はてなキーワード: 遺言とは
全国的に感染者数が爆増したっておかしくないわけで、今から心の準備をしておかなければいけない。怒りの矛先は政治家、若者、不機嫌な中年男性、自粛度がワガママに見える人に向かいがちではあるけれども、誰に怒りを向けたところで自分を守ることはできない。ここはひとつ、少し先の未来に向けてみんなで予想合戦をしようじゃないか。「ほら、言わんこっちゃない」と心の中でつぶやくことぐらいは許されるだろう。
我が家はひとまず以下のことに取り組む。
10万人あたりの感染者数が〜50、〜100、moreと、それぞれのケースでシミュレーション
親族間で死者重症者が出た際のシミュレーションはもとより、自分が死んだ際の準備も含め検討。家庭が機能不全に陥ることを前提に準備。遺言の作成もしておく。
メインは借金。あの手この手で現金を作っておく。ゼロ収入を前提としたら貯金だけでは心許ない。
・倒産準備
もともとヤバそうだったところはコロナをラッキーと言わんばかりに既にいなくなってしまったが、信頼しているところに落とし穴が待っているかもしれない
さあ、みんなの話も聞かせてくれ
これから書くことは、すべて本当のことです。
嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間が人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。
知り合いの大塚くんが、わざわざ電車とタクシーを乗り継いで、東京の郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。
とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このときの自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝の言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、
といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。
そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくりと侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。
まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓から、きれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。
そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分の欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家と生活するというのは、彼女の生活よりも、はるかに地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。
浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。
「どうした?」
彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコンで暖房をつけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。
「仕事……無くなりました」
「お金か?なら僕が」
「いいえ、いりません」
貧乏な人。
僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。
「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。
彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女のなすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。
だから僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。
寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。
もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。
彼女の体重は僕が最後に彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパートの大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老の女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。
「過食症ですよ、ご存じですか」
「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。
「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから、今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」
いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。
「ほかにも、死んだ人が?」
「いますよ。伝染病が流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」
一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。
もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女の遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます。
寂しい
この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。
彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアムな人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。
特に、テレビの報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥なものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判のタネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。
一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。
僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。
雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女の墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています。
*
949。
この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だって、あんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから。
僕は狭い6畳のアパートにいます。学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。
若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。
コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たちは自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。
そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章をネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まりの文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから。
大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。
みんなと同じ。
そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナースの彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独だから、寂しいから、みんな、死んでいくのです。
みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。
なんとか、なる。
そう書いた作家もおりました。みんな同じです。
みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます。
僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。
僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車に飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。
みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。
いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在」から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。
でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。
経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。
それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。
僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます。
それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。
よく思うことなんだが、外ではとても言いづらいことなのでここに書かしてもらう。
自分は「もし自分が明日死んだら」ということをよく考える。誤解されないために明記するが、これは自殺したいと思っているということではない。自分の余命が決まっているというわけでもない。自分はありがたいことに安定して(多くはないが、生きていくことはできる)お金が手に入る状況にあるし、友人にも恵まれており、趣味等もある。体もまだ20代前半で特に大病を患っているわけでもない。かなり恵まれている状況にあるということは自覚している。
だが、こういう状況にあっても、明日死ぬ確率というのは決してゼロではない。交通事故、なんらかしらの社会とのトラブル(事件に巻き込まれるなど)、突然の体の異常の発生(心臓発作等)、最近だとコロナもある。もちろん、小さい確率ではあるが、無視できるものではないだろう。明日ではなく1年後になれば、人間関係のトラブルからの鬱の発生→自殺願望の発生といったルートや生死にかかわる病気を患うといった、もっといろいろな要因が存在する。1年後、今と同じように心身ともに健康にいられる確率というのは決して100パーセントではないだろう。死というのは、たとえ恵まれた自分であっても決して遠い状況ではないのだ。
こういう考えを持つようになったのはなにも最近のことではなく、小学6年生のころからであり、23歳になった今になるまでずっとこのことを意識している。小学6年生のころに一時的に親との関係がうまくいかなくなり(今思い返せば反抗期の始まりのような些細なことであったが、当時の自分にとっては世界を揺るがすような重大ごとであった)、自殺を考えたことがある。実行はしなかったし、「自分が死ねばみんな困るだろう」という小学生らしい浅慮な考えだったが、幼いながらに死に方に思いを巡らせた経験はかなり強烈であり、それからも事あるたびに、死は近くにあることを思い返すようになった。
最初はこういった考えが悪い方向に働くこともあったが(どうせいつかは死ぬんだといろいろ投げやりになった時期になったこともあった)、高校を卒業したあたりからは「いつ死んでも後悔しないような生き方をしよう」というように考えるようになった。これは、色々なことに対して「プロセス」を重要視するようになるという変化を自分にもたらした。例えば、何か目標がありそのために努力をしなければいけないとする。すると、それまではその目標を達成するために努力をしようという考えだったのが、努力する過程も楽しもうという考えになった。そうすれば、目標を達成する前に死んでしまったとしても後悔しないからだ。これは極端な例だが、なんらかしらの結果を出すために何かを我慢するのではなくそのプロセスを楽しむ、あるいは選択をするときにプロセスが楽しそうなほうにする、という風に考えることができるようになった。
他にも、人との出会いを一期一会と思って大事にすることができるようになったり、なにより「今日一日は楽しかったか?」ということを意識しながら生きることができるようになった。これは後ろ向きな考えをしがちだった昔の自分からするとずいぶんとよい傾向だと思っている。
(ちなみに、今死ぬなら誰にどういう遺言を残したいか、といったことも考えたりする。そうすると自分が本当にお世話になっている人はだれか、とかやり残したことは何か、みたいなものが見えてくるのでよい時間だと思っている。もちろん、本当に自分が遺言を書かなきゃいけない場面になった時にこういう考えができるかといわれたらそんなことはなさそうだし、おままごとの域を出ないとは思う。)
まあこういう感じで、死にたくはないが、明日死ぬことになっても後悔したくない、ということを念頭に置いて生きているんだが、こういう話をする(もちろん、本当に親しい友人にしかしないが)と「やめてよ、そんな話」とか言われたりすごく傷ついた顔をされる。本当にやめてほしいと頼まれる場合がほとんどだ。もちろん、自分のことを必要な存在だと思ってもらえること自体はありがたいことである。だが、「もし死んだら」みたいな話をそこまでタブー視しなくてもよいのではないか、という気持ちになる。「今本当に死にかけてる人とかに失礼じゃん」みたいなことを言われたりするが、その発言こそ「自分はまだ死ぬ側じゃない」という傲慢さを自分は感じてしまう。○○歳まで生きてあれとかこれとかやりたいみたいな話をしておいて、それよりも早く死んでしまい、「もっとやりたいことやっておけばよかった」となるよりはよっぽど良い気がするのだが、「それはそうだけど死ぬなんて言わないでよ」みたいに言われてしまう。
先ほども述べたように、死はいつだって割と近くにいると思ってるしそんな状況でも死なんてどっか他人事みたいな扱いをするよりは、もう少し気楽に話せてもいいのになあといつも思っている。
ここまで書いて思いついたのだけれど、こういう話を笑い話としてできるフォーマットが「明日地球に巨大隕石が落ちてきたら」なのかもしれない
😷『親の遺言で食べないんやで』
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 69 | 11863 | 171.9 | 49 |
01 | 20 | 3212 | 160.6 | 53.5 |
02 | 82 | 12223 | 149.1 | 173 |
03 | 28 | 2350 | 83.9 | 41 |
04 | 29 | 4651 | 160.4 | 175 |
05 | 18 | 3735 | 207.5 | 173.5 |
06 | 43 | 8992 | 209.1 | 118 |
07 | 37 | 5411 | 146.2 | 79 |
08 | 93 | 13978 | 150.3 | 52 |
09 | 98 | 11839 | 120.8 | 56.5 |
10 | 131 | 21460 | 163.8 | 57 |
11 | 176 | 15575 | 88.5 | 42 |
12 | 236 | 17105 | 72.5 | 37 |
13 | 151 | 19148 | 126.8 | 38 |
14 | 126 | 17637 | 140.0 | 51 |
15 | 147 | 6633 | 45.1 | 25 |
16 | 204 | 13027 | 63.9 | 26 |
17 | 207 | 12354 | 59.7 | 34 |
18 | 199 | 17373 | 87.3 | 32 |
19 | 214 | 13903 | 65.0 | 33.5 |
20 | 172 | 15955 | 92.8 | 32 |
21 | 179 | 21288 | 118.9 | 26 |
22 | 178 | 15424 | 86.7 | 29.5 |
23 | 142 | 10853 | 76.4 | 35.5 |
1日 | 2979 | 295989 | 99.4 | 38 |
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アラフォー。元増田と同じプログラマではないが元プログラマで今も IT エンジニア的な何かをやっている。肩書には シニア の文字があるが社内で特別シニアが貴重というわけではなく管理職ではないのでぺーぺーである。
気づけばチーム内のみんなが全員後輩で年下。なんだかやることなすこと空回りしていることに都度寂しさと難しさを感じている。
・仕事の仕方やキャリアの話にマジレス → なんだか問題提起したメンバーを詰めているみたいな空気に。
・怖いのかなと思ってオヤジギャグ → 気を使った笑い
どつぼにはまっていく感。なんというか自分が現場にいてプレイヤーとして若者と一緒にやっていても実は全体の生産性を下げているだけなんじゃないかという気がする。自分がいないほうがコミュニケーションもスムーズだしみんなのびのびと働けるんではないだろうか。
・技術的な間違いを指摘して正しいことを言ってるんならいいじゃ? → 分かる。でもそれでチームやみんなの生産性がホントに上がってるかは別だよね。
・レスの仕方が悪いんじゃ。要は言い方、伝え方 → 分かる。しかし、それを考えるのも大変だしうまくできない。若い頃はむしろ少し噛み付くくらいの意見で上司にも先輩にも積極性を評価された成功体験?に甘えてきたのかも。スキル不足。
体力的・技術力的 限界というよりは、プレイヤーとして横並びの仕事をチームで担ってもうまく歯車になれないんだよな。なんなんだろうなこれ。かといって管理職になれるかと言うと会社もちゃんと人を選ぶので難しい。今の職場は転職して4年。ようやく仕事になれてきて子供らはまだ小さくて手がかかるし転職はなー、できれば避けたいんだが。まあもう活動し始めてしまっているんだが。
大学時代の同じ研究室に2留か3留かの4回生の先輩(同級生?)がいて、その人自体は真面目で優秀なんだけど要領悪いというか運が悪いところがあって、長く学部に在籍されていた。研究室の飲み会にかならず1分遅れくらいで登場する。時間ピッタリではなく2分遅れでもなく毎回必ず1分遅れぐらい。ある日軽く「なんでいつも1分遅れでくるんですか?」聞いたら「おれみたいなの5分前とかに着いてたらみんなくつろげないだろ」と言っていた。今なら分かるような分からないような。どっちにしても時間ぴったりに来りゃいい。
わかりづらくなってしまったのだけど、いいたかったのは自分の実力や技術力やその成長が維持できていたとしても年をとる、ということで周りと食い違っていくのだよね。自分は変わってないつもり、それが一番やばいよね。なんつーか老害には老害の居場所があるんだろうな。自分の職場なんかドツボにはまった結果いまなら咳をしただけでやたらに気を使われる感じで、もう取り返しがつかないよね。元増田は遺言という表現を使ってたので自分は 辞世の句 を。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 172 | 16868 | 98.1 | 42 |
01 | 90 | 8304 | 92.3 | 28.5 |
02 | 88 | 8581 | 97.5 | 45.5 |
03 | 67 | 7020 | 104.8 | 60 |
04 | 19 | 3451 | 181.6 | 45 |
05 | 18 | 1804 | 100.2 | 38.5 |
06 | 37 | 3439 | 92.9 | 47 |
07 | 37 | 3820 | 103.2 | 45 |
08 | 71 | 3359 | 47.3 | 35 |
09 | 118 | 10431 | 88.4 | 41.5 |
10 | 138 | 11789 | 85.4 | 50 |
11 | 125 | 9495 | 76.0 | 40 |
12 | 125 | 17543 | 140.3 | 40 |
13 | 110 | 11846 | 107.7 | 41.5 |
14 | 100 | 8585 | 85.9 | 43 |
15 | 95 | 12104 | 127.4 | 51 |
16 | 106 | 9176 | 86.6 | 39 |
17 | 129 | 12849 | 99.6 | 46 |
18 | 164 | 19353 | 118.0 | 32 |
19 | 223 | 16871 | 75.7 | 35 |
20 | 211 | 18479 | 87.6 | 39 |
21 | 185 | 12897 | 69.7 | 27 |
22 | 181 | 10503 | 58.0 | 36 |
23 | 200 | 21911 | 109.6 | 42 |
1日 | 2809 | 260478 | 92.7 | 40 |
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世の中にはプログラマー35歳定年説というものがあった。昔からそんなのはないという人と、あるという人がいた。40代も半ばになったときに「あぁ、これが35再定年説の根拠か」というものがなんかちらほら見えるようになってきたので書いてみようと思った。
世の中にはものすごいプログラマーというのはやっぱりいる。なんなら死ぬまでプログラミング書いていられるという人たちもいる(ブラック的な意味ではなく)。そんな彼らからしたらプログラマー35再定年説とか意味がわからない都市伝説にしか映らないだろう。
だが、普通に職業プログラマとして生きている俺のような人からすると、この35歳定年説はかなりの真実味を帯びている。
だが、そんな俺でも40代半ばまで延命できたのはやはり技術革新のおかげかもしれないが、結局平均寿命が伸びただけとも言えるだろう。
まず、技術に対する姿勢が変わる。正直言うとプログラミングとかもうしたくなくなる。というか、そもそも一生プログラミングを仕事にしたいと思う最初の頃は好きだと思っていたが、仕事にしてしばらく経ったら大して好きでもなかったな、と思うようになる。
大して好きでもないことを仕事にし続ける体力はやはり年とともになくなり、体力がなくなった分「自分が本質的にしたいと思うこと」が見えてくる。そしてそれはプログラミングではないため、ギャップがきつくなっていく。
おそらく、この辺が35歳くらいのあたりに来るのではないだろうか。35歳定年説と言ったら35歳ピッタリしか想像できないのが離散数学の世界で生きているプログラマらしいといえばらしいが。
そんな感じでやってても、20年もやればそれなりにスキルも身につく。さすがにGoogleの一線で働くような大天才たちと渡り合うことはできないが、もしかしたらGoogleの片隅で働ける程度のスキルはあるかもしれないが、正直もういいっす、っていう気持ちのほうが大きくなる。
次に、自分がどうにか身につけてきた知見というものがなかなか広まらない。コンセンサスが取れない、という状況にも苦しくなってくる。
自分がやってきたプロジェクトでこういうことをやったらうまく働いた、というような知見は共有するが、なかなか価値観が共有できないことに気がつく。若いうちは「だったら俺が全部やりますわ」くらいの気合を見せられたものだが、年を取ってくると「あ、そうですか・・・」となってしまう。純粋に体力も気力もなくなっていく。
プログラミングをやっているだけありみんな論理的な思考が大変上手だ。「皆さんホント論理的でいはりますなぁ」と言いたくなるわけだが、悲しいことに自分たちの振りかざす論理が、単なる正論、飛躍、極論、屁理屈、と言ったものであることに気づけない人も結構多い。こういうのを各個撃破するのも疲れる。
これからプログラミングを仕事にする人たちに言っておきたいことがある。もしこの世界で長く働きたい、定年までコード書いていたい、と思うなら、常に勉強をしなくてはならない。もしあなたがFラン出ているなら、他の人の倍努力しなくてはならない。できないならそこそこで転職したほうがいい。この世界にいるといかに若いうちの勉強が大事だったかを日々痛感する。
実務の上での俺の感じていることを書く。DDDだとかクリーンアーキテクチャだとかも大事だがもっとそれ以前に俺が根源的に重要だと考えているポイントだ。この辺をないがしろにしたらDDDもクリーンアーキテクチャも絶対に崩壊する。
まず、心得てほしいのはどんなにすごいプログラマでも意図の通じないコードは本当の意味で直せないということだ。
まず、引数チェック、状態チェックは必ずやれ。コードが語る、というようなことを言ってやらないやつが昔は多かったが、今もいるんだろうか。悲惨なバグやメンテナンス性の低下はそういった自分の意図の表明を横着したコードから起こり始める。「俺はこれをやる、だからこの機能を呼び出すならこういう状態にした上でこういう情報を渡せ、じゃないならやらない」とはっきり言え。もしこの辺を冗長だと考える同僚がいるならもう辞めたほうがいい。
引数チェックや状態チェックのコードで画面の半分が埋まったならそのコードは設計がおかしい。一旦手を止めてよく考えろ。一つの機能を動かすのにそんなに引数がいるのか、そんなにチェックする状態が多いのか、そしてそれらは本当に必要か検討しろ。
テストコードは絶対に書け。テストコードが書けない技術は絶対に使うな。意味のあるテストが書けないならやめたほうがいいという輩もいるが、とにかく意味があろうとなかろうと書け。引数にこれを入れたらこうなる、こういう状態でこういう事したらこうなる、というお前の意図はとにかく示せるだけ示せ。
だいたいこの辺を横着したやつは翌年酷く後悔するか、そこのメンテを担当した同僚を攻撃している。
コードが書けなくても大丈夫、という会社は、コードが書けたほうが有利な会社ではなく、本当にコードを書かない会社だというこは肝に銘じておけ。身につくスキルはEXCELの方眼紙を最低限の手数で作れるようになることか、本気でやればビジネスを理解できるかもしれないが、お前の技術者としてのキャリアはそこで止まる。
仮に憧れのスーパーハッカーがいる会社を目指しているとして、彼らがそこでどう働いているか、なにが泥臭いのかを想像できない、聞くことができないならやめておけ。浮かれ過ぎだ。
仮にGithubのURLを教えろという会社を目指しているとして、そこのリポジトリを飾り立てようと考えたならやめておけ、そういう会社はGithubにアウトプットすることを日常的な趣味として苦ではなくやり続けられる人を求めている。
年収をその会社の選択基準にしているならそこはおまえには分不相応な会社だからやめておけ。仮に入れたとしても馴染めることはまず無い。これは年収が低くても同じだ。
嫌いな人がいるならその会社はやめていい
コメントを観てこの「最小且つ単一の論理でなにか否定できた気になる」という輩への対処が一番疲れる
一晩立ってみたらこんなにブクマついててびっくりした。気になったブコメもあったのでちょっと追記しておく。
いきなり視点がミクロに、と言うやつなんだが、結局若いうちにこういうのできてないやつはあとで苦労するが、最初のうちは体力でカバーできている。体力でカバーできなくなったときに本当の意味でつけを払う羽目になるという意味で言ったり、あとオレみたいなおっさんが大変つらい思いをする、という意味でも言っている。
Fラン関係なくねっていうやつだが、昭和世代のステレオタイプかもしれない、ごめん。勉強する習慣もなければ大してやってきてもいないやつはこの業界だと倍苦労する羽目になるというふうに言いたかったと思う。どんな業界でもそうだとは思うが。
返す刀で結論づけしたがる人々がやっぱり現れるな、君たちはそう思わない人なんだろうし議論する気もないが何かしら言いたい人なんだろう。別にそれはそれでいいよ。お仕事頑張ってね。
「俺は大して辛くないけどなー」っていう人もやっぱり現れるな。辛くないんだったらいいことだと思う、お仕事頑張ってね。
4Kモニターでものすごく細かい文字を読んでいる若者を見た、という人、俺も同意する。もう見ていられないんだよね。
関白宣言っぽいな、というのは俺も思った。
結局の所、プログラマ35歳定年説は俺も打ち破りたいと思っていた口なんだが、打ち破れる人とそうでない人がいる、ということで、俺は後者だった、ということだ。当然50過ぎてもプログラマやっている人は見かけるので、数学的な真理というわけではなく、統計的な傾向なんだろうと思っている。
若いうちから、いい環境で働かないと、気持ちのほうがどこかで先にギブアップする。いくら大好きで転職だと思う仕事だとしても、体力や若さで捻じ曲げていることはなかなか気づかない。色んな本を読んで客観的な指標で判断したほうがいい。
遺言とか言って書いておいて追記したら俺はソンビか亡霊なんだろうか?
びっくりした。こんなおっさんの愚痴みたいなエントリーがこんなにブクマされるとは思ってなかった。いくつか気になったブコメがあったのでやはり書いてみたくなったので書く。
まず、この遺言を最後にいなくなるのかという話だが、おそらくいなくなる。ゾンビで居続ける体力ももはやない。
次の準備はすでにしている。それは俺が本質的にやりたかったことに近いことだと思うのをピックアップしている。
本質的にやりたかったことって何かという話なんだが、まず俺が感じるプログラマーという仕事は「良き作り手であり続けること」が根本的なモラルだと思っている。若手で右も左もわからないような状態でも、それこそやっとフィズバズが理解できたような状況でも今持っているレベルで最大限にできうる一番いいものを模索し続ける仕事だと思っている。初心者にはチェックコード書け、意図はできるだけ込めろというのはそういう意味でもある。これを真正面から受け止めてくれる職場を探したほうがいいというのは追加しておきたい。
プログラム論とかそういう話がしたいんじゃないということだけは言っておく。
俺も体力があるうちは良きつくり手を目指していたのだが、本質的にやりたいこと、もうちょっと言うなら、俺のモラルの軸は作ることにではなく使うことにあった。プログラミングというアクティビティを挟んでこっちにつくり手がいてあっちに使い手がいる。仕組みを理解して作るのがプログラマーなら、作ったプログラムを理解してよりよい日常を模索するのが使い手、と言ってもいいかもしれない。いいフィードバックループのあっちとこっち、と言ってもいいかもしれない。俺は「良き作りてが使ったものを使う良き使い手でいたい」ということに気づいたので、遺言を書くことにした。少なくともこれに気づいた時点でプログラマーとしての俺は死んだ。
まだ直感的なものでしか無いので、うまく言語化できていないのは申し訳ないんだが、今後10年位はそれを模索していくのではないだろうか。
ドラマ版ゆるキャン△2期の制作が決定したので、記念に大垣城の思い出を書く。ドラマ版の大垣があまりにもアニメの大垣そのままだったことに感動して、大垣に関係するものを何かしてみようと思い、大垣を観光しようと大垣城へ行った。今年の3月のことだった。
岐阜県大垣市のJR大垣駅から歩いて10分で大垣城に到着した。当時は児童・生徒の入場はコロナ禍により制限されていたが、そうでない私は特に問題なく入場できた。大垣城は関ヶ原古戦場に近く、最上階の天守閣から西の方を眺めると、南北を山地で囲まれた関ヶ原が琵琶湖方面への通り道のように見える。もちろん大垣城内の展示では関ヶ原の戦いを売りにしており、戦いの様子を表現したジオラマの展示、当時用いられていた当世具足の展示、武器を手に取って体験できるコーナー、ビデオコーナーがあった。
私がその中でも気に入ったのはビデオコーナーであった。入口の立て札には「SEKIGAHARA」というタイトルと劇画調の石田三成と徳川家康の精悍な顔が描かれており、「関ヶ原の戦いはただの権力争いではなく、後世の武士の価値観を決定するイデオロギーの闘争であった」みたいな感じ(注:正確な文章は忘れた)の煽り文が異彩を放っていた。中を見ると、公立図書館の様な一人再生用の視聴ブースが5つほどあり、映像は全部で2時間と説明文にあった。大垣城以外にも「奥の細道むすびの地記念館」など市内をいくつか観光するつもりだったので、10分ほど軽く見るつもりでヘッドホンを装着してDVDの再生ボタンを押した。結論から言うととても面白くて、1時間ほど見てもまだ続きが見たかったけど、泣く泣く中断したほどだった。
私は高校で日本史を履修しておらず大河ドラマの類も見たことが無く、石田三成を見ても「誰だっけ?」と思ったほどである。関ヶ原の戦いは豊臣と徳川の争いであるとは漠然とは知っていたが、関ヶ原の戦いの時には豊臣秀吉がすでに故人だったことも知らなかった。そんな私でもDVDに夢中になった。
映像は豊臣秀吉の死から始まる。秀吉を豊臣財閥の筆頭株主兼社長に例えて、五大老は秀吉にM&Aで吸収合併された競合他社の社長としていた。五大老は自社の株式の全てを秀吉に売り、代わりに秀吉の会社から株式を譲り受けて豊臣財閥の取締役になったという設定である。五奉行は執行役員部長で秀吉生え抜きの社員だという。それぞれの大名の石高数は、豊臣財閥の持ち株数で表していた。
秀吉の跡を息子秀頼が継いだものの未成年で実権がないので、成人するまでは取締役である五大老が秀頼を補佐するようにというのが秀吉の遺言である。遺言に反して株式保有数第二位で副社長の徳川家康がクーデターを企て、それを社長室長兼企画部長の石田三成が阻止するというのが「SEKIGAHARA」の大きな流れだ。250万石もの大資本を持つ取締役副社長の家康に対して、わずか18万石の部長に過ぎない三成がどのように対抗するのか。この会社組織で例えた設定がナレーションや図表でわかりやすく解説されたので、歴史に詳しくない私でも現代ドラマを見るように楽しむことができた。
時間がなかったので飛ばしながら見たが、それでも全部見終わることはできなかった。この「SEKIGAHARA」は「原作:堺屋太一」とあったので、帰宅後に原作を読んで関ヶ原の戦いを調べることにした。原作小説の「大いなる企て」でも、五大老や五奉行を会社組織で例えており秀吉の死から物語が始まる。しかし、映像版と原作小説ではストーリー構成が大きく異なっていた。映像版では秀吉の死後に関ヶ原の戦いが始まり、合戦の様子を三成と家康のそれぞれの視点で描くのがメインであった。それに対して上下巻構成になっている原作小説では、朝鮮出兵の和平交渉と撤退に三成が中間管理職として苦労する描写に長尺が割かれている。朝鮮出兵から帰還した大名に対して三成が秀吉の葬儀を取り仕切り、それがようやく一段落ついたころには上巻が終わるという具合だった。関ヶ原の戦いはいつ始まるんだと思っていたが、残念ながら原作小説は関ヶ原の戦いが始まる前に完結してしまう。
原作小説は私の期待に反して関ヶ原の戦いは描かれなかったけれども面白かった。それにしても、原作では三成が中間管理職として苦労する地味なサラリーマン小説であるのに対して、映像ではドラマのようなエンタメに仕上がっているのはどういうことだろうか。気になって原作者を調べてみたが、堺屋太一がただの小説家ではないことが分かった。
堺屋太一は元通産省の官僚であり、大きな業績として大阪万博の企画立案に携わったことがある。通産省を退官後は、小説家・博覧会のプロデュース・ドラマなどテレビ番組のプロデュース・大臣・学者・政治運動とマルチに活躍しており、どれをとっても大きな功績といえるだろう。「SEKIGAHARA」のプロデュースも堺屋太一の活動の一つだ。「SEKIGAHARA」では単に原作のストーリーをなぞることにこだわらず、大垣城の展示作品としても、エンタメとしても楽しめる物を意識してプロデュースしてきたことだろう。
堺屋太一を知らない人でも、「団塊の世代」という言葉は知っているだろう。「団塊の世代」は元々堺屋太一の小説のタイトルで、当時「戦後っ子」と呼ばれた戦後生まれの世代が、将来社会でどのような役割を担わされるのかを予想した近未来小説である。この小説も私は最近読了したので感想を述べてみる。
1970年代中頃に連載した当作は80年代90年代のバブル景気とその崩壊を予測できなかったものの、団塊世代の出世が頭打ちになること、無駄に役職者が高い人ばかりになり組織のピラミッドが歪になること、人余りの団塊世代が関連企業へ出向されるなど、年功序列型の賃金上昇や終身雇用が維持できなくなる現在を予測している。
団塊世代は今でこそ巨悪と描かれることが多い。昨今話題になったドラマ半沢直樹もその一つだ。ドラマでは銀行マン無双というタイトルが似つかわしいほどの勧善懲悪痛快劇であるが、原作小説では「オレたちバブル入行組」のタイトルの通り、バブル世代である半沢直樹らが団塊世代に復讐をする世代間対立の物語である。ただ、原作でも世代間対立の色合いは作品を経る毎に薄くなり、三作目で「ロスジェネの逆襲」というタイトルで半沢らより下のロスジェネ世代の人物を多く登場させながら、ロスジェネ世代がバブル世代や団塊世代に逆襲をするというわけでもなくタイトルに反して半沢直樹無双となっている。四作目ではとうとう世代間対立は関係なく、その時話題になっていたJAL再生タスクフォースや民主党の事業仕分けをネタにして半沢直樹無双をやるだけになってしまった。ドラマ2期で過剰な演技や顔芸ばかりが取りざたされることに批判もあるが、原作もこの様なものである。
閑話休題。しかし、「団塊の世代」を連載した1970年代中頃では、団塊世代はまだ二十代の若造である。その頃から戦後っ子が老害へと変貌する未来を予測したのは流石としかいえない。「団塊の世代」の4話では1999年が舞台になっており作中では、団塊世代が既得権益をむさぼりレジャーにうつつを抜かして経済や技術の発展を妨げた、と批判がなされている。大阪万博など一大レジャーを築いた堺屋太一自らがこのように評するのは痛快にして皮肉でもある。
ちなみに、堺屋太一は1935年生まれで2019年に故人となっている。多くの業績を残したすごい人を亡くなって1年も経ってから私が知ることになるとは何て残念なことだろうと思ったが、それで堺屋太一の小説の面白さが色あせることもないので今も読んでいる。
ゆるキャン△ドラマ2期決定を機に大垣城の思い出を述べてきたが、関係ない話が長くなってしまったので、この辺で筆を折ることにする。
文字書きではないので読みづらい文だと思います。またある程度ぼやかして書いてるのと私自身の記憶が曖昧な部分もあります。御容赦下さい。
私はTwitterで1つのアカウントを用途やジャンルなど垢分けせず10年以上使っている。取引する時も同じ垢。取引ツイートするのも半年に1回くらい。
ある時某ジャンルのグッズを譲渡に出した。いくつかリプを貰ったうちの1人をAさんとする。
Aさんもいわゆる雑多垢のようだった。ツイフィ必読とは書いていなかったが取引の返信前にプロフも読んだ。そこには今回の取引のジャンルを含め好きなキャラやAさん自身の性格等が書いてあった。
Aさんは、よく自傷をする、と記していた。そして、「生きてたら良いことあるよ」みたいな中途半端に慰めの言葉をかける人の事が嫌い、とも。
前者に関しては「そういう人もいるよな」ぐらいの感想しか持たなかったし、後者に関しては私も同意見だった。
DMでの会話も問題はなく、Aさんからは住所をもらい、こちらは口座の情報を送った。
詳しい日付は忘れてしまったけど、やり取りした日を1日として、「4日にお金を振り込みます」ぐらいの間隔だったと思う。私はそれを了承し、入金確認後にグッズを送りますね、と伝えた。
その翌日。Aさんがツイートをしていた。
「今度こそ死にます。」
場所は〇〇の△△号室で□□時にどうやって死ぬか等細かく記されていた。そしてツイートされた日からAさんのアカウントは鍵がかかった。
自身で命日としていたその日は、グッズ代を振り込みますと言っていた4日だった。
あぁそうかぁ、ついに死んじゃうのかぁー。せっかく価値観の合う人に会えたけど、引き止めてほしくなさそうだし、つい最近知り合ったばかりの人にそんなこと言われても気持ち悪いだろうしなぁー。場所は私の家から遠いけど今から新幹線に乗れば間に合うかもしれないな。死ぬまでに振り込んでくれたらグッズ送るけどな、そしたら棺に一緒に入るかなぁ。いやもう最期なら無償で送るか。でも親と上手くいってなさそうだったし、死んだ後に娘宛ての荷物が届いても開けてくれないかもしれないなぁ。どうしようかな。
悩んでいるうちに4日になった。
その日のAさんは命日を満喫していた。楽しそうな写真やツイートがいくつか投稿されていた。入金の連絡は来なかった。
まぁ、最期の日だしな。取引のことはもう忘れて楽しんでほしい。心からそう思った。そしてAさんの決めていた時間になった。遺言のツイートが投稿された。
そこから私は警察署のサイトを調べた。死ぬと言っていた地方の管轄で、死亡者を確認しようと思った。すぐには更新されないし、発見に時間も掛かるだろうし、と思い2〜4日くらい巡回した。
その4日後。
「生きてる」とのAさんのツイートが。
なんでも親に捜索されて止められたそう。
なんだ、生きてたなら良かった。
親と東京観光してから実家に戻ると言っていた。なら落ち着くまで待とう。
Aさんはそれ以降も連日他ジャンルについて楽しげなツイートをしていた。
メンタルもきっと回復しただろう。7日経って入金催促のDMを送ってみた。
その後Aさんから返信が来ることは無かった。
2日経っても返信が無かった為、私が送信を忘れていた可能性も考えて、DMを開いてみると、ブロックされていた。
なるほど。
死のうとした時に引き止めてくれなかった人との取引は辞めて、自分のメンタルを優先させたんだな。賢明な判断だと思った。
それと同時に他人からブロックされるのってこんなに恐いことなんだな、と思った。私はちょっとだけ傷付いた。
しばらくして、私は自分の鍵垢にログインした。いつも使っている雑多垢と別に、自分しかフォローしていない垢だ。
Aさんにブロックされていない垢から、Aさんのツイートを見た。Aさんは実家に戻ってきてから鍵を外していたのでフォロー外からでも見ることができた。
Aさんはグッズを私から受け取らなかったけど、そのあと自力で手に入れたかもしれないし、無くても生きていけるんだったかもしれない。私はAさんにグッズを送らなかったけど、それで良かったのかもしれない。
生きてるなら良かったと思った。
ネムイ朝第4代皇帝エーガミ帝の息子、王子カカナイ(400~455)はネムイ朝第6代皇帝エーカキ帝とその弟第7代皇帝ヤッパエーカキ帝の摂政を務めた。今日でも「ソシャゲイ」の渾名で知られる彼は人々に愛された統治者であった。
1998年に世界遺産に登録され今もなお人々を魅了し続けている巨大神殿グ=グプレカードとアップ=ルカードは彼が建設を主導したものである。又公共事業で雇用を生む傍、国の主要輸出産品を生産の安定しないクリップスタ塩、プロクリエ糸、アイビ酢から、安定生産・安定供給の可能なスクフェ酢、デレ鱒、シャニ鱒、バン鳥、マギレ粉等に変え貿易による経済の発展を促した。
ネムイ朝第5代皇帝コンシューマーゲームシ帝の弟でもある彼は、先代の父の死後わずか7歳で即位し成人した2年後には精神を病んだ甥のエーカキ帝に代わって長期に渡り政治を執り行った。エーカキ帝が31歳で狂死し、ヤッパエーカキ帝が即位したのちにも民草の支持を得て摂政の職を続けることとなった。しかし仕事中毒とも呼べる働きぶりであった彼は、54歳のある日、朝食のテーブルについた途端に脳の病で倒れ人事不省に陥った。その晩、家臣や侍女たちが見守る中突然起き上がり「モン・エナ(人生見つめ直せ)」のただ一言を発して息絶えた。この遺言の解釈については諸説あるが、隣国シューカイのエフジ王(※注)へ向けた言葉という説が有力である。(※エフジ王は先の大戦で占領したホーグバイソ区の住人へ苛烈な重労働を強いていた。)
カカナイがこの世を去ってからたった一月後、不幸なことにヤッパエーカキ帝は後の第8代皇帝ネロの差し金により暗殺される。ネロはエーガミ帝の息子でありコンシューマーゲームシ帝とカカナイの異母弟であったが、政治手腕は兄達に似ずネムイ朝の崩壊の原因となった。
そして時代はオキンノツレエ朝へと移り変わってゆく。