2020-06-09

どうして「どうぶつの森に飽きた」と言えないのか

あつまれどうぶつの森の発売から今月の下旬で3ヶ月になる。

経験則から3ヵ月というと、普通の人はゲームに飽きてくる頃合いだと思う。

そのゲームに対してオタク的であれば年単位で平気で続けるとか、逆に早ければ数日で一つのゲームを終える者もいるわけだが、

まあ勿論細かな例を挙げると当然ばらつきはあるものの、やはり3ヵ月経てば人は一つのゲームに飽きると思う。

なので、そろそろちょうど「あつ森」に飽きる人間が出始める頃なのだ

かにSNSでも一定の人気こそ保っているものの、一時期と比較するとスクリーンショットを見かけることが格段に減ったと思う。

そう思っていたある日、こんなツイートを目にした。

「あつ森の義務から逃げてしまったので、あつ森を辞めた。」(要約)

「あつ森は義務感があるから自分にはプレイできないと思う。だから買ってない。」(要約)

これを見て「は?」という声がまず出た。プレイしたことがある人ならわかると思うが、どうぶつの森はそんなゲームではない。

かに今作に関しては一定チュートリアルがあり、シナリオクリアするまでは一定の制約が常にある。

とはいえ、やることが徐々に増えるようになるのはかなり多くのゲーム共通しているし、あつ森の場合シナリオに当たる部分は短い。

これ自体が気に入らないなら「ゲーム向いてない」と言わざるを得ない。

また確かにソシャゲデイリーミッションに近いシステムもある。

しかしながらその内容も、自然と達成するものばかりだったり、別に達成したくなければ達成しなくてもよいわけで、そこまで肩に力を入れる類のものではない。

最低限話を進めるためであれば、自然と達成するものだけでもやりくりできるのではないだろうか?

彼らの言う「あつ森の義務感」とは一体なんなのか?

虫や魚を見つけても、気が向かなければ無視すればよい。イベントも参加する必要もないし、住民と仲良くなる必要もないし、必要以上には島を飾る必要もない。

最低限のシナリオクリアはともかく、それ以上はどれも必要があるとすれば「したい時だけ」ではないだろうか……?

そう考えると、彼らの言う「義務感」とは虚構存在であり、

もう少し具体的な言葉言語化するなら、

「飽きたこと/プレイしないことに対するそれっぽいことば(正当化)」

「本当に何かしらの義務感を自分なかに作り出してしまうびょうき(完璧主義)」

のどちらかなのである

後者の人は本気で病気なので病院行ってくれ。

前者の人は「義務感が~~」とか理屈っぽい事を言わずに、ただ「飽きたからやめました」と言えばいい。

言うと角が立つと思うなら、何も言わなければいい。

  • 「飽きたからやめた」とか「私あれ嫌い」と言えばいいものを 変に一般化した理屈みたいなの捏ねて 私は正しい選択をしたみたいな主張するやつはどのジャンルでもウザい

  • 多分同じツイートを見たと思うんだけど、 1ヵ月は大丈夫だったけどその先ついていけなかった、みたいなこと言っててそれ1ヵ月で飽きただけだよねと思ったわ

記事への反応(ブックマークコメント)

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