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はてなキーワード: 天下布武とは

2023-04-29

anond:20230429074532

信長革命者ではなかったというのは、歴史見方によるところが大きい。

一般には、信長封建的中世社会を打破し、

近代的な国家を目指した革命家として評価されてきた。

しかし、近年の研究では、信長政策中世社会の延長線上にあり、革新性は低いという見方が主流である

 

信長は、自らの権力を強化するために、室町幕府寺社勢力対立したが、それは中世的な権力闘争の一環であり、社会制度思想に対する批判改革を行ったわけではない。

また、信長が推進した「天下布武」や「天下統一」も、中世的な観念に基づくものである

信長は、「天下」(五畿内)を支配することを目指したが、「日本国」全体を統一することを考えていなかった。

信長は、「天皇」や「将軍」という中世的な権威依拠しようとしたが、「国王」や「皇帝」という近代的な権威を自ら名乗ろうとしなかった 。

 

したがって、信長革命者ではなく、中世社会の最終段階における戦国大名であると言える。

信長が行ったことは、中世社会の変動や混乱に対応するための適応であり、近代社会への移行を意図したものではなかった 。

2022-12-26

anond:20221226103702

出身日本でそれに関連して大和民族歴史調べてたから分かるけど、大和民族ってただの野蛮人なんだよね

ゲイシャフジヤマみたいなノリで大和民族は争いもなく平和暮らしてた~みたいなイメージ持たれてるけど

日本内にいくつもの国が分かれてて、普通に殺しあってるから

あと共和制じゃなくて封建制から貧富の格差やばい日本内で奴隷普通にいた

織田信長とか日本英雄扱いされてるけど、やってることは日本国内のいざこざでトップに立って謀略に踊らされて非武装僧侶虐殺しただけだから

そりゃ明智光秀暗殺されるよ。天下布武してたら大和民族犠牲者も大量に出てたはずだからね。ある意味暗殺で終わってよかった

ゴールデンカムイを読んで大和民族を知った人も多いけど、あの漫画の温厚な描写ファンタジーだと認識すべきだと思う

2022-05-08

桶狭間のあと信長今川家方向へと進出したらどうなったのか?

まず東の今川領に進もうとした場合に一番はじめにぶつかるのは三河松平家勢力範囲になる。

これは意外に感じるかもしれないが尾張から東に領土拡張する場合史実のように松平家同盟を結んでから遠江へと進出するというのはおかしな話だ。

そんなことをしたら飛び地になるし何より海の物とも山の物ともつかぬ松平家の新たなる当主家康を信頼して三河を素通りして遠江侵略したところで後ろから攻撃される可能性が極めて高い。

から今川領へと侵攻する場合にはまず三河勢力とぶつかることとなる。

その場合、当然松平家今川からの自立を自重して今川傘下として収まる代わりに今川の後詰を得る形となる。

まり今川家が史実ほどには崩壊しないことになるのではないか

今川家が桶狭間のあとに凋落していく原因の一つに三河勢力の離反と攻撃がある。

そのことで武田徳川勢力からの同時進行に苦しめられたのだ。

しかし、三河勢力が離反しなかった場合には比較的安定した勢力を保っていた可能性が高い。

と、すると信長的には全然おいしくないのだ。

さらにその状況でもあえて今川領に進出した場合には三河勢力美濃斎藤家と同盟を結んで織田家挟み撃ちにする可能性が高い。

こうなると北と東とに敵を抱えて美濃三河を手に入れるどころか逆に尾張を維持することだけに汲々としたことであろう。

これでは桶狭間以前より状況が悪くなる。

このように考えると「天下布武」などという大きな構想を考えること以前に東に同盟勢力をつくるというのは理にかなっていることであり同じ同盟を組むのなら三河選択するのはあたりまえでh

2021-01-20

天下布武

現代国家権力者は、武力によって世界征服したい、みたいな野望を持っていたりするんだろうか?

表には出さないだけで、虎視眈々と狙っていたりするのかな。

2020-09-16

さんだいめじゃーを配下に加えた、本・日本銀行に敵はない。天下布武である

2020-05-22

anond:20200522111912

天下布武を競って戦った名将達をなかったことにするなよ

2019-07-01

喜多川右府薨去の事

天下布武を唱え、腹心であった飯島摂津守及び家臣団五人衆、すなわち中居弾正、木村内匠、稲垣五郎右衛門、香取金吾、草薙武蔵らの離反も、その強大な力により押し潰し、今や鳥を落とす勢いであった喜多川右府が、突如、京にて薨去されたとの噂が、日の本じゅうを駆け巡った。

ある者は流行病によるものと噂し、またある者は家臣による毒殺とも噂しあったが、果たしてその真相は、右府の生死も含めて杳として判らなかった。

マスメディアが十分に発達した現代とは違い、当時は、重大な事件は全て人々の口伝えに頼らざるをえない。戦国武将達は、不確かな状況の中で自らの去就を決めねばならず、その対応如何によって、ある家は栄え、ある家は滅びるといった悲喜劇が、絶えず繰り返されたのであった。

ところで、右府のもとには、二人の有力家臣がいた。木村内匠と滝沢左近である

木村内匠については、飯島の乱において仲間の謀議を主君へ密告した功により取り立てられ、右府からの覚えもめでたく、非常に権勢を振るったことは、既に述べた。(https://anond.hatelabo.jp/20160119162624

もう一人の重臣滝沢左近は、元は一介の素浪人であったが、右府に仕官すると俄に頭角を現し、今や右府の最側近として大いに活躍していた。

さて、両者ともに、この悲報に接したのは、京から遠く離れた土地であった。

その時、木村内匠は、右府の命を受けて城攻めを行っていた。梅雨空の下、城の周囲に幾重にも堤を築き上げ、増水した川の水を中へ流し込む「水攻め」を行うこと約1ヶ月、もはや天守は湖の中の孤島と化していた。

「ってゆーかさぁ、もうそろそろ落ちるんじゃね?」

そんなある晩のこと、勝ち戦への楽観が広がりつつあった木村陣営に、突如、右府逝去の激震が走った。京からも離れていたため情報錯綜し、いつしか町奉行である東山越前守により弑逆されたとの誤報にすり替わっていたのだった。

突然の悲報に接し、大声を上げて悲嘆する木村内匠に、その妻、静御前冷徹言葉を投げかけた。

「殿さま!今すぐ京へ引き返して、逆賊越前守を討ち滅ぼし、御館様の無念を晴らすのです!」

「よく言うた。それでこそ我が妻よ!」

木村は電撃を受けたように飛び上がると、すぐさま敵方講和を取りまとめ、全軍を京へ向けて引き返し始めた。

一方、滝沢左近は、遠く関東にてこの悲報に接した。ただし、右府の側近中の側近であったことが幸いし、在京東山越前から直接、正確な情報書簡で受け取ることとなった。滝沢左近は、俄に活発化した敵勢と対峙しつつも、手堅く京へ軍勢を引き返した。

実際のところ、この時点では右府はまだ逝去してはいなかったが、今で言うところのクモ膜下出血により、ほぼ危篤状態であったらしいので、死へ向かいつつあったというのが真相であろう。だが、意識を失う直前、右府は「余の影武者を立てて、死を三年間、隠すように」との遺言を、側近の東山越前守へ伝えていたため、先のような虚実入り混じった噂話を生む結果となってしまったのだった。こうして、両者が接した情報の確度の違いが、やがて両家の命運を全く違うものにしてゆく。

まずは木村内匠であるが、弔い合戦のつもりで軍勢摂津山城国境山崎まで進めたところで、東山越前守の軍勢対峙することとなった。

東山越前守は単騎で進み出ると、大音声を上げた。

「やれ、賊軍ども、なにゆえ京へ攻め上った!御館様に楯突くものは、尽く成敗してくれる!」

木村内匠、答えて曰く、

「傍ら痛いわっ!お前こそ、御館様の亡き後、政を私しようとする賊軍であろう!」

「何をたわけたことを!ここに、御館様はおわすぞっ!」

銅鑼の合図とともに東山軍が左右に割れると、その間から見覚えのある輿が進み出てきた。そう、それは右府の豪奢な輿であった。

「やばっ!御館様!」

突然の状況に、木村軍は戦わずして敗走を始めた。更に間が悪いことに、関東より引き上げてきた滝沢軍が退路を断つ形になり、木村軍は徹底的に殲滅されることとなった。

ちなみに、東山越前守の機転によって引き出された輿であったが、その中には、既に意識のない主人が乗っていようとは、木村内匠は知る由もなかった。

こして敗退した木村内匠は、ひとり戦場より落ち延びると、ある禅寺でひっそりと出家して生き延びたという。一時は、かつて裏切った自分主君であり、既に出家して名を改めていた飯島摂津守の元に、弟子として身を寄せていた時期もあったようであり、何とも皮肉人生である

2018-03-17

anond:20180316204607

【追記有】学生時代ワタミで1年ほどバイトしていた。

社員は15時出勤で始発に乗れない、休憩は30分で月6日休み

休憩時間以外はひたすら歩き続ける感じ。

給料は平だと最低賃金ギリギリ店長手取り25万ぐらいだと聞いた。もちろん残業代など存在しない。よく店長がこの会社社員給料利益を出しているとぼやいていた。

あと業務外で全体会議や社本を私費で購入してレポートを書く宿題が有り休日だろうが義務しかった。

3ヶ月以内の離職率は5割を超えていた。残った人間も4人ほど飛ぶ(連絡を断ち失踪)のを目撃した。

2人は家庭が有りお子さんが生まれたばかりの人も1人いた。

働いている間はプライベートなど存在せず休日は疲労を取るためにひたすら寝る、もはや辞める転職するといった判断をする余力すら残っていない感じ。

大学出たばかりのいい若者が数ヶ月で死んだ魚の目になっていた。1人が過労死して騒いでいるが就職中に死んで無いだけでその後の人生が完全におかしくなった人間は多数だと確信する。

自分が働いていた時にワタミは2〜300店舗はあったはずなのでその数を考えると恐ろしくなる程だ。

*以下追記*

何故そんな視えているブラック企業入社するのか疑問に思っている人が見受けられるので当時の状況を記しておく。

当時のワタミフードサービスは東証一部上場直後、正に飛ぶ鳥を落とす勢いで渡邊美樹はカリスマ経営者、実際使い古された飲食店チェーンという業態でとんでもない数字を叩き出し

また本人もその状況を最大限に利用しメディアに多数出演、有名作家お金を積んで自らの半生録を執筆依頼、出版するなどセルフプロデュースの先駆けのような事を行っていた。

それらと大規模出店計画事業拡大のタイミングを合わせ大量の人材を確保していたのである

佐川で100万貯めて裸一貫で起業東証一部企業創業者社長まで登り詰めた生きる伝説天下布武を行うので我に集えと大号令をかけたのだ。

それはもう成功を夢見る人達が大量に集まった。多かったのは独立志向の強い中途採用のおじさんで聞いても無いのに社長の半生録を見て入社したと教えてくれる人が多かった。新卒も中途も来るもの拒まずみたいな感じだったが信じられないかもしれないが新卒同志社早稲田卒を1人づつ確認した。早稲田の方は1月で去ったが。

実際大規模に事業拡大計画が有るので幹部も沢山必要なので高学歴入社するメリットは十分に有った、社内ブルーオーシャン状態なのだから

何故こんなにバイトが詳しいのかというと働いた店が地域進出の足掛かりとなるフラグシップの大箱で研修施設でも有った、高校時代から個人経営飲食店キッチンで4年はバイトしていたのでチェーン店調理は余裕が有り観察していたからだ。あと今考えても異常な環境だったので強く印象に残っているのも当然有る。良い社会勉強になったと思う。

バイト待遇に関しては極一般的であったし社員教育としてアルバイトの人も当然顧客で有り最高の広告塔であると周知していた。(そういうビデオ更衣室で社員が観てた)

2016-02-22

信長死んだぞ日本史!!!

何なんだよ信長

第六天魔王じゃねーのかよ。

天正10年に是非もなく本能寺で死んだわ。

どうすんだよ天下布武出来ねーじゃねーか。

命賭けて天下獲って平和グローバルで豊かな国づくりしてやるって言ってるのに明智は何が不満なんだ?

何が下克上だよクソ。

秀吉が継いだはいいけど野望通り海外出兵ほぼ強制からwって言ってて忠誠誓う武将なんかいねーよ。

種なしでもいいし淀殿に夢中なのもどうでもいいから国内にとどまれよ。

明国平定で何千億両無駄に使ってんだよ。

キリシタンとかどうでもいいから国内にとどまれよ。

黄金茶室を作る金あるなら国内にとどまれよ。

どうすんだよ国書の偽造しなくちゃならねーだろ。

ふざけんな秀吉

国内にとどまれないなら朝臣立場捨てろよ。

国内とどまれないし天皇臣下だけど中国皇帝になりたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ

国を富ませないでどうすんだよ。

豊臣マジ感じ悪りぃって徳川シンパゴマンといるんだから取り敢えず金配るか諸大名の不満を解決しろよ。

検知したり刀狩りしたりハーレム作ったりして余生を楽しんでれば晩節汚すこともなかっただろ。

まじいい加減にしろ秀吉

 
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