はてなキーワード: 進学塾とは
大人になり社会へ出てから、本人の努力よりも、どの土地のどんな両親のもとに生まれ落ちたのかという事が、人生の大きな部分を決めてしまうことを痛感した。
両親も含め、おそらく江戸時代に遡ったとしても、先祖代々この地を離れたことがないと思われる。
周囲も親戚も大学進学者はおらず、同級生のほとんどが地元の高校を卒業して、そのまま地元で職に就き、地元で配偶者を探し、そこで一生を終える。
別に、そのような生き方を否定するつもりはない。幸福かどうかなんて、全くもって主観的な問題なのだから。
ところが、自分は理系に憧れを抱くようになり、やがて研究者になりたいと思うようになった。
そのためには、どうやら大学へ進学しなければならない事もわかってきた。
でも、上述の通り理系はおろか、大学の出身者なんて学校の先生くらいしかいなかった。
田舎なので、大きな本屋へ行くには、チャリで30分の無人駅にたどり着いてから、さらに電車に乗って1時間ほどの街へ出るしか無かった。
そんなわけで、そもそもどんな勉強をしたら大学へ進学できるのかさえわからなかったが、街へ出る機会を利用して学習参考書をゲットしたりして、何とかやや都会寄りの国立大学に進学することができた。
大学時代の成績は学科でトップであったため、3年次で飛び級して1年分の学費を浮かせるという条件で進学を渋る両親を何とか説得して、大学院まで通わせてもらった。
大学院修了後は、運良くメーカーの研究職に入り込むことができた。しかし、周囲は東大・京大出の秀才ばかりだった。
同期もこの2大学だけで過半数、残りを他の旧帝大出身者が占めるという感じで、入社式の後に各大学出身者ごとに集まって歓迎会を開いたりしていた様だが、自分が出た大学の出身者は、未だに後にも先にも自分だけだ。
うちの会社も、就職氷河期のさなかに、よく自分みたいな人間を拾ってくれたものだ。
さて、入社当時は学歴コンプレックスを相当に感じていたが、彼らと付き合ううちに、能力的にはそんなに自分と変わるわけでは無いということに気づき、コンプレックスはだいぶ緩和した。
彼らの多くは都会出身者だったり、親が大学教授だったりするなど、単に自分とは生まれ落ちた場所や環境が違っただけだった。でも、彼らは、それは努力の結果であると信じて疑わず、運良く恵まれた環境に生まれ落ちたことには、あまり気づいていないようだ。
とりわけ、自分のような田舎者と大きく違うと感じるのは、文化への造詣の深さだった。
彼らの多くは、勉強以外に音楽等の習い事をさせてもらっており、大人になってからも趣味として続けている場合が多い。
そうした習い事ができたのも、実家に金銭的な余裕があったからだろうし、やはり生まれ落ちた環境の影響は大きい。
自分は習い事なんて一つもさせてもらえなかったので、その点、未だに彼らが羨ましいと思いつつ、自分の子どもたちは習い事に通わせている。
親は団塊世代で当時は給料も右肩上がりの時代で、それなりの中流家庭だったと思う。
兄が通っていた地元の塾に自分も行かせてもらい、兄は一足先に中学受験をして某私立中高一貫校へ進学した。
自分は最初の塾(兄と同じ)で、『御三家も狙える』と言われ、有名な大手進学塾へ通うようになった。
毎週土日のどちらかには親に連れて行ってもらって都内へテストを受けに行き、自分は純粋に楽しんでいたが、それに付きあう親は大変だったろうと思う。
そしてその頃から、どうやら兄は道を徐々に踏み外していったらしい。
具体的に中学生の兄の身に何があってそうなったのかは今でも知らない。
兄は万引きなど軽犯罪を繰り返すようになり、親が警察に行くこともたびたびあった(当時、自分にはそれらの事実は知らされなかった)。
自分と兄はひとつ屋根の下に暮らしていたが、部屋は別々で元々仲の良い兄妹でもなかったし、
自分は中学高校(御三家の一つに受かった)で良い友人に恵まれ学生生活を楽しんでいて、兄のことはほぼ眼中になかった。
ただ、それでも兄や両親を見ていて、『兄が道を踏み外しつつある』こと、『親が兄の対応で大変らしいこと』は雰囲気でわかった。
だから、自分まで親に負担をかけてはいけないな、と子供ながらに思っていた。
別に親のためにいい子でいようと思ったわけではない。
道を踏み外していく兄を尊敬できなかった、いや、心から軽蔑していた。ああはなりたくない、と思っていただけだ。
学校の友人の兄弟はみな出来が良くて、どこに出しても恥ずかしくない「まっとうな」人達で、比べると自分の兄が恥ずかしかった。
学歴なんかの問題じゃない、今でもそれで兄を差別する気はない。
犯罪を犯すこと(万引き以外にも路駐やら何かでしょっちゅう警察から電話があった。警察をバカにし、遵法精神などまるでなかった)、
それで親に多大なる迷惑と心労をかけていたこと、それを反省もせずにまた繰り返すこと。
兄の心理など知る由もないし、なにか彼の思春期に問題があったのかもしれない。
だがだからといって兄の行為が正当化される訳もない。繰り返すならなおさら弁護の余地もない。
私は心の底から兄を嫌い、軽蔑し、しかし表にはそれを出さずに、ただ兄とは接触しないようにしていた。
(なぜなら、兄は短気で暴力に訴える人間だったからだ。一度自分がそういった態度を見せた時、夜中に枕元に金属バッドを持ってすごんできたのは忘れられない。
そしてそういった基質もまた、私の兄への侮蔑をより強める結果になった)
そして兄は高校を(なんとか)卒業し、大学へは行かずにフリーターになった。
親はどこでもいいから大学へ行かせたかったようだが、兄本人が『大学でやりたいことがない』と進学しなかった(ここは兄が正しいと思う)。
ありがちな話だが、兄は音楽の道を進もうとしたらしい。バンドを組んで、いわゆるバンドマンになった。
音楽活動の実態は何をしてるのかさっぱりわからなかったが、さほど身を入れてやっている様子もなく、芽も出なかった。だが諦めきれないのか、フリーターをしながらだらだらと続けていた。
自分が高校を卒業し大学へ進学した後も、兄はその生活をしばらく続けていた。
そのうち、兄は一人の女性(Aさん)と知り合った。そして二人は結婚を考える仲になった。
Aさんはとても良い女性だった。自分や両親とも仲良くしてくれて、兄は大嫌いだがこんな姉ができるなんてほんとに嬉しい、ようやく兄が自分にとって良い行いをしてくれたと思った。
しかしここで、両親は最大の過ちを犯した。
何を思ったのか、兄にマンションを買い与えたのだ。親の名義でローンを組んで、兄と彼女の新居にしろと兄に与えた。
フリーターの兄に月々のマンションに係る支払が払えるはずもない。それはすべて親が払っていたのだ。しかも結婚も確定しないうちに買って与えた。
呆気に取られた。納得できないが親の気持ちになって考えてみれば、『Aさんに逃げられないように、住居が確定していれば結婚生活も楽になるだろう』ということだったのかもしれない。
『妹は大学へ行かせてやったのだから、兄にも何か与えねば』と思ったのかもしれない(しかし自分は国立大で、学費をトータルしてもマンション費用の20%にもならないのだが)。
兄は別に特段の感謝をする様子でもなく、当たり前のようにそれを受け取った。
そしてその後、結婚が決まっても一向に定職につこうとせずに自堕落な生活を続ける兄は、Aさんに愛想をつかされて結婚前に出ていかれた。
(兄はAさんに入れ込んでいたらしく相当なショックを受けていたが、自分から見れば当たり前だばーかとしか思えなかった)
この頃からだろうか、自分が『親は兄を贔屓している』と思うようになったのは。正確には、『親は兄を甘やかしている(自分には厳しいのに)』と感じ始めたのは。
自分は親に言われた。『私立大に行かせる金はないし仕送りをする余裕もないから、家から通える国立大にしろ』と。
親の言うことに従おうとしたわけではなかったが、自分の行きたい大学はその条件を満たしていたので、結果として親ののぞみを叶えた形になった。
しかし心のどこかに、『親ののぞみを叶えたい』という気持ちがなかったとは言えない。兄で苦労させられている親を見てきて、自分だけは親が誇れる子供でいようとしたのかもしれない。
通おうと思えば通えたが、一人暮らしに憧れていたこともあり、親の援助は一切受けずに一人暮らしを始めた。貯金とバイトでなんとかまかない、4年間それを続けた。
親が兄にマンションを買い与えるまではそれも納得していた。だが、親がそれをした時、自分の中で不公平だという気持ちが生じた。
根底に『「親に迷惑ばかりかける穀潰しでろくでなしの」兄に、なぜそんなに金をかけて甘やかすのか?』という考えも当然あった。
自分にとって兄は「いないほうがマシ」で、存在する事で何もいいことがない、迷惑なだけの存在だった。
グレてようがフリーターだろうが、優しい兄なら愛せたろう。だが、兄としての優しさを見せてくれたことなど数える程もない(その数回も小学生以下の時だけ)。
家庭を持って子を為し、親に孫の顔を見せて安心させてくれたなら、「普通」で「まっとう」な人間になってくれたなら、それで兄を見直すこともできただろう。
しかし兄は正真正銘のクズなので、逆の道にしか行かなかったのだ(それについては後述)。自分が兄を見直す機会はおそらく死ぬまで来ないだろう。
(余談だが、なかにし礼氏の小説の再現ドラマ(兄との関係を描いたもの)を見た時、心からなかにし礼氏に共感した。自堕落でお調子者で弟にとって迷惑な兄。
なかにし礼氏が兄の葬式後につぶやく、『兄さん、死んでくれてありがとう』がわかりすぎて辛かった。
何年先かわからないが、おそらく自分も兄が死んだ時、『死んでくれてありがとう』と心から思うだろう。自分が先に死ぬかもしれないが)
Aさんに逃げられた後、しばらく兄は自堕落な生活をしていた(親が金を払っているマンションで一人ぐらし)。
自分は何度も親に『マンションから出て行かせろ、でなければ兄は自立できない』と言ったが、親は『そんなこと実際にできるわけがない』『目の届かないところに行かせるほうが不安だ』と言って聞かなかった。
この頃から、自分の中で『兄が駄目になったのは親の(甘やかしの)せいではないのか』『親は己の見栄しか考えてないのではないか』という疑念が湧いてきた。
やがて自分は大学を卒業して、氷河期の中なんとか上場企業に就職を決めた。
希望の会社からは内定が出ず、文系でプログラムなど全くわからないのにSEになることになったが、就職できただけでよしとするしかなかった。
親の反応は『とりあえず上場企業だから、外への体裁が整った』というものだった。親にとって自分は見栄のための存在なのだなということが、徐々にわかってきていた。
同じ頃、兄もようやく某リフォーム会社で営業として働きはじめた。
兄の営業成績は良かった(もともと外面だけは良い)ので、いっときは小金持ちになれたらしい。外車を買ったが、マンションの金を親に返す気はさらさら無いようだった。
その外車がポンコツなのかあるいは外車とはそういうものなのか、しょっちゅう壊れて修理代がかかった。あまり乗らないせいもあっただろう。
乗らないのなら売ればいいのに『売っても二束三文にしかならない』と兄は言い張り、親はなぜか修理代を肩代わりして払ってやっていた。
(散々修理代を払って直して、最後にはやはり壊れ、ろくに乗りもしないままに結局二束三文で売ったようだった)
マンションの支払いは親が続けていた。このころようやく、月々の管理費や積立金などの維持費だけは兄が支払うようになったようだった。
そのうち、バツイチ子持ちの女性Bさんと知り合い、今度は結婚した。Bさんについては自分はほとんど知らない。
その頃自分は向いていない仕事かつ長時間労働で心身を病みかけており、朝焼けの街を徹夜明けで泣きながら一人家路についたりしていたので、兄のことなど構う暇もなかった。
結婚式には一応出た。ストレスで過食気味になりむくんだ顔の自分が愛想笑いを浮かべて写っている写真は見返したくもない。
兄の結婚になんの感慨もなく、『これで普通の人間になってくれれば』と願っただけだった。兄に望むただ一つのことは『普通の家庭を築いてくれ』で、それ以上は望まなかった。
営業成績が良いのに浮かれ、独立すると言って仕事を辞めた兄だったが、ろくなノウハウもない個人のリフォーム営業がそうそう上手く行くわけもない。
あっという間に生活は行き詰まり、さっさとBさんに逃げられた(どうやら浮気されていたようだが、それを追い詰める気力もなかったようだった)。
そしてまた、マンションで自堕落な生活に戻った(もちろんマンション維持費は親払いに戻った)。
自分はずっと『兄を甘やかしすぎだ、マンションから追い出せ、マンションを売ってしまえ、でなければ兄は自立しない』と親に言い続けていたが、ずっとでもでもだってで聞き流された。
『(万引きなどの)前科があるから、追い出したら何をするかわからない。もっと悪いことになるかもしれない』『どれだけ言ってもあいつはこちらの言うことを聞かない』。これが親の言い分だった。
しみじみ、親も兄も情けなく、どうしようもないと思った。『お前は冷たい』と言われた。
『そもそも最初にあれが道を踏み外した時、お前の中学受験にかかりきりで、親としてろくに関わってやれなかったのが悪かったから』と。
そう言われて自分にどうしろと? 責任を感じろというのだろうか? もうとっくに成人していい年になった兄を憐れめと? 親でもない自分がなぜ親と同じ感情を共有せねばならないのか?
『ずっとそう言い続けて兄を甘やかして、それで状況が好転したか? 好転する見込みがあるというのか? 兄の自立を妨げているだけではないのか?』
そう言っても、親は同じ言い訳を繰り返して兄への甘やかし(マンション与え)をやめようとしなかった。
自分の中で、兄への嫌悪と親への嫌悪の比率は徐々に逆転していった。兄がどれほどのクズだろうが、どんな人生を送ろうがもはやどうでもいい。
自分と同じ親のもとで、恵まれた環境で育ったにも関わらず、兄は自ら堕ちていったのだ。兄の人生は兄のもの、好きに生きればいいしどこでのたれ死のうが勝手にすればいい。
兄よりも、そんな兄を甘やかし続ける親のほうに不信と不満が募っていった。なるほど、親がこうして甘やかすから兄は更生できないのだと納得した。
そして『兄が自分よりも甘やかされてる事実』にどうしても納得できなかった。自分を特別扱いしろというのではない、兄を特別扱いするのが耐えられなかったのだ。同じ子供として平等に扱ってほしかった。
自分の大学時代、兄は親が与えたマンションでゆうゆうと一人暮らしして、自分は仕送りを一切受けられずに生活費のすべてを自力で稼いだ。
就職してから、兄は親が与えたマンションで好き勝手に暮らして、自分は親に金を入れていた。家に金を入れるのは当然だと思う気持ちもあったが、理不尽だと思う気持ちはどうしても拭えなかった。
その気持ちに耐えられず、『兄と比べてあまりにも不平等だ、兄にも金を支払わせろ、兄を甘やかすのもいい加減にしろ』と泣いて言ったら、『じゃあこれからお前も金は入れなくていい』と言われた(そうじゃないだろ)。
家庭のことや仕事のことなど色々あり、結局自分は新卒で入った会社を3年ほどで辞めてしまった。親に『30までにやりたい道(フリーランス)で食っていく目処をたてる』と誓い、宣言どおりに28で目処を立てた。
兄は親が見つけてきた非正規パートの仕事をなんとかこなし、その頃にはそこそこ年季も入って板についてきていた。新しい彼女(Cさん)もできたようで、マンションで一緒に暮らし始めた。
だが、そんな矢先。兄が、クスリで捕まった。
最初に一報を聞いた時、親はともかく、自分は『まあ、あるだろうな。やっぱりな』としか思わなかった(基本的に兄の人格を信頼していないので、何を起こしたと聞いても『やりかねない』としか思わない)。
もちろん家族の誰も気づいていなかった。家族の目の届かないマンションでずっとやってきたものらしい。
自分は『言わんこっちゃない、だからマンションから追い出せとあれほど言ったのに、甘やかし続けた結果がこれだ』と親に言った。親は『そんなこと今更言っても仕方ない』としか言わなかった。
そこからの詳細は省くが、兄は執行猶予がついて戻ってきて、兄を見捨てなかったCさん(菩薩かよ)と今でも親の与えたマンションで暮らしている。Cさんが見張っているので再犯はないと思いたい。
Cさんには敬意と感謝しかない。彼女がいなかったら兄はもっとだめになっただろう。
しばらくCさんに食わせてもらっていた兄だが、今はまた派遣で職について、そこでの仕事も軌道にのってきたようだ。今度こそは歳も歳なので落ち着いたと思いたい。
(ちなみに、また維持費だけは払うようになったが、購入費は一切払っておらず、名義は父のまま。毎年実家よりも高い固定資産税を払っているのも父)
兄はもうどうでもよく、二度と犯罪を犯すなCさんにだけは迷惑をかけるなCさんだけは大切にしろとしか思っていない。
残念なことに、自分の中で兄の見方が変わることはこの先死ぬまでない。今の兄と表面上でも付き合えるのはCさんあってこそだ。Cさんを姉と慕っても、兄を兄と慕うことは生涯ない。
きょうだいは他人の始まりとはよく言ったもので、兄への気持ちはもうこれでいいと落ち着いている。
だが、「未だに」なのか、「今だからこそ今まで積もり積もったものが」なのか、自分の中で親へのわだかまりだけはどうしても消えない。考えると落ち着かず、心がざわつく。
もう親も老い、自分もいい年だ。親も人間であり、それも見栄っぱりで子供を平等に扱わず贔屓するようなできの悪い人間だったんだと納得するしかないとわかっているのに、
自分はどうしても、親に『自分たちが間違っていた』と言ってほしい。子育ての過ちを認め、自分がどれほど辛い思いをしたかを理解し、悪かったと謝ってほしい。
だが、過去に喧嘩した時の経験から、親は絶対に自分の過ちを認めない、ましてや子供から言われる言葉を決して正面から受け止めないとわかっている。
『それが親に対して言う言葉か』『何様のつもりだ』『はいはい、全部こっちのせいだって言いたいんでしょう』…そう言って絶対に絶対に自分の過ちを認めない。老いた今、なおさら頑なになり認めないだろう。
自分は自分なりに、親の期待には応えてきたと思う。教育で親に金をかけてもらった事は感謝しているが、それだけの成果をちゃんと出し、結果をだした。
なのになぜ、自分は兄と同じに扱われなかったのだろう。自分だけが要求され、応え続けねばならず、それなのにそれを評価もされなかったのだろう。
これを言うと嫌な人間だと思われるだろうが、客観的に見て自分のほうが親に貢献しているしまともな人間として育った(少なくとも前科ものでなく、親に迷惑をかけていない)という自負があるだけに、やるせない思いがある。
本来なら自分のほうが親に贔屓されて然るべきではないのかという思いがあることは否定しないが、贔屓してほしいとは言わないしするべきでもない。
ただ自分に求めるものは兄にも求め、兄に与えたものは自分にも与えてほしい、子供の間に差をつけないで平等に接してほしかっただけだ。
男女の差だというのならばなおさら、兄には『長男』としての役割と責務を求めるべきだったろうに、なぜ私が長男の役割も果たさねばならないのだろう。
兄が結婚した時、自分は『兄が孫を作ってくれたらそれだけが兄の親孝行だ、自分にも兄がいた意味がある。せめてそれくらい孝行しやがれ』とわずかに期待したが、兄は子供を作る間もなく離婚した(そもそも作る気もない)。
母は自分にだけ言う、兄には絶対に言わないのに、『老後の楽しみがほしい、孫が見たい』と。
子供はジジババの楽しみのために産むもんじゃねえし産んでおしまいじゃない、何ならあなたがたが育ててくれんの? 育てる金あるの? と応えたら沈黙した。
そんなに孫が見たいなら兄に言ってくれ、男なんだから自分よりよほど確率が高いだろうと言ったら、『あの子に育てられるわけがない』。『何を言っても無駄』と言って、兄には20年以上何も要求しない。
『精子バンクとかあるでしょう』『50歳で産んだって例もあるし』とまで言われた日には本当に失望した。
50歳で産んだ女性はほぼ卵子提供で母方の遺伝子は入らないし、養子じゃ嫌だってんならそれ(母方の遺伝子が入らない)も嫌なんだろうに。
そもそも出産までにどれだけ苦労したか(流産だって何度も経験してるはず)、不妊治療にどれだけお金がかかったかわかってて言っているのか、そして不妊治療と高齢出産がどれだけ母体に負担がかかると思っているのか。
娘の体など、自分の楽しみのためにはどうなってもいいのだろう。
孫の立場にしたって、父親がいない家庭に生まれることになるのだが、そういったことを考えてもいないのだろう。ただ、自分が欲しいから、だ。
私の結婚も、自分の見栄だけのためにしてほしかったらしい。大切なのは見栄と体裁で、娘の幸福などどうでもよかった。
『結婚しない女はなにか問題があると思われる』なんて言われても、それはあなただけの醜い価値観だろう、未婚率が三割の時代にそんな事思うほうが少数派だ。
図らずも未婚女性への「己の偏見」を曝け出したことにも気づかずに、『あなたのために言っている、それが世間だ』などと諭してくる醜さ。兄にも同じことを言えばいいのに。
『結婚しろ』と言われるのが嫌で、それを避けるために誰でもいい、一回結婚さえすれば文句を言われまいと思って結婚したけれど、上手く行くわけもなく2年も経たずに破綻。
(付き合っていた人とは、兄の事件で別れざるを得なかった。結婚した人には家族ぐるみで兄のことを隠した。そんな結婚うまくいくわけもなかったし相手には申し訳ないことをしたと思う)
その時の言葉も『せめて2年は持たせろ、外聞が悪い』『相手の親に私(母)の顔が立たない』『どうせお前のわがままだろう』…出てくるのは己の見栄と体裁のための言葉だけで、一度も娘の心情を慮る言葉は出てこなかった。
兄が同じように2年程度で破綻した時、兄に同じ言葉を突きつけたなら、そういう人なのだと納得もできたかもしれない。だが、兄の離婚に関して親は兄に何も言わなかったのだ。
・文章を書くときは主観的になりきる(感情移入する)必要があるが、プログラムは客観的にメタな考え方でつくる必要がある
⇨コンピュータやシステムの立場になって考えている。UMLのユースケース図は証左。たぶん、増田がコンピュータに感情移入できないから、そのように思うのだろう。クルマを愛車と呼ぶのか、単なる移動手段の一機械としか思えないか。どちらが良い悪いは無いけど。
・プログラムは意味や内容がわかっていないことについて書けない
⇨かつてはやり直しコストが高かったのでウォーターフォールモデルが主流だったが、現在はWYSIWYGのごとく、コードを書いて、動かしてみて、検討しなおしてコードを書く、といった繰り返しで調整して作っていくこともそんなに変ではない。
作りたい成果物が決まっているのは、文章も何らかの意図を持って書くのだから一緒。
私の結論:プログラム言語は、英語にも増した世界共通の言語(よく変わるけど…何処かの進学塾のセンセが書いていたけど、数式のほうがさらに普遍性が高い)
子供にはちゃんとした教育を与えたいとは思っているんだけど、いかんせん金がない。夫婦で年600万ぐらいしかない。勤め先が小さい会社なもんだから昇給もほとんど期待できない。
そんな中、上の子が来年小4に上がるんだけど、周りは中学受験の話で持ち切りになっている。
ネットの情報で自分の地域の4分の1が中学受験するっていう情報は知っていた。まあうちは受験とは無関係だとは思っていたんだけど、周りのママさん情報によると、自分の知っているお母さん方の子供たちの全員、100%が中学受験を目指して4年から塾に行かせることが判明した!ネット情報古すぎでしょ!
早いところはもう2月から始まる塾もあるらしくてそれに乗り遅れないように皆さん必死で塾情報を集めているご様子。
なんだかメッチャ焦る。
本当は我が子も進学塾に行かせてお受験させて私立中のいいところに行かせた過ぎる。
けど金がないから無理だわ。子供一人だったら何とかなったかもしれないけど二人だし。受かったとしても私立の学費無理だし。
放課後に少女漫画を読んでいたら、同じ進学塾に通っていた友達A子に
と言われた。
正直モヤモヤしたけど、その当時私は彼氏いない歴=年齢だったし、
A子は年上の彼氏と付き合っていて、
顔は見たことないけど彼氏が校門の近くまで車で迎えに来ることがよくあったから、
今自分にはわからないけど彼氏ができた人にだけわかることがあるのかな、とそのときは納得した。
大人にしかわからない恋とかあるのかも。そういうもんなのかな。
その後、塾で勉強をしたおかげもあって私たちはそれぞれ志望大学に無事合格したけど、
私が別々の大学に進学したためかA子とは高校卒業後は疎遠になった。
大学を卒業した頃に、A子と同じ大学に進学した同じ塾の別の友達と会う機会があり、
共通の友達であるA子の話になって、高校時代にA子が付き合っていた年上彼氏は
実は当時私たちが教わっていたふた回り年上の塾の講師だったと聞かされた。
その講師に私たちは高校1年生のころから受験期に至るまでとてもお世話になった。
生徒の前で奥さんやお子さんの話をよくしていたし、写真を見せてくれたこともあった。
私は昼ドラみたいな内容に衝撃を受け、また二人に騙されていたことがすごくショックだった。
その友達も高校時代は知らずに過ごし、大学に入ってからA子から明かされたそうで、
内容の重さに一人で抱えるには耐えられなかったことと、
私がその講師とSNSで繋がっていることを心配して教えてくれたらしい。
そのときは本当にショックと腹立たしさとやり場のないモヤモヤを消化できなかったけれど、
今冷静になって考えてみると、私含め面が割れている塾生が多数通う高校の校門まで車で迎えにくるって
不倫相手のいる前で堂々と妻子の話をするって一体どういう気持ちなんだ?
もちろん妻子いる相手を好きになって関係を持った時点でA子の自業自得だし、
罪悪感とかないのか???感情のネジがいかれているのか????
現在これを書きながらも改めて講師の行動が理解不能すぎて怖い。
いま大人になって私もそれなりに恋愛は経験したけど、少女漫画は未だに読むし好きだ。
今日のプロブロガー(2019-01-09)(3) | MechaAG
イケダハヤトがやりたいことはわかる。目的は素晴らしい。できれば俺だって応援したい。しかし…イケダハヤトのやり方ではイケダハヤトがやろうとしてる目的は実現しないんですよ、残念なことにね。だから「それでは駄目だよ」と言ってる。
今日のプロブロガー(2019-01-10) | MechaAG
必要もないのにルールを無視したり否定するのは賢くない。ルールというのは崖の柵のようなもの。柵がないと崖に落ちて危険だからその手前に柵を設置してある。柵(ルール)を取り払ったからといって、その先(崖の向こう)にいけるわけじゃない結局イケダハヤトは個人でやるしかないよね。自分のやりたいようにやりたい。そして他人に協力してもらうコストを無駄としか考えないから。其れなら何でも自分一人でやるしかない。
脱社畜とか会社を辞めさせるだけで後は自分で運命を切り開けなんてのは、若者に残酷すぎ。というかそれで成長できる人は誰も何も言わなくても勝手にそうするのですよ
今日のプロブロガー(2019-01-10)(2) | MechaAG
ブラック企業とは違うだろう。だってブラック企業は社員に給料を払ってる。脱社畜サロンは逆に会員が会費を払ってるwwww
界隈は別にイケダハヤトから給料を貰ってるわけじゃないのに、まるで社畜のようにイケダハヤトの顔色を窺ってびくびくしてる。サラリーマンの方が安定して給料を貰える分ずっとマシだと思うけどね。それになんだかんだサラリーマンをやってるとスキルも上がる。一方イケダハヤトは仕事のやり方を教えてくれるわけじゃないでしょ。給料ももらえない。スキルも身につけさせてもらえない。なのに社畜と同じ待遇wwwww
もしそういうのに本気で魅力を感じるなら、手本にすべき人はもっと他にいると思うんですけどね…。だってイケダハヤトは口だけじゃん?イケダハヤトから聞けるようなことは、ネットのどこにでもあると思うんですけどね…。なにも有料サロンや情報商材買わなくても。さりとて進学塾の教師みたいに教え方がうまいわけでもないし。というかむしろ下手。「ブログ書け!」ですから。イケダハヤトとか正田圭に憧れる人は世界が狭いんですよ。インターネットという巨大な海が目の前に広がってるのに、砂浜にあるちっちゃなビニールのプールで泳ごうとしている。プールがイケダハヤトや正田圭ね。しかも海は無料なのにプールは有料(笑
今日のプロブロガー(2019-01-10)(3) | MechaAG
イケダハヤトやサル君が考えたことはわかるよ。非コミュの人は今一つ普通の社会にうまく適応できない。ならば非コミュに適したコミュニティを作れば、幸せになるんじゃないか、と。でもならないんですよ。だって非コミュなんだもん。むしろ非コミュの人はコミュニケーションがうまい人の中に散らして配置すべきなんですよ。
イケダハヤトやサル君の発想は、まあ気持ちはわかるけどあまりに原始的。誰でも最初に考えそうな方法。その方法じゃうまくいかないので、企業は採用していない。イケダハヤトやサル君も企業を侮りすぎなんですよ。イケダハヤトやサル君が思いつくようなことは、企業だって馬鹿じゃないから試してるわけ。それでうまくいかなかった。
今日のプロブロガー(2019-01-10)(4) | MechaAG
イケダハヤトも含めて界隈の連中も徐々にオッサンになってきてるってことじゃないですかねw。時の流れは若者にとって残酷。オッサンになると「体制を壊す」側から、「体制を守る」側への転換に迫られるわけですよ。イケダハヤトの場合は自分が作ったサロンを「守る」必要に。
はたで見てると界隈の連中って苦行に見えるんだけどね。修行中のお坊さんみたいに、わずかばかりの食べ物(ベーシックインカム)だけで、あとはひたすら自分自身を見つめて「生き方」の本質を探究する。オウム真理教の信者を思い出すんだよね。
今日のプロブロガー(2019-01-10)(5) | MechaAG
「まさだけい」逆から読むと「いけださま」。相性抜群。
正田圭は、一応結構な規模の(これも一応だが)社長だということ。イケダハヤトとは事情が違うんですよ。その点に思い至らないでしょ?それがイケダハヤトの未熟な点なわけ。
元に戻ってはいないんですよ。一度信用を失った人は戻ってこない。ただ大衆は無数にいるから新たな信者が補充されてるだけ。でもそれいいの?「その他大勢」は補充が聞くけど、かけがえのない人からも見すてられてるじゃん。
書きたくなったので。
学校ではトップの成績だったが、塾ではそうはいかない。頭のいい奴らがゴロゴロいた。
教育ママだったから小学生低学年から通信教育をやっていて、そのおかげか入塾テストではトップのクラスに入れた。が、成績は二年間でどんどん落ちて、最終的には上から三番目のクラスだった。
志望校は二番目のクラスまでしか入れないというのが恒例だったので、周りにはあまり期待されていなかったようだ。しかし自分は絶対受かるだろと謎の自信が最後まであった。
結果は合格。
二番目のクラスからは合格者がでないおろか、一番上のクラスの奴も2/3くらいしか受からなかったから、三番目から合格というのは驚かれた。
中一からスパルタで有名な某進学塾に入った。入れさせられたの半分、入りたかったの半分。
塾も学校もレベルが高く、ああ自分はだめなんだなとはやくも感じてしまった。特に中間試験という数字で結果が現れる機会は残酷だった。(今思えば勉強してないだけだったが)
それからは暗黒期。
小学生のころはゲームが禁止されていたこともあり、その反動で中学入ってからはアホみたいにゲームした。当然成績は浮上することはない。僕はいわゆる「深海魚」になってしまった。
大学受験が近づいた焦りで多少塾の勉強を真面目にやりようになる。が、それ以上に周りが頑張るので成績はあがらない。
この時期に塾の英語はついていけなくなってやめた。情けなさはあったけど、自分でやればいいかと思って逃げた。
高二までは学校行事を頑張ってて、勉強は意識しないようにしてた。
高三になるといよいよ受験だ。
友人と図書館で集まったりして勉強したが、家では全く勉強できず学校模試では後ろから1/4に入ってしまう。
なのに夏の京大模試では運良くB判定。これで完全に油断して行ける気になってた。
ちなみに理系だったが理系科目の勉強をまったくやっていなかったので、二次試験ではそれがなくても入れるところを志望していた。夏の前にいろいろ情報を漁っていかにコスパよく大学受験を終えるか調べてたのが、そのあとに生きてきた。
(コスパよくというのは勉強せずに周りからの評価が高い大学にはいるということ)
こうやってあさっているうちに、二次試験の前に独自の入試を受けることで、受験回数を純粋に一回増やせる受け方を見つけたので使ってみることにした。
秋からの模試はせいぜいC判定だったのでどうせ浪人だろうと思いながら勉強してるのかしてないのかわからないような日々を過ごした。
そんな中での一度目の入試当日。
ほぼはじめての京大。百万遍のマックで緊張しながら時間を潰した。
試験自体は三時間くらいで、ひたすら長い文章をよんで、問に答えるやつ。
こういうのは集中しやすいタイプだったから、あっという間に終わった。時間ギリギリで。となりの人は全部解けてなかった。
センターもD判定だったしどうせ厳しいと思いながらも、ほぼ最下位で合格した。
実感を得るまでに相当時間がかかったが、その後京都で一人暮らしをして、ようやく京大に受かったんだなあと思えた。
まわりが超難関校に多く進学する学校だっただけに、なんとかしてそういう学校に入ろうとした人間の末路(?)です。
参考にはならないかもだけど、こういう人もいるよってこと。
あと自分は理系だけど、政治とか経済とかに関する興味が高校の頃からあった。ただの逃避だが、みんなが図書館で勉強してるのを横目に、新聞をずっと読んでいた。
こういうところで身につけた(?)論理性みたいなのは多少、合格に寄与したのかもしれない。残念ながら、学校の勉強はまったく関係なかったが。
はじめのうちは、自分のなかではズルして入学した感がぬけず、ずっと劣等感に苛まれていた。
落ちた人は過程より結果だと思うかもしれないが、僕は結果より過程だとずっと信じていたので、そのことが自分を苦しめた。
溶け込んでいくなかで多少は改善されたが、いまだに多少考えてしまうことはある。
えーと、「八艘→発想」ですよね。眠い。寝るぞ俺は。
円グラフでも描いてみれば、4/8=2/4=1/2ってのは一発で視覚的に解ることだし、自力でそこに思い至る小学生がいてもそれほど不思議ではない気がするよ。
そりゃあ解る子は解るでしょう。「小学生が自分で円グラフ描けちゃう」んだからパイチャートの理解も当然できているはずですね。割合の理解も高そうだ。
理解できている「ならば」、ぶっちゃけた話そこら辺の大人よりよっぽどデキたものですよ。
つまり、図示できたとして、グラフを習ってもいないのに約分の説明で円グラフ持ち出してきたら次は円グラフの説明ですよ。円グラフなら百分率の理解も確認したいところです。ということは小数についての理解具合も確かめたい。
その生徒が『習ってないけど別のところで知ってたからそう書いた』のと『習ってないけど独力でそこにたどり着いた』のを区別しなきゃならんはずよね。
そういう意味での説明です。説明できないなら理解できていないも同然。Togetterのコメ欄では「社会に出てからは知らないでは済まされない」などとドヤるアイコンが多いのに分数の約分は無条件に正答をもとめてくるんですねと問い返したい。というか、仕事でその程度のルーズさで回してないでしょ、しっかり数字の妥当性について具に検証するよね、という。数字あってりゃいいなら粉飾決算もそれでいいんじゃないんでしょうか。
大学入試でも同じ。高校範囲で習ってない事実を断りなく使うのは進学塾ですら幾分及び腰になるというのに、なぜか小学算数だけは無条件で正解にしろと吹き上がるのが不思議。
フィリピンのスモーキー・マウンテンなどでお金になるゴミを拾って生活してる子供をテレビで見たことがあるが東京の豊かな大量の物資、情報に囲まれた子供と違いはじけるような子供の顔をしてた。
去年のお盆休みには朝早くから小学3年くらいの女児が大手有名進学塾のカバンを背負いトボトボと塾への道を歩いてるのを見かけたが、遊ぶのが仕事の年齢なのに「おやすみのところ、お疲れ様です」と挨拶したくなるほど疲れた顔をしていた。
ヒトの動物としての限界を大幅に超えているだろう人口密度の都会でストレスを掛けられた子供がホルモンや神経のシステムを無視して夜遅くまで塾へ通わせたり起きていたりは免疫システムの学習、身体の成長にも著しい影響が出るだろう。
逆になぜ動物としてのヒトが簡単に生活リズムの大きな変化へ適応出来ると考える人が居るのかが不思議でならない。
ヒトを動物として捉えれば、普通に密度が高すぎればペットと同様イライラするだろうし、おかしくもなるだろう。
もしかしたら普段は子どもたちが理性で頑張って抑えてるのかもしれないけど、限度を超えた時に出る助けての金切り声なのかと思う。
本文をうっかり読んでしまうのは時間の無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。
これは一人のクソ女の自分語りだ。
多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクションの小説が好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。
文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。
特に意見やアドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。
そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。
石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。
それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的で趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう。
さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。
私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレの中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。
親に無理矢理突っ込まれた進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値で勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。
結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試のきれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校を受験して合格した。
妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。
彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。
彼は誰にでもそうする人間だ。
そういう人間を私は好きだと思った。
高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛を満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。
彼は時折、家族が留守にしている放課後や休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車をこいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身を他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。
彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。
たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だからと地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。
いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。
部活の大会や模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。
関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。
鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校の卒業も危うくなった。彼のメールを無視し続けた。友人たちのラインもブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。
音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センターも保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。
高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬と睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。
私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業式から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像をはるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校の前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室で卒業式をやってくれた。
さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学に合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。
私は全くもって元気では無かった。
恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。
人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末を説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。
そういうことでお付き合いは継続されることになった。
彼は大学に入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。
私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死に家族に説明し、ひたすら精神科に通った。
彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。
彼はサークルが忙しかった。理系だから男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。
私達はあまり会わなくなった。
彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから。自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。
色々なことがあった。
死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。
私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。
そんな状況を医者は許さず、私は精神科の閉鎖病棟に入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。
看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。
母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。
少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。
これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。
あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。
閉鎖病棟に入院したことがあるレッテル付きの私は母からの罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。
そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。
母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。
彼はおめでとうと言ってくれた。
新調したスーツ、きれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達。
私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。
しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。
私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。
大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。
そういえば私は彼とセックスしていなかった。
呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。
セックスする前に私は酒を飲んだ。
薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。
こんなもんか、と思った。
彼は別にセックスしたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。
その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかったからだ。彼と話すのは楽しかった。
それが数ヶ月前のこと。
それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。
精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠も規則的になった。
兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。
私の生きる価値は無くなった。
ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。
終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。
翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟が一人暮らしをしている家に転がり込んだ。
それから紆余曲折あり、結局兄弟の仕送りで私は生活している。兄弟は大学に行き、私は自分と兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。
もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。
今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。
彼と連絡を取っていない。
これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。
私は多分もう駄目だ。大学は妹宅からは距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。
自分は異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・
彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかもセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛とかいうフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。
友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。
さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学の夏休みの期間を調べている。
でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。
こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。
生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。
そろそろ死んじゃおうと思っている。
メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。
恋愛には向いてなかった。
多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。
罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気を治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。
参ったなあ。
元増田は、元記事の執筆者の10年前だというから77年ごろの生まれでら80年代に少年時代を送った人だろ
中学校は荒れていた、のぼりのある進学塾というのもその頃の流行り
「中学校が荒れていたから学習塾に通わせる親が多かった」が正解だ
時代が違う印象の差で、どちらかが嘘付いてるわけでもないと思う
>1980年(昭和55年)代、1990年代(平成2年)には、公立の中学校における校内暴力やいじめが社会問題となり、特に都市部では私立校の人気が高まりました。
似たような田舎町に住んでた事があるけど、
その辺に普通に進学塾(全国チェーンだが)があって「増田益男、〇〇大学合格!」とか書いてあるんだよな。
その大学名もでかでかと掲げられてるのは東京の有名大学ばかり。東大ってのもいた(地元の神童扱いなんだろうなこいつ、と思った)。
東京の大学より地元の旧帝に行く、って人が大多数の地方中核都市出身者としては、
もっと田舎だとどうせ自宅離れて進学するなら東京の有名大に、ってなるのかもしれないと思った。
まして釧路には医学部に10人入れる学校があるようで。それ進学校だよね?勿論その田舎町に進学校など存在しなかったけど、それでも上記の通りなのに。
「田舎は東京より遥かに遅れている」ってのも一種のポルノであって、
その著者はそれに合わせて本売る為に話盛ってるだけなんだろうね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180207-00023725-kana-l14
>逮捕容疑は、2016年11月24日午前1時35分ごろ、小田原市内のマンション駐車場で、同市に住む高校3年の女子生徒(18)の下半身を触った、などとしている。
古い順
そう思う順
wha***** | 2日前
返信10 そう思う516 そう思わない73
dartmoo37 | 2日前
青少年保護育成条例により、特別な事情がなければ、23時以降の外出は条例違反
返信1 そう思う240 そう思わない27
shi***** | 2日前
返信1 そう思う225 そう思わない46
等々…犯人ではなく被害者を責めるコメントばかり。痴漢は悪いけど、という前置きすらない。
ひとつはバイト帰り。事業所によっては高校生でも18になれば普通に深夜12時まで働かせる。
人によっていろいろ事情はあるのが当然だろうに。
しかも、私がセカンドレイプを責めるコメントをしたところ、それが非表示にされて消されてしまった。
誰が報告したのか。Yahoo! JAPANはセカンドレイプを推奨するのか。
タイトルのとおりだけど。
子供の学力を全体的に上げるためには義務教育の場にも能力別クラスを導入するのが一番だと思う。
今の義務教育って平均点レベルの子供に合わせた一律教育で、平均を逸脱して理解の早い子にも遅い子にも苦痛になってる。
理解の早い子は機会を損失してるし、遅い子はどんどん周りから遅れてしまう。
年に数回の学力テストをやって、その点数別に各クラス20~30人ずつくらいの能力別クラスを編成するのがいいと思う。使うのは同じテキスト。
進学塾では普通にやってることだから、学校でもやってやれないことないと思うんだけど、モンペとか「子供の自尊心が~」とかなってできないのかな。下位層にも手厚く優しくという目的があれば、その辺もカバーできるんじゃないかと思うんだけど。