プログラム的な考え方が苦手な人と文章的な考え方が苦手な人の両方の気持ちがある程度わかっている。
そこで元増田がわかっていない文系の人がプログラムでつまづく理由を考えたい。
・プログラムは一度にできることが一つ
例えば、プログラムの変数は、一度に一つの変数しか変えることができない。一方、文章では一度にがらりと変えることが多い(一度に変えないと読み手に伝わらない)
・プログラムは変化が読み取りにくい
「このif文が全体の要だから他と違う書き方にして印象づけたい」といったことはほとんどできない
(文章ではある事実が明らかになる地点を超えたときに落差をつける。この落差が読み手への感情移入や注意換気につながる)
・プログラムはif文など書き方が決まっていて、書き方の多様性があまりない
言葉選びの多様性がその文章の説得力や現実味を高めるのに対して、プログラムには説得力や現実味といった概念がそもそもない
・文章を書くときは主観的になりきる(感情移入する)必要があるが、
例えば小説を書くときは主人公になりきる必要があるが、プログラムは何かに感情移入しない
プログラムは機械的な作業に感じられる(実際、相手は機械なのだが)
・プログラムは意味や内容がわかっていないことについて書けない
文章は意味や内容がわかっていないことを書きはじめて、書きながら理解していくことができる
(文章ではこうした書き方をしたほうが生産性やモチベがあがることが多い。
また、わざと情報弱者の視点や最弱の立場の視点を使ったほうが読み手に伝わりやすくなることも多い)
例えば、プログラムは調べながら書き進めることができない(書き直しになる)。
プログラムは書きながら謎について理解していくことができない。わかっていることしか書けない不自由さがある。
なぜこうした些細なことが問題になるか?というと、文系と理系ではそもそものロジックが異なっており、
それまで文系として積み上げてきたことをいったん捨てなければならない。
相手が人間かコンピュータかというので対応方法が180度変わってくることもある。
とくに無意識に立ち上がる文章作成能力はプログラムを書くことを困難にする。
その過去の経験で有益だった無意識の思考を捨てる行為が難しいとも言える。
このへんの対人間と対コンピュータの違いについてもっと詳しく書けば、それが理系のコミュニケーション能力の低さを客観的に見直すことにもなって有益で面白いのだが、誰かやってくれないかな?
マ、やっています。いくつか反対意見を。 ・プログラムは一度にできることが一つ 一方、文章では一度にがらりと変えることが多い(一度に変えないと読み手に伝わらない) ⇨文章も...
・プログラムは変化が読み取りにくい 「このif文が全体の要だから他と違う書き方にして印象づけたい」といったことはほとんどできない ⇨言語によるが、かなり表現できると思われ...
・文章を書くときは主観的になりきる(感情移入する)必要があるが、プログラムは客観的にメタな考え方でつくる必要がある ⇨コンピュータやシステムの立場になって考えている。UML...
何も具体的に言ってない点が文系っぽい。 解釈の余地がない定義して、根拠となる具体例を出して主張せよ。