はてなキーワード: 完璧主義とは
ブコメが自分が信じれないものは全部釣り認定とか頭まで派遣になってて草。日本は広いんだぞ、これに近い環境の女性なんて一定数は存在するだろ。あんま狭い認識だと派遣になるぞ。
うーん、雑な釣りを援護してくれてありがたいところだけど、釣りです。皆さん雑だ雑だと仰いますが、個人的には釣りは釣りと見抜ける程度の雑さが大事かなと思います。ネットは広いので、増田de真実しちゃう不思議な方も沢山いますしね。ヘイト煽りの嘘は釣りの範疇を超えますしね。
余談ですが、一応モデルの女はいますね。わたしではありませんが。彼女は超ストイックで優秀で、おっとりして見えるのに性格がすごく悪かったですね。性格……というよりは差別的な人と言った方が正しいかもですね。身内にはとっても優しいいい子なので。
後半に縦読みを仕込んだのですが誰にも気付かれず無念です。
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ストレートに言えばエリート。高学歴だし、自分で言うのもなんだが顔は良い。
元が良い分努力も惜しまない。帰国子女だから英語ができるのは当然、英語だけじゃなくてスペイン語が話せる。中国語も日常会話程度ならばマスターしている。出世コースを走っているし、かつての同僚も今では部下。
メイク、スキンケア、ヘアケア、ファッションにも、女として全力。金も時間もかけている。
いくらお金が稼げるからといって、家事ができないのはつまらない。高校時代にそう思い立ち、共働きの両親に変わって家事をしてきたので1人分以上の家事も難なくこなせる。更に、趣味が高じてかよった料理教室のおかげで、今では普段の食事からちょっとしたフルコースまで自在に作れる。
顔よし、頭よし、稼ぎよし、家庭的と、四拍子揃っており、条件的には完璧な人間だろう。ここまで読んだ人ならわかるだろうが、性格は理想的ではないだろう。
自分が完璧主義な分、恋人にも完璧を求める。だが、わたしは求めて良い人間だと思っている。それに見合った努力をしている。
もちろん、普段の生活でこのような考えを表に出すことは決してない。バリキャリで嫌味な女として生きるのはつまらない。「人当たりが良くおっとりして自信なさげ、だが実は出来る子」、を演出している。個人的にはこれが一番理想的な人物像だと思っている。
そのせいか、一昨日派遣の男に告白された。以前から食事に誘うなど鬱陶しい態度を取られてはいたが、まさか告白してくるとは思わなかった。驚きすぎて、告白された瞬間「は?」と口に出してしまった。告白すれば私が付き合うとでも思ったのだろうか?なぜ?
わたしは今の地位につくまでに膨大な時間をかけて努力をしてきた。中学生の時から夢に見ていた第一志望の会社だ。企業の就職は、医者のように資格さえあれば済むものではない。採用は運も大きい。それでも、「運悪く不採用だった」なんて言い訳せずに済むように、すべてを磨いて生きてきた。頭だって学歴だって顔だって言葉遣いだって体系だって少しでもいいほうがいい。初めは希望の部署に配属されず、何度も移動を希望して、やっと今、好きな仕事を出来るようになったのだ。
それを、派遣社員!派遣社員だ。健康なのにフルタイム派遣で働く意味がわからない。何が楽しくて派遣になるというのか?美容師ならわかる。美容師に憧れてなる仕事だ。派遣社員は違う。派遣社員で仕事に情熱が持てるのか?楽に稼ぎたいならもっと良い仕事はいくらでもある。なりたくもない仕事について、人に使われて、人生を棒に振ってる。労働は人生の半分だ。その半分を安く買い叩かれ、ピンハネされていて何故我慢できるのか?
はっきり言って、派遣と付き合うなんて「無い」。あり得ない。いくら顔がよくても、性格が良くても、価値観が合わなさすぎる。
もし子供ができて、「お父さん(お母さん)の将来の夢は何だったの?」と聞かれたら、派遣社員とでも答えるのだろうか?ありえない。無理だ。
派遣なのに、わたしと付き合おうとなどしないでいただきたい。わたしの好意は、わたしのように、わたし以上に努力をしてきた人にだけ贈りたい。貴方は一介の派遣としてはありがたい存在だ。会社の経営を安定させる首切り要員。社会的に存在意義のある人間だし、貴方の労働は会社に貢献している。
なぜいけると思ったのか?カッコ良くもなく、地味で不細工、喋り方もまどろっこしく容量を得ない如何にも無能そうな貴方と、わたしが?せめて敏腕派遣にでもなってからアタックして欲しい。3児の親の武田さん(仮)は、他部署が羨ましがるほど仕事ができる。貴方は違う。惰性の塊のような生き方をして、キャリアを積むべき20代を派遣として無駄にした人間だ。
生き方が違うということは、価値観が違うということだ。もしかして貴方は、会社の外では趣味に打ち込む情熱ある人なのかもしれない。だが、わたしは仕事にやりがいを見出してる人が好きだ。つまるところ、わたしにとっては、貴方は「派遣」でしかない。「派遣」がわたしにとってのあなたの半生の結果だ。あなたはわたしにとって魅力がないし、一般的に見ても魅力がないことを自覚してほしい。正直、あなたの食事のマナーには驚かされた。
リスみたいに口に食べ物を詰め込む30代のような見苦しいものを見たくなかった。断り続けるのも悪いと思ったから、これっきりではっきり断ろうと誘いにのったが、貴方が初めからはっきりしてくれれば、こちらもすぐに断れたのに。
やすみの日を無駄にした。私の時間は貴方のそれよりずっと貴重であるのに。ただの派遣なら、ただの派遣として丁寧に扱えた。派遣相手でもにこやかなわたしを演じれた。(余談だがうちの会社での派遣の扱いは酷いものである)
できればもう顔も見たくない。派遣なんだからさっさと辞めてほしい。わたしのように仕事にかけてる人間ではないのだから。仕事もできないのに、職場に恋愛しに来ないで頂きたい。……と、内心の罵倒をおくびにも出さないように生きるのは疲れる。性格が悪いのに、理想に縛られて生きているからだろうな。幸せ自慢だけど、婚約者だけが唯一の癒し。農家やってる歳下のイケメン。適度に身体動かしてるから筋肉質だし、エリート気取りでギスギスしてる職場の人なんかよりずっとさっぱりしてて優しい。農家は心の底から尊敬できる仕事だし。やっぱ百姓は最高だぜ。武士がいない現代じゃ、農工商、派遣だよね。
普通に腹が立ってきた。自尊心の低い人間にどう対応しろっていうんだよ!
指摘すれば「私が出来損ないだから…」ってさらに悪循環になるし、同情してヨシヨシすれば味を占めたのか毎回同じやり取りやんなきゃいけなくなるし!!
私はお前のカウンセラーじゃないんだけど!?ゴミ箱でもないんだけど!!??
とにかく、その悲劇のヒロイン面を即刻やめろ!!
みんな多かれ少なかれ闇抱えて生きてんだよ。助けを求めるなって言いたいわけじゃない。
その!!被害妄想とか!!「どうせ私は…」みたいな卑屈な考えをどうにかしてくれっていう話なの!!!!!
確かにお前は不運な部類だろうが、ぶっちゃけ私にはどうしようもできないんだって!自分で乗り越えてくれ!寄りかからないでくれ!!
本当にキツい。重い。どうすればいいんだ…見捨てたいわけじゃないんだけど、あまりにもお気持ちヤクザみたいでめんどくさいししんどい。
お前が思ってるほど皆大事にされてないよ。愚痴なんてたいてい聞き流されてるし、ドラマみたいに親身に相談のってくれる人なんていないし、体調崩しても上っ面の「大丈夫~?」くらいだからね。それもないときのほうが多いしな。
ていうか私が体調崩してるときお前「機嫌悪くてうざい」みたいなこと言ってなかったか?思い出したら腹立ってきた。いやさっきから立ってるけど。
マジでマジでめんどくせえ。いちいち泣かれるのも面倒だし、根に持つから気をつかうし、とにかく窮屈。
あと自分繊細アピもだるい。そんだけ繊細なくせになんで人の痛みには疎いんだ?察しろよお得意の人間観察でよ。
見返り求めて優しくされてもうさん臭さしかないことにはやく気づいてくれ。
あと誰も要求してないのに勝手に自分責めて謝りだすのもやめてくれ。こっちからしたら「は?」としか思えん。
完璧主義?なとこも自己犠牲精神が強いとこも全然美点じゃないから。自分がやりたくてやってるのに、さも周りのためですとでも言いたげなその態度がムカつくんだよ。誰も頼んでねーよ。
https://comic-days.com/episode/13933686331667252531
頭の上にミカンをのぜる
https://www.tyoshiki.com/entry/2020/07/31/204512
冬野梅子『普通の人でいいのに!』私はこう読んだ
https://deztec.hateblo.jp/entry/2020/08/01/162746
これらたいへんよい感想文なんだけど
個人的にはマッチングアプリという要素に対する話が足りていなくてモヤモヤした
これもバズったよね
「マッチングアプリで会った人だろ!」
http://www.moae.jp/comic/seinoprize_matchingappdeattahito
「普通の人でいいのに」の方ではアプリの話はサラッと流される程度だったけど
主人公が「普通の人」「普通の出会い」を求めたきっかけが「アプリじゃない普通の出会い」を求めたからというのは言及されてる
ここらへん共感できたんだけどどうなんだろ
マッチングアプリでは、他人を比較し、自分が比較される状況が作られる
他人を比較する目はかなり厳しいが、そういう人が自分に靡かないことを知って自分のレベルを否応なく自覚してしまうわけだ
良いなと思う人は自分と釣り合わないし、釣り合う人は興味がない
美男美女を除けば、大抵の人なんてキツイ状況なんじゃないだろうか?
こういうのって実は学校・進学・新卒採用あたりにすごく似てるんだよね
似たような条件の人が一斉に同じことをすることで発生する市場形成
勝者以外はああいうの嫌いだと思うんだけど
すると「もっといい人がいるかも知れない」とはアプリに比べてなりにくいし、自己評価されてる気にもならない
あと、こういうのは選択肢が多いほどにドツボにハマるのではないだろうか?
ある商品を買うときに、2,3種類から選ぶのであれば素直に買えるのに、ネットショッピングなどで100種類の中から選ぼうとすると迷ってしまって結局買えないみたいなこと無いだろうか?
私は結構あるんだが
もっと良いものがあるかもしれない、この選択は間違いかもしれないと不安になったり
本当はもっと良いものがあるが高いから買えない、という事実が心のなかに残って踏ん切りがつかなかったりする
特に買い替えが難しいものほどそうだ、家具とか車とか、迷うし苦しんでしまい、完璧主義者みたいになっちゃう
マッチングアプリというのはこういった
・自ずと自己の魅力の現実を見せつけられる問題(学校や新卒採用に似てる)
などがあって幸福度より不幸度の方が大きいんじゃないかと予想してる
学校・就職なんかはそれでも競争を促すことで社会が良くなるという前提があったけど、マッチングアプリっていたずらに市場形成してるだけだよね
しかもその中でのエリートたちはこのシステム使わないからね、絶望感すごい
せっかく社会という大海に出ることで自分の評価が曖昧になってたのに、突然アレがまた始まったら苦しいに決まってる
「普通の人でいいのに」の主人公はそこから逃げようとして転げ落ちた感を読み取ったんだけど
まあそれは90年代みたいな感じになると言う意味で、別の悲哀になってくるんだろうけど
マッチングアプリって成立せずズルズル使ってもらったほうが得だから、無限にこれは続くっぽいよね
かくいう私も何度かそれ関係の仕事をしているが、まだまだ市場は伸びているし今後も伸びていくだろうという話だった(って経営者が言ってた。投資家向けの資料だからやや眉唾だけど)
「自殺報道ガイドライン」がどうのこうの言われて…が理由かはわからないけど、もうほとんど報道もされてない気がする。もうみんな日常に戻れてるのか。みんな適応能力高いね。
私はまだ全然受け止めきれてない。特別ファンだったわけじゃないし、舞台もいくつかしか観たことないけど、私が幼い頃からの大スターで、最近はミュージカルでもよく観てたし、いつでも当たり前に観られる俳優だと思ってた。何より「死」から一番遠いところにいる太陽のような存在だと思ってたから、名前の隣に「死亡」と続くのが変な感じ。
訃報が流れた当日はテレビは一つも見れなかったけど、今は少しでも受け止めようと思って、名前で検索してネットニュースを読んだりもしてる。(不謹慎だとは思うけど)私はワイドショー的な情報も多少は有り難く受け取った。例えば、部屋から「死にたい」と書かれた日記が見つかったというニュース。これを知れたおかげで、「ああ、三浦春馬は死にたくて死んだのか。よかった」と少し思えた。(とはいえ詮索・憶測は大嫌いなのでほとんどのニュースはミュートしてる。)
訃報のちょうど5日後に「SUPERハンサムLIVE 2012」が映画館で上映されていたので、都内の映画館に観に行った。
別に死んだから上映されたわけでもないし、死んだから観に行ったわけでもない。死ぬ2・3日前にも配信・上映されていて、そのとき私は自宅で配信を見てた。楽しく見てた。
というか2012年に現地でも観てた。でも「推し」は三浦春馬ではないので、正直彼がステージ上にいたときでも観ていなかった時間はたくさんあった。そもそも見るべきところが多すぎるんだよなハンサムライブ。
死んだから観に行ったわけでもないけど、まあ、つい目で追ってしまうよね。めちゃくちゃかっこよかった。何で今まで知らなかったんだろうってくらいかっこよかった。顔が端正なだけじゃない、脚が長いだけじゃない。全ての出で立ちがまさに「ハンサム」。このイベントが「イケメン」とかじゃなく「ハンサム」を冠してるのは間違いなく三浦春馬のおかげが大きいだろうと感じた。
開演時のコメントで彼は「今日昼公演あって明日も2公演あるけど、そんなの関係ねえ!」と言った。そうだった、彼は2012年末、劇団☆新感線の公演(しかも上演時間4時間くらい)にメインキャストで出つつハンサムライブに出演してくれていたんだった。恐ろしいことするね。でも「三浦春馬ならこれができる」と思ってたし、事務所もそう思ってたし、実際彼はやり遂げた。映像見ればわかると思うけど(8月6日にも映画館上映・ネット配信されるから観てね)翌日2公演控えてる人の動きじゃないんだよね。ダンスも歌も笑顔も。
彼を「30年で完成した完璧な作品」と評するファンもいる。けど、そんなきれいなものではないと思う。だって、決まってた映画も、ドラマも、ミュージカルも、全部捨てていっちゃったんだもん。これを「美しい物語」として消費してしまうのは、それこそ完璧主義者の三浦春馬に失礼な気がする。
と思ってしまうほど、ライトなファンのイメージの中でさえ「三浦春馬」は完璧だった。
そんな「完璧な三浦春馬」でいることに彼は疲れてしまったんだろうか。彼の友達が言っていたように「たとえどんなに苦しくても、必ずその困難に打ち勝ち、最高のエンタメを届けてくれた」を貫いてくれたのは最後の優しさだったんだろうか。それとも最後まで苦しめてしまってたのかな。
でも、たまには負けてもいいから、生きていてほしかったよ。(これは完全に私のエゴだということはわかってる。)
今日、彼の著書やCDが売上ランキングの上位を席巻してた。…こんなことがなくても一世風靡するだけのポテンシャルがあったはずなのに。特にもうすぐ発売される新曲「Night Diver」は本当に美しい曲なので、ここまで読んでくれた方は絶対に聴いてほしい。
でもこの世に三浦春馬が存在しない以上、もう「歌の力」も「演劇の力」も「エンターテイメントの力」も信じられなくなっちゃったな。エンターテイメントが私の生きる力を支えてくれていたのは間違いないけど、これって別に命綱ではなかったんだなーって強制的に気付かされちゃった感じ。
華奢で、シンプルなニットやタイトスカートを高校のうちから着こなして、大学では大学院まで行って英語を学んで海外で仕事をしたいと語る、耳で綺麗に揃えられたショートヘアの彼女は、私の自慢の友人だった。
高校を卒業して大学に入っても、彼女とは頻繁に連絡を取り合っていたし、お酒を飲めるようになってから月に一度は私たちには少し敷居の高いお洒落なお店で近況報告をした。ふたりで丸一日ディズニーランドで過ごすことなんて何度もあったし、初めての海外旅行は彼女とだった。つまり、かなり仲が良い女友達だったのだ。
本気で好きになった人に秒でやり捨てされた大学1年の夏、男がダメなら女と付き合うことにしたと言っていた(私はその日初めて彼女がバイだったことを知った)翌月、親のために結婚をしたいと言われ振られたと泣いていた2年の春。
もはや自暴自棄になった彼女が手を出したのは出会い系アプリだった。
そこで出会った10個上の男性は、彼女曰く「完璧な人」だったらしく、彼女はわかりやすくその男性にのめり込んでいったし、あっという間に付き合うことになった。
それはおめでたいと飲み会を取り付け、肉を焼きながら話を聞くのだが何かがおかしい。
「家が2つあるらしくて、ひとつの家にはお邪魔させてもらったけどもう一つの家には社員さんとルームシェアしてるから行けない」
「付き合って3ヶ月経つけど、未だにおうちデート以外したことがないし、写真も撮らないでねって言われてる。そういえば苗字も知らない」
「あと、完璧主義で私にもそれを要求してくるんだけど、それは全部私のためになることなんだって。」
………いやいやいや。いやいやいやいやいや。
どう考えてもおかしい。麻雀のことはよくわからないけど、「役満」ってたぶんこういうことだろう。ダメ男役満。どう考えても奥さんか、それか本命の女と一緒に住んでるオチだろうし、完全に遊び相手にされてるだろ。喉まででかかった言葉を飲み込んで、
と一番突っ込みやすそうな部分を笑い混じりで指摘してみたところ、彼女の顔色が変わった。
「でもね、彼と私は、今のままの私じゃ釣り合わないんだって。だから彼は強く言ってくれるし、私が気づかないような部分まで指摘してくれるの。伝えてくれたところを頑張って直すと、自分がとてもいい女になった気がするの」
「それよりね、こないだ彼と〜」
あれ、彼女、こんな子だったっけ?
最初に抱いた違和感はそこだった。一瞬言葉に詰まったのを覚えている。
無我夢中で彼の「いいところ」を並べ立てる彼女は、可愛らしいというより少し不気味だった。
そんな別人のような友達と喋ることが辛くなり、その日は早めにお開きにした。
それからは恋は盲目、あばたもえくぼ、そんな自分に気づかない彼女は周りを蹴散らしてどんどん彼に猪突猛進。そんな状態が続いた。
「ベッドに長い髪の毛が落ちていた。でも大丈夫。私は彼を信じているから。」
「彼の通知画面に出会い系アプリの通知があった。でも大丈夫。私は最後には幸せになるから。」
「彼には何年も付き合っている彼女がいて、その人と同棲していた。でも大丈夫。私が一番愛されているから」
私はそのたび彼の矛盾している部分を何度も何度も指摘したが、私の言葉は彼女には何も届いていないようだった。
友達が出会い系アプリで彼と出会ってから、もう一年半が経とうとしていた。
私は就活をしながら、めっきり会う頻度が減った彼女の裏アカウントのツイートを眺めていた。いつのまにかラインもしなくなった私たちが、お互いの近況を知るためのツールはツイッターとインスタグラムだけだった。
基本的には、彼のどんなところが好きだとか、自分には何が足りないのかとか、そんなことを綴っていた裏アカウントに、衝撃の言葉が綴られていた。
「彼の会社に就職することにした♡面白そうだし、楽しみだなあ。」
頭がくらくらした。たしか、彼の会社はベンチャー企業で少なくとも海外で働けるような環境ではない。
いやお前、、、あのさあ、、、
海外で働く夢は?進学予定だった大学院は?その夢を応援してくれていたご両親は、、??
もう、私が知っている彼女はどこにもいないのだとその時痛いほど突きつけられた。私が大好きだった彼女は、出会い系で出会った32歳の男性によって全て塗り替えられて、まったくの別人になってしまったのだ。
大体、出会い系で20歳の女の子を引っ掛けて会社にまで入れちゃう30代社長って何?最初から最後まで地雷物件じゃねえか。
そんな気持ちで裏アカウントのフォローも外さず、監視を続けていくと(わかっているとは思うが、私の性格は全然良くない。)、彼女の様子はどんどんおかしくなっていった。
「仕事が辛い。けど、頑張らなきゃ。」「大学辞めたい。仕事に集中したい。」「仕事に集中したいのにゼミの人たちが邪魔をしてくる。」
「こんなの、やりたい仕事じゃない。」
うーん、このままだと、大学中退の就活未経験のフリーターが出来上がってしまうのかな。それとも先に鬱になっちゃうのかな。でもまあしょうがないか。もはやエンターテインメントのひとつとしてしか彼女を見ていなかったが、それも長くは続かなかった。
彼女が裏アカウントを消してしまったのだ。理由は確か、仕事の愚痴をここに吐いてしまって甘えてしまうとかだった気がする。
これで完全に彼女との深い友人としてのつながりは切れてしまったと思った。あとはうわべだけのインスタグラムしか残っていない。インスタグラムのストーリーで、彼がついに本命女と別れて、彼女とちゃんとした同棲を始めたことを知った。(ふつうにすごい。健気さと執念と若さの勝利だと思った。)(本命女は30前半だったらしい。)
ただ、すでに私の中で、心からおめでとうと言える段階ではなかった。
私は高校時代から大好きだった友人があっという間に変わっていくのが悲しかったのかもしれない。私の話も聞かずに彼のことばかりを上の空で話し続ける彼女から目を逸らしたくて、連絡する頻度も少なくなっていったのかもしれない。ただ、今となってはそんなことはどうでも良くて、彼女は私にとって「どこからどうみても地雷の男に溺れて忠告も聞かず自分との友情を切った女」でしかなかった。そんな女を今でも大好きな親友♡と思えるほど、私はお人好しではない。
彼女が同棲を始めて少し経った時くらいだろうか、彼女から急にインスタグラムのDMが来た。(驚きすぎて、その日の夜は彼女と社長の彼と私の3人で遊ぶ夢を見た。悪夢だった。)
2日間ほどぽつぽつとやりとりをしていると、送られてきたのは「彼が浮気していて辛い。自分の思い描いてた幸せはこんなものじゃなかったのかもしれない」というメッセージだった。
「今更気づいたのか」以外の感情が沸かなかった。ていうか彼との関係が不安定になってきたから私に擦り寄っているようにしか見えないんですけど…。
ねえ、私たちってまだ友達なのかな。私がもっと優しい人だったら、今でもあなたの悩みに寄り添えるのかなあ。そう思いながら、興味本位で話を聞き続けた。彼女はいつのまにかポエマー気質になっていて、文章はとても読みづらかった。(彼も清水翔〇の書く歌詞のようなLINEをすると話していたことを思い出した。やっぱり彼氏彼女は似るのかと思ったし、良くないところばっかり似る気がする。勘弁して欲しい。)
ついきのう、彼にもう無理かと思ってると言われた、辛いけど離れようと思うと彼女から連絡が来た。これを伝えるためにライン1スクロール分くらい使って送ってきた。
ねえ、もう大学四年生の冬になるよ。失ったのは、たぶん彼に費やした時間だけじゃないんじゃないかな。学校での信頼とか、ご両親の信頼とか、私との友情とか。あなたはこれから、どうやって過ごしていくの?
あ、お願いだから、私にだけは頼ってこないでね。
そんなふうに思いながら自分の心の整理のためにメモ帳のアプリに書き起こしてみたら、想像以上に大長編になってしまった。とりあえず残しておこうと思う。
〜後日談〜
結局彼女はのこのこ彼と復縁をして、また頑張ってみると抜かしやがった。2時間電話して別れたのは正解だったよとテープレコーダーのように繰り返し声をかけ続けた私の虚しさを返してほしい。
怒り半分、悲しさ半分。この時の気持ちは、同じ経験をした人にしか分からない気がするが、ここまで読んでくれた人にはちょっとでも共感してもらえたらいいなとも思う。
気付いたら「なんでもいいけど彼の言うことしか聞けないならもう私に連絡してこないでね」とラインしていた。完全に友達を失ってしまった瞬間だった。(何度でも言うが、私は性格が良くない。)
きっかけはTwitterのタイムラインに流れてきたエッセイ漫画。拒否反応が出てちゃんと読めていないけど「〇〇で××だったけどこの一言で完璧主義者をやめられました!」「ゆっくり休んだら精神が回復しました!」というものだったと思います。
しかし本当に「がんばらなくても死なない」という考え方で全員が救われるのでしょうか?
私は「自殺しないこと」を頑張っています。通学途中車の前に飛び出したい、踏切を越えて電車に轢かれたい、包丁で動脈を切りたい、校舎の4階から飛び降りたい……そういった衝動を必死で抑えながら、ただ「好きなもののファンコミュニティから自殺者を出していろんな人に迷惑をかけたくない」という一心で日々を過ごしています。
精神科には何年も通っています。副作用に苦しみながら薬も飲んでいます。カウンセリングも受けています。けれどこの希死念慮はどうしようもありません。
そんなギリギリの、文字通り「がんばらないと死ぬ」生きている人たちに、「がんばらなくても死なないよ!」という言葉は果たして本当に救いになるでしょうか?
この世にはどうしようもない事情で「頑張るか、死ぬ」の二択を突きつけられている人間がいます。その事実を頭の片隅に置いてくださったら嬉しいです。というか置け。
母親の虐待によって普通じゃない身体になった。普通じゃない心になった。
世の中において「普通じゃない」という事は想像以上に大きなハンデ。
特にメンタルや「お育ち」の部分は取り繕おうとして簡単に取り繕えるものではなく、世間との違いに苦しんでいた。
辛い事もあったが、一度も不登校・留年・浪人といった脱落イベントを起こすことなくストレートで大学まで学校に通い、正社員として就職出来た。
母親にこれ以上人生を狂わされてなるものかと必死だったからだ。
幸い俺の損害は「コミュ障」程度で済んだ。最終的にはこれも解消していけたらいいと思うが。
俺は当然、母を恨んでいる。
あいつのせいで人生が狂った。正確には「狂いそうな人生に抗う」という、本来しなくていいはずの苦労を沢山した。
母が変な宗教に目覚めたのだ。最初はああ、やっぱりこいつバカなんだな。しょうもない人間なんだなという呆れからやってきた。
だがその口から「天使様の愛を受けているの」とか「ママほど愛に溢れた人はいないわ」みたいな事を言い出した時、魂が凍るような冷ややかな衝撃を受けた。
しかも口で言うだけで、俺に対しての態度を改めることはなかった。
流石に幼少期のようにもう支配されてはいないが、冷たく当たったり俺のやることなすことを否定し蔑んだり、相変わらずだった。
何が愛だ。バカにしやがって。幼少期からの憎しみがふつふつと湧いてきて、湯が沸騰しそうなほどの怒りが立ち上った。
この時は本当に日本の法律が許すなら殺してたと思う。だが現実として殺したら俺は捕まる。母にこれ以上人生を狂わされてはいけないので踏みとどまった。
大学を卒業して就職したが、俺は長男なので固定資産の後継ぎとして家に残って暮らしていた。
大人になると、子供の頃あれだけ畏怖の対象だった母親がどんどん小さく見えてくるようになった。
俺は一人の人間として母を見た。
変な宗教にハマって、両腕に五つずつ、足首に一つずつ、首に三つの水晶をつけて、胡散臭い言葉を並べながらジャラジャラと歩いていた。
夫に否定され、子供たちにも見放され、親兄弟はもう全員この世にいない。孤独な存在だった。
その時俺は母の事をはじめて、可哀想な人だと思った。誰にも愛してもらえない可哀想な人がそこにいた。
一度可哀想だと思ったら、なんだか可愛く見えてきた。この感情はインターネットで煽りで使われる「かわいいw」とニュアンスが近いと思う。
俺は試しに、母の事を何かにつけて褒めるようにしてみた。
今日の服が可愛いことや、容姿が年齢よりは若々しく見えるとか、今まで気づかなかった身体的な細かい特徴、たまに良い事を言った時は必要以上に持ち上げたりした。
すると面白いことに、母親はストレスで気が狂い始めた。どうやら自分の容姿の細部や細かな言動に注意が向かれる事がストレスだったようだ。
あの人は多分、完璧主義なんだと思う。見られてると思ったら、それが他人に見られて完璧でないといけないと思っているのだ。心配しなくてもぜんぜん優れてないよ。
「そういうのやめて!もう何も言わないで、話しかけないで!」と騒ぎ出すようになった。
一応言っておくが、俺はただ単に褒めただけだ。「今日の服、爽やかでいいね!」と言っただけで、上記の反応になるのだ。
俺は味をしめた。褒めるだけで相手は気が狂ってくれる。ストレスで寝込んでくれる。俺にとってこんなに都合の良い事があるだろうか?
俺は母を愛そう。でも愛した結果どうなるかまでは分からない。どうなっても俺は母を愛しただけだ。
その愛は歪んでいる?でも歪んだ愛も愛だと教えてくれたのこそ、あなたじゃないか。俺は親からもらったものをちゃんと返す、それだけだ。
経験則から3ヵ月というと、普通の人はゲームに飽きてくる頃合いだと思う。
そのゲームに対してオタク的であれば年単位で平気で続けるとか、逆に早ければ数日で一つのゲームを終える者もいるわけだが、
まあ勿論細かな例を挙げると当然ばらつきはあるものの、やはり3ヵ月経てば人は一つのゲームに飽きると思う。
なので、そろそろちょうど「あつ森」に飽きる人間が出始める頃なのだ。
確かにSNSでも一定の人気こそ保っているものの、一時期と比較するとスクリーンショットを見かけることが格段に減ったと思う。
そう思っていたある日、こんなツイートを目にした。
「あつ森の義務感から逃げてしまったので、あつ森を辞めた。」(要約)
「あつ森は義務感があるから、自分にはプレイできないと思う。だから買ってない。」(要約)
これを見て「は?」という声がまず出た。プレイしたことがある人ならわかると思うが、どうぶつの森はそんなゲームではない。
確かに今作に関しては一定のチュートリアルがあり、シナリオをクリアするまでは一定の制約が常にある。
とはいえ、やることが徐々に増えるようになるのはかなり多くのゲームに共通しているし、あつ森の場合シナリオに当たる部分は短い。
これ自体が気に入らないなら「ゲーム向いてない」と言わざるを得ない。
また確かに、ソシャゲのデイリーミッションに近いシステムもある。
しかしながらその内容も、自然と達成するものばかりだったり、別に達成したくなければ達成しなくてもよいわけで、そこまで肩に力を入れる類のものではない。
最低限話を進めるためであれば、自然と達成するものだけでもやりくりできるのではないだろうか?
彼らの言う「あつ森の義務感」とは一体なんなのか?
虫や魚を見つけても、気が向かなければ無視すればよい。イベントも参加する必要もないし、住民と仲良くなる必要もないし、必要以上には島を飾る必要もない。
最低限のシナリオクリアはともかく、それ以上はどれも必要があるとすれば「したい時だけ」ではないだろうか……?
「飽きたこと/プレイしないことに対するそれっぽいことば(正当化)」
「本当に何かしらの義務感を自分のなかに作り出してしまうびょうき(完璧主義)」
のどちらかなのである。
前者の人は「義務感が~~」とか理屈っぽい事を言わずに、ただ「飽きたからやめました」と言えばいい。
言うと角が立つと思うなら、何も言わなければいい。
私は一介の十二国記ファンである。中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。
本記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈や思い入れにも立ち入るかもしれない。
各物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟の視点から見た世界よりも、庶民から見た世界の比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座に上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆のレジスタンスの物語であり、それがさらに大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。
もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベルで出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。
しかし、「丕緒の鳥」からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理な世界で生きる人々へのエールとなっている。
つまり、これから尚隆や陽子の視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。
前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。
十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。
天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。
しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上の奴隷だっている。
そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。
言い換えると、天は王と官吏と農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会を形成してきた。そして、この世界の民衆はルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主の世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領に支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たちの世界の大統領・首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たちの世界の鏡像なのだ。
今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。
それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界の宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。
十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟の運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠・出産からの「解放」だ。女性の苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観も女性に優しい。王も麒麟も官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性は再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSF・フェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。
しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会の軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに性暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界のセックスワーカーがどれほど過酷な生活を送っているかは不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実の中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。
考えてみれば、官吏は女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である。育児の負担がこちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。
それと、生理の問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から「解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信・タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。
天帝が女性、または西王母が兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから、天帝が西王母より偉い理由は別にない。
十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である。麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋な空想だ。
考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝がラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに「黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。
だが、もともと中国・道教の死生観がそういう面がある。「救急如律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国の役人が賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。
そして、自分は天帝がラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記が不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧な世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。
私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。
また、
そして、長編がありうるとしたら
と考えている。
少しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。
王朝の最後にはいくつかの傾向がある。一つは陽子を暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人の劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所が裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実を検討する能力に乏しかった。
で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らしをしろ、という趣旨の台詞がある。
これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しかも御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険なものはない。ああいう仲のいい家族が崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。
「王気」という言葉は一見すると単純な造語である。しかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。
黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。
十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人のお話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義が歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。
また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。
最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力を行使可能な麒麟がいるとか、かなり危険な情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。
楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝は盗賊が活躍するピカレスクロマンである。文人肌の楽俊とはだいぶ違う。
桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」の意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。
祥瓊の父の字は仲達で、三国志の諸葛亮のライバル、司馬懿と同じだ。雁の白沢は瑞獣の名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国の官僚や文人たちから名前が取られている。とはいえ、名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い。
「帝」という称号は始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである。
しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。
語彙だけではない。現実の中国の文化には、周辺の異民族との交流から生まれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートやキルトではない、ズボンやパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界が匈奴や西域の影響の薄い中国の文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。
十二国記のアニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。
つらつらと書いてしまった。
残念ながら、小野不由美の他の作品との比較・検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。
積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。
そして、次回の新刊をのんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語の物語を完結させてくださり、ありがとうございました。
フェミニストがよく言うこういうやつ。
「男の人は、無意識レベルで女は頭が悪いと思い込んでいてそういう発言をする、これは大きな女性差別だ」
みたいなの。
増田はIT業界に勤めているが、この業界はかなり男性の比率が高い。男ばかり。女がグループの中で1人しかいないという場合も殆どだ。
女は頭が悪い的なちょっとした偏見が下地にある事は知ってる。実際多分自分もそうみられているだろう。
しかしこれはむしろ「プレッシャーがない」という特大メリットであると感じるのだ。
小中高、成績優秀で品行方正な優等生。クラスの最高点が発表されると皆いつも自分の点数を覗きに来た。
どの習い事の教室でも一番上手にそれをこなした。発表会ではいつもトリ。先生にいつも周囲より一つ上のレベルを要求された。
バイトを始めればたちまちリーダーになる。趣味を始めればその世界でも上達が早いとたたえられてきた。
「次も1番でいなければ」と思う。「失敗することは許されない」と思う。
例えば2番を取った時、「2番だなんてすごい!」ではなく「1番になれなくて残念」という感想になる。
必ず自分はすごくなければならないと思う。周囲もそれを要求する。
この生活を15年とか過ごしていると、本当に周りから、それ以上に自分から要求される完璧主義に徐々に耐えられなくなっていった。
そんな私が社会人になったのが去年の春だった。
新人研修で成績1位になると、同期からはリーダー扱い。早速上司からも「この子は優秀だ」みたいに言われるようになった。
早速自分はスタートダッシュを失敗してしまった。気楽にやろうと肩の力を抜いたはずがやはりこうなってしまった。
いくら同期の中で持ち上げられようと、この道十数年というベテランの前では赤子同然。
考えが及ばないことばかり。社会常識にも欠けていて、失敗もする。
その時自分の完璧主義を崩してくれたのが、「新人だからしょうがないよね」ではなく「女だからしょうがないという無意識ベースの心理」だった。
そのチームの中でたった一人の女。若手男性と比較しても先輩たちは明らかに優しく教えてくれる。ダメな事をしそうだと先回りしてくれる。先に帰って良いと言ってくれる。間違えても怒らないでいてくれる。
気が楽だった。
頭が悪いと思ってもらえるって、こんなに楽だったんだ……。
生きるのが一つ楽になった。
だからこそ「男だから優秀でなければ」と思いつつ優秀になれない人の悲しみは計り知れない。
女という免罪符がないのだから。ただ女であるだけでプレッシャーが緩和されるのだから。それがないのだから。
そしてフェミニストがわざわざ「女は頭が悪い」という意識を撤廃しようとする意味が分からないのだ。
言わなければいけないことは「男も頭が悪いことがある」あるいは「優秀じゃなくてもいいじゃない」であり、
「女は頭が悪くない」ではないはずだからだ。
そんな頭がよく思われて、どうしたいのだろうと思ってしまう。
確かに「女の言うことは全部ダメ!」レベルの過度な昭和価値観は令和にいらないと思うが、多分その範囲のことのみを言ってる訳じゃないだろう。
優秀だと思われることは、思うよりつらいことだと思うのだけど。