はてなキーワード: 博物館とは
そんなときは博物館に行こう。なるべく閑散としたところがいい。学芸員も暇だから、色々とお話してくれる。
詳しい人の話はとても面白い。さすがにこんな質問をしても無意味かな?というような愚問からでさえ、面白知識に繋げてくれる。自分もエキスパートになってみたいと思えてくる。
無論生まれながらにエキスパートだった人はいない。経験の積み重ねこそがあなたをエキスパートにするだろう。エキスパートに憧れる事自体が、あなたがすでに選ばれていることを証明している。あなたはもう凡人ではない。諦めるのは遅ければ遅いほどよい。
わたしには将来の夢がありました。その職業に就くため、資格を取ることができる大学に進学し、その課程を履修しています。
課程を修了し、単位を取って卒業したら取得できる資格ですから、履修する学生は多くいます。
けれど、本気でその職業になりたいと思って講義を受けている人は、きっと、10人もいません。わたしはその10人程度のうちの一人で、むずかしい道だということは理解した上
で、そこそこに勉強をしていました。
卒業と同時に得ることができるような資格ですが、けれど就職は非常にきびしい世界です。そもそも職員が飽和状態で、予算的にも人件費を払う余裕がなく、運良く就職できたとしても期限付きの臨時職員で、それだってなれるかどうかわからないような職業です。毎年募集人数は減っていき、さまざまな技術が発展していくにつれて、必要なくなるのではないかと言われている職業です。
授業を受けていく中でわたしが学んだのは、その職業に関する専門知識、就職することのきびしさ、いかに優れた人間がその職業に就くことができるか、の三点です。
担当している教授の一人は自分がどれだけ恵まれているか、現在の界隈がどれだけきびしいものか、日本はどれだけ遅れていて間違っているかということしか話しません。これはただの愚痴ですね。
そんな授業を受けていく中で、わたしは、将来への期待が徐々に削られていくのを感じました。
つらいつらいつらいつらいと毎日思っています。わたしには秀でているところはないし、特殊な知識をつけるような余裕もない。だって、つらいんです。
毎週ほかの人より多く、ほかの人がゆっくり寝ている時間に自分の夢をつぶすような講義を、単位の出ない講義を受けているんです。
でも、週に一度しか休みがない中で、バイトや、ほかの講義や、家事がある中で、たいした能力もないわたしが望みの薄い将来のために体力をすり減らしていくのは、つらかった。
何年か上の先輩が臨時職員としてその職業に就いている話を聞いて、その人の愚痴を聞くたびに、死んでしまえと思ってしまった。好きな先輩を嫌いたくなかった。望みは薄いだけで、決して無いわけではないんだと、認めるのが苦しかった。望みが薄いのなら、いっそ0であってほしかった。あきらめさせてほしかった。あきらめたきみは悪くないよ仕方ないよって言ってほしい。
ここまで読んでいただいた方はおわかりかと思いますが、わたしは本当に根性なしです。それくらいであきらめるなら大してなりたい職業でもなかったんだろと思うでしょう。わたしには、わかりません。ほんとうになりたかったのかな。
徐々にすり減っていきました。体力なのか、気力なのか、希望なのか、わかりませんけど、将来のことを思うと苦しくて、考えて静かに泣くような夜がたびたびありました。耐えられないと思うときが多くありました。
わたしには趣味があります。それを通じて知り合った人と話したり、遊んだりするのが楽しくて楽しくて、これからもずっと続けていきたいと思う趣味です。
それから、わたしは田舎を離れて一人暮らしをしています。少し前に話題になった投稿がありましたが、わたしの田舎もセクハラ・モラハラがひどく、人の悪口や噂話しかしないような人が住んでいます。けれど都会には、ひどいことを言う親戚もいなければ、噂話があっという間に広まって暮らしにくくなるようなこともありません。こちらで友達もできました。都会は生きやすいです。
都会の街で趣味の遊びをしながら過ごす日々は、ほんとうに楽しい。そんな毎日を過ごすなかで、わたしは気がつきました。
わたしは将来の夢が叶わなくても、しあわせに生きていける。
この考えに至った瞬間、わたしは折れました。無理して夢を叶える必要はないんだ。夢をあきらめたって人生が終わるわけじゃないんだ。その職業に就くことだけが、良いことじゃないんだ。
これはわたしにとって、絶望ではありません。夢を捨てるということは、まぎれもなく希望でした。
それからはびっくりするほどよく眠れるようになって、呼吸が楽になりました。つらくは、たぶん、ないと思います。この時点でわたしはべつに本気じゃなかったのかもなあと考えましたが、夢を追い始めたときのことをおぼえていないので、どちらが楽か、しあわせかということは比べられません。
けれどわたしは、夢をあきらめることで救われました。
この投稿は、夢を追うのがつらい人にあてたメッセージなどではありません。あきらめても大丈夫ですよ、と伝えたいわけじゃありません。こんなのはただの愚痴で、ただの恨みごとです。
課程の履修は一応続けようと思っています。資格があって損することはないし。はああでも希望や情熱がなくても続けていけるもんなのかなあ。毎日つらいつらいつらいつらいって言いながら早起きして学校に向かうのはしんどいなあ
(2018/01/28追記)
こんにちは。この件の課程の講義を受けて寝て起きたらたくさんの反応をいただいていて、正直びっくりしてしまいました。
「あきらめたら終わり」という意見も、「夢は続く」という意見も、どちらもよく理解できます。わたしはこれからを生きた経験がまだないので、この先の人生がどうなるかはわかりません。ですが、これからもわたしは生きていきます。生きているかぎりチャンスは0ではないと思うので、まだ希望は捨てずにとっておこうと思います。
コメントを見てわたしが思ったことは、「わたしは夢をあきらめたわけじゃなく、夢のためだけに生きるのをやめたんだ」ということでした。その職業へのあこがれがなくなったわけではないし、チャンスがあれば挑戦してみたいともまだ思っています。タイトル詐欺ですね。申し訳ありません。
おそらく今後、追記をすることはないと思います。たくさんの方に読んでいただけて、いろいろな意見を目にすることができて、たいへん勉強になりました。
なぐさめてもらうために書いた記事ではないけれど、それでも優しい言葉をいただけて、嬉しかったです。ほんとうにありがとうございます。課程を履修するなかで知り合った友達のことが大好きですし、得た知識は得がたいものであったと思います。あきらめはしたけれど、まだ希望は捨てません。博物館、行ってみようと思います。
ですが、特定の業界のことを悪くいうようなコメントはお控えください。わたしはこの記事で自分の夢の職業のことを明示することはいたしませんし、まったく違う業界のことだとしても、「どうせ○○」という表現は、現在その業界で働いている方たちに失礼です。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたコメントはすべて目を通し、今後に思い出して希望をもらったりしようと思います。ありがとうございました。
浅草寺行って、おみくじ引いて、仲見世で人形焼食べて、もんじゃ食べて、フルーツパフェ食べて、神谷バー(小さなグラスに入って出て来るワインがおいしい!)行くと楽しいよ。電車乗り換えがちょっと分かりづらいけど、ついでに上野公園方面も行きやすいしね。
浅草はふらふらするの楽しいんだけど夜は怪しげなお店もあるから朝から行くのがおすすめだよ。
レインボーブリッジ方面なら葛西臨海水族園やお台場周遊でシーバスもあるよ。これは浅草方面もあるからもしよければ。
無料で見られるところと有料のところがあるけど、気分でどうぞ! テレビで見たことあるな!ってところだよ。調度品そこかしこに見どころがあるよ。
博物館美術館も小さいところから大きいところまでたくさんあるんだけど、企画展を観に行くもいいし、建物自体が変わってるところもあるのでもし入った大学がキャンパスメンバーズだったら活用してみてね。
うんちくに走るもいいし、すげーって感じでもいいし。
ちなみに小さいところでおすすめなのは小山登美夫ギャラリー。
渋谷のヒカリエにもあるんだけど、いろんな人の展示をやっているのでおすすめ。
ゆるくてもなんとなく達成感が欲しいときは御朱印集めもいいよ。
雑司が谷あたりをふらふらするのおすすめ!五色不動をめぐるのも良いと思うよ。
(正直なんだこの田舎は みたいな感動があるかもしれない)
最先端スイーツや初上陸なものをおいかけて行くのもいいし、ニッチなカフェやなんかを探して行くのも楽しいよ。
別増田さんが言ってた渋谷だと、カフェ人間関係とかどうだろう?
いろんなコンセプトバーやコンセプトカフェがたっくさんあるから探してみてね。
すごい都会!って感じのところでも調べてみると昔ながらのたいやき屋さんや和菓子屋さんがあったりするのでそういう発掘も楽しいよ。
おひさしサバですわ。
壷の中に吻部を入れるようにして拝見することができるのですわ。
作者は三〇代の方が多く、まさに新進気鋭でした。
気になりましたわ。
作品の外側と内側の水玉模様がつながっていないことが確認できました。
粘土板の表と裏に別々の水玉模様を施してから、独特の形状に加工していらっしゃるのかしら?
しっかり貫通している作品もお見事でしたわ。
ギャラリーヴォイスが三階に入っているたじみ創造館の一階自販機コーナーでは
紙コップの中身をそなえつけの美濃焼きに移し替えて飲めるとても気の利いた
サービスがありました。素敵ですわね。
注ぎ口のある薄手で磁器のマグカップ様の焼き物を探しているのですが
今回は見つかりませんでしたわ。
別れ際に「また一緒にご飯に行きましょう」とか言ってくれるのに向こうからは誘ってくれないのって脈なしなんですかね。
会うたびに言われてるけど、向こうから誘われたのは最初の一回だけであとはみんな私から誘ってる。誘いを断られたことがないだけ有難いとは思ってるけどさ。実は迷惑がられてたりしたら嫌だな。
私「就活するなら忙しくなるよね」
あの人「まぁね。なんで?」
私「いや……」
あの人「まー俺は院行くかもしれないしさ、就活そんなガチらないからご飯とか、まぁ映画くらいなら行けるよ」
そんなこと言われると嬉しくなってしまうじゃないですか。
まあ一応夏ぐらいまでは本当に忙しいだろうし誘うの控えようって思ってるけど、でもまた会ってくれるんだなぁって思って期待が膨らんでしまう。
あの人がバスを降りた後、ふと窓から外を見るとあの人もこっち見てて目が合ったのも嬉しかった。
でもなんか無表情で会釈されてふいっと目線をそらして歩き始めちゃったのは悲しかった。あの人といるとほんの些細なことで気持ちが乱高下してしまって大変。
なんか会うんじゃなくてもLINEとか電話で連絡が取れたりしたらいいんだけどな。でも会う日程決めのときくらいしかLINEしないし文面もかなり素っ気ない。
男の人はLINEとかメールとかあんまり好きじゃない人多いっていうのは知ってるし、私自身そんなに雑談LINEとかしなくて要件があるときしか連絡しないタイプだからそれ自体は別にいいんだけど、でも高校時代は結構凝った文面で送ってくれてたからそれ思い出すと寂しくなっちゃう。
もともと連絡不精な人が素っ気ないのは全然気にしないけど、他の子とは(昔私としてたみたいに)色々やりとりしてて私にだけ素っ気ないんだったら悲しいな。
そういえばその前回会った日は一緒に博物館に行ったんだけど、ペア用の音声ガイド借りてくれて、一つの機械に二つのイヤホン挿してたから自然と体が触れ合って、それだけですごくすごくドキドキした。
このまま思い切りもたれ掛かってみたいな……と思ったけど、不快に思われたら嫌だからやめておいた。とりあえず腕が触れる程度までは近づいても嫌じゃないってことがわかったからそれでよしとしよう! って思った。
でも神経は完全に触れ合ってる部分に集中してた。お互い厚いコート着てたから体温なんて分からないはずなのになぜか温かく感じた。私がどきどきしすぎて体温上がってたせいかもしれないですけど。
結局私とあの人だと社交性が違いすぎるんですよね。私は友達も少ないし、ましてや男友達なんてほとんどいないからあの人と出かけるのは一大イベントだけど、あの人は老若男女誰とでも友達になるしむしろ人と外食する日の方が多いくらいの人だし、熱意とか重みが違いすぎるからもやもやするのよ。
すごくモテる人だし、変な色気出されるのにはうんざりしてるかもしれないし、そもそも我ながら思い詰めすぎ面倒くさすぎだから努めて友達として明るく朗らかに接することを心がけてるけど内心ずっとぐるぐるしている。
高校時代は教室で後ろ姿を見てるだけだったからこうやって定期的に合って話ができるだけで幸せなはずなのに、浪人中なんか「もしもう一度顔を見られたらそれだけで幸せ」って思ってたはずなのに、大学受かって上京して偶然再会してまるで映画みたいだなって思うほど嬉しかったのに、会えば会うほどもっと親密になりたくなる。人間の欲深さって怖いわ。
旅に出たい
旅に出たい
バイクで旅に出たい
今は冬なので仕方なく働いているけど旅に出たい
ビーナスラインいって美術館あたりの寒さに凍えながら絶景みたい
スバルラインいって遅いバスにイライラしながら五合目の人混みを見たい
東名海老名であーみんないるなと思いながらメロンパン買う人を横目に見たい
箱根湯本で止めるとこがなくてうろうろしたい
箱根スカイライン・芦ノ湖スカイライン・伊豆スカイラインを通りたい
奥多摩のジメジメしたトンネルを通りながら水の博物館でわさびアイス食いたい
関越出るまで遠いなーとか思いたい
旅に出たい
バイクで旅に出たい
2017/06/26
2016年12月20日、日本のテレビ東京系のテレビ番組「開運!なんでも探偵団」で「衝撃的なニュース」が報じられた。番組始まって以来最大の発見として、世界で4個目となる中国宋時代の陶器「曜変天目茶碗」が発見されたというのだ。番組の中で、日本の著名な美術鑑定家の中島誠之助氏は、「12~13世紀の中国南宋時代に福建省の建窯で焼かれた『曜変天目』に間違いない」と述べ、2500万円の価値があるとした。
「曜変天目茶碗」は中国の宋時代に作られ、その窯は建窯と呼ばれた(歴史的には建陽窯とも呼ばれる)。現在の福建省南平市建陽区水吉鎮にある。この茶碗は釉薬が焼成の過程で流れ落ちて厚く溜まり、一部は凝集して滴を作る。この滴の周囲で特殊な窯変反応が起き、七色に輝く光彩を生じる。その輝きはまるで夢幻かあるいは変化する気象のようで、色鮮やかな霞をまとっており、神秘の小宇宙に輝く星空のようだ。この種の茶碗が焼けるのは極めてまれな偶然によるもので、一説には窯変過程でこのような効果が生じるのは数百万個に一個ほどと言われる。現在世界に存在する完全な「曜変天目茶碗」はわずか3個で、東京の静嘉堂文庫、京都の大徳寺龍光院、大阪の藤田美術館が所蔵し、すべて日本の「国宝」に指定されている。中国には現在「曜変天目茶碗」の陶片が1点あるのみだ。
天目茶碗は宋代に制作され、その生産は元時代の初期まで続いたが、以後は二度と作られていない。中国では明や清の時代に曜変の再現が試みられたが成功しなかった。日本では江戸時代から再現が試みられており、美濃や瀬戸で「白天目」などは生産されたものの、「曜変天目茶碗」の再現には至らなかった。1974年、日本の化学者安藤堅は48歳で、それまで定収入が得られていた仕事を辞め、高級住宅も売却して「曜変天目茶碗」を再現するための研究を始めた。彼は貧困の中で困難な研究を続け、ついに1977年に古代の「曜変天目茶碗」に似た最初の作品を焼くことに成功した。安藤に続いて、日本の陶芸家の林恭助、桶谷寧、長江惣吉や中国の人間国宝(国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人)である孫建興らが曜変に似た作品を作っている。
番組の放送後、徳島県教育委員会はこの茶碗を県文化財に指定するための調査を計画した。
しかしここで、日本の陶芸家や専門の研究者から「曜変天目茶碗である」という番組の鑑定に対して疑問が投げかけられた。愛知県で古くからの窯が多い瀬戸市に住む陶芸家の長江惣吉氏は家業の陶工を継ぐ9代目で、父親の曜変天目研究を継承している。彼は父の業績を引き継ぎ、「曜変天目茶碗」の再現に一定の成功を収めた。1996年以来、中国を28回も訪れて建窯の研究を行っている。中国では中国科学院上海珪酸塩研究所と連携して陶磁器の国際研究会にも参加し、中国の陶磁専門家に友人も多い。中国古陶磁の再現についても意見交換を行っている。その長江氏が番組に異議を唱えたのだ。彼はインターネットで、福建省周辺で作られた「曜変天目茶碗」の複製品を購入し、これが番組の認定した「曜変天目」と出所が同じだと考えている。
「この茶碗には顔料(スピネル顔料)が使われています。この顔料はヨーロッパで18世紀に発明されたもので、曜変天目が作られた宋代(12~13世紀)には存在しません。ですから、こういった顔料が宋代の茶碗に使われることはありえません。この顔料の主な成分は、化学的に製造されたコバルト、クロム、セレン、カドミウムです。これらの元素が多く含まれていれば、例の茶碗を分析すれば各々の顔料部分からこれらを検出できるはずです。これらの元素は完全に天然原料から作られた当時の建盞には全く含まれません。仮にこれらの元素が天然原料に不純物として含まれていたとしても、その量は 0.01% 程度にしかなりません」
「曜変の光彩はオパールのように、見る角度が変わると光彩も変化します。非常に美しく、人を魅了するものです」
「いわゆる「曜変」という言葉の意味は、輝きが変化するということです。(長江氏がネットで購入した茶碗を示しながら)しかしこの茶碗は、単に青・緑・赤の顔料が発色しているだけです。この種の茶碗の場合、釉薬の成分(リン酸)の関係で、顔料釉と白濁釉にわずかな光彩が出るのみです。曜変の明るい光彩とは比べ物になりません。私がネットで買った茶碗を番組の茶碗と比べると、赤色の内側部分がよりはっきりしていて白い部分はありませんが、これは顔料で描くときの方法の違いや白濁釉と顔料の濃淡の違いによるもので、実際のところはどちらも同じですよね?」
長江さんは後で筆者に述べた。
「あの茶碗は中国の福建ではどこでも見られる商品です。「曜変天目茶碗」に似ていると言う人もいるかもしれませんが、これは偽物として作られた物ではなくただの商品で、非常に安い値段で売られています。番組の中でテレビ東京はあの茶碗を宋代に作られた「曜変天目茶碗」だと説明しましたが、これは「鹿を指して馬だと言う」ようなものでしかありません。」
中国陶磁史と中国陶磁考古学の分野で世界的な影響を持つ権威である沖縄県立芸術大学教授の森達也氏も、筆者の取材に対してこう述べた。
筆者がその理由を尋ねると、森達也氏は以下のように述べた。
「1. 日本国内には3個の「曜変天目茶碗」があります。私は杭州で出土した「曜変天目茶碗」の破片も手に取って見たことがあります。「曜変天目茶碗」の外側にはテレビ東京の番組の茶碗のようなはっきりした模様はありません。
2. テレビ東京の番組の茶碗に見られる模様は雲のようですが、これは曜変天目の模様とは全く異なります。本物の「曜変天目茶碗」の模様は白くて丸い斑紋で、その周囲には虹のような色鮮やかな光芒が出ています。
3. テレビ東京の番組で鑑定された「曜変天目茶碗」には、茶碗の底に「供御」という二文字があります。確かに建窯の窯跡では「供御」と書かれた陶片が見つかっていますが、割れていない完全な陶磁器でこの二文字が刻まれたものは世界中で一つも見つかっていません。模倣品でこの二文字を刻んだものは数多く存在します。テレビ東京の茶碗は本物の「曜変天目茶碗」とは全く異なるものですが、最近中国で流行している模倣品とは非常によく似ています。」
「テレビ番組としては劇場的な効果さえあればよく、科学的な研究は要らないのです。あの茶碗が日本の3点の国宝と同じであるなどというのはナンセンスな話ですが、陶磁器科学の研究を行っている人々からすればこれは非常に残念なことです。」
この論争は中国にも広がっている。中華陶磁芸術設計大師の資格を持ち、国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人(日本の人間国宝に相当する)でもある建窯陶磁研究所所長の孫建興氏は、「曜変天目茶碗」を再現し建窯を再び曜変の産地とする事業に40年にわたって取り組んでいる。彼はこれまでに黒釉の天目茶碗や黄(赤・青・金・銀)などの兎毫盞、異毫盞、虹彩(金縷、白点)、鷓鴣斑、鐵銹斑、毫変、国宝油滴、金(銀、虹彩)油滴、黄天目、蓼冷汁、灰被、玳瑁、柿紅、虹彩、金(銀)彩文字、木葉、窯変、曜変天目などの一連の作品を作ってきた。彼が長江惣吉氏に送ったメールで、彼は述べている。
「これは曜変の偽物で、現代に焼かれたものです」
筆者も電話で孫氏と長時間話をした。彼は筆者にこのように述べた。
「テレビ東京で放送された茶碗はせいぜい数年前に作られたものです。」
新聞や雑誌で真贋論争が過熱した後、この「曜変天目茶碗」の所有者は茶碗を奈良大学文学部文化財学科教授の魚島純一氏に渡し、分析を依頼した。魚島教授は蛍光X線装置を用いて茶碗表面の色の部分を分析した。
魚島教授は物質に含まれている元素を検出できる蛍光X線分析装置で、茶碗表面の各色にX線を照射して元素の種類と量を測定した。その結果、アルミニウムなど10種類の元素を検出したが、化学顔料に使われる元素については発色に影響しないほどわずかな量しか検出されなかった。
魚島教授は述べている。
「X線分析の結果、表面のどの色の部分かによらず、検出成分はほぼ同じであった。このことから、茶碗に使われている釉薬は1種類であると考えられ、この分析結果からは茶碗が偽物であることは断定できない。」(《德島新聞》,2017年2月28日)
一方、長江氏は筆者に対して次のように述べた。
「魚島教授は、釉薬の発色に影響するだけの量が検出されなかったため、判断ができないと言っている。であれば、魚島氏は最低限どれだけの量が含まれていれば発色に影響するのかを具体的に言った上で、分析の結果その最低量を下回っていたことを示さなければならない。しかし、魚島教授のデータには下限値の数値も書かれていないし、彼が分析で得た数値も書かれていない。よって彼の判断には根拠がない。」
日本の複数のメディアの報道によれば、その後、茶碗の所有者から茶碗についての資料が提供されないため、徳島県は文化財指定のための調査を中止した。
私自身、「開運!なんでも鑑定団」は好きな番組だ。自分も中国の古陶磁を蒐集しており、骨董の鑑定について10年近く独学で学んでいる。浅学ながら陶磁器の本や文章なども執筆してきた。私は中島誠之助さんの陶磁器鑑定、特に日本の陶磁器鑑定については相当の経験をお持ちで深い造詣を有していると思っている。
だが、中島さんと彼の鑑定についてはともかく一般論として、一人の鑑定士の鑑定範囲が日本だけでなく海外をもカバーして、なおかつ正確であることを求められるというのは、鑑定士にとっては間違いなく一種の冒険と言ってよい。陶磁器は全世界に存在し、最古の陶器は数万年以上の歴史を持っている。一人の鑑定家が古今東西全てについて完全に判定できて一度も間違えないなどということが可能だろうか? 一度間違えればその後も間違いの危険は存在するのだ。
「荘子」で述べられているように、「吾が生や涯(かぎり)有り、而(しか)も知や涯無し。涯有るを以て涯無きに随(したが)うは、殆(あやう)きのみ」(我々の人生は有限である。しかし人間の知は無限だ。有言の身で無限のことを追い求めるのは危うい)なのだ。
このことは、最も権威ある陶磁器研究者であっても忘れてしまうことがある。例えば、1959年、国際的に知られた陶磁研究の専門家で日本陶磁研究の第一人者でもあり、当時日本の文部省の技官として文化財専門審査会委員を務めた小山富士夫氏が、「永仁の壺」と呼ばれた陶器を日本の重要文化財に指定するよう強く推薦したことがあった。これを受けて同年6月27日、文部省は「永仁の壺」を鎌倉時代の古瀬戸作品であるとして重要文化財に指定した。
その後、日本の有名な陶芸家であった加藤唐九郎が海外に渡航した際に、唐九郎の息子である加藤嶺男が「いわゆる「永仁の壺」は自分が作った」と述べた。唐九郎の帰国後、彼はメディアが大騒動になっているのを目の当たりにした。1960年9月23日、唐九郎は「永仁の壺」は1937年に自分が作ったものであることを認めた。(真の作者が誰であったのかについては異なる見解がある。)「永仁の壺」が本物である証拠は、古瀬戸の「松留窯」で発見された陶片が「永仁の壺」の胎釉と一致するという点にあったが、実は「松留窯」自体が加藤唐九郎による捏造で、陶片も彼が偽造したものだった。
このようにして、「永仁の壺」を含む重要文化財3点が指定取り消しとなり、小山富士夫は委員会を辞職した。ゆえに、賢明な鑑定家は誰であれ、古物の鑑定には、異議の申し立てが容易に行えるように、議論の余地を残しておかねばならないのだ。
私は中島氏の鑑定が間違っていたと言っているのではない。第一に、私はこの分野の専門家ではない。この件で私が真贋を判断するのは無意味だ。第二に、厳密にいえば、文物の鑑定とは考古学、歴史学、美学、自然科学にわたる総合的な学問である。全面的に、かつ正確に古代の文物の年代を特定・鑑定する厳密な科学的方法は存在しない。言い換えれば、こういった議論で100%の是非を決める結論を得るのは難しい。
筆者は言いたい:このような重大な鑑定では、もっと広く意見を求めるべきだったのではないか?
確かにテレビ番組では、科学研究の場合のように「この品物が疑わしい」と言うのは難しいことだ。しかし、結論を出すのが難しい文物、特に「鑑定団史上最大の発見」といった結論や、「現存4個目の中国宋代の陶器「曜変天目茶碗」」のような鑑定については、中国建窯の専門家と日本の権威ある専門家の意見を求めるべきではないだろうか。筆者はテレビ東京の番組担当者に、この論争についての意見を求めて何度も電話をかけ、メールを送った。しかしこの原稿を執筆している時点では、彼らからの返答はない。「週刊ポスト」の報道によれば、この件についてのテレビ東京の見解は以下の通りだ。「鑑定は番組独自の見解であり、お答えすることはございません」(《週刊ポスト》,2017年6月23日,146頁)
だが、もしもっと広く意見を集めることができたら、例えば中国で初めて建窯の陶磁器の再現に成功した前述の孫建興氏のような専門家の意見を求めてはどうだろうか? 彼の「曜変天目」に関する研究と実験は非常に深いものだ。彼は考古学、鑑定、科学実験の各方面に非常に造詣が深い。こういった人々の意見には重みがあると言えないだろうか。もしテレビ東京がこのような人々にもっと意見を求めるようにすれば、論争は減るのではないか?
もう一つの問題は、文物の鑑定に自然科学が介入するという話だ。実際、今のところ文物を科学的に鑑定する完璧な方法というのは存在しない。多くの人が挙げる放射性炭素年代測定法は、自然界に存在する炭素14という同位元素を使ってもともと生きていた動植物の年齢を決める放射年代測定法だ。動植物が生きている間は生物の新陳代謝によって生体内の炭素14の量は一定に保たれる。生物が死ぬと体内の炭素14は崩壊して減り続ける。だが磁器・陶器・青銅器などは無機物だ。しかも時代の古い文物の場合、炭素14年代測定では年代の上下の誤差が大きい。一方で、1000年から2000年前という比較的新しい歴史的文物の場合、基本的には炭素14鑑定は使えない。
また、熱ルミネッセンス法と呼ばれる鑑定方法もある。陶磁器が焼かれるときに500℃以上に加熱されると、外部から吸収した輻射エネルギーが放出される。その後、焼成から年月が経つと、年月の長さに応じた量の輻射エネルギーを再吸収していく。熱ルミネッセンス法の原理は、古陶磁の内部に蓄えられているこの輻射エネルギーの量を計ることで年代を測定するものだ。誤差範囲は一般的に±20%程度で、相対的には正確な方だ。
しかしこのような報道もある。
「数年前、北京の二つの有名な博物館がそれぞれ六朝時代の陶器を古物市場で20万元で購入したが、後にそれらがすべて贋作であることが判明した。これらの品は河南省の某博物館の下で作られたアンティーク工芸品であったが、なぜこれらが北京の潘家園旧貨市場に流れたのかは分かっていない。ある古物の専門家が古物市場を訪れ、そこで売られている品物を熱ルミネッセンス法で調べると、約1600年前という測定結果が出た。そこで誰もがそこの品物を買った。買われたことが知られると、同じような品物が古物市場にどんどん出現した。そこで国家文物局がすぐに公安部に通報した。公安部の担当者は、「墓が荒らされて大量の遺物が盗まれる事件が発生している」と説明した。警察が現地に到着すると、地元の住民が自宅で贋作を作る作業をしているのを発見したという。彼らは六朝時代の墳墓から盗掘したレンガを削って粉にしていた。この粉を贋作に使えば、熱ルミネッセンス法にかけても墳墓の中で長年溜め込んだ輻射を出すので贋作を判別できなくなる。また彼らは、こうして作った粉で六朝陶器を偽造するための特別な装置も使っていた。このようにして、熱ルミネッセンス法での検査は失敗してしまうのだ。」 (《鑒定家VS造假者》,新華網,2005年03月15日)
魚島教授が蛍光X線分析を用いた点に関して、森達也教授は私に述べた。
筆者は魚島教授にも、蛍光X線検査について質問を行った。彼は言う。
「私はあくまでも顔料部分の元素を調べる目的でこの装置を用いました。私が調査結果を発表した際に、茶碗が偽物であると考える人たちから非難を受けましたが、私は真贋鑑定をしたわけではありません。」
筆者:
―― それはつまり、あなたの検証結果は、この茶碗には18世紀以降の顔料は使われていない、ということですよね。
魚島教授:
「それは新聞がいい加減に書いていることです。私は18世紀以降云々といったことは言っていません。私はただ、現代のものと考えられるような種類の顔料は検出されなかった、と言っているだけです。」
筆者:
―― 言い換えれば、18世紀以降に発明された化学顔料は使われていなかった、ということですよね?
魚島教授:
「これらの顔料が使われているから茶碗は偽物なのだと主張する人々もいますが、私はただ、そのような顔料は検出されなかった、と言っているだけです。私は陶磁器鑑定の専門家ではありません。あの茶碗が偽物だと主張する人々は、化学顔料の元素が茶碗に含まれているはずだ、と言っています。私は単に、その元素があの茶碗に本当にあるかないかだけを調べたのです。どの時代に作られたものか、という調査をしたのではありません。ただ、あなた方が言っているような元素はありませんでした、と言っただけです。」
筆者は質問した。
―― 例えば、もちろんこれは(例の茶碗のことではなく)仮定の話ですが、誰か現代の人間が、今回指摘されたような元素を含む現代の化学顔料ではなく、昔の顔料を使って茶碗を作ったとしたら、あなたの検証方法では今回と同じような結果が出ますか?
魚島教授:
「その可能性はあります。」
しかしながら、中国では古代の陶磁器を偽造または模造する際に化学釉薬を使うことは多くない。中国の多くの地方には陶磁器の偽造工房があり、こうした工房の多くには専門技術を持った人間がいるわけではない。地元の農民が、数千年間にわたって埋まっていた陶土を掘り出し、古代の方法で焼いているのだ。匿名で語ってくれた、中国で著名な建窯の研究家や考古学者、鑑定家たちが筆者に述べたところでは、現在中国には建窯産品のコピー品工房が1600以上存在する。その多くは偽造品を作りたいわけではなく、単にアンティーク風の品や旅行土産を製造するのが目的だ。もちろん中には偽造品の製造を目的とする人々もいるが、偽造品の製造方法はどこにでもあるような手法だ。科学的な鑑定が困難になるように、古い器の底の部分だけを新しい器に接合したり、古い胎土に新しい釉薬を使ったり、古い胎土に古い釉薬を使ったり、その他いろいろな方法を使っている。
このことは、古物鑑定が文化や歴史年代、改竄や継承といった問題と関わっていることを示している。加えて社会的な影響や国際的な影響も大きい。今回の鑑定やテレビ東京の件は別にしても、日本の博物館や歴史研究部門では、中国の文物を鑑定する際に同じような問題に直面しているはずだ。それゆえ、重大な結論に至るような場合には、我々は注意深くなる必要があり、広く意見を求めるべきなのだ。
張石 略歴:
1985年、中国東北師範大学外国語言文学系研究所卒業、修士号を取得。1988年から1992年まで、中国社会科学院日本研究所助手研究員、 Permalink | 記事への反応(0) | 00:35
みなさまごきげんよう。
かきつばた またかきつばた かきつばた
古来、池鯉鮒と呼ばれ伊勢物語で在原業平が歌を詠んだことで有名な土地ですの。
ところがあらびっくり。延喜式より前の史料では「知立神社」または「智立神社」と
書かれていて、池鯉鮒は大洗池という殺生厳禁の池で鯉や鮒が繁栄したことから
付けられた地名らしいのですわ。いまの地名は一番昔に戻っていることになりますわね。
また、かきつばたも中世にはなくなっていて、ガッカリ観光地になっていたところを
お茶売のお爺さんが尽力してお寺や庭園を復興させたそうですわ。
池鯉鮒は江戸時代も東海道の池鯉鮒宿として重要な土地でしたから、
その関連の展示が多かったです。
いろいろな浮世絵があり、中山道広重美術館にあった浮世絵摺り体験もハガキサイズが
ひとつありました。駒屋という旅籠を再現したコーナーもありましたわ。
お二階には民俗資料館らしい家財道具の展示が並んでいましたわ。
○朝食:なし
○昼食:そば、カツ丼
○夕食:考え中
○間食:せんべい、サプリメント(マルチビタミン&ミネラル)二粒
○調子
はややー。
お休みなので、洗濯したり買い物行ったり、最近できた御蕎麦屋さんに行ったりしてた。
そのあとはデッドライジング3に熱中してた。
●XboxOne
○デッドライジング3
チャプター5の途中。
なんかストーリーは色々あったような気がするけど、単にお使いを頼まれるだけのシナリオだった気もする。
するんだけど、チャプター4の終わりぐらいから、
フランクさんとチャックさんの偉業を誉め立てる博物館が出てきたりと、
シリーズを通してのエピソードが出てきて、お話も楽しくなってきた。
うーむ少しでも専門に近いバイトをやった方が良いのではないかと思う。
学校の講師とかTA・RAとか博物館・美術館の非常勤とか、大学図書館の当番とか。
あるいは合間に論文読める暇なバイトを選ぶべきではないか。宿直なら読めたり書けたりするのかな?
それと、都会の学生に多いんだけれど学会の運営ばかり気をとられて、それが何かの本質だと勘違いして
学者になった・研究した気になって、実際は実績残してなかった奴が周りにめちゃくちゃ多かったので、もしもそうなってしまってそうだったら気を付けたら良い。
24時間365日、バーチャルの世界において現実世界と同じ時が流れ、それでいて現実世界と違う、何者にもとらわれない空間が大好きだった。
1年ほど前から発表されていた、スマホ版どうぶつの森の話を聞いたとき、胸がときめいた。
ソーシャルゲームをほとんどやらない私だが、どうぶつの森こそ、日常に寄り添うスマホに適したゲームではないかと思案した。
1年待ち、いよいよ配信となったポケ森。
私の求めていたものとは全く違っていた。
細かく言うといくらでも出てくる。
雨や雪などの天候ランダムがない、マップがオープンではない、採れる虫や釣れる魚の種類が大幅に減った、雑草が抜けない、使用アイテムは基本的につり ざおと虫あみのみ、虫取り大会等の短期間イベントの排除、収集の為の博物館の廃止。
なによりも残念だったのが、どうぶつたちとのコミュニケーションが、コミュニケーションではなくなったことである。
今作では、アイテムを調達し、短い会話のあと、ハートが溜まるシステムで、もうこれはひどいと思った。
パシリゲー、お貢ぎゲーと言われてもこれはしょうがないと思った。
こんなゲームだが、続けていれば楽しめるだろうと妥協していたが、気付けば数日前からやらなくなってしまった。
ゲームシステムをそのまま引き継ぐこともできたはずだ。なぜ変えたのか。
消費ユーザーが悔やんでも仕方ないのかもしれない。
大気中の炭素分を人工的に固定しようとすれば、膨大なエネルギーが必要になる。
まして、大気量が宇宙船とは比較にならない月面基地の話である。
月面基地の自給自足のため、農耕施設の拡張はかなり高い優先順位で行われている。
これは、月面基地が人類の開拓最前線として、宇宙への定住を大きなテーマとして掲げていることに発しており、作ってしまえば低コストで二酸化炭素吸収源として運用できる見込みである緑地帯には予算が付きやすいのだ。
計算上は、一人の排出する炭素を帳消しするのに数ヘクタールの緑地が必要などと計算値は出されているものの、それも眉唾であり、少なくとも向こう十年は馬鹿でかい炭素除去装置をフル稼働しなければいけない。
さて、緑地といえども『壁の外は死の世界』でおなじみの月面基地では、やはり室内に農地を作る必要がある。
横穴を掘って、太陽照明か光ファイバーで日光を当て、水を確保すればそれで育つのであって、野菜工場に土は必要がないのだ。
堀り開いた洞穴に、土を敷均し、種を撒いた研究班もいくつかあった。
基本的に、月面の土壌は有用微生物はおろか有機物が皆無である上に、有用金属類でさえもほとんど含まないという砂漠か砂利の河原よりも条件の悪いものである。
それでも植物の種子とはよくできたもので、水分と温度さえあれば目を出すし、光と水と空気があれば根を張り、葉を茂らせる。
各班、こぞって精強な植物の種を植えたが、結果、最も栽培に適していると判断されたのは大麻だった。
有用植物としては、アブラナなんかも有力視されていたが、受粉に膨大な手間がかかることから、そのまま成長し、利用もできる大麻に駆逐されてしまった。
当面は炭素吸収源として、大麻が盛んに栽培されることになるだろう。
大麻から採取できる繊維は強靭で、土嚢袋やコンクリート添加物に利用され、それ以外にも家畜の餌や敷材に用いられた。
そして、これが実は重要なのだが、乾燥大麻が地球向けの輸出商品として最初の生産物となった。
過剰物として生産され、水分は抜き取れるため、月面基地にとって大変都合がよかったのだ。
と、いうことで『ルナ・ベース』と銘打った大麻は、初回出荷分に証明書が添付され、オークションにかけられた。
これについては、同量の金より高価といわれる輸送費を上回る価格が付き、大手博物館に落札された。
もっとも、当のルナ・ベースの住民たちは火気厳禁であるため、月面基地でその煙に酔うことはできないでいる。
精神科医も薬剤は処方できず(薬剤の処方が必要と診断されれば即帰還となる)ドライフルーツや穀物でアルコールを自作しようというツワモノもいたが、発酵という工程そのものが限られた大気量では致命的な結果を招きかねず、発覚と同時に厳重な処分が科せられた。
しかし、人類というのは罪深いもので、どうやったって酩酊を求める者が存在する。
目下、当局が新たな取り締まりとして注目しているのは、低酸素酩酊であり、気密室への監視が強められている。
更には、ウルトラマラソン等の低強度、長時間運動を繰り返す事によりエンドルフィンを嗜む層もおり、直線で数キロにも及ぶ廊下を延々と数時間から数十時間走り続ける者もいる。
こちらについては、低重力下であり、高ストレスにさらされる事から未だに正式な禁止令等は出されていないが、酸素を大量に消費し、なにより通行の邪魔であることから大多数からは眉をひそめられる趣味である。
中には複合技として、気密室にルームランナーを持ち込み、低気圧マラソンを実施する強者もおり、当局に確保されたが、本人の心肺能力及び代謝機能に著しい発達が見られ、やがて彼は科学者で有りながら人類の環境適応に関する実験体を兼務するようになり、今では大手を振って疑似高地トレーニングに耽っている。
観光地でのクレジットカード決済(VISA/MASTER)を普及させるべきだと思う。
歴史ある観光地(大聖堂や博物館、王宮など)の入場料もカードOKだった。カード使える?って聞いたら「もちろんよ!」と返された。
サインじゃなくて暗証番号入力で本人確認するから、それほど手間もかからないし。
ポーランドでは、路面電車の停留所にある自動券売機もカードが使えた。
屋根もない吹きさらしのホームに設置された、小さな白黒液晶パネルとボタンがいくつか配されただけの武骨な自動券売機なのに、クレジットカードが使える。暗証番号用のテンキーも完備。
現金使ったのは、屋台でケバブとかアイスクリーム食べだときと、怪しいマッサージ店に行ったときぐらい。
いざという時のために現地通貨は必要だけど、基本的にクレジットカードで払えるというのは、旅行客にとってはすごくありがたい。
実際の値段は知らんけど、シムシティーではこんな感じらしい
http://sc2.s27.xrea.com/sc2/data/study.html
白い箱よりも建設費が高かったり、維持費が高かったり、必要な土地が広かったりして、自治体としてはおいそれと手を出せない事業な気がする。
同じ1つのリンゴを見ている時に、同じ色を見つめていても私とあなたでは見えている色が違う。という感じ方の違いや主観的な認知のギャップがあるらしい。
これをクオリアと呼ぶらしいけれど、私には自分だけの独特な知覚の感覚がある。それを友人に話したりするのだけれど、共感を得る事は皆無で、同じような感覚を持っている人がいるのかをずっと知りたい。
それと同時に似たような独特の感覚を持っている人に、こんなバリエーションもありますよ、とエピソードを教えて欲しい。
(1) タイムスリップ
自分では1,2秒のほんの短い時間だと思っているのに、時間が経過している。これは小学校低学年の頃に頻発していた。ほんの瞬きをした位の時間に過ぎないのに、友達が驚くほど遠くにいたり、休み時間が終わっていたりする体験。私が数秒と感じている時間が現実では数十秒から数分が経過している。
(2) 痛覚と匂い
頭を強く打った時や激しい腹痛の時、精神的に不安感を感じた時に鼻の奥から焦げるような匂いを一瞬感じる。匂いの種類としてはタンパク質が焦げたような非常に嫌な匂い。
ふとした瞬間、一度だけ行った駅や通った道の映像が再生されてその場にいるような気持ちが再現される。
なぜかその世界には私1人しか居ないのと音や匂いは存在しない。
図書館や博物館など何10回も通った場所だと、場所の記憶を3Dモデルのように再現できる。実際に中を歩き回って展示品や開架書籍の棚番号を探す事ができるけれど、改装やリニューアルオープンしてしまうと記憶が上書きされるのではなく、別の建物として現れ、別個の存在として扱われる。
(4) 5秒間巻き戻し再生
人の話を聞いていない時に「どう思う?」「話聞いてた?」等と聞かれた時にとっさに直近の5秒間くらいの音声を巻き戻して再生する事ができる。上の空で授業を受けてた時の教師の質問や、電話口で聞かされた番号などをメモし忘れた時に便利。
返答できても、上の空の態度だった事は変わらないので結局咎められる事が多い。
(5) 暗闇で見える模様
真っ暗闇の中など、焦点の絞りが合わせられない状態で目を開いていると、赤や緑色のドット模様が明滅して流れてゆく映像が見える。
(6) 黒が様々な色に見える
黒色が状況や精神の状態などで色々な色に見える。ディスプレイ上の黒い文字でも緑、黄色、水色に見えるし、例えば自然光のまぶしい所で本を広げると印刷された文字が赤色に見え、暖色の照明の下でコーヒーを見ると場合によっては濃紺に見えたり、物の影が緑色に見えたりする。これは色の恒常性や補色補正と関係しているかもしれない。
また横断歩道や封筒、満月など薄い白い物の輪郭がオレンジと青の補色などで見えたりする事もあるが、これは乱視が関係している気がする。
幻覚や幻臭よりの体験が多いのですが、統合失調症などの診断を受けた事は無く、これらの体験で日常生活で不便を感じた事はありません。
みなさまごきげんよう。
発掘された日本列島2017展に行ってまいりましたわ。
文化庁の主催で近年の発掘成果を各地の博物館をまわって紹介している展示会なのですわ。
旧石器時代から幕末の軍艦「開陽」まで日本中の出土品がありました。
縄文時代の高根遺跡は斜面に500基もの貯蔵穴が掘られていたそうですの。
艦砲射撃の後とと勘違いしそうですわ。縄文人ってパワフルですわね。
石屋古墳のお馬さんの埴輪には、丸い輪っかのあぶみが表現されていました。
古代からのどこかで変化したはずですわ。平安時代あたりかしら。
「てつはう」がいくつか展示されていました。
貝殻の付着して割れた「てつはう」の姿に兵どもの夢のあとを感じましたわ。
開陽は「蝦夷共和国」の主力となった艦ですけれど、座礁して沈没したのですわ。
拳銃は英語表記では「S&W No.2」と細かく説明されているのですわ。
現在発掘された日本列島2017展が開催されている安城市歴史博物館のミュージアムショップでは
本多様は両方売り切れ、ストラップは徳川様と井伊様も売り切れ、
でも、遠江出身の井伊様を出して、酒井様と榊原様は出さないところが不思議ですの。
気付けば、10年以上経っていた。
自由な村で、釣り竿を水面に落とせば、四季折々の魚達が顔を出し、自分で服を作ろうとすれば、デザインをドット絵で自由に決められた。
博物館があり、珍しい生き物を捕まえたときは、それがどんなに高く売れようとも、寄贈し、展示されることで自己満足に浸った。
24時間、365日、どうぶつたちはその時々で様々なリアクションを見せた。
花を植え、木を植え、雑草を引っこ抜いた。
株で金を儲けた。
いろんな思い出が、おい森には詰まっていた。
ポケ森は何がしたい。
なぜゲームシステムを変えた。
ユーザーはノルマを与え、それを解消していくことで、ゲームが進行する。
これはダメだ。
DS以来ゲームに触ってこなかった俺が、久しぶりに今度はスマホを通してどうぶつの森に触れると少しでも期待したのが馬鹿だった。
反省。