はてなキーワード: 都市とは
東北の某県庁所在地出身で、現在東京在住だけど、あまりにも旅行に行った九州が都会すぎてビックリした
博多、北九州が都会なのは勿論だが、熊本、長崎、鹿児島とかも充分都会だよな……
人口は仙台よりも小さい街多いけど、中心部の賑わい&人口密度が全然違う
東北の各県庁所在地には全て行ったけど、同じ県庁所在地なのにこうも違うとは
その他の大きめの街(弘前、八戸、横手、一関、鶴岡、酒田、石巻、郡山、いわき)も九州の同人口の都市と比べて全然発展度が違う
連載中
序盤は割とあるあるな転生なろう系冒険譚だったが、貴族に所有される→医師→宗教家→軍人と話と転職が進むにつれて凶悪に肉厚になっていった。
宗教的権威によって成り立っていた第四帝政が相次ぐ異民族の侵入や内乱によって崩壊していく様をつぶさに描いたオススメの一作。
連載中
小競り合いをしたり王国内の社交があったり、大規模な戦争があったり、超強いストーカーに襲われたりしながらしっかりエロがあって良い。
第一章最終話「クオルデンツェ家の後継者」は本当にいいエピソード。
ちなみに本好きの下剋上の貴族社会が好きな人にオススメ。主人公が1人になる瞬間がほぼ存在しない。
完結済
剣闘士の奴隷の少年は主人を殺して脱走し、逃げ延びた先で吸血鬼に可愛がられる。
成長し旅立とうとする少年は吸血鬼についてきてもらいたがったが、吸血鬼は拒否しこう言った。
出世して、貴族になって、王になって、この地を貴方の物にしたらおいで下さい。そうすれば妻にでも、愛人にでも、あるいは母にでもなりますよ
かくして少年は王を目指すべく旅に出た。
連邦の懲罰艦隊が沿岸の都市を燃やし尽くすシーンはエロでもないのにチョー興奮したぜ!
終盤、公爵として数多の属国を従え、大勢の女を囲い、家庭を作る。安寧の時間が流れる。
道半ばの主人公、途中から覇道を支えた軍師レオポルト、そして読者の心が1つになったとき、軍師はある騒動を起こす。
王になりたい者がいる。私もその者を王にしたい
(中略)
射精した。
ちなみにオチは大嫌い。
本編完結済
襲い来る花々がただただエロい。
バッドエンド編とif続編があり、そちらもオススメ。
本編完結済
友達とセッ!!
完結済
ちゃんと主人公は悪人だが、悪人にも仁義はあるとより強大な悪相手に切った張ったの大冒険。
この作者の作品は割と残酷に時間経過したりするので、嫌な予感がしたら避けよう。
完結済
こういうエロが俺は好きなんだなあ。転移時点でクラスメイトは半分しかいないんです。なんででしょうねえ。
連載中
転移したおじさんはSランク冒険者で引退して学園都市でパパ活します。
女を金で囲う時、おっさんもまた囲われているのだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20240808-HNQSWJHANBCKPHK7BRLZ4JHK6Q/
うわきっつー。核は通常兵器と次元が違う前提でありパレスチナにおける被害と日本の“被爆地”は次元が違うというある種の特権的地位は捨てるってこと?まあ捨てるならいいよそれで。空爆食らった国内各都市やガザやドレスデンやらと等しく同じ軍事的被害地であり、被爆地に特殊性は一切なく「核」「核」言わないならそれでいいよ。
核の傘に守られながら被害者ぶってるの、以前から気持ち悪かったしな。
あとネトウヨがパレスチナに肩入れするのは論理的に整合するよな。イスラムには糞フェミニズムや腐ったLGBT思想はないわけで。リベラル欧米が支援するイスラエルとは根本的に相容れない。ネトウヨはエマニエルボロクソ言ってるしなw
ついに来たか…って感じ。根本的な価値観の違いが明確になった。ウヨが増加するはてな上では、欧米よりもイスラム、中国←これら反リベラル的な国と価値観が近い人が多くなった。欧米は人種差別的でありリベラルであり伝統的家族観を破壊する糞。袂を分つ時が来た。とっととアメの核の傘が出れば?で中国と軍事同盟結べ。
因みに欧米の反イスラエル潮流は若者が陥りがちな左翼思想でありイスラムがどれだけ反自由主義的か理解できてないだけだと思う。
履修済→有害無罪玩具・逆柱いみり・武装島田倉庫・黒史郎(未完少女ラヴクラフト)・殻都市の夢・EDEN・このサイテーな世界の終わり・GUNSLINGER GIRL・アンデッドガール・マーダーファルス・伊藤計劃・JUNK HEAD・バビロンまでは何光年?・堀骨砕三・君たちはどう生きるか・裏世界ピクニック・マルドゥックシリーズ・ディスコミュニケーション・ドラゴンヘッド・リンダキューブアゲイン・バトルロワイヤル・バビロン・岩明均(全般)・幸村誠(プラネテス)・沙村広明(ハルシオンランチ)・平野耕太(ヘルシング)・石黒正数(全般)・乙一(暗いところで待ち合わせ)森博嗣(スカイ・クロラシリーズ)・西尾維新(主にアニメ)・ガイリッチー・マイケルマン・タランティーノ・ニーア(レプリカント・オートマタ)・空が灰色だから・妄想代理人・OneShot・順列都市・エルフェンリート・ブラッドハーレーの馬車・メタリックルージュ・米澤穂信(アニメのみ)・堕天作戦・シャングリラ・フロンティア(漫画版)・イド・インヴェイデッド・タクティクスオウガ・詳説世界史B・ヨコハマ買い出し紀行・幻想水滸伝1&2・ブラックラグーン・刻刻・キャシャーンSins・わたしは真悟・レイジングループ・スチームパンクシリーズ・ウィッチハンターロビン・ウルフズレイン・ノワール・トライガン(漫画版)・十三機兵防衛圏・戦闘妖精雪風・メダリスト・ハコヅメ・ワールドトリガー・天国大魔境・ハイパーインフレーション・ヒストリエ・マージナルオペレーション・メイドインアビス・かくしごと・ORIGIN(アニメ版)・彼方のアストラ・ストレンジャー・シングス・大砲とスタンプ・ビューティフルプレイス・第三惑星用心棒・インターステラー・ファフナーシリーズ(TV版)・秘封倶楽部・ミルク クローゼット・ヒッチコック(サイコ・めまい)・7SEEDS・人類は衰退しました・幼女戦記(漫画版)・家栽の人・栄光なき天才たち(新含む)・NieA_7(アニメ・漫画)・タワーダンジョン・人間以上・グノーシア・八木ナガハル(無限大の日々)・ベクシンスキー・スペクトラルウィザード・不滅のあなたへ(アニメ版)・グレイプニル・究極のシェフは美味しんぼパパ・Fallout4・百万畳ラビリンス・月光の囁き(漫画版)・青の6号・諸星大二郎(全般)・マトリックス・リング(小説版・映画版)・クロス探偵物語・となり町戦争(小説版)・SOIL・アンブレラアカデミー・アメリカンホラーストーリー・オッドタクシー・オーデュボンの祈り(小説版)・ヴァルキリープロファイル・パンズラビリンス・Thisコミュニケーション・未来世紀ブラジル・ジェイコブスラダー・ガタカ・平山夢明・ダブ(エ)ストン街道・アラビアの夜の種族・銃夢・ファイト・クラブ・亜玖夢博士のマインドサイエンス入門・ビリーバーズ・エクソシスト3・夕闇通り探検隊・城戸光子の青猫屋・エイリアン9・グラン・ヴァカンス: 廃園の天使・オッペンハイマー・大いなる天上の河・勇者警察ジェイデッカー・侵略イカ娘・デュープリズム・ドラえもんギガゾンビの逆襲・ガラージュ・望郷太郎・パンプキンシザーズ・小田ひで次(平成マンガ家実存物語)・ニクバミホネギシミ・テクノライズ・エクスマキナ・CURE・CUBE・オールドボーイ(韓国版)・ウスズミの果て・世界が終わっても生きるって楽しい・ヴィンランド・サガ・ARMS・からくりサーカス・グローランサー2・86 エイティシックス・機動戦士ガンダムF91・サイコパス(2まで)・ コードギアス(TV版と復活)・さくらの唄・大日本天狗党絵詞・ぼくらの
未履修→ゆうやけトリップ・淵の王・キリンヤガ・サンティアゴ・戦時生活・パニシング:グレイレイヴン・ENDER LILIES・森博嗣(スカイ・クロラシリーズ以外)・サイバーパンク2077・カイバ・大図解九龍城・オクトローグ・リビルドワールド・ジェイムズ・エルロイ・バイオーグ・トリニティ・信長の野望天翔記・有栖川有栖・あえかなる世界の終わりに・シャドウラン・ハンザスカイ・白暮のクロニクル・一流シェフのファミリーレストラン・ザ・ワイヤー・ピーキー・ブラインダーズ・亜獣譚・悪役令嬢の中の人・マーダーボット・ダイアリー・elona・アンディー・メンテ・図書館の大魔術師・戸村助教授のアソビ・kenshi・ホーキーベカコン・腹腹先生・スケルトンダブル・ゼウスガーデン衰亡史・山尾悠子・愛と幻想のファシズム・シテール島への船出・城戸光子の青猫屋・壊音・ナポレオン(映画)・フライミートゥーザムーン・清水玲子・花見沢Q太郎・魔法少女消耗戦線
最後の最後に「ここが俺のホームなんだよ」と紹介できるような場所。
もうどこにもない場所というわけでもなく、最初からどこにもないんだよ。
物心ついた辺りからずっとマンガとゲームばっかりでさ、リアルでの思い出が希薄なんだよ。
ふと思い出せる場所といえば、今はもう潰れたトイザらスのあったビルぐらいだ。
科学博物館みたいなのが併設されて、親がよく連れてってくれた。
コースの最後に食べるアイスが好きでさ、店の自家製だったのか外国から取り寄せてるのか、ちょっと変わった味がするんだ。
ある程度大きくなった後は一人でも行ったけど、下のゲームショップでデモ筐体を遊んでばかりいた気がする。
ビルは残ってるけどもうあの頃の店は全部潰れてる。
3階ぐらいの所に庭みたいな空間があってさ、実際には2階建て駐車場の屋上庭園なんだろうけど、そこにマックがあったんだけどさ、今そのビルに行くとポールだけが残っていて廃墟感が凄いんだわ。
まあそこも少しずつ店が戻ってきてるし、空いたスペースは都市開発失敗のケツモチなのか役所が事務所代わりに使ってるんだけどさ。
昔レストランがあった辺りに今はサバゲーショップが出来てたりして、なんかもう空気が違いすぎて行っても寂しくなるだけだからもうずっと行ってないし全然変わってるかも。
結構覚えてるじゃんって話なんだが、でも俺にとってここはホームって感じじゃないんだよ。
ホームにできそうだったけど寂れていくことを止められず、気づいたら思い出ごと追い出されてしまった場所なんだ。
新しい人生を再スタートするとき、最後の戦いを終えたあと、ここに帰ってきた所で俺はもう何も出来ないんだよ。
骨を埋める気にもなれないし、希望の未来に向かって階段を駆け上がろうとも思えない。
故郷の町のどこにもないんだな。
なんか話題になってるね。
弟に関する大事な話があると言われて地方の実家に帰省したら時代錯誤な結婚話の説得要請だった「令和のホラー話かな?」「うちもそうだった」
https://togetter.com/li/2413389
いやこのお爺ちゃんの考えは現代の価値観だとありえないと思うんだよ、私も。周りの人達の態度にもモヤッとする。女性を将棋の駒か銃の弾か何かだと思ってるのかと。
でも見方を変えればこれってめっちゃいい慣習じゃん。いい歳して独り者でいる男女、自分で結婚相手を決めれない男女に周りが世話を焼いて見合い相手を探してくれるんだよ?こんな恵まれた話なかなかないよ。
うちの実家は地方の都市でさ。本家とか分家とか言っているような男尊女卑の地域ではない。今現在、地元に若いのがどのくらいいるかはわからないけど徒歩圏内に小学校〜高校はある。私もそこに通ってた。学校以外に出会いは少ないと思う。地元の小中学校も統廃合がされつつある。
私は地元にいることに特に不満はなかったけど、就職を機に東京に出て、東京でいい人が見つかって結婚して子どももいる。コロナ前は毎年帰省してたけどコロナからは帰らない年もあるくらい。東京に定住していて地元に戻ることは考えてない。家族の意向もあるしね。
ここで弟の話になるんだけど、弟はというと地元の高校を出て、実家から通学圏内の大学。そのあと地元にとどまって実家暮らし。フルタイムで働いてるけど非正規で収入は多くない。(実際の給料は知らない)おそらく実家にお金は入れてない。そろそろアラフォーになる。
正直条件面だと結婚相手としてはきびしい。私も仮に婚活とかで相手が弟と同じ条件だったら断る。
でも弟は気のいいやつなんだよ。経済面以外は頼りにもなる。過去に悪いこともしてない。会って話をすれば気に入ってくれる人はいると思う。でも婚活だとお見合いで条件でお断りになることは目に見えている。いや、そもそも結婚相談所の入会条件を満たさないかもしれない。
私にとって冒頭のまとめは気持ち悪い価値観と思うと同時に、羨ましい、弟の希望の光になる話だとも思った。(もちろん当人の意思を無視するお爺ちゃんの考えが受け入れられない点は改めて言っておく)
まとめの地域がどこかは存じ上げないが、そこに移住して何年か地域の中で生きていれば妙齢の女性があてがわれるのか?それなら全然選択肢として有りだと思った。うちの家系の跡取りの希望も生まれる。
もしうちの地元がそんな地域で、弟の説得のために帰ってこいって言うんだったら私は全然一肌脱ぐよ。なんなら同年代の同性として、お相手の娘さんのとの仲を取り持つよ。小中学校も一緒かもしれない。
いやまとめの縁談は断る話ではないと思うんだけどな〜。まずお見合いしてみればいいのに。お見合い自体を断るなんて贅沢な話だと思うよ。なんならうちの弟にその縁談を回してほしいくらいだよ。うちの地元でもこんな話が持ち上がってこないかな〜。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
30歳超えれば良い方だったかな?
まぁそれと同時に、お前それサバンナで同じこと言えるの?を忘れてはいけない
(スーパーZIP・・・”those ranking highest on income and college education”、つまり、「居住者の平均所得や大学卒業率が、最高ランクである地域」のこと)
このスーパーZIPが全米でもっとも集積しているのがワシントン(特別区)で、それ以外ではニューヨーク、サンフランシスコ(シリコンバレー)にスーパーZIPの大きな集積があり、ロサンゼルスやボストンがそれに続く。
ワシントンに知識層が集まるのは、「政治」に特化した特殊な都市だからだ。この街ではビジネスチャンスは、国家機関のスタッフやシンクタンクの研究員、コンサルタントやロビイストなど、きわめて高い知能と学歴を有するひとにしか手に入らない。
ニューヨークは国際金融の、シリコンバレーはICT(情報通信産業)の中心で、(ビジネスの規模はそれより劣るものの)ロサンゼルスはエンタテインメントの、ボストンは教育の中心だ。グローバル化によってアメリカの文化や芸術、技術やビジネスモデルが大きな影響力を持つようになったことで、グローバル化に適応した仕事に従事するひとたち(クリエイティブクラス)の収入が大きく増え、新しいタイプの富裕層が登場したのだ。
マレーは、スーパーZIPに暮らすひとたちを「新上流階級」と呼ぶ。彼らが同じコミュニティに集まる理由はかんたんで、「わたしたちのようなひと」とつき合うほうが楽しいからだ。
新上流階級はマクドナルドのようなファストフード店には近づかず、アルコールはワインかクラフトビールでタバコは吸わない。 アメリカでも新聞の購読者は減っているが、新上流階級はニューヨークタイムズ(リベラル派)やウォールストリートジャーナル(保守派)に毎朝目を通し、『ニューヨーカー』や『エコノミスト』、場合によっては『ローリングストーン』などを定期購読している。
また彼らは、 基本的にあまりテレビを観ず、人気ランキング上位に入るようなトークラジオ(リスナーと電話でのトークを中心にした番組)も聴かない。 休日の昼からカウチに腰をおろしてスポーツ番組を観て過ごすようなことはせず、休暇はラスベガスやディズニーランドではなく、バックパックを背負ってカナダや中米の大自然のなかで過ごす。ここまで一般のアメリカ人と趣味嗜好が異なると、一緒にいても話が合わないのだ。
「Rシール」無罪を主張している人たちは反対側にいるネトウヨ系?みたいな人たちが同じことをし始める心配はしていないのだろうか?
若年女性支援活動の現場近くの電柱に「公金チューチュー」シールが貼られたり、
線路のフェンスに「パンデミック条約断固反対」という反ワクシールが貼られたり、
それらを批判すると、
「『Rシール』や『多民族都市東京シール』と同じ市民の草の根の政治運動だ。欧米では当たり前の政治メッセージだ。表現の自由を弾圧するな」
「なぜ気持ち悪い政治的主張のシールが街のあちこちに貼られるようになったんでしょうかね?」
「2024年都知事選の『Rシール』騒動以来タガが外れた感じがしますね」
といったTVコメンテーターのやり取りで蓮舫さんにとっては忘れてほしい支持者の暴走の件が何度も蒸し返されてしまう。
デモやほとんど通らない開示請求のような左翼系?市民系?とにかくその辺の人たちの伝統的な得意技とされてきた嫌がらせ行為を逆の立場のネトウヨ系?みたいな人たちも学習して嫌がらせに使ってくるようになるのは何度も見た光景だけど、「Rシール」でも同じことが繰り返されないか心配だ。
パリオリンピックのピクトグラムについて「パリのはデザイン優先で全然だめ!東京のが識別しやすくて最高!パリは目的を見間違えている!」みたいな意見が多く見られるけど、これ自分はかなり疑問に思っている。
そもそもオリンピックにおいてピクトグラムが使われる場所なんて相当限られてる。①テレビ放送のテロップ ②公式サイトのメニュー ③会場の案内マップ、位なものでしょう。このうち①は単なる画面の賑やかしのようなもので高い機能性やわかりやすさを求められるものでは決してないし、②はピクトグラムなんかより競技名から検索する人の方が圧倒的に多いからピクトグラムの意義は薄い。
一番必要とされ機能性が求められているのは③のシーンだと思うけど、そもそもオリンピックの競技を観戦しに来れる人なんてごくごく限られた人、かつチケットの争奪戦に勝利した人なわけで、会場のピクトグラムの意義はトイレや駅、公共施設の案内と比べたら相当低いと思う。これまでオリンピックのピクトグラムが分かりにくくて困った経験、皆さんの中にありますかね?そもそも2021年までは興味すら持っていなかった人がほとんどなのでは。
ネット上だと「ピクトグラム=その目的は多くの人に何かを理解してもらうこと=機能性やわかりやすさが最重要項目」という認識が絶対正義みたいな扱いをされているけど、オリンピックのピクトグラムって「大多数に競技を識別させる」ことよりも「その都市やその国らしさを世界に発信するブランディング」の比重の方が遥かに高いのではないかと思う。北京もロンドンもバルセロナも、わかりやすさよりもその国らしさを全面に打ち出していたし、なんなら東京だって単に機能性やわかりやすさを最優先して作ったわけではなく、日本という国や東京という都市の整理整頓されたスマートな印象を打ち出そうと考えた結果あのデザインになったのではないかと思っている。
もし本当にわかりやすさが強く求められているなら、日本発のデザインが全世界共通デザインとして採用された非常口サインのようにオリンピックのピクトグラムも早い段階で共通化されていると思うんだけど、実際は毎回全く異なる個性のデザインが採用されてるわけで。東京の場合は結果的にかなりわかりやすいものになったけど、それは日本という国の個性の結果であって「オリンピックのピクトグラムを全世界共通にしろ!」というのはかなり横暴な意見ではないかと感じる。もちろん一般的に用いられるピクトグラムはわかりやすさが最も重要だと思うけど、オリンピックの競技ピクトグラムは一般のピクトグラムとは目的や役割が大きく違うのではという視点も持っていたほうがいいのではないかと思う。(だから、もしパリオリンピックにおいてトイレや出入口、交通機関等のピクトグラムやサインがデザイン優先でわかりにくいものになっていたなら、それは批判されるべきだと思います。実際はどうなんだろ。)