のアカウントも消しておかないとな。さっさと自殺しろ。この世はお前のためにあるんじゃない。この世は清水みたいなアホと、そのアホに洗脳された名無しの歯車たちのためにあるのだ。ああいう奴らが偉そうに能書きたれるために社会は存在する。就活ぐらいで自殺するなと。
就活ごときで自殺するなと言っている人間は就活そのものがなんたるかを全く理解していない。就職しないと食っていけないのだ。すなわち江戸時代の農民に、田んぼで米を作るのではなく田んぼを埋めて果樹園にすると良いみたいなアドバイスをしているのと同じだ。それで?それで救われるのか?田んぼを全部土で埋めて、桃栗三年柿八年。それができんのか?一部の金のある奴か、三年間の収支も考えられない変な奴は、それでなんとかやっていけるだろうけどよ。農民に田んぼを埋める選択肢もあるぜってお殿様から言われても、ヘェヘェそうですかとしか言いようがないわな。多くの人が本当に欲しい力は、田んぼから果樹園を作るベンチャー力ではなく、田んぼから取れる米を多くする品種改良のはずなのに。
アルバイトからがんばって中小企業に入ってスキルを磨いてとかそんな話を言うよな。浪人から立身出世して三菱財閥を作れって話だよな。そんなことができる奴は一体どれくらいいるんだ。浪人している間何で稼ぐんだ。結局就職しなきゃいけねぇじゃねぇかよ。アルバイトで日々汗を流し気がついたら若くない。そんでもってアルバイトでモリモリ力を付けられるほど俺らは頭がよくねぇ。結果なんだ。新卒がどうのとか関係ねえじゃんかよ。待ってるのはどうせ死か就職だ。リクナビかハロワの違いしかねぇじゃんかよ。まぁ、リクルートに金を落とすよりは、ハロワに行った方がなんぼかマシって考えもあるけどよ。
新卒入社っていう制度はなかなか面白いと思うぜ。悪くないとも思うぜ。ありゃあ元服みたいなもんだ。一定年齢になったらさあ社会に出て就職してみましょうみたいな制度だ。ありがてぇありがてぇ。こっちは何の経験も無い、大学で遊んでばっかりのペーペーだ。そんなんでも就職させてくれる新卒制度はなんともありがてぇ。アルバイトでシコシコスキルを磨いても、大学で頭の芯からトロけるほど遊び尽くしても同じじゃねぇか。あ?そこに疑問がある?アルバイトでスキルを積んだ人間と、頭がトロけるほど遊んだ人間は、違うはずだって?
同じじゃねぇか。どうせ。ほとんど同じだよ。居酒屋でアルバイトしてもベンチャーでアルバイトしても大して変わらねえじゃねえか。はてブ見てみろや。あいつら永遠にvimの設定やってるぞ。結局学生団体やらベンチャーバイトやらなんじゃかんじゃに関わっても、人間の本質を変えるほどスキルを得られる人間はほとんど皆無に近いってこった。Macでプログラミングするのは良いけどよ、ちょいとプログラミングできたところで、焼き鳥屋で焼き鳥を焼く速度が速くなるのとそう変わんねえんだよ。世界に通用する技術とか、そーゆーのを持ってる奴らはお前らと同じ理屈で生きてない。それなら焼き鳥を速く焼いてくれ。鳥貴族に行くたびに思う。もう少し速く焼いてくれねえかなって。ビールがヌルくなるじゃねえか。ヌルいビールに耐えられないほど、日々消耗してるんだってことに気づくから、黙ってるけどな。
さあ、そこのお前聞いてるか。新卒制度は間違ってるし、新卒入社しなくてもいろんな選択肢があるってものの見事に洗脳されてるオ・マ・エ。おめーはいいから就職しとけ。リクナビもマイナビも気にいらんだろう。だったらハロワでも行け。絶望するのが遅すぎただけだ。寝るために働くんだ。働くために寝るんだ。社会はそうやってしか回らない。俺たちは日々働いても、凡庸な奴らとしか会わないし、凡庸な人生しか歩めない。清水って一言一言イヤミだよな。あいつをブチ倒したとか、俺は蹴ってやったとか、そうゆう武勇伝ばっかり語ってやがる。なあ清水。俺たちには倒すべき相手すらいねぇんだ。戦う相手もいねぇんだ。そして、戦うべき相手がいても、たぶん、戦う力なんて、もう、ないんだ。だってよ、ラーメン屋でラーメンに髪の毛が入っててもよ、めんどくさくってクレームつけずに立ち上がるだけなんだぜ。
昔オヤジが脱サラして失敗して、ハロワに通って前の会社の五倍は酷い条件の所に就職し、俺はその惨めな背中を毎日見続けていた。日に日に曲がっていく背中が痛々しかった。あんなことになりたくねぇと思ったな。毎日毎日。土曜も日曜も出勤してたな。何百万かの借金背負ってな。だから俺も毎日毎日頑張ったさ。それなりにな。宿題もやったし受験勉強もした。そこそこいい大学にも入った。オヤジのためにも、いろんな教養を身につけて、世界に誇る人材になるんだって思ってた頃もあったな。俺は違う人間なんだと思ってたこともあったな。
でもそんなことにはならなかった。勉強しても勉強しても、俺は「一般人」というカテゴリから離れるほどの場所に行けなかった。なんだ、たどり着けねぇじゃんかよ。百年間学生やってもいいんだったら、やるけどな。四年しかねぇ。そして三年も半ばになって、何もないことに気づくんだ。なあ、たどり着けないところまで行くために、俺たちは何度絶望すれば良い?一分の隙も無いほど毎日勉強したとは言わねぇぜ。そんなに思い上がっちゃいねえ。でも結果だけを見たら失敗だ。毎日毎日、オヤジの情けない背中をまるでカーボンコピーしたような、情けないスーツ姿で玄関を出て行く。怠惰だけが俺の罪だったかい?それとも夢を見たことが罪だったかい?夢でご飯は食えるかい?なあ……教えてくれよ。結局俺たちって、その他大勢なんだぜ。選ばれた人間なんじゃない。選ばれることすらない人間なんだってな。宝くじを買っても一文字も合いやしねぇ。年賀状のお年玉もあたらねぇ。切手シートすらもらえやしねえ。なあ、俺たちが「選ばれし人間」になるまで、何枚年賀状をもらえば良いんだ?
俺たちは負け組だ。なんの名前も残さずに死ぬ。臆病者の名無しの増田だ。自殺すらできやしねぇ。電車の一本も止められねぇ。それが俺たちだ。
4つ離れた弟が高校生になった時、自分にものすごく荒い口調と目つきで馬鹿にして見下してたような対応してたのを思い出した
あれって、自分の親兄弟っていう肉親に違和感を覚えた既視感があったんだよ
今でも母親とはたまに会話するけど、ときどきヒス起こしたり自分をものすごく馬鹿にしたようないいかたする根っこが毒親である。
うちはとても貧しい家庭だった
学も知識もない底辺層で労働者階級って近所から馬鹿にされまくって育っていた。
そのあと、頑張りすぎて体調壊して受験失敗し、家で浪人して、バイトしてたとき、弟が再び荒れた。
家の中で兄に対してだけ見下したようなとてもダメ人間を見る目で接してくるんだよね。
おれは医学部目指してて(けっきょく歯学部になったけど)毎日頑張って、バイトに悪戦苦闘し、けっきょく3浪してしまったからとてもだめな3年間を過ごしたのは覚えている。
でもその3年間が高校生の弟にとってはすごくダメ人間でいろいろ不満が溜まっていたんだろうなって思う。
当時は90年代後半で世相も騒がしい事件が多かったし、それなりに鬱屈したものがあったし、思春期特有の何かがあったせいだと感じてすませてたんだ。
けど、最近になって気づいた。
就職失敗して家でひきこもりして母にDVをはじめた弟になんらかのやばいもんを感じた
家の一角を風俗店(いわゆるライブチャットレディの待機ルームを作ったり、アダルトグッズを販売する店にしようとする計画で)みたいにしようとか言い出して、彼は母親と喧嘩しはじめたんだ。
あと、FXで母親の貯金300万くらい溶かしていたのも最近、聞かされて俺は90年代後半のあの時・・・・弟が荒れてた理由をあえて見つめ直してみた。
いわゆる、あれは、底辺層のモノ同士の特有の対人嫌悪、同族嫌悪という種類のものなんじゃないかと考えた。
親にも感じたし、その親からうまれた俺が思うのもなんだが、弟がものすごいクズでどうしようもない存在になってしまったのを恥と思い始めてる自分を長いこと・・・そうと認めたくなかったんだ。
自分の肉親血縁関係にあるものが、とても社会的にダメなものになって、人としてやばい領域にあるのだと知った時の不快感というのか。
むかし、高校生の弟が俺に対してとてもチンピラのような絡み方をしてきたり暴力をふるってきた時に、感じたものとおなじものを今も受け取る。
あいつが俺に対してひどい仕打ちばかりしてきたのは、クズでしかないからクズみたいな行動でしか対応できない動物の性質だったんだろう。
年末にも聞かされた。
「ひきこもってから俺がロースクール行けなかったのは兄のせいだ云々」とか、司法試験目指すならそれなりに方法もあるので予備校なり通えばなどいくらアドバイスしても弟の大学院受験失敗を俺はわからぬ理由で責められ暴れられる。
さてやっかいだ。
昨日は新年そうそう警察のお世話になるような事件が家で起きて(DVで暴れる音から通行人に通報されたらしい)
これから、自分の人生にどうこいつを切り離すかしか感情が浮かばない。
「兄ちゃんも頑張るから、一緒にゆっくりできるだけのことをして生きていこうよ!」
とか昼ドラみたいな優しさを持てない自分は、逃げることしか考えていない。
付き合ってる人もいるし、恋人や恋人の親に自分の家の家族を見せたくない。
あんな恥みたいな弟をいなかったことにしたい。
じゃあ、今年はそれを実行するために、実家には近寄らず、幸せに暮らせる場所を設けないといけない。
しかし、弟のことだ。
そのうち行政の介入によってなんらかの措置がとられるのだろうが、それまで自分は自分の安全な領域で生きていかないといけない。
しかし、たったこれだけのことだったんだ。
相手がどうしようもないクズだってなかなか認められなかったのは、自分の血縁だったからっていう理由が根底にあったせいなんだな。
容認すればさっさとなんとでもなりそうなことなんだが、家族の中に最低な奴がいるって本能的に気づくのを避けていたんだよね。
すごいことに気づいたなあ。
ちなみに現2chユーザーで、Jimが降臨したスレにも何度か出くわしたことがあります。
Jimはそもそも、最初潰したいのはログ速のような過去ログのミラーサイトだった。
ミラーサイトはまとめブログの影に隠れているものの広告をバッチリ掲載しており、特にログ速のような巨大なサイトは多額の広告収入を得ていると考えられる。
で、元々ひろゆき体制の時はモリタポや●が主な収入源だったのだが、Jimは広告を収入源とするビジネスモデルに転換したいと考えていた。
(その後新たにモリタポと似たシステムの「浪人」が出てくるからややこしくなるのだが、当初はそのように説明していた)
そこで、ビジネスモデルの転換に伴って今までモリタポか●が無ければ見られなかった2chの過去ログを自由化することで、現行スレに加えて過去ログの方からも広告収入を得ようとしていた。
しかし現状は多くのミラーサイトがあり収益性が悪いので、Jim体制になってからはミラーサイトを積極的に潰そうとしている。
現にUnkarやRead2chのようなJim体制になってから潰れたミラーサイトもあって、ログ速も何度か機能停止に陥ったことがある。
今はログ速側が対策したのか、ログ速やデスクトップ2chのようなミラーサイトは普通に機能している状態だけど。
で、ここからが状況を非常にややこしくしている原因なのだが、Jimは言語の壁もあってか当初まとめブログ=ミラーサイトと勘違いしていたのだった。
だから、はじめのうちは「まとめブログを潰そう!」と意気込んでいる2ch住民にJimも強く同調していた。
しかし、Jimの言うまとめブログはミラーサイトだったので、ミラーサイトへの対策は厳しくされるものの、2ch住民などが言う本来の「まとめブログ」への対策は一向に成されないのであった。
(ちなみにそのJimの誤解は、住民との交流の結果今は解けている)
そもそも2chの広告で儲けるJimのビジネスモデルと、2chの書き込みを再構成して広告で儲けるまとめブログのビジネスモデルは今のところあまり競合していないんだよね。
むしろ、まとめブログのおかげで2chへの流入が増えるのなら、JimにとってまとめブログはWin-Winの存在にすら成り得る。
まあ、住民的にはまとめブログに強い反感を持っている者が大半なので、住民の意向を無視し続けるとν速→嫌儲のような大移動が起こる可能性は0ではない。
(もっとも今の2chの住民数をカバーできるだけの強いサーバーを持っている掲示板なんてそうそう無いのだが)
だから、移住が起こらない程度に住民の溜飲を下げるために、Jimは「対策するよ」と口では言っている。
また一応、実際にスレッドのタイトルに「転載禁止」の言葉を付けるような仕様にはなった。
だけど、住民が移住しない限りはSCやまとめブログを潰すメリットが殆ど無いので、まとめブログに対する根本的な対策はこれまでしてこなかったしこれからもしないんじゃないかと思う。
あと住民もなんだかんだ不満は持っているものの積極的に動く案もあまりなく、一枚岩になって動くことも出来ないので消極的ながらも現状を容認しているのが今の状況です。
だから、元増田のブコメのid:sisyaさんの指摘はかなり的確だと思う。
全員探られたくない腹持ちながらも利益奪い合ってる同士なのだから、利益そのものをつぶしたいユーザの声を聞く人間などどこにも居ないことなど最初からわかっていたことなのになと思ってみていた。
今後大きく変化する可能性があるとしたら、Jimがtogetterのようなまとめブログの役割を持つプラットフォームまで運営しようとするか、あるいは2chの所有権を本格的に裁判で争うかのどちらかだと思うけど。
ただ、現状はJimが2ch、ひろゆきがビッグデータとまとめブログ(?)からの収益でそれぞれ甘い汁を吸えてるので、まあ当分は大きく変わらないんじゃないんですかね。
たこ八郎って水死してたの?知らんかった
オウム事件の時はなんかさっぱりわけわからんかったなあ。ショーコーショーコーとか歌うざかった
昼夜逆転してて朝まで起きてベンキョしてたら大阪ではものごっつ揺れたんだよね。
けっきょく浪人してその年は予備校に1時間かけて通ってパニック障害になったなあ。
いやな思い出ばかりだった
数年後はglobeとかタイタニックとか流行ってなかったっけか
そのあとはアルマゲドン
ハリポタやロードオブザリングは当時はスルーしてたなあ・・・・
自分的にミレニアム結婚とかはやってたり2000年問題とか漫画や新聞にひっきりなしにでてたのも覚えてる
win95はでた2年後に買って、生涯初めてのPCだったのを覚えてるよ
大学入学で生協で購入して31万。フロッピーディスクがはいるやつで、モニターとかでっかいのなんの。
引越しで持ち上げて腰抜かしそうになったの覚えてる。
初めてそのときインターネット接続して、メーリングリストでRPGとかはやっててよくわからんままDQNネームで参加してたらいっぱいメールがきて読まなくなった。
そんで、自分でサイト立ち上げ用にもやり方わからんからジオシティーズで無料でカンタンに作れるHPできてなんかわけもわからず熱中してたっけ。
ネットで知り合ったオタ友とはIRCチャットやポストペットとかやってた
いろいろBBSがさかんだった当時を思い出したよ
正月に某県にある実家に帰省してると、実家近くに住むイトコが訪ねてきた。はてな村のIDを取得したのだという。
「おめでとう」とか「たまに祭りとかやってるよー」とか言ったのだがイトコの顔が浮かない。
聞けば某なんとかというブロガーの村奇譚をたらふく読んで、はてな村が怖くなったという。
はてな村で独り暮らしなぞ始めたら、村に隠れ住むモヒカン野郎に殺されるようなひどい目に必ず遭うんじゃないか、と。
「そんなことはない、ひどい暴力に遭う人が多数派だったら誰も住まない、自分も5年ブクマしてるが、殺されかけたりしたことない」と言ったが、聞く耳持たず、デモデモダッテとブログで読んだはてな村の恐ろしさを力説する。
母が「美味い雑煮出来た」「熱燗ついた」と呼んでるのに、どうでもいいクソ記事の内容を延々聞かされ、もう面倒になり「みんなには内緒だが、はてな村は怖い街だ。その記事の通りだ。村に住んでて変死体を見たことない人などまずいない。村民は人を殺す村民とこれから殺される村民の2種類だけだ。お前も生き延びたければ覚悟しておけ」と声をひそめて、うそぶいた。
イトコは「やっぱり」という顔で帰って行った。
後ではてな村の大学への進学を辞めて、浪人して一ランク下の地元近くの大学に入ったと聞いた。
3年後に法事で会ったら、肩をつかんで「ありがとう。お兄さんは、まだはてな村で消耗してるの」と言われたが、「知るか」と言った。
数年前のこと、楽天を辞めて占い師に転身した時、田舎の家族にはその事を内緒にしていました。
今ではその名を知らない者はいない(楽天カードマンのおかげさまで…)上場企業にお勤めと思っていた娘が、収入が不安定極まりない怪しい占い師になっているなんて…
最短のコンビニまで歩いて30分かかるそんなド田舎から1年浪人してまで東京の大学に入れてもらった自分にゃーそんなことは、親不孝過ぎてですね、とてもじゃないけど言えませんでした。(おいおい、もっと職業に自信持って!)
それも1年半でバレてしまいましたが。
未だ娘の生活について不安感充満の母おふさと父ピロシキのふたりをパーティーにサプライズで招待し、できましたら会場の皆様で声を合わせ「し~ん、ぱ~い、ないさぁ~~ッ!!!」(大西ライオン?)って安心させてあげたいんです。(そんなことで安心しますかね…)
放蕩娘を思うストレスのせいで寿命が10年縮んでしまった二人。
2/7で縮んだ10年プラス5年分寿命を延長させてあげたいです…
都内国立大学を卒業後、金融会社を経て楽天へ。会社を辞めて早3年、、占い師池田34歳都内在住独身、この度電子書籍を出すことになり、こんな企画がスタートしております!!
非正規社員に、すげー優秀な人がいる。
オンラインゲームにハマって国家試験に落ち、今に至ってるらしい。
頭がいいし、勘もいい。
手先も器用だし、どんな状況でも臆することもない。
話も上手い。
今度正社員登用試験を受けさせられるようだが、就職活動さえもしたことがないという。
国家試験に落ちても、浪人するわけでも、就職活動するわけでもなかったそうだ。
あれか、もともとそういう学部に行く人だと、命とか人助けとかに興味があって、お金儲けに興味は薄いんだろうか。
お金にも女にも執着はなさそうで、かといって課金廃人でもない。
小奇麗でひょうひょうとしていて、定時に帰ってゲーム三昧らしい。
課金といっても、月額定額なので、かかる費用は2000円少々だという。
なんていうか、超もったいない。