はてなキーワード: 雑談とは
私の勤め先は、基本的に部署ごとに机を向かい合わせにし、いわゆる島を作って座るスタイルが通例になっている。
しかしごく一部だが、大陸から離れて廊下や出入り口のほうを向けられた「孤島」が存在する。
孤島は孤独だ。
孤島はたいてい2席あるので、隣には人がいる。けれども背中の状況がわかりにくく、大陸にいる人の様子が全くわからない。
大陸で交わされる雑談や談笑は聞こえないし入れない。だんだん卑屈になってくる。
連絡事項も聞こえづらい。というか孤島の人にまでわざわざ伝達などしてくれない。
電話には先に出ろと執拗に言われるが、出た電話を取り次ごうにもいちいち振り返らないと目標人物が在席か否かすらわからない。
後ろの大陸からPCの画面が丸見えになるし、事務所内の人が立ち歩くときもじろじろ見られるし、冬は寒いし、不快そのものだ。
客に誠意を示すとかいっても、結局下を向いてるとなかなか来客に気づかないし、いったん引いて机を回り込まないと前に出られないから意外と非効率なのだ。
孤島は、むかし君臨した豪腕部長が「客に誠意を示す」ために指示した事項だった。
その権限がある人たちは、あの席に座る苦しみがわからないし、過去の偉人の指示だから、変える勇気もなければ必要性も感じないのだろう。
まさかその座席配置で「お客様ファースト」を体現できると本気で思ってはいないだろう、と信じてはいる。
何年か前、私は孤島に座っていたことがある。
そのときは、孤島の後ろにさらに空席があって、大陸の人たちは今よりもっと遠かった。当時から嫌われていたんだろう。私が耐えかねて辞めるのを待っていたんだろうか。
現在は、若い女の子と気のやさしい非正規おばちゃんが座らされている。
気の毒だが、正直なところ自分じゃなくてよかったと思っていた。
ところがだ。私と折り合いの悪い先輩が、どうしても私を孤島へ追いやりたくて仕方ないと。
「お前のためであるし、おれのためにもなる(お前もおれの顔など見たくもないだろうし、それはおれも同じだ)」という話らしい。
そのために、私の業務内容の入れ替えとあわせて管理職へ進言しているという。他案も「それは飲むからとにかくあいつを孤島へ」と言って、私を追いやるつもりは譲らないと。
私は孤島に何年か座ったことがあるんだが、知らないのだろうか。
私を自分から遠ざけられれば、まして孤島なら向きが変わってお互いの視界に入ることも減るからちょうどいい、とでもいうのか。
若い女の子を不憫に思ったのもあるかもしれないが、それなら別に私でなくてもいいはずだ。
まあそこまで嫌われるのは私にも原因がある。
私は彼に何かといちゃもんを付けていたから、彼が私を疎ましく思うのも、私が自分のことを疎ましいと思っているのだと彼が認識してしまうのも、仕方ないと思う。
少なくとも一年は孤島で隔離生活になる。あー嫌だな。孤島生活つらそうだ。
でも何が一番嫌かって、それは先輩の草の根諜報活動ですべてが決まってしまったことだ。彼は管理職へうまく取り入って畳みかけて、自分の案をほぼ飲ませた。私の次の業務内容まで明確に指定している(けっこう厳しい内容らしい)。
でもいざ追及されたところで「管理職が決めたことだから」という逃げ道がある。こういうときの常套句。
なぜ彼を敵に回してしまったのか。
給料が入った後に、築地場外に魚を買いに行く習慣がある私は、いつもは場外に大量に押し寄せる客をかき分けて
目当ての店に行くのだが、今日は場外市場で働く人達の方が多いような通りの惨状だった。
所在なく店頭に立つサンドウィッチマンからは活気の良い声も聞こえない、囃子がない市場は静かな戦いの渦中にある。
店側は必死である、値付を正価にし、商品の陳列もいつも以上に気を遣っているが、人そのものが来ない。
目当の店では「この数年間、空中戦で荒稼ぎしてきたより日本人の常連をどれだけ作れたかで、これから生き残れるかが決まる」と雑談をする。
魚を買った後、のんびり車で国道15号を流す。銀座の目貫通りも、買い物客より勤めている人たちの往来が多い、
店も4分の1がシャッターを閉めている。日本橋から神田もいつもの様子ではない、普段はスーツを着たサラリーマンであふれているが、
テレワークの為か人通りはまばらだ。秋葉原になると少し人通りが増えるが、普段の3分の1程度だ。
上野は桜の見頃に関わらず、人の頭ばかりしか見えない状況ではなく、気軽に散策できる程度にしか人がいない。
そこから車で走る道中、スーパーやドラックストアは人が並び、消耗品や食料品をせっせと買いだめている。
夜は誰も来ない新宿の片隅で酒を一人飲む、斜向かいの店のドアに掲げられた「コロナ(ビール)始めました」が空しく風に揺れる。
一人オーナーで切り盛りする店はどうするんだろう?またひと昔前の寂しい界隈に戻るかもしれないねと話をする。
気づけば店に入ってからそんな話しかしていない。何処の桜が見頃だとか、御苑に酒を持ち込む方法とか、
そんなよくある天気の話もしていない。御苑は封鎖されたらしい。
私も居場所が欲しいから、金を使いたいから、よく行く店に通う。
自宅と、職場以外にある、数多くの、一生かけても全て見通すことが出来ない数多の社会が暗転しそうだ。息が詰まる。
この社会は、人が獲得した高度な社会性は、衣食住の安寧という本来は難しい問題から脱却して、
可処分時間と可処分所得を使って長い人生の中で楽しむことを覚えた。
そんな高度に発展した社会が、棍棒を持った侵入者によって破壊されようとしている、
既に生きる為に自宅と職場を往来するだけな状況は、中世から原始資本主義時代の生活と変わらない。
これで都市封鎖されると、自宅の中で嵐を過ぎさる事を祈るだけになる。それは石器時代と何が違うのか?
中国やイタリヤの人々が窓から大声で歌を歌う動画を見た。私も部屋の片隅で小さくなって
祈るのなら、声を出して祝詞を歌いたい。
「日常」は、数多の世界の、数多の人による労働によって作られ、滞りなく安心して繰り返される事に価値があった。
memento mori(メメントモリ) 意味は、死を想え
頭が痛い。
軽度の片頭痛と目の奥の痛みが定期的にやってくる体質なので仕方がないのだが、原因は寝不足な気がしてならない。昨晩、本格的に意識が飛んだのが朝の三時だったのだから、睡眠時間は当然足りていない。
なんでそんなことになってしまったのかといえば、日曜日に布団にもぐりっぱなしだったからなのは間違いない。一応ジョギングをして身体を動かしはしたのだけれど、朝の七時から正午まで横になっていては体内時計がおかしくなるし、眠れなくなるのも当たり前だ。そろそろ、土日の過ごし方を失恋以前に戻す頃合いだ。
さいわい、コロナウイルスで閉館していた美術館も徐々に営業を再開している。密閉した空間で大勢の人間が近距離で会話をするという条件がそろっていなければ大丈夫なのではないか、みたいな理屈らしい。ひとまず、bunkamuraの超写実絵画か、原美術館のエゴ・オブスクラに足を運んでみようか。正直なところ、超写実絵画はあまり好みではない。ごくごく少数の作品を除けば技巧に走りすぎていて、なぜ異様に細部を再現する表現を選んだのかがあいまいな作品が多いと、勝手に思っているからだ。しかし、もしかしたら自分の好みの作品に出合えるかもしれず、わざわざその可能性を閉ざすこともないだろう。原美術館のほうは森村泰昌の作品を展示しているが、出会ったのは数年前、上野で彼がクラーナハのユディトか誰かに扮していた写真だ。記憶に残っているのだし、自分のアンテナには引っかかる要素があるのかも。気力と体力が金曜日を過ぎても残っていたのなら、久しぶりに行ってみたい。
別に映画を観に行ってもいいし、現に「ミッドサマー」がすごく気になっているのだが、最近心身が本調子ではないため、わざわざ具合が悪くなりそうなものを見に行くリスクを冒すこともないだろう。学生時代の自分はもっと芸術至上主義だった気がするが。わざわざ不快になりそうなものばかり見たがっていた。
ところで、昨日心配していたようには、仕事中にソープランドのことばかり考えてしまうといったことはなかった。だが、寝不足のせいでホルモンが乱れたのか、理由のない不安があった。作業をしているうちに消えたが、規則的な生活を守ることの優先度はもっと高くしていきたい。
この、風俗に行く空想のことを少しばかり恥じている。本当のところ、金曜日の夜はそこに行きたいという思いもないわけではないが、たぶん早く帰りたくなってしまい、そうすることはないだろう。土曜日や日曜日の場合は一度家を出ないといけないのだが、そのハードルも高い。そして、結局行くか行かないかをうだうだしながらベッドの中で過ごしてしまう。馬鹿げている。一発抜いてしまえばそれで収まる話なのに。自分は名前のわからない、匿名の女性に触れたいのではない。なぐさめてほしいのでもない。セックスができるかどうかについてを過剰に恐れているから、自分の男性的機能を確かめたいだけだ。勃起するかどうかが不安なのだ。その不安を抱えたままだと、いざ風俗嬢に対面した時に気分が悪くなってしまうだろう。自分がしたいのはそういうことではないはずだ。完璧な勃起なんて、通常のセックスでも、そうそう見られないのではないか。
本題に戻ると、失恋直後の何も考えられない状態だったからこそ、何の抵抗もなくマットヘルスに行けたのに違いない。情けない声を挙げながら精子を漏らすことができた。でも、本音ではやっぱりちゃんとした恋愛がしたいのだ。ただ、まだ踏み出す勇気が出ないだけだ。失恋から一か月が過ぎて、とりあえず正常に仕事ができる心理状態になっているし、彼女のことを思い出してももうほとんどつらくないので、前に進んでいるのは確かだ。だから、焦らずに夜食のお団子を食べて幸せをかみしめよう。今日のお団子はこしあんのきめが細かくて好きだった。
そうそう、突然だが、同僚と水曜日にランチ会を開くことになった。以前と比べて、他人と雑談するのが苦痛ではなくなってきたのもまた、うれしいことだ。
ところで、ツイッターに移行して以来、こうしてある程度のまとまった文章の形で日記をつける習慣をなくしていたのだが、切れ切れにならない思考の跡が残るのも悪くない。ただ、ツイッターでつぶやいたものとも重なるので、二度手間になっている気がしないでもない。あるいは、最近小説を書けなくなっているので、その代償行為なのかもしれない。
一週間前、同じマンションに住む親しい中年と廊下で何気ない雑談をした。
回覧場を回しているうちに、仲良くなったとてもいい人。
自然と話題は新型コロナウイルスの話に。その中年は、電車で通勤しているサラリーマン。
ワイ「マスクがそろそろ無くなりそうですが、どこかで購入できませんか」
ワイ「無くなったら無くなったで、マスク無しで過ごすしかないですね」
中年「実家に3箱送っちゃったんだ。余ってれば、あげたんだけど、数枚を使いまわしてるからね」
ワイ「ありがとうございます。手に入ったら、お譲りしますよ」
後日、その中年宅に回覧板を持っていったとき、ちらっと玄関横の部屋に、大量のマスクの箱が積み上がっているのを見てしまった。
見てないふりして、回覧板だけ渡して、さっさと帰ってきたが、なんだか胸がムカムカした。
マスクって、相手に伝染さない効果はあるが、相手から伝染らないようにする効果はほぼ無い、という記事を読んだ。
つまり、マスクを買い占めて安心してる奴らは、あくまでも被害者側に立っているにすぎない。
自分が新型コロナに伝染りたくなかったら、周囲にマスクをしてもらうべきだ。
私は、20代後半の会社員です。最近、20歳大学生の彼女ができました。
半年ほど前、レズビアンの出会い専用掲示板にあった書き込みに、私が応募したことが出会いのきっかけです。
待ち合わせ場所に行くと、アイドルのような美少女がいて、「何かの罠かな?」と思いました。募集文には、「20代前半の女性です。食事をして、気が合えば肉体関係を持てる女性を探しています」と記載されていたので、てっきり少し歳下の社会人女性が来ると思い込んでいたのです。
私は歳上女性としか付き合ったことがなく、10近く歳下の女の子に手を出す気はなかったので、食事だけして帰ることにしました。ところが食事中に、「今日は地方から遊びに来ていて、泊まる場所を決めていないんです」と打ち明けられたのです。幼ささえ面影に残る女性を、都会の真ん中に放り出せないと思い、ホテルを探して2人で入ることにしました。
部屋に入り、雑談が終わり、「私は帰りますね」と立ち上がると、彼女は「帰らないでください…」と私の袖を引きました。
行為の後、ベットで彼女を抱きしめていると、さまざまな話をしてくれました。男性経験はあるが、行為を好きになれなかったこと。女性を好きではないかと思い始め、セックスをしてみたかったこと。私がはじめての女性であること、まだ恋というものをしたことがないこと…。
翌日、連絡先を交換して、次の約束もしないまま別れました。
これが、彼女との出会いでした。その後も、会って肉体関係を持つことを、何度か続けることになります。
お泊りデートの別れ際、彼女がぼろぼろ泣き始めたのです。びっくりした私が理由を問いただしても、彼女自身も涙が出てくる理由がわからないようでした。
次に会った時は、ホテルの部屋に入った瞬間に泣き始めました。「私は、人は恋をすると、涙が出てくるんだと思います」と伝えると、彼女は「あなたが好きです…」と応えました。
交際を始めるにあたり、私には決めたことがあります。それは、彼女をなるべく自由にすることです。社会人と学生では、圧倒的に人生経験が違います。彼女を束縛することなく、様々な出会いと経験をしてもらい、その上で私を選び続けて欲しいと思ったのです。
ですから、「男性とも、女性とも、他の方とも付き合っていいよ」と彼女には伝えていました。
昨日のことです。2人でお茶を飲んでいると、彼女に「そういえば、先週おじさんとセックスをしたんです」と屈託なく伝えられました。
私は、全身の血の気が引くのがわかりました。震える手を抑え、「大人として、自分はどう振る舞うべきか」を必死で考えました。彼女は続けて、相手の男性が60歳近いこと、性行為の後に5万円を受け取ったこと、行為が気持ちよくなかったこと、行為の後に交際を求められたことを無邪気に話してくれました。私は笑顔で聞き、相槌を打ち、そのまま別の話題に移っていきました。
その男性の存在は知っていました。時々会う、お小遣いをくれる男性がいると聞かされていたのです。でも、相手は紳士的で、肉体関係を求められることもないと。もちろんいい気持ちはしませんが、彼女に口出ししないようにしていました。それが、大人の振る舞いなんだと。
夜になり、彼女がいつものように私に甘えてきます。私はどうしても耐えきれなくなり、「もう、あなたとはセックスできないかもしれない」と伝えました。彼女は驚いたような顔をして私に縋り、「どうして。こんなにあなただけが好きなのに」と大声で泣き始めました。
その姿を見て、私の中にむくむくと嗜虐心が沸いてきました。「そんなにしたいなら、おじさんにどんなことされたのか全部教えて」と要求し、彼女がされたことを再度なぞっていきました。
キスをして、身体触り、性器を愛撫して…。挿入の話になると、私は彼女の身体を突き飛ばし、「それは、私にはできないことだよ…。もう服を着て帰って欲しい…」と伝えました。「わかりました…」と服を着ようとする彼女の腕を掴んで押し倒し、私は彼女に覆いかぶさって子どものように泣きました。「あなたが好きだから、私は泣くんだ!あなたが好きだから、受け入れられないんだ!」と叫びました。彼女が泣きながら私を抱きしめたので、絞り出すような声で「大人になりきれなくてごめんね…」と言いました。
私は、彼女が好きです。食べ物の好き嫌いが多いところも、大人びているところも、甘えたなところも、少し高い声も、いわゆる毒親から自立しようとしていることも、身支度に何時間もかけて私を待たせることも。何もかもが愛おしい。手を繋ぎ、微笑み、見つめ合い、愛をささやき、静かに語り合い、そんなふうに共に過ごす日々が好きでした。
彼女は、無垢で、経験がなく、悪気がなく、つまり子どもなんだと思います。そんな年代の子に、小金をチラつかせて自分の欲望を解消し、躊躇いなく交際を申し込める男性を、強く嫌悪します。
彼女は、いわゆるパパ活はもうしない。おじさんに連絡しないと誓いました。
本当にそうなんでしょうか?彼女は、また刺激と快楽と金銭を求めて、同じことをしないと言えるのでしょうか?私に告白しないだけでは?疑念はつきません。
それは、君を愛しているからです。早く、大人になってください。
でも、もしも、それまで私が待てなくても、許してください。
(いくつかフェイクあり)
カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。
それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。
増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。
増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。
長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的なものだけを箇条書きで挙げる。
臨床心理士の資格を持っている50代の女性。中学生くらいの子供がいるらしい。
髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。
初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ、人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分は専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間も逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。
二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングとカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去の出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談をきっかけに、突破口を開いたこともある。
夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形や模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉の論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議な経験だった。箱庭療法の最初の一回も、自分の心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。
これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。
治療も後半になると、こうした技法はほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分の気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。
始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分はカウンセリングの技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイトの著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳の理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから、必然的に相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つのは人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。
カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理な仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活、自慰行為、風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。
そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。
最後に、カウンセリングの時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情を自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなたの感覚はそれほどおかしなものではない」という趣旨の言葉を返してくれるだけで、自分の過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。
ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月のことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分を軽蔑しない彼女の存在が尊く思われた。
珍しくないことだが、自分はカウンセラーに好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなたを尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人に自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分は知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手に尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人を尊重することを身をもって学んだ。
一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。
過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事に感謝することを学べたように思う。
また、自分の恐れの感情やトラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。
もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。
何よりも現実検討能力がついた。不安を不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安のエネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。
悩みの解決の過程を言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。
過去のいじめ、対人関係のトラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言・表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分と相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分と他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対に不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分が女性から不快な思いをさせられた経験から、絶対に女性を傷つけてはいけないというルールを自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。
それに、世間にはいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性が自分に暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。
フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。
仕事に関しては、転職をした。自分の能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。
男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間の価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。
その中で、家族との関係も改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間だからこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。
処女厨もロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生と恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックスは気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。
女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子はかわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間は自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。
同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器を露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントとカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。
死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。
カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。
とても感謝はしているけれども、自分で自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日の出来事を淡々とカウンセラーに報告するだけみたいになっていた。
というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ。
ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。
最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。
日曜日、そういえば二週間ほど自慰行為をしていないことに気づき、ソープランドに行くのも悪くないと思い立った。別に多忙であったわけではないが、ときおり無気力なまま時間を過ごし、気づいたら長らく抜いていないことがある。
だが、日曜日はもともとジョギングに充てるつもりだった。ここでさぼるとしばらく走れなくなる。ついでに土曜日に大量に飲み食いした分も消費してしまいたい。
そういうわけで、近所を走り回ってからまだムラムラしていたらソープに行くことにしようと決断した。走っている間はずっとソープランドのことを考えていた。基本的に走っている間は退屈なので、何か考えるべきことがあるのはありがたい。以前は音楽を聴いていたのだが飽きてしまった。最近の曲を別に知りたいわけでもないし、聞き放題サービスにも関心はない。それに、たまたま聞いた曲が気に入ったものであったときに、立ち止まって調べなければならないかと考えると、それもまた億劫だ。たぶん簡単に調べる手段はあるのだろうが、積極的にサービスに加入したいわけではない。
1時間半ほど走ってからシャワーを浴びても、まだいくばくかムラムラしていた。どうしたものかと寝床でごろごろしていると、右手の薬指に痛みがあった。不審に思い見てみれば爪が割れている。どこで割れたのかまったく見当もつかない。これでは到底風俗に行くわけにはいかない。嬢に割れた爪で痛い目をさせるわけにはいかないし、傷跡から何に感染するかもわかったものではない。しょうがないのでその晩はソープランドの動画で抜いて寝た。
わからないのは、二週間の禁欲直後よりも、一発だけ抜いた翌日のほうがムラムラすることだ。二発三発抜いた直後のほうが、禁欲中よりも性欲が旺盛になる現象と関係しているのかもしれない。陰茎が触れられる喜びを覚えているからかもしれず、一発の射精がある種の呼び水になっているからかもしれない。
ところで、今朝体重を測ってみたが、土曜日のシュラスコはそこまで後を引いていなかった。むしろ減ってさえいた。肉ばかり食べて、パンや米を食べなかったからだろうか。炭水化物ダイエットを信奉しているわけではないが、昼が多めのうどんだったので、平均すれば炭水化物は摂取している。
土曜日に友人とシュラスコを食べた後は、閉店時刻まで煙草臭い喫茶店でだらだらと過ごしたのだが、雑談で気分が晴れた。最初は友人との会食後、別れてこっそりと風俗に行くつもりだったのだが、取りやめて正解だった。ところで、自分は煙草はまったく吸わないのだが、ここ数年ニコチン臭い店の居心地がいいと感じてしまうのはどうしてか。昔はそういう場末じみた雰囲気を毛嫌いしていたものだが。別におしゃれな店が嫌いになったわけではないし、理由ははっきりしない。ただ、なんであれ、居心地がいいと感じる場所は多いに越したことはない。
最初に書いておく。陽キャやマッチング相手とスムーズに返せるやつは読まなくていい。
これは、あんまり女性に免疫がなく、マッチングアプリでマッチングしたものの
メッセージが返ってこない、数回やり取りしたら連絡がなくなる、雑談ばかりでいつまでも先に進めない
真面目くんに向けた内容である。自分自身がそうであることは否定しない。
まずこれに困るんじゃないだろうか。
何を送ればいいのか、長い方がいいのか、短いほうがいいのか。
送ったのに返ってこないのはなぜなのか。
ある程度数をこなしてきてわかったのは「シンプルな挨拶+共感ポイント」を返すことだ。
いくら顔しか見てない男性陣とはいえ、その人にイイネを押すだけの「何か」があったはずだ。
手当たりしだいに送っていてマッチングしてしまった場合は後付でいいからそれを探せ。
「こんにちは(こんばんは)。マッチングありがとうございます。
犬好きで優しそうな雰囲気なところが良いと思いイイネしました。
これぐらいでいい。
ちなみに、回答があった場合2~3回目はこのときの2行目の内容で会話が進行する。
プロフィールから「これなら自分もいくつかは引き出しがあるかな?」というものを選べ。
容姿を褒めるのはNGだ。こいつ顔しか見てないのか?ってなるし多分褒められ慣れている。
(「出身が同じでお酒好きなところが似ていると思いました」とか)が、
1つしかない場合は「○○な雰囲気が素敵だと思いました」をつけると良い。
(もちろん、その人にあった内容じゃないとダメだぞ。そこは察してくれ)
最初に「よろしく~」だけじゃなく「なぜイイネしたのか」の理由があったほうが
相手も真面目に対応してくれるし、共通点があったら嬉しいのは男女関係ない。
3つも4つもあったら「こいつ好かれようとして全レスかよ」となるし、
最初に「沖縄の座間味島に行ったんですけどあそこは海が綺麗んで~」みたいに
(すごくニッチな趣味で共感した場合だけ、ちょっとだけ熱量はあげてもいいかもしれない)
こちらのプロフィールにある「ツッコミしろ」の部分に対しての質問などが
同じくらいの分量で返ってくるのではないだろうか。
相手からの質問に回答して、追加で相手に同じジャンルの質問をする、みたいなことだ。
○○さんは~~ですか?」
の最後の部分が、本当に聞きたいことであればいいんだけど、
会話が途切れてしまうからとりあえず書いてみました、というのであればそれは辞めろ。
ある程度情報のやり取りが終わったらその会話は言い切って質問しないのも1つの手だ。
向こうに同じ話題を続けるのか、違う話題に切り替えるのか選択権を与えるわけだ。
これは逆も然りで、向こうから質問がない場合はこちらが話題を続けるのか切り替えるのか考える必要がある。
ある程度数珠つなぎに話題を切り替えられるなら一番それがいいんだけど
コミュ障にはこの「向こうのメッセージから空気を察する」「適度に話題をつなげていく」というのが難しい。
あんまり知らない話になってしまった場合の対応もコミュ障の苦手とするところである。
とりあえずGoogleで情報を調べてそれらしい感じで返す、そうなんですね、ところで...と流れをぶった切る。
どっちもやってしまう人がいるが良いことっはない。
興味のない話題を続けても相手から「この人は魅力的だ」と思われることはまずもってない。
かと言って興味がないことを察されてはいけない。
というところで落とし所としては「わからない、知らないことはちゃんと告げる」上で
「相手からもう1つ情報を引き出して次の話題へ移る」が最適解だと思う。
「そうなんですね、僕焼酎は全然飲まないんですけど今度試してみます。
これなら飲みやすいんじゃないかな、っていうのがあったら教えてください」
というようなあんばいだ。
その話題を続けるより、いかに盛り上がれる共通の話題を見つけるかだ。
「最近コロナで大変ですね。外出もできないので気分も塞いでしまいます」みたいに
これが一番難しかったりするんだが、2週間やり取りして会いませんか?と聞いてダメなら
恐らく1ヶ月やっても2ヶ月やってもダメだと思う。
よっぽど嫌じゃなければ「まぁ、会うくらいはいいか...」となっているはずだ。
この時点で向こうに警戒心があれば「最初はお茶から...」となるだろうし、
それなりに打ち解けていれば晩御飯を食べてもいいだろう。
「ここまで話をしててとても楽しいので直接会いませんか?」
で良い。ずっと言えることだが長々と釈明するのは良くない。
あと単純に2週間以上続けていると話題が尽きてしまうということもある。
メッセージ期間が長いとお互いのことを知れてよいのかもしれないが、
直接会ったときに話題がなくなって前聞いたことの焼き直しみたいになると
「会ってみたけどそんなに楽しくなかったな」となるからそこの余白を残しておけ。
マッチング相手が多いとそんな大人数といっぺんに向き合うのは難しくなって、
であれば、サイクルは短くして「ダメなら次」の精神でいた方が良い。
おそらくね、自分の記憶も他人の記憶も所詮曖昧なもので往々にして勝手に捏造されるもんであり、世の中のオレオレ話なんてのは大抵が眉唾であるが信じたい人が信じ祀り上げているもんにすぎん、という認識が前提にある。
それが真偽が重大なことであるならまだしも何の利害も産まない酒呑みのネタのようなものなら、精査することなく「たぶん最初に言ったの俺だろう」という根拠のない自信をもって語っちゃうこともよくあるだろうし、信じたい人だけが信じる戯言としてそういう世迷い言がそこら中に溢れていてもいいんじゃないかという世の中の寛容さに対する価値観があるんだね。
そういうどうでもいいことに対して、神経質に調べ上げて揚げ足とってくるというのは、有名人がよく受ける一般人からのウザ絡みみたいなモノにすぎんと受け止める考え方があってもおかしくない。つまり、世の中の真偽について敏感すぎる奴はイタい奴で、まるで会社の中でする会議みたいなノリでクソ細かいことまで真面目くさってチクチク検証して論わなきゃいけないスタンスで日常の雑談をするのは簡便してくれって気持ちなんだろう。
会社ではリモート推奨と言われているが、家にはどうにもならない最大の敵がいる。
それは、猫だ。
どうにも行えないのである。
もちろん、足にもすり寄ってくる。
おかげで、会社の際に着る服に毛がそれはたくさん付いてしまうので、
結局部屋着で過ごすほかない。
(季節柄夏毛に変わるため余計にボリュームが増える)
(だっていつも寝てるだけなんだもん)
就活解禁つってもそんな感じのしない今年の就活生に伝えたい個人的な会社の見方
かなり多いけど、今時パスワード管理が煩雑になるシステムに頼ってるところはヤバいし
会社都合で全部そう言うのを進めてるので割と採用については雑な感じ
入ってくる人間もそんな感じで雑多な奴なので入社してからが辛い→採用が雑なので人に統一感がなく、自分に合わない人間が多くなる
また、IT系とかだけかも知れないけど、自社採用ページを設けている会社は、その会社のスキルレベルや開発に関する意識なども
そこから得ることができる
カオスなシステムだったり、やたら使いづらい採用ページなどを作っている会社はマジでカスで、恐らく次は自分がそう言うのを作る側になるので地獄
(毎年何社かそう言うのが存在する)
書類以外って言うのは自己PR動画とかそう言うのを出せって言う会社
お前ら就活生は別にyoutuberになりにいくわけじゃないし不要だと思う
それに、テキストだけでなく、見た目や声、立ち振る舞いなど様々な情報の塊である「動画」は扱いを非常に慎重にしなければならない
まあそう言う物を扱うのにも、セキュリティや情報管理に自信があるのだと捉えてもいいが……(昔流出事件もあったので、普通は避けるんだけど)
日本の企業でそんなセキュリティがしっかりしている会社がそうそうある訳がなく、大抵はバカな考えでそう言う採用方針を決定してるだけ
こっちの都合を理解せず、即レスを求める会社って言うのがあるんだけど
まあ、その時点でやる気のある奴ないやつをしっかり見定めているので賢いなとも思うが
大抵そう言う会社は高給ではあるが、超どブラックなので、個人的にはヤバいなって思った
お金が全てじゃなくて、死んだら終わりだと思ってるんだけど、結構金さえ払えば何しても良いって考えている
体育会系の企業にありがち。ハイレベルなIT企業でもそう言うのはあるんだけど、増田で内部告発記事みててやっぱりな…となる
(とは言え説明会などを受けて、お話しした後に即メールでお礼を言うなどはかなり好印象なので、受かりたいなら即レスは必須)
大抵企業っていうのはプレゼンが上手いから、説明会で分かった気になるけど、実は中身すっからかんだった
みたいなことは多々あるんだけど、そういう時に限って企業ページなど見て具体的に何をやっているのか分からない会社は
あまり公言できない事(マネジメントが曖昧だとか、情報共有がされていない、業務の属人化やシンプルに理解する気のない風土)が体現されているのでマズい
そういう会社で面接したら、上手い事言えずにみんな似たり寄ったりの回答をするんだけど、まあそれで運よく採られたりするので
入ってからの人間はみんなまぐれで入社みたいなのが多い(ビックマウスもいる)
なので、業務内容などがしっかり自分の中で理解でき、魅力を感じるところっていうのが一番ベストだと思う
面白かったのが、HIT●CHIが「社員に聞いた、自社のいいところ」を1〜5位まで説明会で挙げてて、5位に「自由がある」みたいなことを書いてて
それについて、聞いたら「自由はあまりない」って回答だったってこと(言った本人が動揺してたから失言だったのかも知れない)
トップ5って訳じゃないんだな〜
・聞いても仕方がないことを聞く会社
パワハラやモラハラがある会社でありがちな面接内容(富●通とか…)
面接は回答内容よりも、どう考えたかなど立ち振る舞いなどを雑談から引き出すので、雑談としてそういう内容があるのは仕方がないとは思うが
例えば、働いたこともない我らに「どう仕事をするか」を具体的に聞いちゃう会社はちょっとヤバいなって思う
こういうのは働きながら学ぶ物だし、例えば車にしたって「どう運転するのか」を教習前に聞いたところで何の意味もない(知りながら見つかる価値観が殆どなので)
大抵の人間がそうかも知れないが、相手の立場に立って考えられない奴や、理解のプロセスを理解していない人間がそういうのをやりがちなので
少なくとも、採用担当にはそういう人間がいて、そういう人間を採用担当に選んじゃう人間もいて、それをおかしいと思える人間もいない会社なんだなってわかる
(要求レベルがなんか乖離してるなって思う会社はちょっと地雷かも)
見下しがちな態度やラフな態度を取る採用担当のいる会社は、大抵環境が地元スーパーみたいな感じになってて
いわゆる知識層とかへの敬意とかそういうのがなくて、シンプルに「見下すか・見下さないか」の2択の人間しかいないので
体育会系な部分もあるけど、卍みたいなオラついた輩の方が優遇される社内環境だったりするので、結構しんどい
大学生にもなってそんなところ行くな、人手不足以上にブラックに直結する理由はない
ベンチャーに関しては、合う人はあうが、大学出てまで?というのはある
そもそもベンチャーや中小は学生時代にアルバイトなどで行って体験する物で、今更行くんじゃちょっと手遅れだと思う。
そんで意識だけ高くなってエンジニア志望でIT系ベンチャー入った奴が気がついたらwi-fiルーター売る仕事してる、みたいな訳わかんないのも結構聞いた
ベンチャーの良い所に勤められる奴は、大学行かなくても問題ない奴しかいないし、横のつながりに恵まれすぎている。
大企業は人数多くても破綻していない有能な環境があるので、その点だけは評価できる
騙し騙しやってる場所もあるので、まあ、そこは上記の情報から判断すれば良いが
社会人は社会人なだけにある程度社会性があって、めちゃくちゃなのにそれっぽくするのが結構できるので
上に挙げたような特徴があっても、程々に機能しているところはある(まあでもあまり良い環境とは言えない)
・説明会などでみる会社のPCがwindows7とかだったら終わり
・SPIとかそう言うのは茶番、どうせwebテストはみんなでやるし、会場の筆記試験は答え付きの過去問が売られてる
選んだ会社が来年度から外資系になってしまう、みたいなケースもあるし、逆に親会社に合併されるケースもある
あとは能力のギャップが辛いので、正直に答えて入れる方が居心地が良い
あと、付け焼き刃って結構ボロが出るので、聞かれてボロが出ないのは逆にヤバい質問内容をする会社だと思うし
話の広げやすさは付け焼き刃じゃないものの方があるので、なるべく自分の話をしよう
・初任給は大抵同じなので、福利厚生や補助(特に都会なら家賃補助)を意識すること
生活できないと困るので、給料以外の方が重要かもしれん。あくまで家賃補助で、自社寮などは地獄なのでやめておいた方がいい。
・リモートワークも一長一短
あんまり信仰される物ではないが、そういう制度をしっかり意識しているっていうのはそれだけでアドかもしれん
古い考えの奴が多くて、実際に使い物にもならない、ブラックな会社ばっかり教える とかよくある
思わず「それは忖度しすぎじゃない?」みたいな嫌な拒絶反応を示すアドバイスをうける場合もあると思うが、大体その直感は正しい
就職課の教えるマナー講師みたいな変な風習は、なくても困らないことばかりなので適当に受け流せ
それはそれとして、古い価値観や「安定」みたいな部分については知識が豊富なので、そういう部分で頼ればいい
四季報などにも詳しいので、そこら辺は就職課に丸投げして、自分ができる部分で就活を進めれば良い
・実際に目で見たものだけ信じる
就活ビジネス(詐欺)が前に比べてめちゃくちゃ目立つ印象がある
この内容も話半分で聞いて、実際に見て聞いて、体験したものだけ自分の中に入れた方がいい
就活意識高い系って、友達もなくすし品性も失うし、結構お金も飛ぶらしい
ご飯食べてしっかり寝ること
別に就活失敗したからって人生詰むわけでもないし、定職についたから幸せってわけでも、大企業だから幸せってことでもない
就活失敗してフリーターで社会復帰難しい奴って確かにいるけど、大抵そういう奴は情報が足りていないだけで
定職につくっていうのは、会社や社会から得られる情報の間口が広いから有利なだけで、ネットを駆使したり人と交流さえしていればチャンスはいくらでもあると思う
「頭の良さ・社会などから得られる情報・金」の3つで人間成功するので、いわゆる環境っていう奴は後者2つかも知れん
どうでもいいけど、今年は説明会とかもないし、企業の採用ページか問い合わせから個人的に連絡した方が採用されやすいんじゃないかな
これで6回目の転職
it×3→土方→接客→介護 とやってきたけど完璧にジョブホッパーになってしまった。
しかし何事も続かないわけではなく、趣味でプログラミングと絵を5年は続けている。(ただ凄くはない)
こんだけ転職して思ったのは、業界によって人柄は大きく変わる。
it系…基本暗い。雑談はほぼなく、社長は太ってる人が多い。太ってる社長は人の気持ちが考えられない系な気がした。
土方…挨拶は基本。ヤンキー系。田舎の方から東京に来ていた会社だったためかガラは悪い。
IT系の人よりかは明るいが基本関わったら良くないことが多そうなやつばかり。
薬やってた人がいたので辞めた。
どちらかと言うと客にやばいやつが多い。
短期だったので辞めたというか終わった。
女性同士の陰口は多い。
運が良かっただけだとは思うが、男性人はめちゃくちゃいい人が多い。
でも度を超えたヤバイやつが来る事もある。
スタッフが減る一方利用者は増え、使えない人と組むと負担が大きく、割に合わないため勢いで辞める。
次は何しようかな。