わたしには将来の夢がありました。その職業に就くため、資格を取ることができる大学に進学し、その課程を履修しています。
課程を修了し、単位を取って卒業したら取得できる資格ですから、履修する学生は多くいます。
けれど、本気でその職業になりたいと思って講義を受けている人は、きっと、10人もいません。わたしはその10人程度のうちの一人で、むずかしい道だということは理解した上
で、そこそこに勉強をしていました。
卒業と同時に得ることができるような資格ですが、けれど就職は非常にきびしい世界です。そもそも職員が飽和状態で、予算的にも人件費を払う余裕がなく、運良く就職できたとしても期限付きの臨時職員で、それだってなれるかどうかわからないような職業です。毎年募集人数は減っていき、さまざまな技術が発展していくにつれて、必要なくなるのではないかと言われている職業です。
授業を受けていく中でわたしが学んだのは、その職業に関する専門知識、就職することのきびしさ、いかに優れた人間がその職業に就くことができるか、の三点です。
担当している教授の一人は自分がどれだけ恵まれているか、現在の界隈がどれだけきびしいものか、日本はどれだけ遅れていて間違っているかということしか話しません。これはただの愚痴ですね。
そんな授業を受けていく中で、わたしは、将来への期待が徐々に削られていくのを感じました。
つらいつらいつらいつらいと毎日思っています。わたしには秀でているところはないし、特殊な知識をつけるような余裕もない。だって、つらいんです。
毎週ほかの人より多く、ほかの人がゆっくり寝ている時間に自分の夢をつぶすような講義を、単位の出ない講義を受けているんです。
でも、週に一度しか休みがない中で、バイトや、ほかの講義や、家事がある中で、たいした能力もないわたしが望みの薄い将来のために体力をすり減らしていくのは、つらかった。
何年か上の先輩が臨時職員としてその職業に就いている話を聞いて、その人の愚痴を聞くたびに、死んでしまえと思ってしまった。好きな先輩を嫌いたくなかった。望みは薄いだけで、決して無いわけではないんだと、認めるのが苦しかった。望みが薄いのなら、いっそ0であってほしかった。あきらめさせてほしかった。あきらめたきみは悪くないよ仕方ないよって言ってほしい。
ここまで読んでいただいた方はおわかりかと思いますが、わたしは本当に根性なしです。それくらいであきらめるなら大してなりたい職業でもなかったんだろと思うでしょう。わたしには、わかりません。ほんとうになりたかったのかな。
徐々にすり減っていきました。体力なのか、気力なのか、希望なのか、わかりませんけど、将来のことを思うと苦しくて、考えて静かに泣くような夜がたびたびありました。耐えられないと思うときが多くありました。
わたしには趣味があります。それを通じて知り合った人と話したり、遊んだりするのが楽しくて楽しくて、これからもずっと続けていきたいと思う趣味です。
それから、わたしは田舎を離れて一人暮らしをしています。少し前に話題になった投稿がありましたが、わたしの田舎もセクハラ・モラハラがひどく、人の悪口や噂話しかしないような人が住んでいます。けれど都会には、ひどいことを言う親戚もいなければ、噂話があっという間に広まって暮らしにくくなるようなこともありません。こちらで友達もできました。都会は生きやすいです。
都会の街で趣味の遊びをしながら過ごす日々は、ほんとうに楽しい。そんな毎日を過ごすなかで、わたしは気がつきました。
わたしは将来の夢が叶わなくても、しあわせに生きていける。
この考えに至った瞬間、わたしは折れました。無理して夢を叶える必要はないんだ。夢をあきらめたって人生が終わるわけじゃないんだ。その職業に就くことだけが、良いことじゃないんだ。
これはわたしにとって、絶望ではありません。夢を捨てるということは、まぎれもなく希望でした。
それからはびっくりするほどよく眠れるようになって、呼吸が楽になりました。つらくは、たぶん、ないと思います。この時点でわたしはべつに本気じゃなかったのかもなあと考えましたが、夢を追い始めたときのことをおぼえていないので、どちらが楽か、しあわせかということは比べられません。
けれどわたしは、夢をあきらめることで救われました。
この投稿は、夢を追うのがつらい人にあてたメッセージなどではありません。あきらめても大丈夫ですよ、と伝えたいわけじゃありません。こんなのはただの愚痴で、ただの恨みごとです。
課程の履修は一応続けようと思っています。資格があって損することはないし。はああでも希望や情熱がなくても続けていけるもんなのかなあ。毎日つらいつらいつらいつらいって言いながら早起きして学校に向かうのはしんどいなあ
(2018/01/28追記)
こんにちは。この件の課程の講義を受けて寝て起きたらたくさんの反応をいただいていて、正直びっくりしてしまいました。
「あきらめたら終わり」という意見も、「夢は続く」という意見も、どちらもよく理解できます。わたしはこれからを生きた経験がまだないので、この先の人生がどうなるかはわかりません。ですが、これからもわたしは生きていきます。生きているかぎりチャンスは0ではないと思うので、まだ希望は捨てずにとっておこうと思います。
コメントを見てわたしが思ったことは、「わたしは夢をあきらめたわけじゃなく、夢のためだけに生きるのをやめたんだ」ということでした。その職業へのあこがれがなくなったわけではないし、チャンスがあれば挑戦してみたいともまだ思っています。タイトル詐欺ですね。申し訳ありません。
おそらく今後、追記をすることはないと思います。たくさんの方に読んでいただけて、いろいろな意見を目にすることができて、たいへん勉強になりました。
なぐさめてもらうために書いた記事ではないけれど、それでも優しい言葉をいただけて、嬉しかったです。ほんとうにありがとうございます。課程を履修するなかで知り合った友達のことが大好きですし、得た知識は得がたいものであったと思います。あきらめはしたけれど、まだ希望は捨てません。博物館、行ってみようと思います。
ですが、特定の業界のことを悪くいうようなコメントはお控えください。わたしはこの記事で自分の夢の職業のことを明示することはいたしませんし、まったく違う業界のことだとしても、「どうせ○○」という表現は、現在その業界で働いている方たちに失礼です。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたコメントはすべて目を通し、今後に思い出して希望をもらったりしようと思います。ありがとうございました。
そんなときは博物館に行こう。なるべく閑散としたところがいい。学芸員も暇だから、色々とお話してくれる。 詳しい人の話はとても面白い。さすがにこんな質問をしても無意味かな?...
意識高すぎだろ。 どうせIT系とかだろ? くっだらねえなあ。