はてなキーワード: 希望とは
『機械』
夫との関係に「離婚」という選択肢が浮かび始めたのは2年前、長女が18歳になった頃からだ。
大学生になってから、気の強いはずの長女が泣いて帰ってくることが度々あった。学校やアルバイト先で、人の輪にうまく溶け込めず悩み続けていた。彼女は傷つきやすい子供の心を抱えたまま、大人になろうともがく渦の中にいた。
娘はぼろぼろと泣きながら、何時間もかけて胸の内を私に語り続けてくれた。私はひたすらうなずき、一緒に涙しながらその話を聞いていることしかできなかった。
「……もし、どうしても解決しないようだったら、私からお父さんに相談してみようか?」と、私は尋ねる。
「ううん。それはいい」と娘は、生理的な嫌悪感をふくんだ表情で、はっきりと言う。
「……お父さんはどうせ、何もわかってくれないから。絶対に、言わないで」
私はその返事に戸惑ったような表情をしながら、どこかで娘の言葉に、正鵠を得たような爽快感を感じてもいた。
夫への、積み重なり続けた違和感に耐えられなくなってきたのは、いつからだろう?
20年前、長女を身籠ったタイミングで私は退職し、それからは専業主婦として家庭のことだけに集中させてもらっていた。
夫は必死に、私と3人の子供を抱えても不自由がないほどに稼いできてくれた。会社までかなり遠いこの場所にも引っ越してきたのも、子供たちのことを考えての決断だった。毎日の通勤は都心に暮らしていた時と比にならないほどの負担だったろうけれど、彼はいちども愚痴を吐かなかった。
毎週ではないけれど、彼に余裕があるときは子供たちを連れて遊びに行っていってもくれた。私に負担がかかりすぎないようにと、積極的に家事も手伝ってくれていた。
体力的にしんどい日々が続いていたけれど、彼は父であるということに真剣に向き合ってくれていた。客観的に見ても彼は、完璧な夫だった。
それなのに。私は、子どもたちが巣立った老後を、夫と一緒に暮らしていくイメージが全く持てなかった。
いつからだろう。「本当は夫は、私なんて見ていないのではないか」と思うようになったのは。
彼の何気ない言葉に、ATMで流れるの自動音声のような、わずかな不気味さを覚えるようになったのは。
彼は、決して弱音を吐かなかった。どんな逆境でも、家族のために感情を排し、立ちはだかる問題を解決し続けてきてくれた。
まだ籍を入れる前の、学生時代のこと。私の親族に金銭トラブルが発覚し、その影響が私にまで降りかかりそうな事件が起こったことがあった。
私はあまりに複雑な状況にパニックになり、すすり泣くことしかできなかった。そんなときでも彼は、私をまっすぐに見つめながら、力強く励ましてくれた。
彼はそう言って、学生カバンからルーズリーフとボールペンを取り出して、私に示した。
「ここに、関係する人たちを図にして書いてほしいんだ。分かる範囲で、大丈夫だから」
私は震える手で彼に言われるまま状況の相関図と経緯を書いた。彼はその紙を手に、役所や法律の専門家を探すために奔走してくれ、数週間後にはすっかり問題を解決する筋道を示してくれたのだった。
私はその時、「この人となら、家庭を持てる」と確信を覚えた。私がどうやっても手に入れられない「強さ」を、彼は持っている。
その直感は正しかった。この20年、子どもたちを生み育てるパートナーとして、彼以上に私にふさわしい人はいないと断言できる。
──それなのに、私の心は、彼に対する冷酷な感情を押さえつけることができなくなっていた。
籍を入れてから月日が立ち、夫の役職が上がるにつれ、彼の仕事の責任は増えていった。理不尽と理不尽の狭間に立たされ、膿んだ傷口を埋める脱脂綿のような仕事ばかりが増えていった。
ある時、いちばん仲の良かった同期が社内である問題を起こし、夫が同僚に解雇勧告をしなければならないことがあった。
彼は悩みながらも、それをやり遂げた。その日の夜、彼は珍しく強いお酒を飲みながら「あいつには、障害を持った子供がいたんだ」と私に言った。
「馬鹿なこと、させやがって」と、夫は言った。それは誰に向けられた言葉なのか私には──たぶん夫にも、わからなかったと思う。
そうして徐々に、彼は学生時代よりはるかに「強く」なっていった。夫の決断によって何十人、何百人もの人生が大きく変わり、その規模は日を追うごとに、どんどん大きくなっていった。
実際には、夫はなにひとつ決断しておらず、ただ上から降りてきた決定を実行していただけに過ぎなかった。けれど夫は職務上、それが自分の意思決定であるように振る舞う必要があった。彼自身も、そう思い込むように意識的に努めていた。
それはきっと、彼の心を守るための自己洗脳でもあったのだ。ひとりひとりの人生に誠実に心を痛めていたら、数日で精神が砕けていただろうから。
夫は出勤前にいつも、鏡の前で目を閉じ、ぐっと唇を噛んで何かを考えていた。鏡越しにみえるその表情は、映画の西部劇に出てくる、灼けたフォークで傷口を塞いで止血するガンマンを思い起こさせた。
彼はそうして、あらゆることを数字に置き換え、複雑な世界を解決可能な課題に分解し、それ以外のものは一切、存在すべきでないものだと考えるようになっていった。次第に、私達に対しても社員に対してと同じように振る舞うことが増えていった。私たちとの会話の枝葉を嫌って、最小の言葉で端的な結論だけを話すように求めた。迷いや矛盾を指摘し、論理的かつ客観的な物言いをするよう子どもたちに強い言葉で指導し続けた。
「彼は、こんな人だったのだろうか?」と、考える夜が、どんどんと増えていった。
言葉にならない違和感が自分の中で膨らんでいき──「離婚」の二文字に、救いを感じるようになっていった。
──そんな、ある夜。娘が20歳になり、私と夫はこれまでの日々を振り返るような会話をしていた。
夫は満足そうな表情で、「ようやく、『育て上げた』って感じがするなあ」と、しみじみと呟いた。
その言葉に私は、歯の神経に氷を当てられたような嫌悪感を覚えた。
育て上げた?
気づけば私は、数十年の積もり積もった違和感に耐えられなくなり、ダムが崩壊したように彼に反論をしていた。
「……正直、あなたと『子供を育てた』という感覚はないの。まるで自分が育てたような気持ちになられるのさえ、不愉快」
私は、私の中にある違和感を必死に言葉にしようとした。私は言葉が下手だけれど、夫と対話するなら、一日でも早いほうがいい。衝突を先送りにしていくうち私の心が限界を迎え、「離婚」の選択肢を選ばざるを得なくなるより、ずっとましだと思えた。
妊娠中に体調が優れなかったのに彼が飲み会に行ったとき、私は井戸の底に放り込まれたみたいに寂しかった。
夜鳴きがひどかったのにあなたは、いつものように眠り続け、起こしてはいけないという気持ちと、押し付けられているという理不尽さの中で、湧き上がる自己矛盾の葛藤で心が壊れそうだった。 3人の子供がそれぞれ別のことで泣き喚いていた時にテレビを見ているあなたに、くだらない育児はお前の仕事であって俺の仕事ではない、という無言の圧力を感じ、絶望を覚えた。
私は彼に謝ってほしかったわけでは無い。ただ、ほんの少しでいいから彼に、私の感情を想像してほしかった。彼が仕事で、どれだけ過酷な世界を生き延びてきたのか、私には本当にはわからない。だけど私は、彼の心の痛みを想像することは決して手放さなかった。だからこそ、何があっても彼と生きていこうと思えた。ただ私は、私が子どもたちに対して20年間そうし続けてきたように、「大変だったんだね」と、私の感情に触れてほしかった。
これまでの私達は間違いなく、背中合わせで敵と戦いつづけてくる最高のパートナーだった。
けれど、これからの人生に、大きな敵はもういない。それなのに彼は、私に背中を向け続けたまま、私でなく敵を探し続けている。彼と一緒に次の人生を生きていきたいからこそ、そんな彼に、本気で変わってほしいと思った。
夫は取り乱すように話す私に、かなり強く動揺しているようだった。
リビングは気まずい沈黙でいっぱいだったけれど、私は、彼の心がすこしでも動いたことに、僅かな希望の光を感じながら、眠りについた。
──数日後。
夫が、「この前の、ことだけど」と私に話しかけてくれた。
「実はあの日のことが、すごく衝撃で。それで──ある人たちに、相談してみたんだ。君への賛同の意見、僕への批判の意見。いろいろと本音で言って貰って、考えさせられたよ」
「そう……だったの……」
「僕のあの日の言葉は、君に誤解を与えてしまう表現だった。ごめんよ。……これからもっと君と、本音で話し合っていきたいと、そう思ったんだ」
「!……そんな……」
私は夫のその言葉にとても驚き、喜びの感情が溢れてきた。彼はこれまで、他人に相談なんて絶対にしなかった。きっと彼は、私とのこれからの人生に真剣に向き合って、変わってくれようとしているのだ。そう感じ、涙が出そうなくらいに嬉しかった。
次の言葉を待つ私に、彼は言った。
「そもそも、君の中では育児の実働だけが育児の範囲であり、その裏の予算の調達はプロジェクトとは独立した業務だと捉えていたんだね」
「……え?」
私は、彼が何を言っているのか、全く理解できなかった。
「その点ついては、僕の言葉が正確ではなかったかもしれない。とはいえ、育児の成果を君だけのものだと捉えるのは、違うと感じもしたよ」
彼は、そう言って立ち上がり、冷蔵庫に麦茶を取りに私に背を向けた。
「率直に行って、君の発言は支離滅裂で、意味を成していないかった。それでも多くの同意が集まるのに、素直に驚いた。──多分もう二度と相談することはないけど、いい体験だったよ」
いい年こいてボカロ曲にはまった、というはてな匿名ダイアリーを書いた。でも全然自分もそんなにたくさんの曲聞いてないし、何よりミリオン以上再生されている曲なんてざらにあるし、他にも詳しい人や好きな人もいるだろうと「なんか好きな曲あったらトラバとかに書いて」と末尾につけた。
それが気に食わなかった人がいるらしく、トラバで突然「その行為はなんとかベイト(自分が忘れてしまったごめん)に当たり不愉快である。お前は死ね、できるだけ苦しんで死ね」と書かれて非常に驚いてしまった。
驚きポイント①
別に何か自分に利する方向に持って行ってるわけでもないのに突然「悪意をもってその行為をやってる」と受け取られたこと
驚きポイント②
不愉快だったにせよ「死ね」「できるだけ苦しんで死ね」とまで言われたこと そこまでのこと?
自分が「死ね」なんて呪詛の言葉を吐くことなんてほぼないし(退職するほどパワハラ受けたときくらいだ)できるだけ苦しんで死ねなんていくら匿名とはいえインターネットで思ったこともない。
一応誹謗中傷というか暴言を吐かれたので、はてなの問い合わせに投げておいたら、その効果だったのか、本人が撤回したのか分からないけど、今朝見たらそのトラバは消えていた。自分的には一件落着だけど、初めて「死ね」「できるだけ苦しんで死ね」みたいな呪詛吐き人間に出会ったので驚いた。
増田ルール違反なのか読んだ人間の個人ルール違反なのか知らないが、まあ人に呪詛じみた言葉をかけるのはやめておいたほうがいいし、しかも犯罪自慢とかなんでもない記事に言われると自分は怖いより「勝手にエスカレーションしてびっくり」の方が強かった。犯罪自慢とか自分が相手の親類縁者友人恋人を殺害したなどをしなければ「苦しんで死ね」なんて言われないだろう。
「できるだけ苦しんで死ね」のトラバ消えてるなと思ったらはてな運営が消したのではなく、書いた人間が自主的に消した模様。
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マジか〜はてなすごいっすね!
精神病質者かつ音に対し極端に過敏だった男
1. 苦情は言っていた:
1974年4月ごろには一度妻とともに「自分が在宅しているときはピアノを弾かないで欲しい」と申し出たこともあったが、その後も被害者宅ではピアノを弾くのをやめなかったため、Oは次第に「ピアノを弾くのは自分への嫌がらせのためだ」とも思い込むようになった[4]。
2. 妻との離婚が決まっていた
事件1週間前には「親のしつけが悪いからまず親を殺そう」と犯行機会を窺いつつ[33]、凶器の刺身包丁・ペンチ・背広・ガーゼなどを購入していた一方[36]、このころには妻が離婚話の相談のため八王子市内の実家へ帰っていた[32]
1974年8月28日7時15分ごろ、加害者O(事件当時46歳)は階下の被害者方で響いていたピアノの音で目が覚め起床したが、それまでの経緯などからピアノの音を非常に気にしていたことに加え、それまでは9時過ぎにならなければ鳴らなかったピアノの音が朝早くからなり出したことに憤慨した[37]。また前日に挨拶に来た女性に対し自分がBの悪口を話したことを思い出し「Bが自分への嫌がらせ目的で子供にピアノを弾かせている」と邪推したため、Bへの憤りを抑えることができなくなったOは女性B(事件当時33歳)・長女C(同8歳)[注 19]・次女D(同4歳)をこの際一気に殺害しようと決意
井本は4月13日に東京拘置所で被告人Oと面会して特別抗告するか否かの意思確認を行ったところ「抗告しないでほしい。もうこれ以上(裁判で)争わず死なせてほしい」と回答されたため特別抗告を断念し、抗告期限が切れる1977年4月16日をもって正式に死刑が確定した[71]。
その後、同会は200人の会員を集めた会合で被告人Oの刑事裁判を支援することを決め[27]、計100通近くの嘆願書を集めて提出したが、これは被告人O自身が証拠採用を拒否した[57]。
望んだ死刑は行われず今や最高齢(2024年96歳)死刑受刑者である。
しかし、死刑囚O(現在96歳)は自身の希望に反して未だ死刑を執行されておらず、死刑確定から43年が経過した2020年(令和2年)9月27日時点でも[72]、死刑確定者として東京拘置所に収監されている[9]。また、2012年(平成24年)4月時点までに再審請求を起こした事実も確認されていない[73]。
君は哀しいほどに読めてないんよ。
元増田はこう言っていてさ。
どこまで試したら素直に引いてくれる?
北海道で確認したら食い下がる人もいなくなるんじゃないかなーって希望を持ってるんだけど、どうだろう?
どう言ったら「そっか…」ってサラッと認めてくれるようになるか、わかる人いるかな?
で、君はあさっての方向のかみつき方をして一人カラ回ってんのさ。
「お前は国語力がない!」は例によって例のごとく根拠レスで言い張ってるだけだし
スーパーのウニ、出前のウニ、港町の寿司屋と折を見てステップアップ&確認をしてるんだけど、美味しいとは思わないし、それが覆る気配がまったくない。
でも、そう言うと必ず「それは美味しいウニを食べたことがないからだ」って人が“ボットかな?”ってレベルで現れて同じことを言う。
何度も試してると言ってもなぜか通じない。
どこまで試したら素直に引いてくれる?
北海道で確認したら食い下がる人もいなくなるんじゃないかなーって希望を持ってるんだけど、どうだろう?
どう言ったら「そっか…」ってサラッと認めてくれるようになるか、わかる人いるかな?
そういう希望のある話じゃないのよねえ
杉田議員は子どもを作らない同性カップルを「生産性がない」と評して炎上し、謝罪に追い込まれた。
殺人鬼植松は障がい者を虐殺して「生産性のない人間は生きる価値がない」と言った。
世間の人たちは、杉田・植松両方の事変で「生産性がない、なんてない」と猛反発した。
沢山金を稼いだからどうした?
「偉い」なんてない。
エベレストに登るようなもん。
勝手に楽しんでいるというだけの話だ。
むしろ、何も作り出してないように見える人々にこそ、希望はある。
俺はマイナーゲーム配信者を結構見てるけど、俺が観に行くまで視聴者数ゼロ人の配信者もザラにいる。
彼らのやってることは何の意味もない二酸化炭素排出量の無駄、なんてことはない。
「まだそこに存在してない誰か」のために、ゲームプレイを見せている。
電子の足りない原子の電子殻に、自由電子が流れ込んでくるように。
広島旅行に行ったときに1回行っただけなんだけど、すげーいい店だった
トルコ人…なのかは不明なんだけど、髭を生やした中東っぽい雰囲気のお兄さん〜おじさん数人で回していて、客も外国人がわりといる印象
店内は薄暗く、清潔感がある印象
一皿がでかめで嬉しい
食べ終わったあと、原爆ドームの方に歩いていって、川沿いを散歩しつつ近くにある店でジェラートを買って食べたのもよかった 広島の黄金コースとしたい
ダイス状の焼かれたチーズがそこそこ入ったサラダで、大きめに切られたキュウリの食感がよく、チーズそのものも非常に美味くて、総じてサラダとは思えない満足感があった
すりおろされてるわけではなさそうなんだけど、そういう質感の豆が入ったオレンジ色のスープ
俺は豆の粉っぽさみたいなものがわりと苦手なんだけど、このスープにその食感はなく、スパイスの風味が感じられ、なんつうか滋味という感じで、すげえうまい
二人で行ってひと皿頼んだら、何も言ってないのに取り皿を2個出してくれて嬉しかった
各種ケバブ(チキン・ビーフ)とキョフテ(ハンバーグのようなもの)とライスなどが盛られたでかいプレート トルコパン(エキメッキ)を頼んで一緒に食った
まあ、うまいっすよね
途中で結構お腹いっぱいになってしまってちょっと苦しかったが、しかしうまさを推進力に食い切れたので、うまかったということなんだと思う
雰囲気も照明も明るかった印象がある
オリジナルのクミン入り食べるラー油を売っていて、それもうまい
何食ってもうまかったけど、ひとつだけ紹介
付け合わせとかナシで、スライスされた肉だけデンとでてくるので迫力がある
塩か前述の食べるラー油をつけて食う形
羊ってうめえなあ…ってなる
クミンのきいた食べるラー油をつけると異国情緒を感じられるが、じつは塩で食うのが本国風らしい
うまけりゃいいんだよ 本当に良い
品数が多くて全然食いきれてない
注文から提供がバカ早い(5分とかで出てくる) どうなってんの?と思う
一本220円とかで、好きな数頼める
机に七輪がついてて自分で焼くこともできるが、店側で焼いてもらうこともできる
卓上スパイスが配られるので、それをつけて食う
春雨はきしめんみたいな太さ・平べったさで、モチモチした感じもあり、通常の春雨とはまったく異なる
どううまかった、というのを思い出せないが、やたらうまかったのは覚えている
あとボリュームがすごい 一人ならこれだけで満腹になるだろう
肉とか入ってないんだけどすげえうまい
それぞれの食感がベストで、野菜炒めってこんなにうまくなるのか…と感じ入った
低音で長く加熱するのがテキサス流らしく、食ったことないくらい柔らかい肉が食える
牛の肩バラ肉で、通常だと硬いらしいんだけど、箸で切れるくらい柔らかく焼かれて出てくる
そう、焼き料理と思えない柔らかさなんですよね 角煮みたいな柔らかさだ
味は当然うまいが、そのままだとわりと素材の味・塩味という感じなので、卓上に出されるバーベキューソースやビネガーソースを適宜かけて食う かけることで完成する感じがある
タバスコソースも希望すれば出してもらえるが、個人的にはこんなにうまいものを辛くして(舌を麻痺させて)食べるのはもったいないかも…と思った
肉だけ食ったけど、パンとかをつけてもよかっただろう
普通科廃止して熊本で介護土木とか底辺収入職につく高層若者量産したいってこと?
https://news.yahoo.co.jp/articles/90269c6f6250c00a514fb54c52e39217dcb12394
就職を選んだ高校生のうち66.1%しか熊本で就職せず若者が県外流出し、建築・土木・測量技術者や介護サービス職など、幅広い分野で人材不足。
↓
熊本県知事
「私の心の中の長年の持論が証明された。逆をみると足りていてどうしようもないのが、一般事務とかは、要はいらないんですよ。そういう若者を育てちゃいけないんですよ、僕らは。教育長に過激な言い方だけど、普通科なんかいらないと僕は思っているのね」
「一般事務は全部AIが代行する。これから必要なのは、エッセンシャルワーカーだ」
「これからの時代に本当に必要な産業を、今の求職者が希望していない。非常に未来を見据えたうえでのミスマッチ。事務職はもういらないですよ。すぐに解消できる話にはならないかもしれないですけど、 一つでも多くの良い事例を見つけて、熊本で働こうという気運を高めていきたい」
頭悪くて草
男性でも簡単な診療科の希望者が増えまくっててきつい診療科志望は年々減ってますよね
そもそも女性がキツい診療科にいけないのは男性が結婚を人生の前提にしてるのに家事育児をキャリア形成の前提にしてない親失格ゴミが多いからですよね
低学歴女性が運輸業や土建業、期間工といった低学歴でも就ける高収入職を避けているからでは
女は低学歴でも事務だのオフィスワークを希望するからロクな仕事がなく低収入貧困女性が増える
女も金に困ったら肉体労働をすればよい
Verse 1:
駆け抜ける風のように
僕らは進むこの道を
夢と希望抱きしめて
高鳴る鼓動止まらない
進め、未来へ
勇気出して走り出せ
僕らの力信じて
Verse 2:
星空に描く地図
それぞれの道重なる
笑顔がつなぐ絆で
永遠に続くこの想い
進め、未来へ
勇気出して走り出せ
僕らの力信じて
夢の果てまで響かせよう
ユーロビートに乗せて
僕らの声が響き渡る
世界へと広がれ
進め、未来へ
勇気出して走り出せ
僕らの力信じて
この歌詞は、ユーロビートのリズムに合うように設計されており、活力と希望に満ちたメッセージを伝えています。シンセサイザーのビートに乗せて歌えば、明るく力強い校歌になるでしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20240110081207
あれから半年ぐらい経って、ようやく希望が通ったのか派遣先から契約終了の話が出た。
どうやら後任の派遣が決まったらしく、その人と入れ替わるようにという話を契約先からされた。
始めの増田を書いた時は、現行で動いているシステム情報に対してなんの引継ぎ情報もない状態や、自分の技術的な未熟さに
就業時間中心底イラついていたし、いつマシンが壊れるのかがわからず不安で震えていた。
そこから数カ月経って、環境に慣れることで少しは不安は取れていったが、根本から解決することはなかった。
情報系についての基礎力がないから結局自分の技術力が上がることはなかった。上がったのは社内チャットの検索力ぐらいか?
ただこの能力で得た情報と業務を依頼される中で得た情報や作業工程を、一通りまとめて後任に残すことはできたような気がする。
(まあこれが役に立つのかとか、あと半年もいて、お前の実績それだけかよっていうのも自分で思うのだが……)
あと数日でまた俺は無職に戻るのだけれど、次の仕事どうしようか。
これを書いてみて思ったが、この半年で文章が異常に下手になったような気がする。ストレスで脳がやられちゃったのかもしれないね。
俺、アラフィフ。俺も妻も同じぐらいの収入で月の世帯の手取りが100万円ぐらい。
これで月の小遣い2万円。
独身時代から株のバブルや暴落に備えて勉強してきたが、余裕がなくて投資できず。
妻に家のお金で純金積み立てしようと提案したら却下された。やってたら何倍にもなったのに。
ま、でもどうでもいい。
俺、もう死ぬこと決めてるから。一人で死ぬか、家族で心中するか。どうしようかなぁ。
いくら稼いでも小遣いは変わらないし、会社の立て替えも給料と一緒に振り込まれていて引き出せない。
言えば引き出せるんだろうけど、なんでわざわざ自分の金を了承を得て引き出すんだか。
一時的に金が必要になったから株を売って金を用意したが、その税金は俺個人が払わされた。
働くだけで、なんなら生きているだけで俺はどんどん金がなくなる。
奪われるだけだから、未来に希望も持てないし、もう本当にどうでも良くなった。
気が向いたら死ぬし、妻が鬱だ死にたいとか言ってもそのとき心中すればOK。
ま、家族のためだとかなんとか、あんまり夫から奪いすぎると夫は生きる気力を無くすんで、奥さんたちは気をつけてねぇwwwww
1:1 田舎の道にて、重き車輪が轍を刻みつつ、老女を静かに揺り動かしける。
1:2 老女は声を上げて言ひける、「何と感謝すべきことか。歩くこともままならぬ我を、助けていただき、その上治療まで施してくださるとは。これも全能の主が、汝の如き慈悲深き方を、我がもとに遣わしたまへればこそ…」
1:3 老人は黙し、言葉を発することなく、ただ前を見据えける。
1:4 老女はなお問いける、「汝もまた、主を信じ奉る者なるか…そのようにお見受け致し候ふが」
1:5 老女の眼差しは、無言の老人の背に移り、さらには荷台に置かれし古びた聖書に止まりぬ。それは時の流れを刻む如く使ひ込まれけるものなり。
1:7 彼はさらに続けて言ひける、「されど、主は唯…人の運命を弄びたまふのみ」
1:8 老女は穏やかに微笑み、「それは、まさしく深遠なる教理の解釈に相違なし」と応じける。
2:1 馬車は進み行きける中、突如、道を塞ぐ巨木現れけり。老人は馬車を止めたり。
2:2 老女は言ひける、「あら、これは如何に。厄介なる事態なり」
2:3 老人は馬車より降り、黙して巨木に手をかけたり。
2:4 その時、巨木は静かに、しかして確かにその姿を消し去りけり。
2:5 老女は驚きの声を上げ、「何たる奇跡ぞ、大木が忽然と消え失せり」と驚きけり。
2:6 老人は冷ややかに答へける、「ただ木を取り除きしのみなり」
2:7 老女は感嘆し、「我には到底、成し得ぬことと存ずる」と述べ、
2:8 さらには、「若き頃、汝は冒険者でありしに違ひなき事と存ずる。さなり。わが直感は、往々にして外れざるものなれば」と付け加えけり。
3:1 若かりし頃、タケと呼ばれしその老人は、邪悪なる徒党の中に身を置き、暗き道を歩みたり。
3:2 その仲間たちは、ハンブン、ミノル、コゲ、そしてエンディといふ者たちにてありける。
4:3 仲間の一人驚きの声を上げ、「タケよ、何といふことを為すのぞ!これは神聖なる御姿にあらざるか!」
4:4 タケは厳しき口調にて、「黙れ、その如きことは構はぬ」と返しける。
4:5 エンディは怒りの声を上げ、「お前の行ひにより、この場は汚されしぞ!」と言ひける。
4:6 タケは冷たく、「然らば、主に抗議せよ」と言ひ放ちける。
4:7 エンディはさらに憤り、「何を言ふておるのぞ!」と反論しける。
4:8 仲間の一人言ひける、「タケよ、その如き行為は、天罰を招くものに候」
4:9 タケは嘲笑する如く答へける、「天罰など、あり得ぬ事なり」
4:10 仲間問いける、「なぜ、その如く断言するや?」
4:11 タケは苦々しげに語りける、「幼き日の友は、主に祈り、糧を乞ひ求めたり。されど、彼は飢えに苦しみ、命を落としけり。もし主が存在すれば、なぜ彼を救はざりしや?」
4:12 タケは激しく言葉を続けける、「故に、我は主を信じず」
4:13 エンディは困惑し、「然らば、なぜ主に抗議せよと言ひしぞ?」
4:14 タケは嘲る如く、「主が存在せぬならば、誰に抗議するや?」と応じける。
4:15 さらに仲間の一人声を上げ、「ミノルよ、汝の信ずる神が侮辱され候ているぞ。正義のために戦はざるや?」
4:16 ミノルは静かに言ひける、「あれは我が信ずる神とは異なり。戦ふ理由など無し」
4:18 コゲはハンブンに向かひ、「如何せむ?」と問いかけける。
4:19 ハンブンは悠然と答へける、「もう行かむ、タケよ」
4:20 タケは無念そうに、「もう行くや」と言ひける。
4:21 ハンブンは叱責する如く、「汝は何時までその如き行為を続けるつもりや!」と言ひ放ち、
4:22 ハンブンはさらに、聖書に手をかけながら言ひける、「タケ、その神は、祈りや崇拝にて救ひを与ふるものにあらず」
4:23 タケは驚き、「如何なる事ぞ?」と問い返しける。
4:24 ハンブンは静かに語りける、「神は、人を見守りつつも、助けを与へず。その者に応じた苦難を与ふるのみなり」
4:25 タケは憤然として言ひける、「何故ぞ!」
4:26 仲間の一人問いける、「ハンブン、それは信じていることや?」
4:27 ハンブンは嘲笑し、「信じざるなり。唯、賢き学者たちが長きにわたり、神を正当化するために編み出した理屈が面白きのみなり。それにより、人々は真面目に生き、支配者は楽となるなり」
4:28 タケは納得しがたげに、「何と理不尽なる事ぞ!」と叫びける。
4:29 ハンブンはタケを見据へ言ひける、「タケよ、何時までその愚かな行為を続けるつもりぞ。無意味なる行ひに過ぎざるなり」
4:30 タケはなおも続けんとしたれど、ハンブンの言葉に従ひ、やがてその行為を止めたり。
4:31 その後、彼らは行動を共にし、暗き時代を生き抜きたり。然れど、彼の一団が国王軍に対し反乱を起こさんと企てしその時、運命は彼らに牙をむきぬ。
4:32 タケを含む仲間たちは、勇敢に戦ひ抜きしが、一団は壊滅し、多くの者が命を落としけり。
4:33 唯一生き残りしは、タケただ一人なり。
5:1 風が激しく吹きつけし夜、タケは一人、廃墟となりし塔の上に立ち尽くしけり。
5:2 彼は静かに言ひける、「ああ、皆死に果てしや。あの激戦の中にて、ただ我一人が生き残りしとは…」
5:3 その時、かつての仲間の言葉が脳裏をよぎりける。「タケ、汝が皆の中にて最初に命を落とすべし」と。
5:4 さらに別の仲間が言ひける、「その如き無茶を続けていては、長生きなどできぬぞ」と。
5:5 タケは嘆息し、塔を立ち去りけり。彼はあてもなく歩き続け、そしてある時、豪奢なる邸宅の前に辿り着きける。
5:6 邸宅の門の前に立ちし番人は、厳しく問い詰めける、「何用ぞ。この地はホドギャ様の邸宅にござ候。許し無くして立ち入ること許されざるなり」
5:7 タケは冷ややかに、「ホドギャとは誰なるぞ。そ奴が何者であれ、我には関係なし」と答へける。
5:8 そして、タケは躊躇することなく、番人を斬り伏せ、そのまま邸宅の中に入り込みける。
5:9 邸宅の主たるホドギャは、その状況を見て、家来たちに叫びける、「殺せ、殺せ!この侵入者を始末せよ!」
5:10 タケは冷静に、次々と襲ひかかる者たちを打ち倒し、
5:11 その後、邸宅の中の財宝を手に入れ、そして瞬く間に姿を消しける。
5:12 タケは独白しける、「若き頃、冒険の旅にては、怪物たちを相手に思ふ存分戦ひたり。国王軍との戦ひも同様なりし。彼らが人間であれ、怪物であれ、我には関係無き事。唯戦ひに身を投じること楽しきなり」
5:13 然れど、タケは寂しげに、「されど、一人で戦ふことには何の意味も無し。仲間たちが在りしゆゑ、戦ひも人生も楽しきなりし」と述べける。
5:14 その時、タケは自らの手の中に在る宝物を見つめ、そしてそれを地にばら撒きける。
5:15 彼は虚ろな目にて言ひける、「今、何もかも虚しきなり。仲間たちが無くば、我が生きる意味も無し」
5:16 彼はその場に座り込み、孤独を感じつつ、過ぎ去りし日々を思ひ返しける。
6:1 翌朝、タケは再び立ち上がり、手にした宝物を見つめける。彼はこれを手放すことに決め、再び歩み出しける。
6:2 やがてタケは、国王軍の基地の前に立ち、つぶやきける、「最後は派手に行かむ。国王軍相手に死することで、あの世にて仲間たちに会ひ得るやも知れぬ」
6:4 然れど、突如としてタケは腹痛に襲はれ、地に倒れ込みける。彼はリンゴを手放し、呻き声を上げける、「腹が…痛し…」
6:5 その時、近くを通りかかりし農夫がタケを見て、無事なるかと驚きて声をかけたり、
6:6 タケは弱々しく、「黙りけれ」と返しけれど、農夫は構はず近づききたり。
6:7 農夫はタケを見下ろし、そして近くに落ちし宝物に気付きける。「こ奴はすごきお宝なり!されど」
6:8 農夫はタケを車に乗せ、町へと向かひたり。
6:9 農夫は言ひける、「なに、心配するな。我が町には名医が居り。犬の便秘さへ治ししほどの腕前なり」
6:10 タケは苦しみつつ、「なぜ金を取って逃げざりしや?盗むべかりしものを…汝は一体、何処へ我を連れて行くぞ?」と尋ねける。
6:11 農夫は笑ひつつ答へける、「神の前にて、病人から金を盗みて逃げたりと言へたら、如何に良きか!然れど、神に会ひし時、その如き理由を聞かるるは困りしことなり」
6:13 農夫は聖書を取り出し、タケに向かひて言ひける、「汝にはこれが必要なり。持ちいけ」
6:14 タケは驚きて言ひける、「何を言ふぞ?」
6:15 農夫は微笑みつつ、「汝よりも、我よりも、汝にこそ必要なるものなり」と言ひ、聖書をタケに渡しける。
7:1 その後、タケは幾度も国王軍の基地を襲撃せむと試みたりれど、天候や体調、あるいは人の干渉により、ことごとく阻まれたり。
7:2 タケはつひに自ら命を絶つことを決意し、木に縄を吊るし、その下に佇みたり。
7:3 彼は独り言の如く呟きける、「自らの首を吊る者の気持ちなど、今まで理解できざりしが、今ならば分かりぬ…」
7:4 然れど、タケは首を吊らむとしたその瞬間、崖の上より石が転がり落ち、木を折りきたり。
7:5 タケは驚きて息を飲み、咳き込みつつ呟きける、「何故、またしても我を阻むぞ…」
7:6 彼は倒れし木を見つめ、そして、かつて農夫より受け取りし聖書に手を伸ばしける。
7:7 タケは叫びける、「神よ、汝は真に存在するや?何故、我をこの世より解き放たざるぞ!」
7:8 彼は聖書を開きけれど、その中より何の答へも聞こえて来ざりき。
7:9 唯、頁をめくる音のみ響き渡りたり。
8:1 その時、タケの脳裏にハンブンの言葉蘇りける。「神は人を見守りつつも、助けを与へず。その者に応じた苦難を与ふるのみ」と。
8:2 また、農夫の言葉も浮かびたり。「あれは試練なりき。神は見守りたまへり」と。
8:3 タケは何かを悟りたる如く、「然り…さういふことか…」と呟きける。
8:4 彼は聖書を抱へつつ、しばし黙して考へ込むことありき。
8:5 タケは続けて言ひける、「再び会ふべからざりし仲間たちが、今ここに居る如き気がする…彼らと話すことができた如く思ひ候ふ」
8:6 タケはその後も聖書を読み続け、かつての仲間たちの教へを思ひ出さんと努めたり。
8:7 彼は植物に詳しき仲間のために、植物の図鑑を手に入れ、学者たちの論文を読み漁りけり。
8:8 タケは言ひける、「皆、それぞれ何かに通じたりし。彼らと共に過ごせし日々を思ひ出すため、必死に関連するものを探し出し、読み耽りたり」
9:1 斯くして現在に至る。タケは老人となり、独り言の如く呟きける、「仲間たちに再び会ひたし。それのみが生きる希望なりきが、さうせざるほか無かりき」
9:2 然れど、タケは続けて言ひける、「されど、今や誰にも会ふことあたはず。記憶は薄れ、顔も思ひ出せず…夢にも出で来ず。誰一人として」
9:3 タケは嘆息し、「死して会ふことも、記憶の中にて会ふことも、もはや許されざるなり」と語りたり。
10:1 突如、老女がタケに銃を突きつけたり。彼女はかつて、タケにより恋人を殺されし者なりけり。
10:2 老女は冷たく言ひける、「我は今もなお、毎日思ひ出す。汝らに殺されし恋人のことを」
10:3 彼女は続けて言ひける、「顔の形も、息遣ひも、声も、昨日の如く覚え候ふ」
10:4 タケは静かに応じける、「確と行へ。我、抗ふことなし。この暗き人生を終らしめよ。」
10:5 老女は震へる手にて引き金を引きたりれど、銃は発砲されざりき。
10:6 タケは言ひける、「やはり、さうか…」
10:8 タケは静かに語りける、「汝のみならず。常なり。我が一人になりてより、ずつとさうなりし」
10:9 タケは続けて言ひける、「我を殺さんとする者は、剣が鞘より抜けず、弓の弦が切れたり。すべてが阻まれたり」
RISING SUN ROCK FESTIVAL inEZO2024 1日目
台風7号が発生する前からwindyを毎日何回も確認して当日果たして飛行機は飛ぶのか!?そして肝心のシロップは無事に北海道入り出来るのか!?(特にシロップはSNS上での情報がほとんどないから状況が全く把握出来なくて更に疑心暗鬼になる)ずっとハラハラしっぱなしで当日まで楽しみにするより不安が勝ってしまって全然余裕がないまま出発する事に…。と言うか近年、毎年の様に台風に悩まされてる気がする…。とりあえず自分は無事に飛び立ち新千歳へ降り立ったし、その後ホテルに着いてからダイマスさんのポストで無事シロップが飛び立てそうな事、そして中畑さんのインスタで札幌に着いている事が確認出来て心底ホッとした。シロップをライジングサンで観ると言う夢がここで初めて現実となった気がした。
今年春、病気が発覚し(と言うか異常は去年11月ぐらいから感じていたのでその時に病院行ってれば良かっただけの話)今年はライジングに行けないかもしれない可能性が出てきて、でも行ける方にかけてテントサイト付き入場券を勝ち取りさてどうするかなと思ってた所にシロップがライジングに来る事が発表されて、これは何が何でも行かなければ!!と強い気持ちで親に懇願し(どうしてそこまでして行きたいのかめちゃくちゃ聞かれた笑)手術してそこそこ回復もしてきて病気の結論もそこそこに行く覚悟を決めて飛行機·宿·その他諸々のチケット取りに明け暮れ何とか当日を迎えた。今年はガチのソロ参加のテント泊(色々あったせいで予約遅れて16日の宿が一人泊では全く取れなかった)なので若干の不安は抱えつつも楽しみの方が勝ってた。
当日はホテルから札幌駅前発JTBバス(これ本当おすすめです!大きな観光バスだし絶対座っていける)で会場へ。10時ちょっと前に着いたので今年も開場挨拶が聞けてやっぱこの瞬間感動するな〜と思いつつ入場。今年は去年より数倍涼しく暑いとは言えあの酷暑に比べればなんて事なかった。周りの人も並んでる時、去年は異常に暑かったと言う話題を皆していた笑
入場してからまずはその足でグッズ売り場へ。シロップのRSR限定Tシャツがどうしても欲しくて11kgのデカリュックを背負って物販に並ぶ…笑 複数アーティストと一緒だったのでシロップ以外の目当ての人も当然いて少し並ぶ(それでも行列になってる所に比べれば全然並んでないと思う)無事に買えてからレンタルテントを借りてテントサイトへ向うも予想はしていたけどここが一番最難関だった。テントはめちゃくちゃ重いしマットは持ち手がないし、自分の11kgの荷物もそのまま背負ってるしで重たいわ、テントサイトがアース側のトウモロコシだわ(これに関しては第1希望なので良いのだけど)で途中休憩とりつつ何とか辿り着く…。テントに関しては予め動画で予習したし建てれるでしょ!と思ったら予習したテントとちょっと違うタイプのテントで笑 紙の説明書見ながら建ててたけど一人で建てるの難し過ぎてめちゃくちゃになってたら手前の区画の若そうなお兄さんが連れ待ちで暇なんで手伝いましょうか?と言ってくれて…何て良い人なんだ!!と思いつつ好意に甘えて手伝ってもらう事に。手伝ってもらってる間「何処から来たんすか?」「名古屋です笑 」「え!?名古屋から一人で!?」「毎年友達と来てたんですけど今年は一人で笑」「もう何回も来てるんすか?」「そうですね〜10回以上は…」「え、全然ライジング先輩じゃないすか」「どうしても観たいアーティストが今年出てて…」「当てていいすか?」「多分当たらないと思いますけど…笑」「クリープハイプ!」「(やっぱ私ってそう言うの聴いてそうに見えるのか…?)違いますね…笑」「cody·Lee(李)!」「りょくしゃか!」「もっと年季入ってますね」「フジファブリック!」「近付いてきました!笑」ってやりとり面白かった笑 最終的に当たらなくてsyrup16gですって言ったら今日出るんすか!?って言われたので19:40からEARTHであるんで是非!と宣伝しておいた笑 「シロップはまだ通ってないんすけど最近GRAPEVINEの良さに気付いたんすよ」って言われて「私も好きです!」と大きな声を出してしまい陰キャ特有の好きな話になると大声を出すムーブをしてしまい…。その後も私がポンコツ過ぎてすごい時間手伝ってもらって何とか建った…!!本当助かりました…!!ここ絶対見てないと思いますが貴方が居なかったら一生建てれなかったと思います。本当にありがとうございました。
無事に建てれたのでお兄さんにお礼をしてから会場をちょっと散策して予習して食べようと思っていたくずバーを食べてからグッズの引き取りがてら映えスポットで写真でも撮ろうかな〜(一人だから誰かに撮ってもらわなきゃ撮れないので必然的に撮ってもらえる所に行くことにした)並んだけど50分並んでも順番来なくてグッズの引き換え時間が刻一刻と迫ってきて焦りまくった私は後ろに居たカップル?に時間ないのでこの外れで良いんで撮ってもらっても良いですか!?という訳の分からない事を頼んでしまい、相手もちょっとびっくりしてたけど「すごい並びますもんね、全然良いですよ笑」って言ってもらえて撮ってもらいました…。マジで皆良い人過ぎて…あの時はありがとうございました。
急いでグッズを引き換えて(時間ギリギリだった)テントサイトに戻ろうとしたら自分のテントが分からなくなってパニックに笑 レンタルテントだから似たテントがあちこちに建ってて本当に分からなくて焦った…。めちゃくちゃ探しまくってようやくあった!!!ってなったらもう怒髪天全然始まってて急いでサンステへ。
1日目観たやつ。
怒髪天(途中から)→DISH//(画面越しに眺めてるだけ)→SPEEDER-X→syrup16g→フジファブリック
開幕一発目に相応しいステージだった!ゲストも豪華だし、平井大がキャンセルになったからもっとやるかも!と期待していたけど時間通り終わってしまった…。渡辺美里さんの歌の上手さに震えたりGLAYのカバーを生演奏で聴けたりお祭り感あって最高でした!坂さんのふんどし姿ちょっとだらしない体型なのがすごく良かった笑 最後増子さんが深いお辞儀しててじーんとするなど。
怒髪天後、毎年お会いしてる元ハイカーさんとお会い出来た!!毎年お会いすると蝦夷に帰って来たな〜と言う気持ちになる…。お土産も頂いてしまい…毎年ありがとうございます。平井大がキャンセルになったのでPA裏で話してたら若い女の子2人組に「サンステージって何処ですか…?」って聞かれて「ここです」って答えたら「遅れてるのかなぁ…」って言ってたので「平井大さんキャンセルになったんですよ…」って言ったらめちゃくちゃ驚いててこっちも驚いた。結構アナウンスしてたと思ってたけど知らない人もいたんだな…!!と。二人が去ってから驚きましたね…って話でちょっと盛り上がった笑 皆でたくみ見に行くか〜ってなって見に行ったは良いが人が溢れてテントには入れずモニター越しに観る。丁度猫やってておっ!ってなった笑 画面見ながら「思ってたより歌上手いですね」と言う謎の上から目線の感想を私がかまし、ベトナム系のイケメン、爽やかな曲ですね等々酷い感想笑 を言いながら観る。たくみと同じ空気を吸ったかもしれないと言う感想で終わったの面白かった。あとシロップの話になりシロップファン以外にはあまりおすすめ出来ないかもとか普通のバンドマンとは違った意味で社会不適合者等々、五十嵐さんをけちょんけちょんに言う笑 これでも一番好きなハンドなのに…。DISH//が終わってそれぞれ解散した後に足元の写真を撮ってない事に気付き痛恨のミス!!と思ってポストしたら次の日改めてお会いして撮れる事になったので嬉しかった…!!
開始時間を間違えてて開始時間より30分ぐらい前から待ってた笑 ので2列目で観れた。最前付近はほぼkenkenのファンっぽくて達也さん見放題でした!SPEEDER-X、本当大好きなんだよなー!!kenkenのベースがまずもってカッコイイしそれに合わせる達也さんのドラムも大好き。途中達也さんが「きゅーけー!!疲れた!!きゅーけー!!」って言う程、バキバキのやり取り。最高にテンション上がる。達也さんの「火のふくやつ!火のふくやつ!」ってのに「マッドマックスね、またやりましょうね」と優しく諭すkenkenは達也さんの扱い(?)に慣れすぎてて笑った。達也さんが「時間!時間!RIZE!」って言ってる所に「RIZEもこの後出ますけどここでやめられないでしょ!」的な感じで長めに演奏してくれて嬉しかった〜!!ライジングはこう言うステージがあるのも好きなポイントの一つ。素晴らしい演奏を間近で聴けて本当に楽しかった!!
こちらは別途記載したので割愛。本当に最高で大袈裟じゃなく私の一生の宝物になりました。ライジングに来てくれてありがとう。
RIZE観ようと思ってたけどご飯食べてたら終わってた笑 ので、フジファブリック迄にメイク落として歯を磨いて明日のお風呂の準備して…とフジファブリックが終わったらすぐに寝れるようにしてテントを出る。
既にレッドには人が沢山集まってて、後ろの方で椅子に座りながら観る事に。
これ書くとめちゃくちゃ失礼になりそうだけど私はフジファブリック=志村さんと言う意識がずっと強くあって(志村さん健在の頃はアルバム買ったり割と聴いてたので…)志村さんが居なくなってから全く聴かなくなってしまったし、志村さん時代の曲を歌ってる時は脳内で志村さんの声に変換してしまった…。良くない事だけどこればっかりはどうしようもないかな…。あとやっぱり総君ギターめちゃくちゃ上手いね。ギタリストだし当然なんだけどすごく感動してしまった。せっちゃんとのコラボも良かったし、総君のMCベタ笑 も含めてすごく楽しめたけど、何かバンド内温度差を感じてしまって少し複雑な気持ちにもなった…。私はファンではないのでここを言及する権利(?)はないと思うから割愛するけど…こう言う状態を目の当たりにしてファンはどんな気持ちなんだろう…とは思ってしまった。総君がまたフジファブリックでライジングに出れたらみたいな事を言ってくれた事はファンにとっても心強いんじゃないかな?とも感じたけど。何となくこの感じツライな…と思いつつテントへ帰って、就寝準備して寝始めたは良いけどプロボが近いためズンズク(地響き)はある程度覚悟してたけどそれを遥かに凌駕する周りの煩さに全く寝付けず…。近くのテントは大騒ぎ、隣の区画(テント建てる時に手伝ってくれた方の区画ではありません)の人は大声で喋ってる(既に深夜1時過ぎ)しマジでイライラした。プロボの方が先に静かになったし…笑 隣の人の「最後の〜最後に〜最後も〜最後に〜」(フジファブリックの若者の全てのサビに合わせて歌ってる)「全然打ち上がらない!早く打ち上がれよ!」と言う寒いやり取り(失礼)が聞こえてきた時はもう早く寝てくれ!!!と怒りを感じた笑 結局あまり眠れず朝も目覚まし前に近くの区画の大声で起きてしまい…。折角遅めのお風呂にしたのに…意味なし。寝るのは諦めてトイレ言ったり歯磨いたりしてお風呂へ。
二日目に続く。
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2024 inEZO その他の感想
もう来年以降は行けない気がするけど一応今回初ガチソロ参加での感想と覚え書き。
札幌駅↔会場までは今年もJTBバス使用。JTBバス最高です!!これ一回使ったらシャトルバスはもう乗れない…笑 高いって言われてる事もあるけど必ず座れる·大荷物はトランクに預かってくれる·時間が決まっているので出発時刻、到着時刻などがはっきりしている。今年は運転手不足でないかもと危機感持ってたけど準備してくれたウエスには感謝しかない…。このバスは毎年続いて欲しい…!!
今年はトウモロコシが第1希望でそれが通った形だったけどプロボの近く(これは個人的にさほど苦ではなかったけど)だった、テントサイトガチャで外れを引いてしまい夜苦痛過ぎた…。でもテントサイトガチャは自分ではどうにもならないので…。HEAVENS当たっただけ良かったと思う事にする…。レンタルテントは遮光付きのやつが今年から導入されたのでそれにしたけど、テントの中にいてもわりかし耐えられる暑さだったので少し値段は高かったけどこれにして正解だった(その代わり昼間でもランタンは必須)あと一人だったから一人〜二人用テントでも充分広かった。
·布袋のザンギ→単純に美味しい。そしてオペレーションが素晴らしいので並んでてもわりかし早目に買える。最高です。
·くずバー→溶けないし美味しい。普通のアイスより良いと思う。
ガチ1人参加·病気の身でどうなる事かと不安もあったけど、私はボッチ耐性が高く一人でも全然楽しめるタイプなので思っていた数倍楽しめました!笑 御飯食べる時とかライブ後に感想言い合ったり出来ない、あとテントが組み立てられない時孤独過ぎる笑 と言う少し寂しさもあったけど、1人特有の自由さみたいなのもあってあっという間に時間が過ぎたなぁと言う印象。あとは毎年お会いしてる元ハイカーさんに沢山構ってもらったのも寂しさを感じなかった大きな要因だと思います!今年のライジングは本当に記憶に残る大切な宝物になった2日間でした。年々ライジングのターゲット層から外れてる事はヒシヒシと感じていますが(Rainbowとか復活すればまた違うかもだけど)それでもライジングでしか味わえないワクワク感と楽しさがあって、それを味わいたくて行ってる感じなのでまた蝦夷の地が踏めると良いなぁと思います。
離婚したワイ(40歳)、もうすぐ2歳になる娘がおるんやが、はてなの有識者に問いたい。
種々のわだかまりが残る離婚ではあったが、今となっては限られた機会の中で、娘にこの先何を伝えていくことができるかのみです。
ワイのつたない経験則として最も重視していることは、経験に勝るものは無いということです。
勉強ができるとその分、より多くの物事を吸収できるという側面もあると思うが、それよりもまずは百聞は一見にしかず、ジャンル問わず経験値を積み、そこから育まれる想像力の方が個人的には有意義だと思っている次第。
増田はあまり勉強はできないが、スポーツ・音楽・映画・読書・デザイン・ファッション・旅行など、勉強以外のカルチャーとも呼べる領域に特に未成年の間にそれなりに触れてきたお陰で、今を楽しく生きることができています。
特に音楽・映画・読書に関しては脳を大きく刺激され、とりわけ読書については多くの刺激を受けました。
そこで増田は、小さな子どもにとっては、まずは「漫画」が手に取りやすいのかなと思いました。
しかしながら増田はこれまで漫画にはあまり触れてきていません。
前置きが長くなりましたが、有識者の皆様にお尋ねしたいことは、小さな子ども(女の子)におすすめの漫画はありますか?(適齢期っていつぐらいなんだろう)
あと、こうしたカルチャー・経験値の積み重ねが最上位だよ、という増田の独りよがりに違和感を感じた場合、「***では?」といった包括的なご意見なども拝読したいです。
【追記】
子どもが内容を理解できるようになるまであと数年はかかると思いますので、趣旨としては「幼かった頃の自分に教えてあげたい漫画」といったご意見を頂けると有り難い限りです。
増田はこれまで面白いと思った漫画が、浦安・バガボンド・稲中くらいしか知らないもので、この機会に漫画喫茶などで読んでみたいという思いもあります。
【追記2】
たくさんのコメントを頂いてびっくりしています。ありがとうございます。
今の娘の年齢&月1回の面会では増田のことも誰か認識していないようなので、父親と分かるようになる頃合いにはぼちぼち漫画も読めるようになるかなといったニュアンスでした。
漫画一択という訳ではないのですが、読書体験というフィールドでご意見を頂きたかった次第です。
一緒に本屋に行くのは楽しそうですね。皆様のお陰でその時に候補をいくつか教えてあげられそうです。
絵本は同居していた際になるべく買ってはいたのですが、最近は渡していないです。
本人の希望を最優先にして、目的と手段を履き違えないように注意します。
【追記3】
ここまで伸びて驚愕です。
漫画という限定したフィールドに固執していた訳ではないのですが、気分を害された方には恐縮です。
ピアノでもバレエでも天体観測でも対象が何であれ、子が興味を持ってくれたことを応援するくらいしか増田はできないもので、今回いくつもの貴重な知見を頂けたことに感謝します。
ただ、増田も人間です。概念や存在すら知らないのであれば、せめて候補だけでも提示してあげられるようにはなりたいな、という程度の親としてのエゴはあります。
拒絶されてもなお押し付けるのは如何かと思いますが、こんなのもあるよ、くらいのテンションなら許してくれめんす。
ワイはウェブ方面で生活して10年以上経つので多少の免疫はできているが、これが免疫ゼロの子供だったら相当なトラウマになるな、
というのがある意味今回の一番の収穫かもしれない。
なんか年々攻撃的な要素がプンプンになっちまったインターネッツだが、リアルもネットも暴力的な要素が増えていくのは悲しい。
どうすりゃいいんだ、悟空。