はてなキーワード: ビジネスモデルとは
http://anond.hatelabo.jp/20151001133903
いうまでもなく意識高く起業したのではないから、就職した初年度に会社からくる初めて見る諸々の給与明細など、送られてくるたびにまた税金があるのかとビクビクしたものだ。
時には貯金について日夜考えすぎて、頭がハゲて、病院嫌いにもかかわらず皮膚科に行き、やる気のない態度の悪い医者にハゲ薬をもらい、治したことも今となっては微笑ましい思い出だ。
もともと自分自身には才能があるとは思わない。だが、就職をしてかつ継続するにあたり
大切だと思ったことを記念に書いておきたい。
■■信念
なぜかというと、クライアントの要望やプロジェクトメンバーの意見など常に相対的で、移ろいやすいからだ。
クライアントAがXがいいといっても、クライアントBはYがいい、クライアントCはZがいいという。
それで重要なのが信念だ。これは唯一己のうちにある絶対的なものだ。
この信念を強くもって、自分の足下に大きな杭として打ち込んでおくのだ。
そうすれば異なる考え・ニーズを前にしてもぶれずに前に進んでいける。
杭をしっかり打ち込んでいないと、進むべきベクトルはぐるぐるまわりで、メンタルがもたないだろう。
あと、この杭がないと困難の中、事業を継続していくことが難しい。
トライアンドエラーを繰り返し、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、
正直「もう辞めたい」と100回以上思ったことがあるが、その度に信念に基づいてその言葉を打ち消してきた。
■■人脈
人脈は大切だ。当初人脈を作りにビジネス交流会にも行ったが、結論として分かったのは、これは悪くは無いが、絶対にいく必要のあるものでもないと分かった。
そうすれば磁石のように素晴らしい人格・知性を持った人たちと出会える。
では、どのようにすれば己がよい人脈となれるか?
自分に投資をすることだ。投資といってもなにも高額なお金を投資というのではない。
時間と教養について投資をするのだ。一番ROI効率が高いのは、読書だろう。
とにかく自分の専門分野と隣接する領域について読みあさること。
自分の場合は、就職をして平日は月曜から金曜まで仕事をして、夜はなにもない家に帰って、ずっと読書をしていた。
特に就職をすると起業家と異なり、助けてくれる上司はいるが大半は無能だ。
自分で問題を解決しないといけないので、問題の現状分析・解決法は膨大な読書量による
知識によっていくつか得られるのだ。
このように知識・問題解決能力が身についたら、それを出会うビジネスマンたちにGiveしよう。
とにかく与えること。そこから人脈の輪が広がる。
■■付き合う人
逆に得体の知れない人もかなりやってくることがある。
いったいどのようなビジネスモデルで利益をあげているか、どのような収入で食べているのかよく分からない人。
後になって腑に落ちないそのビジネススキームを振り返ると、やっぱりあの人詐欺師だったんだと分かることもある。
得体の知れない人に出会った場合、その人を見る時、倫理観によって判定するのがよりよいと思う。
参考としては、ベンジャミンフランクリンの13の徳が役に立つだろう
節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲
得体の知れない人の話しを聞いて彼の人となりが、13徳から非常に乖離している場合、
さっさと距離をあけるべきだろう。
実際に私も起業をして、危ないことがいくつかあった。
それは、業界的に非常に有名人でかつメディアにも露出している人がいた。
その人が、私に一緒に日本・東南アジアでビジネスをしないか?と持ちかけてきた。
だが、彼の話をよく聞くと、現地の人を馬鹿にしたり、自分は仕事をしないで稼ぐ、といっていた。
私はこれを聞いて、この人は危ない人だとすぐに分かった。
それよりフランクリンの13徳の方が優れているのだ。そしてこれに照らし合わせて、やばい人と思い、私は彼と距離をあけた。
数年後彼は逮捕された。
自分の判断基準をもち、素晴らしい人と付き合っていきたいものだ。
■■己の人格
なぜかというと、仕事は所詮生身の人間同士によって成り立っているからだ。
そして、この人と一緒に仕事をしたいと思われないと、仕事の継続性がたち消えてしまう。
人は好きな人、好意を持てる人と仕事がしたいのだ。嫌なやつと仕事をしたい人はいないだろう。
メカニズムとしては、人は、大脳辺縁系でその人が好きか嫌いかを判断し、それを大脳新皮質で論理的に意味づけをするのだ。
これはよく知っておいた方がよい。
いくら論理的に正しいことをいっていても、嫌なやつ、人格的に破綻しているやつであれば、他者の大脳辺縁系は嫌いな奴と判断し、
それにともない大脳新皮質で論理的に適当に言葉を組み立ててあなたの意見をリジェクトするだろう。
理想は、崇高な人格をもち、深い知性・教養をもてることだろう。
もちろん私はこの域には達しておらず、死ぬまで目指していきたいと思っている。
以上、就職をして大切だと思ったことをつらつらと書いてみた。
結局のところ、私は運良く、素晴らしい人に恵まれ、多くの人に助けてもらった。
私は、どちらかというと綿密に事業計画書を書いて起業をしたというより情熱に動かされて起業をした。
いうまでもなく緻密に計画を立てて起業をしたのではないから、起業した初年度に役所からくる初めて見る諸々の納付書など、送られてくるたびにまた支払いがあるのかとビクビクしたものだ。
時にはキャッシュフローについて日夜考えすぎて、頭がハゲて、病院嫌いにもかかわらず皮膚科に行き、やる気のない態度の悪い医者にハゲ薬をもらい、治したことも今となっては微笑ましい思い出だ。
もともと自分自身には才能があるとは思わない。だが、起業をしてかつ継続するにあたり
大切だと思ったことを記念に書いておきたい。
■■信念
なぜかというと、クライアントの要望やプロジェクトメンバーの意見など常に相対的で、移ろいやすいからだ。
クライアントAがXがいいといっても、クライアントBはYがいい、クライアントCはZがいいという。
それで重要なのが信念だ。これは唯一己のうちにある絶対的なものだ。
この信念を強くもって、自分の足下に大きな杭として打ち込んでおくのだ。
そうすれば異なる考え・ニーズを前にしてもぶれずに前に進んでいける。
杭をしっかり打ち込んでいないと、進むべきベクトルはぐるぐるまわりで、メンタルがもたないだろう。
あと、この杭がないと困難の中、事業を継続していくことが難しい。
トライアンドエラーを繰り返し、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、
正直「もう辞めたい」と100回以上思ったことがあるが、その度に信念に基づいてその言葉を打ち消してきた。
■■人脈
人脈は大切だ。当初人脈を作りにビジネス交流会にも行ったが、結論として分かったのは、これは悪くは無いが、絶対にいく必要のあるものでもないと分かった。
そうすれば磁石のように素晴らしい人格・知性を持った人たちと出会える。
では、どのようにすれば己がよい人脈となれるか?
自分に投資をすることだ。投資といってもなにも高額なお金を投資というのではない。
時間と教養について投資をするのだ。一番ROI効率が高いのは、読書だろう。
とにかく自分の専門分野と隣接する領域について読みあさること。
自分の場合は、起業をして平日は月曜から土曜まで仕事をして、夜はなにもない家に帰って、ずっと読書をしていた。
特に起業をするとサラリーマンと異なり、助けてくれる上司はいないのだ。
自分で問題を解決しないといけないので、問題の現状分析・解決法は膨大な読書量による
知識によっていくつか得られるのだ。
このように知識・問題解決能力が身についたら、それを出会うビジネスマンたちにGiveしよう。
とにかく与えること。そこから人脈の輪が広がる。
■■付き合う人
サラリーマンの時とはことなり、起業をするといろいろな人に出会える反面、
逆に得体の知れない人もかなりやってくることがある。
いったいどのようなビジネスモデルで利益をあげているか、どのような収入で食べているのかよく分からない人。
後になって腑に落ちないそのビジネススキームを振り返ると、やっぱりあの人詐欺師だったんだと分かることもある。
得体の知れない人に出会った場合、その人を見る時、倫理観によって判定するのがよりよいと思う。
参考としては、ベンジャミンフランクリンの13の徳が役に立つだろう
節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲
得体の知れない人の話しを聞いて彼の人となりが、13徳から非常に乖離している場合、
さっさと距離をあけるべきだろう。
実際に私も起業をして、危ないことがいくつかあった。
それは、業界的に非常に有名人でかつメディアにも露出している人がいた。
その人が、私に一緒に日本・東南アジアでビジネスをしないか?と持ちかけてきた。
だが、彼の話をよく聞くと、現地の人を馬鹿にしたり、自分は仕事をしないで稼ぐ、といっていた。
私はこれを聞いて、この人は危ない人だとすぐに分かった。
それよりフランクリンの13徳の方が優れているのだ。そしてこれに照らし合わせて、やばい人と思い、私は彼と距離をあけた。
数年後彼は逮捕された。
自分の判断基準をもち、素晴らしい人と付き合っていきたいものだ。
■■己の人格
なぜかというと、仕事は所詮生身の人間同士によって成り立っているからだ。
そして、この人と一緒に仕事をしたいと思われないと、仕事の継続性がたち消えてしまう。
人は好きな人、好意を持てる人と仕事がしたいのだ。嫌なやつと仕事をしたい人はいないだろう。
メカニズムとしては、人は、大脳辺縁系でその人が好きか嫌いかを判断し、それを大脳新皮質で論理的に意味づけをするのだ。
これはよく知っておいた方がよい。
いくら論理的に正しいことをいっていても、嫌なやつ、人格的に破綻しているやつであれば、他者の大脳辺縁系は嫌いな奴と判断し、
それにともない大脳新皮質で論理的に適当に言葉を組み立ててあなたの意見をリジェクトするだろう。
理想は、崇高な人格をもち、深い知性・教養をもてることだろう。
もちろん私はこの域には達しておらず、死ぬまで目指していきたいと思っている。
以上、起業をして大切だと思ったことをつらつらと書いてみた。
結局のところ、私は運良く、素晴らしい人に恵まれ、多くの人に助けてもらった。
203x年。web村から広告が完全に排除されて10年がたった。
2010年代初頭にヘビーなネットユーザから普及し始めた広告ブロックツールは2010年代後半には一般のネットユーザにまで広がり、広告屋/コンテンツ屋は広告ブロックツール作成者に対してあらゆる理由で裁判をおこした。何人かの作成者は言われの無い理由で葬られたりもしたが、そうした動きがインターネット原理主義寄りの開発者たちに火をつけ、広告ブロックツール開発コミュニティを活性化させることとなった。
202x年、ついに広告と広告ブロックツールのイタチごっこに終止符が打たれる。
広告が排除されて最初に姿を消したのは広告媒体となるために生みだされたサイト群だ。
やがて新聞やTV局が供給するニュースサイトがwebの配信を終了し、紙/TVに回帰し始めた。
新聞の発行部数はweb登場の前と同様までとはいかないものの、かなり取り戻している。毎日新聞などは海外版の変態記事まで復活させた。
TVはチャンネル数が倍になった。広告主がTVに回帰したことに加えて、放送法の改正と放送インフラ整備が進んだため、TV局を開始/運営するコストが大幅に下がり、TVスタートアップのIPOが雨後の筍状態だ。ネット上で独自コンテンツを供給していたサイトの多くがここに参入した。
検索結果の操作や、広告に見えないよう工夫された内容の偽装型広告。ECサイトへのリンクを含むブログなど、しばらく残り続けたものもあった。
しかし、それも長くは続かなかった。
民間レベルでの広告排除の動きに同調した各国政府は、広告主のバイアスを検索結果から排除することを義務付けた検索法を相次いで制定し、googleをはじめとする検索サイト型広告媒体はビジネスモデルの転換を余儀なくされた。
各国で監査機関が設置され(日本では検索庁)、定期的な監査が行われている。
このため、現在yahooは定額制でユーザに直接課金している。
googleは数年前に違法な検索結果を表示したために、世界中の監査機関から総額120兆円に上る制裁金を科せられ、あっけなく姿を消した。
検索法に続き、多くの国でEC法が制定され、ECサイトへのリンクが禁じられた。一部の国はECサイトへのリンクを許可し続けたため、それらの国のドメインを経由するドメインロンダリングが多く行われている。それらの国はECヘイブンと呼ばれ問題視されており、蔵相会議などでたびたび議題に上がっている。ジャネット・イエレンFRB議長(90歳)は大国で唯一ECヘイブンとなっている中国を名指しで非難した。
偽装型広告は、広告を嫌うネット民たちの公告狩りを生み出した。いったん広告とみなされればネット民のリンチにさらさらた。中には広告を含まないサイトまで含まれており、現代の魔女狩りとして社会問題となったが、やがて高度に発達した広告検知アルゴリズムによってかなり正確に偽装広告を排除できるようになり、広告狩りは沈静化している。
SNS型広告媒体は多くが直接課金制となった。直接課金制に移行できたのはタイプごと(テキスト/写真/動画など)に上位1-2社であり、多くのSNSサービスが姿を消した。生き残った数社も直接課金移行時の大幅な利用者減のショックから立ち直れず、リストラを繰り返している。
トラフィック解析などを行うネットマーケティングサービスも姿を消した。リクルートはリクルートテクノロジーズを解散し、再びR25を駅で配っている。
広告配信の停止や広告媒体サイトの撤退、SNSの利用者減などによりインターネットのトラフィックが大幅に低下したため、パケットあたりの通信コストは上昇を続けた。これがユーザのネット離れにつながって、新聞やTVでは「若者のネット離れ」として話題となることもあった。
パケットあたりの金額を値上げしても、トラフィック総量はそれを上回る速度で減少しており、通信キャリア業界は一般ユーザ向けネットワーキング事業の縮小を繰り返し、業界再編の波に襲われた。現在日本では"KDDIソフトバンク"社とNTTグループの2勢力に集約されている。
キャリアの事業縮小のあおりを最も受けたのはネットワーク機器業界だ。戦略を誤り、事業売却とリストラを繰り返したシスコシステムズなどは現在サンノゼのガレージで細々とハンドメイドルータを作っており、マニアの間で高額で取引されている。
webサーバ用途のクラウドサービスを中心に、クラウド業界も事業の転換を迫られた。
アマゾンはwebの縮小を見越して早い段階でAWSなどのクラウドサービスを売却して世界を驚かせた。
クラウド向けサーバの需要が減少したため、サーバ業界も再編を繰り返した。日立のサーバ事業を買収したヤマハは「ますます何の会社なのかわからない」と話題になった。
現在、広告収入に頼っていたサイトのほとんどが放置状態となっており、web村は日に日にアクセス可能なサーバが減っている。
悪しき文化遺産として保存運動なども起こったが、コストが高すぎて全てとん挫した。
web村では多くのサーバが廃墟となって朽ちている。しかし、広告を載せた大きなサーバたちが廃墟となったとしても、web村そのものが失われるわけではない。直接課金に移行したサイトや非営利サイトが継続して存在し、新たな(村民に受け入れられる)エコシステムを形成しようとするサイト群が現れるなどして、web村の日常は続いていく。
はてなのサーバが生きていることを祈って「この内容を登録する」。
-----
少し加筆修正。
思いついた小ネタをつないで30分ぐらいで書けると思ったら3時間もかかったので、読んでくれた人がいてうれしいっす。ありがとう。
はてブほか、アド(=広告)広告掲載システムを喜んで使っているやつらは多い。
しかし、彼らは自分たちが「割れ厨」と同じことをしている自覚が無いのだろうか。
割れ厨とは、漫画・アニメ・ゲームなどのコンテンツやソフトウェアを正当な対価を支払わずに
無料で入手している人たちのことを指すのは御存知の通り。
このワードのポイントは、「正当な表現環境維持を行わず」、「無邪気に経済環境として利用」しているという点だ。
殆どの広告システム使用者は、自分の行動が割れ厨の行為と類似していることに無自覚である。
http://anond.hatelabo.jp/20150919145704
~~~~~~~~(改変煽り終わり)~~~~~~~~
Webの成立と普及により、コンテンツを届けるコストが劇的に下がった。それまでは印刷して配送するか、限られた放送枠を獲得するなどしなければならなかった。
この制約を新たな技術によって打ち破り、世界中で個々が保有する異なる計算機環境を接続してコミュニケーション可能にするために、Web(ないしインターネット)は通信ネットワークを相互接続するプロトコルとデータを表現する各種フォーマット定義によって基礎付けられている。(RFCをぐぐれ)
ここで合意されているのは情報をやり取りする方法であって、どんな情報を届けるのか、情報がどのように生まれてどのように使われるかについては制約は無い。そこをどう使うかは自由であり、そこにイノベーションの源泉があり、それがインターネットというものだ。もちろん各国の法はあり、そこに住まう人のWeb利用行動は制約を受ける。しかしそれはWebの決め事ではない。
~~~~~
「Webに広告を載せよう」うん。そのアイディアはいいかもしれない。もちろんそれも自由だ。
「広告のみをフィルターするシステムを作ってみよう」うん。もちろんそれも自由だ。
最も重要なのは、世界中の必要な人が容易に情報を提供し取得できること。
~~~~~
「サービスは無料ではない」を声高に叫ぶのであれば、会員制のシステムを構築して、ただ乗りを排除するために各国の法に依拠すればいい。何故そうしないのか?それはWeb上のガードされていないコンテンツであれば人々が気軽にアクセスすることを利用しているよね。
維持発展のためには資金も必要だからWeb広告という手段を否定はしない。しかしWeb広告というのは、気軽に情報授受ができるWebという環境がまず先にあって、その上に微妙なバランスで成り立っているビジネスモデルであるということを忘れないでほしい。
一部の変態の行動をゾーニングすることであなたの趣味が守られていることに感謝するとともに
ゾーニングの壁の高さがあなたの安全性で悦楽を享受できる限界なのですよ
父親と娘がお風呂にはいることがスキンシップになるのだとすれば
その危険性と実際の被害状況を理解した上で関係者各位の同意を得て
実行されるべきなんですよ
父親が娘に欲情して性行為を行い娘もまた同意の上で社会的な問題を
起こした例を理解し両者の行為が健全なものから犯罪あるいは破滅的な結果を
もたらすことを理解しその使用量を決定し同意する機会を設けること
そういう人はいるだろうしいてもいいだろうという許容量であって
それを一般人ができるようにとか一般的だとかゾーニングを破壊したり
壁を低くすることはただの問題行為なので許容量に甘えて自制を欠くと
以上の考察から父親と娘の入浴が健全であるものだと社会的理解を求めようと
ゾーニングの垣根を破壊する破壊行動が問題行動であると理解される
その反対行動を意図しているという目的文章の構成を志向するということは
当事者という立場が逆転している、つまり娘の立場からであれば筆者は
これは結果を見ての通りだし、何度繰り返してもおっさんだといわれるだろうところから
推察される
同じくこの方法で啓蒙を続ければ危険行為で有害で問題だという指摘しか登ってこないことが
確実ではないかと思われる
そんなに娘が、娘という存在が憎いか
娘本人なのか?娘をもつ父親なのか?それともそれらを見る母なのか?
弟なのか?友人なのか?
さて、画像のパクリって、何でいけないんですか?これ、真面目に答えられる人、どのくらいいるんでしょう?「盗むのはいけないことだからいけない」「法律違反だからいけない」みたいな幼稚な意見はダメですよ。
参考までにぼくのスタンスを書いておきましょう。
何をもって「パクリ」とするかは曖昧ですが、ぼく自身は、自分の画像や写真がコピーされていくことに対してはかなり肯定的です。
著作権者としての気分としては、ぼくの画像や写真をP2Pソフトでばらまいていただいても、まったく構わないどころか嬉しいです。ありがとうございます、ばらまいてくださって。これほんと。…とはいえそれをやると、出版社から訴えられるかもしれないので、おすすめはしませんけどね。
結局、パクリがNGかOKかというのは、ビジネスモデルの問題なんですよ。ぼくが作っているビジネスモデルですと、むしろ画像や写真を勝手にばらまいていただいた方が、利益が出やすいんです。また、パクられてもOK!というスタンスの背景には、年間500万円くらい売上あれば十分だ、という目標の低さもあります。
というか、こういうのは抗いようがないんですよ。あなたがどれだけ「パクリは許されない!」と叫ぼうとも、ネット上ではコピーコンテンツが「当たり前」になっていきます。NAVERまとめがこれだけ人気を集めている意味を理解しましょう。世界でバイラルメディアが乱立し、各メディア間でコンテンツが「共有」されている意味を理解しましょう。著作権者は、抗えない変化に文句を言うのではなく、勝手なコピーに耐えるビジネスモデルを作り上げていかなければなりません。
画像や写真のパクリを「万引き」になぞらえる人は多いですが、根本的に違うのは、このビジネスモデルの話です。わかりやすくいえば、パクられればパクられほど、ぼくは儲かるし、利益が奪われるようなら、儲かるようにビジネスを作り替えていけばいいだけです。物理的に商品が奪われる「万引き」とはそこが違います。
…まぁ、そんなぼくでも、コンテンツを丸々っと転載する際は事前に連絡はいただきたいとは思います。転載を始める場合は、ぜひメールとかツイッターで一報いただけると。
物語のパクリ元を辿って行ったら最後には神話に辿り着いたなんてよく言うよね。
でもそれで皆楽しめてるじゃん。
ぜんぜん違うでしょ。
小室サウンドやその追っかけは人生で最初の一曲目以外は全部退屈だった?
違うよね。
何でデザイン業界だけがこんなにもパクリだ何だって騒がしいんだろうか。
まだ使われてないデザインの形なんて多分もう1つもない。
機械にデタラメに作らせた画像だってロールシャッハ・テストみたいに意味付けがされて「元ネタ」が掘り出されてしまうだろう。
もしかしたらもうデザインを作って貰ってそれに大金を払うなんてビジネスモデルは時代遅れなのかも知れない。
絵を馬車に乗せて運んでいた時代はもうとっくの昔に終わったんだ。
何十億の人間がタップ操作1つで写真が取れてそれをタップ操作1つで世界に発信できる時代だ。
プロが作ろうがアマチュアが作ろうが面白い物は面白くて、どちらにも等しく「ありがたみ」なんて欠片もない、そんな時代なんじゃないんだろうか。
閣議決定された「日本再興戦略」改訂2015を流し読みしてたら、国が本気で多重下請け構造を無くしてITドカタを解放(または追放)しようとしてたので取り急ぎ転載
IT 産業は、もともと、業務プロセスをコンピュータプログラミングで書き下していく労働集約的な産業であったが、近年、汎用的なパッケージソフトやクラウドサービスの登場等もあり、作業の効率化が図れるようになったことや、IT の役割がコスト削減から付加価値創造にシフトしつつあることから、欧米諸国においては、創造的なシステムの提供・提案による知識・能力集約的な産業に転換が進んでいる。
また、ビジネス変革のスピードに対応した、アジャイルと呼ばれる機動的なシステム開発手法の登場やセキュリティリスクの高まりは、システム開発・運用に高度なマネジメント能力を要求するようになってきている。
しかし、日本の IT 産業では、未だに、決められた要件に従ってプログラミング作業を行い納品するビジネスモデルが根強く残り、このため、労働コスト削減のための丸投げ下請け慣行・多重下請構造から抜け出せず、低生産性でかつセキュリティリスクの高い構造に陥っている。
この状況を脱却するためには、丸投げ下請を防止し、能力・成果・リスク等を適切に評価した取引を推進していくことが必要であり、この観点から、下請代金支払遅延等防止法(下請法)等の法令の適用及びその他の取引適正化の取組についての考え方を示した「下請適正取引等の推進のためのガイドライン」の IT産業分野についての見直しを本年度中に行うとともに、下請法に違反する取引については、厳正に対処していく。
さらに、本年度中に策定するサイバーセキュリティ確保に係るガイドラインにおいても、情報システムの発注者のセキュリティマネジメント上の責任を明確化し、あわせて丸投げ下請の防止を図る。
特定派遣も無くなるし(三年猶予あるけど)、ちゃんとしたプログラマの単価が上がる?
なお今のPG首都圏人月単価528,000 http://www.nearshore.or.jp/engineer-charge/
30代半ばの男。
起業直後はモチベーションの塊だった。サラリーマン時代から仕事大好き人間だったけど、会社を作ってからは更にやる気がみなぎっていた。
自分でパワポに描いたとある商材の購入サイトの概要図(落書き)を持って、上場企業へ電話アポ→会ってくれた人に「こんなん作りたいんで、広告出してください」とお願いした。
営業の経験なんかなかった。元々事務職で口ベタ、さらに人付き合い苦手で内気な性格だが、やらなきゃならんという覚悟と異常なモチベーションがあれば突っ込んでいけるもんだ。
会ってくれた人から「パワポだけじゃわかりません。今、デモサイト見せてください。」と言われ、「システムはこれから作ります。デモはそれまで待ってください。」とカミカミで返答したときの呆れられた顔。静まる室内。緊張感。でもひるまなかった。大きな問題なんかないんだ、あっても何とかする!前に進むことしか考えられないバーサーカーのような状態だった。
こうして勢いだけでなんとか最初の難関「営業」が終わった。
何社か回ったうち、数社から好感触を得たのでサイトの開発に着手した。といっても開発の経験なんかない。調べたところ、WordPressとRuby on Railsというのを使えば求めているサイトが作れるようだ。お客さんには開発に数ヶ月かかると伝え、WPとRailsについて最低限の勉強をした。そしてWordPress、Rails、それぞれの開発で有名な人に少しだけ時間をもらって話を聞きに行き、判断に迷う部分の方針を確定させた。そこからガリガリ開発して、必要最小限のシステムが完成した。サイトが流行るかわからんのだから、最初は最低限でいいんだ、という考え。お客さんには予定どおり開発が終わりましたと伝えたが、スケジュール的にはギリギリだった。というかRailsがわからなくて開発自体できないんじゃないかと思う瞬間が何度かあった。しかしバーサクがかかって喰う寝るタレる以外はずーっと仕事に打ち込んだ結果、なんとか開発はできた。これで第2の関門「システム開発」が終わった。
そしてめでたくシステム運用開始&サイトオープン(サイトはWordPress、連携して動くシステムがRails)。
一日のアクセス数が○件で、そのうち○パーセントがコンバージョンして...と皮算用していたが、実際には全然コンバージョンがなかった。
そこから色々とWebマーケ的な工夫をしたが、結局「そもそも需要が少ない」という根本的な問題の前では、枝葉の工夫など無意味に等しかった。
商材のサイトは失敗した。だが会社の売上を上げなければならない。そこから最初のサイト+システムのビジネスモデルとは全然無関係な仕事を探し、やれそうなことはやってみた。そうしているうちに、当初考えていたビジネスではなく、注文を受けて何かをやる、代行業のような商売がメインになった。
そのうち、商売では何が必要なのか?どうしたらお金を出してまでやってほしいと思われるのか?ということが見えてくるようになった。同時に、先のサイトでのビジネスが失敗した理由と、成功させるために必要なステップを飛ばしていたことに気付いた。また、新たにビジネスをつくるには、"事前に"人を巻き込むことと、そして...ここぞというときにギャンブル(まとまった投資)をしなければ次の段階にいけないことに気付いた。人を巻き込むこととギャンブル。どちらか一方じゃなく、両方必須。だがどっちも本来の自分の性格には合わない。ここでふと自分の限界が見えてしまった。
起業当初は無知ゆえに、小さいサイトを金かけずに一人で作ってコツコツやればいつか認められ拡大していけるような気がしていた。そんな可能性を夢見て、様々なビジネスアイディアを手帳に書いてはモチベーションが上がっていたが、今じゃアイディアを見ても自分にはできないと無意識的に判断してしまう。そのアイディアをビジネス化するのに必要な人間関係の構築。取るべきリスク。この2つが頭に浮かぶと、(自分には)できない、という結論になってしまう。
いつのまにか"できること"から発想するようになり、平々凡々とした仕事だけするようになってしまった。
そんな日々を送っていたら、起業当初のモチベーションが消えていた。変に知識がついたせいか、期待感・高揚感より、実現するためのステップやリスクが頭をもたげてくる。今じゃアイディア勝負なんかやる気がしない。現実的に売上が上がることしかやる気がしない。
何のためにわざわざ会社つくったんだろ。この先どうしようか。
http://anond.hatelabo.jp/20150630013105の続き。
である。
工数については既に述べた。
それなりに抵抗もあるとは思うし、現場での効率は大きくは変わらない。
ただし、カット袋を持ち運ぶ制作進行や、スキャンをする仕上げの仕事が減り、
ビジネスモデルであるが、やはり円盤3,000枚というのでは全く回収できない。
6,000円で売ったとして、売上1,800万にしかならないのだ。
それでも足りないので、海外での放映権料なども事前に織り込んだり、いろいろ必要になるだろう。
そして、上記を実行すると、1本につき、最低10,000枚売るアニメ企画というのは、
結局作られる本数が減り、今より業界人口は減るかもしれない。
無修正動画が海外動画サイトに違法アップロードしまくられている現在、DVDを売って金を稼ぐビジネスモデルはもう古いのではないか?
作る前に前払いでAVを作り、作ったAVはネットで自由に見られるようにするべきなのでは?
そこで考えた。
ユーザはどんなAVを見たいのか、プレイの内容を書いて投稿する。
そのプレイ内容のAVが見たいなと思う人は、その企画に投資する。
株みたいによい企画なら投資が盛んに行われて、持株数が最大の人が監督になってAVを作る。
女優も男優もあらかじめ登録されていた人が、自分ならいくらで請け負うと入札してギャラを決める。
プロの市場はプロの市場として確立しているのだから、主に素人さん同士の作品になると思う。
メンヘラ入ってるリスカ少女がコスプレでカメコにパンツ見せる延長でAVに出る感じ。
それを童貞の汚っさんがマイナス10万円のギャラ(金をもらうのではなく払う)で出演して犯す、一部始終をネットに公開するわけ。
コンサルから名の知れたWebサービス企業に移ってきたんだけど、エンジニアが馬鹿ばっかで辟易してる。
技術を追い求めている人とか、技術の向こうに何かを見ている人は尊敬できる。
でも大半が「この会社でエンジニアやってる俺すげー。ユーザに価値を届けて世界を変える。」みたいなの。
で、やってることと言ったら企画が考えた機能を作ったり、考えなくてもできるちょっとした改善ばっかり。
ほんと土方だよね。よくて構造設計やってる建築士。意匠じゃない。
そんなの早晩コモディティ化するのに。
年収を自慢する人も多いけど、聞いてて悲しくなる。
だってせいぜい1,000万とかでしょ?
まともな文系を出て商社とかコンサルとか金融とか代理店とかに行っている人の年収を知ってるのかな。
ITエンジニアなんかがそういうクラスの女性に相手されると思う?
まあ、そんなクラスの知り合いもいないか。君たちの知り合いって、高専や工学部を出た世間知らずのエンジニアばかりだもんね。
君たちが仲間うちで傷の舐め合いをしている間、そういう人たちは美的なものとか事業の作り方とか、コモディティ化しにくいものを抑えているんだよ。
「ユーザに価値を届けて世界を変える。」なんて言ってしょーもないクリエイティブのA/Bテストやってる場合じゃないと思うよ。
心配になる。
うっかり起業してしまった起業者だけど読んで面白かったのでトラバしてみる。
自分は3つのどれにも当てはまらないと感じた。そこで勝手に付け加えたい。
そこそこ有名な大学を出ている。普通に勉強した(せざるを得ない専攻分野だった)ので成績はよかった。学んだことは今でも役立っている。
受験等で苦労しなかったために苦労や挫折の経験に乏しく失うものが余り無いと感じているかもしれない。
起業は特段良いものだとは感じておらず、リスクを忌避し続けるという性質を持つ。にも関わらず社畜を続ける根性もなかったため、仕方なく退職・独立起業した。
起業する前に自分が起業して食べていくのにはどの程度の投資が必要かを事前にスタディし、割に合わないことを学んで避ける知性を持っているつもり。
「起業はできれば避けたかったハイリスクな道」だと思っているため、無様に失敗して他人に笑われることを恐れている。
孫正義 やら ちきりん やら Jobsやらをバカにしている。それらの信者達もバカにしている。
リーンプロダクションやら「Stay Foolish」な精神やら一通りの本やビジネス論などを読むが、商売をまともに勉強した下地がないため、結局とんでもなく稚拙なビジネスモデルで起業している。
起業して回していくうちにいち早くそのことに気付き、自らの将来価値を悲観している。
どうせ商売が成功しないならとせめて自由に拘り自己資本のみでやっていこうとするため、VCや起業家支援者等に一切関わらない。起業を勧める人間がいたらペテン師だと思っている。
そこそこの知性があるからすべての裏に気付き大きな行動が取れない。「自分はバクチを打たない」ことを周囲に得意げに話しつつ、細いコネで得た受託で細々と食いつなぐ。
ハイエンド層の仲間入りができるほどの実力が自分にないことを寂しく思いつつ、せめて昨日より1mmぐらいはマシな未来を信じて今日も「疲れたので頑張るより寝た方がマシ」と自宅兼事務所で眠りにつく。
したたか酔っぱらって気持ちいいので世のため人のためになるけど、普段は絶対言わないことを書く。
今、僕のいる会社を含め世の中は、開業者を倍以上に増やそうとしているけど、この記事を読んでいる君がそれを少しでも考えているなら、
決して起業なんてしてはならない。
特に、今のベンチャーブームにのっかて起業しようと考えている人は絶対にやめたほうがいい。
それはなぜか?今ベンチャーブームに乗せられて起業を考えている人のレベルはたいてい中途半端だからだ。
三桁の起業家とそれ以上の数の起業家になりたい人たちと会ってきた、彼らは大体こんな具合に層別されている。
大抵が社会に適合できなさそうなギーク(IQ MENSAレベル 常人では理解できないスピードで思考するため単体では会話にならない)と、
その人間の言葉を翻訳するビジネスマン(IQ120位、ギークの言葉が理解できる数少ない人間であると同時に、常人にも回転数が合わせられる、MBA・コンサル等)の二人以上のチームになっている。
そして、大抵はビジネスマンが自分の立身出世のため、ギークをそそのかし、
ギークはギークで大金を使って自分のやりたいことをするために起業する。
彼らは、基本的にリスクを取らず、市場が見えて、サービスインするまで、
どこかの大企業や研究所に属していることも多いために、ギリギリまで僕らのアンテナに引っかかってこない。
彼らの目的は、「名声を得、大金を得て好きなことをする」ことだ。だからこそ、VCはいとも簡単に騙される。
事実ギークが作る商品の技術力は高くて、MBAが作るビジネスモデルは完璧だ。
だから社内稟議はスイスイとおるし、融資部の許可もおりやすい。
結果として、ぶち上げてから数年で国内でも新しい分野に台頭し、第一人者になるか
大失敗をしたベンチャーの烙印を押される形で世の中に知れ渡る。
どちらに転んだとしても、彼らは目的が達成された時点で早々にビジネスをたたみ
次の好きなことか、起業前と同じくらいの条件のところに転職する
②ローエンド起業家
こういう人たちは、開業して、美容師・レストランオーナー・コンビニオーナー等、特定の業種の経営者になる。
この層が起業する際の業種の特徴は3つ、
①ビジネスモデルを新たに考える必要がないこと、②技術職であること、③ちょっと調べればめちゃくちゃ割にあわないとわかる業種であること。
つまりは、正直、起業することそのものが正気の沙汰ではないようなそういう業種に進出できちゃうくらい
度胸があって、考える力がない人たちだ。
こうした人たちは、たいてい、誰かの影響を受け起業を決めて
行政機関や銀行の窓口相談を利用して、(かなり独りよがりな)事業計画書を書いて
ビジネスを立ち上げる上で多くの起業が失敗するといわれているけど、そうした層の大半はこの人たちだ。
この人たちは稲盛和夫や松下幸之助が言っていることを本気で信じていて、自己啓発本が大好きな人達と
今でも、日本が右肩上がりに成長していくという確信を持ったたちの悪い行政機関周りのエセコンサルに
数年前までは明確にこの2者に起業家は分かれていた。
だが、最近この傾向に変化の兆しが見えた。それが意識高い系起業家志望者だ。
具体的には、学生・フリーター・メーカーで管理部門や開発部門にずっといた。という類の方々。
面白いのはたいていが、そこそこ有名な私立大学を出ている人が多く、また修士までとっている方が少ないことだ。
ひょっとしたら受験等で苦労しなかったために経て失うものが余り無いと感じているのかもしれない。
彼らは起業は良いものだと信じている反面、リスクを忌避し続けるという性質を持つ、
彼らは起業する前に自分が起業して食べていくのにはどの程度の投資が必要かを事前にスタディし、
余りにも割に合ないことを学ぶ知性を持っているからだ。
こうしたギリギリの均衡状態にいる世間知らずたち、起業志望者は昔から一定数いた。
このベンチャーブームのおかげで、僕みたいな起業支援者の言葉を真に受けて、起業をすれば自己実現できるし、
「起業はいい経験だから失敗しても誰かがそれを評価してくれる」という幻想に取りつかれた起業家が多く生まれた。
彼らはかわいそうなことに、孫正義 やら ちきりん やら Jobsやらの言葉が自分にも100%当てはまると本気で信じている。
そしてリーンプロダクション、「Stay Foolish」な精神で、実際にとんでもなく稚拙なビジネスモデルで起業して、自らの将来価値を大いに既存している若者が
徐々に増えてきている。
ただ、こうした起業家志望者に伝えたいことが一つある。
起業家支援者の中で、起業を勧める人間がいたら彼らの言葉に耳を貸してはいけない。
起業家に貼られるレッテルは昔のままだし、社会的信用なんて成功するまで0に近い。
それなのに、起業を勧めてくる奴には裏がある。
そこそこの知性があるからこそ騙されてしまう、起業家志望者は多くいる。
それでも起業したいなら、せめてMBAくらいは取って履歴書の見栄えを良くして転職の準備をして、
あわよくば、ハイエンド層の仲間入りをしてから起業してほしい。
今回はアニメ関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いまのアニメ業界のビジネスモデルがいいものだとは私も思わない。
それでも、あえて言わせてもらうなら「君、そのコンテンツにいくら出した?」。
そりゃあ君が本当に「お金を払いたいもの」に対して出せばいいと思う。
でも、君の中にそれら良質なアニメ作品や関連商品は含まれていないんだよな。
そこに矛盾はない。
もちろん、お金を払うことだけがその作品を評価することではないし、価値でもない。
自然の流れの中で評価され、成功すればそれはとても健全なことだとは思う。
でも、評価しているいち個人すらお金を払わないのに、「評価されない」、「成功しない」。
繰り返すが、そこに矛盾はない。
「何を持ってオリジナルとするか」にもよるが、まあここでは「明確な原作がなく、それを元にしていない作品」と認識してザックリ答えよう。
「既存の概念は全て出尽くして、後は組み合わせだけ」という論もあるが、私にはそれを的確に認識できる能力はないしね。
オリジナルがないわけではない、近年でも「SHIROBAKO」は絶賛だったし。
良質でも観てくれるか、黒字かなんて分からない。となると、多少の担保は欲しい。
そのおかげで微妙な作品すら、興行的に成功してしまうのがいいとは私も言いたくはないがね。
でも、そんなケースもあるように失敗しない、失敗しても大打撃にはならないならやっぱり作り手としてはそれを選ぶ心境は分かってあげよう。慈善事業じゃないんだから。
それに、君がただの「いち視聴者」を貫くつもりなら、色眼鏡なしでただ「面白い」という体験こそが正義ではないかね。
正義の為に人は、人を殺す。
彼らはなぜ人を殺すのか。
戦争をするのか。
それは、
銃で撃たれて死ぬのではなく、
同志は、
圧倒的な自由主義によって、
圧倒的な為替の差、
圧倒的なビジネスモデルの偏りで、
ファーストフード店で1時間も働けば1つのTシャツを手に入れられる先進諸国の人々と相対して、
彼らは1日中働いてもそのTシャツを手に入れられるかどうかわからない。
出来上がった格差の元に、
目の前で同志が死んでいるとしたら。
富は更に強固な富を作ろうとする。
それでも勇者は断った。
正義の為に。
半分でも断るんだよ。
今、先進国が、
半分どころか数分の一か、数百分の一か。
これは、グローバリズムの片りんだ。
そこで思考の停止を生む。
なぜ起こすかを深く考えて、
その背景をたどらなくては、何も解決しない。
何も解決をする気の無い人々に操られれてしまう。
このグローバル社会を生きなくては、
大きな力にはあらがえないが、
大きな力の中で自ら考え、自ら行動することはできる。
だから、
しっかり考えよう。
ライセンシーはライセンサーからある何かの権利を使用する許諾を受けて、それを使ったビジネスを展開する。よくあるのはキャラクターで、アニメコンテンツ会社や出版社からキャラクターライセンスを借りて、グッズの商品化をするなど。これは一例。
ライセンシーはそのグッズを売って利益を得る。そしてライセンサーはライセンシーからロイヤリティをバックしてもらうという流れ。つまりどちらも利益を得られることになる(グッズが赤字になるぐらい売れ残らなければ)。
ライセンシーが実施者なのでリスクもあり(在庫を抱えるなど)、取り分は大きい。ライセンサーは権利を貸すだけなので、取り分は少ない。ライセンサーがすることは、例えばグッズ制作であれば、実施するかどうかのジャッジやデザインの監修程度なので取り分の少なさは当然といえば当然。そうじゃないとこういうキャラクタービジネスなんて成り立たない。
ライセンサーの取り分が少ないとはいえ、グッズ展開や他社とのコラボはブランド価値の向上などの付加価値を生み出すので、言ってしまえば、Win-Winのビジネスモデルとなるはずなのである。
前置きが長くなった。
最近転職してこれまでライセンシーの立場だったのが、ライセンサーの立場になった。
毎日のようにどこかの会社が「権利をください」とプレゼンをしにくるようになった。
いろいろなアイデアがやってくるから、中にはひどいアイデアや、ただ売上がほしいのですと透けてあるようなプレゼンをする人もいた。そういう方に対しては断るしかない。それは仕方がない。うちにとってメリットがないし、断る権利はこちらにある。
しかし、いまの会社の人たちはほぼすべてのライセンシーをこき下ろすのだ。
「くだらない企画だ」
「バカなのかな」
「あんなやつらに甘い顔したらダメだ」
ということで私にもそういう態度をするよう言ってくる。事実、プレゼンの最中、ニコリともしない。能面のような表情のない顔でくだらさそうに時間が過ぎるのを待っているようだ。
もちろんいま人気のあるライセンスを扱っていて、引く手数多ということもあるだろう。安易に許諾を出せるわけでもないので、優しいことを言ってむやみに期待をもたせるのはよくないと思う。
しかし、それでも企画を持ってきてくれる方々には誠意をもって対応したいと、もともと下請けをやっていた人間からするとそう思ってしまう。
正解がわからず悩む。
見てて思ったけど、皆アニメつっても深夜ヲタアニメなんかしか想定してないよね。
ゲームに例えたら、エロゲの話しかしてないのに「ゲーム業界がー」つってるようなもんだよねこれ。
マリオもドラクエも一切無視した「ゲーム業界」話、って主語でかすぎだろと思うけど。
ゲームヲタはゲハ厨だろうとそんなのいないのに、何でアニヲタは視野狭いんだろう。
円盤が高すぎるとか言うけど、メジャーアニメだったら円盤に頼らずとも収益上げてるしね。
サザエさんなんて円盤もグッズも無く、ただ視聴率だけでスポンサーついて18:30から放映出来てるわけで。
キッズアニメも大体は玩具宣伝が目的(ワンピやコナンなんかは原作コミックスや掲載雑誌宣伝の目的の方が大きいか?)だし。
妖怪ウォッチのDVDBOXが激安とか言われてたけど、ヲタアニメと比べるなと。
ハピネスチャージプリキュアが大爆死とか騒いでたけど、それでも売上80億くらい行ってるわけで。
そのレベルの売上があるヲタアニメなんていくつあるの?殆どは足元にも及んでないだろ。
「ソシャゲと同じ」とか言ってる奴もいるけど、高課金させる前提のソシャゲなんて絶滅したよね。
つーかお前ソシャゲの規模どんだけだと思ってるのかと。パズドラのDL数3500万だぞ?他でも人気と言われるものは数百万DL当たり前の業界だよあれは。
母数がでかいから、例え数百円しか払わないのが1%だろうと十分な利益が得られる、ってビジネスモデルだよ。
でもヲタアニメってそんな事が出来るくらいの母数いるの?そりゃごく一部の人気作ならいるだろうけど、殆どは無理じゃ?
そもそもそこまで母数が見込めるような内容じゃないよね。限られたヲタ以外にはウケないし受け入れられないからヲタアニメなわけで。
かと言ってキッズホビーアニメみたいに視聴者の大多数におもちゃやその他キャラクター商品を買わせる、なんてのも無理だよね。
おもちゃ買う歳じゃないし、キャラ商品もその辺のコンビニやらスーパーやらで気軽に手に入るほどメジャーじゃないし。
なんで増田でうんこの話というかうんこ文学が多いのか教えてあげましょうか。
これはね、「BrandSafe はてな」とか、はてなブックマークのトップページ操作にたいする、ユーザーのささやかな抵抗なんですね。
なんで「はてな村」っていう表現がだんだん使われなくなってきたかというと、株式会社はてなは、ユーザーを人間として見るのをやめたからなんですね。
ユーザーと、ユーザーが作り出すコンテンツ(CGM)は、商品なんですね。
そう、「無料」でここに書き込んでいるわたしも、それをみているあなたも、商品なんですね。人間ではなく。
そういうふうにしてユーザーを見ていくと、過激な言辞を弄したりする一部のユーザーとか、メンヘラだとかが発する言葉は、広告媒体の商品価値を下げる要因以外の何ものでもないわけですよね。
こういうふうに、広告枠の販売だとか、ユーザー課金によるビジネスモデルを続けていると、成長するには、言論の自由だとか表現の自由だとかにある程度制限をかける方向にむかっていくわけですよね。
でもそういうことをあからさまにいうと、会社のブランドそのものを今度は毀損してしまうから言えない。言えないけど、実際に制限はしていると。
そういったもろもろのことをユーザーは、程度の差はあれけっこう気づいているわけですよね。
うんこっていう言葉を非表示対象のNGワードに設定すると、もう一線を越えた言葉狩りになるわけですね。
そこまでいってしまうと、はてなのブランドは自殺するわけですね。
CGMの創造性と、ビジネスの安全性の間で、微妙な綱引きがいつも起こっているわけですね。
そういう微妙なところをユーザーはついて、意識的にあるいは無意識的に抗議している格好になっているわけですね。
そうすると、ああ、うんこでもホットエントリ入りするんだ、ってうれしくなって、ますますうんこについて語る。
はてなとしては、トップページがうんこでいっぱいになってほしいわけがないじゃないですか。
でも、うんこを漏らした話で100ブクマついているのに、意図的に非表示になっているのがばれた時点で、はてなのブランドは終わりなんですね。
そういうことをユーザーはおぼろげに感じ取って、ますますうんこを投げるわけですね。
こんなところでよろしかったでしょうか。