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はてなキーワード: 口伝えとは

2020-03-20

anond:20200320182417

楽譜発明されなかったので。

音楽口伝えのみ。

その結果として楽器も発達しなかった。

2019-10-17

陰キャ

もし君が陰キャだとするなら、これだけは知っていてほしい

陰キャ存在していないことになってる。

誰の記憶にもないし話題にも出ない。口伝えですら歴史にも残らないということ。

写真もほぼ現存しないし自らが撮ることもない。

2019-07-01

喜多川右府薨去の事

天下布武を唱え、腹心であった飯島摂津守及び家臣団五人衆、すなわち中居弾正、木村内匠、稲垣五郎右衛門、香取金吾、草薙武蔵らの離反も、その強大な力により押し潰し、今や鳥を落とす勢いであった喜多川右府が、突如、京にて薨去されたとの噂が、日の本じゅうを駆け巡った。

ある者は流行病によるものと噂し、またある者は家臣による毒殺とも噂しあったが、果たしてその真相は、右府の生死も含めて杳として判らなかった。

マスメディアが十分に発達した現代とは違い、当時は、重大な事件は全て人々の口伝えに頼らざるをえない。戦国武将達は、不確かな状況の中で自らの去就を決めねばならず、その対応如何によって、ある家は栄え、ある家は滅びるといった悲喜劇が、絶えず繰り返されたのであった。

ところで、右府のもとには、二人の有力家臣がいた。木村内匠と滝沢左近である

木村内匠については、飯島の乱において仲間の謀議を主君へ密告した功により取り立てられ、右府からの覚えもめでたく、非常に権勢を振るったことは、既に述べた。(https://anond.hatelabo.jp/20160119162624

もう一人の重臣滝沢左近は、元は一介の素浪人であったが、右府に仕官すると俄に頭角を現し、今や右府の最側近として大いに活躍していた。

さて、両者ともに、この悲報に接したのは、京から遠く離れた土地であった。

その時、木村内匠は、右府の命を受けて城攻めを行っていた。梅雨空の下、城の周囲に幾重にも堤を築き上げ、増水した川の水を中へ流し込む「水攻め」を行うこと約1ヶ月、もはや天守は湖の中の孤島と化していた。

「ってゆーかさぁ、もうそろそろ落ちるんじゃね?」

そんなある晩のこと、勝ち戦への楽観が広がりつつあった木村陣営に、突如、右府逝去の激震が走った。京からも離れていたため情報錯綜し、いつしか町奉行である東山越前守により弑逆されたとの誤報にすり替わっていたのだった。

突然の悲報に接し、大声を上げて悲嘆する木村内匠に、その妻、静御前冷徹言葉を投げかけた。

「殿さま!今すぐ京へ引き返して、逆賊越前守を討ち滅ぼし、御館様の無念を晴らすのです!」

「よく言うた。それでこそ我が妻よ!」

木村は電撃を受けたように飛び上がると、すぐさま敵方講和を取りまとめ、全軍を京へ向けて引き返し始めた。

一方、滝沢左近は、遠く関東にてこの悲報に接した。ただし、右府の側近中の側近であったことが幸いし、在京東山越前から直接、正確な情報書簡で受け取ることとなった。滝沢左近は、俄に活発化した敵勢と対峙しつつも、手堅く京へ軍勢を引き返した。

実際のところ、この時点では右府はまだ逝去してはいなかったが、今で言うところのクモ膜下出血により、ほぼ危篤状態であったらしいので、死へ向かいつつあったというのが真相であろう。だが、意識を失う直前、右府は「余の影武者を立てて、死を三年間、隠すように」との遺言を、側近の東山越前守へ伝えていたため、先のような虚実入り混じった噂話を生む結果となってしまったのだった。こうして、両者が接した情報の確度の違いが、やがて両家の命運を全く違うものにしてゆく。

まずは木村内匠であるが、弔い合戦のつもりで軍勢摂津山城国境山崎まで進めたところで、東山越前守の軍勢対峙することとなった。

東山越前守は単騎で進み出ると、大音声を上げた。

「やれ、賊軍ども、なにゆえ京へ攻め上った!御館様に楯突くものは、尽く成敗してくれる!」

木村内匠、答えて曰く、

「傍ら痛いわっ!お前こそ、御館様の亡き後、政を私しようとする賊軍であろう!」

「何をたわけたことを!ここに、御館様はおわすぞっ!」

銅鑼の合図とともに東山軍が左右に割れると、その間から見覚えのある輿が進み出てきた。そう、それは右府の豪奢な輿であった。

「やばっ!御館様!」

突然の状況に、木村軍は戦わずして敗走を始めた。更に間が悪いことに、関東より引き上げてきた滝沢軍が退路を断つ形になり、木村軍は徹底的に殲滅されることとなった。

ちなみに、東山越前守の機転によって引き出された輿であったが、その中には、既に意識のない主人が乗っていようとは、木村内匠は知る由もなかった。

こして敗退した木村内匠は、ひとり戦場より落ち延びると、ある禅寺でひっそりと出家して生き延びたという。一時は、かつて裏切った自分主君であり、既に出家して名を改めていた飯島摂津守の元に、弟子として身を寄せていた時期もあったようであり、何とも皮肉人生である

2015-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20151109203204

イメージしかないけど苦学生口伝えで出来る手っ取り早いバイトなんでしょ?

留学生も多いしそれで事足りるんじゃなかろうか。

高校生ベビーシッターで小遣い稼ぐらしいしさ。

そもそも入試に向け根を詰めて勉強に集中する日本とはだいぶ感覚が違うんだろうなあ

2013-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20130709083012

他人との区別を他人への「差別」と勘違いしてないか?よくあるよねーそのパターン

レスするつもりはなかったけど、一回だけ冷たくあしらわせていただきましょう。

「何故あなたの中で私が異教徒を見下したことになってんの?」


「ある程度合わせます

神聖とされる場を穢すなら行かない方がよい

それでも更に「区別は当たり前にする」のを悪く言えるの?

「心から思ってもいないことをやる」のが正しいと思ってる?

茶番を演じるのが善だと思う?

他人との距離はちゃんと取るのがいい。

そういうトラブルは万能の毒だからね。


私が死者を礼拝しないのと同じように、私も断食を周囲の異教徒に要求しないよ。

それが「他人(異教徒)との区別」だと思うんだけど。

そんな話でね、無理しない方がいい。

あなたあなた宗教を崇めていればいい、自分自分宗教を崇めます

それが適度な他人との付き合いだと思うよ。

そういうこと書いてて、あなた自分以外のあらゆる宗教に従えるかい

はっきり言うけど、そんなことしないでね。

後で嘘つき扱いされるからね。

口伝えで信用無くすからね。

それこそまったくの偽善



子供か!と心からツッコミ申し上げます

怒りません、憐れみます

以上、さようなら

2011-12-27

http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-2153.html

僕が小学生だった頃は、友達ファミコンの話ばかりして、友達の家でファミコンをするのが楽しかった。

ちょっと風変わりなテクニックから裏技バグ技まで、ほとんどは口伝えだった。

攻略本というのはたいていは高価だったし、旬から一歩遅れて発売されてた。

ソーシャル機能なんかなくたって、友達とつながる快感があった。

そこには確かに、ソーシャルネットワークがあった。

あの頃は、友達がいないゲーマーはいなかったと思う。

攻略本が、僕のソーシャルネットワークを殺した。

攻略本ネットに殺された。

友達がいないゲーマーけが残った。

あるいは僕のように、ゲームに没頭すれば、誰かに繋がれるような錯覚を信じて、コントローラを握るパブロフの犬が残った。

僕はテレビゲーム卒業した。

条件反射が解けちゃったんだな。

思い出のゲームの中で、美味い魚だけを獲ってジジイに食べさせてるとジジイが回復するエピソードがあった。

僕にとっての、ゲームは不味い魚、いや死んだ魚みたいなもので、これを獲り続けてもどこにもいけないと悟ってしまったんだ。

 
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