2024-08-27

真の弱者男性

ピアノ騒音殺人事件死刑囚になった男だろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A8%92%E9%9F%B3%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

男の属性・特徴:

精神病質者かつ音に対し極端に過敏だった男

事件経緯:

1. 苦情は言っていた:

1974年4月ごろには一度妻とともに「自分が在宅しているときピアノを弾かないで欲しい」と申し出たこともあったが、その後も被害者宅ではピアノを弾くのをやめなかったため、Oは次第に「ピアノを弾くのは自分への嫌がらせのためだ」とも思い込むようになった[4]。

2. 妻との離婚が決まっていた

事件1週間前には「親のしけがいからまず親を殺そう」と犯行機会を窺いつつ[33]、凶器刺身包丁ペンチ・背広ガーゼなどを購入していた一方[36]、このころには妻が離婚話の相談のため八王子市内の実家へ帰っていた[32]

3. ピアノがうるさいため殺害を決行

1974年8月28日7時15分ごろ、加害者O(事件当時46歳)は階下の被害者方で響いていたピアノの音で目が覚め起床したが、それまでの経緯などからピアノの音を非常に気にしていたことに加え、それまでは9時過ぎにならなければ鳴らなかったピアノの音が朝早くからなり出したことに憤慨した[37]。また前日に挨拶に来た女性に対し自分がBの悪口を話したことを思い出し「Bが自分への嫌がらせ目的子供ピアノを弾かせている」と邪推したため、Bへの憤りを抑えることができなくなったOは女性B(事件当時33歳)・長女C(同8歳)[注 19]・次女D(同4歳)をこの際一気に殺害しようと決意

事件後の反響

この事件きっかけに現代騒音問題がフィーチャーされた。

騒音被害者らによる加害者Oへの助命嘆願活動が起こり、騒音公害問題社会に知れ渡ることとなった[77]。

判決死刑

井本4月13日に東京拘置所被告人Oと面会して特別抗告するか否かの意思確認を行ったところ「抗告しないでほしい。もうこれ以上(裁判で)争わず死なせてほしい」と回答されたため特別抗告を断念し、抗告期限が切れる1977年4月16日をもって正式死刑が確定した[71]。

本人も嘆願書拒否するくらい死を望んでいた。

その後、同会は200人の会員を集めた会合被告人Oの刑事裁判支援することを決め[27]、計100通近くの嘆願書を集めて提出したが、これは被告人O自身証拠採用拒否した[57]。

死刑判決

望んだ死刑は行われず今や最高齢2024年96歳)死刑受刑者である

しかし、死刑囚O(現在96歳)は自身希望に反して未だ死刑執行されておらず、死刑確定から43年が経過した2020年(令和2年)9月27日時点でも[72]、死刑確定者として東京拘置所収監されている[9]。また、2012年平成24年4月時点までに再審請求を起こした事実確認されていない[73]。

死すら許されないこんな弱者男性、他にいるか

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