はてなキーワード: 浪人生とは
35歳まで処女だったがギリシャ人とワンナイトラブでセックスをした。
ちんこをまんこに入れることは思い描いていたような強烈な体験ではなかったが、今後2度とない体験かもしれないので覚えているうちに書き留めておく。
物語に描かれるセックスはとても魅力的にみえたしそう描かれることが多いように思う。
だから興味はあったがセックスには相手が必要なのでこれまでする事がなかった。。。でももしかすると性に関して人並みの興味がなかったのかもしれない。
ネット環境があったのにエロ動画を初めて検索したのは30過ぎてからだし、女性がオナニーをすることを知ったのは19歳の時だった。
浪人生活中のお昼休み、地下のフードコートで高校時代のクラスメイトで同じ予備校に通っていた女子が自分は性欲がないからオナニーもほとんどしないんだと言っていた。
なんと返答したかは覚えていないが部屋に帰り下宿先のこたつの上に設置されたノートPCで「オナニー 女 方法」と検索したことは覚えている。
机の角にこすりつけたり、鉄棒に登る等の方法を目にしたがとてつもなく痛そうに感じられて心底驚いた。
そんなことが気持ち良い事になるとは到底思えず信じられなかったが、しかし今にして思うとはっきりと性的に気持ち良い感覚を私は知らなかった。
性的なイラストや映画を見て乳首が立ったり若さゆえにまんこが濡れまくってパジャマまでびしょびしょになっていたが、それはじんわりとしたものでそれ以上自分の体を触って性的な気持ち良さを追求出来るとは夢にも思っていなかったというか発想がなかった。
オナニー=ちんこを擦って気持ちよくなることだったので、ちんこのない女はできないと思い込んでいたんだと思う。
男性のオナニー描写は成人向けでない漫画や小説や映画に描かれているが女性の描写は少なく、完全な成人向けの表現は当時ゾーニングもされず売っていた雑誌の印象が強く、それがあまりにもグロく映ったので手に取りたい知りたいと思う事もなかった。
3大欲求の食欲も睡眠欲も生まれてすぐに自動的に行われて実施しないと死ぬが、性欲はこれが性欲であると意識しないとわからない人間もいるし別に死なない。
多分自分はとろい。
男性から好意を示されると全く意中にないと強烈に拒絶しそこそこだと2回のデートまでは合わせるがそれ以降どうしても肉体的な接触に進む事が気持ち悪くなり逃げ出してきた。
なのでそもそも男性とセックスがしたくないのかとも思っていたがだからと言ってレズビアンでも無く自認は明らかにヘテロだった。
そして今回初めてセックスしたギリシャ人に会って分かったがセックスしたい人間に会うとちゃんと自分は発情してセックスしようとしていた。
つまりただただ理想が針の穴を通すように小さくこれまでそういう人に出会ってこなかっただけだった。
性欲が沸き起こるというよりはこの男性とならセックスが出来る、みんながしているセックスというものを私も出来るチャンスが来た、という感覚だったので性欲だったのか難しいところだがセックスが出来ると感じれた事は喜びだった。
そのギリシャ人は陸上の選手で大会出場のために来日していた男性だった。
大会中だったので20代後半の筋肉質な非常に良い身体をしていた。それに私は発情した。
セックスする前のただのファンと選手だった時に撮影した写真がありその時の自分の表情が見れるのだが、発情のお手本のように頬に赤みが差し瞳孔が開き目がキラキラと潤んでいてすごく可愛い顔だと自画自賛出来るので撮影しておいて本当によかったと見返すたびに思う。
痩せている色白の小柄な星野源や華丸大吉が好きだったので肉体に惹かれる事に自分自身でも驚いたが頭で考えたタイプではなく原始の欲求が自分に沸き起こった事が嬉しかった。
今回セックスして嬉しかったのは自分にも欲求があるんだとはっきり分かり普通の人間になれたと思えたことだった。
世の中にはセックスという美味しい物があり皆食べたがっているしほとんどの人が一度は食べた事があり又男性はお金を払えば食べる事も出来るようになっているが、女性にはリスクが大きくまたお金を出して気軽に買えるものでもなく社会的にも恋人とのセックスという物が推奨されているが、それは余りにも手の届かない存在だがしかしセックスしたいしする事が普通の人間であり皆セックスの話をするのだ。
私はセックスを食べた事がないので知識だけで得た事をなんと無く言うだけで、セックスの話はあまりしたくないけどした事ないわけではないと言う嘘つき童貞と同じスタンスでいた。
35歳まで処女だったがギリシャ人とワンナイトラブでセックスをした。
ちんこをまんこに入れることは思い描いていたような強烈な体験ではなかったが、今後2度とない体験かもしれないので覚えているうちに書き留めておく。
物語に描かれるセックスはとても魅力的にみえたしそう描かれることが多いように思う。
だから興味はあったがセックスには相手が必要なのでこれまでする事がなかった。。。でももしかすると性に関して人並みの興味がなかったのかもしれない。
ネット環境があったのにエロ動画を初めて検索したのは30過ぎてからだし、女性がオナニーをすることを知ったのは19歳の時だった。
浪人生活中のお昼休み、地下のフードコートで高校時代のクラスメイトで同じ予備校に通っていた女子が自分は性欲がないからオナニーもほとんどしないんだと言っていた。
なんと返答したかは覚えていないが部屋に帰り下宿先のこたつの上に設置されたノートPCで「オナニー 女 方法」と検索したことは覚えている。
机の角にこすりつけたり、鉄棒に登る等の方法を目にしたがとてつもなく痛そうに感じられて心底驚いた。
そんなことが気持ち良い事になるとは到底思えず信じられなかったが、しかし今にして思うとはっきりと性的に気持ち良い感覚を私は知らなかった。
性的なイラストや映画を見て乳首が立ったり若さゆえにまんこが濡れまくってパジャマまでびしょびしょになっていたが、それはじんわりとしたものでそれ以上自分の体を触って性的な気持ち良さを追求出来るとは夢にも思っていなかったというか発想がなかった。
オナニー=ちんこを擦って気持ちよくなることだったので、ちんこのない女はできないと思い込んでいたんだと思う。
男性のオナニー描写は成人向けでない漫画や小説や映画に描かれているが女性の描写は少なく、完全な成人向けの表現は当時ゾーニングもされず売っていた雑誌の印象が強く、それがあまりにもグロく映ったので手に取りたい知りたいと思う事もなかった。
3大欲求の食欲も睡眠欲も生まれてすぐに自動的に行われて実施しないと死ぬが、性欲はこれが性欲であると意識しないとわからない人間もいるし別に死なない。
多分自分はとろい。
男性から好意を示されると全く意中にないと強烈に拒絶しそこそこだと2回のデートまでは合わせるがそれ以降どうしても肉体的な接触に進む事が気持ち悪くなり逃げ出してきた。
なのでそもそも男性とセックスがしたくないのかとも思っていたがだからと言ってレズビアンでも無く自認は明らかにヘテロだった。
そして今回初めてセックスしたギリシャ人に会って分かったがセックスしたい人間に会うとちゃんと自分は発情してセックスしようとしていた。
つまりただただ理想が針の穴を通すように小さくこれまでそういう人に出会ってこなかっただけだった。
性欲が沸き起こるというよりはこの男性とならセックスが出来る、みんながしているセックスというものを私も出来るチャンスが来た、という感覚だったので性欲だったのか難しいところだがセックスが出来ると感じれた事は喜びだった。
そのギリシャ人は陸上の選手で大会出場のために来日していた男性だった。
大会中だったので20代後半の筋肉質な非常に良い身体をしていた。それに私は発情した。
セックスする前のただのファンと選手だった時に撮影した写真がありその時の自分の表情が見れるのだが、発情のお手本のように頬に赤みが差し瞳孔が開き目がキラキラと潤んでいてすごく可愛い顔だと自画自賛出来るので撮影しておいて本当によかったと見返すたびに思う。
痩せている色白の小柄な星野源や華丸大吉が好きだったので肉体に惹かれる事に自分自身でも驚いたが頭で考えたタイプではなく原始の欲求が自分に沸き起こった事が嬉しかった。
今回セックスして嬉しかったのは自分にも欲求があるんだとはっきり分かり普通の人間になれたと思えたことだった。
世の中にはセックスという美味しい物があり皆食べたがっているしほとんどの人が一度は食べた事があり又男性はお金を払えば食べる事も出来るようになっているが、女性にはリスクが大きくまたお金を出して気軽に買えるものでもなく社会的にも恋人とのセックスという物が推奨されているが、それは余りにも手の届かない存在だがしかしセックスしたいしする事が普通の人間であり皆セックスの話をするのだ。
私はセックスを食べた事がないので知識だけで得た事をなんと無く言うだけで、セックスの話はあまりしたくないけどした事ないわけではないと言う嘘つき童貞と同じスタンスでいた。
私は大学院で自然科学の学問を専攻している.現在修士課程の1年だ.
でも本当は,そろそろ社会に出て,社会の一員として働いてほしいと思っているに違いなかった.
ちなみに,大学院進学以降は親の援助を殆ど受けていない.主に自分のバイトした金と貯金と奨学金で通っている.
博士課程に進みたい,そしてまだ社会に出れなくてごめんなさいと手紙に綴った.
その返事が今日届いた.
母は,自分の人生なのだから,自分の目指す方向に行くのが一番良いと書いていた.
「でも」と手紙は続いていた.
この間世の中のことをあまり知らずに生きてきたはずです.
何かに打ち込むのは素敵なことです.でもそれだけではいけないのです.
世の中のこと,遠い国でのできごと,自然災害のこと,
自分の狭い世界に引きこもって,そういう周りの色々のことに無関心になって,想像力を無くしてほしくないのです.
世の中がどうなろうと我が道を行く,そんな傲慢さを持ってほしくないのです.
自分の外の世界で変わりゆくものごとを,心に刻んでいってほしいのです」
そう書いていた.
母の言いたいことはわかる.正論だ.
そして図星だった.
私は世の中のことに関心がない.
いつも遠い星のことや目に見えない場所で起こっていることなどを考えている.
毎日たくさんの計算用紙に埋もれ,パソコンのモニターを見つめて,
そうしていると時間が,日々が,あっという間に過ぎ去ってしまうのだ.
それでもまだまだ足りないと,切実に思う.
でも,何かの片手間に適当にやっていたら,何にも辿り着けないと思うのだ.
この余裕のない毎日に,別のことに関心を持つすき間が一体どこにあるというのだろう?
母の言うとおり,
世界には困っている人がたくさん居て,たくさんの悲惨なことが起きている.
そして私は,人の役には立たないことに毎日夢中になっている.
母が望んでいるような,世界のできごとにちゃんと関心を持ち,社会性を保ち,人の役に立つことをする
そんな人間にはなれなかった.
そして,一番ショックを受けたのが
そういう立派な人間になろうという気があまり起きない という自分自身の気持ちだった.
当り前すぎてバカにされるかもしれないが,
私は困っている人が目の前に居たら助けるし,席もゆずるし,犯罪を犯したことはないし,人を騙したことはないし,ズル休みだってほとんどしたことがない.
贅沢だってしていない.
まっとうに生きているつもりだった.
それで,今やっと好きな学問を見つけて,それに打ち込んでいるだけだ.
私の人生なのに,これだけじゃいけないのだろうか?
母の言いたいことはわかるし,そうしたほうが自分にとっても良いはずだと思うのに,
頭のどこかで,それって本当に正しいの?と叫んでいる私がいるのだ.
私はどうやって生きていけばいいのだろうか?
はあちゅうのツイッター見たらいまだに童貞をイジってて笑った。
ま、これ以上あいつに言及するのは炎上商法に加担することになるのでやめる。
でこの時期というのもあって、ふと気付いたのだが童貞と浪人生って似てるんじゃないか?
「ストレート入学=20歳までに童卒」として「一年浪人=童貞歴に+3歳」ぐらいで加算してくと丁度いい。
多くの人が身の丈にあった目標設定をして、それ相応の努力を重ねてストレート入学する。
でも色んな人に話を聞いてみると一浪(童貞でいうと21~23歳)ぐらいなら全然居る。
二浪(童貞でいうと24~26歳)になると数は減るもののまあ居るレベル。
三浪(童貞でいうと27~29歳)になってくると、そろそろヤバめって感じがジンワリ出てくる。
この辺りを突破して更に年数を重ねると周囲の風当たりがグッと強くなってくる。
「理想高い」「周りは皆もう社会人」「家族の身にもなれ」「逃げてるだけ」と突っつかれる。
・努力が足りてない
・身の程知らず、目標設定が無茶過ぎ
・そもそも圧倒的に向いてない、適性がない
で、そんな暗鬱とした奴らを見てイジってるのが一部のストレート入学した連中だ、ってことだね。
「そもそも勉強の仕方が悪いんじゃないの?w」「裏口入学(=ソープ)でよくねw」
「俺のときはさ・・・(以下自慢)」「それだけが人生じゃないよw」とか言ってるわけ。
ストレート入学組にとってはとっくに済ませた出来事なので気付かぬうちに上から目線だ。
いや、上から目線っていうか子供に接するような目線になってしまっているのだと思う。
自転車に乗ろうと練習してる子供とかに接するような感じかな。相手も同年代なのにね。
で、いつまで経ってもできないと見てる側もやっぱりイライラしてくる。
最後は「俺はこれで出来た!出来ないお前がおかしい!」っていう
高校のとき付き合っていた彼氏とは、恋に恋して「オツキアイ」を楽しんでいただけだって、今なら思うけど、真剣だった。
私が受験に失敗して、私だけ浪人したのが歯車の狂い始め。先に大学生活を始める彼と、支え合うとか微塵も思いつかなかった。一年間会わなかった。それでも机に写真置いて、待ち受けにして、我慢して我慢しての最低限のメールで必死に恋してた。
一浪して予備校に行って、志望校が変わった。滑り止めに東京の大学が入った。それが二つ目の歯車。結局また第一志望に落ちて、上京することになった。そこで気持ちがぷつんと切れた。一年間彼を心の支えにしてたはずなのに、遠距離という現実を前に、一年間会わなくても大丈夫ならそんなに好きじゃなくなったんだと思い込んだ。お互いに、納得のいかない別れ方をした。まだ浪人生という中途半端な心のままの私と、もうすぐ大学二年生になる心の彼は、理解し合えていなかった。
東京に出ると、人が多くて、慌ただしくて、華やかで、楽しいことも苦しいこともたくさんあった。それで彼との別れは押し流されていった。でもたまに地元に帰ると、彼から連絡があって、復縁の話も度々出たかど、そんな気になれなかった。いつからか、「帰省するよ」ってSNSで言わないようにして、友だちだけに個別にLINEした。彼の大学の一年目を私のために棒に振らせたとか、私が二回も受験失敗したせいで別れることになったとか、変な負い目で、会いたくないのに直接会ったときは良い顔してしまった。どんどん彼からの連絡が負担になった。
新宿のサザンテラスにあるスペイン料理を、東京で出会った男の人と食べに行こうと二人で歩いていたとき、彼から珍しく電話が入った。男の人とデートするなんてほとんどないことなのに、なんで今?!ってすごくびっくりした。新宿にいるのに地元の元彼から電話がかかってくることが、すごく不自然で、気持ち悪い、おかしなことのように思えた。全く別だと思っていた物語世界が、実はつながっていたような気持ち。歩きながら電話をとると、なんにも緊急の話題はないようだった。なんの話だったか全然覚えていない。私が何を言ったか全然覚えていない。変な罪悪感を感じてすぐに切ったことだけ覚えてる。それで、ご飯食べて、家に帰ったら、元彼は事故に遭っていた。今ならそれが最初の自殺未遂だったと分かる。
自分と電話した後だったことに変な気持ち悪さはあった。でも考えないようにしていた。ある日高校時代の彼の友人で、ほとんど面識のない相手から「付き合ってる彼氏が事故にあったんだから、遠距離でも見舞いに来いよ」という旨の連絡が入った。心底ゾッとして、私は彼と彼の友人のLINEを両方ブロックした。
それからは彼と関わらず、大学生活を過ごして、二年生で人生二人目の彼氏ができて、卒業して、就職して、そして婚約した。
その間も、成人式や同窓会、高校の友人と会うたびに、ちょこちょこと彼の近況が耳に入った。「事故のあと大学に来ていない」「単位が足りなくて留年した」「大学を辞めた」「引きこもり」「バイトをしてる」「入院してる」……。
考えないように、考えないようにしていたけど、ずっと心の奥底に黒いものが積もっていた。
婚約してから仕事を辞めて、結婚までの間たびたび地元に帰ってくるようになった。ある日実家に帰ると、元彼から電話があって母親が話したと聞いた。実家に帰ってくる日を教えたと。その日の夜に彼は実家までやってきた。
彼は全然元気そうだった。気まずかったことにはまったく触れずに、高校のときに戻ったみたいに話した。不思議なくらい、あの頃のままで変わっていないと思った。もう10年近く経つのに。それで、「なんで今地元に帰ってんの?」という質問に、「専業主婦で暇だから」と答えた。「結婚したの?おめでとう」「まだ婚約だけどね、ありがとう」多分こういう会話だった。
その日のうちに彼は首を吊った。でも死ななかった。
そのあとは色んなことがあった。私の両親と元彼の両親が互いに土下座している姿を見た。高校のときに元彼の両親とは面識があった。制服を着たまま彼の家で彼の母が作った晩御飯を食べた。あのときのおじさんとおばさんが、すっかり老けて、痩せて、小さな身体を丸めるように土下座して、私と会えないと息子が死んでしまうと、助けてくれと言った。おばさんは泣いていた。
私は眠れなくなって、婚約者の待つ家にも帰れなくなって、元彼のお見舞いに行くこともできなくて、何が何だか分からないうちに婚約破棄をした。私が望んだことだけど、望んだことじゃない。
それから何年かたって、元彼のことを本当に死んでくれればよかったのにと恨んだこともあった。でももし本当に死んでいたら、私はもう重みに耐えかねて生きていけなかったかもしれない。私の人生の歯車が決定的に狂ったのはいつだったのか、今でも分からない。どこからやり直せばこうならなかったのか、何が正解だったのか。誰が悪いのか。
やっとまた地元から引っ越すことになって、昨日荷物を整理していた。元彼から貰ったものは全て捨てていたけれど、唯一受験の時にもらった学業成就のお守りだけは捨てていなかった。というか元彼からもらったことも忘れていて、単に捨てちゃいけないものとして保管していた。何を思ったのか、ふと魔が差して、お守りの中を開けて、それで元彼からのプレゼントだと思い出した。「頑張れ👍絶対受かる!」という汚い字のメッセージが入っていた。どこで誰が間違えたんだろう。
ただの独り言です。
私は花のLJKです♡
チャラい浪人生だとかもう何年あんた医学部目指してるのって奴いろいろいるんだけど、最近一番やばいタイプに気がついた。
これ結構いる
最近いたのが、日本人なら誰でも知っている大学の二次試験まで行けたのに二次選考でマジで意味わかんないこと言って落ちた人。
一次選考がクソムズイのに楽勝な二次選考で落ちるってえ?って感じだったよ。
後々になって聞いたんだけど、その子家庭環境が複雑だったらしくて今まで多分そんな幸せになったこととか一生懸命になった経験がないんだと思う。
そいえば落ちた理由の支離滅裂っていうのははあんま言うと身バレしそうだから例えて言うと
「今何時ですか?」
「このりんごはおいしいです。」
って感じ
話を戻すと幸せになったことがないから思わぬチャンスが舞い込んできて多分びっくりしたんだろう。
びっくりして幸せっていう未知のものが怖いから多分大暴走したのかね。
私もよくやってしまう。変な風にしたらさ「今回変だったから次ここで頑張れば、受かるね、できるね」って言ってもらえるし、思えるけど
ガチで挑んでダメだったら次にすがるものがないじゃん。いつもみたいに次がんば れば が出てこないじゃん。
レバにすがって生きてる自分ですけれども、逃げたらあかんってことはわかってます。。。。
もしこれを読んでくださっている方がいたら釣りだと思ってもいいので覚えていただきたいことがあるのです。。。。
傷ついてでも進んでる人は気付いたら凄い人になってるけど、レバレバ言ってる人は傷を見ないふりしてるだけで気付いたら全身大火傷です。。。
だから、少しでも逃げないで挑戦してみようって話ね。
昨日の夜、初めて淫夢を見た。
マンションの寝室に俺と女の子がいて、二人で裸になってベッドに入った。
まず俺と女の子は体を密着させながら濃厚なキスをした。もうすでに大満足。女の子の体温が伝わってくる。幸せ。この温もりを感じることが人間が生きている理由なのかと思った。
それから下半身を触っていく。ああなんて綺麗な脚なんだ、羨ましいなと思った。
そして、おっぱいに顔を埋める。ああ幸せ。この前戯が終わった後、この女の子に俺を入れることができるんだと思うと嬉しくなった。もしかしたら入れた後に自分は生まれ変わって別の人間になるのかもしれないと思った。
いっぱい愛し合ってじゃあそろそろ入れようかとなった。だがその時、謎の男が部屋に入ってきた。俺と女の子は息を殺す。でも男はベッドのところまでは入って来ることはなかった。ドアの前で腰にタオルを巻いた状態で座っていた。
セックスは中止になった。これから入れるところだったのに、と悲しんでいたら目が覚めた。俺は枕を抱いていた。
夢精はしてなかった。だから性欲はMAX。でもこれから親戚来るし抜くのはまずいかなと思ったのでソープランドに行く妄想をした。受験が終わったら(俺は浪人生)ソープランドか新地に行こうと決意することで性欲を抑えた。彼女ができるまでは待つという選択肢もあったが性欲MAXの俺は風俗を選んだ。
でも性欲は抑えきれず親戚が帰った後、抜いた。
抜いたら、彼女ができるまでは女の子の温もりは我慢しようかなと思うようになった。お金持ってないのに風俗に突っ込むのはもったいないかもと思った。
淫夢で感じたあの温もりは自分の記憶から作り上げたのかと思うと感心する。今まで触れた女性、つまり母とか幼稚園の先生とか塾の先生とか小学生の頃に触れた女の子の感触を体は覚えていたんだな。まあ最近は全く女性と触れ合ってないから本当の感触なのかは確かめようがないんだけどね。でも多分あってる。
自分が特別な存在ではないことに気づき始めたのは中学生の時だ。そして高校生の時に自分がこの世界のモブキャラであるということを嫌という程思い知らされた。そして浪人生になる。浪人生の俺は高校で自分の凡人さを思い知らされたくせに
「俺はモブキャラじゃなくて何か特別な何かがあるんじゃないか」
という願望を捨てきれずにいた。もうほとんど諦めてはいたけど自己啓発書や成功者の書いた本を読むことで自分が凡人であるという現実から目をそらしていた。
そんな時にクリスマス生まれが結構多いということを知った。そしたら「ああ自分は誕生日も普通なのか、名前もよくいる名前だしやっぱり俺はモブキャラなんだな」となぜか納得できた。
大学入試も近くなり,自由登校なのか浪人生なのか知らないけど,駅前の喫茶店で私服で英語の参考書だったり数学の問題集広げてる男子高校生.
制服着てないのに,ひと目で高校生って分かっちゃうのはなぜかって,机の上に広げた本たちには見向きもせずにスマホに熱中してるから.
まぁスマホに夢中なのはこの際特にどうだっていいんだけど,とにかく高校生って喫茶店で勉強したがる.
私も当時は喫茶店で勉強したがりだったから別にいいんだけどさ.わかるよ,少し人間的な雑音が入ってる方が集中ってできるもんね.私なんか今でも喫茶店で作業しちゃうし.
よく見る彼らだけど,それとは別に気になることがある.
すごい周りをキョロキョロするのはなぜ?
喫茶店にいる高校生ってすごい挙動不審にさ,物音がする度にそっちのほう向いたり,数分おきに顔上げて左右確認したり,ひどいときには後ろ向いたりしてる.
特定個人じゃなくて,今まで遭遇した赤本とかにペン走らせてる高校生多数がそうなんだよね.
イヤホンもしてるはずなのに,素早く音を拾って「どうしたどうした??」といった具合に反応する.
集中できていないのか,喫茶店の環境に慣れていないのか,それともそれほどまでに周りの客の反応が気になるのか.
作業中に彼らが常に視界に入るような位置に座っていると,一動作ごとにチラついてひどいときにはこっちまで能率下がってしまう.
取り留めもないことだけれど,今斜向いに座ってる彼が今まで以上にすごい挙動だったので書いてみた.
自分は鼻が高いオッサンなので、立体型やらなんやらのマスクを買っても盛大に曇る。
今日みたいに寒く小雨がパラつく天気の時は最悪で、電車に乗ると勉三さんになってしまう。
「うー何も見えん」
と心の中で呟いていると、
「あの人眼鏡曇ってる」
「本当だーウケるー」
窓が曇ってもウケないのに。
うーんと考えていてふと思い出した。
眼鏡をかけていなかった学生時代に、自分も眼鏡を曇らせた友人を見て、
「ウケるー」
と言っていたことを。
その時自分が何故笑ったかはちゃんと覚えていて、曇らせた友人は先程出て来た勉三さんに似ていたからだった。
詰襟の学生服を着用し、レンズの分厚い牛乳ビンの底のような眼鏡をかけている。
初めは浪人生であったが、六浪の末に高尾大学経済学部に入学する。夏冬問わず詰襟の学生服を普段着としている。
出身は山形県で、純朴な性格。物語中盤頃から東北弁口調になる。キテレツをはじめとする子供たちには優しく、ちょっと頼りないお兄さん的存在。
こんな感じの人。
今は全く面白いと思わないけど、
6浪
ビン底眼鏡
東北の訛り
という極端な設定が小学生の頃は笑えたのだ。
これがきっかけで、
眼鏡曇る=勉三さん
という単純な式が出来上がった。
でも、今の若い娘達は勉三を知っているとも思えないので、誰をイメージしてウケると言ったのかが気になった朝の電車。
私は浪人生の頃、地元のガソリンスタンドでアルバイトをさせて頂いておりました。
そこは近年稀なセルフでないスタンドで、よってガソリン価格こそ高かったものの、時給も悪くないし、働いている人たちも優秀だと思えるような、いい職場でした。
SSというのは車が来る時と来ない時の差が激しく、その時は私が一仕事し終わった後の事でした。
いつもの様に勤務に励んでいると、職場の大先輩(正社員)がこういう様な旨を話してきたのです。
「ああそうだ。この間君のお母さんがここに入れに来て会ったんだけど、なんていうかガソリンを社員割で当たり前のように入れてもらうってのは、違うと思うんだ。僕の前いたスタンドではガソリンの割引なんて、させてもらえなかったしね笑」
それを聞いて私は何か、申し訳なく思いました。と同時に、こういった私へのアドバイス(というより人生の先輩としての教え的な言葉──さらに付け加えるなら、この職場は良い意味でルーズで、働く上での方針や心意気なんかの統一はなされてなく、だからこそそれぞれの人の言うノウハウなんかを総合的に受け取って私は働いていた)は日々少なくなく、その方は歳も歳だし(定年後の再就職で、私より一つ前に入ってきて間もない人)、甘んじて受け入れる事もできたのですが、どうにも何かおかしい。
私の母はそんな、その人が快く思えない態度を取るハズがない。
そう言いたかったがしかし、実際に自分が対応している訳ではない(本来なら身内の社員割においては当の本人である自分がその車の全てのサービスを任されるのだが、その日は自分のシフトではなかったのだ)ので、本当のところどうなのかも分かりかねない。
仕方なく私は、
「なんかすみません」
と言いつつ、先輩の
という笑い混じりの軽い忠告を聞き流しながら、これは一応話しておくか〜、とか思ったのだった。
「今日こんな事言われちゃったからさ、ま〜これからも、どうかよろしく頼むよ?」
そうそして精一杯の私のオブラートは、無残にも瞬く間に溶け散ったのです。
「えっそれどういうこと? 私が何かしたってワケ?(……云々」
まあ軽く終わるだろうという謎の期待は思い込みに終わり、議論は続きました。
「私はいつもと同じ様に、ポイントカードを渡して現金で満タンを頼んだだけだ。強いて言うなら、このように息子はもう受験が近くてシフトがあまり入ってなく、だからこそ私は別に社員割で入れてもらわなくてもいいと思っている(あんたが働く前からここには普通に入れに来ていた訳だし)」
なるほどあの人には、この母の態度が何か、横暴に見えたのかもしれない。その気持ちは大いに分かり得る。
しかし、この出来事は、果たして伝えるべき事だったのだろうか? と、そうも思えるのだ。
あの人は確かに「こんな事は親に言わなくていい(伏線)」と言っていた。だが本当に言わなくていいのなら、そもそもこんな話題は振らないんじゃないのか──人間とはそういう生き物ではないのか?
──話は続く。
その夜床に入る前に、以下のLINEが届いた。
私の母にしてみればこんなような長文のご高説はかなり頻繁に来たりもしていて、別段驚愕を呈するものでもないのだが……
それから先程の話ですが、やはりその人の言うことはおかしいと思います。
上司の立場でおまえに対して何か注意をするというのならわかりますが、私は客です。
従業員の家族であることを申告しなかったのは、家族割を希望していなかったからであり、当然のように割引を受けるつもりだったわけではありません。
私がその人の立場だったら、お客様から申告はなかったけれど従業員のご家族であることに気づき割引をした。
仕事人としてその、気の利いた対応を誇りに思いこそすれ、申告しなかったお客様を責めるようなことは考えられません。
よってその人には、次回から家族申告がなかった場合は割引の必要はないとお伝えください。
本当は大変不愉快である旨伝えてほしいところですがおまえの立場ではそれはできないでしょうから結構です。
正直とても気分悪いです。
そうだいいことを思いついた。
おまえこう言えよ。
実は困ったことになりました。
この間の件母に話して態度を改めてもらおうと思ったんですが、母が申しますには、自分は横柄な態度を取った覚えはない、割引をしてもらってちゃんと礼も言ったはずだ、従業員の家族であることを申告しなかったのは、最近僕があまりバイトに言っていないので割引してもらうのは悪いと思ったせいだ。
それで母はすっかり気分を害してしまって、自分は従業員の家族である以前からここの客であるのに、その接客姿勢は許し難いと。
で、本社に電話して先輩の名前を出して苦情を言うと息巻いているんですが、いや〜どうしたらいいですかね。
で、その先輩の名前は何だ?
あと言っとくと、おまえがあそこの従業員である以上、おまえにとっても私は客だ。
金払ってガソリンを入れている。
そのことを忘れるな。
──流石にここまで極め付けな文章を送られると、人間とはこうも気が滅入るのか。いやそれはお互い様なのかもしれないが、私にはもう、二言返事で終わらせることしかできなかったのだった。
いやあ別にどうでもいいんだけどさ、正直何か、冷ややかな目線を感じるし、「お客様」以前に
人間じゃん? 従業員ってそう見てるよ。疲れてるね!(俺も!)寝よう!!
おやすみ〜〜〜☆ミ
了
朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。
幼稚園時代
朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。
確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。
母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。
小学校時代
基本的に間に合わない、起きれない。
小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。
中学校時代
ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。
無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み、冬休みの部活の練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から、学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。
高校時代
眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないかと医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリンが規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。
死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。
浪人時代
再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族からも批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。
英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田や慶応、マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから、大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか。
いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。
昔は大学を卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。
もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器。
志望校は、早稲田や慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活を意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴の学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)
受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。
サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルでボーカルとギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラスの経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店のバイト。ギターを習う。ボランティア。読書会。浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。
就活
大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。
まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。
結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。
自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか。椅子に座ることが苦手だから、事務職は視野に入れなかった。
確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。
最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。
販売職時代
数年前炎上したブログに、「社会の底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的にギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定の就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。
一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿や愛嬌、コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からのキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。
色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。
専業主婦時代
本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。
ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。
しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。
「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」
他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。
そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。
やっぱり私はダメなのかな。
そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険の営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険の営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。
保険屋時代
最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である。
相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。
しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料やお客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。
1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェや図書館で時間を潰して、適当に報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。
数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。
私は愛嬌で保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険の知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージがしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。
この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。
最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。
私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。
私はいつだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。
私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。
ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那が高収入だから、基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からないから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。
いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。
欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。
誰がこの増田を読んでいるか分からないけど、読んでくれた人、ありがとう。
【追記】
書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。
反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。
ありがとうございます。普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます。
・元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について
まずは、ご意見ありがとうございます。
あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。
匿名ダイアリーだからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田の醍醐味だと思います。
知り合いには誰にも見せない日記だから、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本は謙遜する文化だから、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要なファクターでした。
正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。
この記事のコメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。
だから、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。
自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。
あと、ちなみにイージーモードではありません。
それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンだから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます。容姿の良さが仇となることもあるのです。
血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。
大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。
むしろ今の会社の上司が、女性の営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います。
起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。
・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う
私もそう思います。そもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。
あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。
・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった
自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那と暮らしてから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います。
・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも
そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいます。コメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います。
以下を読んだので意見を述べたい
https://togetter.com/li/1172284
https://togetter.com/li/1172310
この記事を書く目的はクリエイターに関する理解を深めて欲しいからである。
①発議者は業界の賃金問題の話なのに「お前は下手、私は上手い」とクソリプとばしている森次は論旨を理解してない
②しかし森次の絵は実際上手い。ポケモンのメインキャラクターもデザインしているようだ。絵描きとしては天才だけど性格が壊滅的に悪い人なのだろう
①については特に異論はない。しかし②について、つまり森次氏の実力については意見を挟ませて欲しい。
私の結論として森次氏の表面的な作画能力は天才的なレベルとはいえず、業界内基準でいうなら凡庸程度。過去の仕事をいくつか検索させてもらったがカードイラストに関しては良くて「まあまあ」、絵画作品は「少し下手」という評価をしている。絵が上手いか、下手か、という話は抽象的な議論に聞こえるが、プロの作家や編集からみると顕著に評価がわかれる。もちろん理由セットで。プログラミングが分からない人に “Hello World” を表示させるコードを見せたら、さも難解なことをしているのだと思われるのと同じことだと思う。要するに無理解から来る尊敬だ。
特に話題になってたのが高校生の時に描いたというエビの絵だ。10代でここまで描けるなんて天才だろうという意見が多く出ていた。これは本人も言っているが模写である。「模写だったとしてもすごい」という人もいるかもしれないが、美大受験レベルの高校生であればざらにいるレベルである。上位20-30%には入っているかもしれない。ただ模写はやってみるとわかるが想像以上に上手にかけるので、あの絵を正しく評価するには現物をみるしかない。多摩美や芸大の油絵科の学生に、この絵を見せても「天才」と思う人はおろか「なんで学生時代の課題を公の場に晒しちゃったのかな…^^;」という反応が来ると予想する。ただ素人目にみるとすごく見えちゃうので、そこを堂々と出してくるのが逆にすごいというか、まともな神経なら恥ずかしくてできないんだけど。
これはゲーフリの開発体制を知らないから想像でしかないのだけど、恐らく一人のスタッフがキャラクターデザインをピンからキリまでやらされることはないし、何を持ってして「デザイン」と呼ぶかにもよる。大げさにいうなら「髪は緑」というコメントを出してそれが採用されるだけでも「デザインをした」という実績といえる。さすがにそのレベルの実績をプロフィールに書かないだろ!と思いもしたがエビの件をみるとあり得るのではと勘ぐってしまう。
気になった言葉なのでプロフィールから抜粋した。そもそも予備校で飛び級の意味がわからないが、言い方の問題で、浪人生のクラスに混じって高校の頃から授業を受けていた、ということなのではないか。これは本人が希望して時間の折り合いがつけば普通にできる。私も美大浪人したがクラスに1〜2人は高校生がいた。
「自分もアニメーションに関わってるから適当に発言しているんじゃないよ?」アピールが入っている。映像の仕事はアニメと3DCGで技能もツールも全く異なる。自分の仕事領域を明確にしてないので色々謎。発議者は「自分の仕事は動画」だと明言しているのでこの話はフェアじゃない。この件がどうだかわからないが、大して重要なポジションにコミットしているわけでもないのに「私は〇〇の仕事をした!(実際にはデバッグをやっただけ)」というクリエイターは珍しくない。
〜
細かく突っ込むと他もいくつかあるがとりあえずはこんな感じでしょうか。なにか質問あれば追記します。
普通、美大やゲーム会社で育つとまわりに上手い人いっぱいいるので「いや〜私なんてまだまだですよ…」となるのだが。本当にものっっっそい上手な人でも謙遜するくらい化け物クリエイターばかりの世界なのだが。彼女の場合、そういうのをみじんも感じないので素で自分の実力がわかってないのかもしれないし、そういうロールなのかもしれない。しかし周りもその自信に怖じ気づいて「天才なんだな」って同調しているのがわりとつらい。
twitterを見ていると美少女イラストに対してのリテラシー(可愛いor可愛くない)はとても高くて私も嬉しいのだけど、少しジャンルはずれると(特にリアル描写系)「よくわからないけどすごい」のような評価になってしまうのが少し残念に感じる。あと森次氏の比較対象としてあきまん氏が挙げられてたけどあきまん氏の方が性格の悪さも技術力も万倍は上だろう。それくらい差がある。
相次ぐ法科大学院の募集停止という記事が新聞に掲載されたのを見て、筆を執りました。
では、法科大学院制度は崩壊大学院…もとい制度として失敗だったのか?
結論から言うと、個人的には失敗だった(但し改善すれば救いはある)と思います。
…等とそれっぽい書き出しですが、人によってはただの愚痴じゃないかと思われるかもしれませんので、チラシの裏の落書き程度に思って頂ければ幸いです。
但し、チラシの裏と言いながら、ちょっとしたレポート並に長いので注意してください。もはや日記ではないのだ。
後で時間泥棒と言われたくないので、先に分量だけお伝えすると、400字詰め原稿用紙で7枚ぐらいです。
それでも読んでやるよという心の広い方はどうぞ。
ちなみに、読まなくても何の支障もない書き手のスペックはこんな感じです。
・合格率の低さから初年度で司法試験に受からなかった場合の不安を感じ、今年の3月から2018年卒として就活を開始。
一言でまとめると、こんな感じです。
年度にもよりますが、法科大学院全体で見ると基本的に三割から四割です。
合格率が高かったのは制度開始の初年度以降数年で、ここ最近は大体三割程度です。
(詳しくは法務省等が公開している受験者データを見てください。
ちなみに直近の平成28年度試験では受験者数(途中欠席者含む)6899名に対して最終合格者は1583名でした。)
なぜ法科大学院生の合格率が低いのかについては、よく言われる予備試験の方が本試験より難しいから
予備試験合格者の合格率の方が高いのは当たり前、という意見以外にも現役生なりに思うところは多々あるのですが
(一つ考えている事として、法科大学院のカリキュラムと司法試験で要求されている事が噛み合っているのかという
問題点があるのですが、今回は指摘するだけにとどめて、あたうならば誰か別の人が検討してくれるのを待ちたいと思います。)
自分が法科大学院は崩壊大学院か?などと言うつまらないダジャレを入れながらも問題提起したかった事は、断じて合格率の低さではありません。
真に憂慮すべきは、合格率が低いとどうなるか、という問題です。
仮に、5年で5回、全てのチャンスを使い切ったとします。
(現在法科大学院を修了した場合の司法本試験への受験資格は5年で5回までです。)
大学からストレートで法科大学院に入学、修了した人を想定した場合、その時点での年齢は30歳前後。
司法試験を志す途中で何か資格を取るか、国家公務員試験や地方公務員試験に合格しない限り、最悪の場合、厳しい言い方ですが
社会人経験も仕事に役立つ資格もない、ただ司法浪人生の肩書きだけが残るのです。
この時点で就活をしようとしても、非常に厳しいと言わざるを得ません。
中途採用は基本的に職歴のある事が前提なので、大学からストレートで挑戦した法科大学院修了生には無理な話です。
(よくこう言った場合の法科大学院生のキャリアとして、パラリーガルという選択肢が挙げられます。
しかし一般企業の正社員と同じような待遇で雇ってくれる事務所がどれだけあるのか、大変疑問です。)
では、司法試験はキリの良い所で諦めて、進路変更した場合はどうでしょう。
大体は結果発表までの4ヶ月の間で事務所や一般企業の法務などへ就職活動を行うのが一般的です。
しかし、事務所や一般企業の法務もそう受け皿が多い訳ではありません。
特に、法律の勉強をしていても、実務においては全くの未経験者である法科大学院修了生が
万が一、不合格で資格が取れなかった場合の事を考えると、法務職に就けない人の数もそれなりの数出る事になります。
そうなった場合は一般企業への総合職や一般職での就職活動をする事を考えるのですが、問題はそこにあります。
普通の新卒・第二新卒の採用は、司法試験受験生が就活を始める6月あたりから、既に内定が出始めているからです。
つまり、司法試験を受験した修了生は、どうしても世間一般の就職活動に乗り遅れる形になります。
自分は、以上の理由から、在学中に一度就職活動をするという選択肢を取り、今年の3月から実行しました。
しかし、今の法科大学院は在学中の就職活動など想定していません。
面接や筆記試験を理由とする欠席は考慮されないので、下手をすれば単位を落とします。
(就活で一番大変だったのは、このスケジュール調整だったかもしれません)
そして就活をする中で、自分は必ず『来年の5月に司法試験を受験する予定です。しかし、合格してもそのまま勤め続けます』と言いました。
大変ありがたい事に、『働きながら受けるのは大変だと思うけど、頑張ってね』と励ましのお言葉を賜りました。
不採用の理由の全部が全部、司法試験の受験だとは思っていません。
ですが最終面接まで進んだものの、やはり司法試験の受験は諦めないと伝えた所、不採用になった事もあります。
また、はっきりと『受験するなら、合格した場合修習に行ってすぐに辞めてしまう可能性があるので採用できない』と断られた所もありました。
黙っておけばよかったのに、と思われる方もいるかもしれません。
しかし、こういう事で嘘を吐くのはなんとなく自分が今まで学んできた事を裏切る気がして嫌でした。
まあこういう頑固さも就活的にはマイナスポイントだったかもしれませんね、ガハハ!
どんなに努力して勉強しても、その努力が実らない可能性もあります。
その時どうするか、それを考えた上での就活でした。
今年は幸い売り手市場、自分のようなどっちつかずのクソ優柔不断ダメ人間でも何とか一つは内定を頂きました。
しかし、今後どうなるかはわかりません。
だからこそ、法科大学院、ひいてはそこに通う学生は、合格率が低いという現実をまず直視する事。
そして仮に司法試験を諦めた時、どうキャリア形成していくのか、在学中から真剣に向き合う事も必要だと思います。(大きなお世話かもしれませんが)
例えば、法科大学院のカリキュラムの中で、資格を取れるようにするか、一部の資格を単位認定に代替する。
或いは、法科大学院修了の資格に、もっと意味を持たせる、など。
(個人的にはパラリーガルの資格の一つとして法科大学院卒の資格を採用してほしいところではありますが…
法律を専門的に学んだ人は、長い目で見れば減少するかもしれません。
だからこそ、今後法曹資格が取れなかった法科大学院生でも、それまで学んだ知識を無駄にせず、活かす方向で活躍の機会や場所が増えればいいなと思います。
以上、多分に私情や愚痴混じりのチラシの裏をここまでお読み頂きありがとうございました。
最後に、ここまで読んだ中にもしロー生がいたら、この一言を贈ります。
とりあえず目先の定期試験、頑張ろうぜ!
服飾系専門学校に行った友達は、嬉しそうに留学生との交流を話してくれる。
偏差値50程度の総合高校からまぁ名前は聞いたことはあるくらいの四年制大学に行った友達は、未だに他の同級生をけなしている。
就職した同級生達はみな、飲み会をしたり、車を買ったり、大変な中でも自由を謳歌しているようだ。
浪人といってもカリカリと机に向かうわけでもなく、美術系進学のための予備校で毎日絵を描いている。所謂美大浪人生だ。
私が今通っている予備校には、様々な人がいる。
現役の美大生で、上京して一人暮らしなのでお金がなく、鬼出勤している人。
六浪して美大に入った人。
美大を卒業したものの、特にやりたいこともなくなんとなく予備校で先生を続けている人。
私は今、浪人している。
と思った人は多いかもしれない。
その人はまだ広い世界を見ておらず、様々な人間がいることを知らない。
あなたのことを笑う人がいるとするならば、その人は無知だし他人を理解する能力を身につけていないだけだ。
あなたは何も悪くない。