2019-05-30

生誕地ガチャ、両親ガチャ

大人になり社会へ出てから、本人の努力よりも、どの土地のどんな両親のもとに生まれ落ちたのかという事が、人生の大きな部分を決めてしまうことを痛感した。

自分は、人よりも牛の方が多い、ど田舎に産まれた。

両親も含め、おそらく江戸時代に遡ったとしても、先祖代々この地を離れたことがないと思われる。

周囲も親戚も大学学者はおらず、同級生ほとんどが地元高校卒業して、そのまま地元で職に就き、地元配偶者を探し、そこで一生を終える。

別に、そのような生き方否定するつもりはない。幸福かどうかなんて、全くもって主観的問題なのだから

ところが、自分理系に憧れを抱くようになり、やがて研究者になりたいと思うようになった。

そのためには、どうやら大学へ進学しなければならない事もわかってきた。

でも、上述の通り理系はおろか、大学出身者なんて学校先生くらいしかいなかった。

田舎なので、大きな本屋へ行くには、チャリで30分の無人駅にたどり着いてからさら電車に乗って1時間ほどの街へ出るしか無かった。

もちろん、周囲には図書館進学塾予備校も無い。

そんなわけで、そもそもどんな勉強をしたら大学へ進学できるのかさえわからなかったが、街へ出る機会を利用して学習参考書をゲットしたりして、何とかやや都会寄りの国立大学に進学することができた。

大学時代の成績は学科トップであったため、3年次で飛び級して1年分の学費を浮かせるという条件で進学を渋る両親を何とか説得して、大学院まで通わせてもらった。

大学院修了後は、運良くメーカー研究職に入り込むことができた。しかし、周囲は東大京大出の秀才ばかりだった。

同期もこの2大学だけで過半数、残りを他の旧帝大出身者が占めるという感じで、入社式の後に各大学出身者ごとに集まって歓迎会を開いたりしていた様だが、自分が出た大学出身者は、未だに後にも先にも自分だけだ。

うちの会社も、就職氷河期さなかに、よく自分みたいな人間を拾ってくれたものだ。

さて、入社当時は学歴コンプレックスを相当に感じていたが、彼らと付き合ううちに、能力的にはそんなに自分と変わるわけでは無いということに気づきコンプレックスはだいぶ緩和した。

彼らの多くは都会出身者だったり、親が大学教授だったりするなど、単に自分とは生まれ落ちた場所環境が違っただけだった。でも、彼らは、それは努力の結果であると信じて疑わず、運良く恵まれ環境に生まれ落ちたことには、あまり気づいていないようだ。

とりわけ、自分のような田舎者と大きく違うと感じるのは、文化への造詣の深さだった。

彼らの多くは、勉強以外に音楽等の習い事をさせてもらっており、大人になってから趣味として続けている場合が多い。

そうした習い事ができたのも、実家金銭的な余裕があったからだろうし、やはり生まれ落ちた環境の影響は大きい。

自分習い事なんて一つもさせてもらえなかったので、その点、未だに彼らが羨ましいと思いつつ、自分の子どもたちは習い事に通わせている。

  • こういうエントリーのカウンターに「上京して人生変えた人もいる!」みたいな事言うやついるけど、 そんな一握りの話されてもしゃーねーわって思う。

  • 国ガチャでハズレ引いてるからどーでもいい

  • 遺伝子ガチャでは当たりを引いたんだな。よかったよかった。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん